トゥインクル・イマジネーション。
上弦の参に討たれて散った星の戦士から"継承"した、なりたい何かになるための力。
これを用いて
猗窩座を下したアシュレイだったが、かの力は今も彼の中に渦巻き続けていた。
覚醒を捨てた相互理解の星では、
死柄木弔という凶星の輝きに打ち勝てない。
だからこそ、もっと大きな輝きが必要だった――元ある輝きをもっとずっと大きくする、イマジネーションが必要だった。
崩壊、滅ぼす力。
それとは真逆の、明日に繋げる力。
それを解放し、自らの剣に、そして星へと付与(エンチャント)することでアシュレイは死柄木の死風を内側から吹き散らしたのだ。
赫灼熱拳を両断しながら、死の運命を跳ね除けて立ち上がった
アシュレイ・ホライゾン。
彼のと死柄木の眼光が交錯し、アシュレイは炎を。死柄木は滅びを解き放った。
「少女趣味か? 似合わねえぜ」
「なんとでも言え。俺にとっては、何より誇らしい力だよ」
本来、アシュレイの出力で死柄木と渡り合うことは困難な筈だった。
本命の崩壊はおろか、振り翳してくるホーミーズ達の火力でさえアシュレイの数倍以上はあるのだ。
天駆翔ならばいざ知らず、涙の雨で拮抗するには相手が悪すぎる。
しかしその欠点を補ったのが、イマジネーション――無限にも通じる力だ。
銀炎の出力が目に見えて向上している。
気合と根性、かつて彼が袂を分かった概念が働いていなければ説明の付かないような不条理。
それを以って、アシュレイは死柄木の放った本気の崩壊を相殺してのけた。
形あるもの全てを滅ぼす崩壊は、"まだ"形なきものを滅ぼす領域にまでは到達していない。
死柄木の眉が動く。四皇を知る男をして驚くに足るだけのものを、今のアシュレイは発揮していた。
「萎えるぜ。気持ちよく勝てそうだったのに」
「背負ってるんでね。こんな俺を待ってくれてる奴がたくさんいるんだ、そう簡単に屈しちゃやれないんだよ」
滅びと希望の余波が飛び交う中で、踏み込んでくるアシュレイに死柄木は苛立たしげに舌を打つ。
そうして振るわれる剣閃は、やはりというべきか先ほどのとは比較にならない威力を秘めた轟閃であった。
再生があるとはいえ無策に受ける気にはならない、それだけの一撃。
身を逸らして避けながら、片手に渦巻かせた炎を浴びせかけるがアシュレイは避けすらしない。
「そんでもって言わせて貰うぞ、魔王。"その程度か"」
体表に星辰光を纏わせることで、具体的な行動を一つも起こすことなく死柄木の熱を殺してみせたのだ。
そして右手を翳せば、そこから溢れ出すのは威力を大幅に増した銀の炎。
蒼炎とぶつかり合って猛烈な熱を散らしながら、しかし両者共に一歩も退かない。
溶け落ち始めるアスファルト。足裏から伝わってくる灼熱にも構わず、魔王と境界線は攻防を繰り返す。
烈風と死炎を入り混じらせ、骨の髄まで焼き尽くそうとする死柄木。
それに対してアシュレイは、イマジネーションの鼓動に任せた異常出力で対応する。
猗窩座との戦いで見せたものと比べて、格段にアシュレイはイマジネーションをその身体に適応させつつあった。
星辰光という異能に精通していること――更に、自身の星を三度に渡って"変更"してきた経歴故の順応の速さ。
サーヴァントならではの年季と慣れの速さが、
アシュレイ・ホライゾンを此処に来て星の戦士にも届くイマジネーションの使い手として完成させた。
(見える。斬れる。扱える――素敵な力だな。とびきり優しくて暖かくて、そして強い。まさに君に相応しい力だと思うよ、アーチャー)
この瞬間の攻防に限って言うならば、アシュレイは完全に死柄木の上を行っていた。
炎と風の二重奏をこじ開けて通した一突きで、魔王の脇腹を抉り飛ばす。
衝撃で後退させられた死柄木の口から、二度目の舌打ちが出る。
次の行動は予想できる。火力を引き上げての一撃必殺だろう――厄介だが、しかし読めている。
アシュレイはそのまま一歩前へ踏み出し、"キラキラ"の宿る拳を握って――
「ッ――!?」
死柄木弔の顔面を、ただ全力を込めて殴り飛ばした。
単に傷を癒やせばいいというものではない、"覇気"にも通じる深い衝撃が彼の顔面を突き抜けた。
初めて味わう感覚に、死柄木は溢れ出る鼻血を手のひらで受け止めながら呆然とする。
殴られた。ただそれだけだ。
それだけなのに、こうまで痛い理由が分からない。
ひしゃげた骨格も折れた鼻も復元はすぐに済むが、しかし鈍い激痛は残り続けていた。
「……ムカつくな。どいつもこいつも、俺に気持ちよく暴れさせてくれない」
峰津院大和の不敵な微笑を、嫌でも思い出す。
目の前の青年の顔に、重ねてしまう。
最初は取るに足らない相手だと思っていた。
皇帝達はおろか、大和と比べても恐るるに足らない相手。
か細い希望に縋って生きるか弱い者達の柱として実に"らしい"、弱小のサーヴァントだと高を括っていた。
だが此処で、その認識が改められた。
そんな相手に今自分は殴り飛ばされ、無様に地面を転がったのだ。
認め難い現実に苛立ちが巻き起こる。
その感情が脳へと伝わっていき――……、やがて冷たく渦を巻く、濁流の如き殺意へと変換されていった。
「船乗り如きが王様を殴り飛ばしたんだ。極刑だな」
殺意の爆発と同時に、死柄木が地面に触れようとする。
アシュレイはそれをさせるわけにはいかない。
死柄木の崩壊の射程は数キロメートル以上だ。
此処で放たれれば、同じ区の中にいるにちか達が巻き込まれるのは必至だった。
「――させるかッ!」
一足で間合いへと踏み込んで、一刀を放つ。
アシュレイは、そうしなければならない。
それは彼が抱えている明確な"縛り"だ。
守るべき人を背にしているという、"縛り"。
そしてそれを、死柄木が利用しない筈はなかった。
「本当に……金言だと思うよ。先生」
目の前で繰り出されようとしている崩壊に対しての恐れではない。
死柄木弔のその後ろで、ゆらり、と……揺らめいた影があった。
それを見た瞬間、アシュレイは背骨の代わりに氷柱をねじ込まれたような気分になった。
筋骨隆々の
シルエット、濃い陰影が浮かび上がった顔立ちは巌のよう。
見た目だけを見れば、似ても似つかない。
背丈も、年齢も、恐らくは辿ってきた人生も違う。
いや、それどころかこれは見た目がどうあれただの写し身だ。
死柄木弔がその能力を使って作り上げた使い魔(ホーミーズ)、その一体でしかない。
分かってはいる。分かってはいるのだ、アシュレイだって。
だが、そう分かっていても尚――心の中に、"あの英雄"の姿を思い浮かべてしまうのは何故なのか。
「守るものが多いんだ、ヒーローってのは。それがお前らの愛すべき素敵な弱点さ」
