朝日は昇り、新しい1日が始まる。ここ小川原学生寮の一室に住む
焔火緋花と
焔火朱花は、軽めの朝食を取っていた。
「(ボ~)」
「(・・・・・・)」
焔火姉妹がこの一室で生活するようになってから、家事全般は姉である朱花が担っている。今日は今まで続いていた真夏日とは違い、比較的雲の多い天気であった。
但し、暑さには殆ど違いは無いので、今日も今日とて朝食は軽食で済ましていた。
「(ボ~)」
「(『マリンウォール』で、あの啄って人と会ってからずっとこの調子・・・というか更に酷くなってる。
ここの所、ずっとカラオケに通ってるみたいだし。マズイ・・・これは非常にマズイ・・・!!)」
しかし、それを差し引いても最近の食事は大雑把な物となっていた。特に、今日は食パン2枚のみという簡素さ。
家事を担っているせいか食事作りにもうるさい朱花にしては珍しい献立。その原因が、朱花を褒め称えていたあの啄鴉にあると焔火は睨んでいた。
簡潔に言ってしまえば、己の姉があの“変人”に淡い想い・・・どころか深い想いを抱いてしまっている可能性が高いのだ。
「パンの耳・・・ロバの耳・・・王様の耳・・・・・・フフッ」
「(ひ、人の恋路を邪魔しちゃいけないのはわかってるんだけど・・・で、でもあの人はさすがに・・・)」
自身恋する乙女・・・というか昨日告白したばかりの焔火が言えた口では無いのは当人もわかっている。
だが、あの男が姉の隣で意味不明な高笑いをしている将来像を思い浮かべると、どうしてもゲンナリしてしまうのだ。
「(拳とのことは私が成長してから待ちだから、すぐにはお姉ちゃんを説得できないんだよな。盲点だった。う、う~む・・・むむむ・・・)」
「・・・・・・愚妹。時間、時間」
「へっ!?あ、もうこんな時間!!」
内心であーだこーだ考えていた焔火に朱花が注意する。時計の針は、風紀委員会で定められている出席時刻に間に合うか間に合わないかの位置を指し示していた。
「・・・今日も1日頑張って来なさい。・・・あぁ、そうだ。・・・“午後”から出ると思うから・・・忘れ物とかあっても届けには行けないから」
「今日も!!?・・・・・・あっ、時間!!・・・わ、わかった!!それじゃあ、行って来ます!!!」
そう言って焔火を見送る朱花。騒がしい妹に苦笑い・・さえも浮かべずに台所へ向かい、無表情で洗い物を済ました後に一息吐く。
今日は、“午後”から出ることになっている。あそこに“1人”で行かなければならない・・・そう命令されたから。焔火に“午後”から外出する旨を伝えるよう命令されたから。
「・・・今日は・・・・・・どうなるかな?」
今の彼女の瞳を言葉として言い表すのならば・・・虚ろ。
「キョウジ!!今日も、帰ったら『シークハンター』へ一緒に行こうネ!!」
「いいけど、今日からは夜間活動が解禁されるから行けても少ししか無理だぞ?俺も疲れてるし」
「それは、もう何回も聞いてるヨ!!少しでいいんダ!!だから・・・ネ?」
「・・・あぁ。わかったよ」
「ヤッタァー!!!」
所変わって、初瀬宅では
電脳歌姫と初瀬の賑やかな会話が繰り広げられていた。学生寮から成瀬台まではそう離れていないので、ゆったりと朝食を取れるのだ。
「これも口酸っぱく言ってるけど、仕事中は『ハックコード』の中で大人しくしといてくれよ?」
「わかってるっテ!!まぁ、キョウジが何を喋っているとかはずっと聞いてるけド!!というか、キョウジって仕事中は無口か質問やツッコミばかり口に出してるネ?」
「ブッ!!そ、そこまで聞いてるのか・・・!!?」
「モチのロン!!」
こうやって、家で誰かと話しながら朝食を取るのは何時以来のことか。だが、それも案外悪くない。いや、心地良いとさえ感じられてしまう温かさがあった。
これは、決して夏の暑さとかそういうモノでは無い。これは・・・
「・・・・・・」
「ン?どうしたの、キョウジ?急に黙っちゃっテ?」
「んん?いや、何でも無い。・・・そろそろ時間だな。行くぞ、姫!」
「応!!」
食器を片付けた後に、歌姫を連れ立って家を後にする初瀬。そんな彼の顔は、何処か穏やかなモノとなっていた。
「しかし・・・美魁の『皆無重量』で通うこの感覚は、中々に慣れませんね」
「まだ慣れねぇのか、牡丹?心配しなくても、下からスカートの中を覗かれることは無ぇから安心しな!!」
「ッッ!!!わ、私はそういう意味で言ったのでは無くてですね・・・」
「じゃあ、どういう意味なんだよ?」
「そ、それは・・・その・・・」
「美魁。余り牡丹をからかわないの」
「相変わらず、撫子は冷静だなぁ。もし、下から男共に覗かれたらとか思わねぇのか?」
「気にならないなぁ。羞恥という感情なのは頭で理解できるけど、実感としては殆ど湧かないね」
「(相変わらず・・・)」
「(感情が希薄・・・ですね。特に、自分自身に対する感情は)」
