ネットカフェを後にした岡部倫太郎と二人のライダーは、K市を散策することにした。
  とはいえこの街で暮らし始めてから、既に数週間が経過している。
  大まかな街の間取りは頭に入っているし、今更真新しいものが見つかるとも思えない。
  そんなことは百も承知だ。彼らの目的は、倒すべき敵を見つけ出すこと。
  討伐令の対象となっているグリム童話の双子を名乗る何者かと、そのサーヴァント・アサシン。
  彼らを筆頭とした聖杯戦争の参加者と接敵し、それを倒す。
  馬鹿正直ではあるが、最も早急に戦を進める方針を彼らは取っていた。


  さりとて、K市は決して狭い街ではない。
  残存している主従の数が如何程かはさておいて、闇雲に歩き回っているだけでは、現状最も出くわす確率が高いであろう件の殺人鬼にさえお目にかかれる可能性は低い。
  ねぐらを出て二時間ほど経過したろうか。
  時折バスなどの公共交通機関を利用したこともあって疲れはそれほどでもないが、
  やはりただぶらぶらと街を歩いていると、得も言われぬ徒労感が押し寄せてくる。

  どこかで休憩でもするか。

  そう口にしようとして、咄嗟にやめた。
  本来、サーヴァントには食事という行為を必要としない。
  だが勿論食べること自体はできるし、味覚もある。
  それが祟って、アンとメアリーの二人は事あるごとに岡部の財布を削り取っていくのだ。
  彼女たちいわく、現代の料理は生前の時代に比べて数段上の味わいらしい。
  様々な保存料や合成調味料が働いているお陰であるのだったが、流石に夢を壊す気にはなれず、岡部は口を噤んでおいた。とにかく、まだ聖杯戦争は序盤も序盤だ。
  手持ちに若干の余裕はあるとはいえ、出来る限り浪費は避けていきたい。


  と、その時だ。
  前方に公園が見えてきた。
  この近くには確か小学校があったと記憶している。
  子どもたちが立ち寄って遊ぶことも多いのだろうが、時間が時間なためか、人の声はしない。
  財布を節約しつつ休息を取るにはうってつけかもしれない。

  何やら談笑しているライダー二人を先導して園内へ踏み入ると、そこには少しばかり物寂しい、冬の訪れを感じさせる風景が広がっていた。
  もしもう少し暖かい季節だったなら、さぞかし気持ちのいい空間だったろうと思う。
  落ち葉も大分片付けられ、露出した土肌を踏み締めて歩く。
  公園なのだから、ベンチなり何なりはあるだろう。
  ひとまずそこに腰を下ろして、今後のことを考えるなり、ライダーたちにそれを相談するなりしたいところだ。


  ――そんな岡部の考えは、前方より歩みを進めてきた二人の男の登場で、雲散霧消させられることとなった。



  まず目に付いたのは、異彩を放つ白い服と青い髪だった。
  顔立ちは日本人離れしており、一目で異国の人物なのだろうと窺わせる。
  次に岡部はその隣の人物へと視線を向け――思わず目を見開いた。
  サーヴァントだ。よりにもよってこんな場所で遭遇するとは思わなかった為、足が止まる。
  相手もまた、こちらがサーヴァントとそのマスターであることへはすぐ理解が及んだようだった。

 「下がって、マスター」

  メアリー・リードは岡部を庇うように前へと出、アン・ボニーも長銃を取り出し、構えている。
  相手が妙な行動を見せれば、いつでも戦端を開ける体勢だった。
  しかしマスターらしき白衣の青年は自らの顎へと手を当て、静かに口を開く。

 「お前は、聖杯を求める者か?」

  岡部へ投げかけられた問いには、不思議な深みがあった。
  見てくれは精々彼と同程度の齢でしかないにも関わらず、もっと年季を重ね、修羅場を潜ってきた者特有の重みが籠もった言葉だった。
  その不思議なプレッシャーに、ごくりと岡部は生唾を飲み込む。
  考えてみれば、不可思議な問いかけだ。
  サーヴァントを連れている以上、自分がそのマスターであることなど分かりきったことの筈。
  にも関わらず青年は、岡部へ問う。聖杯を求める者か、と。

 「……お前は、どうなんだ」

  この時点で、薄々岡部倫太郎は気付いていたのかもしれない。
  眼前へ現れたこの二人。
  聖杯戦争の、真の主催者たる少女をして計算外と言わしめた、最大最強のジョーカー達。
  彼らが――

