かなり昔、学生諸君の生まれる前である1970年ころ、「オール3事件」という社会的な事件があった。ある音楽の教師が、主に合唱を授業として行った学期に、みんなよく頑張ったし、そこに差をつけることはできないとして、全員に3をつけたのである。しかし、中学3年生の1学期であったために、内申点が不利になると考えた生徒の親たちが不満を述べた。4や5を取れるはずなのに、3では受験に不利だと考えて社会問題化させたわけである。
当時の「内申書」においては、成績は1から5まで、厳密に割合が決まっており、その割合を崩すことは許されていなかった。したがって、成績表の評価がオール3であったとしても、調査書の評価は別に、割合に応じて決めざるをえなかったのであるし、しかもそれは1学期の成績であったために、内申書に記載されるものではなかったのだが、そうした制度的仕組みを知らない親たちは、これを社会問題とすることによって、その教師を授業から外させた。
この事件は多様な影響を教育界に及ぼすことになった。そもそも成績表は学校の自主的な取り組みであって、自由にその様式を決められるものであったが、実際に中学においては内申書(調査書)の形式に合わせることが現実的であったために、あたかも成績表の形式が文部省によって定められていると思われていたのであるが、この後文部省が「自由」であることを表明して、大きな話題になったりした。また、後述するように、「
到達度評価」という工夫が生まれたのも、ひとつのきっかけがこのオール3事件であったと言われている。
ところで、問題となったオール3事件以外にも、当時「評価不可能」あるいは「評価無意味」という観点から、すべての生徒に同じ成績をつける教師は存在した。つまり、教師の中に、ある特定の教科に関しては、評価をすることがむしろ非教育的であるという感覚があったことは事実である。そして、制度的に指導要録や調査書の評価形式が定まっていたために、評価に関する議論がオープンになされることがそれまではなかった。しかし、この事件をきっかけにして、評価に関する議論が進むことになったのは事実である。
長く公立高校の入学試験に使われる調査書は、割合が決まった相対評価が行われていた。相対評価は必ず一定の5と一定の1をつけなければならないものであり、非人間的・非教育的と考える人も多かった。そして、この事件をきっかけに、評価に関する議論が展開してきた。
2003年から中学も評価を絶対評価とすることになり、調査書の形式は都道府県に任されることになり、絶対評価が多くなっている。
Q オール3事件の教師のような「みんな頑張ったのだから、1とか3とか5とかの評価を個々につけることはできない」という考え方をどう思うか。
最終更新:2008年08月06日 00:27