アシュレイ・ホライゾンは"英雄"を知っている。
おとぎ話の中に伝えられる、フィクションの存在ではない。
現実の市井に生まれ落ち、貧しい中で研鑽を繰り返し、弛まぬ努力と実直な精神性で頂点へと上り詰めた全ての人々の希望。
人々の心に差した不安の影をその背中一つで掻き消しながら、いつだって弱音の一つも漏らすことなく歩み続けた永遠の憧憬。
知っているからこそ、アシュレイは一目見た瞬間に確信した。
この男は、この象徴(おとこ)は――あの英雄(ヒーロー)と同種の生き物だと。
「知ってるみたいだな、英雄を」
「……ああ、よく知ってるよ。いつだって"誰か"のために立ち上がり続ける、そういう人のことならな」
「俺も同じさ。よ~く知ってるんだ……そんな奴の強さも弱さも。"平和の象徴"の光も闇も」
「じゃあ、これは――」
笑みを浮かべることのない、彫像のようなその顔に宿る気迫は鬼気と呼ぶべきそれだ。
比喩でなく、対面しているだけで全身の筋肉がビリビリと痺れてくるのを感じる。
ただの写し身でこれならば、一体本物の英雄はどれほどの武威を纏った存在だったのか見当も付かない。
だがそれと同時に、アシュレイは身に沁みるような痛ましさをも感じていた。
「……おまえの知る、"英雄の影"ってことか」
「その通り。単なる紛い物だけどな、それでも結構気に入ってるんだ。
中身なんざあってもなくても、力さえあれば大抵のことはどうにか出来ちまう。
皮肉が効いてるだろ? どうあっても矛盾と犠牲から逃げられない生き物の再現としちゃ我ながら上出来だ」
「俺はその人のことを知らないが、見てて気分のいいものじゃないな」
これは、死柄木の知る英雄の影の側面そのものであり。
そしてそれ以上に、彼が抱く果てしない憎悪の賜物だと分かったからだ。
まさに、悪意を以って描かれた英雄のカリカチュア。
力だけを捏ね合わせて、崇高なものの一切を取り払った一切鏖殺の英雄譚。
「――なんだか、無性に悲しくなるよ」
「そうかい。俺も悲しいぜ」
対話の時間が、終わる。
アシュレイは防御の構えを取りつつ、ありったけの星をありったけのイマジネーションを込めて廻した。
生半な防御では貫かれる、そんな確信があった。
死柄木はこの英雄を憎んでいるが、同時に誰よりもこの英雄を信じてもいるのだと今のわずかな会話を通じて理解した。
そのアシュレイの判断に一切の間違いはなかったが、しかし――
「せっかく出会えたライバルが、大嫌いな英雄野郎に轢かれて死んじまうんだから」
――結論から言うと、それでもあまりに足りなかった。
英雄の影が、消える。
刹那、アシュレイが見たのは"光"だった。
そして感じたのは、骨の髄まで砕かれるような"衝撃"だった。
「かッ――――は、……!?」
アシュレイの身体が、ガードごと吹き飛ばされて宙を舞っていた。
受け止めた両腕の骨が粉々に砕け散る。それどころか内臓が潰れて骨と混ざる。
即席のミンチを体内に拵えながら吹き飛んだ先にあった建造物を貫通して、それでもまだ止まらない。
一体どれほどの威力で殴られたのか見当も付かなかったが、何より驚愕すべきは英雄の影がこちらへとみるみる内に近付いてくることだ。
(おい――冗談だろ、ッ……!?)
自分の手で殴り飛ばした相手に、素の脚力だけで追い付いてくるなど馬鹿げている。
だが同時に納得もあった。あれが影なれど英雄を再現した存在ならば、このくらい出来て当然だとも思えてくる。
何故ならアシュレイが知る英雄もまた、不可能を息吐くように可能にしてのける、そういう存在だったから。
自分が今戦わねばならないのは、まさしくそういうモノなのだと否が応にも理解させられた。
追い付いた英雄の鉄拳が、今度はガードも許さずアシュレイを地へと叩き落とす。
「ぐ――が、ァッ……!!」
頭蓋が砕けて、脳漿が噴出する。
即死を避けられたのは奇跡だった。
脳の損壊と並行して癒やしの炎を帯びなければ、確実にアシュレイは死んでいただろう。
なけなしの反撃として銀炎を――それでもイマジネーションを開帳する前に比べれば格段に向上した威力で打ち放つが、しかし結果は予想通り。
接近の風圧だけで、炎のすべてを無力化する。
吹き散らして、吹き飛ばして、単なる火の粉に変えてしまう。
そして堂々と拳打の嵐を繰り出すのだ。それは最早、重機関銃(マシンガン)の一斉掃射と然程変わらない。
違うところがあるとすれば、一撃一撃の威力が鉄を砕き金剛石をも押し潰す領域に達していることだろうか。
「速くて重いだろ? こっちの世界が誇る、みんなの憧れ"平和の象徴"さ。
こいつと対面しちまえば、どんな巨悪も向こう数ページで蹴散らされるコミックのヴィランに成り下がっちまう!」
イマジネーションの力がなければ、アシュレイは間違いなく木っ端微塵にされていたに違いない。
そうでなくても、防御と回復を並列で行い続けなければ命はなかったほどの修羅場なのだ。
そしてその上、敵はこの英雄だけではない。
笑みを浮かべながら視界に入った死柄木の姿に、アシュレイは即座に決断を一つ下す。
英雄の拳にわざと直撃し、肺を粉砕されながらも吹き飛ばされることで無理やり英雄との距離を確保したのだ。
この英雄は厄介どころの騒ぎではない弩級の脅威だったが、それでも光に目を灼かれて見落とすわけには行かない事実がひとつある。
あくまでも敵は死柄木なのだ。倒すべき敵という意味でも、警戒すべき敵という意味でも。
「はッははははァ――!」
「ぉ、……おおぉおおおォ――!」
迫る死柄木、その凶手を的確に一発一発捌く。
掠めたなら何よりも優先して接触箇所を切り落とし"伝播"を防ぐ。
アシュレイはこれを、鼻血が出そうになるほど深く集中しながら成し遂げていた。
英雄が追い付く前に死柄木を捌き、なおかつなるだけ速度の出る刺突で即死を狙っていく。
「辛そうだなァヒーロー! だが無理もない! 俺の《英雄(ヒーロー)》の前じゃ、クソ生意気な峰津院のガキでさえ敗れ去った!!」
「……っ! おまえ、大和を――あいつを、殺したのか」
「だったら良かったんだけどな、上手く逃げられちまったよ。
だがまあ十中八九死んだだろ。派手な戦いには落ち武者狩りが付き物さ。俺の言いたいコト、分かるよな。箱舟のヒーローくん!」
それを死柄木は、一切恐れない。
首を裂かれても、肺を両断されても、怯まない。
一秒たりとも無駄な時間を使うことなく、アシュレイとの戦いを続行し続ける。
その姿にアシュレイは、かつて相見えた強欲竜(ダインスレイフ)の影を見た。
いかなる負傷にも死の恐怖にも頓着することなく目的に向けて邁進し続ける――狂気の竜の気配を、垣間見た!