 「聖杯を破壊する。正しくは、聖杯戦争をだ。
  ルーラーの支配を破り、影で糸引く者を討ち、冒涜の戦に終焉を齎すこと。それが我らの望みだ」

  ――道理では成らぬ願いを抱えて"飛んだ"探究者から、最後の希望をも奪い去る絶望だということを。

 「……ライダー!」
 「うん、わかってる」

  岡部は後退し、メアリーが代わりに前へと出る。
  手に握るはソード・カトラス――宝具でこそないが、彼女の主武装たる得物だ。
  その切れ味は申し分ない。神話の剣を相手取ろうと、打ち合いで遅れを取ることはまずあるまい。

 『敵の能力値は低い。お前たちよりも、遥かにだ。
  しかし念の為、心して掛かれよ』

  最後にそんな念話を聞きながら、斯くして戦端が開かれる。
  女海賊と救済者の激突が、白昼堂々勃発した。


  ◆  ◆


 「行くよ」
 「来い」

  銀髪の矮躯が、跳ねる。
  その幼い肉体からは想像も出来ないスプリングからの超加速。
  右手に握られたカトラスの一閃は過たず迸り、虚空へ銀の軌跡を刻み込んだ。
  それだけには留まらない。必殺の手応えの有無など関係なく、海賊の進撃は文字通り蹂躙と化して続く。
  二桁に届く程度の回数銀閃が迸った頃合で、メアリーは切り時と見るなり後退した。
  さて、あれだけの乱舞を打ち込まれた最弱の英霊が果たしてどんな有様になっているかと言えば。

 「……君、何か隠蔽の宝具でも持っているのかい?」
 「心当たりはないな。見ての通り、全くの生身だよ」

  無傷――セイヴァーの纏うスーツの所々こそ破けていたが、その血潮は一滴も流れていない。
  メアリーの振るった高速の連撃は全て彼の肌に触れることなく、未然の際で無効化されていた。
  言葉にすれば只それだけ。
  しかし、実際にそれをやってのけるのが果たしてどれほどの難易度であるかは想像に難くない。
  メアリーの担当はカトラスを用いての切り込みだ。英霊の座に召し上げられ、こうして現界した今もそのスタイルには欠片ほどの変化も腕の鈍りもありはしない。
  即ち正真正銘、接近戦のプロフェッショナル。
  海賊らしく荒削りな、それでいて確実に敵を狩り殺す猛獣の爪牙だ。

  メアリーには知る由もない話だが、セイヴァー・柊四四八は近世の英霊である。
  第二次世界大戦という未曾有の戦禍を食い止め、結果的に数十万人以上の命を救う結果を生み出した正真正銘の大英雄。されど、彼の生きた時代は決して武術の腕前が全てを占めるようなものではなかった。
  拳よりも銃弾。武力よりも権力。剛力よりも交渉力。
  戦いの強さよりも、むしろ戦わずして勝つ強さが要求される激動の時代。
  そんな時を駆け抜けた英霊にも関わらず、武力全盛の大海賊時代に名を残した海賊英霊メアリー・リードと互角に張り合えるというのは道理が通らない。 
  彼のステータスを鑑みれば尚更の話だ。
  幸運以外のあらゆるステータスでメアリー達が勝っており、挙句幾つかに至ってはそもそも機能していない。
  サーヴァントとしては外れもいい所。誰もが、彼をそう信じる。それは彼女たちでなくとも同じことだ。

 「だが、経験則というものがある。
  これでも、普通の英霊より百年ほど長生きした身でな――それだけの記憶と経験則があれば、自分より格上の相手とやり合うのも難しいことではない。
  それだけの話だ」
 「君、自分が何を言ってるか分かってる?」

  メアリー・リードはこの時、四四八に対し心の底から呆れの念を抱いていた。
  彼の言っていることは一見すると理論が通っているように聞こえるが、実際は暴論もいい所だ。
  岡部のマスターとしての目に間違いはない。
  柊四四八は、殆ど人間と変わらないスペックしか持たない畸形のサーヴァントだ。

  素手で熊を縊り殺すことも出来ず、宝具も魔力も不能と化している、これ以上ないほどの"外れ"。

 「勿論承知している。それで、どうした? 今ので終わりではないだろう、来い」

  にも関わらず、この言い草。
  しかも彼の場合それは何のハッタリでもなく、心からの本意として「来い」と誘っているのだ。
  四四八は何も恐れていない。あれだけの脆弱さでありながら、それを恥とすら思っていない。
  彼が語るところの経験則と積み重ねた鍛錬の量――それだけで、本気で歴戦の英雄に匹敵できると思っている。

