時刻は午前2時を回った。
ここは東京。日本の首都であり、経済の中枢。人口密度も世界有数を誇る。
西半分を占める科学の総本山たる学園都市が目立ってこそいるものの、紛れも無く日本を代表するに相応しい場所がここ東京なのである。


「囲まれたわね…朝倉!」

「了解だMR!任せとけ!」

「名前で呼べ名前で!あたしは製薬会社のセールスマンじゃ無いのよ!その変なコードネームを付ける癖、いい加減直しなさい!」


東京の東半分は東京都区部と呼ばれる23の特別区で構成される。その中の1つである中央区にて1組の男女が夜中にも関わらず大声を挙げまくっていた。
男の方は黒のロングコート、指ぬきグローブ、シルバーアクセサリーという基本を押さえた中二病患者のような格好をしている。
女の方は社会人らしくビシッとしたグレーのスーツ・パンツスーツを着こなしている。ある意味正反対とも取れる格好の2人。
一部では眠らない都市とも呼称される東京だが、2人のように夜中に大声を張り上げるのは近所迷惑なのは言うまでもない。
しかし、2人の大声に反応する一般人は存在しない。何故なら人の流れを意識レベルで誘導する魔術『人払い』が行使されているからである。


「っざいなー。今回トリオの仕事なんだからパパッと終わると思ってたのにぃ」

「寄城ちゃん!間違っても呪術で殺さないようにお願いね!」

「ゴーストレディ!オレの『鎌鼬』とMRの『護身』に合わせろよ!」

「ったるー。しかも犯人は何処かで高みの見物か。ったく許せないわねぇ」


別方面から少女の気だるげな声が漏れる。和服を着る幼い少女。金髪をツインテールに結んでいる幼女だが、この少女もまた大声を張り上げる男女の仲間である。
彼女達は陰陽局と呼ばれる魔術結社に所属する魔術師である。陰陽局とは内閣の管轄下にある陰陽師による魔術機関である。東京千代田区に本部を構えている。
明治維新の折に陰陽師の官職は事実上廃止されたが、それは日本を近代化させるための障害となる陰陽師達の権力を削ぐための政策であり、その結果陰陽師達は政治の表舞台からは姿を消した。
しかし、国が近代化したからといって霊的な災厄や魔術師による犯罪行為が無くなるわけではなく、それらに対応できる陰陽師達の力は変わらず必要であったため、日本(大日本帝国)政府は整備し直した国家体制の中に陰陽師達を改めて組み込み、陰ながら日本を支える新たな陰陽師機関を作り出していったのである。
陰陽局もそうした旧日本政府の陰陽師機関を発祥とする組織の一つであり、その主な職務は国内の霊的な災厄への対応と予防、そして魔術の関わる犯罪の捜査や違法魔術師の検挙等である。


「MR!ゴーストレディ!何としてでもここで『奴等』を抑える!目と鼻の先には皇居もあるんだ!もしもの事があったらオレ達全員首が飛ぶぜ!!」

「役職的な意味ならまだしも物理的にも秘密裏にあたし達の首が飛びかねないのが笑えないトコね。わかってるわよ!」

「っかつく。絶対犯人見付けてブチっていわせてやる!」


最近東京郊外を舞台に勃発している怪事件の解決の為に陰陽局から派遣された魔術師こそがこの3人。名前はそれぞれ朝倉俊介、黒獅子雅、寄城魅憑
陰陽局の中でも若手有望格と見做されている3人は、裏から手を回して情報を規制している間に魔術が関わる怪事件を解決する事を期待され、またそうするよう命が下っている。
朝倉達が任務に就いてから1週間。その間に怪事件に触れたのは2回。今回を入れれば3回となるか。朝倉達が関わる怪事件の正体。それは朝倉達を取り囲む5体の『異形』。


