脚を進めると草を踏みしめる音が響いた。
さく、さく、さく……。小気味良い芝生の踏みしめる音。同時に草いきれの臭いが鼻をつく。脚の動きに合わせて浮かび上がる風を感じた。
五感すべてが今の自分が何をしているかを示していた。歩いている、ただひたすら真っすぐに。目的地へと向かって、歩いている。

さく、さく、さく、さく…………さく――――

シーザーが足を止めれば、周りの音も止んだ。また歩き出せば音が響いた。
それが何よりもシーザーに知らしめている。
今、自分が一人であるということを。さっきまで隣に立っていた虹村形兆、彼はもうそこにいないことを。

「ちっ……」

盛大に舌打ちを一つすると、シーザーは足を速めた。黙々と足をすすめる。疲れも苛立ちも抑え、ただひたすらに。
視線の先でGDS刑務所が刻一刻と大きくなっていく。目的地はもうすぐそこだ。


シーザーは約束通り森のはずれで形兆を待った。木が無くなった開けた場所で、どう頑張ってもそこを通らずにはいられないであろう場所で待った。
五分が過ぎ、十分が過ぎ、二十分が過ぎ……シーザーははやる気持ちを抑え辛抱したが、形兆は来なかった。
森から浮かび上がる影も、草をかき分ける気配もなく、結局シーザーは諦めざるを得なかった。
後ろ髪ひかれる想いだったが、来なかったということはそういうことなのだろう。

形兆は離別を選んだのだ。シーザーは思った。形兆はシーザーとは違う道を行くことを決心したのだ。
三十分は過ぎたころ、シーザーはデイパックを担ぐと最後にもう一度だけ後ろを振り返り、そして出発した。
残念だが仕方ない、それも形兆の意志だ。シーザーがとやかく言えることではない。
そうしてシーザーは今、一人GDS刑務所目掛け歩を進めている。傍に立つ者もいなく、頼るべき者もいない。
シーザーの背中には孤独で、寂しげな影が落ちているように見えた。

残念なのは、さよならを言えなかった事だ。シーザーは形兆のことを思い出し、そう思った。
結局励ましの言葉も餞別の言葉も送れずに別れることになってしまった。
たった六時間の短い間だったが、形兆には一目置いてただけに、殊更それは心残りだった。

歩きながら、ギュッと拳を握る。まだその手には形兆の横面を張ったたいた感触がハッキリと残っている。
もはや祈ることしかできない。形兆は何を望んだのだろうか。今何を目指して、何をしているのか。
それはシーザーの知らぬことだ。想像しかできない。

だからシーザーは祈った。死なないでほしいと願うのは無責任だろうから、せめて形兆に『納得』が訪れるようにと。
あの神経質な男が前向きに立ち向かえるよう、シーザーは一瞬目を閉じると、どことも知れぬ神に祈りをささげた。
途端、俺もセンチになったもんだなァ……と苦笑いが漏れる。同時に、いつかメッシーナが話した言葉が脳裏に浮かんだ。


『お前は友人を作るのは下手だが一度惚れ込んだら女以上だ』


誰がいるわけでもないのに、友達なんかじゃねーよとシーザーはつぶやく。
そうだ、友達なら放っておくわけがない。真摯に向き合って語り合って、話を聞いて……そう言うのが友達なのではないだろうか。
誰かが何かを抱え込んだ時、向き合わなきゃならない何かと向き合った時……その時に傍にいるのが友達というものだろう。

「なぁ、そうだろう、JOJO……」

GDS刑務所の入り口が見えてきた。シーザーは心の内で、友にそう語りかけた。
生きているのか、死んでいるのかさえ不透明な、一番の友に。

刑務所の正面玄関、そこの重い扉を音をたてて開けると、シーザーはその間に身体を忍び込ませる。
闇に眼がなれるまでの短い時間、後ろで重々しい音をたて扉が閉まっていった。
シーザーがGDS刑務所に足を踏み入れた瞬間だった。








―――……なんか嫌な感覚だ。

外はさんさんと太陽が照りつけているというのに、刑務所の中はやけに暗く、じめじめしていた。
それにえらく冷える。まるで冷蔵庫に入れっぱなしのコーラ瓶ぐらい、室内はキンキンに冷えていた。
寒さに震えながら慎重に建物の内部を探っていくシーザー。一呼吸つくと、辺りを見渡した。
これと言って目につくようなものはない。誰かの話声も聞こえなかったし、人がいるような気配もなかった。

「……気のせいだったのか?」

自分の呟きが高い天井に跳ね返って戻って来る。シーザーは息をひそめた。慎重に辺りの気配をもう一度探ってみる。


―――……いや、気のせいではない。


“何か”がいる。そっと視線をペットボドルへ移すと、微かであるが水面に乱れが映っていた。
スタンド使いか? まさか恐怖に震える女の子? そうだったらこんな嬉しい事はないんだが、その可能性は低いだろう。
もしや血に飢えた吸血鬼が? はたまた生き残った柱の男?
それとも……―――それ以上の化け物?