 「ただの口だけじゃないみたいだね、どうも」

  そして都合の悪いことに、それはあながち只のハッタリとも言い切れないらしい。
  先の打ち合いで四四八が何をしたのか、至近距離で彼と打ち合ったメアリーだけが理解していた。
  雷電の力を秘めたる竹刀で、まず初撃の一閃を防御。
  続く連撃を、彼は曲芸師か何かを彷彿とさせる刀捌きで一発余さず食い止めたのだ。
  自分の肉体ではメアリーの速度に追い付けないことを承知し、"速度で優り、反撃に繋げる"のではなく"反撃の目を捨て、ただ守りに徹する"ことのみに重点を置き、偽りなき心眼から繰り出される巧みな技でそれを実践。
  疲労さえも最小限のものへ留めながら、見事彼はカトラスの暴風を凌ぎ切ってみせた。
  あんなものを見せられては、もう侮ってかかることなど不可能だ。

 「それじゃ、僕らも本気で行こう」

  メアリーが再び風となる。
  最高ランクの敏捷を惜しみなく活用して背後へ周り込み、四四八の背へと真横一文字の斬撃を放つ。
  四四八は一連の動作を視認するこそ叶わなかったものの、己の中に存在する確たる戦闘論理に基づき一瞬で敵手の行動を読んで、軽い跳躍と共に日本刀をカトラスへ合わせることで迎え撃った。
  甲高い、金属同士が衝突する音が響く。
  本来ならば、筋力差の趨勢が圧倒的に相手へ傾いている時点で成立する筈のない勝負。
  それを勝負たらしめるのは、散々触れてきた四四八の繊細な技と、その担う刀の本質にあった。

 「――ッ」

  突如走る激痛に、メアリーは顔を顰める。
  日本刀だとばかり思っていた敵の得物が、紫電を散らしていた。
  此処で初めて、彼女はそれが単なる一介の刀剣とは訳が違うことを理解する。
  それは雷電兵装。彼のマスターである男が彼の戦力を見兼ねて製作した品物だ。
  宝具に匹敵するだけの神秘こそ有さないが、英霊に傷を与えることなど造作もない。
  今、四四八は接触したメアリーの刀身を通じて電気を流し込み、こうして見事初打をもぎ取ったのだ。

  しかし、それを喜んでいる暇はない。
  火薬の弾ける音が響き、同時に四四八は舌打ちを一つして地面を転がり回避行動を取った。
  着弾。後方より飛来した弾丸が、一瞬前まで四四八の居た座標に無惨な抉れた痕を刻んでいた。
  もしも直撃などしようものなら、貧弱な能力値しか持たない彼ではまず間違いなく一撃でお陀仏となっていたことだろう。当たったならば「もしも」の介入する余地を絶対に与えない。それほどまでに、今のは最高のタイミングから繰り出された一撃だった。


 「あらら、仕留め損ねましたか」
 「……成程。二人一組のサーヴァントというのは、そういう理由か」
 「そういうこと。僕らは二人で一人の比翼連理。
  卑怯と罵ってくれても構わないよ。僕らは元々そういう存在なんだから」

  四四八は「まさか」と首を横に振る。
  それからスーツに付着した泥を片手で払い、眼光を鋭くした。

 「二人一組のサーヴァント。
  カトラス使いの切り込み役と、それをカバーする銃の名手。
  おまけにどちらも女で、言い草から察するに堅気の世界に居た英霊ではない――これだけの根拠があれば、おまえたちの真名を推察するのは難しくない。
  ジョン・ラカムの両翼――カリブの伝説、比翼連理(カリビアン・フリーバード)。
  お目にかかれて光栄だよ、アン・ボニーとメアリー・リード」
 「あら。私たちも名が知れたものですわね。けれど皮肉っぽい言い回しは嫌われますわよ、セイヴァーの御仁?」
 「そう斜に構えるなよ。これでもちゃんと本心だ。
  何しろどいつもこいつも俺の知らん英傑ばかりでな。歴史の教科書で見た名前がこうして目の前に現れるなんてことは、ここまでで一度もなかった」

