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>あと、

2005/ 4/ 5 20:14 [ No.31783 / 39216 ]

投稿者 :
ja2047

南京での死者は南京城郊外で戦った中国兵がほとんど全部だった気がするが・・・。

おおむね正解ではないですか?
中国軍の死者について言えばその通り。

偕行の南京戦史でも中国側の戦死3万、撃滅処断(戦闘後の殺害)1万6千としていますし、
秦郁彦氏は戦死5万、捕虜殺害3万と推定しています。
これが、大虐殺派の笠原氏になると、それぞれ2万、8万になる。

”便衣兵(私服で潜伏していた敗残兵)”を日本軍が摘出した数は9000名
(歩兵第7連隊の戦闘詳報の  6670人と佐々木少将私記による佐々木支隊の 約2000人で
合計  約9000人) とされていますし、

スマイス調査の「日本軍に連行されて帰らない市民の数」 4400人と会わせて考えると、
半分は一般市民だったことになるので、”便衣兵”処分の実数は4000~5000程度でしょう。

戦死と正規捕虜殺害が5万~10万ということからすれば、
中国軍の死者のうち”便衣兵”の数は5~10%ぐらいです。
「南京での死者は南京城郊外で戦った中国兵がほとんど全部だった気がするがが・・・。」
というのは、軍人の死者に限って言えば、まったくそのとおりだと思います。


民間人の死者数は諸説あるけど、私は戦死者と捕虜殺害を加えた数より少なかったのではないかと思いますので、
devdev1208さんの見解については、その通りということで同意します。



これは メッセージ 31778 devdev1208 さんに対する返信です

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