看守の控室とおもしき部屋を通り抜け、更に奥に進んでいく。シーザーはいつ襲われてもいいように構えをとった。
呼吸は乱れていない。体調も良好。怪我もないし、調子は悪くない。
だというのになぜだか汗が止まらなかった。拭っても拭っても汗が噴き出て、額から顎先、腕から指先。身体に沿うように汗が伝って、止まらない。
まるでシャワーを浴びた様に、全身にびっしょりと汗をかいていた。とんでもない圧迫感がシーザーを包んでいる。
シーザーは何か言葉を口に出して自分を励ましたくなったが、口をつぐんでグッと奥歯を噛みしめた。

此方の居場所を知らせてはいけない。例えそれが些細なヒントであろうと……それは致命傷になりかねない。

そう思わせるほどの圧倒的なプレッシャーを、シーザーは感じ取っていた。
シーザーは進んでいく。扉を開き、敷居を跨ぎ、危険が潜む刑務所の奥へ、奥へと進んでいく……。

しばらく進んだところで、一層埃っぽくて暗い一室に突き当たった。微かな光を頼りに辺りを見渡すと、何十にも並んだ大きな影が見える。
そっと近づいてみるとその影は大きな本棚であることがわかった。見れば閲覧用の椅子やソファーも置いてある。
そうか、ここは図書室か。身を隠すにはうってつけの死角が多く、危険が潜んでいそうな場所だ。シーザーは一層気を引き締めると更に奥に進む。
更に奥に、もっと奥に……。そうして図書室をぐるりと一周してみる。図書室には誰もいなかった。

ほっと一息を吐く。やはり気のせいだったか。だがまだ安心はできない。危険が去ったわけでは決してないのだ。
シーザーはドアノブに手を伸ばし、その冷たい感触を感じながらも手首を捻り……その瞬間、その場に凍りついた。


―――……ぱたんっ


汗が音をたてて滴り落ちた。今まで平静を保っていた波紋の呼吸が、大きく乱れた。

今、確かに聞こえた。本を閉じる音だ。落ちる音でもなく、こすれる音でもなく、閉じる音。
一周した時、確認したはずだ。誰もいなかったはずだ……影も気配も、微塵も感じなかったというのに……!


「誰だッ!?」


暗闇にシーザーの叫び声が吸い込まれる。返事はなかった。しーんとした静寂だけがシーザーを見返していた。
得体の知れない恐怖を前に、先に進むべきか、もう一度戻るべきかは悩ましい問題だった。
気のせいだったのか、と済ませることは随分と簡単なことだろう。何も見ていない聞いていないと自分に言い聞かせ、眼を瞑って先を行くのだ。

「……くそッ」

だがシーザーは敢えて後戻りを選択した。確かに怖い。身体が震えるほどの、謎のプレッシャーも感じる。
しかしこんなことで怖気づくのはツェペリ家の男としてあるまじき行為だッ! 一人の男として退くわけにはいかないッ!
シーザーを突き動かしたのは勇気と誇りだ。
例えそこに得体の知れない何かがあるとわかっていても……。縮みあがってガタガタ震えていたとしても……。
恐怖を背負うことは恥だッ! 恐怖を前に立ち向かうことこそ、勇気なのだッ!