「お前らが必死こいて未来ある若者は、何も生み出すことなく俺の犠牲になっちまったよ!」
巻き起こる蒼炎。
空中には、狂った笑顔で笑いかける"荼毘"の姿。
炎の渦に取り囲まれたアシュレイが脱出した時、その視界を埋め尽くしていたのは英雄の厳相だった。
「けどよ。まあ……俺も鬼じゃないんだ。慈悲ってやつをくれてやる」
『"TEXAS"――――』
その英雄が拳を構え、技名を叫ぶ時。
すべてのヴィランは、己の敗北を悟る。
反転したヒーローにとっての"敵"とは、即ち同じヒーロー。
どう謙遜しようとも、箱舟の少女達にとって揺るぎなくヒーローである
アシュレイ・ホライゾンは当然その条件を満たしており。
故にこそ今、彼にとって英雄は究極の絶望として立ちはだかった。
「せめてお前を信じた娘達が死ぬところだけは、見ないで済むようにしてやるよ!」
『――――"SMAAAAAAAAAAAAAAAASH"!!!!』
――死柄木の哄笑が響く中、アシュレイに轟撃が着弾する。
台風の数倍にも達し、天候をすら変えるとされた拳圧が彼の身体を隅から隅まで蹂躙した。
吹き飛ばされた先はこれまでの戦いで築き上げられた瓦礫の山。
そこに頭から突っ込んだアシュレイに対しての火葬役は炎のホーミーズ・荼毘が務める。
「おさらばだ、箱舟のヒーロー。船は船でも海じゃなく、三途の川にかける橋になっちまったな」
蒼炎、炸裂。
死柄木弔が知る限り最高の火力を誇る炎が、再現されて境界線の青年を完膚なきまでに焼き尽くしていく。
燃えろ、燃えろ。灰になるまで、いや灰になっても燃え続けて死に果てろ。
それでこそ最高の"否定"になる。
魔王の憧憬を邪魔立てする偶像達の描いた、夢。
そのすべてを地に貶める、これ以上ない否定の墓標を造ることができるのだ。
「夢を見るのは俺だけでいい。誰も彼も、結局は無価値さ」
――俺は誰にも止めさせない。
止められない、とは言わなかった。
止めさせない。立ちはだかろうが、すべて崩して殺し尽くす。
箱舟に限った話ではない。真の意味で、誰も彼もだ。
いつか袂を分かつことを前提に道を共にし続けてきた、あの砂糖菓子の少女でさえその例外ではない。
この夢は、この世界の夢は、全て俺のものだ。
ヴィランの王は、魔王は傲岸不遜にそう言い放つ。
彼は、誰にも何一つとして譲らない。
譲りはしない――それが王の決定で、異を唱えればすべてが塵と化す。
しかし。しかし。
「反論は、させてもらうぞ」
燃え尽きた、燃え殻の山の中から声がする。
さしもの死柄木も、これには驚きを浮かべざるを得なかった。
英雄による鉄拳制裁、ならぬ鉄拳"粉砕"。
そしてトドメの蒼炎による火葬――生き延びられる可能性は一縷にも満たなかった筈だ。
なのに、声は事実として響いていて。
黒炭の丘に一人立つその影は、紛れもなく"箱舟のヒーロー"のそれだった。
「俺は……、界聖杯のやり方には賛同できない。それに正直、理解もできない。
たとえそれが存在意義だとしても、巻き込まれた側に言わせれば傍迷惑の一言だ。
一番優秀な器を選び出すなんて言えば聞こえはいいが、実際にやってることは独裁者の戯言じみた強硬策だ。賛成できるところが、一つもない」
彼は、対話を求める者だ。
善にも、悪にも。老人にも、子供にも。
必要とあらば愛する者の仇にだって、彼は言葉を投げかけるだろう。
「けどな。この地に集められた皆を指して"可能性の器"と呼んだそこだけは、ちょっとだけ同感できるんだ」
この世界でアシュレイが出会ったのは、戦場なんて概念とは無縁であるべき少女達だった。
銃火ではなく歌声が飛び交う場所を戦場と呼ぶ、そんな牧歌的思考がまかり通る世界で安穏と生きるべき子どもたち。
けれど彼女たちは、そんな世界の住人にしてはあまりにも強かった。
彼女たちだけの強さを、間違いなく持っていた。
それはアシュレイでさえ予想だにしなかった輝き。
人々を魅了し、癒やし、鼓舞する――舞台上の偶像ならではの強さ。
そして強さを持っていたのは、何も彼女たちアイドルに限った話ではない。
「誰も彼も、みんなが可能性を秘めていた。
あの子達も、大和も、……おまえだってその例外じゃないと俺は思ってる」
「説教臭えな。結局何が言いてえんだ?」
「おまえは、それを無価値と呼ぶんだろう」
峰津院大和とは、最後まで真の意味で手を取り合うことはできなかった。
そこに後悔はあるが、しかしそれが彼の生き様だったのだとも思う。
アシュレイが背負う彼女たちと比べて優劣をつけるなんて、とんだ傲慢だ。
彼には彼の信念があり、それを貫いて生きたのだ。
ならば、他人が手前勝手な主観で評価を下すなど無粋の一言。
アシュレイにできるのは、ただその最期に想いを馳せることだけ。
――しかし。
「その手で、その力で……おまえは、この世界にある可能性を全部蹴散らすんだ」
「当然だな。俺は、俺の未来だけを見てる」
「そして振り返って、殺してきた全部を無価値だったと呼ぶ」
「もう一度言うぜ。当然だ――そいつが勝者の権利ってやつだろ。違うかい、ヒーロー?」
「そうだな、きっと違わない。一概に否定できることじゃないと、そう思うよ」
この男は――
この魔王は。
そのすべてを指して、無価値だと断ずる。
殺し、殺し、踏み躙って、振り返って。
無価値だったと、そう笑うのだ。
それはきっと、人類の長い歴史に当て嵌めて語るならば紛れもないひとつの"正論"。
勝者に与えられる権利はいつだって略奪と、敵の価値を主観で語る権利だ。
これを否定することは即ち、人類の歩んできた歴史そのものの否定にも等しい。
アシュレイもそのことは分かっている。だから、否定しない。
「でも、"俺"はそれを認めたくない」
「傲慢だな」
「ああ、傲慢さ。でも仕方ないだろ? 俺はあくまでいち英霊でしかない。神様でも、仏様でもないんだ」
だから、これはただの"反論"なのだ。
正当性だの歴史だの、そんな議論はするつもりもない。
そこにある理屈はただひとつ。
俺は、それが気に入らない――その一言のみだ。
「
死柄木弔。おまえにとって、おまえの夢以外のすべては無価値か」
「そうだ。俺の夢見る地平線だけが、俺にとっての意義のすべてだ」
「その過程で散っていったすべてには、本当に何の意味もありはしないのか」
「ない。過ぎたことを振り返って、お前は強かったぜくよくよすんなよって励ましでもすりゃ満足か? ――寒いぜ、俺には無理だね」
箱舟と連合が。
アシュレイと死柄木が相容れることは、この通り決してない。
どちらかがどちらかを倒し、敗れた方は消えてなくなる。
彼らの間に存在する結末は、ただひとつそれだけだ。
「――そうか。じゃあ、俺は命を懸けてそれを阻むよ」
アシュレイが、剣を構える。
まだ再生も追い付いていない身体で、それでも剣を構えた。
「
死柄木弔。俺は――おまえの夢を、否定する」
「そりゃ結構だがな、現実は見えてるか?
