でりちゃん資料は公平に見よう
2005/11/26 6:47 [ No.34967 / 39216]
投稿者 :
ja2047
ja2047
そもそも、日本軍による占領後に南京の人口が増えたのだから、虐殺なんてあった筈がない。
だから、これが妄想、資料的には事実の裏付けがない。
今回は、南京で戦闘が始まった1937年12月12日の夜には、南京に残った約20万人の市民ほぼ全員が安全区に避難していて無事だったことについて検証する。
その検証が、事実に基づいて論理的に行われることを期待したいものだ。
12月8日
南京防衛軍の司令官唐生智は、市が戦闘地区に入ったと宣言し「すべての非戦闘員は国際管理下の安全地帯に終結しなければならない」と、布告した。市内他地区での移動は、黄色の腕章に特別の印で示される特別許可証所有者を除いて禁じられる。
1937/12/8NYタイムズ(ダーディン)(アメリカ資料編P390)
そのダーディンが12月19日のNYタイムズ記事で
「一方、安全区という聖域を見いだせずに自宅に待機していた民間人は五万人以上を数えるものと思われる。」
と書いていることを無視してはいけない d(^^
12月11日
今日の午後、パナイ号が移動する前に我々は、警察官が川岸で渡江して避難する準備をしているのを見た。その後、数百人の警察官が同じ目的で下関区へなだれ込むのを目撃したから、もはや市内に警察官はいないのではないかと思われる。
(アメリカ資料編P101~102)
警官がいないだろうから市民がいないだろうというのは無茶苦茶な理屈だ。これは報告者がそんなことを言ってるのではなくて勝手な推論じゃないか。実際には安全区に何百人も警官が残っていたし、実はこの次の日も、パナイ号の周りにはまだ難民がウロウロしていた様子がちゃんと映像で残されている。
http://otd11.jbbs.livedoor.jp/1102321/bbs_plain
映像記録を無視して、原報告者の言ってないことを勝手に主張してはいけない d(^^
http://otd11.jbbs.livedoor.jp/1102321/bbs_plain
映像記録を無視して、原報告者の言ってないことを勝手に主張してはいけない d(^^
12月12日
今夜の記者会見で聞いたところによれば、防衛司令官の唐生智には、旗下の部隊に対する統率力が不足た>めに、城内のほとんどの場所で略奪が行われているそうだ。
(南京事件の日々P47)
ミニー・ヴォートリンは12月17日の日記に次のように書いている、安全区外が無人だったなら、なんであとからあとから安全区に押し寄せてくる人がいるのかな?
「終日押し寄せる大勢の避難民の面倒はとても見きれない。たとえ収容スペースはあっても、うまくやっていけるだけの体力がない。金陵大学側と話をつけて、大学の寄宿舎のうちの一つを開放してもらうことにした。終夜勤務の外国人当直者一名を配置してくれることになっている。」
史料のつまみ食いはいけない d(^^
12月13日
ラーベを委員長とする安全委員会は12月17日の日本大使館宛の文書で、「13日に日本軍が入城した時には一般市民の殆ど全体を安全地区に集めていた」とある。
こうして安全区を別とすれば、南京市は人気(ひとけ)が無くなり、我々委員会のメンバー、わずかのアメリカ人新聞記者、取り残されたヨーロッパ人が2~3人いるだけになりました。
『南京の真実』P344 1938年6月8日付け「ヒットラー宛の上申書」
この文章はさらに
「中国側によればまだ中国人が大ぜい安全区の外に隠れているという話でしたが、これは確かめることができませんでした。」
と続くのだけど、それをカットして自分の都合のいいところだけ引用してはいけない d(^^
これは メッセージ 34962 deliciousicecoffeeさんに対する返信です