しゃがんだウェザーの頭上を横薙ぎが通り過ぎていった。帽子の切れ端が短くちぎれ飛ぶ。
低く身を沈めた姿勢からウェザーはプッチの顔めがけ、拳を振るった。しかし、空振り。
ウェザーの拳は何もない空間を通り抜けただけだ。
バシャリ、と水たまりを蹴りあげる音が後ろから聞こえた。ウェザーは反射的に振り返る。同時に背後に回った敵目掛け、身体を捻るように裏拳。
またも空振り。攻撃を予期していたかのように、プッチは後ろに飛び下がり、ウェザーの一撃は敵を捕えらない。
何もない空間につきだされた拳をひっこめると、ウェザーは鋭い目線で敵をにらんだ。
戦意は衰えていない。いや、ますます燃えがる。体全身を打つ雨粒を蒸発させんとばかりに、熱い闘志を燃えあがらせる。
見つめるプッチ、睨むウェザー。雨音が辺りを包む。どちらも動かなかった。二人とも何も言わなかった。
突然、プシッと短く力強い音が辺りに響くとプッチの頬より血が噴き上がった。
深い切り傷だ。傷口にやった手が一瞬で真っ赤に染まるほどの深い傷。
そうして立て続けにプッチの身体より血が噴き上がる。見えない刃が腕を、脚を、胸を撫でる。
修道服がズダボロになり、二万ドルもするズボンは血と雨と傷で台無しになる。
「ロックコンサートにでも行こうというのかい、神父様」
ウェザーの皮肉に、プッチは頬笑みもせずに返す。
「拳に風を纏わせているのか」
「答える必要はない」
ウェザーが思いきり大地を蹴りあげた。瞬時に二人の距離は肉薄する。
向かい打つべく、ホワイト・スネイクを構えるプッチ。背を少しだけ曲げて、膝は柔らかく、緩やかに。
仕掛けたのはウェザーだったが上をいったのはプッチだった。
高らかに拳が打ち鳴らされ、衝撃で雨粒が浮き上がった。気合を入れたプッチが吠える。押されたウェザーが苦しげに呻く。
隙を逃がさんとばかりにプッチは崩れた身体目掛け、右蹴りを放った。防ぐべく、
ウェザー・リポートは腕を振るう。
だがプッチの踏み下ろすような勢いと軌道に、迎撃ははじかれる。ウェザーは更に体勢を崩す。ぐらつく上半身に直撃ではないが、何発かの拳が叩き込まれた。
衝撃で後ろに吹き飛ぶウェザー。バシャバシャと水しぶきをあげ、足下の水たまりが揺らぐ。
プッチはその隙を見逃さない。短く息を吐きながら跳びかかる。
地面を強く蹴りあげると、弾丸のようにウェザーに迫る。DISCをフリスビーのように投擲、左右後方、逃げ道を塞ぐ。
ウェザーは前に出ざるを得ない。待ちうけるプッチへと突っ込むしか道はない。
風を操り、後ろで爆発させる。暴風に乗り、思いきり突っ込む。同時にカマイタチを拳に寄せる。
「うおおおおおおおおぉぉ――――――ッ!!」
「迎え撃て、ホワイト・スネイクッ!」
両者がぶつかり合ったのは一瞬だった。そしてその一瞬が勝負が大きく動かした。
一撃目、ウェザーの拳がプッチの顔めがけ放たれる。待ち構えていたプッチはそれを下側から跳ねあげると、これを回避する。
同時にウェザーのガードをも崩し、逆に大きなチャンスとする。胴体ががら空きだ。今ホワイト・スネイクが手刀を放てば、やすやすと胸に穴が開くだろう。
二撃目、ウェザーは体勢を立て直すことなくそのまま突っ込む。身体ごとプッチにぶつかっていく気だ。
風が唸り、更に加速する。ものすごい速さだ。肉薄していた距離がさらに狭まる。眼と鼻の距離。
しかしプッチは冷静だ。驚くほど落ち着いていた。身体を半分だけ傾けると、ウェザーやりすごし、その後を追うように駆ける。
ウェザーの顔が悔しげに歪む。プッチの眼が捕えた、と言わんばかりに輝く。捨て身の作戦はいなされた。
三撃目、反転したウェザーの視界いっぱいに写ったのは拳だった。ホワイト・スネイクの拳がウェザーの顔面に突き刺さる。
自分がつけた勢い、唸る風に乗ってウェザーの体が吹き飛ばされた。長い長い二秒間の浮遊を終え、コンクリトートの大地に叩きつけられる。
