学習指導要領は教科書検定制度を通して、教科書に反映されることで実質的な教育内容となる。学校教育では教科書が使用されることが普通であり、適切な教科書作成と使用が教育効果を高めることは当然のことである。しかし、日本では半世紀近く教科書訴訟が争われており、現在でも教科書問題は大きな教育的争点であり続けている。
教科書とは主要な教材であるが、問題は教科書の認定と採用、使用義務である。
まず認定について見ておこう。
認定制度については、国定、検定、届け出、自由制度などがある。国定教科書は戦前の日本や現在の韓国、及び社会主義国家がそうであった。国家が直接教育内容を決定するのであるから、教育の自由はほとんどないことになる。国定教科書制度は現在の民主主義のレベルから見れば、不適切な制度であることは否定できない。
ただ国家が作成し、それ以外の教科書が存在しないという意味では、日本でも現在
文部科学省が直接作成した教科書はたくさんある。ただし、それは民間会社が作成するにはあまりに部数が少ないので、採算があわず、文部科学省が作成しているものである。高校の職業課程の専門的な教科書がそれに当たる。ただし、教科書の使用義務の問題とかかわって、そのような文部科学省著作の教科書が存在している。
検定制度は日本とドイツが採用している主な国家である。ただし、日本は中央政府としての文部科学省が検定を行っているが、ドイツは連邦国家であるので州単位で検定が行われており、その目的は主に戦争犯罪に関わる記述をチェックするためであると言われている。
教科書検定の仕組み(文部科学省)
先進国の多くは教科書は届け出制となっている。ただ、届け出制は国家的な規制はないが、社会的な規制と向き合うことになり、必ずしも自由に教科書を作成し、採用できるというわけではない。アメリカでは教科書リストができると、様々な団体が内容的なチェックを行い、不適当と考え部分があると公表したり、抗議したりるす。差別的な表現がある場合などである。日本のような検定制度があると、政府が容認したことだから社会的な批判に晒されることは少ないが、アメリカでは常にその危険性がある。
教科書の発行は、日本では民間の出版社が行っているが、どの出版社も自由に教科書を作成し、検定にかけることができるのではなく、一定以上の資本をもった教科書が文部科学省の指定を受ける必要がある。資本の大きさは次第に大きくなる傾向があり、小さな出版社は教科書を作成することができくなり、その結果教科書の多様性が失われてきている。現在の義務教育学校の主要教科の教科書は、出版社が異なっても内容やスタイルに大差がないのが実情である。これは、国民の多くが同じような教科書で学ぶことができるという意味で肯定する見解と、教育には多様性が必要であり、多様性が失われることは教育自体を貧弱にするとい否定的な見解とがある。
採択はどのように行われるだろうか。高校や私立学校は基本的に学校が教育方針に従って決める。公立の義務教育学校では、市町村
教育委員会が決定するが、県教育委員会は指導助言を行い、実際の調査検討をするのは、全国500程度の採択区(複数の市町村が一つの採択区を構成する。)で選定委員が任命されて行う。
次に教科書の使用について検討しよう。
学校教育法34条で以下のように規定されている。
第三十四条
小学校においては、文部科学大臣の検定を経た教科用図書又は文部科学省が著作の名義を有する教科用図書を使用しなければならない。
○2 前項の教科用図書以外の図書その他の教材で、有益適切なものは、これを使用することができる。
○3 第一項の検定の申請に係る教科用図書に関し調査審議させるための審議会等(国家行政組織法 (昭和二十三年法律第百二十号)第八条 に規定する機関をいう。以下同じ。)については、政令で定める。
ただし、高等学校、中等教育学校の後期課程、盲学校・聾学校・養護学校及び特殊学級においては、検定教科書及び文部科学省著作ではない教科用図書を使用することが当分の間認められている。
(学校教育法付則
第九条 高等学校、中等教育学校の後期課程及び特別支援学校並びに特別支援学級においては、当分の間、第三十四条第一項(第四十九条、第六十二条、第七十条第一項及び第八十二条において準用する場合を含む。)の規定にかかわらず、文部科学大臣の定めるところにより、第三十四条第一項に規定する教科用図書以外の教科用図書を使用することができる。
教科書採択の仕組み(文部科学省)
34条の解釈については二通りある。
第一は教科書は使用しなければ違法であるとする解釈である。
第二の解釈は、教科書を使用する場合には、その教科書は文部科学省の検定合格、あるいは文部科学省著作名義のものでなければならないとするものである。
一見して前者が法律文の解釈としては妥当に思われる。しかし、実は問題はそれほど単純ではない。実際に全国には教科書を授業でほとんど使用しない教師は少なくない。学生の経験を聞くと、多くの学生は教科書を使用しない教師の授業の方が役に立つことが多く、そういう教師は力量があると感じさせると言うことが多いのである。つまり、法律の条文の文理解釈としては教科書は使用しなければならないとするのが妥当であるが、教育学的にはそれは妥当ではない。むしろ、教科書から自由になって、生徒の状況を勘案しながら適切な教材を自主的に作成して授業を行う方が生徒にとって好ましい結果を生むことが多いと言えるのである。
欧米の学校は教科書は個人所有ではなく学校所有であることが少なくない。このような場合には、複数の教科書を用意し、比較しながら学ぶ手法をとることもある。これは多様な見解があることを理解し、比較検討する思考力を培う上で有効な方法であると認められている。教科書に書かれた知識を覚えることが目的であるならば、一つの教科書を個人が所有して学ぶのが効率的なスタイルであるが、底の浅い学習に陥ってしまう危険もある。
このように考えれば、教科書使用義務を厳格に理解することは、教育を貧弱にしてしまう危険があると言える。
このことは総合学習を考えればより明瞭になる。総合学習には教科書はなじまない。もし総合学習が教育的効果の点で重要な意味をもつとすれば、それは定型的な知識を修得するという学習ではなく、現実的な課題を実社会のなかから見いだし、教科にとらわれない視野で考えていくからだろう。そしてそうした点は通常の教科にとっても無関係ではなく、国語や数学などの教科にとっても重要な要素と考えられる。そしてそれは教科書からある程度は自由になることが必要なことが多々あるはずだからである。
最終更新:2008年07月26日 11:34