冷たい病院の時は動きだす ◆j1I31zelYA


カツン、カツン、と。

薄い緑色をしたリノリウムの床を、少年が歩いていた。
塵ひとつない床は、一歩ごとに冷たい反響を返す。
ゆっくりと廊下をあるく彼は、一人の少女を抱えていた。
お姫様だっこの形で優しく抱きかかえられた少女の顔は紙のように白い。
誰の目にも、事切れていると分かる。

それは、物ごころついた時から少年のそばにいた、幼なじみの少女だった『もの』。
そして、これからもずっと一緒にいられたらと、淡い夢を抱いていた、大切なひと。

力を失い、重たくなった遺体を軽々と抱き上げ、ゆっくりと階段を降りていく。
まるで、少女はただ眠っているだけだから、起こさないように気を付けなければ、という風に。
少年――浦飯幽助の表情はとても静かで、その瞳は、とても虚ろな瞳だった。
瞳の焦点が合っていないのとは違う。
しっかりと焦点が合っているのに、どこを見つめているか分からないような、そんな恐怖を与える瞳だった。
さながら、『空っぽの瞳』ではなく『中身を無惨にえぐり抜かれた瞳』とでも表現するべきか。

カツン、カツンと一定の間隔をあけた足音は、迷うことなく『非常口』の、緑色のランプが示した方へと向かう。
病院の見取り図をいちいち覚えてはいなかったが、
目的としている場所は、たいてい裏口や搬入口近くに造られていると聞いたことがあった。

やがて、幽助は探していた部屋の前で立ち止まった。
簡素な白いプレートには、『霊安室』と、書かれていた。
重たいその扉を開けると、真っ黒い闇が彼らを出迎える。

そして、少年は声をかける。
少し前に『もの』になった少女へと。

「殺風景なところでごめんな、螢子…………全部終わったら、絶対に迎えに来てやるから」

優しく語りかけられた腕の中の少女は、穏やかな顔で瞳をとじたまま。
その、あたかも未練など無さそうな安らかさに、幽助の瞳が刹那、揺れる。
しかし、すぐにその躊躇いは、強い決意で塗り替えられた。

そして、幽助は、言葉を続けた。



「その時は…………絶対に生き返らせてやるから」



そう、死んだ人間は、生き返らせることができるのだ。
心も体も、生前のままで。
その事を、浦飯幽助は知っている。
知ってしまって、いる。
だから、雪村螢子も生き返るのではないかと、そう思ってしまった。
生き返る希望を捨てたくないと、思ってしまった。

現実的にその可能性を考えてしまうほど、もう二度も『蘇生』に立ち会ってしまっている。

一度目は、交通事故であっけなく死んでしまった、自分自身。
トラックにひかれそうな子どもを助けた行為が、『予想外の死』だったということで、生き返る権利を勝ち取れた。
その時は、生き返る『試練』を受ける前提での蘇生だったこともあり、まだ『死人は生き返るのだ』と悟る段階にはいなかった。
二度目は、暗黒武術会にゲストとして正体され、優勝した時。
遅かれ早かれ寿命での死亡が避けられなかった師匠の幻海を、『優勝することによる褒美』として、黄泉から呼びもどすことができた。
その死を認めることができず、しばらくは他者に話すことさえ拒みながらも、どうにかその死を受け入れた後に、彼女の元気な姿を見せられた。

死んだ人間を、生き返らせることはできる。
誰がどうやって生き返らせたのかなど知らないし、それが正規の手段なのかさえ分かっていない。
けれど、間違いなく、生き返らせる方法はあるのだ。
だから、殺し合いを強要した人物の『優勝者には、相応以上の報酬が用意してある』という言葉も、本当なのだろうと受け入れた。
人間をこれだけの規模で拉致し、広い会場を貸し切り、大勢の参加者を瞬間移動で会場まで運ぶだけの、財力と権力とそれ以外の不思議な力。
あの暗黒武術会と同じぐらいか、それ以上の規模の『ゲーム』だということは、容易に察しがついた。
そんな大きな規模で『殺し合いゲーム』を開く外道は、あの武術会の運営委員のように、この催しを心底からエンターテイメントだと見做しているのだろう。
なら、提示された『賞品』に嘘はないはずだ、と。
そこまで理解が及んでしまった幽助が、『蘇生』の誘惑を諦めることは、とうてい不可能だった。

自分のような人間だって生き帰ったのだから、
螢子のような人間が、生き返ってはいけないはずがない。
あの暗黒武術会のような催しでさえ、死者蘇生が許されるのなら、
こんな理不尽な『ゲーム』の為に殺されて、生き返っていけないはずがない。