  故に、と四四八は笑う。
  二対一、加えて相手は天衣無縫のコンビネーションを常に発揮できる歴戦の荒くれ者。
  さしもの四四八といえども、彼女たちを二人同時に相手取ったのでは勝ちの目はまずない。
  彼一人の戦力で覆せる趨勢には限度というものがある。この状況は、それを明らかに逸脱した状況だった。
  言うまでもなく逆境。にも関わらず、その表情を絶望が彩る気配は未だ皆無。

 「だからこそ、不甲斐ない戦い振りを披露しては日本男子の名折れだろう。退ける道理などある筈もない」
 「――然り。そして我らもまた、単騎ではない」

  瞬間――メアリーとアンの顔色が、目に見えて変わった。
  それは本来あり得ないこと。 
  サーヴァントである彼女たちが、たかが一マスターを相手に本気で危機感を抱くという、聖杯戦争のセオリーを滅茶苦茶に掻き乱すような絵面が展開された。
  四四八の背後から、青髪の青年が歩を進める。
  その体から感じる力の波長は、明らかに一介のマスターが保有していていいものではなかった。
  サーヴァント級。それどころか、その領域さえ飛び越えて余りあるほどの力を滲ませ、靴音を響かせる白衣。


  彼こそは神域碩学。
  ゼウスの雷電を人の身にして操る、狂気なりし《雷電王》。
  無限の正義を成す者であり、柊四四八の主ならぬ同志たる男。
  永劫の呪詛を、永劫の祝福を纏い、神霊の権能を持ちて君臨したる彼の名を、ニコラ・テスラ


 「来るがいい、海原の双翼。
  我が雷電を以って、その翼を打ち砕こう」


  ◆  ◆


  迸る雷刃。
  メアリーはそれをカトラスの斬撃で斬り落とし、アンを更に後退させつつ四四八の一閃を防御した。
  彼女こそは海原を駆け抜ける自由の翼。
  その飛翔に明確な型と呼べるものは存在せず、故にあらゆる状況へ柔軟に対応できる。
  ニコラ・テスラが文字通りの超速で繰り出す数々の稲妻を掻い潜り、時に攻勢へ移る程に、彼女は二人の救世主へと喰いつけていた。

  彼女の背後より、破裂音が響く。
  それを耳にするよりも一瞬早く、メアリーが全てを理解しほんの僅か体を逸らした。
  一歩間違えればフレンドリー・ファイアに繋がってもおかしくない超至近距離を通過して、テスラの心臓を射抜かんと駆け抜ける海の暴弾。
  二発三発と連打される銃声は、全てメアリーに当たりかねない位置から打ち込んでいながら、ただの一発として彼女を掠めることすらない。
  当然ながら、銃手と標的の間に遮蔽物が存在すれば、標的がその軌道を読むのは至難となる。
  遮蔽物ごと撃ち抜ける高威力銃が恐れられるのは単純な威力のみならず、そういう理由でもあるのだ。

  二人一組のサーヴァントという異形でなければ保持し得ないコンビネーションのスキルを持つ彼女たちにしてみれば、相方の考えていることなどアイコンタクトすらなしで理解し合える。
  比翼連理の女海賊たちは、決して派手な宝具は持たない。
  恐ろしげな光を放つことも出来なければ、誉れ高き聖剣の加護など持ち合わせていない。
  ただ、しかし。
  その培ってきた実戦能力と連携戦術は、戦いに際して彼女たちへ多大なアドバンテージを齎す。
  それこそ、格上の敵へジャイアントキリングを決めることすら、二人にとっては容易いことなのだ。

 「手温いぞ。未だ様子見とでも言うつもりか」

  だが相手のマスター……ニコラ・テスラもまた、只者ではない。
  マスターでありながらサーヴァント以上の戦力。
  傍らへ出現させた電光の剣を用い、彼は爆光と共に弾丸を切り払った。
  更に返礼として、雷電を迸らせながら走る雷刃の双刃を送り出す。
  砂塵と泥を巻き上げながら迫り来る様は、白飛沫をあげて獲物へ近付く鮫の背鰭を思わせる。
  手に余る。そう判断したメアリーはひらりと躱し、そこを縫うようにアンが銃撃を加えた。
  銃弾を受けた雷刃は、しかし砕けない。弾を弾いてアンへと殺到するので、彼女も堪らず回避を取る。
  無論、それを見逃す柊四四八ではない。

