『第二の性』という古典的な「女性論」を執筆したフランスの哲学者、シモーム・ド・ボーボワールは、その冒頭に、「人は女に生れない、女になるのだ」と書いている。1このことは、「人間」一般に関してもそのままあてはまるのだろうか。
狼に育てられた子どもの話を、どこかで読んだことがあるだろう。その場合、まるで狼のように行動したとされる。しかし、実際に人間が狼に育てられる現場を目撃されたことは、これまでにはなく、間違いなく狼に育てられた人間が観察されたことはない。現在の研究成果によれば、「野性児」のほとんどは「自閉症」の子どもだと考えられている。2つまり、カエルの子どもはどうしてもカエルであるが、人間が狼に育てられると狼の行動を学習し、狼のように行動するという確証は、少なくともこれまでは得られていない。ある教員採用試験対策ようの参考書に次のような叙述がある。
人間は「社会的動物」とも定義されるが、人間の社会の中で育つことがいかに大切であるかを示すのが「野性児」の例である。野性児とは、ヒトの子でありながら幼少期に長期間、他の動物に育てられるなど人間の社会的環境から遮断された状態で生きてきたもので、今まで世界中でおよそ50数例が知られている。なかでも有名なのはインドで狼に育てられた2人の少女(カマラとアマラ)とフランスのアヴェロンの森で発見された少年(アヴェロンの野性児)の事例である。それら野性児は、人間の可能性の幅がいかに広いものであるか、人間が人間となるためには人間の環境の中で育ち、人間としての教育、学習(例えば言葉の修得、直立歩行など)がなされることがいかに大切であるかを示している。3
しかし、これは事実に反すると言わざるをえない。
しかし、ほとんどの人間的な交流を断たれ、小屋にとじ込められて育てられた子どもも、少数ながら存在した。このような例は、生物的に「ヒト」として生れても、「人間」として育てられないと、通常の意味での「人間」には育たないことを示している。環境との交流を一切断たれれば、まったく人間的能力を欠いた無力で何もできない生物のまま大きくなる。これは大人になってからでも同様のことが言える。長年独房に押し込められた犯罪者の多くは精神に異常をきたすという。集団で作業したり、スポーツなどを取り入れるのはそのためでもある。4
次の様な例を考えることも有効だろう。
生まれた時から全盲で、ある時期手術で目が見えるようになったら、最初には、どのように見えるのだろうか。これは明るく靄がかかっているような状態であると言われている。
「見える」ためには、目が健康であるとともに、目で映像を受容して、脳に伝え、脳がそれを処理するための神経回路が必要なのである。それまで全盲であった人は、神経回路が形成されていないので、すぐには映像を処理することができない。つまり、目の訓練が必要になるのである。我々成人した者は、ほとんど無意識に幼児の時に行われる感覚器官の訓練を忘れがちであるが、ぜひ能力の形成と感覚器官の鍛練の関係について、もう一度思い起してほしい。
やはり、「蛙の子は蛙」だが、「人間の子は人間」とはいかない。つまり「人間」を考察することは、とりもなおさず「如何にして人間になるのか」「人間になるとはどういうことなのか」を考察することでなければならない。「人間」をある静的な状態で考察することは、常に人間が変化・発達しつつあることを忘れる危険をもっている。
Q 新潟で9歳から監禁され、その間監禁者以外とは全く交流がなく、外出もしなかった女性は、発達的にどのような困難を抱えるだろうか。
1ボーボワール『第二の性』新潮文庫
2ベッテルハイム『フロイトのウィーン』みすず書房
3東京アカデミー『教員採用試験参考書1』2006年度版 p3
4犯罪者の矯正に興味のある人には、独房と雑居房の問題に関する議論は興味深いと思われる。
最終更新:2007年10月05日 17:08