お前に何がある。何ができる。答えろよ、箱舟!
俺にも、この英雄にも勝てやしない雑魚が。綺麗事を並べ立てるしかできない夢追い人が!
なあ――教えてくれよ、境界線(ホライゾン)! どうやってこの俺の……魔王(おれ)の夢を否定してくれるってんだ!?」
「決まってる」
唱えるべき言葉は、決まっていた。
それ以外、何一つ存在しないと言ってもいい。
脳裏に描くのは彼女達の笑顔、散っていった者達の顔。
この世界で出会ったすべての縁、その肖像。
「勝つさ。おまえのすべてに」
それを以って、宣言する。
誓うのは勝利、それただひとつだ。
"勝利"とは何か――その答えが出せずとも。
今此処で心血注いで掴み取ること、そこに意味がないだなんて欠片たりとも思わないから剣を握る。
「そのためになら、俺は――――」
鳴動するのは、銀の炎。
愛する女の名前を冠した、涙の雨(レイン)。
死を想う月(ペルセフォネ)の美しさを宿したそれと、戦友(スター)の遺志を武器にして。
アシュレイ・ホライゾンは此処に、過去に浴びたひとつの言葉を思い出していた。
『狂い哭け、祝福してやる。おまえの末路は"英雄"だよ』
『光のように、闇のように、強く優しいお前ならきっと皆(だれか)を救えるさ』
――是非も無し。
「――――この世界でただ一人の、魔王(おまえ)だけの宿敵(えいゆう)になろう」
英雄なんて肩書きが似合うとは今でも思えない。
それでも、今だけはそう名乗ろう。
魔王退治は古今東西英雄の仕事、それが定番なのだから。
「――――――――――――――――――――――――、――――――――――――――――――――――――」
放たれたその言葉に、魔王は茫然と目を見開いていた。
予想外だったのだろう、彼の言葉は。
ヒーローと呼び煽ってはいても、実際に憎むべきそれらの輝きをアシュレイから見出すことはないと高を括っていたのだろう。
だからこそ、
死柄木弔は此処で現実の問題として理解する。
今、目の前に立つ境界線の青年はまごうことなき英雄で。
その放つ輝きは――自身の憎んだ平和の象徴(かれ)にも通ずる、ひどく眩しい閃光であると。
「上等だ…………」
表情の消えた顔に、笑みを新しく貼り付ける。
魔王として相応しい表情(かお)は、既に心得ている。
誰に求められたペルソナでもない。
他ならぬ
死柄木弔が、彼自身が、そうあるべきと心得た顔だ。
忌まわしいヒーローを迎え撃つ時、最高のヴィランが浮かべる顔が笑顔(これ)以外にあるものか。
「来いよ英雄(ヒーロー)! お前のすべて――すべてすべてすべてすべて!
この魔王(おれ)が否定してやる、粉々に崩して踏み躙ってやる!
さあ、楽しめ! 俺の、俺だけの……! 逆襲劇(ヴェンデッタ)の始まりだ!!!」
――哄笑、響き渡って。
箱舟と連合の激突は、英雄(ヒカリ)と魔王(ヤミ)の対決に姿を変えた。
決着の時はすぐそこにまで迫っている。
どちらが勝つのかは未だ暗中の只中。されど、確かなことはひとつ。
勝つのは、一人だ。
どちらかが勝って、どちらかが死ぬ。
箱舟と連合、そのどちらかが――此処で滅びる。
互いの夢の運命を載せて、共存と崩壊が激突した。
◆◆
「?」
『アイ』が最初に抱いたのは、驚きだった。
「この子は何を言っているんだろう」という驚き。
そして――「この感覚はなんだろう」という、驚き。
「? ?? ????」
『アイ』には、それが理解できない。
彼女は
星野アイの血を使い生み出されたホーミーズであり。
星野アイのクローンであり――沼男(スワンプマン)たる存在だ。
見かけは同一人物。声も精神性も、間違いなく
星野アイの生き写し。
だが、ただひとつ。そこには。
アイをアイたらしめる、アイドルたることにかけての熱だけが欠けている。
「……やっぱり、わかんないんですね」
困惑する『アイ』に、摩美々は小さく言った。
煽るような口調ではなかった。
むしろ、落胆するような……哀れむような。そんな声色だった。
メロウリンクと彼女の視線が、合う。
摩美々はその視線の意味を理解して、こくりと頷いた。
今ならば、行ける。そう確信したからだ。
そして事実、『アイ』は目先の困惑にかまけて走り出したメロウリンクを目で追おうともしていない。
狙撃を受けて負傷した七草にちかの容態確認に赴いた彼を止めることも忘れたその様子が、
田中摩美々の投げた質問が生んだ効力の程を物語る。
「私達は……みんな、誰かに推されて生きてるんです。
それはファンの人達だったり、同じアイドルの仲間達だったり、……
プロデューサーさんだったり、しますケド」
――『アイ』は
星野アイとは似て非なる存在だ。
彼女の生み出された意味に、殺戮以外の形などある筈もない。
連合のために生み出され、連合のために歌い/殺す、アイドル。
それが偶像のホーミーズ・『アイ』。そこには今の時点でも、一寸の狂いも生じてはいない。
死柄木の考えは間違いなく妙案だった。
星野アイは、アイドルというジャンルにおいて283プロ産マスターの誰をも超えている。
彼女は間違いなく、現代……界聖杯における最高の歌姫に違いなかった。
そんな女を使って生み出した新たな歌姫が、連合のアイドルが、弱い筈はない。
現に彼女はメロウリンク・アリティの布陣を粉砕し、箱舟を詰みに追い込もうとしているのだ。
けれど。
そこにひとつ。
たったひとつ、瑕疵があったとすれば――
「あなたには、いるんですか。自分を推してくれる誰かが」
「……? ……??、……???」
「いないんだったら、厳しいことを言いますけど」
アイは、生まれながらのアイドルだ。
そうなるべくして生まれたと言ってもいい才能を持った、そういう女だった。
しかし彼女にとってアイドルという仕事は、単なる生きる手段というわけではなかった。
星野アイであり続けるために生じた痛み。
星野アイであり続けるために、許容しなければならなかったもの。
そのすべてを、
死柄木弔は知らない。
彼が知っているのは、すべてが終わった後のアイだけだから。
彼女の苦労も、熱も、秘められた45510(きもち)も、何も知りはしなかった。
けれど。
「あなたは、まだアイドルなんかじゃない」
――『アイ』は、そのすべてを覚えている。
当然だ。彼女は、
星野アイの血から生み出されたスワンプマンなのだから。
「舞台の上にも、一度も立ってない。
オーディションも受けてない、ダンスや歌の練習だって、したことがない。誰かを――喜ばせたことも、ない」
『アイ』にはこの感情の意味も理解できない。
これは何。これは何だ。
吐かれている言葉は、すべて取るに足らない命乞い未満の戯言。
ちょっと地面を蹴って前に踏み出て、手なり足なり振るえばそれで終わらせられる囀りでしかない。
なのに、どうして――
「そんな、あなたが……!」
――この少女の口にする言葉が、こうまで胸に響くのか?
