*1 戦前の野球クラブチーム・東京倶楽部元監督の石井順一が作った野球道具メーカー。ラビットボールだけでなく圧縮バットも開発した。
*2 なおそれまでのボールは職人の手作業で作られた、非常に飛びにくいボールだった。
*3 特にジュン石井製ラビットボールの本格導入+球団数激増による試合数大幅増、さらに元々の打高投低な環境だった1950年は小鶴誠(松竹ロビンス)が打率.355、51本塁打、161打点、藤村富美男(大阪タイガース)が打率.362、39本塁打、146打点という超ハイレベルなタイトル争いが繰り広げられることに。
*4 2001年と2003年。特に2001年は王貞治がかつて持っていたシーズン記録に並ぶ55本を記録した。
*5 2002年と2003年。特に2002年は王貞治がかつて持っていたシーズン記録に並ぶ55本を記録した。
*6 2002年。