シーザーはドアノブから手を離すと、暗闇広がる図書室に戻る。そしてずんずんと棚の間を進んでいった。
まるで風のように早かった。決心さえしてしまえば、もう迷いはなかった。
進んでいくとほのかな灯りが見える。どうやら蝋燭が灯っているようだ。本をつづる音も聞こえてきた。
疑惑は確信へ、確信ははっきりとした事実へ。ついさっき見回った時はそんなものはなかったはずなのだ。

シーザーは先を急いだ。音の先へ、光のさすほうへ進み、そうして閲覧机のある場所へと飛び出した。


「…………」


蝋燭の薄明かりの中、肘掛椅子に座っている男が一人いる。顔は見えない。
背の高い椅子の裏側と、ほんの少し突き出た男の頭が見えただけだ。こちらに背を向けているためどんな男かはわからない。
ただかなりの長身だということはわかった。その椅子はかなりの大きさで、女性や子供ならばすっぽりと身体が隠れてしまうほどのサイズなのだから。

シーザーは無言のまま、そこに立ちつくした。緊張が走る。身体が固くなる。
なぜだか口を開くことも、椅子の前に回り込むこともためらわれた。シーザーにできることは目の前の謎の男が口を開くことを待つこと。
男が本を閉じ、こちらを振り向き話しかけるのをシーザーは待った。随分と長い時間待たされたがシーザーは辛抱強かった。

「アドルフ・ヒトラーという男を知っているかな」

心地よい声だ、とシーザーは思った。依然シーザーに背を向けたまま、振り向くことなく男は言った。
よく響くテノール歌手のような声だった。シーザーは軽く頷く。
警戒を解かないまま、慎重に答えを口にする。


「名前はよく聞く」
「“名前はよく聞く”……君は面白い事を言うね」


くっくっくと喉を鳴らす音、じじじ……と蝋燭の芯が燃える音。辺りが静かすぎて二人の声は奇妙に響いた。
パタンと音をたてて男が本を閉じた。机の上に放り投げられた本の表紙が目に入る。
そこには“我が闘争”という題名と共にアドルフ・ヒトラーの写真がでかでかと印刷されていた。

「それで、君は彼についてどう思うんだい?」

答えを返すシーザー。

「……さぁね。生憎俺は政治とか大衆とかにはとんと関心が持てないんでね。育ちも悪い、教育だってろくに受けてない」
「私が聞いているのは君の感想だ。思ったことだ。正確性だとか思量の深い浅いとかは問題ではない。
 君がこの男をどうとらえたのか、どう感じたのか。私が聞いているのはただそれだけさ」
「……あまり好きじゃあないね。好き嫌いでどうにもならないものがあるってことはわかってるつもりだけどな」
「なるほど、君は正直者のようだ。
 私は逆だ。君の逆。アドルフ・ヒトラーという男、私は彼のことを好意的にとらえてる。
 “買っている”と言ったほうが正確だろうか。ひどく興味をそそられるよ……正直いってね」

しばしの沈黙が流れた。息がつまりそうだと、シーザーは大きく呼吸を繰り返した。
シーザーは危うくのところで、アンタのほうがよっぽど面白そうだけどな、なんて軽口を叩くところだった。
きっと言ったところで怒るような男でないことは雰囲気でわかっていたが……そういう問題ではなかった。
この男に心を許してはならないと頭の中で警報が鳴り響いている。それは本能的な、無意識的なひらめきだった。

シーザーはわざとらしく、咳をした。沈黙が気まずかった。男は一向に気にせず、静寂が二人の間を漂っている。
なんともなしに辺りを見渡してみたが、辺りは何も変わっていなかった。
さっきシーザーが来た時と同じような配置、同じような内装が彼を見返していた…………と、思われた。

次の瞬間、シーザーの横顔に険しい影が色濃く映る。警戒心と攻撃性が鮮やかに浮かびあがる。
シーザーが口を開いた。何かに気がついたのだろう、口調はかわらず穏やかだっただけに殊更表情の変化は顕著だった。
シーザーが言う。男は変わらず、淡々とした感じで返事をした。



     ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……………



「こんな暗い中でよく本なんて読めるな。蝋燭はあるがそれでも読書には、ちょっと暗すぎないか」
「慣れてるんだ。暗闇の中で活字を追うと、まるで秘密の研究をしているような気分になる。
 ちょっとしたスリルを味わうと驚くほど内容が頭に入って来るんだ」
「すると、カーテンを閉じたのもアンタかい? 俺が来た時にはもう閉められていたけど今見るともう一枚、ぶ厚いヤツが引かれてる」
「演出には凝るタイプでね。形から入るんだよ。それに実を言うと肌が弱いんだ。太陽アレルギーかもしれない」
「太陽アレルギーね……」



         ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……………!



