Epilogue1

「それで……? 出来の悪い無能力者《ポーン》は追い払ってくれたかい?」

赤い絨毯が敷かれた一室で、三十代後半と思われる男は一人でチェスを打ちながら呟いた。

「ええ、なんでも『親父に会わせろ。話がある』とかでしつこかったので、傷が残らない程度に傷めつけておきました」

それに答えたのは全身をグレーのスーツで覆うオールバックの女性。
コキコキと指の関節を鳴らし、その男の向かい側の席へと座る。

「ふん……残念だ。まったくもって……」

「今回の結果がですか?」

「いや、今回の結果には大方満足している。第六位を失ったのは少し計算外だったけどね」

では何が残念なのか、それを尋ねる前に男は言った。

「僕が言ってるのは、僕の遺伝子を含みながら何の役にもたたなかった駄駒、来のことさ」

ああなるほど、と女性は呟いた。
先ほど打ちのめして退けさせた一人の無能力者。
その少年は土原来。本名は風輪来で、この男、風輪縁暫の実子にも当たる少年だ。
この男にとって今回その息子はあまり役に立たなかったということなのだろう。

「では、今回の結果には満足しているとおっしゃられましたが、結局貴方の言う超能力者《レベル5》に到達した者は誰もいなかったんですよ。それで満足されたのですか?」

実戦経験により能力の成長を促す。
それが縁暫の立てた計画。今回の『アヴェンジャー』の仕掛けた抗争は全て計画通りとも言えた。

「ああ……満足さ」

しかし今回の騒動を通してレベルが上がった者はいない。ましてやレベル4からレベル5になんて。

「確かにレベル5に到達した者はいない。けれど今回の騒動により少なからず能力が強化された者はいるんだ」

縁暫はノートパソコンの画面を女性のほうへと向ける。
そこに映されていたのは監視カメラの映像だった。
表向きに設置されているものは全て坂東に破壊されてしまったので、この映像は秘密裏に設置されていた監視カメラが捉えたものだ。

破輩妃里嶺の風力操作範囲の広域化、越前豪運の樹系図の設計者《ツリーダイアグラム》が打ち出した予測をうち曲げる異常性、黒丹羽千責の原子よりさらに極小の電子への干渉。あとうちの生徒ではないが、一厘鈴音の操作対象数の増加と言ったところか」

それぞれの映像を見て縁暫は満足げに語るが、まだ女性には引っ掛かることがあった。
例えいくら能力が多少の変化を見せたといっても結局はレベル4の範疇だ。
ならレベル5を生み出すという観点で見ればやはり失敗、とても満足できるような結果ではない。

「そして君は一つ誤解をしてるね」

「誤解……ですか?」

縁暫の言葉に首を傾げる女性。
何を誤解しているのか、そう考えていると

「つまり、こういうことだ」

ガラガラガラ、と傾けられた盤上からチェスの駒がこぼれ落ちていく。
ちょうど白の駒が黒のキングにチェックした状態で。

「言っておくが、僕はたった一回の施行で結果がでると思ってはいない。一回やって望んだ結果が出なかったなら二回目をやればいいだけだろ? それこそ、このチェスのように何回も繰り返し、経験を積み重ねることで結果は少しずつ変動してくる」

「……また同じように騒動を起こす気ですか?」

「ま、そういうことになるね。ただ別に騒動でなくてもいい、駒達が死に物狂いで戦わざるを得ない環境を与えられればそれでいいさ」

「もしかしたら風紀委員がこの計画に気づくかもしれませんよ?」

「それこそ愚問だな」

縁暫は更地になったチェス盤に再び駒を並べ始める。
規則正しい配置を終えた所で、

「“この学園”というチェス盤で、“風紀委員”という白の駒は果たして掌握者《プレイヤー》である僕を倒すことは出来るかい?
それと同じ事だよ、所詮駒は駒でしか無い、倒せるのは視界に映る敵だけ。その上で操ってる者には届くどころか気づくことも出来ないだろうね」

「……」

女性は何も言わなかった。否、言えないといった方が正しい。
とある理由で警備員をやめ、行き場のない自分を拾ってくれたのはこの男だ。なら反感を抱いてはいけない。
たとえ元警備員としてこんな狂った計画を止めたいと思っても、それは全力で押しとどめなければならなかった。

「ああ……それと」

ポイ、と縁暫は女性に黒いモノを投げ渡した。
それを右手でキャッチした女性は手のひらに置いて、まじまじと確認する。

「これは……」

それは黒のキングだった。
チェスを行う上で必要不可欠な駒、全ての駒を指揮下に置き、自身が勝敗条件ともなりえる存在だ。
これがなければまずゲームを始めることすら出来ない。

