「歴史参考資料」(2008/09/19 (金) 12:17:04) の最新版変更点
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*歴史参考資料
#contents
**くりくさんのコメント
2005.01.04.pm0:16
くりくらです。
歴史 ふぁさんが作ってる? いろいろ修正キボン
私の記録と記憶によるとこんな感じです。資料代わりに。
02年9月10日ごろサーバーメンテナンス。遅くとも12日には対戦履歴の記録が開始された。
02年10月ごろヤフーメッセンジャーのバージョンアップに伴い、メッセージアーカイブの利用が開始される。(SPに関係ないけど)
JPラダー導入は02年8月末ごろ。
03年明けごろまでラダーラウンジはにぎわう。(わたし個人の記録は、02年末でラダー参加は終わっている)
ヤフーのラダー順位決定のプログラムにバグがあったのか、偶然同時刻に終了したゲームがあると誰かの順位がとんでもなく上がるなどのお楽しみイベント(?)も盛り込まれていた。しかし、「負けても1しか順位が下がらない」というラダーの規則により、「順位1と2が交互に試合し続けると、1と2は勝敗に関係なく永遠に1と2である」「つまり、いくらがんばっても1と2が積極的に譲る気にならない限りは、3位以下が首位に上るのは無理」という順位の固定化が成立してしまい、自然解散的に人が引き、メインラウンジはラダーから初級に戻ることになった。
定員は、ラダー100、一般50。
それによって、定員100名でもサーバーが耐えることがわかったので
一般ラウンジも100に引き上げてほしいと
ヤフー掲示板に陳情トピが立つ。(02年)
が、要望は聞き入れられず、現在も一般ラウンジは50人が定員である。
ハーツは100に定員が増大したのになんぜ。(他のラウンジも使えということでしょね)
※ラウンジ分けについては、2000年以前にハーツで上級者と初心者間で追い出しやOPの選り好みが原因でもめた結果、一時別れる方向に動いたが(このへんはハーツのやぎ氏が詳しそうに思う)、分けると面子が足らない。分けても混ざる。というわけで自然に初級に集まってきてしまう。
混ざる理由としては「上級者と遊んで、技術を学びたい」「どのレベルの人も結局は自分より上と遊ぶ方が面白い」「俺はレートは低いが上級者だ」「上級者とやってても勝てない。気軽に楽しみたい」などなど。ごもっとも。分かれたとしても、各々のラウンジで戦ううちに赤レートが増える。初級のなかで赤にデビューしたら中級に移動? 上級者という基準自体主観的なものなので、分けるといってもその基準がはっきりしないので、全員に強制的にラウンジ分けのルールを強制するのは無理。
それと・・・これはわたしの主観だけど、
大富豪ができて危うくなったのはハーツだけで、スペードは戦術をマスターしきれなかった一部の浮動票的人口がまたいなくなったというだけでダメージは受けていないと思われる。
スペード離れに関しては、大富豪の出現よりも、03年後半から04年にかけてのハンゲームの流行の方が影響力があったと思われる。花札、七並べ、すごろくなどに、スペード上級者もかなり頻繁に通っていた模様。02年からJPスペで一世を風靡していたベッカム組(彼とその周囲の上級者集団を私は勝手にそう呼んでいた)も、その頃からスペード出現頻度が急激に下がり、今はほとんど姿を見ることがなくなってしまった。さみしい限りである。
03年2月 [[ハーツ推進委員会主催「第1回ハーツ&スペード大会」>http://hccweb5.bai.ne.jp/mimi/y-hearts/taikai7.html]]において、スペードチームが圧勝。
ちなみに出場者は
はーつ:ばってん、うふぉ、まるまる、ひろ(ひろえへ)、ぱいぱい、あすでも、春竹、道化、みみっち、よう
すぺーど:ぴぴ、ねこ(だんしんぐ)、はな、まど(まどりん)、ごれん、ごんちゃん、りえ、あり
また、ブロードバンドの急速な普及の効果なのか02年は高校生プレーヤーが大量にデビューした年でもある。
くれむぶりゅれ、ダンシングキャット、ここちゃんほか、強烈なキャラをもつ有名プレーヤーが何人も現れた。
この辺からスペード村の平均年齢は急激に下がりはじめる。
**ようようわてんさんの「スペード年表」
#center{&font(b,#ffffff){[[目次へ>http://www6.atwiki.jp/japanspades/pages/85.html]] [[ホームへ>http://www6.atwiki.jp/japanspades/]]}}
