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全てを不運によって奪われ、物語(シナリオ)から追放された七草にちか。
もはや名前と令呪とサーヴァントを持っているだけの、平凡なモブ女子高生である彼女。
しかし、そのどこまでも平凡な頭脳で、界聖杯に何を望むべきか。
――考えが、ない訳ではなかった。

急死したお姉ちゃんを生き返すべきか、お母さんを生き返すのか、それともお父さんなのか。
界聖杯は、いくつまで願いを叶えることができるのか。
特に指定がなければ一つしかない、というのがこの手のお約束だ。
『家族を全員健康な状態で生き返らせる』という願いが一つに数えられるのなら良いのだけれど。

どこかの龍の神様みたいに、一つの願いでどこまでできるか交渉できればいいのに。
残念ながら、こちらは界聖杯と交渉する手段を持たない。
コミュニケーションといえば、ついさっきの一方的な後出しの最後通告だけだ。

たぶん、『誰かを生き返らせる』という願いが叶ったとして、それは一人だけだ。
『家族全員』という願いは、聞いてくれないと考えるべき。
――だとすれば、誰を生き返らせるべきか。
お姉ちゃんか、お母さんか、お父さんか。平凡なにちかに、選べるはずもない。
誰かを選んだら、誰かを『選ばなかった』後悔に、一生苦しみ続けることになるに違いない。
それくらいは、平凡な頭脳のにちかにも想像がついた。


では、にちか自身の人生をやり直すのはどうだろう、とも考えた。
例えば、『お姉ちゃんとお母さんの死の直前』あるいは『お父さんの死の直前』から。
しかし、お姉ちゃんの作業中の凍死を防いだとして、その後に待つのはお母さんの入院費を稼ぐため、
火の車の家計を何とか回す日々が戻ってくるだけだ。
いずれどこかでお姉ちゃんは倒れてしまうし、そうなればお母さんも助からない。

――そこをどうにかするために私はアイドルに賭けたが、
それだけは絶対に叶わないと、既に理解(ワカ)らせられてしまっていた。

『お父さんの死の直前』まで時間を戻す、これも論外。
今でさえどうしようもなく無力なのに、物心つくかつかないかの時期の私は、もっと無力だ。
きっと、あの頃の私にお父さんを救うことはできたはずもない。

家族のことはきっぱり諦めて、自分の希望を選ぶとすれば。
例えば『七草にちかがトップアイドルになる』、とか。
だけど、私がトップアイドルになるには何が足りないのだろう。
声質や音感なのか、踊りを覚えるための運動神経やリズム感なのか、それとも顔やスタイルがどうやってもどうにもならないのか。
全部トップアイドルを目指しうるものに取り替えたとして、
私は――元の私と違うという違和感に耐えられる自信がない。

逆に、『元の私のままでトップアイドルになれる』としたら。
それは多分、人々を洗脳することと変わらない。
自分自身の平凡さを骨の髄まで理解させられている私が、
トップアイドルとしてちやほやされるという状況の違和感に、
私はやっぱり耐えられる自信がない。
そしてやっぱり、家族を選ばずにトップアイドルになっても、平凡な私はずっとずっと後悔に苦しむだろう。

七草にちかは、界聖杯一つでの埋め合わせが利かないくらいに、多くのモノを喪失しすぎていたし、
持っている可能性はあまりに少なすぎた。

だから、息を潜めて戦争が終わるまでやり過ごし、どうにかして生き残るという方針しか採れなかった。

――そこへ来て、

 ――――『全ての可能性喪失者は、界聖杯の崩壊と共に消滅する』

この言葉とは、なんとも皮肉が利きすぎていた。

 ◆   ◆


液晶の中で踊る、いびつなアイドルユニットのパフォーマンスに嫌気が差した七草にちかは
ベッドから身を起こしたままリモコンに手を掛けた。


【――小平市、陸上自衛隊小平駐屯地の出入口付近で、一人の女性の遺体が発見されました】


地上波では、東京23区内とは全く関係のない所のニュースが流れている。
……どうせ私たち参加者は東京23区内から出られず、その外側の情報なんて無意味なはずなのに、
テレビ局の人たちもご苦労さまなことだ。