また場面は変わる。今度は上空。飛んでいるのは花盛支部の面々。彼女達は、閨秀の『皆無重量』を用いて成瀬台へ通学していた。
お金に困る人種では無い彼女達が何故『皆無重量』に頼っているのかというと、ひとえに早く着くからである。女性の朝の身だしなみには、時間が掛かるものなのだ。
「・・・まぁ、牡丹もいい加減慣れろって話だっつーの!抵部とかは速攻で慣れたよな?」
「はいー!!宇宙空間にいるみたいで最高ですー!!」
「莢奈は単純だからねぇ。こういうのに慣れるのも早いのかも」
「月理ちゃん、ひどーい!!じゅんのうせいが高いって言ってよー!!」
「抵部さんの順応性の高さに関しては、私も見習わないといけないですね」
「さすがかおりん!いいこと言う!!」
高1グループの抵部・渚・篠原が、口やかましくも温かい応酬を繰り広げる。これは、彼女達の何時もの日常である。
「グ~グ~」
「冠先輩・・・よく寝ていられますね。・・・ハッ!こういうのを豪胆と言うのかも!!」
幾凪の隣で眠りこけているリーダー冠。空中で寝るというのは、一体どんな感覚なのだろうか?そう好奇心から湧き出す疑問を、幾凪は心の中で感じていた。
「おっ!成瀬台が見えて来たぜ!!そんじゃあ、今日も張り切っていこうぜ!!」
「「「「「「おおおぅぅっ!」」」」」」
「グ~」
約1名だけ寝息だったような気がするが、とにもかくにも気合いを入れる花盛支部の少女達・・・が通り過ぎて言った真下に数名の人物が集まっていた。それは誰かと言うと・・・
「戸隠が雲隠れしたのはこちらに尾行に気付いたためか、他の仕事ができたのか・・・」
「あるいは、その両方・・・と見ていいだろう」
「まぁ、そのおかげで固地もひとまずは自由に動けるようになったがな」
「この動き・・・何か匂う的よね・・・」
喫茶店で軽い朝食を取っている雅艶・固地・麻鬼・峠の4名。彼等は、今後の方針について話し合っている所であった。
「そうだな。こちらの動きに勘付いたにせよ、別の仕事が発生したにせよ、何らかの行動を新たに連中が取る可能性はある。固地。俺が模写したあの男の素性はわかったか?」
「あぁ。名は
西島放手。『加速弾丸』という念動力系の能力で、半径3m以内の固体を前方に加速させ発射できる。今はもう学校も退学しているようだ。
そして・・・この男はかつて友人や恋人から瀕死の重傷を受けた。そいつ等は、所謂無能力者狩りでな。西島は友人達を止めようと説得したんだが、返り討ちを喰らったそうだ」
「・・・酷い話ね」
「確かに酷い話だ。そして、その後西島は学校を退学し、スキルアウトのような人種と付き合うようになったとデータには残っている。1、2回警備員によって補導もされている」
「・・・つまり、西島が現在『
ブラックウィザード』に身を置いていても不思議じゃ無い・・・ということか?」
「その通りだ、雅艶」
「・・・仕方無いこととは言え、あの時西島の方にも気を払っておくべきだったか」
固地の説明を受けた雅艶や麻鬼が歯噛みする。『ブラックウィザード』の関係者であるかどうか定かでは無い中、戸隠の監視を外すわけにはいかないと考えその場を動かなかった2人。
だが、発覚した可能性を考えると西島の方に付いていた方がよかったのかもしれないとどうしても考えてしまうのだ。
「過ぎた的なことを言ってもしょうがないわよ。私達にできることは、その過ちを繰り返さないように頑張ることだけよ」
「・・・さすがは経験者。説得力が違うな」
「ッッ!!う、うるさいわね。雅艶。あなたには関係無いわよ!・・・そうだ。経験者的で思い出した。麻鬼・・・」
「ん?どうした?」
「あなたが、“風紀委員の『悪鬼』”と行動を共にしているのが今でも不思議で仕方無いんだけど?あれだけ風紀委員や警備員を毛嫌いしていた筈のあなたが・・・」
「・・・言っておくが、今でも固地のことは嫌いだぞ?認めてはいるがな」
「はっ?意味がわかんないんだけど・・・」
峠は麻鬼の言葉をうまく飲み込めない。嫌いなのに認める。この手の思考は、大抵複雑であると相場が決まっている。
「それは、俺の口から説明しよう」
「雅艶・・・」
「麻鬼に固地を紹介したのは俺だ。ギブアンドテイクの関係として。と言っても何ヶ月も前の話だが。その時の麻鬼は、問答無用で固地を嫌っていた。風紀委員という理由だけで」
あの時麻鬼が浮かべた猛烈に嫌そうな表情は、今でもすぐに思いだせる。当時の麻鬼は―初めて会った頃も―風紀委員・警備員という括りだけで全てを判断していた。
雅艶自身は、風紀委員に対して通常はそこまで嫌っているわけでは無い。協力関係を結んでいるくらいである。そんな彼は、初めて出会った頃の麻鬼から良く思われていなかった。
「それが変わり始めたのが、穏健派の連中とぶつかった辺りからだ。厳密に言えば、固地が休暇前まで指導していた風紀委員と戦闘して以降・・・だよな?
