体の主導権をよこせ。
怪物がそう囁く。
力いっぱいに拒絶する。
明け渡してなるものか。
奪われてたまるものか。
たった一つ残された意志をくれてやるわけにはいかない。
心の中、自分と怪物だけに聞こえる声で抗った。
尚もしつこく迫る怪物。
思わず持っていかれそうになる。
だが、それでも決して折れない。
己の内から怪物を消さんと強く念じる。
幾度も侵略者への拒絶を繰り返し、彼は自身を守ることに成功した。
★ ☆ ★
不思議な感覚であった。
視覚でもない、聴覚でもない、嗅覚でもない、触覚から全ての情報が流れこんでくる感覚。
未知の経験に多少戸惑う育朗であったが、目の前から感じる"におい”で即座に我に返った。
変身前よりも遥か濃厚に感じられる悲しみのにおい。
殺意のように突き刺す様な刺激はないものの、深く絡みつくようでいてどこか儚さを感じさせるにおい。
不快だった。これ以上感じていたくないものだった。
だから
橋沢育朗は改めて誓う。
このにおいを止めてやると。
「ほぅ、それがてめぇの本性かよ怪物」
爬虫類のような質感をした蒼い肌。
顔の各所に無数に走るひび割れ。
額の少し上に生えた触角。
塞がれたかのようになっている左目。
見るからに硬そうな波打つ髪。
長く伸びた爪。
発達した筋肉。
人ならざるにおい。
「俺よりもずっと人間離れしてるくせに、あんなでかい口叩くなんてな」
男が嘲るかのごとく笑う。
バオー、いや、橋沢育朗はそれに応えようと口を開く。
しかし、唇から漏れたのは『バル』という意味の持たぬ言葉だけ。
この形態では喋ることができない。育朗はそのことを初めて理解した。
「来いよ怪物が。相手するのは面倒だが、邪魔されるともっと面倒だからな」
露骨過ぎる挑発。
分かっていながらも育朗の両足は激しく大地を踏みしめた。
一瞬の交錯。
突き出された育朗の右拳を男が握って止める。
男が不敵に笑った。
力任せに、無造作に育朗の体を持ち上げ、地面へと叩きつける。
小規模なクレーターが生まれた。
育朗が苦しげな呻き声を出し、僅かに血を吐く。
が、男の脚が迫ってきていることを感知し、咄嗟に両腕で防いだ。
大きく浮き上がる体。
しかし、空中で体勢を立て直す。
吹き飛ばされた先にある石壁を蹴って男へと肉薄。
油断した男の顔を思い切り拳で殴りつける。
男の体が盛大に仰け反った。
追撃を加えようとするも、嫌な気配を感じ一度距離を置く。
直後、顎のあった辺りを蹴り上げる一撃が空を切る。
「なるほど、考える頭はあるってことか」
折れた鼻を指で無理やり元の形へと戻しながら男がつぶやく。
直感に任せて避けていなければどうなっていたのか、育朗の背筋に冷たいものが過ぎった。
だが、それしきで呑まれる彼ではない。
再度両拳を握りしめ、半身を向けるような構えを取る。
武装現象が使えぬわけではない。
本能のような物でうっすらとその存在を感じ取ってはいた。
両手首から出る万物を切り裂く刀、掌から放出される全てを溶解させる酸、あらゆるものを焼きつくす毛髪。
これらの能力が自身に備わっていることは知っていた。
だが、育朗はこれらの能力を使用しない。
殺傷能力が高すぎるため男を誤って殺害してしまう恐れがあるから?
