一斉授業では、生徒の能力差が大きいときに、行われている授業のレベルに合う生徒はいいが、それは少数であり、他の生徒にとっては、やさし過ぎたり、また、難し過ぎたりする。そうした欠点に対して、カリキュラムを細分化し、個々人は、一斉にそのカリキュラムを学習していくのではなく、個人のレベルに応じて前に進んでいく方法がいくつか編み出されて来た。
例えば、算数であれば、「数字」「加減乗除」「位取り」・・・・というように、基礎から、高度な内容まで、順番に並べることができる。そして、それぞれの段階の説明と、ドリル問題を配列しておけば、習得したら次の段階に進む、というようにできる。これが、プログラム学習である。日本では「公文」式が、この方法の代表的事例である。
プラグラム学習は、さまざまな教具を利用する。なぜならば、プログラム学習推進の動機が、能力差に応じるというだけではなく、教師の能力差による不公平を無くすことも含んでいたからである。確かに、一斉授業では、教師の力量差が、はっきりと学習効果に現れる。したがって、授業を教師ではなく、機械に任せれば、誰でも平等な効果になる、と考えられた。そして、機械に任せるためには、カリキュラムを細分化して、機械に覚え込ませる必要があったのである。これが、ティーチング・マシンの始まりであり、現在では、コンピューターが主に使用されている。
この学習の利点は、個人個人の到達点に合わせて学習が行える点である。学習速度の遅い者は、反復して行うことができるし、逆に、速いものは、どんどん先に進むことができる。
しかし、あらかじめ固定されたプログラムにそって学習するために、多様な意見をぶつけ合って、新しい認識や意外な展開をするような、新鮮さはない。
また、プログラムの作成が、合理的にできているかによって、学習効果が著しく異なってくるだろう。教師の力量に左右される部分よりも、プログラムの質に左右されると言える。
コンピュ-タ-による教育は、現在では、様々なソフトが作成され、エデュテイメント(edutainment)という分野も成立している。
ただ、コンピューターが教育に与える影響としては、今日では、コンピューターのネットワークであるインターネットが代表的なものであり、単なる個別教授ではなく、再び、大勢の教育に利用可能なものになってきた。
最終更新:2008年08月06日 00:02