何せ、全体的には穏健派に俺達は敗北したって形だ。どうしても、自分達の行動に不備が無かったのか振り返りたくなるもんだよな?」
「・・・・・・」
麻鬼はしばし無言を貫く。
『俺からしたらよぉ、テメェの方が風紀委員ってヤツに縛られている風にしか見えねぇけどな。テメェに人のことが言えんのか、あぁ!?』
同じ過激派救済委員の“不良”の言葉を思い出しながら・・・彼は口を開く。
「かつての俺は、風紀委員や警備員というだけで全てを毛嫌いして来た。今も、両者を嫌っているのは間違い無い。だが・・・俺も拘り過ぎていたとも思う。
耳目を塞いでいては、俺が嫌うお役所仕事しかしない連中と同じだ。俺も、知らず知らずの内にそれに嵌ってしまっていた。
だから、俺は組織という枠組みでは無く個人としてその人間を量ることにした。例え、それが風紀委員であったとしてもだ」
「ふ~ん。で、そのお眼鏡に固地は叶った的なわけ?」
「そうだ。穏健派との衝突以降、固地とは何度か意見交換の場を持った。雅艶の仲介でな。その折に、固地とは激論を交わした。そして、この男は俺の言葉を全て迎え撃った。
組織の表裏を知って尚、その場に留まり奮闘する。かつての俺には選ぶことができなかった選択だ。まぁ、救済委員(いま)の選択に後悔は無いがな」
“とある事件”を境に風紀委員を辞めた麻鬼にとって、固地の活動にはほんのちょっとの羨望を抱かされたのは事実であった。かつての自分が選べなかったこと。
本当は・・・選び続けたかったこと。だが、選べなかった。その選択に後悔は無い。だが・・・未練の1つくらいはどうしても出て来る。
「指導・・・か。フッ・・・焔火を扱き下ろすように依頼して来たのも、それが要因だったのか?」
「・・・そうだ、固地。それは試金石でもあった。お前に対する俺の評価が変わるかどうかの・・・な。そして、評価は変わった。激論を交わし、それは確実なモノとなった。
お前は『本物』だ。あの『偽善者』共の内部で、己が信念を貫き通している。俺は風紀委員としてでは無く、1人の人間としてお前を認めている。
風紀委員のままというのには不満はあるがな。こればかりは、如何ともし難い」
「・・・俺自身は、自分を『本物』とは思っていないがな。まだまだ修行不足だ。それにしても・・・焔火の思いは、アンタに少しは影響を与えたようだな?
雅艶から少しばかり聞いたぞ?かつてのアンタは、正義感に燃える風紀委員だったとか。俺への依頼も、その辺りの複雑な感情が入り込んでいそうだな」
「・・・・・・」
「・・・まぁ、俺には関係無い話か。あの女が、俺が『不在』の中どれだけの働きを示せるのか・・・見せて貰おう」
麻鬼が無言で返答し、固地も頃合いと見て話を打ち切る。今の彼等には、優先するべき事柄がある。
「・・・固地。今後の方針は、どう考えている?」
「基本的には、雅艶の『多角透視』による巡回だろう。その中で戸隠や西島、他の構成員を捉える。夜になれば、峠の『暗室移動』も活用できる。足で稼ぐ・・・か。捜査の基本だな」
「・・・それにしても、こうまで情報が乏しいとはな。組織の一部が暴走していると見て取れる可能性もあるというのに。粛清されたか?全く、一体どんな手を使っているのやら」
「私も麻鬼に同感。色々調べてるけど、未だに薬の取引現場を捉えたことは無いのよね。まるで、売買してることが真っ赤な嘘みたいに」
基本的な方針が決定した後に、麻鬼と峠が愚痴を零す。『ブラックウィザード』が売り捌いているとされる薬の現場の情報を、未だに捉えられていないことに対する怒り。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
それを改めて口に出された・・・・・・瞬間から“ある可能性”に気付き、思考を巡らせる別の2人。それは盲点であった可能性。『有り得ない』・・・そう考えていた可能性。
「・・・雅艶」
「・・・可能性は・・・ある!」
「えっ?な、何のこと?」
「・・・・・・もし、一般人に薬を売り捌いていること自体が真っ赤な嘘だったら・・・どうだ?」
「!!!」
「そうか・・・!!!」
固地が口に出した仮定に峠は驚愕し、麻鬼は唸る。
「『ブラックウィザード』は巨大なスキルアウト組織。そんな連中なら、隠蔽工作にも長けている筈。現に、俺達救済委員でも連中の本拠地は未だに突き止められていない。
薬の出所も含めてな。だから、取引現場も捉えられない。そんな・・・“先入観”があった。くそっ・・・何故こんなことに考えが及ばなかった・・・!!?」
「・・・花盛の一般生徒に薬物中毒者が出た。あの“変人”の見立てでは、『ブラックウィザード』殲滅を依頼された殺人鬼に対する対策だ。俺も、その見立てには同意する。
だが、それ以降は少なくとも“表”の住人に対する薬物被害は報告されていない。出てきたのは、一般人に薬を売り捌いているという噂だけ・・・。
実際に
花盛学園に通う生徒に被害が出たことと殺人鬼の実力から、その噂には信憑性が存在した。だから、それに応じて捜査を展開して来たが・・・“誘導されていた”可能性があるな・・・!!」
