ロンドン近郊の街

夜も更けて、月と電灯の光が照らす中、二人の男女が地面の上を駆けていた。
男は、うすら笑いを浮かべながら、手足を縛られて猿轡を噛まされた少女を肩に担いで、
女は背後を警戒しながらも、余裕を持って走っている。
「このガキを売り飛ばすだけで、ポンと3000万ドルも貰えるんだぜ。全く誘拐ってのはボロイ商売だな」
笑みを浮かべながら、背中の少女に横目を向けた男の名は、ダーフィット=シュルツ
魔術側の人間には、本名よりも二つ名の「誘拐者」の方で知られている魔術師である。
整った顔立ちで、人の良さそうな顔をしているのが、この状況に酷くミスマッチだ。
「…報酬の事なんだけど、やはり安すぎるわ。最低でも2000万ドルは出して欲しいわね」
聞き取り難い掠れ声を出した女は群画雹菓
ダーフィットの5,6歳は年上だろうか、男物の黒スーツを着た格好が不思議に似合っている。
目を閉じたままであるが危な気も無く走るその様は、服装と相まってどこか死神を連想させる。
群画の声に反射的に罵声を出すダーフィット。
「はぁ!?前金で10万ドルも出したの忘れたのか!?それはボリ過ぎだろう!」
「そのお嬢ちゃんを渡すだけで3000万ドルも貰えるんでしょう?出せないわけがないはずよね」
「そりゃまあ、出せないわけじゃないが。だからって2000万ドルも出せるわけが無い、良いとこ十分の一だ」
「彼方の術式の対象外だった、そのお嬢ちゃんを捕まえたのが誰か忘れたわけ?私を雇った理由も思い出して欲しいわね」
「雇ったのがお前一人だけじゃないってのを忘れるなよ、そんなに払ったら俺の取り分が無くなるだろ!」
走りながら、熾烈な金額交渉を続ける二人だが。

「むー……」
その時、彼に担がれている少女が呻いた。気絶から覚めたらしい。
首を左右に巡らして周囲を見た所で。
「……!?むーむー!」
自分が誘拐されていると気付いたのか、縛られて自由の利かない体を激しく揺らす。
「うおおお!?」
金額交渉に気をとられて、少女が目を覚ました事に気付かなかったダーフィット。
そのせいで、転びそうになった体を支えようと、壁に手を付こうとしたのだが……。
「むー!」
そこを狙ったかのように、少女が縛られた両足で腕を蹴り飛ばした結果。
ゴスッ。っと鈍い音を立ててアスファルトの地面と熱い接吻をしてしまった。
「ぐ…ごぉぉぉ!」
担いでいる少女を地面に落として、鼻血の溢れた顔を押さえるダーフィット。
そんな彼を尻目に、尺取虫のように地面を這って逃げようとする少女。
そのまま十mも這い進んだのだろうが、そこで。
「ねぇ…お嬢ちゃん、静かにしてもらえないかしら?」
およそ温かみが感じられない声と共に、首に指が回される。
群画のその動作だけで、少女の呼吸が止まった。
静かな殺意とでも言うのだろうか、氷の刃を首に当てられたも同然の冷気が少女の脊髄を刺し貫いた。
「逃げようとしても無駄だって事を理解してくれた?それじゃ、大人しくしていて欲しいわね」
そして、動きの止まった少女を軽々と肩に担ぎあげた所で、

「っ!」

額に突き刺さった殺気に、反射的に地面を蹴って後ろに跳ぶ。
その動作に一瞬遅れて、ズバッ!。と言う音と共に先程まで立っていた地面が深々と抉れた。
「ぐ、ぐぅ…な、何だよ一体!?」
鼻血も治まったのか、痛みに顔をしかめて駆け付けるダーフィットを横目に、
群画は面倒臭そうに告げた。
「どうやら追っ手のようね」
「はぁ!?」



時間も遡って、何時の頃か。
日本人街。
少女――ヴァージニア=リチャードソンは寿司を食べていた。
背中くらいまでの金髪を揺らしながら、幸せそうに寿司をフォークに刺して口に運ぶ。
見ている大人の顔を綻ばせるぐらいの天真爛漫の美少女っぷりである。
(うん、美味しい!…食事が美味しくなって体が健康になるお守りってのは本当なのかも)
そんな彼女の首筋に下げているのは「安産祈願」「交通安全」「受験合格」など等の雑多なお守り…お守りの効果を勘違いしているようだ。
そのまま食べきり。紅茶を飲み、一息ついた所で、隣に座っている男に声をかけた。
その男は比喩を抜きにして傷だらけだった。火傷の痕や凍傷の痕が顔の至る所にある。
特に真新しいのが、ラフに着た服の隙間から見える腕や胸に走る黒褐色の潰瘍、見るものが見れば電流斑だと分かるのだろうか。
余程に強い電撃を何度も何度もくらったのだろう、気の弱い者なら目を背けるどころか、食べた物を戻すぐらいの傷痕、生きているのが不思議なぐらいだ。
今現在も服に擦れて、彼の体には酷い痛みが走っているのは間違いない。
しかし、顔色一つ変えないで寿司を食べている。恐竜並みに痛みに鈍いのだろうか。
「その干し首…売ってくれない?」