もちろんそれもある。だが違う。
拳に思いを乗せるから。友が握ってくれた掌で思いを伝えるから。
だからこそ橋沢育朗は身体能力のみを武器に男へと立ちはだかる。
「オラァ!」
今度は男が先に仕掛けた。
急接近からの腹部に対するブローじみた一撃。
体を捻ることで外側へと回避し、その勢いを殺さず裏拳を放つ育朗。
だが、男が伸びきった腕を無理矢理開くように動かし、育朗の脇腹へとぶつける。
勢いが乗ってないためダメージは少ないものの体勢が完全に崩れた。
追撃として放たれた蹴撃。
育朗の肋から砕けた音が鳴る。
息が一瞬止まる。
それでも戦意を挫かれることはない。
怪我など負わなかったかのごとく着地し、瞬時に構えを取る。
「俺を止めるって言っただろ? やってみろよ」
語気とは裏腹に一層強まる悲しみのにおい。
育朗は立ち上がる。
止めなくては。
力尽くになってしまうかもしれない。
喋れない今、心を伝える手段は拳一つ。
が、悪くない。
言葉による説得が失敗した今、伝える手段としてはこれがいい。これしかない。
折れた骨がくっつくのを感じるとともに再度仕掛ける。
「バルッ!」
咆哮と共に放たれた牽制気味のジャブ二発。
当てるだけの軽いものとはいえ、バオーの膂力を考えれば必殺の一撃。
しかし、男も並の存在ではない。
胸板に拳をぶつけられるも、そんな攻撃はものともせずに男は距離を詰める。
育朗は咄嗟に膝を上げた。
男の腹に膝の先端が突き刺さり、表情が僅かに歪む。
生じた隙を逃す真似はしない。
右頬へと育朗の拳がめり込み、盛大に男は吹き飛ばされ、岩肌に頭をぶつける。
普通ならばこれで決着がつく場面。
人間はおろか、吸血鬼ですら頭を砕かれ派手に血の華を咲かせていたであろう状況。
だが、相手の肉体はそんな脆弱なものではなかった。
超越種、柱の男のボディがその程度で壊れてしまうほど軟なものであるはずがない。
片手で頭を抑えながらも男は平然と立ち上がった。
あの一撃でも決着どころか深手にもならない。
更に気を引き締めた育朗。
だが、彼の体が一瞬硬直した。
男の瞳に宿る今までとは違う色。
依然として頭を抑えている男の瞳に薄ら寒いものを感じた。
「わざわざ待ってくれるなんて優しいこったな」
が、頭から手を離し、軽口を叩くと共にその色は消え失せる。
育朗の首元を狙って放たれる横薙ぎの手刀。
腕を上げて防いだものの、男の腕が蛇のように絡みつく。
関節を完全に無視した動き。
振りほどこうともがく育朗の腹へと男の前蹴りが入る。
一発。
二発。
三発。
男も育朗も戦闘中の人外じみた動きは半ば本能的に行なっている。
が、この蹴撃は違う。
脳の持ち主が得意としていた馴染みのある攻撃。
肉体が覚えてなくとも頭が動きを覚えていた。
育朗が血を吐き出す。
が、四発目は入らない。
脚に意識がいって力が緩んだ隙を狙って育朗が無理矢理絡んだ腕を振り払った。
そして飛んでくる足の側面へと自分の脚を叩きつける。
男の膝から骨の先端が突き出した。
バランスを崩し、倒れる男をよそに後ろへと飛び退いて距離を置く。
追撃の好機ではあるが、自身の内蔵へのダメージを考慮して回復を優先。
負傷の度合いの差か回復力の差かは分からないが先に再生が完了したのは男の方。
一飛びで距離を縮め、猛然と両腕を突き出す。
形容するならばそれは拳の嵐。
育朗もガードに専念するも、内蔵への損傷が癒え切っていない体である。
反撃の糸口を掴めないどころか、徐々に押し切られていってしまう始末。
最初は勢いが殺された攻撃、そしてそれを皮切りに次から次へと直撃する防御をすり抜けた連打。
硬質化した皮膚がある程度の攻撃は防ぐ。
だが、当たりどころが悪ければ骨折は不可避。
飛んでいく育朗の体が男の射程から離れる前に負った損傷は数知れず。
それでも彼は立ち上がる。
またしても猛追する男。
