夕闇に沈み、斜陽に燃ゆ ◆sRnD4f8YDA


じぶんを、しんじて。そう言って、ひとりの人間が事切れた。
悪魔じゃないと言って、消えていった。
その言葉達はぐるぐると渦潮に飲まれながら思考の海に溺れていって、やがて闇の奥に消えてゆく。
しんじる。
声にならない声で、呟く。胸の奥で、もやもやした塊が何かを求めて彷徨う様に、中途半端に浮いていた。











足が、鉛の様に重い。

一歩進む度に、両の足は木の根や蔦に絡まった。指は感覚がなく、痺れている。
肩は神経を針で刺される様に痛んでいて、皮膚は燃えている様に熱い。
関節が、みしみしと軋んでいる。思う様に身体を動かせない。肉が、骨が、細胞が、臓器が。凡そ人を創る全てが、悲鳴を上げていた。
喉はからからに乾いて、視界は霞んで、肌は脂と泥で滲み、僅かにてかっている。
得体の知れない妙な脂汗が額に滲んで、頬をどろりと伝う。気持ち悪さに舌を打ちながら、堪らず腕で拭った。
―――ひやり。
冷たい感覚に足が止まって、指先がびくりと跳ねる。
そこで初めて服が冷や汗でびっしょりと濡れていた事に気付くのだから、呆れを通り越して笑うしかない。
苦笑を浮かべながら、濡れた指先を震える唇に這わせる。乾いた唇は端が少しだけ切れていて、息をする度にじくじくと痛んだ。
舌を紫色の唇に這わせて、唾で濡らす。鉄と汗と、それから土の味がした。
生きている味だった。
指先に視線を落とす。赤い血が滲んでいた。人間と同じ、赤い血が。
小さなその滴はまだ生温くて、まるで先刻奪ったいのちの様で、少しどきりとした。

―――生きている。

少年は思った。胸の奥に、熱い何かが込み上げた。とくん、と身体の内側から血潮が脈打つ音がする。

生きている。生物として、生きている。地に足を立てて、生きている。酸素を吸って、いま、此処に、生きている。
自分を信じてと言った少女も、私を信じてと言った少女も。
その想いも血肉も言葉も命も。全てを擂り潰し、踏み台にして。
俺は、生きている。

人間は、誰だ?
バケモノは、どちらだ?
悪魔は、何処に居る?
生きているのは、死んでいるのは、どっちだ?

ただ茫漠と、泡沫の様に宙に浮かんだ疑問に答える者は無く、そこには耳が痛いくらいの静寂と、やたらと煩い鼓動のリズムだけがあった。

不意に吹くつむじ風。爽やかとはとても言えない、生温くてやけに湿っぽい風だった。
くたびれた前髪を攫って、ばさばさと湿ったジャージを靡かせて、枯葉を巻き込み向こう側へと通り抜ける。
少年は頭をもたげ、拳を握った。冷えた返り血が、べとりと皮膚に絡み付く。

ーーーお前が殺したんだ。

耳元で、何かが動物をあやす様な声で囁く。耳に触れた湿った吐息は肌を伝って、びりびりと脳の内側の神経まで撫で上げた。
耳を澄ませば、そこは夢幻の言霊が蠢く狂気の沙汰。




【お前はお前<だ。悪魔なんかじゃな(ハヒャヒャ「簡単じゃねーか。みんな殺して》違う、それは違うよ、[也<欲しいものだけ生き返ら“、ハッピーエンドだ」ャヒャ)
お前“それで、生き返った俺たちが《悪魔だね。じゃなきゃあんなに〈喜[悦]ぶとでも〉んで殺すわけないだろ〕思ってるのか?
{全員赤く[まだ、間に『もう間に合わねぇよ]合うから」で人を殺したり》ッヒャハ】染めて‘たわけが!
ヒヒャ〈どうして、私『間違ってい“を殺し(痛い、いたいっ[常勝無〝お願い、たす{け〟圭一く〔信じて。
{思い出せよ。人間なんて】お前、潰」[生き返りを願う)喪う>痛みを知って『痛みを与える側に回るん〝目を覚ませ、赤<お前は(ャヒャヒャ
先輩は《気付い‘間違ってなんか’てくれ、赤「じぶんを、[死]んじ‘嫌だ、殺さないでッ”ハハ
〔バケモノはお前だよ〟当は、気付い’俺は帰る家“がなくたって戦える(
【なぁ、お前は、ひとりなんかじゃないだろ」也、
〈かってる。わかっ>でも、殺しちまった罪は消えねぇよ〟だからって、それ以上』
[それは違うぞ。お前はただ〈だから壊すしかな(正しくても、誰ももう戻ってこない’戻れない』からな“そんな悲しいことを言うなよ】