肩から斜めに身体をうち、そのままもんどりうつように二回転。最後に水たまりに顔を突っ込み、そしてウェザーはようやく止まった。
雨音が沈黙を殊更際立たてた。拳をうち合わせる音も、自らを鼓舞する叫びも聞こえない。
戦況は大きく傾いた。地にはいつくばるウェザー。雨に打れながら見下ろすプッチ。
ウェザーが唾を吐くと水たまりが赤く染まり、そして降りそそいだ水滴がそれを押し流した。
降りそそいだ雨粒が顔を伝えば、額のあたりで赤く染まった。大きく裂けた皮膚から流れ出す血が、伝う水滴を赤く染める。
見ているほうが痛々しいぐらいだ。ウェザーはゆっくり起き上がると、顔をぬぐった。血と雨を吸った服が、重く、強くまとわりつく。
「出すがいい。そして近づいてこい」
プッチの挑発に対し、ウェザーは無言を貫く。やすやすと煽りに乗るわけにはいかないが、このチャンスを逃す手もない。
重い身体を引きずり、対峙する。二度目の激突だ。プッチとの距離はわずか二メートル強。互いのスタンドはすぐそば。
今度はどちらにアドバンテージがあるわけでもない。どちらが迎え撃つでも、撃墜するでもない。
五分五分の状態からの早打ち。真正面からの殴り合い……! スタンド能力ではウェザー有利、コンディションではプッチ有利!
「ウェザー・リポートォォォォオオ――――――ッ!」
「ホワイト・スネイクッ!!」
轟音が響き、拮抗する拳。しばらくの静寂……そして、ウェザーの腕に亀裂が走った。
噴水のように噴き上がる血、獣のような吠え声。一撃で決した戦いはさらなる追撃をもって終わる。
ホワイト・スネイクが畳みかけるように攻撃を放った。全弾命中、急所的中。
ウェザーが水たまりに突っ込むのは何度目になるだろう。倒れ伏し、その顔を冷えた地面に浸すのは何度繰り返されたことだろう。
ダメージの大きいウェザーに、頭上より声が降りそそぐ。顔すらあげることができない。雨音にまぎれ、乾いたプッチの声が聞こえてきた。
「諦めるんだ、ウェザー……お前は負ける運命にある。お前の未来は死、それだけだ」
「黙れ、この外道が……!」
それでも何とか立ち上がり、反撃する。ふらつく身体で精いっぱいの反撃。
キレもスピードもない蹴り、見え切った軌道をえがく拳。どれもプッチは簡単に避けた。
大きく跳び下がる必要もなかった。ただ身体を傾け、すり足で間合いを測り、そしてカウンターを叩きこむだけ。
「無駄だと言ったはずだ」
冷たい目線でウェザーを見つめる。ノックダウン寸前のボクサーを相手するかのような、そんな哀れな心境を彼は抱いていた。
立ちあがるウェザー、吹き飛ばすプッチ。また立ちあがるウェザー、またも殴り飛ばすプッチ。
また、また、そしてまた……それの繰り返しだった。
再び、ウェザーの身体が宙を舞った。
「だから言っているだろう。無駄だと」
今度の一撃は効いた。胸を強く打たれ、ウェザーの心臓が止まりかけた。
呼吸が上手くできない。深く息を吸い込めば、その分だけズシリと鈍く、耐えがたい痛みが彼を襲う。
地面に手をつき精一杯身体をたてなおそうとするが、うまくいかない。
それどころか体を支える腕すらも、蓄積されたダメージを前に萎びれ、震え始めていた。
プッチが一歩、一歩とウェザーに近づいてくる。それでも立てない。立ち上がることができない。
ウェザーにできることと言えば、地面に這いつくばったままそれを眺めているだけだった。
「虹は出ないのではない。出さないでいるんだ、違うか」
プッチのぶっきらぼうな言葉が降りそそぐ。
精一杯の憎しみをこめて、ウェザーはプッチを見返した。すぐには答えない。
実際のことを言えば、答えられなかった。ぜぇぜぇというウェザーの呼吸音が辺りに響く。
よろめく身体に鞭打ち、なんとか対峙するとかすれ声で返事をした
「何度でも言ってやろう。貴様に与える答えなど万に一つも……パン屑のカスほどもない!」