今度は距離を取ることを意識しつつ後退しながら捌いてゆく育朗。
ひび割れた骨がくっつき、折れた骨が正しい位置に戻り癒着、粉砕した骨が急速に新しいものへと生まれ変わる。
が、それも途中で終わった。
男に頭を掴まれ、そのまま岩壁へと押し付けられる。
育朗を中心に亀裂が入り、衝撃で天井からパラパラと小石が落ちた。
半ば埋まる形になった育朗に男は追撃を仕掛けようとしない。
待つこと数秒。
壁から体を引っ張りだした育朗。
それでも立ちはだかる。
まるで傷など負っていないかのように振る舞う育朗。
だが頭への衝撃が影響をもたらさないわけがない。
男の顎を狙った蹶り上げに全く対応できず、育朗は天井まで飛ばされた。
ぶつかった衝撃で洞窟内が大きく揺れ、照明が幾つか砕ける。
降り注ぐガラスのシャワーになど目もくれずに育朗を凝視する男。
しばし天井に張り付いていた彼もやがて重力に引かれて落下。
受け身をとることすら許されず、盛大に地面とキスをする羽目となった。
だが、彼は諦めない。
立ち向かう。
それはあたかも先ほど変身する前の育朗が行ったことのリピート。
傷つき、立ち上がる。
ただそれだけの繰り返し。
いくら痛めつけられようとも諦めないその姿は依然として変わることが無い。
しかし、たった一つだけ変わったものがある。
それは男の心情。
男の心中を占めるのは苛立ちではなく疑問。
諦めの人生を送ってきたと感じている彼にとっては不思議だった。
いつも途中で投げ出してきたと思い込んでいる彼にとっては謎だった。
自分は何も成し遂げられないのだと常に考えてきた彼には理解できなかった。
今までとは違う棘のない声で男は尋ねる。
「なんでてめぇはそこまでして立ち上がろうとするんだ?
いくら一人で肩肘張ったところで他の連中どう考えるかぐらいは分かるだろ?
諦めちまえよ。なぁ、おい。無理する必要はねぇと思うんだがよ」
何を今更。
男だって分かっている。
こんなことを言ったところで目の前の相手が折れるはずないのだと。
なのに聞かずにはいられなかった。
「無駄になるんだぜ? いくら頑張ろうとも認められなきゃ終わりさ。
例えば誰か一認められたとしてもだ。
周りいる人間が一人でも怪物だって言えば他の連中はそれに追従するだろうよ。
てめぇはどう思って……そんな苦労を背負い込んでいるんだ?
いや、答えなくていい。わかってるさ」
ああ、これもだ。
聞くまでもない。
自分が人間だと強く信じているから。
無駄になるとしても、諦めたら最初から可能性を失うから。
諦めたら終わりだから諦めない。
そんな笑ってしまうほどシンプルな解。
されど彼にとってはずっと掴みかねていた難解な答え。
男の中にある靄がわずかに晴れた。
そして生まれ来る一つの願望。
「遠慮してんだかなんだか知らねぇが本気で戦ってないってことは分かってんだぜ?
はっ、なめられたもんだな俺も。手加減なんてやめてかかってきな怪物。
てめぇの理想も力も無駄だって俺が教えてやるからよ」
育朗が完全に回復をしたことを確認して男はニヤリと笑う。
次の瞬間には男の姿は消える。
フェイントも牽制も一切ない正面切った渾身の拳。
胸に突き刺さったそれによりまたしても育朗が口端から血を流す。
後ろに飛ばされていきそうになる体。
が、両の足を踏ん張ってそれを堪える。
結果、数メートルの後退で育朗の体は止まった。
そして彼も派手に大地を蹴り、開いた距離を加速に利用。
お返しだと言わんばかりに固く握りしめた拳を鼻っ柱へ。
初めて見せる一切の手加減を抜いた一撃。
男の上体が派手にのけぞった。
だが、堪える。
育朗の全力は予想以上のものだが、それでも踏ん張る。
仰向けに倒れたりなどすることなく、ギリギリで体勢を維持した。
反った体を戻す勢いを利用して自身の額を育朗の脳天へとぶつける。
頭への攻撃に僅かにふらつく育朗であったが、即座に男の腹へと拳を叩き込んだ。