「私や、みんなの……【推しの子】だった、あの子みたいな――真乃みたいな、アイドルであるもんか……!!」
『アイ』は偶像のホーミーズだ。
図らずも、
死柄木弔はそう名付けた。
血のホーミーズと名付け、彼の同胞である少女をなぞっていればこうはならなかったかもしれない。
しかし名は体を表す。彼女は血である以上に、偶像(アイドル)のホーミーズ。
星野アイという最強で無敵のアイドルを再現するべく生み出された、一番星の生まれ変わり。
そんな彼女にとって、
田中摩美々の言葉は無視することのできない最上の刃として機能する。
さながらそれは、火に対しての水。
さながらそれは、森に対しての火。
さながらそれは、怪物(ジャバウォック)に対してのヴォーパルの剣。
他の何よりてきめんに響き渡る言葉が、『アイ』の動きを止め。
その偶像性を否定し、存在の意義を奪ったその時――
タン!!
銃声がまたひとつ、響いた。
◆◆
時は、わずかに遡る。
田中摩美々の作ったわずかな隙、それを信じて駆け出したメロウリンク。
彼が駆けつけたその先で見たのは、地に倒れ伏した少女の姿だった。
七草にちか。
アシュレイ・ホライゾンのマスターであり……メロウリンクがかつて共に過ごした娘が、想いを託した少女。
そんな少女が、血溜まりを作りながら倒れていた。
唯一の救いだったのは、彼女の胸元がまだちゃんと上下をしていたこと。
救いでなかったのは、それ以外のすべて。
強いてあげるならば、そう――
「……、……そうか」
――手首の先から、凶弾によって吹き飛ばされた……令呪の刻まれていた方の腕。
「なら、お前に託すしかないな」
落胆している暇は、一秒だってありはしない。
メロウリンクはにちかに背を向けた。
少なくとも今は、そうするしかなかったからだ。
摩美々を一人にしてはおけない。
彼女と『アイ』を対面させたまま手当てを行っていれば、最悪箱舟勢力のすべてが終わることになりかねない。
だからこそ今は、命尽きる瀬戸際にある少女へ背を向けるしかなかった。
唇を――血が出るほど噛み締めながら。
今、彼方で戦いに臨んでいるのだろう、彼女のサーヴァントへと想いを馳せながら。
「………………勝てよ、ライダー」
そう呟いて、己が今護るべきマスターの許へと駆け戻るしか無かった。
ひとつの銃声が響き渡る、その十三秒ほど前の出来事であった。
◆◆
英雄の進撃が、
アシュレイ・ホライゾンを――箱舟の英雄を打ち据える。
その威力は、言わずもがなにして絶大。
だがしかし、だ。それだけの痛打をもってしても、アシュレイは崩れない。
立ち続け、持ち堪え……あろうことか返礼だとばかりに、英雄の胴を、平和の象徴の写し身を斜め一直線に切り裂いてのけた。
この英雄は、
死柄木弔がその憎悪心と執着をふんだんに注ぎ込んで作り上げたホーミーズ。
当然生半な一撃で砕けるほど柔ではないが、それでも傷の深浅に関わらず斬られたのだという事実は変わらない。
無敵を誇り、峰津院の神童さえ打ち砕いた英雄のホーミーズが初めて他者から受けた手傷。
その事実が、両者の激突の中で意味を成さないとは到底思えなかった。
「消えろ、英雄――!」
死柄木の魔手が振るわれる。
宿る個性は崩壊、英霊であろうと無に帰す界聖杯最強の攻撃手段。
対するアシュレイはその一刀に銀炎を纏わせ、炎が生む推進力を用いて手を逸らすという手段で回避を成功させた。
その偉業を誇るでもなく忽ちに刃を動かし、魔王の胴体を十重に切り刻んでいく。
更に炎剣による爆破めいた熱の炸裂で、死柄木の肉体を黒く炭化させて責め苛む。
それは宛ら――悪を浄化する、天上の業火のように。
「いいや、消えないさ――消えられないんだよ、背負っているものがあるからなッ!」
当然ながら、死柄木は単純に灼いた程度では止まらない。
彼は名実共に一匹の怪物であり、ケダモノであり、魔王だ。
負傷したという事実そのものを破却しながら、英雄殺しの偉業を成すために迫ってくる。
放たれた蒼炎に銀炎で立ち向かい、凶手を鍛えた身体能力と判断能力に物を言わせてどうにか流す。
地面に触れようとすれば足を使い蹴り飛ばして防ぎ、返す刀で首と心臓を狙い澄ます。
「ち……!」
さしもの死柄木も、思わず苛立ちを滲ませるほどの奮戦。
アシュレイ・ホライゾンが此処までやれるなどと、彼は当初想像もしていなかった。
身の丈に余る理想を抱えた小物だと、英雄を僭称する雑魚だとばかり思っていたのだ。
しかし今となっては、その評価は撤回せざるを得なかった――魔王は今、確かにこの英雄に苦しめられていたから。
渦を巻いて吹き上がる蒼炎。
それにアシュレイが吹き飛ばされ、地を穿つように足を踏み下ろしてどうにかその場に留まる。
が、間髪入れずそこに英雄の鉄拳が墜ちてきた。
脅威度で言えば、死柄木が振るう崩壊にも迫り得る……無策で受ければ確実に死へと繋がる凶拳だ。
「づ、ッ……!」
咄嗟に剣で受け止めたが、やはりというべきか代償は大きい。
押し返すなど不可能とすぐに分かる、それほどの膂力がその拳には込められていた。
単なる写し身でこれならば、一体真作がどれだけ強かったのか想像するだけで背筋が寒くなる。
しかし同時に、たかが写し身、妄執の絵筆で描き上げられた影ごときに負けていられるかとアシュレイを奮起させたのも事実であった。
なりたい自分――魔王のためだけの宿敵。
ヴィランに対する、ヒーロー。
その想いに呼応するようにして、受け継いだイマジネーションが脈動する。
同時に膨れ上がる力は、まるで正真正銘の英雄……光の使徒が如しであった。
優しい涙雨に目覚めた代償に失った筈の、光の力。
それを擬似的に呼び覚まし、アシュレイは此処でその出力を格段に上昇させる。
今までは及ぶべくもなかった力比べの天秤が、少しずつ彼の方へと傾き始めた。
押し返していく、英雄の拳を。
やがて爆発のような衝撃が轟いて……新旧二体の英雄が、共に弾かれ吹き飛んだ。
「おいおい」
ゾッとするような声が響き、次の瞬間には崩壊が迫る。
地を伝って迫るそれが、にちか達の居る方角に向けたものでなかったのは不幸中の幸いだった。