呆れたようにシーザーが息を吐けば、寒さのあまり吐息は白く宙に浮かんだ。
男は一向に気にしない様子だった。変わらず呑気にくつろいでいる。まるで寒さを感じていない様子だ。


「暖炉に火をくべればいいだろう。明るくなるし、寒さも和らぐ」
「生憎火の持ち合わせがなくて」
「そうかい、ならしかたねーな……にしてもアンタ、なんでこんなに寒いのに白い息が出ないんだ?」
「…………」
「それとアンタ、素敵な笑い顔をするよなァ。さっきからずっとにこにこしてやがるが、気になってたんだよ……。
 白くて鋭くて、尖った牙みたいな歯を並べてよォ……思わず見とれるような笑い方しやがってなァ…………!」



                         ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……………!



ピシリ、と音をたてるように緊張がわれた。シーザーは今、はっきりと怒りの表情を浮かべていた。
肘掛椅子に座っていた男が立ちあがり、振り向いた。黄金の衣装、怪しげな色気を含んだ横顔。
王は余裕綽綽の態度で、戦士は自らを鼓舞するように猛々しく。
睨み合った視線は火花を散らしているかのようだった。


「ふっふっふっ…………! 貴様こそ随分と素敵な呼吸法じゃないか。久しくその音は聞いていなかったが……なつかしいものだ。
 排水溝にドブ水が流れるような、けがらわしい音だ。耳障りだ……吐き気がする!」
「ディオ・ブランドー……個人的にはてめェのことは知らねェ。なんで消えたはずのお前が、なんてこともどうでもいい……!
 祖父を失った一人の男として! 父を奪われた息子として! 敢えてひとこと言わせてもらうぜ!
 とうとう会えたな、このクソ野郎がッ!」
「随分と悪い言葉を口にするじゃないか、ツェペリのせがれが……!
 付属品の分際で生意気な口を叩くな、間抜けめ。所詮はナンバーツーの、この帝王に踏みつぶされるだけの羽虫がなァ!」
「ほざけ、吸血鬼ッ!  練りに練った波紋をッ! その脳天にぶちまけて、真っ二つに掻っ捌いてやるぜ! 爺さんの仇だッ!」


シーザーが脚に力を込め、跳躍する。祖父と同じような、いや若い分それ以上の跳躍力で! 上空からDIO目掛け襲いかかるッ!
天井付近まで浮かび上がったシーザーが、忍ばせて置いた石鹸水に手を伸ばす。
シーザーお得意のシャボンランチャー! これを受けて倒れなかった吸血鬼はいまだかつて存在しない!
まさに一撃必殺! 王を前にしても、戦士は一切動じるなかった! これが波紋戦士! これがツェペリ一族!
一面を覆い尽くさんとばかりに浮かんだシャボン玉! かわすことも避けることも不可能ッ!
さらにッ! 追撃とばかりにシーザー自身の拳が迫るッ! DIOに逃げ場はないッ! 待ち受けているのは死、それのみだッ!


「喰らって消えろッ! ディオ・ブランドォオオオオオ――――ッ!」


―――シーザーの叫びを遮ったのは何十もの重なった銃声だった。


パン、パン、パン……と面白いようにシャボン玉が撃ち抜かれていく。
同時に宙に浮かんだシーザーの体が奇妙にゆがんだ。まるで見えない腕に押されたようにバランスを崩したのだ。
また銃声。シーザーの体が更にぐらつく。もう一発、もう一発、更にもう一発……。

そうして甲高い音が止んだ時、宙に浮かんでいたシャボン玉は全て消え去り、シーザーは地面にたたき落とされていた。
文字通り、叩き落とされた羽虫かの如く。惨めで、汚らしくて無力だった。
シーザーは背中にじんわりと液体が広がっていくのを感じた。眼も霞み始めた。呼吸だって上手くできない。

必死で身体を起こそうとしたが、微かに首が動いただけだった。
床にへばりつくような姿勢で見上げればDIOの姿が、そしてその奥に人影が見えた。
見慣れた特徴的な髪形の、黒い学生服に包まれた、人影が……。


「けい、ちょ う…………?」
「見事な腕前だ、ニジムラ。オリンピックのクレー射撃よりも優雅だった」
「そいつはどうも」

ポケットから櫛を取り出すと乱れた髪形を神経質そうに整える。形兆の表情に悲しみや後悔は見られなかった。
たった今、シーザーを撃ち殺したというのにまるで皿洗いでも済ませた様な何でもない表情をしている。
シーザーにはわからなかった。眼の間にいるこの男が家族の死を悼んでいた、あの形兆と同じ人間であるとは。