体が僅かに浮き、吐き気が起こるも、それを無視して同じ箇所への同じ攻撃。
ガードなど無い。
一撃貰えばそれよりも強烈な一撃を返す。
身体能力の優劣など関係ない。
勝敗を決めるのは意志を押し通すというエゴと意地。
殺意などはない。
純粋に互いをぶつけあうだけ。俺を/僕を認めろと拳で叫ぶだけ。
肉が裂け、骨が砕け、血が流れる。
二人の回復力などとうに追いつかない。
折れた腕を直せば頭に大きな裂傷が生まれる。
内出血を止めれば今度は腿の動脈が破裂する。
砕けた鼻を修復すれば脛骨にヒビが入る。
血で鈍った感覚器官を正常に働かせれば次は内蔵が血を流す。
どんな重傷を負ってもこの二人は止まらない。止められない。
言葉ではダメだった。
ぶつけあう事でしか会話ができなかった。
男が今までとの皮肉げなものとは違う笑みを浮かべた。
育朗の唇が気のせいではないかと思うほど僅かに動いた。
捻くれ者の男が感情を思う存分発散できた。
今まで本心を見せなかった男が初めて心を開いた。
だから二人は戦いをやめない。
本来ならばこのような事をするはずのない両者がひたすらに殴りあう。
嬉々としながら互いの体を傷つけあう。
いや、彼らにとってそんな考えは微塵もない。
会話をしているのだから。
ぶつけ合いにしか過ぎない不器用なものにしろ、それは確かに会話なのだから。
「まだやるか?」
血だるまとなった男が尋ねる。
当然と言わんばかりに育朗が拳をぶつけた。
育朗の返事に男は満足気に拳で返す。
怪物の体を持っていたはずの両者。
だが、その肉体にも限界は近い
丸太のごとく太くなった脚が笑い始め、小刻みに震える
無尽蔵であるはずの体力は枯渇しかけ肩で息をする始末。
「いいかげん、倒れやがれ!」
男が吠えた。
放とうとするのは体力の消耗も全身の負傷も関係ない、これまでで最高の一撃。
踏み込んだ足によって地面が沈む。
残像を見ることすら許さぬ体の捻り。
育朗が眼の前にいるはずの男の姿を完全に見失う。
風圧で髪が揺れるのを感じた。
次の瞬間。
間髪入れずに襲い来る衝撃。
心の臓が上から潰される感覚。
膝を付きそうになる。
意識が遠ざかる。
力の抜けた脚がガクンと曲がった。
が、踏みとどまる。
体に土をつけるものかと耐える。
男の口元が僅かに動いた。
「ああ、俺の負けか……」
呟いた直後、全身へと伝わる衝撃。
男の巨体が仰向けに倒れていく様をスローモーションで眺め、育朗は勝利の咆哮を上げた。
まだ説得は終わっていないのも分かっている。
自分の意見を完全に押し付けることができたわけではない事は理解している。
それでも育朗はただただ叫んだ。
★ ☆ ★
「分かってたさ、言われねぇでも分かってんだよ俺だってな」
そう言いながら男は上体を起こし、ゆっくりと立ち上がる。
今までの荒んだ空気が霧散し、男の周りに穏やかな気配が流れていることを育朗は感じ取った。
だから男と同様 構えを崩し、彼の言葉一字一句に耳を傾ける。
そして、育朗は変身の解除も行う。
バオーの状態では言葉を発そうと思えど不可。
この場では戦闘力よりも対話が必要と考えたゆえの判断。
初めて経験であるが、開始時と同様にスムーズに行うことができた。
自分の体が戻ってゆく感覚を味わいながらも男の言葉を聞き逃すまいと神経を尖らせる。
「まだ俺が人間をやめきれてねぇからこそ、こんなことを考えちまうってことはなぁ。
だが一つだけ言ってやるぜ。この体の主食は人間だ。
他の食いもんで代用が効くかどうかは分からねぇが、ダメだったら俺は生きるために他人を喰わなきゃならなくなる。
いや、既に一人食っちまったんだよ俺は。人間をな。
それでもお前は俺を人間と呼ぶか? 人食いの怪物のことをよ」
人間をやめられないからこそ、人間を喰ってでも生き延びることができない。