「『人面犬(ヒューマンドッグズ)』…か。歴史の浅い都市伝説がこうも面倒臭い魔術に変貌するだなんて、エレメン……ゴホッゴホッ、局長もビックリだろうな」

「局長や小森さんが今までの戦闘データから採取した敵の術式の分析に当たっているわ。もう少しの辛抱よ。そして今回は何としてでも捕獲するのよ。いいわね?」

「ッ!余所見すんなよセンパイ!来るよ!」


『人面犬』。陰陽局局長藤原隆幸が仮の呼称として名付けた魔術名であり『異形』となった人間を指す言葉でもある。
感染術式に分類される魔術のようで、どうやら世界各地の人面犬伝承を統合した術式のようだ。しかも、この術式の媒介となっているのがとても厄介なウイルスと来ている。
姿形は術式に組み込まれた伝承ごとに多少異なるが、基本的には四足歩行を行う人の顔をした犬という容姿である。
今までは東京郊外を中心に勃発していたようなのだが、『人面犬』の習性なのだろうか郊外から23区に戻って来た『人面犬』の存在が発覚し、朝倉達も急遽この中央区に急行する事となったのだ。
そして現在を迎える。朝倉達を取り囲む5体の『人面犬』―姿は犬というよりは牛に似ている―は、剥き出しにする鋭く尖った歯で獲物を捕食しようと一斉に飛び掛かった。


「ハァッ!!」


黒獅子の両手の指から放たれた魔術的軌跡が虚空を交差する。怪鳥以津真天の爪の魔術的記号を抽出し作製された霊装『怪鳥の怨爪』を装着する指が動いた次の瞬間、黒獅子達に飛び掛かった『人面犬』は見えない壁に進行を妨げられる。
黒獅子は陰陽道でもポピュラーな部類に入る『九字護身法』を操る。『九字護身法』とは様々な災いから身を守る結界を張ったり災いを齎す者を調伏する護身法の一種である。
主に用いる呪文たる九字は「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・前・行」。本式の『切紙九字護身法』及び略式版の『早九字護身法』があるが、今回用いたのは略式版の『早九字護身法』である。
『早九字護身法』は自身の指を剣に見立てた上で横5本・縦4本、合計9本の線を決められた順番を遵守しながら空中などに描く事で本式の『切紙九字護身法』より威力は下がるものの簡潔に素早く魔術を発動できる。
しかし、それでも9本の線を描く隙は存在する。そこで利用したのが、爪が剣の如き鋭さを持っていたとされる怪鳥以津真天の逸話。
その逸話から『剣』と『反復』の魔術的記号を抽出した『怨爪』は、一度描いた魔術的軌跡を次からは該当する所作が開始した瞬間から自動的に発現させる特性を持つ。
黒獅子は『怨爪』を装着した右手の指5本を横線に、同じく『怨爪』を装着したもう左手の指4本(親指を除いている)を縦線に適応させ、魔力を通しながら順番通りにそれぞれの指をほんの少し動かすだけで自動的に線が描かれるのだ。
詠唱不要の為の爪内部に記されている呪文と『怨爪』の特性を活かし一瞬で『早九字護身法』を発動する事に成功している。


「死神の鎌を携えし風の権化をその目に確と刻め!『1体目:風の槌』!!」


式符を携える朝倉が術式発動の為に必要な詠唱なのか単に技を叫んだだけなのか判断に迷う言葉を言い終えた瞬間召喚された鎌鼬によって作り出された風の壁が『人面犬』達の上方から覆い被さり地に伏させる。
朝倉は鎌鼬の伝承を基に作られた式神を使役する。鎌鼬は風によって肉体が構成されているため、姿は無色透明かつ変幻自在であり、物理的な攻撃では破壊することができない。
召喚できる鎌鼬は全部で3体。今回使役したのは『1体目:風の槌』と呼ばれる、風に鉄の如き硬度を持たせる能力を持った個体である。
主に固めた風を叩きつける攻撃を行い、最大出力で放てばトラックを吹っ飛ばす程の威力を出せる。他にも相手の周りの風を固めて拘束する、障壁を貼る、空中に足場を作る等と応用が効く。