 「はァッ!」
 「ちぃッ!」

  稲光を伴って振り抜かれる一閃を銃の柄で受け止め、返す刀に銃声を響かせる。
  弾丸は四四八の右肩を掠めたが、それしきで止まるようでは、彼はセイヴァーなどという規格外のクラスで召喚されるほどの偉業へは辿り着けなかったことだろう。
  最強の盧生が心の逸りで創り出した滅びの黄昏を相手に、敢えて夢を捨て現実を以って挑みかかり、実際に踏破し魔王を討った生粋の英雄であり、それ以上に莫迦たるこの男。

 「おおおォッ!」

  繰り出す正拳の連撃が、アンの銃捌きによる防御を打ち破らんと連打される。
  手の甲が擦り剥け血が滲んでもなお手を全く鈍らせない四四八もさることながら、達人級の武術を窶した彼の拳打をこの間合いでこれだけいなせているアンもまた瞠目ものだ。
  しかしさしもの彼女といえども、その奮戦は長く続かない。

 「がッ――」

  腹を抉るような拳の一撃に胃液を吐き出し、蹌踉めきながらの後退を余儀なくされる。

 「アン!」
 「ええ、メアリー!」

  雷電王と切り結んでいたメアリーの声から意図を汲み取り、アンは不安定な体勢からでも躊躇なく発砲する。
  その対象は間合いが近く、屠れる可能性の高い柊四四八ではない。
  メアリーへと雷電の一閃を放たんとしていたニコラ・テスラの手元だ。
  一方のメアリーも、斬撃の構えを既に取り終え、腕を振り上げていながら、それまでの一連の動作そのものをフェイントとして急加速で後退。
  アンが対象としなかった四四八へ、カトラスの一閃を見舞った。

 「ぬ――」
 「くっ」

  これには、優勢を確保していた二人も驚かされる。
  距離の概念を完全に無視した、掟破りの標的変更。
  アンはメアリーの窮地を救うためにテスラを狙い、
  守られるメアリーもアンへの追撃を許さぬと、持ち前の敏捷性で踵を返して離れた位置の四四八を狙った。
  そこに言葉はなく、二人のライダーはただ互いの名を呼び合っただけで指示伝達を完了してのけたのだ。

 「まさしく比翼の鳥、というわけか」

  比翼、それは空想上の鳥。
  単眼単翼の雌雄は、それだけでは生物として不完全な畸形でしかない。
  だが、雌雄が常に一体となって空を舞うことで欠点は補われ、その翼も世界も完全なものとなる。
  テスラの手からは、僅かながら血が滴っていた。
  四四八も脇腹へ切傷を刻まれ、スーツ越しに赤い液体が滲んでいる。
  雷電の魔人をしても、今の一瞬だけは完全に虚を突かれた。

 「聖杯を追う者と、聖杯を砕かんとする我ら。
  決して道が相容れることはあるまいが、しかし」

  それを認めるからこそ――雷が、稲妻が。その階層を二つは上げた密度へと、出力の桁を変える。


 「今のは見事だった。
  その飛翔に敬意を払い、私も更なる力を以って貴様を打ち払おう」


  雷霆が駆け抜ける。
  神なる雷、常軌を逸した位階の雷電神話。
  並のサーヴァントならば既に数度は殺されているだろう程の蹂躙が、白昼の公園を駆け巡った。
  その光景は、つい数刻前に此処を小学生達が通過していったとは思えないほどに、現実離れした様相であった。

 「ふぅ……ちょっと、これ以上は覚悟しなきゃ駄目かもね」
 「ですわね。あの青髪の御仁は少々、反則にも程がありますもの。
  げに恐ろしきは、あれでまだ"全力ではない"節があることでしょうか」

  宝具の解放を以ってすれば、勝てる可能性は十分にある。
  それほどまでに、二人の宝具は絶大な威力を発揮する可能性を秘めているのだ。
  しかし何の条件もなしに、只の匙加減で火力を上下させられるほど器用な代物では決してない。
  彼女たちの宝具は、海賊の生き様を象徴したような特性を孕む。
  勝利の可能性を高めようと思えば思うほど条件は過酷となり、敗走のリスクも同時に高まっていく。
  この序盤で切っていいものか、迷いを抱いてしまうのも無理はなかった。