「それは処分しといてくれ。上物だったがヒビが入ってしまってね。そうなればもはや価値がないガラクタにしか過ぎないからね」

「はぁ……」

女性はきまりが悪いように相槌を打つ。
やはりこの者は人間を人間として見ていない。実験用モルモットさえ遥かに遠い。自分以外の人間は、自分に左右されるだけの駒なのだ。

この黒のキングに傷はない。
しかし今回の結果をチェスに例えるのだとしたら黒は“アヴェンジャー”ということになる。
そしてキングは……

「しかし、あまり駒を動かしすぎると、すぐにすり減ってしまうからね」

縁暫は椅子から立ち上がり、窓から外の景色を眺める。

「第二ゲームまで、少し小休止をはさむとしよう」

しかしその瞳は景色を見るのではなく、ただの盤上を見つめるように冷めていた。
彼は笑おうとはしない。
ただ声のトーンを少し落として、淡々とこう語るのだった。





「――――風紀委員《彼ら》も、つかの間の勝利を噛み締める時間ぐらいは欲しいだろうしね」




Epilogue2


カツン、カツンとテンポよく床を鳴らす音が病院の廊下に響き渡る。
ここは病院のほうでも隔離された裏の世界。主に重度の精神異常をきたす患者が収容されている。

「本当に、いいのかい?」

共に歩く看護婦が心配げに声を駆けてきた。
それに答えるように、少女はキッパリと「はい」の一言を選んだ。

長く、薄暗い廊下。
通り過ぎる病室からは人間が発するとは思えない奇声が痛ましく聞こえてくる。

「“あいつ”も……あんな感じなんですか?」

少女はその奇声を耳から追い払うように尋ねた。

「あんなのまだ可愛いレベルよ。あの子はこれ以上に酷いものだわ」

少女はその言葉を聞いてすこし視線を落とした。

今少女が向かっているのは一人の少年のところ。
それは恋人ではなく、いうなれば最大の敵であり、自分が倒した相手でもあった。

「そんなに落ち込まないで。あなたのせいじゃないんだから。
それに、あんなことになったのも元はといえばあの子自身のせいでしょ。 今まで悪さしてきた分がここに来て祟ったのよ」

看護婦はなだめるようにそう言うが少女は何も聞いてなかったのか、反応はなかった。

「ほら、着いたわよ」

案内された場所は一番隅の個室だった。
カーテンが暗幕に変えられているせいか部屋の中は暗く、光が一切差さない漆黒に彩られた空間と化していた。
看護婦は電気をつけ、その空間に光りを与える。

「――――ッ!」

少女は目の前の光景に言葉が出なくなる。
まるで全身が凍りつき、身動き一つできなくなったかのようだ。

「風紀委員として、非人道的と思うかしら? でも悪く思わないでね。こうしないとこの子は死んじゃうの。死のうとしちゃうの」

釘付けにされた視線の先にはベッドで寝かされている少年がいた。
それもただ寝かされているのではなく、ゴム製のベルトのようなもので両足、両腿、腹、胸、両手。計八箇所もの部位を固定されているのだ。
こんなんなら今時の死刑囚のほうがまだまともな処遇を受けているのではないだろうか。

「黒丹羽……!」

ギリッと歯ぎしりをする少女。
それは同情からか、怒りからか、悲しみからか。なにが今少女の中に流れているのかわからない。

「起きるといけないから手早く済ませてね破輩さん」

「はい……」

少女の名は破輩妃里嶺。
今回起きた風輪学園の騒動に終止符を打った少女であり、目の前で寝ている少年を倒した人物である。
破輩がここに来たのは、ある調べ物のためだった。

あの騒動の後、『アヴェンジャー』の者全ては警備員の元へと送られた。けれど該当者が一人いなかったのだ。
その人物は一派を纏め『アヴェンジャー』の活動以外でも数えきれない悪事を働いていたはずの木原一善

一厘の証言によるとあの騒動の最中、第三グラウンドの土で埋めたといったが、そこに駆けつけた時にはもう木原の姿は無かった。
あったのは人が抜けだしたかのような大きな穴があいた砂山のみ。

破輩はあんな危険人物をそのまま放置するわけにもいかず、手がかりを掴むために、もっとも繋がりの強かったであろう黒丹羽に着目した。
もちろん黒丹羽がもうまともに会話できないことは知っている。
だから黒丹羽の携帯に遺された手がかりを見つけるため、こうして指紋認証を解除しに来たのだ。