――ハタと気づいたように顔をあげ、慌てて付け加えた。

「いや、誤解すんなよ? 別に皆殺しして優勝しようなんて考えてねえからな。
だいたい桑原の奴だってここにいるんだぜ?」

すぐ近くで螢子の魂が見ているかもしれない、と気にしたように。

「殺し合いを開いた奴らをぶっ飛ばして、犠牲になった連中を蘇生させる。
それだけのことだ」

優勝すれば、死者を生き返らせることは可能。
それを幽助は受け入れている。
それでも。
殺し合いに乗るという手段で、
最後の1人になった褒美によって、
雪村螢子を蘇生させてもらう、という道などあり得なかった。

浦飯幽助に対する、雪村螢子への想いは、まぎれもなく一途で、強いもの。
ある意味では、共に戦って来た3人の仲間よりもずっと大事な、守りたいと思って来た存在だった。

それでも幽助は、ごくまっすぐな人間だった。
『目的の為に他者を犠牲にできる』人間では、なかった。

『褒美』とやらに頼る時が来たとしても、それは主催者の言いつけを守って優勝した時ではなく、主催者を屈服させた時。
あの『声』の主をぶっ飛ばし、しかる後に、脅すなり無理強いするなりして、蘇生を実行させるまで。

その為に、まず必要なこと。
それは、幻海の蘇生の経験から、幽助が得ていた知識。
死体の、保存だった。
肉体を、腐敗させてはならない。
幽助の知識では、魂の蘇生は可能でも、肉体の復活は鮮度の高い遺体がなければ不可能だった。

霊安室に踏み込み、灯りをつけた。
殺風景な空間に、簡単な備え付けの神棚やら、遺体を置く為の寝台やらが備え付けられている。

すぐに、違うな、と思った。
空気が、ぬるい。
室温が、高すぎる。

それも無理からぬこと。
一般の病院では、霊安室の室温は22℃から26℃の間を維持されている。
しかし、死体の保存に適した室温はおよそ2℃から4℃。
より半永久的に腐敗を食い止めたいなら、-15℃からー20℃の間で保管するのが望ましい。
しかし、病院の霊安室はあくまで、死体を保存する場所ではなく、死体を一時的に安置する場所。
そこで半日以上死体を保管することは少なく、また『遺族と遺体の面会場所』という側面が強いがために、
生きている人間にとって不快にならない環境の方が重要視されることになる。
その室温では、腐敗を避ける為に最も重要な、遺体の中心温度降下にはとうてい足りていない。
もちろん、幽助にそこまで専門的な知識はなく……死体を保存するなら、もっと冷たい場所の方がいいはずだと、漠然と考えただけだったが。

すぐに、他に適した場所がないかを考える。
遺体を保存する為の、設備がある場所。
葬儀社。
警察。
あるいはどこか、大きな冷凍室がある場所。
幽助の知識で思いつく候補地は、その程度。
いずれも、GPSの地図には描かれていない場所だった。
けれど、これだけ広い町なら、それらが一つもないということはないはずだ。

「悪い、螢子。……すぐ、お前を休ませる場所を探すから」

ひとまず寝台に螢子の体を降ろし、上階へと戻る道を駆けだした。
殺害現場に、ディパックを取りに戻る為に。
抱えるものさえなければ、幽助の足で病室にたどり着くのはすぐのこと。
そこに残されていたのは、ひと1人を殺害した分量の、血だまり。
三つのディパック。

そして、首が変な方に曲がった男。
視界に入れることさえ嫌悪を覚える、螢子の命を奪った人間。

殺したことに、後悔はしていなかった。
それで恨みは晴れなかったけれど、拳には虚しさが残ったけれど、
それでも、男に対して『すまない』とは思わなかった。

なぜなら、螢子を殺したにも関わらず、その男は笑っていたのだ。
高らかに、大きな声をあげて。
素晴らしい行いを、成し遂げたかのように。
改心も罪の認識も、救う余地もなさそうに。

世の中には、救えない人間がいる。
幽助は、そのこともまた知ってしまっていた。
金を手に入れる為ならば、人とも思えないような残虐行為を、何とも思わない垂金権造。
医者であるにも関わらず、人の命をもてあそぶことに快感を覚える、神谷実。
改心の余地がない存在を見て来てしまったが為に、螢子を殺した男も、『そういう人種』なのだと見なしてしまった。

それでも、罪悪感はあった。
人間は、人間を殺してはいけない。
改心の余地がない妖怪を殺してきた幽助でも、その一線だけは守ってきた。
どんな人間であれ、殺害が禁忌だと理解できないほど、幽助は愚かではなかった。