「ならば答えなくていい。いや、答えずともわかる。なんせ私たちは家族なのだから。兄弟なのだから。
お前の言葉など効かずとも、私に流れるこの血が叫ぶ。お前の体に流れ血が教える。
ウェズ、もう無理はしなくていい。救われるんだ。苦しまなくて済む」
「黙れッ!」
冷静さを失った大振りの一撃。避けることは簡単だった。
遠回りで迫った拳を上半身のみ傾けて避ける。スローな蹴りも同様だ。
かわりに足払いをかけてやれば面白いようにウェ―ザが転んだ。
「遅い」
ウェザーが立ち上がる。そして拳を振るう。
プッチは避ける。また、避ける。
「悲しくなるぐらい、遅すぎる」
避ける、避ける、避け続け……プッチがガッチリとウェザー・リポートの手を掴んだ。
力比べのような、取っ組み合いのような形になる。憎々しげに顔を突き合わせ、二人の腕が力の行きどころをなくし震える。
しかし結局のところ、勝ったのはプッチだった。
うまく相手の体重を乗せ、身体にひっかけるように投げ飛ばす。ウェザーがまた倒れる。そして今度こそ、ウェザーは立ち上がれなかった。
プッチの眼に浮かんだのは憐みだった。惨めな敗残者の弟を見つめ、情けをかけるように話をする。
「よくここまで戦った。よくそこまで耐えた。もう充分だろう、弟よ。神もきっと祝福してくださるはずだ。
お前の精神はもう限界だ。16年分の記憶を一気に取り戻し、雨の中を行くあても知らず走り回り、ホワイト・スネイクの拳を何発も食らった。
その上、精一杯虹を出さないように……この私との戦いのさなかでさえ、一切出すことのないように! 内なる自分の欲望に振り切られぬように!
お前は虹とも戦ってたのだから! スタンドを操りつつも、スタンドを押さえつける必要があったのだから!
私の勝利は決定的だ。もうこれは決まり切ったことだ。お前はよく戦った。もう諦めろ。もう休んでもいいはずだ」
苦悶に満ちた表情が何よりも図星だということを物語った。
そう、プッチもわかっている。真正面からのぶつかり合いであれば通常ホワイト・スネイクがウェザー・リポートなんかに勝てるはずがないと。
スタンドの性能で言えばはるかに勝る、ウェザー・リポートは負けるはずはないのだ。
もしもスタンド使役するウェザー自身の精神状況が正常であれば。
決着はとうについていた。
プッチがウェザーにDISCを叩き込んだ時点で、こうなることは見えていた。
ウェザー・リポートはプッチと戦いつつも、自らと戦わなければいけない。
スタンドを使役しつつも、その暴走をうちとどめなければいけない。
それはどれほどの苦しみだっただろう。どれほどの困難を伴うことだろう。
プッチは短く、強く息を吐く。呼吸を整えると弟の元へ近づいていく。
悲しい結末だった。だがこれすらも、言うなれば運命……。そうなるべくしてなったことだ。神が選ばれたことならば、しかたあるまい。
せめて最期ぐらいは殉教者らしく。せめて兄として苦しまずに、家族を見送ってやりたい。
研ぎ澄まされたホワイト・スネイクの一撃で、痛みを感じる暇もなく……逝くがいい。
物悲しい顔で歩くプッチ。その足を止めたのは、ウェザーの言葉だッた。
「―――……黙れ、このエセ神父が」
「……なに?」
か細く震える、小さな叫び。
震えているのは寒いからでない。怖いからではない。勿論脅えているからでもない。
怒りだ。ウェザーを突き動かすのは怒り。
戦っている時もずっとそうだった。冷静に冷静にと自らに言い聞かせていた。
熱くなって視界が狭くなってはまずい。怒りに視野を狭くしては足元をすくわれる。
そう思い必死で堪えてきた。だが無理だった。こんなにもコケにされ、踏みにじられ……もはやウェザーの我慢は限界だった。
「黙れと俺は言ったんだ……ッ! 貴様に赦しを与える資格などないッ! 貴様にその言葉を口にする価値はないッ!
どの口がそのセリフを吐けるんだッ! 何故貴様は平然と人の意志を踏みにじることができるんだッ!
