京都・大阪 - (2005/09/13 (火) 19:49:12) の編集履歴(バックアップ)
9月8日
熊野に行ったときに買って,余ってしまった「青春18きっぷ」を何故か僕が引き受けることになり,それを消化するために京都・大阪へと行ってきました。
日程を決めたのが直前だったため,御用達の「ムーンライトながら」指定席がとれず,1日かけて東海道線で行くことに。7:17品川発の電車に乗れば,大阪は16:14着です。意外と近いなあ。前々日に衆院選と最高裁国民審査の期日前投票を予め済ませて,いざ出発です。
日程を決めたのが直前だったため,御用達の「ムーンライトながら」指定席がとれず,1日かけて東海道線で行くことに。7:17品川発の電車に乗れば,大阪は16:14着です。意外と近いなあ。前々日に衆院選と最高裁国民審査の期日前投票を予め済ませて,いざ出発です。
能登川町立図書館
とは言っても,9時間もずっと電車に乗り続けるのは気が滅入るし,せっかくの18きっぷなのだから,と途中下車をしたいと思いました。石山寺とか関ヶ原とか幾つか候補が思いつきましたが,前日に図書館で偶然立ち読みした『世界』(岩波書店)8月号のなかで取り上げられていた図書館に行ってみることにしました。虫賀宗博さんの「自殺したくなったら,図書館に行こう―いのちを育てる図書館員の群像」という記事です。誤解を招かないように言っておけば,別に自殺をしたくなったわけじゃありません。「いのちを育む図書館」ってどんなんかな,と思って行ってみたくなっただけです。それにしても「行こう」と言われて,次の日本当に行ってしまうなんて,自分でもバカ正直だと思います…。
新快速で米原から13分,京都からなら40分弱。能登川町は人口23000人,琵琶湖東岸に位置する静かな町です。能登川駅に着いたのは15時過ぎ。図書館は18時までやっているので,まずは駅の東側を散策です。とりあえず善勝寺と北向岩屋十一面観音というのを見に行こうと思いました。しかし,地図をあまり見ず勘を頼りに歩いていたら,目的の寺がなかなか見つからず30分のロス。ようやく「→善勝寺」の看板を見つけ,小道を入り急な坂を登ると善勝寺がありましたが,なんだか普通のお家みたい。ちょっと予想とちがうなあ。
岩屋十一面観音は善勝寺の裏山を登ったところにあるようです。熊野・那智で,もはや無闇に石段は登るまいと心に決めたにもかかわらず,今日はひとりでも急な石段を登っています,これは業なのでしょうか。「急坂を息を切らして登りきて 観音さまに会うぞ嬉しき」という,人の心を見透かして励ましているのか嘲笑っているのか分からぬ歌碑を横目に坂を登りきると,山の頂上に岩屋十一面観音がありました。この観音は,伝えによると,坂上田村麻呂が鈴鹿の鬼賊討伐を祈願した際に安置したものということです。観音は小さくてあまりよく見えなかったけど,山頂からは能登川町と琵琶湖が一望でき絶景でした。
山を下って,今度は駅の西側にある図書館へ向かいます。図書館は「総合文化情報センター」といって町立博物館も併設された施設にあります。駅からまっすぐ徒歩で20分くらいでしょうか。田園と家々とが広がるのどかな風景のなかに,図書館はありました。
図書館のなかは,虫賀さんの文章にもありましたが,書架が全て低く,開放的な印象を受けます。キッズルームや畳の部屋(!)もあり。観葉植物の鉢植えが置かれ,織物が飾られています。かすかなピアノ音楽(フジ子・ヘミングか?)に混じって,となりの博物館で飼育している鈴虫の鳴き声が聞こえてきます。
各所に職員さんの工夫が凝らされています。特集コーナーはもちろん,関連する新聞記事の切り抜きがあちこちに置かれています。各新聞の書評欄はファイルされて閲覧できるようになっています。絵本・児童書は洋書も含め充実しています。さらに驚いたのは,○○文庫の多さ。さまざまな人から寄贈された本があちこちの書架を占め,独特の世界を創りだしています。
そう,本の一冊一冊が一つの世界だとしたら,図書館というものは,それら諸世界から構成された生ける宇宙なのです。ここでは,ボルヘスなどを引き合いに出さなくとも,それが実感できるような気がします。それ故,それ自身が豊かな生命を持つようになった図書館は,疲弊した魂に,押し付けがましくなく静かに,手を差し伸べているのです。新たな本との邂逅は,閉塞した魂に風穴を開け,生命のつながりの中へと人を連れ戻すでしょう。