「っゆーわけで、大人しくお縄につきなさーい」


地に伏す『人面犬』に向かって寄城は『霊符装甲』として服の下に貼ってある大量のお札の一部を投擲する。
札には劇症化させた霊障が封じ込められており、『人面犬』達は呪いによって肉体的にも精神的にも蝕まれていく。
寄城は元々はただの憑依体質だったのだが、これを魔術的にコントロールすることで制御された低位の悪霊などを自分に取り憑かせ、自在に霊障を生み出し、自身に症状を起こして利用したりお札に封じて呪い攻撃にしたりできる。
黒獅子の注意もあって今回は相手を呪い殺すレベルの札は用いなかったがそれでも『人面犬』達の意識を刈り取るくらいの効果は発揮できた。
『人面犬』の鎮圧に成功し一息吐く朝倉達。そのタイミングを見計らっていたのか、彼等の周囲に何匹かのハツカ鼠が寄り添って来る。時を同じくして朝倉の携帯が鳴った。


「お疲れ様。今回は捕獲できた事もあって特に手際の良い対処だったと局長も褒めていたわよ」

「マジっすかソクラテス?いやぁ、照れるなぁ」

「全員を褒めていたんであって、あなた一人を褒めちぎっていたわけじゃ無いから勘違いしないように。とりあえず、至急『人面犬』を移動させて。『人払い』による一般人の誘導はこちらが受け持つから」


連絡して来たのは秋田県の猟師達に伝わる幻獣『小玉鼠』をモチーフにした式神を使役する陰陽局所属の魔術師小森咲子
式神であるハツカ鼠を使役し後方支援に専念する小森の指示を受ける朝倉達は、陰陽局が手配したトラックへ鎮圧した『人面犬』を乗せ移動し始める。
朝倉の『鎌鼬』と黒獅子の『護身』で幽閉し、寄城の変化魔術『擬飾の符』によって『人面犬』の容貌を悟られないように細工しながらトラックに積み込んだ陰陽局の面々の耳に朝倉の携帯を通じ小森に代わって局長の声が入って来る。


「お前等よくやった。今のところ23区内にこれ以上の被害は確認されていない。『人面犬』を所定の施設へ収容した後上がれ。後は俺達が引き継ぐ」


陰陽局局長藤原隆幸。豊かな才能と長年の経験に基づいた高い実力を持つ魔術師。若い頃は『鬼の藤原』と畏れられたバリバリの武闘派であったが、現在は流石に落ち着いており若手を導く良き年長者として人望を集めている。
既に現場からは身を退き、局長として受け持つ職務は主に本部での指揮や政界との折衝等であるが、一戦を退いて尚その力は健在であり有事に現場に趣いた際には鬼神の如き強さを発揮する。
またあらゆる方面に顔が効くため、孤立しがちな陰陽局と外部機関との繋ぎ役としての任も受け持っている。


「黒獅子。明日…というかもう今日か。旧友と会う約束してるんだろ?“魔術師としても”良い情報交換の場になる。お前は早く上がれ」

「えっ?旧友ってもしかしてアイヌの?オレも行っていい?MRの友達オレも見てみたい!」

「朝倉。お前は午後出勤。そして別の仕事だ。男なら若い内にキリキリ働け。働いた分だけ歳取った時にいい思いできるぞ。黒獅子の連れは寄城や小森の鼠で事足りる」

「うへぇ」


ガクッと項垂れる朝倉に思わず黒獅子や小森も苦笑いする。折角旧友の女性と再会するのに朝倉が首を突っ込んだ暁には、局長としての面目が丸潰れになりかねない。
それだけ朝倉という男の言動とファッションは極めて残念であると藤原は判断している。朝倉の実力やその真っ直ぐさは高く評価しているだけに、とことん惜しい。それが藤原の朝倉評である。
一仕事終え気も緩む陰陽局の魔術師達。だが、それはトラックに積み込んだ『人面犬』の容態の激変を知らせる鎌鼬によってすぐさま凍り付く。