ペルラ、ジョルノ、街の皆……俺もお前も赦されるはずなんてないッ! 俺は誰にも赦してほしいなど思っていないッ!」
天を裂く叫びが街中にこだました。そして同時に! 二人の間を切り裂くように! 天の怒りが降りそそぐように!
視界一面を覆う大豪雨が辺りに降りそそいだッ! 大粒の雨粒ッ! 散弾銃のような圧倒的雨量ッ!
いままでの雨がまるで子供の遊びだったかのような、“大”“大”“大”雨ッ!
それはさながら災害のようなものだったッ! 数十年に一度……、否、数百年に一度おきるかもわからぬほどの!
超ド級のスコールが辺り一面に降りそそいだッ!
「なにッ!?」
「虹を出さないようにしていた……? ああ、そうだ。だがそれ以上に俺が神経を裂いてたのは、気をはらっていたのは“これ”だ!」
「ウェザー・リポート、貴様ッ!」
「天上の神にでも祈ってるんだな、プッチ。だがどれだけ神に祈ろうと、頭上も見えていない神父に神は微笑まない!」
「貴様、私の信仰と神を愚弄するかッ」
ウェザーが押されていた理由? プッチがなぜ優勢を保てていたか?
全てはこのためだッ! 勝利への布石! 殺意の執念ッ!
ウェザー・リポートは雨雲を呼んでいたッ! プッチにばれることのないようにッ!
雨雲に雨雲を重ね、その上に更に積み上げッ! 直前の直前まで決して悟られることのないように!
これが、これが! ウェザー・リポートだッ! 文字通り、これこそが本物の『ヘビー・ウェザー』ッ!
喋り声すらかすれていた。互いの姿すら霞んでいた。
もはや視界は雨一面、目を開けるのも辛いほどの雨量。
頭を伝う雨粒で瞼が重く、開かない。鼓膜を揺さぶるような雨音が、互いの叫びを霞ませる。
伸ばした自分の腕すら不透明になるほどの水の弾幕を前に、プッチはウェザーの姿を見失った。
さっきまでそこに這いつくばっていた弟の姿は、まるで霧がかった幻想のように霞んで溶けて、消え去った。
「音で探ろうというつもりならそれはおススメしない」
「ハッ!?」
反射的に拳を振るう。声は耳元から聞こえていた。だがそこにウェザーはいない。何も見えない。
「眼で捕えようと言うのであれば、それは無理ってもんだ」
「き……貴様ァ!」
今度は逆側から。またしても空振り。プッチの額を雨粒以外の水滴が伝う。
嫌な汗をかいていた。追いつめられた時にかく、焦りと脅えを含んだ汗。
どうすればいい、と呟く。表情がゆがむ。歯がカチカチと恐怖に打ち鳴らされる。
プッチは考える。プッチは予期する。
今ウェザー・リポートに襲いかかられたら……、今ウェザー・リポートが拳を叩きこんできたら……!
姿も見えず、音すらも近くできない今この現状でッ! 破壊力A、スピードBのスタンドが襲いかかったらッ!
プッチにしのぐすべは…………ないッ!
「喰らってくたばれ、エンリコ・プッチィィィィイイイイ――――ッ!」
雨を突き破り、影が躍動した。真正面から飛び出したのはウェザー・リポートとそのスタンド。
風のように早く、雪のように静かに。既にウェザーの攻撃は終了していた。
つきだされた拳が迫る。プッチのボディに重たい一発。身体が“く”の字に折りまがる。決まる……、面白いように、拳が決まるッ!
そして! 初撃が入ったならば! 既にウェザーの攻撃は完了しているッ!
「オラオラオラオララオラオラ―――」
雨よりも多い拳がとぶ。
「オラオラオラオララオラオラオラオラオラオララオラオラ―――」
風よりも早く拳が打つ。
「オラオラオラオララオラオラオラオラオラオララオラオラオラオラオラオララオラオラ―――――――――ッ!」
捕えた。確実に。間違いなくウェザーの嵐のような攻撃はプッチの体に風穴を開けて………―――
「こ、これは……ッ!?」
驚愕に手が止まった。呼吸がつまる。汗が噴き出る。
ウェザーは雷に打たれたように、その場に立ちすくむ。そして見る。
自らのスタンドの腕にぶら下がった人間を。
エンリコ・プッチであろうはずのその影を。
だが違ったのだ。そこいるべきはずのエンリコ・プッチはッ!
ウェザーが叩きのめしたいと望んだはずの男は!