「それで、コイツはどうしますか」
「君の意見を聞こうじゃないか」
「血で床が汚れるのは個人的に好きじゃない。ああいう汚れは一度しみつくとなかなか落ちないんだ。
 こすってもこすっても張り付いたように残っちまう。どす黒い血の後ほどいらつくものはね―ぜ。
 よかったら川に放り込んでおくが……それでどうだ?」
「君に一任しよう。なんてたって君が仕留めた獲物なんだからな」
「人を猟銃扱いするのは勘弁してほしいね」

どうしてだ、と口に出そうとしたがそれは呻き声にすらならなかった。
視界が狭く、暗くなる。急速に身体から力が抜けていった。シーザーにできることと言えば恨めしげに形兆の眼を覗き込むことだけだった。
形兆は真っすぐシーザーの眼を見返した。それは憂いを含んだ、深い視線だった。


「フフフ……君を部下にしたのは正解だった。優秀な男だ。君の父親もそうだった」
「親父の話をするのはやめてくれませんか。アイツの血が流れてると思うだけで頭痛が止まらなくなる」
「これは失敬……だが父親が父親なら、子もまた子だ。改めて君の忠誠を歓迎するよ、ケイチョウ・ニジムラ……」
「忠誠はいいから、どうせなら手を貸してくれませんかね。人一人運ぶってのはけっこう大変なんですよ」



そうしてシーザーの意識は闇に落ちた。最後に彼が見たものは空っぽの表情を張り付けた、形兆の顔だった。



シーザー・アントニオ・ツェペリ  再起 不 能】








何が何だかわからなかった。なにはともかく、シーザーが真っ先に感じたのは息苦しさだった。
酸素を求め思いきり口を開けば、器官目掛け水が逆流した。思いきり水をのみこんでしまったシーザー。苦しさにもがけば、酸素が泡となってさらに出ていく。
身体を包む浮遊感、ひんやりとした水の冷たさ。混乱する頭で今の状況を理解する。シーザーは水面目掛け思いきり腕と足をばたつかせた。

「ぶハッ!!」

ようやくのことで川面に顔を出すと、シーザーは盛大に咳こみ、飲み込んだ水を吐き出す。
深呼吸を何度か繰り返してようやく一息つくまで落ち着く。顔を流れる水滴が心地よい。肺を満たす酸素が最高に気持ち良かった。


「生きてる……」


そう、シーザーは生きていた。形兆に心臓をうちぬかれ死んだと思われたシーザーはまだ、生きていた……!
辺りを見渡す。見覚えのない場所だった。川岸まで泳いで間近で建物を見るが、洋風の建物だということしかわからなかった。

シーザーは撃ち抜かれたはずの場所を触ってみる。
血はまだ流れていたが、傷は小さい。弾丸も体内にとどまることなく、綺麗に貫通している。
これなら波紋の呼吸で対処できる範囲内だ。バンダナをほどくと圧迫するように傷口にあてる。これで治りも早くなるだろう。

「……あの野郎」

川辺にどかッと腰をおろし、シーザーはそう呟いた。
体を冷やしてはいけないと上着を脱ぎ、よく絞る。水が滴る様子を見ながら憎々しげに彼はそう言った。

自分が今生きているのは形兆のおかげだ。シーザーは思う。
思わず熱くなって襲いかかったが、今冷静になってわかる。きっと俺は死んでいた。
もしもあの時形兆が後ろから撃ってくれなかったら……、もしもあのままディオ向かって飛びかかっていたら……。
今自分は生きていない。今頃死体になって河底を漂っていたことだろう。

「くそったれ……」

もう一度傷口を撫でれば、あまりの正確性に唸り声が漏れた。
心臓に傷一つつけない一撃は形兆らしい神経質な一撃だった。血管も傷一つない。兆弾もなし。
全てが計算ずくで、定められたものだった。

「お前は大甘ちゃんだ……ッ! 大甘ちゃんのクソッタレ野郎だッ! 大馬鹿野郎のトンチキだ、形兆ッ!」

なぜ形兆がDIOの傍にいるのか。なぜ形兆がスパイになろうと思ったのか。
それはわからない。なにもかもわからない。
だがそれでも唯一わかったことは、一つだけわかったことは……形兆が命をかけてシーザーを救ったということだ。

「これで借りを返したってつもりなら、ソイツは違うぜ、形兆……!
 返しすぎだ、馬鹿野郎……! これじゃ俺が借金背負いじゃねーかッ
 貧乏生活はガキん時に嫌というほど味わったってのに、また俺はあんときに逆戻りじゃねーかッ!」