「たわけ。難しい事などあるものか。悪魔も、バケモノも、人間も、全部お前だ。ただ、それだけなのだ}




幻が、落陽に燃えて夢のあと。
踏切の音と、自転車の鈴。雑踏、夕立の音。帰宅ラッシュのクラクション、壊れたように鳴り続けるインターホン、ゆっくり響くメトロノーム。
交差点で歩行者信号が懐かしい歌を流して、蛍の光が遠く聞こえて、ドヴォルザークの家路が重なる不協和音。
辺りには囁き声、笑い声、泣き声、叫び声、断末魔。壁掛け時計から鳩が飛び出して、全部がサラウンドで混ざりあって。
そこに、テニスボールが跳ねる音。ひぐらしが、泣く音。血濡れた旗が靡く音。その向こう側で、いつか聞いた、変なラジカセ。
左官工事の削り音がけたたましく鳴り響き、急かすように目覚まし時計がベルを叩く。
スピーカーが割れた低音を垂れ流し、目玉をスプーンでくり抜かれた妖怪の少年が金切声を上げる。
人魚と雪女が、生きたまま掘削機に身体を砕かれてゆく音。ビデオデッキがきゅるきゅるとテープを巻き戻す。
どこから聞こえたか、鐘の音、ピアノ、コントラバス。
教会の唄が頭の内側から響いて、魔物の少女が左腕からゆっくりと捻じり潰される時の黄色い悲鳴と、
飛び散る肉汁の奏でる交響曲が、鼓膜の裏側から肉を出鱈目に叩き続けた。

やめろ。

少年は叫んだ。やめてくれ。

幻影から逃げる様に瞳を閉じて、崩れ落ちる様に両の膝を折る。耳を両手で塞いで、身体をくの字に曲げた。
網膜の内側で何かがばちりと弾けて、ちりちりと虹色のフィラメントが散る。
幾何学模様のストロボが何度か瞼の裏側に焚かれて、やがてそれはどろりと蕩けて小さな少女の形になった。

恨む様な視線をこちらに向け、小豆色と白の制服姿を血で濡らしの、そこにただ立っている。
氷の様に冷たく尖った眼光は心を抉る様だった。

「見るな」震える唇は、か細い声でそう紡ぐ。「見るなッ……!」

頼むよ―――そんな目で、こっちを、見ないでくれ。

腹から絞り出して、祈る様に、呟く。少し前までは、自分を諭し、止めるだけの幻だったのに。
それがどうしてこんなにも、心が痛い。

「嫌だね。そうやって逃げているうちは、一生見てやる」

少女は嗤いながらそう吐き捨てると、霞に紛れて消えていった。





意味もなく、ただ時間だけが徒らに過ぎていった。
薄く目を開き、苔だらけの木の幹に背を預け、膝を抱えて座り込む。
虚ろな双眸は、色も光も映さない。闇の中に浮かぶその二対の鈍い金色はどこまでもくすんで、
合わない焦点はただ齧り付く様に空に浮かぶ虚像を見つめていた。

がちがちと鳴る歯、泥と汗が混じった臭い、荒い息遣い、中空を回る亡霊、何かを責めたてるような風の囁き。
目を開いても、閉じても、膝を追っても耳を塞いでも。
まるでお前に逃げ場などないのだと嘲笑う様に、それらは少年を取り囲んで鎖で縛り、腕を掴んで鉄塊を括り付け足を沼に沈めた。

暫くして、息を深く吐きながら少年は静かに立ち上がる。
ぐにゃり。とたんに視界が曲がって、足が縺れた。地面が急に柔らかくなり、平衡感覚がなくなる様な、そんな幻。
何てことはない。落ち着いて考えればただの立ち眩みだった。木の幹に手を付き、堪らず舌を打ってかぶりを振る。
目の前に灰色の砂嵐が走って、そしてそれが治まると―――少年は改めて、辺りを見渡した。

そこは、深い森の中だった。

鬱蒼と茂る木々の手前の世界は、影に侵されモノトーンに溶けている。
枯葉が積もった地面には膝丈まで葦が伸び、そこからは木々の幹がひしめく様に目の前に連なっていた。

……俺は何処を歩いてた?