最後に残されたこの矜持を捨ててしまえばもはや怪物そのものなのだから。
しかし、食物を食べずに死ねなどとはそれこそ死んでも言うことができない。
育朗は理解した。
男が抱えている絶望の一端を。
それは表面上の薄っぺらい一部に過ぎないのかもしれない。
真に共感できるのは男と同様の境遇になったものだけかもしれない。
それを理解しつつ、それでも育朗はイエスと叫ぶ。
穏やかでありながらもハッキリと叫ぶ。
「ああ、僕はそれでも貴方を人間と呼ぼう。
人を食べたと言っているけど、貴方は後悔している人だ。
事情は分からない。だとしても命を奪ったことについて開き直れないなら、まだ怪物じゃない。
それに、もしも人を喰わねば生きてゆけぬのなら……その時は僕の体を喰えばいい」
バオーの回復力を以ってしてもトカゲの尻尾のように切断した四肢が再生するかは分からない。
しかし、再生可能な程度に肉を抉るくらいならば幾らでも構わない、育朗はそう考える。
苦痛が伴うのも承知の上、覚悟の上。
男が感じている痛みを考慮すればそれしきの痛みを躊躇する訳にはいかない。
一瞬だけ感じた疑問。
なぜ、育朗は自分のためにこんなにも必死なのだろうか。
問いかけずにはいられなかった。
答えなどとっくに出ているのに。
「どうして俺のためにそこまでする?」
「なぜって? 僕も貴方も人間だからだ」
間髪入れず返された答え。
想定と一字一句違わぬそれに思わず苦笑が漏れる。
「言うと思ったぜ。クソッ、てめぇのしつこさには負けたよ」
半ば吐き捨てるように喉から出した言葉。
悪態をつきながらも発した降参の言葉。
育朗の表情が綻んだ。
心底から嬉しそうな笑みを浮かべる。
男もそんな育朗へと静かに歩み寄った。
殺気も敵意も感じないため、育朗は警戒を見せない。
一メートル程まで近づいた男が自身の顔を育朗のそれの正面へと寄せる。
そして、男は育朗の双眸を凝視したまま囁いた。
「だが、最後に聞いておくぜ。もしも俺が暴走したら、どうしようもない状況になったら……殺してでも止めてくれるか?」
硬直。
男の瞳は視線を外すことを許さない。
僅かな逡巡の後、育朗は小さく首を縦に振った。
しかし、その瞳に強さはない。
肯定の意志に嘘はないのは理解できた。
が、それでも躊躇うのだろう。
男は思わず鼻で笑う。
「底抜けの甘ちゃんだぜ、てめぇ」
腹部に一撃。
崩れ落ちる育朗。
世界が黒く反転する。
肉体的な苦痛などどうでもいい。
最後に見たのはどこか寂しげな男の瞳。
それが気になるもこれ以上の思考は不可能。
石段に叩きつけられる感覚と共に完全に途絶えた意識。
ピクリとも動かなくなった青年を見下ろしつつ嘲笑の声を上げた男。
「これで邪魔も入らなくなったしなぁ。さっさとあいつを殺しに行くとするか」
★ ☆ ★
「うぅ……」
呻き声を上げながら育朗が体を起こす。
気絶する前に起きたことを忘れていたのかしばし呆然とするも、直ぐに我を取り戻し警戒態勢に入る。
男は自分を殺さずにどうしたのか。
男が見せたあの瞳は一体何だったのか。
男が吐いた言葉の真意とは。
分からないことだらけの中、辺りを見渡すと、棒立ちで立ち尽くす男の姿を見つけた。
「よかった」
育朗は思わず息を漏らす。
ビットリオの殺害に向かったのではないかという懸念が無くなったことに心の底から安堵した。
だが、ピクリとも動こうとしない男はどう見ても尋常な様子でない。
彼が何を考えているのかが一切理解できぬ育朗は恐る恐る声をかける。
「あの……」
返事がない。
それもビットリオの様に完全な無視を決め込んでいるのではなく、銅像の様に動かない男。
鍛えぬかれた肉体美もあり、その様は古代の彫刻であるかのごとき神々しさを放つ様は本当に人間離れしていると今更ながら思ったものの、今はそれどころではない。
育朗が二度目の呼びかけを行おうと手を伸ばした、その瞬間。
