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スレ6>>24-42 ある晴れた日に

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ある晴れた日に


晴れた日は空を飛ぶに限る。

これは昔の偉人が言い出した事ではない、飛澤家に受け継がれる持論である。
確かに、晴れた日の青空を見上げるのは気分も良いし、太陽の光を受けた景色も何処か輝いても見える。
こう言う日は両の翼を広げ、風の吹く限り何処までも飛んで行けたら気持ちの良い事間違い無しだ。
こればかりは、空を飛べる種族の特権と言える筈だ。……多分。

「朱美、空を飛ぶなら飛んでる人の動きには気を付けなさいね? 
「分かってるわよ、お母さん」
「それと、突風にも気を付けなさいよ? 今日は風が強いと天気予報でいってたから」
「はいはい、気を付けるわ。それじゃ、行ってきます」

余計なおせっかいを掛けてくるお母さんの言葉を振りきって、あたしは玄関から文字通り飛び出す。
額の髑髏マークと耳を入れる為の尖った形をしたスペースがチャームポイントの自作の皮製の飛行帽にゴーグル、
蝙蝠のマークをあしらった胸のアップリケが特徴の自作の飛行服を身に纏って、あたしは一陣の風となる。
今日は飛び回るだけだから持ち物はお財布と携帯だけで充分、むしろこれ以上の荷物は邪魔なだけ。

両の翼で受ける初夏の風が涼しく感じる。青空に輝く朝の太陽もその日差しを満遍なく地上に注がせている。
普段は見上げるだけだった家並みの屋根を飛び越し、ポニーテールを風になびかせてあたしは翼を羽ばたかせる。
家やら車やら色んな物でうめ尽くされた地上と違って、空は何処までも蒼く、広く、遠く、其処にある。
地上を行くケモノ達は、この何処までも晴れた空を如何思っているのだろう?

翼を羽ばたかせ、上昇気流に乗って滑空しつづける事、約三十分。あたしは海の上の翼となった。
海風に乗った潮の香りがあたしの鼻腔をくすぐる、波に照り返す陽光の煌きが少し眩しい。
海の上でぽつんぽつんと浮いている漁船の上で、ネコの船員達が網を引いて海の恵みのお裾分けを頂く。
毛皮を海水に濡らす彼らの目には、悠然と空を飛ぶあたしの姿はどう見えるのだろう?

けど生憎、気持ち良く青空を飛んでいる様に見えるあたしの心の中の空は、反面どんより曇り空だった。

――つい先週の金曜日の事、あたしは卓君達と喧嘩した。
獅子宮先生辺りがその理由を聞けば、「なんだ、そんな事か」と尻尾揺らして一笑するくらいの他愛のない事。
けど、多感な年頃のあたしにとっては結構重大な事なのです。

「なによ、卓君。それくらいやってくれても良いじゃない」
「あのなぁ朱美。それくらいって簡単に言うけど、それをやる俺としては本気で大変なんだよ」

始まりはあたしの他愛の無い我侭に卓君が文句を付けた事。
あたしも卓君も、自分が正しいと思っているから1歩も引く気は無かった。

「う~、卓君のケチ!」
「なんだと! 朱美の我侭蝙蝠!」

結局、あたしは売り言葉に買い言葉とばかりに、卓君と口喧嘩。

「卓に朱美、喧嘩は止めるんだー!」
「別にあたしは喧嘩してないわよっ、利里君! 分かったなら口出ししないで頂戴!」
「あ、あう~……」

挙句に仲裁に入ってくれた利里君にも酷い事を言っちゃって、そのまま謝る機会も無く下校時間になっちゃった。
後になってよくよく考えてみれば、卓君の言った事の方が正しい。けど、正しいからこそあたしの心を深く突き刺す。
そんな正しい卓君たちへ我侭を言ったあたしは、他の人から見れば悪い蝙蝠にしか見えないだろう。

わたしは鳥です、わたしは哺乳類ですと嘯いた蝙蝠の人も、今のあたしほど悪くは無い。
だって、その人の言っている事は多少の嘘はあれど大体あってるし、誰も困らせてはいない。
けど、あたしの口から出る言葉は卓君と利里君を困らせる我侭ばかり。本当に自分が嫌になる。

こんなどんより梅雨空な気分を抱えたままで、次の月曜日は迎えたくない。
明るく天真爛漫で通しているあたしが、暗い顔で授業を受けていたら多分、泊瀬谷先生は深く心配する事だろう。
それ所か、他の人達に今日は雪か槍でも降るのではといらぬ心配をかけさせる事になる。
考えれば考えるほど暗澹とした気分はずっしりと重くなる、家路に付くあたしの翼と足も重くなる。