「アーチャーさん、お昼、何にしますか?」

「何でもいい」

「その答えが一番困るんですけどねー」


霊体化を解いたメロウの答えに毒づくと、にちかはのろのろとベッドを這い出して顔を洗い、
パジャマの上にエプロンを着て、冷蔵庫を漁った。


「焼きそばで良いですよねー」


ガスの火に掛けて熱したフライパンに、特価品の豚バラ肉を落とした。
大部分が脂身の安物だが、おかげで油を引く必要はない。
そして何より、安くて量が多い。庶民の味方だ。
じゅうじゅうと加熱された脂身が、起き抜けの空きっ腹に響くいい香りを放ち始めた。
豚肉がカリカリに焦げてきたところで、一旦皿に移す。
野菜は、今回はカット済みのものをそのまま投入。火が通るまで炒める。


【女性の身元は、所持している運転免許証・学生証などからT京大学3年生の■■■さんと推定されています】

この造られた東京に呼ばれてすぐの頃、にちかは部屋から出ることもなく、
ほどんどベッドから抜け出すこともなく、ふさぎ込んでいた。

メロウにとっては夢の中を通じて知った記憶だが、肉親を一度に二人も急に喪えば、
平凡な女子高生はそうなって無理もない。――自分だって、ほとんど似たようなものだったから。

メロウは、ただ呆然とベッドで寝込むか座り込むかしているにちかに食事を与えたり、
(聖杯から与えられた知識で)衣服を洗濯したり、戦争というよりは介護をしているという有様だった。
そんな日々が一週間ほど続いて、にちかはただ一言、


「……飽きた」


と言った。

何にだ、とメロウは聞くと、にちかは


「ごはんに決まってますよ! アーチャー! なんでカロリーメイトしか持ってこないんですか!」


と、堰を切ったように怒り出したのだった。
肉親の顔も知らず、物心付いた頃から戦場にいたメロウは軍用レーション以外の食事をほとんど摂ったことがなかったし、
それで食事は十分だという認識があった。
だから必要な栄養さえ摂れれば良いと、もっぱら彼の知る軍用レーションに近い、
カロリーメイトばかり調達してきていたのだ。
つまりは、現代の日本人は同じものばかり食べると飽きる、ということが常識になかったのだ。

怒りのままにアパートを飛び出したにちかは、すぐに息を切らせて戻ってきた。(流石にマスクは付けた)
両手に食材がパンパンに詰まったビニール袋をぶら下げて――。

【■■さんの遺体の傍には違法な改造のなされた散弾銃があったほか、近くに停車されていた乗用車の中には
 大量の自家製爆弾や銃弾、毒物と思しき液体の入ったペットボトルも発見されており――】


野菜に火が通ってきたところで、マルちゃんの袋麺3人前を全部投入。
最近は塩味、お好み焼き風など、色々な味が出てきているが、やっぱりソース味が一番落ち着く。

……こうしてアーチャーさん――メロウの分まで食事を作っているのは乏しい自分の魔力を少しでも補うためであり、
彼の生前の食生活があまりにも貧しかったのとは関係ない――と思うようにしている。
平凡な人間の私に、誰かを思いやって何かを与える余裕なんてないのだから。

麺がほぐれ、粉ソースとバラ肉を投入して味が馴染んだら完成。
普通の焼きそばだ。ただしちょっと肉多めの。


「アーチャーさん、できましたよー」

「すまないな」

「良いんですって。どうせ作る手間は一人でも二人でもいっしょですし」


というのは建前で、一人で自炊して食事しようとしたら
アーチャーさんの視線を霊体化した空間からずっと感じていたから、というのが、本音である。
歴戦の兵士にして戦災孤児でもある少年の羨望の視線が、虚空から突き刺さる。
平凡な人間には、とうてい耐えられるものではなかった。