そう、ガキん時に逆戻り。波紋も優しさも温かみも知らない、何一つできない、何一つ受け取ろうとしない情けないただのガキ。
シーザーは顔をこするとキッと顔をあげた。その顔に迷いはない。後ろめたさや恐怖は微塵も感じられなかった。

「今の俺じゃ勝てない」

DIOは未知なる何かを持っている。それは理屈でなく、魂で理解したことだった。
ただの吸血鬼がああまでした圧倒的プレッシャーを纏えるものか。王たるもののカリスマ、強者としてのオーラと言えど限度がある。
なによりシーザーは波紋使いだ。吸血鬼の天敵だ。ならばもっと危機感を抱いてもいいはずだ。

何かがある。DIOに余裕を持たせる未知なる力が……、スタンドが……ッ!!


「待ってろよ、形兆」


服が乾くまで、なんてのんびりしている暇はなかった。
波紋の呼吸が戻ったころ、シーザーは立ち上がると、見知らぬ街を睨みつけた。
そして叫んだ。

「借りた借りは必ず返す! 約束は必ず守る! テメーには一発殴った借りと命を救ってもらった借りがある!
 だからテメーが俺を一発殴るまで! 俺がテメーを救うまで! ディオなんかに殺されるんじゃねーぞ、形兆ッ!」

川辺に響いた声に返事はなかった。シーザーは顔を引き締めたものに変えると、照りつける街に向かって歩き出した。




【シーザー・アントニオ・ツェペリ  再起可能】



【E-3 北部 ティベレ川岸/ 1日目 午前】
【シーザー・アントニオ・ツェペリ】
[能力]:『波紋法』
[時間軸]:サン・モリッシ廃ホテル突入前、ジョセフと喧嘩別れした直後
[状態]:胸に銃創二発、体力消耗(中)、全身ダメージ(小)
[装備]:トニオさんの石鹸、メリケンサック
[道具]:なし
[思考・状況]
基本行動方針:主催者、柱の男、吸血鬼の打倒。
0.街に向かう。
1.ジョセフ、リサリサ、シュトロハイムを探し柱の男を倒す。
2.DIOの秘密を解き明かし、そして倒す。
3.形兆に借りを返す。









「いいのですか」
「何のことだ、ヴァニラ」
「……虹村のことです」
「つまり、シーザー・アントニオ・ツェペリのことでもある」

ヴァニラ・アイスは控え目に頷いた。DIOはしばらく何も答えなかったが、思いついたように急に口を開いた。

「お前に任せる」
「……任せる?」
「ああ、私としては泳がせたほうが面白いと思ったからそうした。ちょっとしたゲームだ。
 吸血鬼の私にとって波紋使いというのは言わば好敵手。殺し合いの中でちょっとした余興とすれば充分じゃないか。
 あのスティーブン・スティールが言った通りだ。ゲームならば楽しまなければならない。ゲームなら演出にも凝る必要がある」

ヴァニラは沈黙を貫いた。彼が慕うDIOという男は時折こういったことをする。
慎重かと思えば大胆。徹底的かと思えばひどくずぼらな点もある。それについてとやかくいう権利もつもりも、ヴァニラには全くない。
王には王の素質があり、相応しい態度、相応しい振る舞いもまた存在している。余裕もまたその一つの要素にすぎない。

「シーザー・アントニオ・ツェペリは放置。あの波紋戦士がどう出るか、楽しみにしようじゃないか。
 なんならヴァニラ、気にいったと言うならお前が戦ってもいい。
 歴戦の波紋戦士と最強のスタンド使い……血肉湧き踊る戦いじゃないか」
「ありがたきお言葉です」
「虹村形兆に関してもお前に一任する。いや、私から直々に奴に言っておこう。
 今後ヴァニラ・アイスと共に行動を取るように、と」
「つまりDIO様の邪魔だと判断したならば、始末しても構わないと?」
「ヴァニラ・アイスよ、すぐは駄目だ。今は駄目だ」

DIOはもて遊んでいたワイングラスを一気に飲み干すと、それをサイドボードにそっと下ろした。
床に膝をつき、此方を見ていた部下を見返す。底知れない、真黒な目がDIOを見ていた。