「あー、その、なんだ」
どこかバツの悪そうな表情を浮かべ、男が口を開いた。
敵意の欠片すら見えない事に育朗の表情がわずかに綻ぶ。
思いが通じたのだと。
今の戦いは無駄ではなかったのだと。
そんな育朗の様子など知らなかったように男は言葉を続ける。
「今から俺が喋る内容は、いや、俺が自分のスタンドに喋らせるのはいわゆる遺言ってやつだ。
一応事情を説明しておいてやるが、俺の怪物の体はこの殺し合いで手に入れたもの。
簡単に言えば怪物の体に奴のものと交換する形で俺の脳を移植してこんな体になっちまったんだ俺は。
で、問題はこれからだ。
お前が変身し始めた辺りから脳が無くなって死んだはずの怪物が囁くんだよ、『俺の体を返せ』ってな。
俺だって抵抗したがよぉ、無理だった。
戦ってる中で徐々に俺の脳が侵食されていく感触ってのがハッキリしてきやがるし、声もどんどん大きくなりやがる。
だから、こいつを道連れに死ぬことを決めたのさ。そうするしかないんだ、仕方ねぇって話だな。
幸い太陽に弱いって弱点があるらしいからな。自殺も簡単でありがたいこった」
育朗の表情が凍りついた。
男が自ら命を断つ。
理由は確かに納得できるもの。
しかし、自分の言葉は拳は無駄だったのか。
絶望の影が姿を現したところで男は言葉を続ける。
「だがな、勘違いするなよ? 俺はヤケクソを起こして死ぬわけじゃないんだ。いいか、ここは間違えるなよ?
俺は人間である誇りのために死ぬんだ。
おめおめ怪物にもう一回乗っ取られるなんて真っ平御免だからな。
おっと、むしろヤツが自分の体を取り戻すってのが適当か? いや、そんな話はどうでもいいな。
とにかくだ、もう一度言うぜ。俺は人間だからこそ、この怪物を抱えたまま死んでいく。
任務でも仲間のためでもねぇ、俺のために、人間としての誇りってやつを守るために。
これがレオーネ・アバッキオとしてできる最後で最大の抵抗ってやつだ。
お前のおかげで俺は人間として最期を迎えることができた。
最後まで甘い理想論ばかり言いやがっていけ好かないやつだったが、これだけは感謝しといてやるぜ。
どうせクソ真面目そうなお前の事だから、俺の死についてグダグダ悩むんだろうが、馬鹿馬鹿しいから辞めときな。
俺がやるべきだと思ったからやった、それだけは勘違いするなよ?
お前の言葉で思いつめた俺がこんなことしたなんて調子乗ったこと考えてんならあの世で笑ってやるよ。
いいか? 何度でも言ってやるぜ? 確かに切っ掛けはお前かもしれないが、決めたのは俺だ。
生憎てめぇみたいな糞ガキの言葉に一々感激しましたなんてハッピーな野郎じゃないんでな俺は。
それと、最後の質問についてだが深く考えなくていいぜ。
てめぇのことは自身で決着を付けなきゃいけねぇのは分かってたんだ。
押し付けたりするなんて恥ずかしい真似ができてたまるか」
少なくとも自身の行動がアバッキオに多少なりとも影響を与えることができたのだと知り、暗闇が晴れることを確かに感じた。
そのことに感謝するも、男が喋る間、育朗は一切声を発さない。
これは記録であって
レオーネ・アバッキオ本人ではないのだから
厳しい言葉も優しい言葉も全て心に刻まんと耳を傾ける。
ちらりとアバッキオの足元に目をやると確かにディバッグが置いてあった。
だが、まだそれは拾わない。
アバッキオが告げる仲間たちの名を頭で何度も反芻し、決して忘れぬように刻む。
そうしていると、再びバツの悪そうな表情になったアバッキオが僅かに困ったかのような声を出した。
「適当に気絶させたからお前がいつ起きるか分からねぇんだよな。
こんだけ長々と喋っといて聞き逃してましたってんじゃ笑い話だ。
やっぱりらしくねぇことなんてやるもんじゃねぇ。
リプレイ中に起きた時の事を考えてここで改めて言っておく。
これは俺のスタンドが再生してる俺の遺言だ。