【――また、傷口が炭化するほどの高熱で焼かれている、
 下半身だけの状態で何メートルも這って移動した形跡がある、など、遺体の状態にも不可解な点が多く――】


「……うえ。チャンネル変えてくれます?」


モザイク付きとはいえ、ランチタイムにはあまりに不適切な画面がそこにはあった。
都市伝説に伝わる、下半身を失って両腕で走る妖怪、テケテケだ。


 ◆   ◆


チャンネルを変えた先に待ち構えていたのは、またアイドル。
いくらなんでも過当競争ってやつではないだろうか。
さっきのモザイク画像よりはマシなので、渋々だけどこのままにする。


「できましたよ、アーチャーさん」

「……いつもすまないな」

「紅ショウガはお好みで使ってくださいね。あと麦茶も冷蔵庫から出してきますね」


二皿の焼きそばがローテーブルに並び、部屋が焦げたソースと豚バラの香ばしい匂いで満たされた。
アーチャーさんの方は少し多めに盛り付けてある。
彼は、その体格相応に、そしてその年頃の少年相応によく食べる。
こうして私の作った料理を何でも美味しそうに食べるのを見るのは――正直、悪い気はしない、と感じていた。


【♪ マージナル・マン 待ち受けて ふたりで乗り越えたい】


こちらのチャンネルで放送されているのは、283プロのアイドルの特集らしい。
液晶の中を踊るのは、双子の姉妹とお母――いや、お姉さん役の3人の、ファンシーな雰囲気が特徴的なユニット。
一人一人の技量はさっきの星野アイに及ばないかもしれないが、
ユニットとしての完成度はこちらの方が断然上だ。安心して見ていられる。
この3人をユニットとしてプロデュースしているのも、あの人なのだろう。

それにしても、亡くしたお姉ちゃんと特に親しかったらしいあのお姉さんのアイドルが、
今やその悲しみなどまるで最初から存在しなかったかのように歌と踊りを披露している。
流石、プロは違う。――単に録り貯めたものかもしれないけど。

アーチャーさんも、焼きそばを豪快にすすりながらも興味深そうに画面を見ている。
彼のいた世界は、こちらとは比べ物にならないほどテクノロジーが発達していた。
一方で100年続いたという戦争で文化は荒廃しきっており、
女性がステージに立って行う出し物といえば良く言えば即物的、悪く言えば下品なものがほとんどだった。


【♪ プリマファキエ 満たしたあとで 生まれる 何気ないこと 大切にするココロ】

「……それにしてもアーチャーさんって、わっかりやすいですよねー」

「何の話だ?」


【♪ ねえ教えて いつの日か きっと 永遠を 誓い合えるかな】


「おハシが止まってますよ……あのお姉さんが画面に出てる時だけ」


図星の急所つつかれて、むせる。
何度も食卓を囲んでテレビを見てきたのだ、流石にわかる。
アーチャーさんの暮らした世界を思えば、彼の好みも『即物的』になるのは仕方ないことかも知れない。
ちなみに小学生にしては大きい子がセンターやってるあのユニットの、
リーダー役のお姉さんでも、同じような反応が見られますよー。


「……ルルシーさんに言いつけてやろっかなー」


麦茶のコップを口に付けたアーチャーさんに、追撃。
……これ以上はやめとこう。テーブルの後始末が大変になる。


【♪ 嫌な過去と 満ちた未来 やり直して くり返して】


――ルルシー・ラモン。
アーチャーさん――『機甲猟兵 メロウリンク』の物語を語る上で欠かせない人物だ。


 ◆   ◆


『機甲猟兵 メロウリンク』。
この東京に呼び出されてきた私が、幾度となく繰り返し夢に見続けてきた物語。
絶望の塹壕戦。出来レースの軍事裁判。苦難に満ちた旅路。
死にもの狂い、血と油と泥にまみれた復讐劇。明かされる野心・陰謀。翻弄され、あぶれでた雑魚。
"近似値"でもなければ生き延びることができなかっただろう、ほとんど悪夢と表現してよいその物語。

