現在の日本で最も普及している授業形態は「一斉授業」である。一人の教師が教室の前に立ち、黒板を使用しながら、多くの生徒に共通の内容を教えていくスタイルである。日本で最も普及しているから、世界中で実施されていると考える人が多いかも知れないが、欧米ではそれほど普通の授業形態ではない。私がカナダのある公立高校を訪問したときに、一斉授業を行う前提で配置されている教室はほとんどなかった。多くの教室では、机は外向きに並べられ、授業は個人やグループの作業を軸に行われるものであった。
もちろん、欧米では一斉授業は存在しないというのではない。一斉授業は国家的な教育制度が成立した段階で、自然に成立したものである。しかし、現在日本の教育方法の最も大きな問題が、一斉授業にあるかのような見解は、一面的であるように思われる。例えば、佐藤広和は、学びの楽しさがなぜ奪われているかという分析の中で、一斉授業を次のように批判している。
学習指導要領の固定性が問題となるだろう。すなわち、伝統的な一斉授業は、同一の内容を、同一の空間で、同一の教師が、同一年齢の子どもに、同一のリズムで教え--学ばせるという形態をとってきた。一斉授業という形態は、日本の学校教育に深く浸透している。
共通教育内容による一斉授業が根強い支持を受けるのは、教育に関するある固定された見方があるからではないだろうか。たとえ興味が持てなくても、子どもには学ばなければならないものがあり、その内容を理解させることこそが教師の仕事だ、という見方である。*28)
加藤幸次の批判を紹介しておこう。
今日、わが国の学校教育の最大の問題点はなにか、と問うてみたい。結論的に言って、わたしは「一斉授業」という教授形態とそれを支える思想、制度および実践であると考えている。(略)前に黒板、教壇および教卓、それに向かって、整然と並んだ四0地下の机。この構造は、まさしく、一人の教師--知識を独占した--が四0人近い生徒--教師の提示してくる活動に従うことによってのみ知識の享受にあずかれる--に肉声で語りかけ、すみからすみまで目のとどきにように配慮されているものではないか。(略)
さらにつけ加えれば、一斉授業という形態は軍隊組織を模倣したものである。いわゆる「朝礼」を例にとってみよう。教師は隊長として隊の監督にあたり、学級委員(級長)は小隊長として、隊員の前に立ち、隊を代表する。朝礼のさいの構図をみれば、これがいかに軍隊に酷似したものであるかは、一目瞭然である。そこへもってきて、「気をつけ」「前にならえ」「休め」といった号令である。今日の社会--一応、民主主義社会として--でこのような号令をかけている集団組織は自衛隊を除いて皆無と言ってよい。すなわち、一斉授業は非民主的なのである。」加藤幸次「未来形の学校」『教育学講座21 学習社会への道』学習研究社1979.10
加藤によって、非民主的と非難された一斉授業であるが、この方式を最初に大々的に取り入れることを、教育学の立場から主張したのは、民衆教育を主張し、実践したコメニウスであった。
私は、教師ひとりで百人近くの生徒を指導することは、可能である、と断言するばかりではありません。そうでなくてはいけない、と主張するのであります。なぜなら、その方が、教授者にとっても学習者にとっても、てまことに好都合であるからです。教授者の方では、目の前にいる生徒の数が多いほど、ますますよろこんで授業を押し進めて行くように、そして、教師がますます熱心になるほど、生徒の方でも活気づいてきます。生徒の側でも同じことで、数が多いほど、楽しさも増し、お互いに役に立つことも多くなるでありましょう。よろこびは常に、努力なる友をもつ、です。申すまでもなく、この年頃には、競争心が盛んなので、お互いに刺激し合い、助け合うからです。(コメニウス『大
教授学』鈴木秀勇訳『世界教育学名著選』明治図書1974 p84
このあと、コメニウスは、生徒たちの気持ちを持続させる教育上の工夫について、様々述べている。
しかし、ここから一斉授業が間違った、「悪い」授業形態であると決めつけるのは間違っている。
一斉授業の長所は以下の点があげられる。
1 一人の教師が同時に多くの生徒を教えることができるので、大衆教育に適しており、効率的である。教育に効率性は無関係であるという見解もあるが、実際に制度として機能するためには、その制度にかけることのできる費用が、現実に可能であることが必要である。したがって、国民全体が学ぶような教育制度としては、効率性は重要な意味をもつ。一斉授業は、最も効率的な方法として、今後も残っていくと考えられる。
2 参加している生徒が多様性に富んでおり、物事の多様な理解を引き出すことができる。
授業を一方的な知識の伝授に限る場合には、この長所は発揮されないが、授業の中で、生徒の考えを引き出しながら、ある知識を多面的に検討するような授業であれば、少人数の授業よりも、大人数の授業の方が、多様性に富むので、効果的である。しかし、この点は、教師の高度な力量を必要とする。
しかし、2の長所は、教師の力量が低いときには、直ちに短所となるのである。
一斉授業は、教師が知識を一方通行で与えることになりがちであり、生徒の理解などを考慮しながら、工夫する余地も少ない。無味乾燥な授業になりがちである。
最終更新:2008年08月19日 14:49