 「マスター!」

  メアリーは、戦いの最中ずっと蚊帳の外に置かれていた自らのマスターへと視線を向ける。


  これは、彼の戦いだ。
  彼が宝具を用いて救世主の主従を滅却せよと命ずるなら、持てる限りの力でそれに応えよう。
  逆に宝具を使用せず、この場より退散することを命ずるなら、それもまた良しだ。
  どちらも理に適っている。こういう場面こそ、マスターの見せ場だろう。


 「……ライダー」

  岡部倫太郎が、口を開いた。


  ◆  ◆


  サーヴァント同士の戦いは、文字通り人智を超えた領域の鬩ぎ合いだった。
  普段は散々岡部を振り回している二人のライダーは、一糸乱れぬ連携で敵を討たんと奮戦している。
  戦力の低いセイヴァーが相手ならば、負けることはまずないだろうと当初岡部は高を括っていた。
  その予想をぶち壊したのは、彼のマスターである青髪の青年だ。
  魔術師の世界について詳しい知識を持たない岡部をしても規格外だと一目でわかる、強大な雷電の力。
  神話の雷神が人の身を象って降り立ち、聖杯戦争という外法の戦へ天誅を下しに現れたのではないかと、思わずそう勘繰ってしまう程に――彼は強く、雄々しかった。
  真実、反則的。
  聖杯戦争のバランスなど、あんな存在が紛れている時点であってないようなものだとすら思う。

 「俺は……」

  無力だ。
  岡部は今、それを痛感させられていた。
  岡部倫太郎は魔術師ではない。
  だから彼女たち二人のサポートなど出来るはずもない。
  相手がサーヴァントのみならず、マスターまでも超人だというならば尚更のこと。
  出来ることなど、何一つない。
  ただ指を咥えて、英霊たちの戦いの趨勢を見届けることしか出来ない。

  セイヴァーのステータスを知る岡部にしても、彼の善戦は予想外だったが、マスター――テスラの乱入と、彼の介入がもたらした戦局の変化に比べればそれは微々たる誤差だった。
  電光の輝きを秘めたる剣が、弾丸を切り落としてカトラスの剣戟を容易く防ぐ。
  いざ攻勢へ転ずれば、速度、威力、精度の全てを兼ね備えた雷電がライダーを攻め立てる。
  無論、セイヴァー・柊四四八もただ主の影に隠れている訳ではない。
  雷鳴の轟きと迸る電光の間を縫い、最大の効力を生める一瞬を的確に見極めて稲妻の一閃を走らせてくる。
  メアリーとアンが拮抗できている理由は、単純に頭数が二倍ということと、そのコンビネーションによる連携戦術があるからに尽きた。
  どちらかが欠けていれば、岡部のサーヴァントは敗れ去っていただろう。

  焦りが募る。
  このままでは、勝てないかもしれない。
  それこそ、彼女たちの宝具を使わない限りは。
  そのリスクは、当然岡部も承知していた。
  あれを最高の形で運用するには、とんでもない綱渡りを要求される羽目になる。
  まして相手がこれほど強大な敵であれば、尚のこと。

 (……どうする)

  条件の成立の後に宝具を解放し、一発逆転を狙うか。
  それとも、踵を返して逃げ出すか。

  ――逃げる。

  それはきっと、この場では最も安牌の行動だろう。
  しかし、そんなことをしていて聖杯に本当に辿り着けるのかと、自問を投げかけてくる自分がいる。
  椎名まゆりの死という定めを覆すのは、文字通り道理を無理で通す行いだ。
  針の穴より尚小さい、存在するのかも分からない光明を作り出す為に、岡部は聖杯を求めている。
  セイヴァー主従は、間違いなく後に残せば残すほど強敵となる手合いである。
  加えて彼らの望みは聖杯の破壊による戦争終結――岡部にしてみれば、到底認められない終着点。
  彼らに先を越されるようなことがあれば、自分や彼女たちの戦いは全て無駄骨に成り果てる。

 「駄目だ、それは……」

  ならば、聖杯戦争の機構を維持するためにも此処で決めておくべきか。
  岡部は、唇を噛み締めて頭を上げた。
  未だ戦いは続いている。
  雷が這い、紫電を纏う刃とカトラスが衝突し、猛攻の隙間を縫って弾丸さえ飛び回る。
  蚊帳の外で、岡部は小さく口を開いた。

  宝具を解放し、眼前の敵を撃破せよ。

  それだけで、事足りる。
  勝てるかどうかは別として、半端で終わる可能性は消える。
  なのに、なかなかそれが言葉に出来ない。
  恐れている。
  未だ全力を出していないのは、あちらも同じだから。