「こいつ等は売り物じゃねえ、他所に当たれ」
すげなく断る男の首には、ヴァージニアが言うようにネックレスのように干し首を提げている。
それは人種も性別も年齢も雑多な干し首の群れだが、よく見ると何かがおかしい。
「その落書きも良い味出してるんだけど…本当に売ってくれないの?」
よくよく見れば、干し首のどれもこれもにマジックのペンで落書きがなされているのである
頬に猫のヒゲが書かれていたり、額に「肉」の字が書かれていたり、一繋がりの眉毛が書かれていたりする。
「これが落書きに見えるだと?ふざけろ、どこに目を付けてやがるクソガキ」
そう凄む男に、遠ざかるように席に座る他の客達が戦々恐々している。
寿司屋の店主に至っては警察に通報する体勢が出来上がっていたりする。
「そうなの?どう見ても落書きにしか見えないんだけど」
「ある男がな、また俺に会えるようにって付けたんだぜ、ガキに言っても分からないだろうが。東洋的に言えば「縁」が出来たってやつだな」
そう、にやつきながら干し首を撫でる男は、どう見ても危険人物だった。

「こいつ等も嬉しがってる…「あの男を仲間に加えて欲しい」…って喜んでやがるんだ。だから、この次に会った時は絶対に………ん?」

そこまで喋った所で男は気付いた…ガキ――ヴァージニアが居ない。
数瞬、店内に視線をさ迷わせる男だったが何処にも見付からない。
「おい、親父。ここに座ってたガキ知らねえか?どこに行った?」
「い、いや知りません、お客さんが一人で座ってただけですよ」
勿論嘘である。
だが、少女の身を狂人から守る為の嘘は、神様も許してくれるだろう。
目を泳がせて、どう見ても嘘を突いているようにしか見えないのは残念だが。それは仕方ないだろう。
だが先程まで少女が座っていた席の、カウンターの上に代金が置かれていたりする。
更に、男が屈み込んだと思うと、その手の中には…。
「こりゃ何だ?」
それを見た店主の顔が青ざめる。
紐が切れたのか、少女のお守りの一つ「無病息災」が椅子の上に落ちていたのだ。
「それは…お客さんの落し物じゃないですかね。あなたのポ、ポケットから落ちたのを見ましたよ?」
声が裏返りながらも言い訳を続けるが、もうこれ以上は誤魔化し切れないと緊急判断、
今にも襲い掛かるだろう暴漢との戦いに備える店主、がっしと包丁を握り締めた所で。
「ふん…マグロ頼む」
幸運にも男はそれ以上追及する事は無かった。
少女への興味を失ったからかもしれない。その点だけで言えば、店主は運が良かった
「へ、へい!分かりました!」
だが、まだ店に居座る気満々の男に、本気で警察呼ぼうかなぁ。と思う店主は不幸であった。


当のヴァージニアは怒りながら、大股で道を歩いていた。
「いきなりお店の外に引っ張り出すなんて酷いと思うわ、もっと粘れば一つぐらいは譲ってくれたと思うのにぃ…」
怒るとは言っても、頬を膨らませるようなプンプンと可愛らしい怒り方で、
これを見た男は、全面的に自分の非を認めて平謝りするしかないだろう。
現に、後ろから小走りで追い付いた男も平謝りしていた。
「ジニー…確かに貴方の交渉の邪魔をしたのは悪いと思います」
男は、赤いスーツに、黒いワイシャツを着ており、好青年と表現できる風貌である。
怒りながら、どんどん歩くヴァージニアを宥める、その姿は一見すると仲の良い兄妹のようにも見えた。