今度は、雅艶と固地が歯噛みする。雅艶は、救済委員として『ブラックウィザード』の動きには自分なりに注意を払っていた。固地は風紀委員として。
だが、もしこの可能性が正しいのならば、自分達は『ブラックウィザード』のいいように踊らされていたことになる。
「・・・雅艶」
「・・・まだ、可能性の段階だ。これについては、きっちり調べる必要がある。まだ、一般生徒を狙っていないという保証は無いからな。そうだろ、固地?」
「あぁ。だが、有力な可能性の1つとしては考慮しておかなくてはな。・・・行くか」
「「「(コク)」」」
風紀委員+救済委員というタッグは、喫茶店を後にする。発覚した可能性に心中穏やかでは無い彼等には、何時までも止まっていられる余裕は存在しなかった。
「蜘蛛井さん。“決行”作戦は、どんな感じですか?」
<とりあえず、徐々にって言った所かな?今日1日全部使っての回収だからね。この時間帯からは、そう派手には動けないさ。
今の所は・・・約20人回収済。回収予定人数は、全部で200人程。露見しやすい規則に厳しい学生寮の生徒は狙っていないし、中には『置き去り』も居るし、丁度夏休みだからね。
どっかに泊りがけなんてのはよくあることだし、家出なんてケースも学園都市では日常茶飯事だし。知り合いが通報したとしても、散発になる筈だ。証拠隠滅もバッチリ対策済だし。
片鞠や江刺の出番はまだ後なんだから、気を楽にしときなよ。あぁ、そうだ。連行場所については追って知らせるよ>
「りょ、了解っす!・・・はい、はい。・・・では(ピッ)」
「・・・蜘蛛井さんは何て?」
「今の所は順調だって。にしてもよかったねぇ、江刺。落とした携帯電話が見付かって。もし、あのまま見付からなかったら、今頃は“手駒達”行きだったかもな」
「・・・だな。伊利乃さん様々だよ、ホント。寿命が縮まるかと思った」
ある倉庫の中で小さく会話しているのは、『ブラックウィザード』の片鞠と江刺。彼等も、今回の“決行”作戦の現場に参加することになっている。
「伊利乃さんは、色々気が利くからなぁ。さすが、『ブラックウィザード』のアイドル的存在!!」
「ファンも多いしね」
「あのプロポーションに魅せられて突っ込んで行った数々の男が、全て返り討ちを喰らったのは語り草だよな」
「中には、伊利乃さんにお仕置きされたいから突っ込む猛者も居るし」
「それにしても、マスクやサングラス装備のお前を見てるとこっちまで暑くなってくるよ」
「俺だって好きでやってるわけじゃ無いし。すっげぇしんどいし」
「・・・」
「・・・」
「「ハハハ」」
若干乾いた笑い声を交えながらずっと話し続けている少年達。これは、来るべき時に緊張しているが故の言動である。少しでも、この緊張を紛らわせるために。
「・・・うまく行くかな?」
「・・・行くんじゃないか?これだけ用意周到に準備してるんだし」
「・・・だといいな」
「・・・あぁ」
所詮下っ端でしか無い彼等にはどうすることもできないこと。だからこそ、どうしても不安という感情を抱く。これからどうなるのか。それは、今の彼等には知る由も無い。
「リーダー!!退院おめでとうございます!!」
「何よ、改まって。入院って言ったって数日程度だしそんなに騒ぐ程じゃ無いって、緋花。それより・・・稜?」
「ギクッ!!」
「ゆかりから聞いたんだけど、あなただけ176支部(ウチ)に課せられた事務仕事をほったらかしにした上に道草を食ってたって?」
「え、え~と・・・」
「ムフフッ。今日からは、緋花と一緒に稜にも指導を施さないといけないみたいね。ムフフッ」
「加賀美先輩・・・変わらぬそのお美しさ、眼福レベルを遥かに超越した神々しさです!!ありがとうございます!!(女性限定)」
風紀委員会が設置されている
成瀬台高校に、数日前の一件で入院していた176支部リーダー加賀美が姿を現した。
体も全快しており、捜査に何の支障も無い状態の復帰は戦力的な意味でも重要なことであった。
「いいわね、稜?」
「・・・了解。・・・・・・そ、それと・・・」
「うん?」
「・・・この前は勝手な行動を取って・・・・・・すみませんでした」
「!!!」
加賀美は、神谷が頭を下げて謝罪する姿に瞠目する。普段なら、まずお目に掛かれない姿だった。
「「「「「(せ~の)・・・すみませんでした」」」」」
「あ、あなた達・・・!!!」
次いで、焔火・斑・鏡星・一色・姫空も己がリーダーに謝る。これはケジメ。自分達の軽率な行動が招いた結果に対する、絶対に疎かにしてはいけない“線引き”。
「加賀美先輩・・・皆も反省しています」
「ですから・・・その・・・」
鳥羽と葉原が、口ごもりながらも許しを請う。
「・・・プッ。・・・わかってるって。皆の気持ちは・・・“痛い”くらいにわかってる。ま、まぁ、頼りないリーダーだけど・・・これからもよろしく・・・してくれる?」
「「「「「「「「はい!!!!!」」」」」」」」