それでも、『殺す以外に方法がない』状況で、犠牲者を食い止めるために、殺したことはあった。
その後味の悪さは、しかと記憶していた。
あの時は、幻海の蘇生術があったからこそ、相手を蘇らせることができたけれど、
今はそれも叶わない。

「もし螢子以外にも『蘇生』が叶うなら、その時は生き返らせてやるよ」

螢子の時とは打って変わって、吐き捨てるように言葉をかけた。
言ってみて、なんて寒い言葉だろう、と思った。
『誰も彼も生き返らせる』というのは、いくら幽助でも、都合のよい考えだと分かった。
理不尽なゲームによる死亡だから生き返っていいと言うのなら、
それこそ世の中は理不尽な死であふれているのだから。
だからそれは、希望ではなく『可能ならそうする』という予防線だったのかもしれない。


もし同じような『殺さずにいられない人間』を前にしたら、今度は躊躇わず、殺してしまうかもしれないから。


――己を罰しているつもりか?

かつての宿敵だった男の声が、聞こえた気がした。
真に強くなりたければ、他者を切り捨てるべきだと、そんな信念を持っていた、宿敵の問いかけ。
あるいはそれは、幽助の深層が、無意識に疑問として表れたのかもしれない。

そうかもしれないな、と思う。
戸愚呂に戦友の桑原を殺された時に感じた、激しい怒りと似通った感情。
男を殺した時、その感情が体を支配していた。
あと少しでも早く、駈けつけていれば。
あと少しでも早ければ。早ければ。早ければ。

自分自身が何より許せない、という断腸の思い。
その想いが、より厳しい道へと、失態を埋め合わせようと、
自分を追いたてていないと言えば、嘘になる。

幻聴は続けて言った。
俺と同じく、力を振るうことに身を任せるつもりか、と。
その問いかけに、幽助も心の中で答える。

あんたとは違う。俺が殺す時がくるとしたら、それは犠牲者を減らすためだ。

もしこの『殺し合い』の中にも、許せない人間がいたのなら、
誰かが誰かを、殺さねばならない時が来たのなら、
その人間を殺さなければ、犠牲者が増えるというのなら。
その人間は、他の誰でもなく、自分が殺す。
一度人を手にかけ、既に罪を犯した、幽助が殺す。


※   ※


可能なら生き返らせることにしたはいいものの、遺体の移動方法については少し悩んだ。
幽助の腕力で人間2人を担いで移動することなど造作もなかったけれど、
しかし、螢子とその殺害犯とを、いっしょくたにかついで歩くなど、とうてい論外。
しばらく悩み、とにかくまずは荷物からまとめるかと3つのディパックを整理する。
すると問題は、あっさり解決した。
幽助のディパックは、同じ大きさのディパック二つを、するすると吸いこんでしまったのだった。
試しに、ディパックの口を開け、男の遺体にかぶせてみた。
するとまた、同様にするすると収納することができた。
ディパックに入れたとたん、GPSの男を示す光点が、消えた。
生きた人間はどうか知らないが、遺体ならディパックに入るらしい。
半ば麻痺した頭で、幽助は理解した。

荷物を遺体含めて収納したディパックを、幽助は体の前に来るよう背負う。
背中を開けたのは、これからその位置に、少女の遺体をおぶさる為だ。
いくらディパックが運搬に便利だからといって、螢子の体を、食糧やら水やら、
まして殺害犯の男といっしょにするなどは、やはりあり得なかったので。

そのまま早足で、再び霊安室へと。


「待たせたな、螢子。……あともう少しだけ、辛抱してくれ」


近くにある非常口から、外に出る。
最愛の少女の亡きがらを、背に負って。

こうして浦飯幽助は、歩きだしたのだった。
その行く道は、未だ、夜の闇につつまれている。


【G-4/病院前/一日目・黎明】

【浦飯幽助@幽遊白書】
[状態]:精神に深い傷、雪村螢子の死体をおんぶ
[装備]:携帯電話(携帯電話レーダー機能付き)
[道具]:基本支給品一式×3、血まみれのナイフ@現実、不明支給品1~3、渋谷翔の遺体
基本行動方針:殺し合いを潰した後に、螢子蘇生の可能性に賭ける。
1・螢子の遺体を保存できる場所を探す。
2・殺すしかない相手は、殺す。
3・桑原を探す。

[備考]
※参戦時期は124話、桑原襲われるの報を聞いた後、御手洗が目覚める直前です。




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天使みたいにキミは 浦飯幽助 Spiky Goose


最終更新:2021年09月09日 19:03