死柄木は今この状況において、要石の破壊よりも目先の敵を排除することをこそ先決と判断したのだ。
一体どこまで続くのかも分からない崩壊の猛威を、アシュレイは――炎の推進力に頼ったロケット飛行で、回避。
空中へと逃れながら、追って来た英雄と再び拳/刃をぶつけ合う。
「駄目だろ、英雄譚に背いちゃあ。偽物は本物に駆逐される運命だぜ、甘ったれ!」
「お前のそれの、どこが本物だ――英雄(ヒーロー)を見てきた一人として、断じて認めちゃやれないなァッ!」
イマジネーションはフル稼働。
先代、
星奈ひかるがもしも生き延び、その先の戦いに辿り着いていたならば。
そのIF(もしも)を具現化させたかのように、アシュレイは今対処不可能の難業に喰らいつき続けていた。
光と衝撃、そして見果てぬ執着。三種のエネルギーを注ぎ練り上げられた珠玉の反英雄に、単なる気合と根性で喰らいつく様は悪夢じみている。
(まだだ、まだだ、まだだ――まだ、まだ、まだまだまだまだッ)
すべてを焼く光などになるつもりはない。
そうなってはすべてが台無しだし、そもそもそんな輝きは己には似合わないと自認している。
英雄など柄ではないと、今でもそう思っているが。
それでもそう名乗った以上は、自分がなりたい英雄像(カタチ)くらいははっきり抱けているつもりだ。
誰も彼もを焼く光じゃなくていい。
太陽なんかじゃ、なくていい。
ただ、自分の大切な人達と――こんな自分で照らせる誰かの心を、優しく暖かく照らせる仄かな煌めきであればいい。
果てしない彼方から押し寄せる洪水より、皆を守り出航する箱舟の漕ぎ手のような。
そんな優しく等身大の英雄であれと、アシュレイは他でもない己自身に対してそう望んだ。
(力を貸してくれ、星の戦士――俺は彼女達を守りたい!)
はい、と応じる声が確かに聞こえた気がした。
次の瞬間、アシュレイの剣が"英雄の影"を吹き飛ばす。
死柄木の眼に、何度目かの驚愕が滲む。
魔王の信じる英雄像を弾いたその所業は、言わずもがな彼の怒りを買った。
「死ね、身の程知らずが」
吹き荒れるのは、アシュレイがかつて一度退けた死の暴風だった。
瓦礫や砂粒に崩壊を伝播させた、文字通り最強最悪の敵技巧(ころしわざ)。
しかしそれに対しても、アシュレイはもう怯まない。
迷うことすらも、ない――己を信じて、剣を高く掲げる。
灯るのは天駆翔ならぬ月乙女。優しく、されどそれ故にこの世の何より強くしなやかな炎。
それを、イマジネーションに任せたありったけの出力で……ただ、放った。
「はあああああああああああァァァァッ――――!!!」
出力最大、涙の雨(マークレイン・アルテミス)。
涙の雨は、覚醒現象に通じることのない優しい炎。
しかし今に限り、その大前提は無視される。
イマジネーション、何も犠牲にすることのない優しい覚醒がアシュレイの背を押した。
そうして放たれた銀炎は過去最大の出力で、
死柄木弔の繰り出した死の暴風を呑み込み焼滅させる。
「ッ……!?」
そしてそのまま、魔王の五体を呑み込んだ。
肌が焼け、肉が溶ける銀色の地獄から跳び上がれたはいいが、受けたダメージは甚大だ。
アシュレイ・ホライゾンは今、魔王
死柄木弔と互角に戦えている。
魔王の傷付いたその有様こそが、異変の生じた今の戦況を何より正確に表していた。
「づ……ッ、はは、ははははははは! マジかよ、やるじゃねえか箱舟ッ! 此処までとはなあ、正直まるで思ってなかったぜ!!」
死柄木が、狂おしい笑顔を湛えながら叫んだ。
しかしそれは、敗北宣言に非ず。
その証拠に彼を中心に放たれる殺意、魔力は桁外れに高まっている。
死柄木は紛れもなく魔王であり、ヴィランであるが。
窮地に瀕してなお強くなるその性質は、皮肉にもヒーローのそれに通ずる不条理であった。
「魔王(おれ)を殺すか!? 英雄!!」
「殺すさ、魔王。俺とあの子達の絆に懸けて」
「はははははは――いいぜ、面白くなってきやがった! お前もそう思うよなあ、《平和の象徴(オールマイト)》ォ!!」
牙を剥きながら笑う魔王に呼応するように、英雄の影、オールマイトのカリカチュア――その存在感が高まっていく。
それは決して気の所為などではない。
現実に、その存在が強化されているのだ。
一秒前より格段に強く。アシュレイが超えた限界を、更に飛び越えて強くなる。
そこに理屈は存在しない。
だが、その無茶苦茶さこそが何よりの理屈であった。
写し身なれど、その外殻(ガワ)は不撓不屈のヒーローのそれで。
そしてそれを現出させた主は、この世の誰よりもその男を憎み、その男の強さを信じている。
ならば最早、あらゆる理屈は不要の産物と化そう。
目の前の敵を、当然のように"彼"は乗り越える――それが英雄という生き物だから。
「――殺せ! 英雄譚を見せてみやがれ、平和の象徴ォッ!!」
主が下す大号令と共に、光輝く衝撃の英雄は線と化した。
次の瞬間にはもう、打ち倒すべき英雄/敵の目の前。
振り被るその拳に、しかしアシュレイもこれ以上怯みはしない。
相対する英雄をしっかりと見据え、そして言葉を紡ぐのみだった。
「……来い、英雄。その影たらんと生み出されたモノよ」
箱舟の英雄は、象徴の英雄を前に逃げも隠れもしない。
それが光であれど、影であれど、もはやさしたる違いはなかった。
航路に立ち塞がるならば、魔王の意のままに動くのならば、敬意を以って打ち倒す。
同じ英雄の肩書きを名乗り剣を握った者として、それ以外は不要だと心得ているから迷わない。
「成し遂げさせて貰うぞ、俺の英雄譚をな――!!」
『HA HA HA HA HA HA HA HA HA HA――!!』
英雄の顔に、初めて笑みが浮かんだ。
受けて立つと、そう宣言するように笑う英雄。
その拳が、音をも超えて乱れ飛ぶ。
それに合わせるには、剣戟ではどう考えても手が足りない。
アシュレイは意を決して、剣を鞘へと収めた。
代わりに引き出すのは、先代から引き継いだひとつの奥義。
上弦の参たる拳鬼にも通じた渾身の一撃だ――この状況で持ち出すに不足なし判断し、アシュレイは拳を握る。
あろうことか彼は、拳一つで頂点に成り上がった英雄に対して……同じく拳で勝負を挑んだのだ!