そこには影も形もいなかった! 代わりにそこにいたのは……―――何も知らない一人の女性だッた!!!
弱まった雨をやぶり背後から、靴音が聞こえた。同時に話声も。
「自分を信じるとは難しい事だ……あらゆる困難が立ちふさがり、あらゆる難敵が襲いかかる。
その度に私たちは自らに問いかけなければいけない。これでよいのか? 自分は正しい道を歩めているのか? と」
振り返ればそこには見覚えのある影、自分と同じぐらいの背、同じぐらいの肩幅の男。
「弟よ、ホット・パンツを貫いたのはお前の腕だ。そのか細き女性の体をぶち抜いたのはお前のスタンドだ」
焦りもなく、恐怖もなく、乗り越えた強さを持つ者の目をした男がそこにいた。
傍らに立つのはアルファベットを身体に刻んだ、黒と白のストライプ。細長で強靭な肉体を持つスタンド。
「自分を信じてみればいい。彼女を殺したのは俺ではない。エンリコ・プッチのせいだ。
ヤツが見せた幻覚のせいだ。俺は悪くない。悪いのはプッチだ。ヤツのスタンドがこうさせたんだ……! そう言い聞かせてみればいい!
だがどうだ、今実際目の当たりにしてる光景はッ! 手に残った感触は、どう答えるッ!?
さぁ、答えてみろ、ウェズ・ブリーマン……!
それを殺したのは誰だ? 私かッ!? お前かッ!? 答えてみろッ!」
「プッチ、貴様……ッ!」
「さぁ、誰が悪い? 私のせいか? お前のせいか? 天気のせい? 彼女のせい?
答えてみろ、ウェザー・リポートッ! そのお前のやわな信仰心で、何を支えられるか答えてみろッ!」
勝ち誇ったプッチの叫びが、雨音をも突き破ってウェザーの鼓膜を揺さぶった。
あの瞬間、プッチがとった行動は逃走でもなく、諦めでもなく、ひらめきだった。
即座にスタンド能力を発動。ほんのちょっぴりだけ、幻覚をウェザーに見せつけた。
幻覚は大きなものでなくて構わなかった。豪雨が味方したのはウェザーだけではない。
先も見渡せない狭まった視界はプッチにも味方したのだ。
そう、ウェザーにホット・パンツがエンリコ・プッチであると勘違いさせるほどに……。
かつてとられた罠に、もう一度陥ってしまうほどに軽率に……!
ウェザーは動かなかった。
プッチの問いかけを受け、彼はあらぬ方向に視線を送り、自らの腕にぶら下がる遺体から目を逸らした。
プッチが迫る。駆けるプッチ、走るホワイト・スネイク。
今度こそ終わりだ。次こそ、ウェザーは対処できまい! そのズタボロになった精神で、このホワイト・スネイクに勝てるはずがないッ!
腕を高く高く振り上げると、頭めがけ叩き下ろす。脳天から股下まで、真っ二つに切り裂き、それでお終いだッ
ウェザーは動かない。いいや、動けまい! なんせ、なんと言おうと、ホット・パンツを殺したのはウェザーなのだから。
紛れもない、誤魔化しようもない、確固たる事実として! 彼女を殺したのはウェザー・リポートなのだから!
「終いだ、ウェザー・リポートォォォォオオ――――ッ!!」
プッチが跳んだ。三メートル、二メートル、一メートル……! 振りかざされた手刀がウェザーに押し迫る!
ウェザーはまだ動かない! 逃げ場なし! 反撃もなし!
重いホット・パンツの体を抱えては今さら動いたところでかわすことも不可能ッ!
プッチの勝利は確実だ…………ッ!
そして! まさに! 瞬間ッ!