しかし全体として,「変わっている」「すごい」という印象は受けませんでした。どの工夫も大がかりなものではなく,自然体のものです。恐らく他の図書館でもできることなのでしょう。しかしこの細やかな配慮が,ともすれば役所然とした威圧感を与えがちな図書館に,生の息吹を吹き込んでいるのだとも言えましょう。
ところでいま,図書館行政には今いろいろな課題が山積しているといいます。あまり詳しくは知りませんが,東京都立の図書館も岐路に立たされているようです。能登川でも一例を挙げれば,能登川町は平成18年に東近江市と合併するとのことですが,それに伴い,これまで行われていた安土町民への貸出が停止になるそうです。些細なことかもしれませんが,合併後の図書館サービスに変化があるか否かは,気になるところです。
新快速で米原から13分,京都からなら40分弱。能登川町は人口23000人,琵琶湖東岸に位置する静かな町です。能登川駅に着いたのは15時過ぎ。図書館は18時までやっているので,まずは駅の東側を散策です。とりあえず善勝寺と北向岩屋十一面観音というのを見に行こうと思いました。しかし,地図をあまり見ず勘を頼りに歩いていたら,目的の寺がなかなか見つからず30分のロス。ようやく「→善勝寺」の看板を見つけ,小道を入り急な坂を登ると善勝寺がありましたが,なんだか普通のお家みたい。ちょっと予想とちがうなあ。
岩屋十一面観音は善勝寺の裏山を登ったところにあるようです。熊野・那智で,もはや無闇に石段は登るまいと心に決めたにもかかわらず,今日はひとりでも急な石段を登っています,これは業なのでしょうか。「急坂を息を切らして登りきて 観音さまに会うぞ嬉しき」という,人の心を見透かして励ましているのか嘲笑っているのか分からぬ歌碑を横目に坂を登りきると,山の頂上に岩屋十一面観音がありました。この観音は,伝えによると,坂上田村麻呂が鈴鹿の鬼賊討伐を祈願した際に安置したものということです。観音は小さくてあまりよく見えなかったけど,山頂からは能登川町と琵琶湖が一望でき絶景でした。
山を下って,今度は駅の西側にある図書館へ向かいます。図書館は「総合文化情報センター」といって町立博物館も併設された施設にあります。駅からまっすぐ徒歩で20分くらいでしょうか。田園と家々とが広がるのどかな風景のなかに,図書館はありました。
図書館のなかは,虫賀さんの文章にもありましたが,書架が全て低く,開放的な印象を受けます。キッズルームや畳の部屋(!)もあり。観葉植物の鉢植えが置かれ,織物が飾られています。かすかなピアノ音楽(フジ子・ヘミングか?)に混じって,となりの博物館で飼育している鈴虫の鳴き声が聞こえてきます。
各所に職員さんの工夫が凝らされています。特集コーナーはもちろん,関連する新聞記事の切り抜きがあちこちに置かれています。各新聞の書評欄はファイルされて閲覧できるようになっています。絵本・児童書は洋書も含め充実しています。さらに驚いたのは,○○文庫の多さ。さまざまな人から寄贈された本があちこちの書架を占め,独特の世界を創りだしています。
そう,本の一冊一冊が一つの世界だとしたら,図書館というものは,それら諸世界から構成された生ける宇宙なのです。ここでは,ボルヘスなどを引き合いに出さなくとも,それが実感できるような気がします。それ故,それ自身が豊かな生命を持つようになった図書館は,疲弊した魂に,押し付けがましくなく静かに,手を差し伸べているのです。新たな本との邂逅は,閉塞した魂に風穴を開け,生命のつながりの中へと人を連れ戻すでしょう。
しかし全体として,「変わっている」「すごい」という印象は受けませんでした。どの工夫も大がかりなものではなく,自然体のものです。恐らく他の図書館でもできることなのでしょう。しかしこの細やかな配慮が,ともすれば役所然とした威圧感を与えがちな図書館に,生の息吹を吹き込んでいるのだとも言えましょう。
ところでいま,図書館行政には今いろいろな課題が山積しているといいます。あまり詳しくは知りませんが,東京都立の図書館も岐路に立たされているようです。能登川でも一例を挙げれば,能登川町は平成18年に東近江市と合併するとのことですが,それに伴い,これまで行われていた安土町民への貸出が停止になるそうです。些細なことかもしれませんが,合併後の図書館サービスに変化があるか否かは,気になるところです。
9月9日
烏相撲(上賀茂神社)
ピースおおさか
9月10日
イメージと解釈
京都大学大学院文学研究科21世紀COEプログラム
『グローバル化時代の多元的人文学の拠点形成』
「規範性と多元性の歴史的諸相」研究会
『グローバル化時代の多元的人文学の拠点形成』
「規範性と多元性の歴史的諸相」研究会