「行くぞ、アーチャー!」
叫ぶ言葉はそれだけで十分。
彼は星の戦士に非ず、しかし抱く想いは同じ。
守りたいというその気持ちに、イマジネーションは最上の相性を発揮する。
振るわれる無数の拳打(つよさ)に向けて、アシュレイはただ光(やさしさ)を放つ。
「星辰(スタアアアアアアアァァァァ)、流転之拳(パアァァァァ――――ンチ)ッ!!!!」
それは、キュアスターから引き継いだ拳。
敵を打ちながらしかし否定しない、優しさありきの星の輝き。
ヒーローの基本は余計なお世話だ。誰にでも言葉をかけ、向き合い、そして手を差し伸べる。
これはその精神性を体現するが如き、優しい拳。
だからこそ、か。過去最高の相性を発揮した星辰の拳は、英雄の影の轟打とさえ互角に打ち合うことを可能とした。
一撃一撃が、重い。
ぶつかり合う度に、比喩でなく霊核が軋む。
生まれかける弱気をねじ伏せて、次を放つ。
そうして辛うじて成立する拮抗を、アシュレイは決して譲らない。
「……あなたが誰かは、知らない。
でも、あなたがとても偉大な英雄だったことは分かる」
答えが返ってこないのは分かっている。
それでも言葉を紡いだことが、何より明確に彼の人物像を物語っていた。
「……待っている子が、いるんだ。
こんな辛く苦しい世界の中で、それでも未来を望む子達がいるんだ。だから――!」
成り立っていることが不思議なほどの打ち合いの中で、アシュレイはがらんどうの英雄に語りかける。
その行動に意味はない。
分かっている、アシュレイとてそんなことは。
それでも言葉を止めず、拳も止めない。
真正面から殴り合いながら、身体を一秒ごとに崩壊させながら――叫んだ。
「――今だけは道を開けてくれ、ヒーロー!」
喝破する言葉と同時に、拳が拳をすり抜ける。
すり抜けた拳はそのまま、英雄の影、その横っ面へと叩き込まれた。
アシュレイは間違いなく、"彼"に比べれば単なる凡夫だ。
しかしイマジネーションの輝きを、想いの真髄を込めた今の拳は、英雄の玉体をも揺るがす。
英雄が、揺らぐ。
体勢を崩し、空中でたたらを踏んで後退する。
が、無論それでは終わらない。
『UNITED STATES OF――――!』
ヒーローが、そのホーミーズが、凄絶な覇気を放ちながら拳を構える。
そこに宿るのは、彼が出せる限り最大出力の一撃だ。
龍脈の槍を携えた
峰津院大和をさえ一方的に下した、英雄の威信のそのすべてを載せた一撃に他ならない。
今のアシュレイでさえ、正面からの火力勝負で打ち破るのは恐らく不可能。
彼自身それを分かっていたからこそ、アシュレイは一も二もなく踏み込んだ。
これを放たせてはならない。正真正銘の全力が開帳される前に、自分は英雄として、英雄殺しを成し遂げなければならない……!
(思い出せ――いいや、そうするまでもない。
あの日、あの時……! あの人から受け継いだすべては、今もこの霊基(からだ)に刻まれているだろうッ)
アシュレイが此処で縋ったのは、彼が何よりも信頼する奥義に他ならなかった。
構えるのは、剣。星辰の拳でさえ足りない、より確実な一撃が今は必要だった。
それは、まごうことなき絶技。
心技体、三相を完全に合一させることで初めて成立する剣戟の極致。
かの救世主さえ思わず見惚れた、まさに剣の粋の頂点に君臨する御技である。
三相合一が成ったのならば、之を以って体現するは剣の極み。
これを指して、先人は――その曇りなき刃をこう呼んだ。
「明鏡、止水……!」
かつて師の薫陶を受け、皆伝に至った至高の一刀。
かの鋼翼をすら斬り捨てた、
アシュレイ・ホライゾンが持つ究極の矛。
手は、一寸たりとも過つことなくかの日の記憶を再現する。
最期の稽古。最期の教え。師と過ごした、最期の時間。そのすべて。
「絶刀――――――――叢雨ェッ!!」
それは、終局を告げる一刀。
英雄の拳が放たれるよりもなお速く。
放たれた刀身と共に、アシュレイは英雄を通過した。
英雄の影、その動きが止まる。
死柄木弔が最上の執着を寄せた功罪の化身、荒ぶるその一切の挙動が停止した。
「……俺の、勝ちだ。《平和の象徴(オールマイト)》」
あえてその名で呼んだのは、誰に対しての敬意だったのか。
世界がズレ、英雄の玉体が斜め一直線に両断される。
崩れて消えるその間際、かの者がサムズアップを浮かべたのは果たしてアシュレイの見間違いだったのか。
その真偽を確かめる暇は、彼にはなかった。
「死ね」
英雄を落とされても、その主は健在。
漆黒の殺意を灯しながら迫る魔王に、勝利した英雄は当然向き合わなければならない。
彼が今斬り捨てたのは、魔王の妄執の写し身だ。
彼が何より憎み、そして何より執着する憧憬そのものだ。
それを、絶刀を以って斬り捨てた。
それに無感でいられるほど、
死柄木弔という男は超越してはいなかった。
「言われずとも、受けて立つさ……!」
アシュレイが、炎を放つ。
同時に前へ踏み出て、剣を振るう。
絶刀には遠く及ばねど、力・技巧共に一流に届いて余りある鋭剣。
だが、それは当然のように空を切る。
死柄木は驚異的な動体視力で以って、イマジネーションによる強化を受けた今のアシュレイの剣をすら見切っていた。
峰津院大和と交戦した時のそれさえ遠い過去に思えるほどの、成長。
成長する魔王という脅威性に、アシュレイは悪寒を覚えずにはいられない。
ジェームズ・モリアーティは……もう一匹の蜘蛛は間違いなく慧眼だった。
死柄木弔の存在は早い段階で認識していたが、よもや連合の王がこれほどの傑物だとは予想もしていなかった。
恐ろしい。皇帝達でさえ霞むほどに、昏く滾った凶星が今アシュレイの目の前にいる。
即座に人間一人を消し去れる火力の銀炎を力ずくでこじ開けて、死柄木が懐に入った。
彼の拳を、剣の柄を側部にぶつけることで弾く――が、瞬間アシュレイを襲ったのは激烈なまでの"衝撃"だった。
「な、に……!?」
「吠え面かいたな、ヒーロー」
――ホーミーズ、"英雄(ヒーロー)"。
アシュレイ・ホライゾンが破壊したかの者は、光と衝撃、二つの属性を融合させた合神存在だった。