「亜空の瘴気、全てを飲み込むスタンド『クリーム』……お前のスタンドは強い。このDIOの『世界』と肩を並べるほどに強い」
「私にはあまりにもったいないお言葉です、DIOさま」
「謙遜するな、ヴァニラ……。私は事実を語っているまでだ。
 仮にだ。仮に私がお前と戦わなければならないとなれば……敗北はないにせよ、大きな痛手をこうむることは間違いないだろう。
 半身をもがれるか、腕を失うか、はたまた脚がちぎれ飛ぶか……それはわからない。しかし最終的には私が勝利するだろう。
 それもひとえに私がお前の弱点を知っているからこそだから。唯一にして絶対の弱点をな」
「…………」
「お前は飲み込むモノを捕える時顔を出さねばならない。それは大きな隙になる。
 お前のスタンド能力を知っていればなおさらだ。その一点のみを辛抱強く待ち、その一点のみを突こうとするだろう」
「…………」

DIOは視線を外し、蝋燭を見つめた。話している最中にも蝋が解け、白い結晶が積もっていく。
揺らめく火の影が、DIOの横顔にそっと落ちていた。ヴァニラは何も言わない。DIOの話は続いた。

「虹村形兆のスタンドはお前の補佐にピッタリだ。小回りのきくスタンド、数で圧倒する物量作戦、小粒でありながら破壊力もある。
 ジョースター一行は決して弱くない。心配しているわけではないが、万が一ということもある。
 お前は虹村を利用して奴らを始末しろ。一秒でも早く、一人でも多く」
「……必ずや奴らの首を貴方様に捧げます」

扉が開く音が響き、二人の会話は中断する。
マッシモ・ヴォルペが室内に姿を現すと、DIOに向かって言った。ヴォルペのは口調は相変わらず乾いたままだった。


「三人が目を覚ました」
「正確には三人と一匹だろう、マッシモ」


どうでもいいことだ、とヴォルペが呟くとDIOは面白そうに笑った。
ヴァニラ・アイスは眉をひそめた。そんな風に笑う主のことを、彼は今まで一度も見たことがなかったから。
お前に任せたぞ、と念を押すような言葉をもう一度受け、ヴァニラ・アイスは無言で頭を下げた。
扉がもう一度閉まり、DIOの姿が見えなくなるまでそうしていて、姿が見えなくなった後もしばらく動かなかった。
否、動けなかった。

胸に湧き上がった絡み付いた感情をほどくのには時間が必要だった。
自分が一番あのお方を理解していると、自分こそが傍に立つ者に相応しいと思っていた。
それは間違いだったのかもしれないと今、それに気づかされ、ヴァニラはそれがショックだった。

マッシモ・ヴォルペ、という呟きが思わず零れ落ちる。
口にした途端、ヴァニラ・アイスは思わず辺りを伺った。誰もを聞いたものはいないようだった。
ほっとすると同時に何を憂う必要がある、とも思った。

やがて時間が立ち、ヴァニラ・アイスが立ちあがる。
もう動揺は収まっていた。主君の命に従う忠実な部下として、ヴァニラは虹村形兆の姿を探しに刑務所の奥へと姿を消した。

同時に本棚にあった本が僅かに揺れた。隙間に隠れていた兵士はヴァニラが消えたことを確認すると、自身も姿を消す。
主君である虹村形兆にこの会話を届けるため。自らの任務を成し遂げるため、バッド・カンパニーは闇に溶けていく……。



そうして後に残されたのはワイングラス、一冊の本、そして暗闇……―――。



そこにはもう誰もいなかった。
バタン、とどこか遠くで扉が閉じる音が聞こえ……音さえも姿を消した。







【E-2 GDS刑務所の一室/ 1日目 午前】
【DIO】
[時間軸]:JC27巻 承太郎の磁石のブラフに引っ掛かり、心臓をぶちぬかれかけた瞬間。
[スタンド]:『世界(ザ・ワールド)』
[状態]:健康
[装備]:携帯電話、ミスタの拳銃(5/6)
[道具]:基本支給品スポーツ・マックスの首輪、麻薬チームの資料、地下地図、石仮面
    リンプ・ビズキットのDISC、スポーツ・マックスの記憶DISC、予備弾薬18発
[思考・状況]
基本行動方針:『天国』に向かう方法について考える。
1.眼を覚ました四人の様子を見に行く。
2.セッコが戻り次第、地下を移動して行動開始。
3.プッチ、チョコラータ等と合流したい。


