教育内容の編成原理には、大きく分けてふたつあると考えられている。共通していることは、できるだけ易しいことをまず最初の段階で教え、次第に複雑にしていくのがよいと考える点である。しかし、どのようなことが、初学者にとって易しいのか。
小学校低学年の生徒にとって、最も正確に理解(読むこと、書くこと)されているのは、「先生」という字であるという。これは、先生が漢字を覚えるという点で、もっとも身近にいるからである。しかし、身近にあるものが、すべて易しいわけではない。単純な形態が易しいことことも数多い。一、二という数字や、上、下などのような単純な字である。
このふたつの原理は、カリキュラム全体の編成原理となっている。前者は、生活カリキュラムと呼ばれることが多く、生活の周りにあることから、次第に遠くのものにカリキュラム内容を発展させていく手法である。小学校段階の社会科は、多くが生活カリキュラムの原理で構成されている。後者は、ものごとを単純なものに分解し、単純なものから、その複合である複雑なものに展開していく手法である。数学がその代表的な教科になっている。
次に知識獲得のプロセスの問題を考えてみよう。
学校が義務的な大衆教育として普及する以前は、学校はかなり限られた目的にそって教育内容が決められていた。学校は階級・階層によって異なったし、当然学ぶことも異なっていた。カリキュラムが大きく変化していくのは、第一次大戦後のいわゆる新教育運動の過程においてである。現在でも世界中に広がっている生活教育を主体とする学校が創立されたのは多くがこの時期である。これらはいずれも、生活から有利したカリキュラム(代表的なものがラテン語)を、生活の中にある、あるいは生活に必要な内容を軸として、方法も経験主義的な手法を取り入れるものだった。1930年代に発展した「コアカリキュラム」はその典型である。
コアカリキュラムは、第二次大戦後、日本にもアメリカ主導の教育改革の中で取り入れられた。それは学習者の生活上の問題解決を目的とする単元学習を配置し、周辺課程には、生活単元学習をささえる体系的で専門的な知識や技能を配置したもので、アメリカでの取り組みの代表とされるバージニア・プランやカリフォルニア・プランであった。
1948年にコア・カリキュラム連盟が結成され、戦後初期のコア・カリキュラム運動が全国的に展開された。連盟の機関誌「カリキュラム」は、日本のカリキュラム研究の出発点として重要な位置を占めている。代表的なコア・カリキュラム実践には、千葉県北条プラン、東京都桜田プラン、神奈川県福沢プラン、愛知県春日井プラン、奈良県吉城プラン、兵庫県明石プランなどがある。(これらのいくつの実践プランは、『資料現代日本教育史』(三省堂)に収録されている。)
運動初期のカリキュラム構造論は、コアと周辺課程とからなる同心円モデルであった。コアには新設された社会科、そして遊びや教科外活動などが配置された。その後、コアと周辺課程の間に「日常生活課程」が設定され、カリキュラムの「三層四領域」論が提唱される。この時期の、生活経験主義的な統合カリキュラムモデルは、日本独自の成果であった。
生活カリキュラムは、問題解決学習と結びついていた。問題解決学習とは、文字通り、知識を所与のものとして記憶していく学習法ではなく、何か問題・課題を解決していくプロセスで学んでいく、逆に言えば、課題を与えたり、課題を発見したりするところから学習が始まり、解決を模索する過程が学習であるとするものである。
初期のコアカリキュラムは、いわゆる「ごっこ遊び」的なものに形骸化し、高い知識を得ることは、教師がよほど準備し、広い知識と応用力をもっていなければ、基礎学力を獲得させることは難しい。その結果、「学力低下」という批判を受けたが、それに対する克服策として、一部に問題解決学習が導入された。
現在文部省が新学習指導要領で設置した「総合学習」は、コアカリキュラムと問題解決学習を合わせた面をもっている。しかし、問題解決学習といっても、いくつの型があるとされる。
第1に、実際の課題を解決する中で学習していく方法である。そして、第2に、ある学習内容を、課題として設定する、つまり擬似的な問題を解決する、方法的な形態である。
後者でいえば、社会科の教材は多くがこの問題解決学習の素材となる。
第9章 家庭教育論
最終更新:2008年08月06日 00:04