それ等の思いをリーダー足る加賀美は理解する。焔火から話の断片を聞いた時も思ったが、椎倉が神谷達をしっかり叱ってくれたことで彼等は反省することができた。
本当は自分の役目。自分がこれから為していかなければならないこと。逃げるわけにはいかない。だからこそ、現時点での自分の思いを素直に打ち明ける。
そして、リーダーの正直な吐露に部下ははっきり応える。嬉しいと・・・確かに思った。こういう関係をずっと築いていきたい・・・そう思った。
「・・・ありがとう。・・・あっ、時間が・・・。さっ、もうすぐ活動前の朝会が始まるから行こっ!!」
時計は、後数分で朝会が始まる時刻に針が達することを表していた。故に、加賀美は部下達を会議室へ向かわせるための指示を出す。
彼女の号令を受けて、部下達は会議室へと足早に向かう。そんな流れに逆らうように・・・
「・・・退院、おめでとうございます」
「・・・双真・・・!!!」
1人だけ加賀美と共に歩を進める部下が居た。『ブラックウィザード』の1人・・・
網枷双真。
「・・・これで、僕も負担が軽くなりますよ。慣れない仕事のせいか、ここ2日間は余計な仕事ばかり増やしてくれましたから」
「・・・そう」
「病み上がりで辛いかもしれませんが・・・“頑張って下さい”」
「・・・・・・・・・えぇ。そうさせて貰うわ」
空々しい。虚しい。普通に聞けば、それは単なるリーダーと部下の会話である。だが、主観的にはそれはリーダーと部下の会話では無い。そう、これは敵同士の会話である。
「(・・・痛いなぁ。すごく心が痛い。まさか、こんな会話のやり取りをする日が来るなんて思わなかった。・・・自業自得だけど)」
入院中に椎倉にはコンタクトを取った・・・というよりは、椎倉が秘かに病院へ来訪した。網枷が焔火達と一緒に加賀美へ見舞いに行ったことが気に掛かっての行動であった。
その折りに、椎倉には網枷の件について打ち明けた(“カワズ”云々は話してはいない)。先程神谷に言った言葉は、加賀美に対する網枷側のアクションを警戒した椎倉の指示である。
“剣神”神谷を指導という名目の下、常に傍へ置いておけば向こうとしても迂闊な手出しはできない。そう考えてのことである。
「(本当は稜を巻き込みたく無い・・・というか、私自身の手でケジメを着けたいんだけど、そういうわけにもいかないか。あの人が言ってた通り、全体的なリスクが大きいし。
ここからは神経戦。どっちが我慢し続けられるか。慎重に、慎重に双真の動きを見極めないと。いざという時は・・・・・・この命を懸けて双真を止める!!!)」
加賀美は、悲愴な決意を胸に宿す。そんなリーダーの思いを全く気にしていないかの如く、隣を歩く網枷はそれ以上の言葉を発さずに黙々と歩を進めた。
「えっ!?それはどういうことですか、橙山先生!!?」
活動前の朝会で、花盛支部の六花の声が会議室全体に突き刺さる。そんな大声を出した理由は、顧問である橙山が説明したある調査結果にある。
「どういうこと・・・と言われてもっしょ!今の所は、そういう調査結果が出てるっしょ!!」
「『「紫狼」は、既に解散している』・・・か。界刺の情報は間違っていたのか・・・あるいは古い情報だったということか?」
椎倉が首を捻るにも無理は無い。件の殺人鬼を雇っているとされているスキルアウト『紫狼』が、何と解散しているという報告が挙がっているのだから。
「何でも、今年の4月アタマに『紫狼』のリーダーを務めていたとされる男が何者かに襲撃されて生死を彷徨う重傷を負ったみたいっしょ!!
それで、幹部の誰かが新リーダーになって拡大路線を取ったのはいいけど、急な方針転換に反発した幹部同士で衝突があったみたいっしょ!!」
「俺も(力尽くで)スキルアウトの連中を締め上げたりして聞き出したんだが、その衝突が切欠で『紫狼』は解散したらしいとそいつ等は証言している。
件の傭兵を雇って『ブラックウィザード』に喧嘩を売ったこと自体が衝突の原因じゃないかって噂も多い。ここ数ヶ月は一切集まることも無くなったのは本当のようだし」
「・・・その前のリーダーって誰かはわかってるんですか?」
「元々『紫狼』は小規模、よくて中堅に片足を突っ込んでいる状態の比較的小さなスキルアウトでな。
カツアゲとか万引きとか、その程度・・・と言っては語弊があるが何処にでも居る不良共が一種のコミュニティの場として集まっていた程度だった。
だから、関係の無い人間に知られているような知名度も無い。『ブラックウィザード』とは、また違った意味で情報が枯渇していると言える」
「つまり・・・わからない・・・ですね」
「あぁ」
六花は緑川の説明を聞いて溜息を吐く。有名では無いというのも、また別の意味で厄介である。こういう情報を渇望している時は、余計に強く感じられる。
「それじゃあ、あの殺人鬼は何で今も『ブラックウィザード』を狙ってるんだ?確か、あの野郎は言ったぞ?『俺の依頼主は、今の段階では余り派手な戦闘を好まないようだ』って」
「稜・・・。そうだなぁ・・・例えば、解散状態にある『紫狼』を再建するために新リーダーが傭兵を使って『ブラックウィザード』を倒したっていう事実を作りたいとか?」
