教師の仕事の中心はいうまでもなく「授業」である。どんなに生活指導の能力が高くても、また、部活指導で成果をあげても、授業を不十分にしかできない教師は、やはり、子どもに対して十分な責任を果たしているとは言えない。
では、授業の質とはどのようなものなのか。
一斉授業の質を高める方法の開拓が、いろいろとなされて来た。
まずは、斉藤喜博である。
国語の授業は教師の力量が直接現れる。力量のない教師は、漢字・言葉の意味調べ段落分け・段落まとめというように授業を進行させる。そこに力量が加わるに従って、教材の部分的な解釈が付け加わっていく。しかし、管理主義的な教師はこの解釈を授業の中心にすることはない、あるいはできない。つまり教科指導における管理主義は、教師の力量のなさが原因となる形態である。
なぜか。
国語の教育がめざすものは、日本語の力であるが、その力とは、自分の考えを豊かに表現することができる、また他人の自己と異なる考えを理解することができる、という力である。そのためには、教材から様々な解釈を引出し、討論させることが不可欠になる。討論で自己表現をし、他の生徒の解釈を知ることである。ところがこうした授業をするためには、教師自身が教材に関する豊かな解釈力をもっていなければならないし、また生徒の多様な解釈に対応できなければならない。そうした力量は教師だれもがもっているのではなく、常に努力を怠らない教師のみが可能である。
次の例をみよう。
新美南吉の「島」という詩を教材にして、
小学校2年生に二人の教師が行った授業の例である。教師の力量と準備で大きな違いが出てくる。
島 新美南吉
島で、或あさ、
鯨がとれた。
どこの家でも、
鯨を食べた。
ひげは、うなりに、
売られていった。
りらら、油は、
ランプで燃えた。
鯨の話が、どこでもされた。
島は小さな、
まずしい村だ。
さて二人の教師がともに、小学校二年生を相手に授業をしている。
最初の教師。
教師「この詩は面白いか?」
これが最初の発問である。この発問に対して子ども達は答えていない。当然であろう。この詩は面白い、という性格の詩ではない。それに対して、「面白いか」と聞かれても、答えようがない。子どもはこの詩を、教師よりよく理解している。そして、教師を傷つけないという配慮がある。
教師は更に聞く。「どこが面白い。」
ここでこの教師は、この詩を全く理解していないことを暴露している。子ども達が、この詩は面白くない、という正当な反応を示しているのにも関わらず、面白いという前提の発問をしている。子どもは優しい。
「くじらのとれたところが面白い。」
「どうに。」
「くじらと、うなりの話があるから。」
ここで話題はとぎれてしまう。教師の発問に無理があるから発展しない。
教師は話題を変える。
「この島はどういう島だっけ。」
この発問に対しても子ども達は、無言である。
「こんな小さい?」(教師は茶碗ぐらいの大きさの形をつくる)
「もっと大きい。」
「だって、くじらがとれるから。」
「三十軒ぐらい、四十軒くらい家がある。」
「田んぼある村か?」
「売り屋がない。米もとれない。」
「住んでる人は?」
「貧乏。」
「何の商売している?」
ここで再び子どもは無言である。「どういう島か」という発問は、あまりに漠然としている。発問とは、状況の限定でなければならない。しかし、この発問には限定という要素がない。次の、手を丸めての発問は、意味を自分で持たせない限り、無意味であり、答えが当然すぎる。後の教師がしているように、そういう動作をあるイメージに転換すれば、意味が生れる。しかし、この教師はそうしたイメージの転換をしていない。
無言の後、教師は「さかなとりだね。」と聞く。しかし、まだ子どもは無言。
「みんなの家とくらべてどう?」
「うんと貧乏だ。」
「どこでもくじらをとったんか?」
「うん。」
「そんなにくじらはいるか?」
「五十年に一回だね。」
「たまにとれたのだね。」
最後はまじめな雰囲気ではなくなっている。
この教師の欠点はいくつもある。もっとも大きな問題は、詩そのものを理解していないことである。
次の教師。
この教師はまず詩の朗読に際して、自由にイメージを膨らませるように、指示している。「先生が一回読みますよ。島と、その中の暮しやら、人間やら、いろいろのものが浮んで出てくるように、聞いていてくださせい。」
作業における指示が明確である。そして、二度朗読している。
ふたつの授業をみていて、その紹介をしている斎藤喜博は、二度目の朗読が終ると、「出てきた、出てきた」というつぶやきがさざ波のように起こったと描写している。
教師「どんなことが、でてきた?」
「みんなで鯨をとるところがでてきた。」
「みんなで鯨をとるところがでてきた。」
「あたいは、島で鯨がとれたところ。」
「鯨が水を吐いて逃げ回るとこが、見えてきた。」
「あたいは島が見えてきた。」
ここで教師が介入する。
「ほう、島が見えてきた。どんな島が見えた?」
このことで、教師が授業をどのように構想しているかが、わかる。島にイメージを膨らませていく構想である。そのために教師は生徒が島のイメージを語るまで待っていた。島が出てきたところで、発問でイメージを島に限定している。
子ども「ごつごつした島。」
「その島はどのくらいの大きさ?」
「こんなくらい。」「おれは、こんなくらい。」「おれはね、こんなくらい。」
子ども達は口々に手で大きさを示している。手で示すということは、前の教師と同じである。しかし、その後の処理がまったく異なっている。前の教師は手で示すということの意味を全く無造作に扱っていた。手で示す大きさであるはずがないのに、まるで実際に手で大きさを示せるかのように、子どもに聞いている。しかし、この教師は次のように発問している。
「うん、みんなそのくらいに見えたんなら、島はそばでなく、遠くのほうに見えてきたんだね。」
すると、子どもたちは、「うん、そう」「おれも、遠く」などとつぶやきながらうなずいている。
教師「海の波が、ずーっと、どこまでも続いていて、その遠くの海の中に、ちっちゃな島が見える。」
斎藤喜博は、子どもたちは遠くを見るような顔をする、と描写している。子どもたちから、島の様子を想像する独り言が聞える。そして、教師が「では、島にあがってみたらどうだろう。」と言うと、子ども達の表情がさっと変って、島の内部の様子を思い描く作業を始めた。
同じ教材、同じ学年の授業でも、教師の力量によってこれほど水準の異なる授業になってしまう。要素として考えると、詩の理解、発問の明確さ、授業の構想の有無、子どものイメージの喚起力等が、はっきりと差がある。典型的な管理主義的な授業は、記録に値しないので、実践記録はないが、教師が教材の解釈を決め、生徒はその解釈を述べる儀式を行うような授業で、日本の最も多くの授業が、そのようなものになっている。
前者の教師は、おそらく管理主義的な教師になっていく可能性が大きい。
斉藤喜博は群馬県で教師、校長をした後、宮城教育大学の教授として、「教授学」の形成に寄与した人物である。斉藤喜博は、授業をオーケストラに例え、生徒を楽員、教師を指揮者、教材を曲に例えた。
最終更新:2008年09月02日 05:17