破輩は目の前の少年を許したわけではない。
この少年が、今もまだ目を覚まさない厳原を重症にまで追い詰め、自分たちの学園をメチャクチャにしたのだ。
厳原はつい先日この少年によって全身の骨を砕かれた。
しかも場所はまったく人気がない路地裏だったため、警備員に匿名の通報がなければ間違い無く厳原は死んでいたのだ。

「この子、寝てる時はすっごい可愛らしいのにね。
あなた達が言うようにそんなに悪い子だったなんて、おばさん信じられないわ」

はは……と破輩は適当に笑って返す。
だが、心では笑っていなかった。

なにが信じられないだ。
こいつは自分と仲間を傷つけた人間だ。それが『悪』でないはずがない。

「じゃあ、はじめます……」

破輩は黒丹羽の指を掴むと携帯の認証機器に近づける。
その指は死体かと思うぐらいに冷たく、生気を感じさせなかった。

黒丹羽の携帯のロックが指紋認証によって解除される。
その携帯はほとんどが初期設定のままで、待ち受けも画面も、写真も、メールにさえ手が付けられていなかった。
残すとなれば受信履歴と発信履歴。
どちらもそこそこの数はあり、この中に木原へ繋がる電話番号も存在するかもしれない。
だが、破輩の目に止まったのは最新の発信履歴だった。

発信先は何故か警備員《アンチスキル》。そして時刻は――――

「うそだ……」

破輩の手から携帯がこぼれ落ちる。
カランカランと何度かバウンドして携帯は床に叩きつけられた。

そこに映しだされている時刻は厳原が倒れてると匿名の通報があった時刻と同じだ。
と言うことは、この匿名の通報はこの少年がしたというのか。
自分で手を下しておいて、なぜそんな真似を。

「くっそ……訳が分かんねえ」

もしも。

もしも厳原を潰したのがこの少年だとないとしたら、自分はなにか大きな間違いを犯してしまったのではないだろうか。

自分は怒りに任せてこの少年を屋上から吹き飛ばした。
もちろん殺す気はなかったのでそのあとは気流を操作し、ゆっくりと地面に落とそうとしたのだ。
なのにその途中でこの少年は消えてしまった。白高城天理の座標回帰によって。

その後、どういう過程でこの少年が自殺しようとしたのかはわからない。
しかしあの時、もう少し自分が頭を働かせておけば――――

「くそ……くそ……くそッ!!」

あの男が言った『冷静でいろ』という言葉をいつの間にか自分は失念していた。
仲間を思っての行動なら、冷静さなど無くてもいいと心のどこかでは思っていたのかもしれない。



「う、う……あ」

そんな時、今まで瞳を閉じ続けていた少年が目を開いた。

「あ……あ、う……あ」

焦点が定まらず常に瞳孔が開いている目は辺りをキョロキョロと見つめると、

「うあァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッッ!!!!!」

突如として、発狂じみた叫び声をあげた。
ギチギチと彼の身体を押さえつけるゴムのベルトがなり、今にも暴れだしそうな勢いで少年はベッドを振動させた。

「殺せ! 殺せ、殺せ、殺せ!!! 早く……俺を殺せェェェッ!!」

かつての落ち着いた面影はなく、そこには自殺衝動に狩られ暴走する少年の姿。

破輩はこの少年をこんな風にしたのは自分のせいではないかと思えてきてしまった。
守るべきはずの学園の生徒、鉄枷の言う通りそこに善も悪も関係ない。本当は救い上げるのが自分たちの役目ではなかったのか。
なのになぜ壊してしまった、壊れてしまった。

「あら、もうクスリが切れたのかしら? ええと精神安定剤は……どこにしまったかしらね」

看護婦はなんの同様も見せず叫び続ける少年の隣で悠然と棚を漁っている。

そんな光景を見て、この少年はもう人間としては扱われていない、そんなことを破輩は察した。

「ああ、用事が済んだならさっさとかえって頂戴。ご覧のとおり邪魔になっちゃうからね」

看護婦に出ていくよう促され破輩はそのまま部屋を後にする。

あれだけ厚い壁に仕切られてるはずなのに少年の絶叫は未だに聞こえてきた。

破輩は残された携帯を強く握りしめ、この場から立ち去る。
振り払っても聞こえてくる少年の叫び。目をつぶっても浮かぶあの光景。
破輩はそんなことから一刻も早く逃げ出したかったのだ。

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最終更新:2012年08月02日 18:45