最後の仇敵である情報将校は、尊敬していた小隊長さえ、勲章に釣られてメロウを裏切っていたと明かす。
復讐などチャチで鼻持ちならん自己満足だと、雑魚は雑魚らしくもっと上手くやるんだったなと、酷薄に嗤う。
それでもメロウはその自己満足にとことん賭けてやると吠え――最後の復讐を果たした。


「お前なら――戦争という巨大な流れから、はみ出て生きていけるかも知れん」

「ああ、とことん生き延びてやるさ」

「雑魚にしか見つけられないものを探すのも良いかもな――俺には、マネできねえが」


仇敵からの祝福ともいえるやり取りを最後に、背負っていた巨大なライフルを捨て、
メロウと同じく陰謀の犠牲者であり、そして復讐の協力者でもあり――
――いつしか愛情で結ばれていたパートナーとなっていたルルシー・ラモンという女性の元へ帰ることで物語は幕を閉じる。


その後、メロウとルルシーがどう暮らしたか。
アーチャーさん本人に、その記憶はないという。
アーチャーは『機甲猟兵 メロウリンク』であり、メロウリンク・アリティその人ではないから、当然といえば当然である。

だけど――きっと二人は、あの世界で再び燃え上がったった戦火を逃れて、
とことん生き延びたと、幸福に暮らしたと、信じたい。

彼らの幸福を祈るほど良い子ちゃんぶる訳ではないが、あの後ほどなく爆撃に巻き込まれて
二人仲良く木っ端微塵になりました、と明かされたなら「金返せー!」と叫びたくなるからだ。
盗られたのはお金ではなく良質な睡眠だけど。

――だから、結局の所――この物語は、希望の物語なのだ。
全てを失おうとも、無為な復讐を果たそうとも、とことん生き抜いて、
自分の信じるモノのために闘うことで生を掴み取る、希望の物語。

メロウリンク・アリティは、全てを失った私に、それでもとことん生き抜いて見せろと、やってきてくれた英霊なのだ。


【♪ 例えば翼失っても キミのもとへ そっと 舞い降りるから】

アーチャーは決して強力な英霊ではない。
夢の中での大立ち回りはまるでアクション映画のヒーローのようで、人間の限界に挑むようなものばかりだった。
それでも能力値はたかだか平均値止まり。
彼を超える力を持つ英霊はゴロゴロいて、そいつらはみんな人の限界を突破した超人だということだ。
事実SNSには英霊同士の戦闘の跡と思しき写真がたびたびアップされており、
どう考えても人間の力では不可能な破壊の跡もあった。

人間の範疇の強さでしかない彼だったが、物語の中で何度も鉄の巨人と闘い、銃撃の雨に晒された。
だけど、驚異的なしぶとさを発揮する"近似値"だったから生き残ったのだろう――とアーチャーに尋ねたことがある。
彼は、自分が何かの"近似値"である心当たりはない、と言った。

近似値とは――数学とか物理の授業で聞いた気がする。
辞書で調べると『真の値に近い値』だとか、そういった意味らしい。

"真の値"が他にいるということなのだろうか。
"近似値"ではそいつに勝てないということなのだろうか。
このメロウリンクは、他の誰かの近似値に過ぎない、ということなのだろうか。
それともこのアーチャー・メロウリンクは、メロウリンクのそっくりさんを
界聖杯が間違えて連れてきて私にあてがってきた、ということなのだろうか。いやいやまさか、そんな馬鹿なことが。
わたしにあてがう英霊は、"近似値"で十分だってことなのか。
むかついてきた私は、そこで考えるのをやめた。


 ◆   ◆

【♪ マージナル・マン 待ちうけて ふたりで乗り越えたい 例えば二度と飛べなくても】


それにしてもこうして家で誰かと食卓を囲むのは、ひどく久しぶりのことに思えた。
お姉ちゃんは毎日遅くまで働いていたし、お母さんは入院中だったから。
学校で、友達と……とはまた違う楽しさが――安らぎがある。