【ヴァニラ・アイス】
[スタンド]:『クリーム』
[時間軸]:自分の首をはねる直前
[状態]:健康
[装備]:リー・エンフィールド(10/10)、予備弾薬30発
[道具]:基本支給品一式、点滴、ランダム支給品1(確認済み)
[思考・状況]
基本的行動方針:DIO様のために行動する。
0.虹村形兆と合流、ジョースター一行を捜索、殺害する。
1.DIO様の名を名乗る『ディエゴ・ブランドー』は必ず始末する。


ペット・ショップ
[スタンド]:『ホルス神』
[時間軸]:本編で登場する前
[状態]:瀕死
[装備]:アヌビス神
[道具]:なし
[思考・状況]
基本行動方針:サーチ&デストロイ
0.???
1.DIOとその側近以外の参加者を襲う


【虹村形兆】
[スタンド]:『バッド・カンパニー』
[時間軸]:レッド・ホット・チリ・ペッパーに引きずり込まれた直後
[状態]:悲しみ
[装備]:ダイナマイト6本
[道具]:基本支給品一式×2、モデルガン、コーヒーガム
[思考・状況]
基本行動方針:親父を『殺す』か『治す』方法を探し、脱出する?
1.隙を見せるまではDIOに従うふりをする。とりあえずはヴァニラと行動。
2.情報収集兼協力者探しのため、施設を回っていく?
3.ヴァニラと共に脱出、あるいは主催者を打倒し、親父を『殺して』もらう?


サーレー
[スタンド]:『クラフト・ワーク』
[時間軸]:恥知らずのパープルヘイズ・ビットリオの胸に拳を叩きこんだ瞬間
[状態]:瀕死
[装備]:なし
[道具]:基本支給品
[思考・状況]
基本行動方針:とりあえず生き残る
0.???
1.ボス(ジョルノ)の事はとりあえず保留


【チョコラータ】
[スタンド]:『グリーン・デイ』
[時間軸]:コミックス60巻 ジョルノの無駄無駄ラッシュの直後
[状態]:瀕死
[装備]:なし
[道具]:基本支給品×2
[思考・状況]
基本行動方針:生き残りつつも、精一杯殺し合いを楽しむ
0.???


スクアーロ
[スタンド]:『クラッシュ』
[時間軸]:ブチャラティチーム襲撃前
[状態]:瀕死
[装備]:なし
[道具]:基本支給品一式
[思考・状況]
基本行動方針:ティッツァーノを殺したやつをぶっ殺した、と言い切れるまで戦う
0:???


ディ・ス・コ
[スタンド]:『チョコレート・ディスコ』
[時間軸]:SBR17巻 ジャイロに再起不能にされた直後
[状態]:健康
[装備]:肉の芽
[道具]:基本支給品、シュガー・マウンテンのランダム支給品1~2(確認済み)
[思考・状況]
基本行動方針:DIO様のために不要な参加者とジョースター一族を始末する
1.DIOさま……
[備考]
※肉の芽を埋め込まれました。制限は次以降の書き手さんにお任せします。
※ジョースター家についての情報がどの程度渡されたかもお任せします。


【マッシモ・ヴォルペ】
[時間軸]:殺人ウイルスに蝕まれている最中。
[スタンド]:『マニック・デプレッション』
[状態]:空条承太郎に対して嫉妬と憎しみ?、DIOに対して親愛と尊敬?
[装備]:携帯電話
[道具]:基本支給品、大量の塩、注射器、紙コップ
[思考・状況]
基本行動方針:空条承太郎、DIO、そして自分自身のことを知りたい。
0.DIOと共に行動。
1.空条承太郎、DIO、そして自分自身のことを知りたい 。
2.天国を見るというDIOの情熱を理解。しかし天国そのものについては理解不能。




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前話 登場キャラクター 次話
130:背中合わせの三つの影 シーザー・アントニオ・ツェペリ 142:Nobody Knows
133:最強 ペット・ショップ 148:大乱闘
130:背中合わせの三つの影 ヴァニラ・アイス 148:大乱闘
122:神を愛する男たち DIO 148:大乱闘
130:背中合わせの三つの影 虹村形兆 148:大乱闘
133:最強 サーレー 148:大乱闘
133:最強 スクアーロ 148:大乱闘
133:最強 チョコラータ 148:大乱闘
133:最強 ディ・ス・コ 148:大乱闘
122:神を愛する男たち マッシモ・ヴォルペ 148:大乱闘

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最終更新:2013年12月31日 02:05