人間が生まれたときには、「できること」は極めて限られている。生物的な意味での新陳代謝機能は別として、何らかの意志表示は「泣く」ことでしか行うことはできない。四肢を動かすことはできるが、体の位置を変えたり、体を移動させたすることはできない。
見ること、聞くことはできていると考えられているが、少なくとも意味あるものとしての「認識」機能、「思考」機能は備わっていないと考えられる。もちろん、言葉を使うことはできない。
ポルトマンは『人間はどこまで動物か』(岩波新書)という本で、人間の特質を「生理的早産」と呼び、人間が直立歩行をするようになったために、4つ足歩行している場合よりも早く出産してしまい、胎内にいる期間が短縮され、そのために他の哺乳類の動物のような生まれた段階で基本的な歩行動作程度はできる状況を獲得しないまま生まれてきてしまったとしている。そして、逆にそのために脳への刺激が早期に始まることによって、人間の脳はずっと大きな可能性をもったというわけである。とりあえず何もできない状態で生まれてきた存在が、大人になっていく過程は、様々なことが「できる」ようになっていく過程でもある。とりあえず、こうした過程を「発達」と呼ぼう。
「できるようになる」という過程を考えればすぐに、それが「量的」なことと「質的」なこととを含むことがわかる。しかし発達を研究する学問である「教育学」と「発達心理学」とではこの時点で発達についての「意味」理解において相違があると言える。
国際的に有名な心理学の
教科書である Bernstein, Roy, Srull, Wickens の "Psychology" は、「発達心理学の課題は、人間が年とともにどのように変化していくのかを究明することである」と書かれている。つまり、発達は常に「変化」として捉えられている。*9)
本講義は教職科目を兼ねているので、教員採用試験用の学習テキストも時々参考にしよう。東京アカデミー版の教育心理学の発達の項目では、以下のような説明がある。
固体の発生から死に至るまでの人のさまざまな変化を発達という。特に心理の変化、なかでも精神の機能や構造の変化に焦点が当てられる。(中略)発達と類似した概念として成長がある。成長は、身体的、生理的変化を中心とした量的増大を指す。発達は精神的な質的変化に関心の重点がある*10)
ここでは精神的な領域で発達という概念を使用し、肉体的な領域では成長という概念を使用するとなっているが、「心理学」が精神に焦点をあてるからそのような言葉の使い分けをするのだろうが、教育は精神と肉体をともに扱うから、むしろ「成長発達」というように、成長と発達を分けないで使用する方が多い。この講義においても、発達と成長は基本的に同じ意味であるという使い方をする。むしろ、変化と成長・発達を同一視していいのかという問題の方が大きい。
変化すれば発達したのだろうか。
もちろん、変化が全くなければ発達もない。しかしどのような変化も「発達」という言葉では「教育学」では捉えないのが一般的であろう。
誕生直後の子どもは、まったく胴体を動かすことができないが、その内、少しずつ動かすことができるようになって、寝返りをうつことが可能になる。 だっこされても、首を固定した状態に保つことはできないが、ある時期から一定の状態に保持することができるようになる。(首がすわる。)
寝返りが可能になると、次に「はいはい」をして、体を自ら移動することができるようになるが、その範囲は次第に広がっていく。
やがて「立つ」ことができるようになれば、その次は「歩く」ことができるようになるだろう。その速度が次第に早くなれば、「歩く」から「走る」段階に発達していくわけである。
このように、量的変化と質的変化を伴って「できること」が広がっていく。
こうした身体能力に関わる発達は比較的理解しやすい。
精神的能力に関わる発達の考察は、より困難である。「精神的能力」とはどのような能力なのだろうか。詳しくは後の章で扱うので、ここでは簡単に触れておこう。滝沢武久は、身体以外に、自我、情意、知の発達段階に関する学説をあげている。*11)
例えば、スイスの心理学者ピアジェは、知的発達を次の様に定式化する。
0歳~2歳 感覚運動期
2歳~5、6歳 「前操作期」(ものごとを筋道たてて考えることができずに、外見や 目につきやすい属性に左右されてしまう)
7歳~11歳 「具体的操作期」(筋道をたてて推論することができるが、具体的な 手がかりがある場合に限られる)
11歳~15歳 「形式的操作期」(純粋に仮説的な命題に基づいて問題を考えること ができる)
80年代になって、ピアジェに対する批判が出されるようになった。もっと小さい子どもでも、興味がある事物に関しては、形式的操作が可能ではないか、子どもの認識は、文化的な背景をもっているのではないか、等々。
ここで、重要なことは、人間の認識は、最初の段階から次第に質的に高度になり、大筋において順序性をもって、発達していくことを認めているということである。精神の発達段階を定式化した人は、大体、時期を規定し、また順序を規定した。
最終更新:2008年08月19日 20:00