【♪ キミのために ずっと 笑っていよう 笑っていよう――】


不意に、甘く悲しい感情に襲われた。

だらだらとテレビを見ながら、家族と食卓を囲んでご飯を食べる。
――お姉ちゃんは、こういう日常が戻って来るのを信じて必死に闘っていたのだろうか。
病と闘った末にそのまま家に帰ることのなくなったお母さん、
そして、私の物心つく前にいなくなってしまったお父さんも、法律の世界で闘っていたという。
皮肉なことに、闘うことさえできなかった私だけが、かりそめとはいえ、その日常を掴んでいた。

――そうか。もう、私はアイドルとして闘う必要はないんだ。
アイドルになってたっぷり稼いで、お姉ちゃんとお母さんに楽させてあげたい……と思っていたけれど。
アイドルになりたいという憧れが、今もなくなったわけではない。
だけど、アイドルになるという願いは、もうコナゴナに打ち砕かれてしまったのだ。
283プロを急成長させた、あの敏腕プロデューサーにさえ才能がないと言われてしまったから。

――普通に働いて、いずれ気の合うパートナーを見つけて、そして――。
今の時代、それも決して楽じゃない闘いだけれど。

――ふっと、肩の荷が降りた気がした。

あの頃のように、アイドルのパフォーマンスを素直に楽しめるような気がした。
283プロ特集、番組表を見ると、次はアンティーカだっただろうか――。

 ◆   ◆

しかし、スピーカーから聞こえたてきたのは、聞き慣れないヒップホップ調のイントロ。
番組内容が急きょ変更されたらしい。つい先日にアンティーカのメンバーの失踪事件のニュースがあった。
無理もない。白瀬咲耶さん、だったっけ。
お姉ちゃんとお母さんのお葬式にも参列してくれていた。
モデル出身で背が高くてダンスのキレがすごくて、王子様みたいな人。
まさか、とは思うけど、この戦争に――。

懸念を巡らせるにちかをよそに、
テレビには新人アイドルの登竜門である、WING準決勝の録画が放送されている。
紹介されたユニット名は、SHHis[シーズ]。
283プロの送り出す、7つ目のユニット、らしい。


【Yeeeeeeeeeah!】

「「?!」」


私たちは一斉に凍りついた。

画面の中に、私がいた。"七草にちか"が。

"七草にちか"が歌っていた。
"七草にちか"が踊っていた。
"七草にちか"がポーズを決めていた。

アレは、誰だ。

"七草にちか"だった。どう見ても。
髪をエクステで伸ばし、メイクをばっちり決めていたが、液晶に映るそれは、見間違えようがないほど"七草にちか"だった。
"七草にちか"が、新人アイドルの登竜門であるオーディション――戦場の只中にいた。

アーチャーさんは箸を止め、画面に釘付けになっていた。
私は割り箸をへし折ってしまったことにも気づかず、液晶テレビに掴みかかるように見入っていた。

"七草にちか"が出したこともない高いキーでサビを歌い上げていた。
"七草にちか"の脚は肌色のストッキングをはいており、足首や膝にはうっすらとテーピングの跡が見えた。
"七草にちか"の目はよく見ると充血していた。緊張で眠れなかったのか、あるいは寝る間も惜しんでレッスンに励んでいたのか。
"七草にちか"が、闘っている。
このステージに立つまでにもきっと――きっと、薄氷を渡るような闘いを乗り越えてきた、"七草にちか"が。

"七草にちか"と一緒に画面に映るのはユニットの相方だ。
技術ではトップクラスと評されながら、長らく不遇のキャリアを過ごしてきた、知る人ぞ知るベテランだ。
CGモデルを取り込んだかのように正確で鋭いダンスを披露するその相方に――"七草にちか"が、付いてくることができている。
"七草にちか"が。"七草にちか"ごときが。
あのプロデューサーに才能を見いだされなかったはずの――"七草にちか"が。