  もしも、宝具の開帳でさえどうにもならなかったら?
  その時は、本当に終わりだ。
  そう考えると足が震える。
  怖い。岡部倫太郎は、その結末を何よりも恐れている。

 「ラ――」
 「マスター!」

  岡部の迷いを、彼のサーヴァント達は知らない。
  だが、響いた声、交錯した視線は。
  鬱屈とした負の連鎖に踏み入り、ともすれば破滅に繋がりかねない判断を下そうとしていた、赤熱化した脳髄をぴしゃりと冷ましてくれた。

  ――落ち着け。

  冷静になれ、岡部倫太郎。
  好機を求める余り、足下が疎かになっているぞ。
  1パーセントの可能性を盲信する余り、99パーセントの破滅を引き当てては元も子もないだろう。
  冷静に息を吸い込み、それから吐いた。
  聖杯の破壊はさせない。
  そしてそれ以上に、"ここでは死ねない"。
  自分の考えを確りと認識し、岡部は改めて口を開く。

 「……ライダー」

  ひょっとしたらそれは不可能かもしれない。
  でもそこは、自分のサーヴァントを信じるとしよう。
  この二人ならば、上手くやってくれる。

 「――撤退する。戦闘を中断しろ!」


  ◆  ◆


  岡部が叫ぶや否や、ライダー達の行動は迅速だった。
  アンは即座にその場で霊体化。
  メアリーは全力で加速し、岡部を抱えて尚衰えることのない身軽さで公園を飛び出す。
  テスラが追撃に放った雷の矢は、カトラスの一閃で敢えなく切り払われた。
  形式的には、まんまと逃がしてしまった――ということになる。

 「追うか?」
 「否だな。彼奴ら、敢えて人目の多い方へ逃げたらしい」

  女海賊達は聡明だった。
  公園を飛び出した後、選択した道は人通りの多い方。
  人理を守ろうと思えばこそ、民間人の前で戦闘を行うべきではない。
  その心理を逆手に取って、あの海賊は逃げる方向を即断。
  まんまと雷電魔人に追跡を断念させるに至った。

 「何も急ぐことはない。彼奴らは魂喰いなどという外道を働きはすまいよ」
 「それは俺も同感だ。……」
 「どうした、セイヴァー?」 

  四四八は、黙って彼らの去った方向を見つめていた。
  どこか複雑そうな表情で、物思いに耽るように。

 「いや。少しあのマスターに、俺の仲間を重ねてしまってな」

  柊四四八は第二次世界大戦を食い止めた英雄である。
  社会的な立場や事情を抜きにしたなら、世界の誰もが一も二もなく同意し頷く功績を残した人物である。
  しかし一方で、その行動は理解不能――未来を予見でもしていない限り辻褄の合わない行動を重ね、しかもそれが悉く好作用を引き起こしたという逸話も残されていた。
  それは、決して単なる偶然などではない。
  彼は、歴史に語られない戦いを経験している。
  その中で百年の時を過ごし、未来を知り、果てには魔王さえも討伐した。
  同じ学び舎より育ち、夢幻の飛び交う邯鄲で同じ釜の飯を食った仲間達。
  彼はその一人と、海賊達のマスターに重なる部分を見たのだ。

  それは愛。
  愛に生き、それに殉じ、神を鎮めた男の背中。
  辿り着いた結末は無情なれど、彼も彼女も、きっと後悔などはしていなかった筈だ。
  ――それを確かめる手段が何処にも存在しないということが、あの二人にとっては最大の悲劇だったが。

  青い若者だった。
  その姿を垣間見ただけでも、十分分かるくらいに。
  きっと彼は、己の願いを諦めはしないだろう。
  自分達は聖杯を破壊し、聖杯戦争を終結させんとしているのだから、その道は決して相容れない。
  されど、その道程に想いを馳せずにはいられなかった。
  せめて幸いがあればいいと、心からそう思う。
  それと同時に。