―――ウェザーのどす黒い視線が、跳び上がったプッチを捕えた。
ウェザー・リポートが動いた。ホット・パンツを貫いたまま、腕に彼女の遺体をぶら下げたまま。
身体を反転、その手でプッチを迎え撃つ。宙に浮いて身動きの取れないプッチ目掛け、的確に腕を振るった。
精密射撃のような鮮やかさで、呆然とするプッチの顔を殴り飛ばす。一撃、二撃、三撃……それ以上数えることは不可能だった。
目にも止まらぬ速さの拳の嵐が、ホワイト・スネイクとプッチを、空高く弾き飛ばした。
呻き声をあげながら、プッチは地面に強くたたきつけられる。何が何だかわからないと言った表情で、唖然とした表情で上半身だけを起こす。
「これしきで怯むと思ったのか……? たった一人の女を殺したことでこの俺が……街一つ消し飛ばした俺が、“怯む”とでも?」
“死神”が迫る。恐怖のあまり身体がすくんだ。
今のプッチから見ればウェザーはまさに死神だった。細かな霧雨を背に、影を携え、女性の遺体を腕に抱き、しかし一歩も引かず迫って来る。
情けない悲鳴が口から零れ落ちる。尻もちをついたまま、腕を使い、後ずさる。
ウェザーは一歩一歩近づいてくる。真黒な目でプッチを捕え、一瞬でもその視線をとぎらせることなく。
「来るな……来るんじゃない……」
「天国に行けるだなんて思っていねェ……救われるだなんて願ったこともねェ。
俺は人殺しだ。ゲス汚ねェ差別主義の探偵を殺した。その一味も殺した。黒ずきんをかぶった奴らを殺した。
何の罪もない街の市民も殺した。そしてこれからも殺し続ける……。
そしてなにより……、妹を、ペルラを……愛するあの女(いもうと)を殺したのはこの俺だッ!」
腰を抜かしたのか、プッチは立ち上がれなかった。震える脚をひきずり、二本の腕でなんとかさがる。
情けない震え声が、後からともなく口を出た。意味もない祈り。意味の為さない懇願。
ウェザーは一切それらを無視する。確実に、着実にプッチに迫る。
プッチは何を考えたのか、水たまりの水をウェザー目掛け撒き散らしていた。
はっきりと恐怖の色が浮かび上がっていた。狼狽、焦り、脅え……。混乱した頭でプッチが何を導き出したのかはわからない。
それでもプッチは狂ったように、水をばしゃばしゃと跳ねあげた。それが本気で死神の足を止められると、信じて。
「来るな……こっちに、来るな…………! 来ないでくれ…………!」
「罪悪感で俺が膝をつくとでも? 人を殺して、俺がビビり上がるとでも?
今さら一人殺したぐらいで、この俺が立ち止まれるわけがない……! この俺が人殺しで怯むはずがないッ!」
死神は止まらない。噴怒の表情はさながら鬼ののようだ。
歯をぎらつかせ、目を燃え上がらせ、ウェザーがプッチに迫る。
その腕に抱いたホット・パンツの遺体が乱暴気に放り投げられた。打ち捨てられた女性の遺体が、地面で跳ね、動かなくなる。
「来るな……」
腕を振り、足をすすめ、ウェザーが進む。加速する。加速する……!
ハッキリと走り出したウェザーはあっという間にプッチの元へ!
「来ないでくれ…………」
恐慌半狂状態のプッチがDISCを投げつけた。だが届かない。あらぬ方向、見当違いの方向へ跳び、ウェザーは叩き落とす必要すらなかった。
もはやプッチにまともな思考は残されていなかった。訳もわからぬ抵抗と目の前の死を目にして、神父がしたことは無駄なあがき。
神にすがることすらせず、プッチが最後まで寄りかかったのは己の半身、ホワイト・スネイク。
狂ったようにDISCを投げ続け、甲高い声で叫び続けた。死を受け入れてなるものかと、必死で。
「私の傍に近寄るなァァァァアアアア―――――ッ!!」
「死ねェェェェエエエエい―――――ッ!!」
そして、肉を切り裂くような音が木霊して……雨が次第に弱くなる。
薄く見える霧雨の向こうで影が二つ、並んでいる。
一人は男。もう一人は女。
そこに見えたのは……死んだはずのホット・パンツが、ウェザー・リポートの背中を貫いている姿だった。
色をなくしたウェザーの唇から、血が一筋、スゥ……と流れ落ちる。重力に従い、首が下に振り下がる。
背中から胸を貫く腕を見て、意味をなさない呻き声が漏れた。
同時に全身から力が抜け、ウェザーの体はその場に崩れ落ちる。
その最中、ウェザーは見た。座り込んだ男の眼に宿った二回目の希望の光を。
怪しいほどに輝く、エンリコ・プッチの瞳を。
―――ああ、そうか。
全てを理解したウェザーは、自らの敗北を悟り、その場に崩れ落ちる。
そしてピクリとも動かなくなった。
▼
投下順で読む
時系列順で読む
最終更新:2013年04月15日 09:24