私の胸の中で、赤黒い情動が渦を巻いていくのを感じた。
恥ずかしくて、妬ましくて、気持ち悪くて、憎たらしくて――そのどれもが一緒になったものに。
こんな私は見たくなかった。だけど、目を離さずにはいられなかった。
ステージの上で必死に闘う"自分"を、自分の写し身を見つけたなら――。
普通は、『勝ってくれ』と祈るのだ――ましてやそれが"平凡"と自覚されられた自分が届くはずのない場所にいたとしたら――。


――パフォーマンスが終わった。あいさつを済ませた"七草にちか"が、
やっとの思いといった風にステージを降りてゆく。
テロップにオーディションの結果が表示されている。
準決勝の順位は2位――惜しくも決勝進出は逃しましたが、SHHisの今後の活躍にご期待ください、と。


「マスター、今のは――」

「わかんないです。だけど、間違いなく……あれは"七草にちか"ですよ。
 それだけは、間違いない」


テロップで名前がはっきりと紹介されていた。
だけど、それだけなら同姓同名のそっくりさんという可能性は、まだ否定できない。

一番の決め手は――パフォーマンス中に時折見せた、ダンスステップのアレンジ。
かつてごく短い期間だけ活動し、人気絶頂の折に引退したアイドル、八雲なみのもの。
にちかの世代で知る者は少ない、忘れ去られつつある伝説のアイドル。
彼女と顔も体型もまるきり違う"七草にちか"がステージの上でそれをマネてみても、酷く不自然で不格好なだけだった。
アレさえなければ、"七草にちか"は確実に勝っていたと断言できるほどの、最悪のノイズだった。

アイドルの道を諦めることを、ようやく受け入れつつあったからこそ見出すことができた、皮肉な真実だった。

 ◆   ◆


「……ねえ、アーチャーさん」

「わかっている。"七草にちか"に会いに行くんだな?」


手早く身支度を整えたにちかは、鏡を見ながら風邪用の不織布マスクを身に着けた。
顔の下半分をすっぽり覆って、ようやく顔面に張り付いた令呪を隠すことができる。
窓の外から聞こえるのは蝉しぐれ。今日の最高気温は何度だっただろうか。
エアコンの利いた部屋からこのマスクを付けて出るのは気が滅入る。
このあほみたいに暑い中マスク付けて出歩くなど、頭おかしいとさえ思う。
ああ、あと、ついでに聖杯戦争中だ。

それでも、あの"七草にちか"が誰だったか、確かめないわけにはいかなかった。
単なるNPCかも知れないが、それなら彼女が元の世界の役目である、
姉と母を急に喪っただけの平凡な女子高生という役目[ロール]とは噛み合わない。

――そもそも、お母さんはともかく、お姉ちゃんは冬の倉庫で凍死したのだ。
夏の倉庫で凍死なんてありえない。――死因が熱中症にすり替わっているだけかもしれないけど。

もし、万が一あの"七草にちか"が聖杯戦争の参加者だとして――やっぱり同じだ。
新人アイドルという役目を与えられているのは、私(七草にちか)にとってありえないことだ。

283プロで今も辣腕を振るっているであろう、プロデューサーはどうしているのだろうか。
何を思って、"七草にちか"をプロデュースする気になったのか。
彼は恐らくNPCだろうが、聞いてみたかった。
アイドルを目指すことへの未練が、また生まれてしまうかもしれないけれど。


「やっぱり、283プロを直接訪ねるのが一番早いと思うんです」

「……危険だぞ。そこに所属する白瀬さんって人が失踪したんだろう。
 聖杯戦争のマスターが283プロの中にいて、交戦することになるかもしれない」

「危険だからこそ、行かなきゃって思いませんか?
 283プロの人たちって、みんな本当にいい人ばっかりなんです。
 私のお姉ちゃんやお母さんが死んじゃったこと、赤の他人の私でもわかるくらい本気で悲しんでくれるくらいには。
 仮に283プロの中にマスターがいたとしても、いきなり向こうから襲ってくるとは思いません。
 もしかしたら白瀬さんがマスターで、他の聖杯を狙うマスターたちに襲われてしまったのかも」