怪物が俺の体を乗っ取ろうとしてどうしようもないから、ヤツを道連れに死ぬことにした。
てめぇに責任はないからくれぐれも勘違いすんなよ? 一応感謝はしてるんだぜ俺も。
これ以上喋ってると俺が生きてるうちに終わらないからそろそろ終わりにするぜ。
言わねぇでも解ってると思うが、頑張れよ。俺の分もな。」
――――――あばよ、人間
そう言い残して男の姿が徐々に粒子状へと変わり溶けてゆく。
スタンドの消失が命の喪失とつながっている事を育朗は知らぬが心で理解した。
目の前にいた"人間”はたった今その生命を落としたのだと。
誇り高き人間はそのプライドを失うことなくケジメをつけたのだと。
アバッキオがそうせねばならなかった理由は痛いほど理解できた。
しかし、それでも、それでも育朗は少しだけ気分が沈む。
「僕は……結局手を握ることができなかったのか?」
自分の言っていることが全くの間違いであるのは理解できている。
アバッキオの残した言葉が全て嘘でないと、育朗の言葉は確かに届いていたのだということは分かる。
だが、そう割り切るには育朗はあまりにも真面目であり、優しすぎた。
「すみませんアバッキオさん。僕はまだ自分に一切の責任がないと言えるほど強くないんです。
もしも僕にもっと力があれば、もしも僕がもっと上手く言葉に出来れば。
そんな後悔ばかりしてしまいます、本当にごめんなさい」
天に昇った人間へと己の弱さを詫びる。
育朗に残った唯一の誇りは涙を見せないこと。
時折悔しそうに地面を眺めるものの、決して歩みを止めることはない。
「強くなります。もっと、今度はこんな後悔しないようにもっともっと。
絶対に立ち止まったりしない。それだけは約束します。
これは……あなたが人間と認めてれた僕の誓いです」
だから、僕がそっちへ行ったときは許してください。
最後の小さな呟きは地下道に溶けて消えた。
ビットリオを追わなくてはならぬ以上、長々と感傷に浸る訳にはいかない。
アバッキオの遺したディバッグを拾い上げ、放置していたバイクへと歩み寄る。
一時は近づきながらも結果的にそことは逆方向へと進んでしまったドレスの研究所が気にならないわけではなかったが、今は少年の保護を優先。
音や匂いが探知の邪魔をするのを防ぐためエンジンはかけずに今まで通り押しながら進む。
その最中、育朗はふと天を見上げた。
空が見えた。
無機質で冷たい色をした岩肌などではない。
日差し降り注ぐ明るい空が。
彼が最期に見たであろう景色が。
青く澄み渡った今にも落ちてきそうな空が。
【エシディシ 完全消滅】
【レオーネ・アバッキオ死亡】
【残り 66人】
【D-5 地下/ 1日目 昼】
【橋沢育朗】
[能力]:寄生虫『バオー』適正者
[時間軸]:JC2巻 六助じいさんの家を旅立った直後
[状態]:バオー変身中。全身ダメージ大(急速に回復中)、肉体疲労(大)
[装備]:なし
[道具]:バイク、
基本支給品×2、ゾンビ馬(消費:小)、打ち上げ花火、手榴弾セット(閃光弾・催涙弾・黒煙弾×2)
ワルサーP99(04/20)、予備弾薬40発、地下世界の地図、不明支給品1~2
[思考・状況]
基本行動方針:バトルロワイアルを破壊
0:億泰君、ありがとう。
スミレ、ごめん。僕は僕の生きる意味を知りたい
1:少年(ビットリオ)を追う
[備考]
1:『更に』変身せずに、バオーの力を引き出せるようになりました
2:名簿を確認しましたが、育朗が知っている名前は殆どありません(※バオーが戦っていた敵=意識のない育朗は名前を記憶できない)
3:自身のディバッグはビットリオに取られましたが、バイクの荷台に積んであったビットリオの支給品はそのままです
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最終更新:2014年06月24日 00:47