崩壊スターレイル【世界観】
第三次豊穣戦争
最終更新:
hsr371
-
view
星暦8072年(約30年前)に仙舟同盟と豊穣の民の間に起きた、3度目の大規模な戦争。
名称
一般的に第三次豊穣戦争もしくは第3次豊穣戦争と表記される。
これらの名称は仙舟同盟での呼び方であり、豊穣の民での名称は不明。
これらの名称は仙舟同盟での呼び方であり、豊穣の民での名称は不明。
また、30年前の大戦と呼ばれることも多い。
交戦勢力
仙舟同盟
- 仙舟「羅浮」
- 仙舟「曜青」
- 仙舟「方壺」
- 仙舟「玉殿」
- 閉戻多(亡命してきた歩離人)
※この他の仙舟同盟の巨艦も加勢していた可能性がある。
豊穣連合軍
- 歩離人
など
神策府の記録によると歩離人をトップにした連合軍
指導者・指揮官
仙舟同盟全体:雲騎元帥・華(?)
- 仙舟「羅浮」:「神策将軍」景元
- 仙舟「曜青」:月御将軍。飛霄の前の将軍
- 仙舟「方壺」:「伏波将軍」玄全(?) 方壺龍尊冱淵君(?)
- 仙舟「玉殿」:「戎稲将軍」爻光(?)
- 閉戻多:月里火
※仙舟「方壺」は持明族の自治領であり、方壺の龍尊は方壺の民衆と社会に対する責任を負っている。そのため指揮官をしていた可能性がある。そもそも同一人物だったりしない?
損害
※損害は判明、明言されているもののみであり、実際はもっと多いと推測される。
仙舟同盟
- 仙舟「羅浮」:闘艦6万3000隻余り、飛行士12万人余りを失う
- 仙舟「曜青」:多数の青丘軍及び月御将軍が戦死
- 仙舟「方壺」:洞天の1/5が破壊。持明族を含む死者多数
- 仙舟「玉殿」:大卜・竟天が戦死
- 閉戻多:127人全員が戦死
(御空の話によると戦友を数十万失った)
概要
【観測記録 星暦8072年】
曜青、方壺の烽火号により、豊穣連合軍が再形成され、遊星「計都蜃楼」が蘇って活性化し、方壺に迫っているという警告が届く。羅浮雲騎軍は「垂虹衛」、「春霆衛」、「畢方衛」、「欃槍衛」を援軍に送りこれを迎撃した。
この戦いは激烈を極め、何度も敗北しかけたが、幸いにも帝弓の神矢が難敵を一掃した。この役で、仙舟羅浮は合計で闘艦6万3000隻余り、飛行土12万人余りを失った。仙舟方は5分の1近くの洞天が光矢の爆撃を受けて破壊された。
(この記録項目の下に、ある閲覧者が加えた小さな注がある)
「帝弓は未だかって凡人に口を開くことなし...ただ光矢をもってその旨をす」
......
......
——『帝弓垂迹録』より抜粋
仙舟「方壺」
仙舟「方壺」での一連の戦いは「方壺の戦い」と名前がついている。
仙舟「方壺」は第三次豊穣戦争における主戦場となった。
珠守り人が文字通り死戦するも、東海洞天など多数の洞天が豊穣連合軍によって陥落した。
帝弓の司命が神矢を放った際、陥落していた洞天ごと破壊したため、仙舟「方壺」は1/5近くの洞天が破壊された。
珠守り人が文字通り死戦するも、東海洞天など多数の洞天が豊穣連合軍によって陥落した。
帝弓の司命が神矢を放った際、陥落していた洞天ごと破壊したため、仙舟「方壺」は1/5近くの洞天が破壊された。
唯一、陥落した洞天の中で東海洞天だけが「廃墟になっただけ」という表現から、多くの洞天は灰燼に帰したと考えられる。
閉戻多は追い詰められた方壺で同盟の許可を得ることなく最後の出撃を敢行した。彼らは帝弓の光の矢が現われる前に、少なくとも4,000人の一般人を安全な場所に移したが、127名の歩離の戦士は、全員がその過程で命を落とした。
競鋒艦もこの戦いに参加していた。
仙舟「羅浮」
仙舟「羅浮」は仙舟「方壺」の近くにいたため、羅浮雲騎軍は「垂虹衛」、「春霆衛」、「畢方衛」、「欃槍衛」(いずれも艦隊の名前)を援軍として送った。
仙舟「玉殿」
仙舟「玉殿」は仙舟「方壺」の近くにいたため援軍を送った。
仙舟「曜青」
仙舟「曜青」は羅浮と玉殿が持ち堪えている間に月御将軍ら援軍を送った。
月御将軍は瞰雲鏡をまもるために最後まで残り、そのまま帝弓の神矢で戦死した。
また、飛霄、椒丘(軍医)もこの戦いに参加していた。