「これは……!!?」


鎌鼬に急かされながらトラックを止め『人面犬』を確認する朝倉達が目にしたものは、意識を刈り取り幽閉した『人面犬』5体いずれもが死亡している光景。
腹が切り裂かれて内臓破裂したような死亡風景に言葉を失う朝倉達に藤原が冷静に指示を下す。黒獅子の霊装『怪鳥の怨爪』は以津真天の逸話から死者の存在を感知し、死体や死体現場に残る残留思念を掬い取る特質がある。
藤原の指示を受けた黒獅子は、銀色の光が不規則に点滅する『怪鳥の怨爪』によって『人面犬』が死ぬ際の残留思念を探索する。


「『まだまだ続くぜ。「ワケわかんねぇ」が満ちたオモシロい世界は』……?何よ、この予言めいた思念は……『人面犬』………まさか!」

「『人面犬』の一種に数えられる妖怪件(くだん)だな。予言を残した後に死亡する伝承を利用したか。悪趣味を通り越して胸糞悪ぃ。
朝倉。別件の仕事は他の奴に回す。出勤したら俺とお前と小森で『人面犬』の術式を完全に解読するぞ!
寄城。『人面犬』に取り付かせた霊障使って術式に干渉した時の採取データ、あるだけ俺に持って来い」

「了解!絶対に術式を暴いて犯人をぶっ潰してやる!!」

「っはーい。私を気分悪くさせた罪は重いわよー…塵一つ残さない」


黒獅子と藤原は同じ伝承を想起する。名は妖怪件(くだん)。人の顔と牛のような体を持つ『人面犬』で、予言を残した後に死亡するという伝承を持つ。
おそらく今回鎮圧した『人面犬』には無力化された際の処分方法として件の伝承が術式として組み込まれていたのだろう。情報漏洩対策のつもりなのか単なる遊びなのか。
わかるのは『人面犬』を使役する魔術師の頭がイカれている事、そしてますます『人面犬』の脅威が増した事。


「黒獅子。例の旧友にも『人面犬』の情報を伝達しておけ。下手をすると『人面犬』とカチ合う事になるかもしれん。
事情を知らない魔術師が襲撃によって『人面犬』化し使役者の思い通りに操作される事態になれば収拾が付かなくなる恐れがある。魔術結社と言えど、どいつもこいつも敵対ばっかしてるわけじゃねぇ。
有益な情報交換ができるなら接触するのもアリだ。どのみち東京にいる限り『人面犬』とカチ合う時はカチ合うんだ。この分だと俺達陰陽局はこれから23区内を中心に警戒に当たる事になる。
最初に事件が発生した東京郊外は手薄にならざるを得ない。東京に滞在している期間だけでいい。旧友へ情報交換がてら注意喚起しておくように」

「……わかりました」


予想外の事態に見舞われても冷静な判断を下せる辺り藤原の年長者としての実力が表れている。
東京郊外を中心に発生していた怪事件が23区にも波及し始めている現状では、犯人が23区に狙いを変えた可能性によって陰陽局も行動を制限されてしまう。
人間の想像力は未知なる物事に対する恐怖と直結していると考えているのか、「人面犬となった保菌者に自分の家族を襲わせる」「全員を殺さずに、必ず目撃者を何人か残す」など必ずしも効率的では無い、それより非道な行動を貫くことで人の恐怖を煽る事に重点を置く事で都市伝説を伝搬させている今回の怪事件。
このままでは敷いた情報規制もそう遠くない内に限界を迎える。一刻も早く犯人である魔術師を捕捉しなければならない。
陰陽局の誰もが犯人検挙に執念を燃やしている中、23区では無く郊外に一人佇む『元凶』は飼い馴らした『人面犬』を周囲に侍らせながら、陰陽局に鎮圧された『人面犬』に刻んだ予言をなぞるようにこう呟いた。


「まだまだ続くぜ。『ワケわかんねぇ』が満ちたオモシロい世界はよぉ。クヒッ、クヒヒヒッッ!」






~とある魔術の日常風景 異説「レジェンダリー・ヒューマンドッグズⅡ」~






…to be continued

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最終更新:2016年02月23日 14:39