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 調査書や通知表には、総合所見欄がある。ここには、人物評価が書かれることもある。ところで、人物評価、あるいは意欲や態度の評価は可能だろうか、あるいは、可能だとして、必要だろうか、あるいはやるべきではないことなのだろうか。
 おそらく学生諸君の中には、単にテストの点数の評価だけではなく、どれだけ努力をしたかを評価してほしい、というような感情をもったことがある人が多いのではないだろうか。特に、平均点が高ければ、高い得点をとっても、相対評価は低くなってしまうことがある。そうしたとき、絶対評価か、あるいは、前のテストでは低い点数だったのだから、努力して上がったとき、たとえ、点数的にはもっと高い人がいたとしても、努力を認めるような評価はないのだろうか、ということである。
 しかし、「努力の評価」なるものが、可能かどうかは、また別問題だろう。
 推薦入試などでは、多くの場合、自治活動での評価として、生徒会長、全校的な委員会の責任者、学級の委員などでランク分けし、部活では、全国大会、県大会、市大会などで出場、優勝(あるいは準優勝)などでランク分けして、それを点数化すると思われる。
 こうした評価が、好ましいものである、好ましくはないが必要である、入試を歪めている、など様々な考え方があるだろう。



Q 「努力の評価」「意欲の評価」は可能か、可能だとしたら、いかなる方法があるか。



 態度評価の一種として、最近問題になっているのが、ボランティア等の評価である。ボランティア振興の手段として、入試などでボランティア経験を評価し、ボランティアを積極的に行った者を、入試評価で有利にすべきである、あるいは、もっと積極的に企業の採用でも判断材料として使用すべきであるという見解がある。
 他方では、自発的、かつ対価を求めないのがボランティアの精神であるから、入試に有利になるというのは、むしろボランティアの精神を阻害するものと考える者もいる。


道徳の評価

 戦前「修身」は評価の対象であり、しかも、修身の評価は最も重視された。中学受験の際に、修身の評価が低いと合格な困難になったと言われている。

平成19年12月25日の「社会総がかりで教育再生を(第三次報告)」と題された報告の七つの柱の2番目が「徳育」になっている。
2.徳育と体育で、健全な子供を育てる~子供たちに感動を与える教育を~
(1)徳育を「教科」として、感動を与える教科書を作る。
  • 徳育を「新たな枠組み」により教科化し、年間を通じて計画的に指導する。
  • 偉人伝・古典・物語・芸術・文化などを活用し感動を与える多様な教科書を作る。
  • 新しい教育基本法の下で、社会総がかりで、徳育の充実に取り組む。

 現在の道徳を教科とし、そこで成績をつけるという案が教育再生会議では相当議論されたようだが、結局、それがそのまま結論になることはないが、基本的に「徳育」を「教科」とする報告書がまとめられた。「教科」であるということは、検定教科書を作成すること、そして、成績をつけることのふたつの効果があるとされる。
 実際に事実上の道徳あるいは徳育の成績が現場では付けられていないのだろうか。

 もう大分昔のことになるが、愛知県の県立高校が、人物評価を相対評価にし、その割合を厳格に規定していた時期があった。最低評価になると県立高校は受け入れないとされていたし、また、当然私立高校も多くは受け入れないから、中学の教師たちにとってそれは大きな心の負担となった。つまり、最低評価をつけることはその生徒の高校進学機会を奪うことになり、しかし、決められた数必ず最低評価をつけなければならなかったからである。自然な流れであるが、どんなに人物が優れていると考えられても、高校進学しない生徒にまず最低評価をつけ、次に合格しそうにない生徒につける等々、実際の人物評価とは無関係の評価がつけられていたとされる。社会的な批判の中でこの「割り当て」は廃止されたが、人物評価自体は、ほとんどの学校で行なわれているだろう。この「人物評価」と道徳の評価の関係については、まだまだ未検討の領域であるように思われる。
最終更新:2008年08月28日 18:15