月御将軍は瞰雲鏡をまもるために最後まで残り、そのまま帝弓の神矢で戦死した。
また、飛霄、椒丘(軍医)もこの戦いに参加していた。
帝弓の光矢
仙舟「羅浮」の大卜・符玄は“全力で迎撃すれば、参戦した仙舟の軍隊はいずれも大敗を喫することになるが——守勢に徹すれば、挽回の余地はある”ことを卜算で導き出した。
方壺を侵犯する豊穣連合軍の兵力は非常に強大で、守勢を取るだけでは足りないことを神策府に伝えた。同盟上層部はこれを受け、羅浮と玉殿の雲騎軍は敵を迎え撃ち、曜青の部隊が駆けつけるまでの時間を稼ぐことを合議した。
方壺を侵犯する豊穣連合軍の兵力は非常に強大で、守勢を取るだけでは足りないことを神策府に伝えた。同盟上層部はこれを受け、羅浮と玉殿の雲騎軍は敵を迎え撃ち、曜青の部隊が駆けつけるまでの時間を稼ぐことを合議した。
その日、符玄は投影沙盤を通して援軍が敗北したorこれからすること、歩離人が仙舟「蒼城」を滅ぼしたものと同等の活性化惑星「計都蜃楼」を呼び寄せたことを察知する。
雲騎軍の力では勝機がないことを悟った符玄は景元に帝弓の司命(巡狩の星神・嵐)の力を借りることを陳述する。
その方法とは仙舟「玉殿」にある観星第一重器、瞰雲鏡を方壺に運び、帝弓の光矢が最後に出現した場所に向けて信号を発信して助けを求めるという方法だった。
その方法とは仙舟「玉殿」にある観星第一重器、瞰雲鏡を方壺に運び、帝弓の光矢が最後に出現した場所に向けて信号を発信して助けを求めるという方法だった。
目論み通り帝弓の司命が降臨し、歩離人の艦隊などを一掃したことで同盟は勝利を納めることになる。
なおこれらの作戦の責任は景元が負っていたため、割と恨みを買っていそう。
「付加的な」影響
仙舟「羅浮」の野戦病院は戦場から離れたところにあったが、帝弓の光矢で吹き飛ばされた。
仙舟「方壺」の陥落した洞天は豊穣の民ごと吹き飛ばされた。その数は方壺の洞天全体の1/5近くに及ぶという。
その後の影響
- 仙舟「方壺」
持明族は繁殖ができず、人口の損失は永久的なものとなる。
持明族の自治領である仙舟「方壺」は第三次豊穣戦争であまりにも多くを失ったため、現在に至るまで自己防衛政策に専念し、休養を続けている。それ自体は否定できるものではないが、方壺と他の仙舟との正常な交流と貿易は失われた。
持明族の自治領である仙舟「方壺」は第三次豊穣戦争であまりにも多くを失ったため、現在に至るまで自己防衛政策に専念し、休養を続けている。それ自体は否定できるものではないが、方壺と他の仙舟との正常な交流と貿易は失われた。
御空
- 御空の親友であった采翼もこの戦争で戦死した。また、御空自身もこれ以降は星差に乗らなくなった。
(詳しくはクエスト「私はもう空に触れてしまった」)
仙舟「羅浮」
- 闘艦6万3000隻余り、飛行士12万人余りを失った羅浮は、元の活気を取り戻すまでに30年かかった。
薬王秘伝
- 第三次豊穣戦争において帝弓の司命が与えた付加的な損害は一部の人々に帝弓の司命と仙舟同盟への恨みを与えた。
- 薬王秘伝の首魁「丹枢」は親友だった雨菲が後方の野戦病院にいたにも関わらず帝弓の光矢で死んだことを恨み、後に薬王秘伝を作った。
記念館
仙舟「方壺」では廃墟の上に東海洞天に「第三次豊穣戦争帝弓垂迹記念館」(略称:帝弓垂迹記念館)が建てられた。
『帝弓垂迹始終』は持明の雲吟法術で造られたホログラム景観であり、その場で災難を見届けたような体験を味わえるという。
垂迹記念館で最も心を震い上がらせると言われるのは「俗世宮」である。
俗世宮は方壺がスターピースカンパニーと共に戦前の東海洞天で一番繁栄した「陵魚大通り」を再建したもので、蜃影の形式でそこに住んでいた39823名の住民が災厄に襲われる前の日常生活が再現されている。
俗世宮は方壺がスターピースカンパニーと共に戦前の東海洞天で一番繁栄した「陵魚大通り」を再建したもので、蜃影の形式でそこに住んでいた39823名の住民が災厄に襲われる前の日常生活が再現されている。
帝弓垂迹記念館は仙舟同盟が戦う理由を知ってもらうために無料で公開されている。