再び舌を打ち、背後を振り返る。幹から細長く伸びた影は、その向こう側で一点に束ねられ、暗がりの塊になっていた。
人を喰らう化け物の大口のように、ぽっかりと闇が、景色に穴をあけている。
戻る事を明確に拒否しているような力を感じて、少しだけ身震いをする。
こちらへは、進めない。少年はごくりと喉を鳴らして、前へと身体を戻す。
斜陽が木々を照らし出し、幹と幹の狭間から光が帯の様に差していた。
そしてその向こう側の景色は――――――――――――――嗚呼、他に形容出来ない。


世界は、燃えていた。


空気が、大地が、空が、雲が、光が。その全てが�撫の紅に飲まれて、燃えていた。
言葉を失って、思わず立ち尽くす。
光と影のコントラスト。燃える落陽、光の残滓。赤、黒、金色。

呆れるほど、綺麗だった。

溜息を吐いて、空を仰ぐ。寄り添い合う葉々の隙間から、鮮やかな紅が見えた。
しかしその色は殆ど姿を見せず、広葉樹達は炎を恐れる様に、或いは大地を守る様にその葉を重ね、空をすっぽりと天蓋で覆ってしまっていた。
闇夜の世界に色は要らぬと、自然達が謳っているようだった。

競い合う様に伸びた森の木々は、少年の背丈の数倍以上はあるだろうか。
風が少し吹くと、ざぁざぁと森が大袈裟に騒ぎ立てた。そのたびに木洩れ陽は表情を変えて、黄昏に踊っていた。
そうしてただ口を半開きにしてぼうっと天を眺め、首が疲れてきた頃、少年はこうべを垂れて前を見る。
木々の隙間から、光の帯が真っ直ぐ向かうその先へ、赤く燃える光の向こうへ、手を伸ばす。

気付いた時には、足はその血濡れの身体を連れて、前に進んでいた。身を焦がす炎を目指す、蛾の様に。

葦を掻き分けて、闇を泳いで、光を追う。疲労は相変わらずだったし、膝丈まで生い茂る草木は容赦無く体力を奪った。
それでも歯を食いしばり、少年は進んだ。息が切れ、ジャージは汗を吸い、肌に張り付いていた。草で頬を切り、ぬらぬらと鮮血が首を流れていた。
最後に大きな岩を登り切って、そして少年は力を振り絞る様に前を見た。


そこは闇に濡れた森の終わりだった。開けた視界には、燃える世界があった。
地平線に斜陽が沈み、大地が輝いていた。羊雲は茜色に染まり、優雅に空を泳いでいた。
その向こうに、海が見えた。金色に揺蕩って、地平線まできらきらと輝く波を運んでいた。
二対の硝子玉に、黄金の斜陽が映り込む。
ぱちり。瞬きを一回。
景色はどこまでも澄んで、曇りひとつありはしなかった。

どくん。胸の奥で、たましいが躍動して、血潮が流れる。
誰が正しくて、何が間違っていて、誰が人間で、どちらが化け物で、悪魔が何処へ居るのかなんて、どうでもいい疑問の様に思えた。

心が汚れ切って、信念が擦り切れて、自分がこれだけ醜くても、それでも世界は綺麗だった。

だけどもう一度、考えてみる。
やっぱり答えなんて分からない。悩んで、悩んで、足掻いて、ぶつかって、躓いて、走って、叫んで。
それでも分からなくて、ただ生きるしかなかった。奪う以外に道は無かった。やり直す事など、出来るわけがなかった。
人間は汚くて、でもそんな人間に、死んで欲しくないと思って。だけど、人間はあのビデオみたく……どこまででも、酷い真似が出来る。
それでも自分には人間と同じ血が流れていて、だけど、人間の命を奪ってしまった。そしてそいつは自分の事を人間だと言った。
だけど殺してしまった。あのビデオの人間の様に、この手で。
この、手で。

「わかんねェよ」

ぐしゃりと髪を握りながら、自嘲混じりに弱音を吐き出す。何もかも分からなかった。分かるわけがなかった。
ただ、それでもひとつだけ。
ひとつだけ、分かった事があった。

左手に握ったラケットに、少年は右手を添える。瞳を閉じれば、ほら、耳元で囁く亡霊の百鬼夜行。
見知った奴の顔をした何かが、文句を、恨み言を、綺麗事を言う。
その隣で頭がひしゃげた少女と、腸が飛び出た少女がこちらを睨んでいた。
その背後に、腕を組んだあの人が立っている。