  聖杯戦争を仕組んだ者。
  恐らくはルーラーともまた異なった、その裏で糸を引く何者か。
  彼の者は必ず討たねばならないと、改めて四四八はそう思う。

  ――貴様の失策は、俺達をこの地へ紛れ込ませたことだ。

  今はその言葉だけを心の中で叩き付け、世界に召し上げられた二人の英雄もまた、公園を後にした。


【C-5/公園付近/一日目・午前】

【セイヴァー(柊四四八)@相州戦神館學園八命陣】
[状態] 疲労(小)、脇に切傷
[装備] 日本刀型の雷電兵装(テスラ謹製)、スーツ姿
[道具] 竹刀袋
[所持金] マスターに依拠
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯戦争の破壊を目指す。
1:基本的にはマスターに従う。
[備考]
一日目早朝の段階で御目方教の禁魔法律家二名と遭遇、これを打ち倒しました。
ライダー(アン・ボニー&メアリー・リード)の真名を知りました。


【ニコラ・テスラ@黄雷のガクトゥーン】
[状態] 健康、空腹、手に軽い傷
[令呪] 残り三画
[装備]
[道具]
[所持金] 物凄い大金持ち
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯戦争の打倒。
0:食事にするとしよう。
1:昼間は調査に時間を当てる。戦闘行為は夜間に行いたいが、急を要するならばその限りではない。
2:アン・メアリーの主従に対しての対処は急を要さないと判断
[備考]
K市においては進歩的投資家「ミスター・シャイニー」のロールが割り振られています。しかし数週間前から投資家としての活動は一切休止しています。
個人で電光機関を一基入手しています。その特性についてあらかた把握しました。
調査対象として考えているのは御目方教、ミスターフラッグ、『ヒムラー』、討伐令のアサシン、海洋周辺の異常事態、『御伽の城』があります。どこに行くかは後続の書き手に任せます。
ライダー(アン・ボニー&メアリー・リード)の真名を知りました。


  ◆  ◆


 「いやあ、しんどかったね」

  手近な路地の裏で、メアリー・リードは漸く一息ついた。
  その体には所々雷電で負った火傷こそあるものの、どれも致命傷は外してある。行動にも支障はない。
  だが、あれ以上続けていたならこれだけでは済まなかったろう。
  宝具を解放する選択肢もあったが、あの場は岡部の指示通り、撤退が一番正しかったとメアリーも思う。

 「全くですわ。あのマスターは反則でしょう、いくら何でも」
 「同感。けどサーヴァントの方も中身は完全にイカれてたね。
  いや、イカれてるっていうか……馬鹿なのかな。うん、それが一番正しいと思う」

  セイヴァーのスペックは、完全にサーヴァントのそれではなかった。
  宝具も持たず、魔力も持たない出来損ない。
  そう見せかけておいて、身に蓄えた経験と鍛錬の生む実力は真実相当なものであった。
  主従揃ってまともとは到底言い難い、明らかなイレギュラー。
  命があるだけでも僥倖と思っておくのが吉だろう。

 「それでマスター。ここからはどうする?」
 「……いや、少しは待ってくれ……というより、少しは休ませてくれ」
 「あらまあ。マスターは別に何もしていないでしょう?」
 「鬼か! こっちはこっちで気疲れがとんでもないんだよ!」

  はあ、と深い溜息をついて、岡部は建物の壁へ凭れ掛かる。
  これが、聖杯戦争。
  やはり一筋縄ではいかないらしい。そう痛感させられる、一戦だった。


【C-6/路地裏/一日目・午前】

【ライダー(アン・ボニー)@Fate/Grand Order】
[状態] 疲労(小)、腹部にダメージ(小)
[装備] 長銃
[道具] なし
[所持金] なし
[思考・状況]
基本行動方針:マスターに従う。
1:討伐クエストへ参加する
2:セイヴァーとそのマスター(ニコラ・テスラ)には注意する

【ライダー(メアリー・リード)@Fate/Grand Order】
[状態] 疲労(中)、体の随所に雷による火傷(軽度)
[装備] カトラス
[道具] なし
[所持金] なし
[思考・状況]
基本行動方針:マスターに従う。
1:討伐クエストへ参加する
2:セイヴァーとそのマスター(ニコラ・テスラ)には注意する

【岡部倫太郎@Steins;Gate】
[状態] 健康、気疲れ
[令呪] 残り三画
[装備] 白衣姿
[道具] なし
[所持金] 数万円。十万にはやや満たない程度
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯戦争に勝利する
0:どうにかなったか……
1:討伐クエストへ参加しつつ、他マスター及びサーヴァントの情報を集める
2:『永久機関の提供者』には警戒。
3:セイヴァーとそのマスター(ニコラ・テスラ)には注意する
[備考]
※電機企業へ永久機関を提供したのは聖杯戦争の関係者だと確信しています。

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最終更新:2016年03月12日 01:41