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 教師には、国家が定めた資格が必要である。
 免許の種類は普通免許、特別免許、臨時免許があり、普通免許は専修免許、一種免許、二種免許がある。それぞれ修士、学士、準学士に相当する。これらについては特に説明する必要はないだろう。
 戦前は、資格がない者が教えることも可能であったが(代用教員)、戦後は、幼稚園を除いて不可能になっている。(非常勤講師については例外規定がある。)資格については、「教育職員免許法」によって規定されている。これは、「資格」なるものが、ある専門的な知識を必要とする仕事で、その仕事の成果を享受する立場る者に対して、専門家の質を国家が保障するものである。
 戦後教員の資格は大きく変わった。戦前は「師範学校」という中等教育の学校が教員養成を行っていたが、戦後はすべて高等教育において行われるようになった。「大学における教育養成」といわれる原則である。教師をより広い教養を身につけた人がなるものと期待されたのである。
 また、義務教育学校については、戦前は師範学校以外の養成を認めなかったが、戦後は単位制度の下に、教職免許法に基づいた単位を取得すれば、免許を取得できるようになった。これを「開放制の原則」という。
 いずれせよ、戦後になって教師となるための資格が厳格に規定され、免許をもっていないと教師になれない体制になったのである。
 しかし、近年、文部省の政策によって、社会人を教師として登用するために、正規の資格ではなくても、教壇に立てるようにする方針も打ち出されている。これは、社会的経験のある人が、教育的にも有用であるという判断もある一方、企業の雇用側から、リストラの受け皿として期待されているとも言われている。ただ、そうした社会・経済の面からの要請の有無は別として、教師に「資格」が必要であるのかどうかは、別に検討が必要であろう。(臨時免許状、特別免許状)
 というのは、塾や予備校で、評価の高い教師が、必ずしも免許をもっているわけでもないし、また、大学の教師になるための資格は存在しない。そして、現在の免許法に規定された科目を習得したからといって、十分に教室での実践のための能力が保障されるかどうか、疑問ももたれているのである。例えば、ヨーロッパでは、教育実習は、かなり長い期間行われ、教員養成課程の学生の最終学年は、実習校と大学(あるいは専門学校)を往復するような形になることが多い。また、ドイツなどは、大学卒業後に改めて教師養成のためのコースに通うことも多く、その場合には、当然、実習期間は長くなる。
 現在、小学校教員の免許は、多くは、教師養成のための専門課程で取得する場合が多いが、その場合でも、実習は1月である。そして、中学・高校では、合わせて3週間、しかも、片方しか実習しなくても、中学と高校の両方の免許が取れる。
 また、実際には教師になる気持ちがないにも拘らず、教師の免許を取得するためのコースをとる学生は、日本全国極めて多い。医者になる意思がないのに、医学部に通ったり、あるいは、司法試験に合格しても、司法現場に行かない者は滅多にいないことを考えれば、教師の免許は、いかにも安直に扱われている。
 では、教師の免許は不必要と言えるのだろうか。
 教師に限らず、そもそも免許とは何のためにあるのだろうか。
 第一に、そうした免許は、多くの場合、専門家に与えられ、専門的知識をもっていることを証明する。そして、その利用者に対して、専門家であることを保障するのである。
 第二に、その専門家に対して、専門職に就くことを許可し、免許をもっていない者をその専門職から排除する。免許を取得することが難しく、取得する人数が少ないほど、特権的な専門職になるのである。
 つまり、免許制度は利用者にとっての安全保障と専門家の特権保障というふたつの側面があることがわかる。利用者からすれば、専門家が特権の上に胡座をかき、専門家としてふさわしい活動を怠るようなことがないようにしなければならない。
 教師の免許については先述したように、いくつかの原則がある。もっとも重要なものは、「開放制」と言われるものである。戦前は、小学校の教師の免許を取れるのは師範学校だけであった。そして、中等学校については、認定を受けた後期中等教育以上の学校に認められていた。戦後、教育免許の取得は、「単位」によって決められ、単位を取れば、いかなる機関でとっても可能になったのである。しかし、小学校の免許は、取得単位数が極めて多いので、国立の教員養成学部と一部の私立大学の学科以外では困難になっている。
 一方、中等学校の免許については、多くの大学で取得が可能になっており、逆に、教師になるつもりのない学生が、資格をとる目的で聴講し、特に、実習が必要であるために、現場で批判が出ていた。更に、特に国立の教員養成大学・学部では、卒業要件に、教職免許の取得が含まれているので、教師になる意思のない学生にとっては負担になるので、教職免許の単位を取得しなくても卒業できる、いわゆる0免制などが要求される場面も多かった。
 「開放制」を積極的に支持する人は、教師には、教職の知識だけではなく、実は、幅広い知識が必要であり、狭い教師用の勉強をするより、むしろ、ある専門領域での深い勉強や、幅広い教養を身につけさせることの方が大切だから、教師の養成を教員養成学部に限定するべきではない、という認識をもっている。
 それに対して、子どもを教えることは、それ自体が専門的な行為であるので、授業とか子どもに対する理解など、教師として必要な専門力量をしっかり学ぶことが大切で、そのためには、むしろ一般学部で安易に教師の免許を取得できる体制は、問題がある、という考えもある。もちろん、一方では、その双方の教師が混在していることが望ましい、という考えもあるが、しかし、その場合でも、教師の養成や採用の際の問題は生じる。

Q 社会人の教師受け入れをどう考えるか。
最終更新:2008年07月25日 21:34