教育は本来、公的なものと私的なものがある。徒弟制度や貴族の教育などは、私的なものであり、多く労働の場での教育も私的な性格をもっている。それに対して、文字を扱う役人を要請する「学校」は、国家その他の公的機関が設立し、維持していく場合が多かった。
ただ、優れた教育論のほとんどが、「私的教育」を前提にして書かれたことは、銘記しておいていいだろう。(日本では、「花伝書」)
しかし、工場制生産様式、普通選挙、児童労働の弊害など、様々な要因が重なって、国家が公的な事業として、学校制度を設置し、国民は義務として就学するようになって以来、教育制度は、「公教育」が主体になっていった。特に日本のように、後発資本主義国家は、近代化を急ぐために、学校制度を利用し、急速に学校が普及し、国家が教育を統制する体制においては、私的教育機関は、発達が遅れただけではなく、「私教育の論理」も十分に浸透しなかったといえる。
1970年頃までの日本の教育は、典型的にこの様式で運営されてきたといえる。
しかし、高度成長の結果、日本の教育の存在形態に大きな変化が起きた。
民主主義のある程度の国民への浸透と、経済的な余裕とによって、自己の望む教育形態を、公的な様式にとらわれずに求めだし、農村から都市への大規模な移住、及び農村自体の変化によって、農村的な人的再生産ではなく、都会的な再生産が日本全体を覆うようになったことのである。
都会的な再生産とは、学校教育によって労働能力を形成することが、将来の職業生活を獲得し、身をたてていく上で不可欠の要素になることである。
このことによって、教育過熱が全国に拡大していったのである。
日本の高校の水準は、東大合格数によってある程度決まる。1960年代までは、東京都立高校を中心とする公立高校が、上位を占めていたが、60年代後半の入試改革以降、私立と公立の地位が逆転し、以来6年制中高一貫の私立国立が上位を独占するようになった。それは必然的に中学の入試を増大させ、そのための塾へ通う生徒が飛躍的に増大するという、循環的な「私的教育組織」の拡大が生じたのである。ダブルスクールと呼ばれる現象の出現である。
「juku」という単語は、今や国際的に通用しており、「塾」は国内だけではなく、外国にも進出している。jukuも今や輸出商品である。(前述したように、公文はアメリカに進出して、かなりの成果をあげた。)
日本の受験戦争の特質は、受験のための私的機関の肥大化と、競争に参加する裾野の広さとにある。アメリカでは進学率は日本以上であっても、進学に際しては、「競争を勝抜く」ことは、それほど必要はない。また、受験競争の激しさで世界的に有名な、フランスの高等専門学校は、ごく少数のエリート志望者が競争に参加するだけである。高等教育志望者の多くは、バカロレアによる大学進学をめざすだけである。
いずれにせよ、外国の入試制度は、実質的に権限をもった機関が関わっているのに対して、日本では塾や予備校などのように、権限を全くもたない機関が、大きく入試を支配しているという特質がある。これはどのように考えるべきだろうか。
さて、以前は中等教育までの現象であった「ダブルスクール現象」は、今や大学教育にも普及している。英会話、司法試験、アナウンス学校等、大学の授業以外に、自分の将来の職業のために専門学校に通う学生は、かなりの数になる。昨年度の「生涯教育概論」のテスト問題として、ダブルスクール現象を出したが、ほとんどの学生は、肯定的に評価していた。
Q これは大学教育の貧困の現れなのか、あるいは、教育とは私的教育の集積であって、
小学校や大学のような「学校」という公的機関だけが行うものではないという意味で、教育本来の姿になりつつあると考えらのだろうか。
最終更新:2007年09月25日 20:21