「……だから、彼女らに力を貸してあげたいと?」

「そこまでの力があるとは考えてません。ただ――283プロが丸ごと襲われて誰もいなくなってしまう前に、
 あの"七草にちか"の足取りくらいは掴んでおきたいんです。
 これは単なる自己満足に過ぎませんし、私みたいな雑魚は雑魚らしく、
 最後まで隠れ潜んでいるべきなのかも知れませんけど――それでも」

あの"七草にちか"が闘い、敗北したあの放送で私が感じたのは、悔しさと、安堵だった。
所詮"七草にちか"ごときがWINGの優勝なんて不可能だと理解した、安堵だった。
そしてあんなに必死になって闘って、敗北した自分を見たことに安堵した卑屈な自分が、たまらなく嫌になった。

敗因が、自分自身を信じられないがゆえの人真似だと理解できてしまうのが、情けなかった。
だから、私はあの"七草にちか"にたどり着いたらこんな風に言ってやるのだ。

『八雲なみを汚すな。私を信じろ。それがどれだけ心細いことでも、それでも私には、私しかいないんだ』

――と。


アーチャーの大きな手が、私の頭を優しく触れた。
彼も『身支度』を済ませていたようで、身の丈以上の巨大な対ATライフルに、圧力鍋で造った自家製爆弾、
火炎瓶、ワイヤー、スモーク花火などが満載された大きなバッグを担いでいた。


「わかった。俺は、君を守るために最善を尽くす。
 それと、念のために聞くが、やはり界聖杯はいらないんだな?」

「ええ、要りませんよ。平凡な私には、きっと使いこなせない代物です。
 今はただ――生き抜くことを考えます。アーチャーさんみたいに」

「だったら、283プロに向かう前に合流したい相手がいる」

「誰ですか?」

「『アサシン』のサーヴァントだ。数日前の警戒中に接触した。
 そのマスターは君と同じく、聖杯を望まず、ただ聖杯戦争からの生還を望んでいる。
 君の方針が固まりきっていなかったから保留としていたが――。
 これから合流し、聖杯戦争脱出のための同盟を組みたいと考えている」

【世田谷区 アパート/一日目・午後】

七草にちか(弓)@アイドルマスター シャイニーカラーズ】
[状態]:健康、満腹
[令呪]:残り三画(顔の下半分)
[装備]:不織布マスク
[道具]:予備のマスク
[所持金]:数万円(生活保護を受給)
[思考・状況]
基本方針:生き残る。界聖杯はいらない。
1:アーチャーから話に聞いたアサシンのサーヴァントに会いに行く。
2:WING準決勝までを闘った"七草にちか"に会いに行く。283プロに行けば、足取りがつかめるかも。
[備考]※七草にちか(騎)のWING準決勝敗退時のオーディションの録画放送を見ました。


【アーチャー(メロウリンク・アリティ)@機甲猟兵メロウリンク】
[状態]:健康、満腹
[装備]:対ATライフル(パイルバンカーカスタム)、照準スコープなど周辺装備
[道具]:圧力鍋爆弾(数個)、火炎瓶(数個)、ワイヤー、スモーク花火、工具
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:マスターの意志を尊重しつつ、生き残らせる。
1:アサシンのサーヴァント(ウィリアム・ジェームズ・モリアーティ)に会いに行く。
2:マスターに従い283プロに向かうが、最大限の注意を払う。
3:武装が心もとない。手榴弾や対AT地雷が欲しい。
[備考]
※圧力鍋爆弾、火炎瓶などは現地のホームセンターなどで入手できる材料を使用したものですが、
 アーチャーのスキル『機甲猟兵』により、サーヴァントにも普通の人間と同様に通用します。
 また、アーチャーが持ち運ぶことができる分量に限り、霊体化で隠すことができます。
※アサシン(ウィリアム・ジェームズ・モリアーティ)と本戦開始数日前以内に接触しています。

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OP:SWEET HURT 七草にちか(弓) 020:283プロダクションの醜聞
アーチャー(メロウリンク・アリティ)

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最終更新:2021年08月19日 21:48