「エリートである私の見立てでは、加賀美先輩の予想は妥当性を持つモノだ。他にも、『紫狼』とは関係無い別の依頼主から『ブラックウィザード』の殲滅を依頼された可能性もある。
何せ、今の『紫狼』は解散しているそうだからな。内部衝突時に、新リーダーが処分された可能性も否定できない」
「そうか・・・。もし依頼主が内部衝突で命を・・・・・・落としていた場合は契約そのものが成り立たなくなりますからね」
神谷・加賀美・斑・葉原の疑問・推測は、いずれも一定の妥当性を持ったモノだった。それを受けて、風紀委員会を統括する椎倉は思考を纏めて行く。
「(・・・界刺の言う通り、あいつも『ブラックウィザード』や『紫狼』のことを全て知っているわけじゃ無い。掴んだ情報が古かったり、その情報が虚偽の可能性もある。
しかし・・・そうなると、益々あの殺人鬼への対策が難しいな。依頼主が誰なのかさえわからなくなって来た現状では、どうにも手詰まりだ。
なるようにしかならないという言葉は余り好きじゃ無いが・・・こればかりは本当にそうなるかもしれない。そういう意味では、まだ『ブラックウィザード』の方がマシだな)」
巨大な不確定要素は、文字通り不確定過ぎて対策の打ち用が無い。こればかりは、運に任せるしか無いのかもしれない。
「とりあえず、殺人鬼と『紫狼』についてはもうしばらく警備員主導の調査をして貰うつもりだ。俺達風紀委員は、『ブラックウィザード』への対処に全力を注ぐ。
今日からは夜間活動も解禁だ。各自気を引き締めて当たってくれ!!」
「椎倉。事前に言った通り、捜査範囲拡大のために今日までは178支部全員が外回りに出るぞ?もう一度確認しておくけど」
「わかってるよ、浮草。頑張ってくれ。では解散!!」
椎倉は、現状の方針を皆に再徹底した後に活動開始の―そして、自分自身に向けてでもある―檄を放つ。加賀美の件もある。内通者に自分達の深意に気付かれた可能性は低くない。
とは言っても、固地がその前から気付いていたのだ。その中で堂々とスパイ活動を行っていたのだ。妨害らしい妨害をせず、慎重に徹し、じっと身を潜めているのだ。
証拠も無く、有力な情報も集まらない中、自分達も含めた双方がすぐさま活発に動き出すとは考え難い。加賀美の件も同様に。そんなことをすれば、手の内を晒すも同然だ。
その観点から見ると、不利なのは個人で動いている網枷の方である。あの固地でさえ疲弊し、ミスをしたのだ。疑心暗鬼という環境は、網枷にも確実にダメージを与えている筈だ。
自分達は警備員との協力の下、組織である『ブラックウィザード』への警戒も怠っていない。成瀬台周囲の警備網も、警備員主導で当初より増強している。
だが、網枷が内通者であるという事情は、今まで知らされていない他の風紀委員にも伝える時期には来ているのかもしれない。
表立って動く際の連携面から、これは必須事項である。但し、全員―少なくとも176支部の面々―が知れば高確率で網枷周りの雰囲気が変わることは目に見えている。
それを受けて網枷がどう動くのか・・・確実な予想ができない。選択肢を1つに絞り切れない。雲隠れするかもしれないし、強硬手段に打って出る可能性もある。
強硬手段の場合はこちらとしては情報を掴むチャンスでもあるが、万が一自決なんてことをされたら今までの努力が全て水の泡になる。切り捨てられる可能性も同じく。
現状一番良いタイミングは、『太陽の園』に『ブラックウィザード』が訪れる前後。このタイミングなら、網枷に『太陽の園』の件を事前に気取られる確率は低い。
また、『太陽の園』で『ブラックウィザード』が予期せぬ事態に直面すれば、疲弊している網枷が尻尾を出す可能性もある。
加賀美が知った以上、確保時に内部分裂までには至らないだろう。現状網枷も加賀美の件でこちらの動きをより注意深く観察している筈。組織の人員も動員しているかもしれない。
こちらからは下手な動きを慎むべきである。これからは、一瞬の油断が命取りになる可能性がある。慎重にも慎重を重ねなければならない。風紀委員会を統括する者として。
「ようやく、ここまで来たわね」
「もう一踏ん張りですね、水楯さん」
「(ガチャ)水楯さん、形製さん。飲み物買って来たよー」
「「ありがとうございます」」
ここは、絶賛改装中の界刺宅。居るのは水楯、形製、春咲の『
シンボル』メンバー。彼女達は、泊りがけでこの奇妙奇天烈な部屋を改装しているのだ。
「(ゴクゴク)・・・プハッ!はぁ、生き返る・・・。それにしても、バカ界刺の部屋ってここまで酷かったんだね・・・。今回の改装で実感したよ」
「得世さん・・・帰って来たら驚くだろうね」
「むしろ、驚いて貰わないと困りますよね」
女性陣は、不在の家主のトンデモセンスに心底戦慄していた。今後正式に付き合う可能性がある身にとっては、他人事では無い。
「・・・水楯さんって、得世さんのこと好き・・・だよね?」
「好きというか愛しています。狂おしいくらいに。自分の裸身を見せるのを厭わないくらいに」