【帰るぞ、赤也。もういいだろう。そっちにお前の居場などない。もう、いいんだ。
 お前は、お前だ。それを見失うな】

幻が、手を伸ばす。少年は少しだけ何かに耐える様に空を仰いで―――そして、腹を抱えて笑った。
何も難しい事はない。自分は、自分だ。悪魔も、化け物も。全部、人間の自分だ。
そんな簡単な事、どうして忘れてた。
涙を目尻に浮かべて、笑う。腹がよじれて仕方がなかった。差し伸べられた手を見て、ゆっくりと手を伸ばす。
……はぁ。全くこんな事を幻に言われている様では、本当に、本当に、ほんとうに。













少年は、ふいに笑い声を止めて真顔で言う。

「―――――――――――――――――――――反吐が出るぜ」

空気が、凍った。瞳を開いて、ラケットで亡霊達の頭を薙ぎ払う。

「分かってんだ。あぁ、解ってんだよ」

中空に消えるエクトプラズム。ぐるぐると見知った輪郭が渦巻いて、そのまま太陽に焦げて地平線の彼方へ消えてゆく。
前髪の隙間から、夕焼け色に染まった眼が現実を真っ直ぐに見ていた。

「死んだ奴は、喋らねェ。殺した奴は、戻らねェ。幻は、幻だ。偽物は、偽物だ。誰も、何も、信じねェ。
 俺は、そんな俺を信じる。どうしようもねェ自分を信じる。答えがだせねェ自分を信じる」

悪魔は、人間は、“切原赤也”は、溜息を吐いてにたりと嗤う。

「俺にはもう居場所なんてねぇんだよ。戻る場所も、やり直す事も……できやしねぇ」

人を殺したんだ。そんな甘い話があるものか。やり直すだなんて、やっぱり無理だ。
大切な人がどっかに居るって? ああそうかよ……あの世の事だろ、そりゃ。



「その居場所がねぇって現実が、やり直せねぇ現実が――――――俺の居場所なんだよ」



帽子を外し、風に靡く髪をかきあげ、真っ直ぐに丘から下の世界を見つめる。
少女の声は、少年の心に確かに届いた。惜しむらくは……彼女が死んでしまった事。
生きていれば、少年を独りにしなければ、未来は変わっていたかもしれない。それでも、現実は非情だった。
どれだけ心に言葉が響いても、それを答え合わせしてくれる人間は、誰も居ない。

どうしようもなく、少年は独りだった。

斜陽が沈み、焦げた世界は薄紫に染まりゆく。輝く光が海に溺れて、深い闇が空から落ちてゆく。堕ちてゆく。

「だから、もう黙れ。都合の良い夢も、幻も、副部長も、あの女も、みんな、みんな。もうこの世にはいねぇ。
 それが俺の信じる現実だ。だけどその現実に……帰るぜ、俺は」

誰もいなくなったそこに。黙したままの紫色の中空に、赤也は凄絶な天使の微笑みを投げた。

「俺は俺だ。バケモノで、悪魔で、きたねェ人間で」

凍てつく夜が天を覆ってゆく。過去を切り捨て、現実を見据える体へと影が手を伸ばし、誰も彼も、島をも飲み込む。
こんなに綺麗で残酷な世界の中では、空の下では、人やその悩みなどどうしようもなく些細な事で、嗚呼―――人間も、悪魔も。その中では―――。



「常勝無敗、立海テニス部の切原赤也だ」



ポケットの中で、無機質なノイズが走った。十八時。携帯電話が下らない話題で騒ぎ出す。
その忌々しい声の中でも、決して目指す場所だけは見失わない様にと、足を前に踏み出す。
沈みゆく光の残る方へ。
誰も居ない現実へ。
戻る道すら閉ざされた、茨の道へ。

【B-5 森/一日目・夜】

【切原赤也@テニスの王子様】
[状態]:悪魔化状態 、『黒の章』を見たため精神的に不安定、幻影克服、疲労大
[装備]:越前リョーマのラケット@テニスの王子様
[道具]:基本支給品一式、バールのようなもの、弓矢@バトル・ロワイアル、矢×数本、瓦礫の礫(不定量)@現地調達
    燐火円礫刀@幽☆遊☆白書、真田弦一郎の帽子、銛@現地調達
基本行動方針:勝ち残り、最後に笑うのは自分。
1:???




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7th Direction ~怒りの日~ 切原赤也 解答:割り切れない。ならば――。(前)


最終更新:2021年09月10日 22:36