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**くりくさんのコメント
2005.01.04.pm0:16
くりくらです。
歴史 ふぁさんが作ってる? いろいろ修正キボン
私の記録と記憶によるとこんな感じです。資料代わりに。
02年9月10日ごろサーバーメンテナンス。遅くとも12日には対戦履歴の記録が開始された。
02年10月ごろヤフーメッセンジャーのバージョンアップに伴い、メッセージアーカイブの利用が開始される。(SPに関係ないけど)
JPラダー導入は02年8月末ごろ。
03年明けごろまでラダーラウンジはにぎわう。(わたし個人の記録は、02年末でラダー参加は終わっている)
ヤフーのラダー順位決定のプログラムにバグがあったのか、偶然同時刻に終了したゲームがあると誰かの順位がとんでもなく上がるなどのお楽しみイベント(?)も盛り込まれていた。しかし、「負けても1しか順位が下がらない」というラダーの規則により、「順位1と2が交互に試合し続けると、1と2は勝敗に関係なく永遠に1と2である」「つまり、いくらがんばっても1と2が積極的に譲る気にならない限りは、3位以下が首位に上るのは無理」という順位の固定化が成立してしまい、自然解散的に人が引き、メインラウンジはラダーから初級に戻ることになった。
定員は、ラダー100、一般50。
それによって、定員100名でもサーバーが耐えることがわかったので
一般ラウンジも100に引き上げてほしいと
ヤフー掲示板に陳情トピが立つ。(02年)
が、要望は聞き入れられず、現在も一般ラウンジは50人が定員である。
ハーツは100に定員が増大したのになんぜ。(他のラウンジも使えということでしょね)
※ラウンジ分けについては、2000年以前にハーツで上級者と初心者間で追い出しやOPの選り好みが原因でもめた結果、一時別れる方向に動いたが(このへんはハーツのやぎ氏が詳しそうに思う)、分けると面子が足らない。分けても混ざる。というわけで自然に初級に集まってきてしまう。
混ざる理由としては「上級者と遊んで、技術を学びたい」「どのレベルの人も結局は自分より上と遊ぶ方が面白い」「俺はレートは低いが上級者だ」「上級者とやってても勝てない。気軽に楽しみたい」などなど。ごもっとも。分かれたとしても、各々のラウンジで戦ううちに赤レートが増える。初級のなかで赤にデビューしたら中級に移動? 上級者という基準自体主観的なものなので、分けるといってもその基準がはっきりしないので、全員に強制的にラウンジ分けのルールを強制するのは無理。
それと・・・これはわたしの主観だけど、
大富豪ができて危うくなったのはハーツだけで、スペードは戦術をマスターしきれなかった一部の浮動票的人口がまたいなくなったというだけでダメージは受けていないと思われる。
スペード離れに関しては、大富豪の出現よりも、03年後半から04年にかけてのハンゲームの流行の方が影響力があったと思われる。花札、七並べ、すごろくなどに、スペード上級者もかなり頻繁に通っていた模様。02年からJPスペで一世を風靡していたベッカム組(彼とその周囲の上級者集団を私は勝手にそう呼んでいた)も、その頃からスペード出現頻度が急激に下がり、今はほとんど姿を見ることがなくなってしまった。さみしい限りである。
03年2月 [[ハーツ推進委員会主催「第1回ハーツ&スペード大会」>http://hccweb5.bai.ne.jp/mimi/y-hearts/taikai7.html]]において、スペードチームが圧勝。
ちなみに出場者は
はーつ:ばってん、うふぉ、まるまる、ひろ(ひろえへ)、ぱいぱい、あすでも、春竹、道化、みみっち、よう
すぺーど:ぴぴ、ねこ(だんしんぐ)、はな、まど(まどりん)、ごれん、ごんちゃん、りえ、あり
また、ブロードバンドの急速な普及の効果なのか02年は高校生プレーヤーが大量にデビューした年でもある。
くれむぶりゅれ、ダンシングキャット、ここちゃんほか、強烈なキャラをもつ有名プレーヤーが何人も現れた。
この辺からスペード村の平均年齢は急激に下がりはじめる。
**ようようわてんさんの「スペード年表」
http://yow2.sakura.ne.jp/spade/spade7.html
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