「なら戻っても良い?」
男の謝罪に、途端にヴァージニアがふくれ面を収めて、男に向き直る。
どうしても、あの干し首が買いたいようだ。
「ねぇ、お願い…」
腕に手を回して、上目遣いに顔を見るヴァージニアに、男は少し顔を赤くするが。
流石にそれは断固として認めないらしい、首を振った。
「駄目です。絶対に駄目です」
「えー、そんなぁ~」
「貴方は女の子である自覚を少しは持ったらどうですか?あんな、にやつきながら干し首を眺める首狩族と会話しても良い事ありませんよ?」
「え?ヤールさん、さっきの人を知ってるの?」
と、確信を突かれて男――ヤール・エスペランは気付かれないぐらい僅かに顔を顰める。
彼は必要悪の教会の魔術師である。
諜報部や暗号解読部から煙たがられている、あの男の事はよく知っていると言っても良いぐらいだ。
「いえ全然全く知りませんよ」
「ふーん。そうなの?何か怪しいなぁ」
「いえいえ本当ですって!変な物をコレクションするの変な人と相場が決まっているものでして、あんな傷だらけの人間がマトモな職に就いているとも思いませんし!」
そこまで言ってからヤールは失言に気付いた。
オカルトグッズをコレクションするのが趣味の人間が目の前に居るからだ。
眉尻を上げて、見る見る怒りの表情を形作るヴァージニア。
それに対して、どんどん顔を青ざめるヤール。
「何それ、私に対しての嫌味?」
「いえ…その…」
返答に窮するヤールの前で、ヴァージニアが突然に顔を手で覆ったと思うと。
勢い良くしゃがみ込んで泣き始めた。

「酷いよぉ、変な人だなんてずっと思ってたなんて…」
これには魔術師として、何度も修羅場を潜ったヤールでさえもパニックとなる。
「申し訳ありません!決して貴方を馬鹿にするつもりで言ったわけでは無いんです!信じてください!」
「そんなの信じられるわけないじゃない…ぐすっ。ずっと私を馬鹿にしてたんだ…」
「そ、その…そうだ!先程の男が持ってた干し首を手に入れてみますから、それでどうか機嫌を直してください!」
後ろ半分は、半ば土下座せんばかりの勢いで必死に謝った所で、
パッ、とヴァージニアが顔を上げた。どうやら嘘泣きだったらしい。
「本当!?絶対の絶対だよ!約束破っちゃ駄目だからね!」
そのままマシンガンのように捲くし立てられて、鯉のように口をパクパクさせるヤール。
子供の恐ろしさの片鱗を見せ付けられて思考が停止しかけているようだ。
「ええ…まあ、手に入るのが何時になるかは分かりませんけど…」
辛うじて、それだけを口にする。
きゃあきゃあと嬉しそうに、腕を引っ張りながらヤールの周りを回るヴァージニア。
その様は娘の無理難題に苦しむ父親のようにも見え、微笑ましいものであった。
そして、ヤールは困りながらも、ヴァージニアと初めて会った時も、こんな風だったかな。と、思い出して顔を綻ばせた。

  「もう、最低!いきなり肩を掴むなんて紳士のやる事じゃないわよ!」
  「いえ…ですが、そっちは薄暗い路地裏ですよ?レディが一人で入るのは感心しませんね」
  「こっちは近道なのよ!」
  「駄目です。そもそも、お父さんやお母さんはどうしたんですか?一人で外に出かける事自体、感心できませんよ」
  「子供扱いしないで欲しいわね。私はもう14歳よ、一人でお買い物も出来るんだから」
  「十分、子供です。お家はどこですか?大人の人と一緒に歩かないと危険ですよ」
  「ああもう!売り切れちゃう!良いや一緒に来て!」
  「ええ!?あ、あの何で!?」
  「大人の人と一緒なら良いんでしょ!」

(あの時もこんな感じだったかな…)

その後。
家までヴァージニアを送ったヤール(妙に厳しい目をするヴァージニアの父親の視線に圧迫されつつ)は、
沈痛な面持ちで、項垂れながら歩いていた。
(大事にしている霊装を?あの首狩族から?どうやって?…ああ、ジニー…その頼み事は、ちょっと僕には無理過ぎます…)
だが、やらなければいけないだろう。

もう約束も果たせなくなってしまった、遠い昔の幼馴染の顔をヤールは思い出す。

そうして黄昏て歩いている彼の後ろから、一人の男が声をかける。
「逆玉の身分も楽じゃありませんねぇ…ヒヒヒ」
聞くだけで耳が痒くなりそうな粘着質な声に、嫌そうな顔を隠しもせずにヤールが振り返った。
「…ミックですか?何の用です」
視線の先には男――ミック=フォスターが居た。
その趣味と口調が災いして、必要悪の教会の女性魔術師からは嫌われている男だ。
「いやぁ…あの首狩族から干し首を貰わないといけない羽目になるとは、ヒヒヒ…ご愁傷様ですねぇ」
本来は身長は190cmもあるのだろう。
しかし、猫背気味なので、それよりも10cmは低く見える体を揺らしつつ、ヤールの苦境を嘲笑うような視線と口調で近づいて来た。
「…だから、何の用ですか?僕を怒らせにでも来たんですか?」
「ヒヒ……そんな気は毛頭ありませんから怒らないでくださいよお…」
ヤールは辛抱強くミックの言葉を待った。
「僕を呼んだって事は「仕事」ですよね?早く言ってください」
「ヒヒ…その通りです。「誘拐者」…の情報は、ご存知ですよね?」

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最終更新:2012年03月15日 23:07