「一昨日か・・・一緒にアホ界刺のベッドで寝ていた時に水楯さんから聞かされた時は衝撃的だったけど・・・まぁ、水楯さんらしいのかな?」
形製と春咲は、一昨日水楯から界刺と彼女の出会いの詳しい経緯を教えられた。水楯自身の心境の変化もあったのか、それは極自然に説明された。
「私も・・・。水楯さんが男性恐怖症を患っていたなんて、夢にも思わなかった。その・・・あの・・・“行為”も・・・それを克服する前提・・・なんだよね?」
「はい。おかげで、症状も殆ど改善されました。さすがは界刺さんです」
「え、え~と・・・な、得世さんは・・・その・・・えっと・・・」
「界刺さんは、ああ見えて一歩引くタイプなので性行為とかは一切されませんでしたよ?」
「折角春咲さんが言葉を選んでたのに、ぶっちゃけちゃった!!?」
水楯涙簾。彼女は、ある部分においてはとことん空気を読めない少女である。
「そ、そう・・・なんだ」
「そういえば、春咲さんは自ら界刺さんに胸を触らせましたよね?それくらいの積極性が、界刺さん相手には求められると思いますよ?」
「ブッ!!あ、あれは・・・!!」
「流麗。あなたは、界刺さんへ告白する時に言ったのよね?『あたしの唇も、体も、何もかもあげる。それだけの・・・覚悟はある!!』って」
「ブッ!!あ、あれは・・・!!」
「確かに、それくらいの覚悟は要ると思うわ。フフッ、その点で言えば私は2人より一歩リードしてるってことかしら?」
「(水楯さんって・・・!!!)」
「(あたし達に譲る気が更々無い!!?)」
何処か自慢げにも聞こえる水楯の声色に、恋する少女達は驚愕する。この女・・・ハナっから愛しき人を他の女に譲る気が全く無い(ように見える)。
その確信に近い事実に、恋する乙女2人は動揺を隠せない。性行為の意味を知っている女として、一歩間違えれば水楯と界刺は・・・。
「わ、私だって得世さんを射止めるためなら・・・ためな・・・ら・・・裸の1つ2つ見せることくらい・・・くらい・・・ど、どど、どうってこと無いよ!!!」
「あ、あたしだって界刺へ告白した時に言った言葉に嘘偽りは無いよ!!!あいつを振り向かせるため・・・ため・・・ためなら!!!」
「そう言って、いざって時は何もできないんですよね~」
「グッ!!!ふ、ふ~んだ。そんなの、やってみないとわからないんだよ?ね、ねぇ、形製さん?」
「そ、そうですね。春咲さんの言う通り、あたしの覚悟はそんな安っぽいモノじゃあ・・・」
「それじゃあ、今度界刺さんにアタックしてみて下さいね。もちろん、裸になって」
「「ぐううぅぅっ!!!」」
「あっ。やっぱり無理なんだ~。フフッ」
これは水楯自身も気付いていないことだが、過去の行いで今まで『シンボル』以外で同姓に友達が居なかった水楯にとって、こういう会話をすること自体が有り得なかった。
それだけ、彼女―対人恐怖症をも患った少女―は形製や春咲に心を開いているということを表している。この姿が、水楯本来の在り方の1つなのかもしれない。
だが、今はそんなの関係ねぇ状態である。水楯の容赦無いツッコミに形製・春咲はいよいよ後戻りのできない位置にまで追いやられる。そして・・・
「・・・わかった。わかったよ!!今度ここで得世さんが好きな女性全員で集まって、パジャマパーティーをするというのはどう!!?それなら文句無いよね!!?」
「パジャマパーティー!!い、いいですね!!!こういうのは、苧環達とかを除け者にするのは不公平だし!!!春咲さん、グッドアイディア~!!!
そして、グッドタイミング~!!丁度、バカ界刺の部屋から“面白いモノ”も見付けましたモンね~!!」
何を血迷ったのか、苧環達を巻き込んで勝手にパジャマパーティーを行うことを提唱・推奨してしまった。メチャクチャ追い詰められている証拠である。
「成程。そこで、パジャマパーティーと称して春咲さん達が界刺さんに迫って行くと。もちろん裸になって」
「そ、そそ、そうね!!うん!!そうなるかもね!!!んふふっ!!ねっ、形製さん!!?」
「はいっ!!?そ、そそ、そうですね!!そうなるかもしれないですね!!!万が一ですけど!!!ハハハ!!!」
もはや、自分達が何を喋っているのかすらよくわかっていない、興奮真っ盛りの2人。こういうのは、大抵後になって後悔するのである。
「わかりました。では、その時を楽しみにしながら“界刺さんの部屋を思いっ切りリフォームしちゃおう作戦”最終段階へ突入するとしましょう」
「そ、そうだね!!それがいいよ!!(マ、マズイ!!つい裸で迫るって言っちゃった!!!ど、どど、どうしよう!!?)」
「うん、うん!!それがいい!!(ぬおおおおおぉぉぉっっ!!!ヤバイ!!ヤバイ!!!バカ界刺に・・・私の・・・!!?そ、想像しただけで悶絶するんだけど!!?)」
等というやり取りの後に、顔を真紅に染める形製・春咲と1人冷静な水楯はリフォーム最終段階へと没頭して行く。
「よかったの、鳥羽君?後方支援なら私と網枷先輩が居るし・・・」
「べ、別にいいよ!丁度、斑先輩達がここ2日間で余計に溜めた雑務が残ってるし。そいつ等を片付けながら後方支援するくらいわけないって!」