死柄木は絶刀が彼を斬り伏せる寸前、咄嗟に"衝撃"の方だけを回収していたのだ。
本来なら結合を解除して両方を回収するのが最善だったのだが、そこはアシュレイが上手であった。
彼の絶刀のあまりの速さ、そして冴え故に、死柄木の手が及んだ時には既に"光"のホーミーズは両断されてしまっていたのだ。
平和の象徴、その影。
死柄木の憎悪の象徴たる英雄像は二度と具現化しない。
だが、彼の手にはこうして"衝撃"が舞い戻った。
英雄の"力"。それは今、
死柄木弔の拳に宿っている。
「……
田中摩美々に言われたよ。お前、本当はヒーローが好きなんじゃないのかって」
『あなたは、初めはヒーローが好きだったんじゃないですか?』。
取るに足らない箱舟の少女に言われた言葉が、しかし今でも死柄木の心には深く突き刺さっていた。
「咄嗟にキレちまったが、思えば恥ずかしいことをした。
図星だったんだよ、認めたくはないけどな。ああ、そうだ――初めは確かにそうだった。
俺は……好きだった。そしてなりたかった。ヒーローっていう、誰かをたすける存在に……憧れてたんだ」
それこそが、
死柄木弔。
――否。
『志村転弧』の、原点(オリジン)。
彼は今此処で、英雄の影を失って初めてそれを直視する。
そして、受け入れた。受け入れて尚、彼は凶悪に、ヴィランの王として笑うのだ。
「結局ヒーローにはなれなかったし、今やなりたいとも思わないが……ああしかし、この力を振るえるってのはなかなかに感慨深いものがある」
振り被るその拳の危険度を、アシュレイは誰より知っている。
まずい、とそう思うが、既に何もかもが遅い。
回避、防御、いずれも間に合わない。
既に拳は引かれている。後は、ただ放つだけだ。
「そうはなれなくても、力だけならこうして振るえる。
さあ、蹴散らされてくれよヒーロー。魔王の初陣を、派手な死に様で飾ってくれ……!」
――志村転弧。ヒーロー志望。
――現・
死柄木弔。ヴィランの王。
そして。
「CATASTROPHE CRIME OF――――」
地平線の果てへとひた走る、全ての悪の象徴(ヒーロー)。
「――――SMAAAAAAAAAAAAAAAASH!!!!」
炸裂する拳が、アシュレイを打ち据えた。
それと同時、アシュレイは大量の血を吐きながら吹き飛ぶ。
そのダメージは言わずもがな甚大で、意識すら消し飛びそうになるほどだった。
剣をどうにか握り続けられているのは、ほぼほぼ奇跡と言っていい。
それほどまでの一撃が、重さが、今箱舟の英雄に直撃したのだ。
「はは、はははは、はははははははは――――!!!」
死柄木の哄笑は、止まらない。
そして、アシュレイを襲う魔の手もまた止まらない。
吹き飛んだその五体を、空中で射止めるものが幾つもあった。
それは小さな鉛弾、もといそれを模した風の塊の群れ。
数十もの風弾がひしゃげたアシュレイの身体を貫き、縫い止め、空中で磔にする。
「『跳弾舞踏会』――」
既に死んだ同胞の奥義。
極道技巧、それさえ今は魔王の思うまま。
そして次に用立てたのは、やはり蒼い炎だった。
「――『赫灼熱拳』!」
炎の波濤が、アシュレイの銀炎をさえ押し流しながら焼き尽くす。
それでも止まらない。ようやく解放された彼の目の前に死柄木が肉薄し、踵落としで頭蓋を砕きながら地に落とす。
「しかと見たぜ、"英雄殺し"! 大したもんだ、ああ全く大したもんだよお前!!
けどなあ! 忘れてんじゃねえぞ、最後に勝つのは俺だ!
模造品(カス)殺してイキってんなよ――悪の親玉は此処にいるんだぜ!?」
上機嫌のままに、或いは喜悦にも似た怒りのままに。
靴底に蒼炎を灯しながら、死柄木はアシュレイを踏み潰した。
そのまま何度も何度も、何度も何度も何度も――足を振り下ろす。
ぐしゃ、ぐしゃり、と肉を踏み潰し焼き焦がす音が連続する。
「英雄譚(サーガ)は終わりだ! 箱舟(おまえら)以外誰も、そんなもんは望んじゃいないのさ!!」
蠢く肉塊を蹴り飛ばして、無数の弾丸で蜂の巣に変える。
逃げの一手は許さない、騎馬の突撃で叩き潰す。
燃やす、撃ち抜く、轢き潰す、殴り潰す。
ありとあらゆる暴力で以って、魔王が英雄を打ち砕く光景が此処にある。
「みんなの総意ってやつさ、死んでくれよヒーロー!
おまえさえ消えてくれれば、後はみんな枕を高くして眠れるのさ!
なあ、おい! おいって! はははははもう死んじまったか? 違うよなあ、んなわけねえよなあ! お前サーヴァントだもんなあ!!
ちゃんとこの手で壊してやらないと、しぶとく無様に此処にのさばりつづけるんだよなあ!!?」
死ね、消えろ、崩れろ、潰えろ。
ありったけの殺意が、ハッピーエンドを呪う逆襲劇が此処にある。
この世界は、とうに箱舟を認めない。
差し伸べられた手を掴める人間から死んでいった。
――応答せよ、箱舟の主。我らは箱舟を求めない。
――出航するというのならば、今すぐその船を撃沈させる。
そんな剣呑なる敵意が、残酷な意思が、優しさを否定する願いが、今魔王という形を取って英雄の前に立っている。
「――死ねよ、消してやる。今日がお前らのドゥームズデイだ」
死柄木の足が、アシュレイを蹴り飛ばした。
そして手を振り上げる。
すべてを消し去る崩壊の手が、地に触れるまであと幾ばくもない。
英雄殺しは成し遂げた。
しかし、それだけだ。
その先には、彼は辿り着けなかった。
真に成すべきは魔王殺し――箱舟の意思を貫くことだったのに。
アシュレイ・ホライゾンは、それを成し遂げられずに此処で死ぬ。
魔王の宣告のその通り、跡形も残さず消えてなくなるのだ。
死刑執行の手はただ冷淡に地へと触れて。
そして、すべての終わりが境界線を呑み込んでいく。
箱舟の命運は、此処に完全に尽き。
英雄と魔王の決戦は、魔王の勝利に終わる――――
「……………………あ?」
その、筈だった。
誰がどう見ても明らかな、終わりの一瞬の中。
よろりと立ち上がる、アシュレイ。
彼の手前で、押し寄せる崩壊が――
まるで、見えない力に遮られたかのように、弾かれて――
「天来せよ、我が守護星――鋼の地平線に祈りを籠めて」
.
最終更新:2023年10月25日 02:35