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Re: ja2047様へ

2006/ 5/ 1 9:58 [ No.35861 / 39216 ]

投稿者 :
ja2047


いくつか確認したい事が有りますので返信させていただきます。

陥落三日目に南京を去りましたので・・・
そうだったのですか。初めて知りました。
各国の外交官が残っていると言うのに、欧米のジャーナリストは柔ですね。

いえ、外交官は全員退去です。アメリカ大使館、ドイツ大使館は12月9日に館員が退去しています。彼らが戻ってくるのは年が明けて1月の上旬のことです。このときは外交官のみの復帰で、外国報道関係の立ち入りは許可されていません。

南京を去った理由はご存知でしょうか?

ダーディン記者本人によれば、
「南京を離れたのは南京からニュースを送る手立てがなかったからです。すでに南京攻略戦も終わったわけですから、それ以上南京に留まる理由がなかったのです。私は仕事を続けなければなりませんでしたし、読者に私の特報を送る必要がありました。」
ということです。


去るにあたっての各通信社・新聞社の最後の記事はシカゴ・ディリー・ニューズとチャイナ・プレスしかないのでしょうか?

有名なのはニューヨークタイムズのダーディンの記事でしょ。


それから、南京陥落後も外交官の方々は残っていたのですよね。口を噤んでおられたのでしょうか?

そんなわけ無いですよね。その辺の報告資料はございますでしょうか?ありましたら教えてください。

さっき引用したこれなどですね。


資料22
添付書類
駐華ドイツ大使館(漢口)一九三八年二月一日付報告第六七号に添付
作成者-シャルフェンベルク(駐華ドイツ大使館事務長、南京)
文書番号二七二二/一六一二/三八
内容-一九三八年一月二二日の南京情勢

[中略]
南京入城のさいの日本軍の所業については、語らぬに越したことはない。チンギス・ハーンを思い出さずにはいられないほどの徹底した破壊ぶりであった。ある陸軍参謀の中佐の話では、上海から南京へ向かっていた食糧輸送部隊はついに本隊のもとに戻らなかったそうである。この一件からも、日本軍がここではまるであのベルゼルカーのごとく何もかも貧り尽くしたことがわかるであろう。

空き家はただちに焼き払われた。日本兵は、一九一八年当時の黒人兵同様、こう言い含められていたに違いない。 「ここで頑張った奴はみな、南京で美しい娘をモノにできるぞ。」

こうして南京に残っていた女という女はまったくひどい目にあわされた。これを目の当たりにした男たちとこのことについて話をするのは容易ではない。残忍非道な行為にたいする嫌悪感が、かれらの胸によみがえるからだ。

日本軍は統制が失われたと言えば簡単だが、私はそうは思わない。アジア人の戦争の進め方は、われわれとは異なるのだ。日本と中国の立場が逆でも、事態に大差はなかっただろう。とくに扇動の仕方は同じである。



南京から日本軍が居なくなったのは戦争終結後のことです。

戦争終結から東京裁判まで約9ヶ月は有りますが、その間は誰が隠蔽したのですか?

日本側資料は日本側が処分しました。


それともその間にどこかが記事にするなり調査するなりしているのですか?

この時期、6年間の世界大戦が終結して何千万という人が死んだ後ですから、8年前に数万の犠牲者があったことなど、世界の誰も過去のことと思っていたのではないですかね。

東京裁判がらみがあったからこそ、あらためて発掘しようとしたというのは事実だと思いますし、第二次大戦という大殺戮の結果を裁こうという裁判の目玉にされたおかげで、それにふさわしい大残虐行為に化粧直しされた面もあるのではないかと思います。 私的には。


返信


これは メッセージ 35848 bcpds654 さんに対する返信です

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