「・・・余計な仕事が溜まってるのは事実だよね。全く、あの人達は・・・(ブツブツ)」
「ビクッ!と、とりあえず、加賀美先輩には神谷先輩も付いてるんだし大丈夫じゃない?」
成瀬台の会議室で後方支援する176支部メンバーの葉原と鳥羽が、仕事をしながら会話を行っている。
通常鳥羽は外回り組なのだが、今日は自ら後方支援に身を置くことを申し出ていた。理由は、(問題児集団のせいで)溜まった雑務を処理するため。
加賀美としても、溜まった雑務処理を片付けるための人手は欲しかったので、鳥羽の申し出を了承した。
葉原としては、本音を言えば鳥羽の後方支援待機は非常に有り難いことであった。鳥羽が居なければ、網枷と2人きりで後方支援をこなさなければならない。
それは精神的にもキツかったし、何より網枷の行動には常に気を払っておかなければならない。
精神的重圧を和らげるため、そして176支部内で溜まった雑務を鳥羽が担当してくれることは、葉原に想像以上の開放感を齎していた。
また、気に掛かっていた事案、先日加賀美が焔火と網枷に行った個人面談の件を当の焔火と加賀美自身から聞き及んでいたことも、彼女の精神状態に大きな影響を及ぼしていた。
本当に知りたかったのは網枷の件だったが、そちらは単なる体調面についてだけだった。
一方焔火の件では、彼女自身の成長―葉原でさえ予想していなかった―がわかったために心の何処かで安堵の気持ちを抱いていた。この調子なら・・・。そう思ってしまう程に。
「そうね。・・・ごめんなさいね。鳥羽君に雑務を押し付ける形になっちゃって」
「いいよ。ゆかりさんは、176支部で一番優秀なオペレーターなんだし。通常のオペレートにも四苦八苦してる俺がこういうのをした方が効率的でしょ?」
「そ、そんなこと無いよ。鳥羽君だって、一生懸命頑張ってるじゃない。それは、176支部の皆がわかってることだよ?」
「・・・・・・ありがとう。まっ、今日の所は俺が集中的にやるからさ。“午後”からは、俺もオペレート業務をしながらになるだろうけど」
「・・・わかった。もし、私にできることがあったら何でも言ってね?」
「うん」
葉原の善意からの言葉を受け、しかし鳥羽は別のことを考えていた。それは、一昨日の晩に網枷と焔火から齎された事実に基づく作戦。
これは、椎倉からも了解を得ていると“網枷から”聞いている。否、後方に就く鳥羽はあくまで補助として役割をこなし、椎倉が主導的に今作戦を指揮すると“網枷”から説明されている。
頼りになる先輩・・・自分を認めてくれた先輩を信じ、確たる自信を持てていない後輩は椎倉には自分の口で確認はしていない。
自分の言動が、内通者に万が一の発覚に辿り着かせるピースを与えてしまうかもしれないから・・・そう“網枷から”注意をされたがために。
『僕なら内通者には気取られないだろう。失礼なお前達が言うように何時も無表情だからな。フフッ。焔火・・・鳥羽・・・頑張ろうな』
そう、これは今後の風紀委員会が向かう方向に重大な影響を与える可能性が高い任務。
その1つを葉原では無く自分が任されているという事実が、鳥羽の精神を通常以上に高揚させていた。
「(176支部以外と一部の風紀委員を除いた中の誰かに内通者が居る。もしかしたら、後方支援組(ここ)に居るかもしれない。慎重にいこう。
緋花さんから連絡を受け取るタイミングや、それに感付いた後方支援組に居るかもしれない内通者がコンピュータ経由で不審なアクセスが無いのかを確認するために、
網枷先輩から預かったこの“USB”を差し込む時期も間違わないようにしないと!!もし感付かれた上で罠に嵌めようとしても、本当に罠に嵌るのは内通者の方だぜ!!)」
鳥羽の心に巣食う同期に対する嫉妬の感情。結果を出したいという欲求。それを“辣腕士”は見抜き、物の見事に利用する。
自分が警戒されているのならば、警戒されていない者を促して事を動かす。他人の心を読み、利用するという点においては、網枷は176支部最強である。
時間は経過し、夕方になった。曇り空に隠れながら夕日が地平線へ向かい、電灯が付けられた。夜間活動解禁初日ということもあってか、各支部共に帰る気配は見せない。
『ブラックウィザード』の捜査状況が芳しく無いという事実は、彼等彼女等の心を想定以上に重くさせていた。つまるところ、焦っていた。
今日から解禁になった夜間活動で、何かしらの手掛かりを得ることができれば。そんな思いを抱いて外回り組は粘り、後方支援組は外回り組をサポートする。
成瀬台に駐在する一部の警備員達も、夜間活動に備えて準備をし始めた。誰もが慌ただしくなる中、事はもう始まっていた。
それは、1つの連絡。176支部の鳥羽に入った、仲間からの連絡。メインディッシュの始まり。
「緋花だよ。これから、ちょっと単独行動を取るから。ゆかりっちやリーダーに聞かれたら178支部の皆と作成したルートに沿って調べてるって言っておいて。それじゃ!」
continue!!
最終更新:2013年01月04日 23:34