けど、あたしは家に帰れば、翼をばさりと広げて何時もの通りの明るい姿で振舞う。
あたしは学校の事は家に持ちこまない主義なのだ。こんな事でお母さんに心配かけさせたくない。
けれど、流石はあたしの母。僅かな行動の違いで、今のあたしの気分をあっさりと読み取ってしまった。
どんな行動の違いかはあたしには分からない。多分、今日の夕御飯のお代わりを三杯から二杯に減らした事だろうか?
心の内を読まれて思わず暗い表情を浮べるあたしに、お母さんはにっこりと笑ってこう提案した。

「そう言うときは、気の赴くまま飛んで行けば良いのよ」

何時もはあたしに輪にかけて明るいお母さん、
けど、そんなお母さんにだって自分が嫌になる事があるのだろう。
そんな時は何時も、晴れた青空の下を翼を広げて飛び回っていたのだろうか?

そう言えば、数年ほど前に前にお父さんと喧嘩した時、お母さんがおもむろに外に飛び出したと思ったら、
3時間位した後でけろっとした表情を浮べて帰って来た事を思い出す。
多分、お母さんは遠く空の向こうへ嫌な気分を捨ててきたのだろう。
……まあ、そのついでにケーキをたらふく食ってきたのか、口の端にクリームが付いていたけど。

そう言う訳で、あたしもそれに倣おうと、梅雨の晴れ間が広がる日曜日の今日。
嫌な気分は何処かの空へ捨ててしまうに限ると、宛ても無く空を飛んでまわる事にした。

そうだ。帰りには『連峰』にでも寄って、お財布の許す限りスィーツを味わうのも悪くない。
多分、店長の香苗さんはあたしを嫌がるだろうけど、其処のスィーツが美味しすぎるからいけないのだ。

――ふと、鼻に感じる潮の香りが変わった事に気付き、あたしは下を見下ろす。

「あれ? 風に乗ってここまで来ちゃったのかしら?」

どうやら、物思いに耽っている内にあたしは古浜海岸の辺りまで飛んで来ていたようだ。
今日は風が強い影響で波が高いのか、海岸近くでは波の上に乗ろうと悪戦苦闘しているサーファー達の姿が見える。
海水に毛皮をビショビショに濡らした彼らの姿は、ある種の滑稽さを感じさせる。
けど、彼らは遊んでいる様で大真面目、今日も来るかどうかも分からないビックウェーブを待ち続けるのだろう。

ほらほら、大きな波が来たわよ、其処のイヌの人、早く波に乗る準備をしないと。
あ~あ、言わんこっちゃ無い、波に乗るどころか逆に弄ばれちゃってるじゃない。耳の毛までビショビショよ?
こんな調子じゃ、折角のサーフボードも不満顔ね? 

そんな地上?の様子を見ていると、あたしはなんだか微笑ましく感じて笑いが漏れてくる。
けど、それでもあたしの心の隅に圧し掛かっている嫌な気分は頑固らしく、
古くなったガムテープみたいに、剥がしても剥がしてもべったりと張り付いて中々消えてくれない。

こう言う時ほど、あたしは利里君を羨ましく思えてくる。
利里君はどんなに嫌な事があっても、およそ1時間も経たない内にけろっと気分を切り替えてしまう。

そういえば、以前に利里君は「いやな事は直ぐに忘れてしまうんだー」とか言ってたっけ?
多分、トカゲの血がそうさせるのだろうか? 流石にこれだけはあたしには真似できない。
恐らく、あたしが利里君の真似しようとしたら、嫌な事どころか大事な事まで忘れてしまいそう。

いけないいけない、あたしはその嫌な事を空の向こうへ放り捨てるために空を飛んでるんだ。
こんな事で自己嫌悪に陥ってどうするのよ。しっかりしなさい、飛澤 朱美!

とか考えていたあたしの視界の先、水平線の少し上辺りにぽつねんと見え始めた二つの小さな影。
その影は見る見るうちに大きくなり、その影の正体をあたしへ知らせてくる。

「あれって……空子ちゃんと惣一君?」

そうだ間違い無い。大きな翼で悠然と滑空するのは頭の白い羽毛が特徴的なハクトウワシの空子ちゃん。
そして彼女の横で、巧みな操作で機械の翼を並べているのは飛行機同好会部長の惣一君。
こうやって並んで飛んでいるところを見ると、種族の壁だなんてベニヤ板ほどの厚みしかないと思えてくる。

そうやって二人の様子を眺めていると、どうやらあちらもあたしの存在に気付いたらしく、
二人はゆっくりと大きく翼を旋回させて、あたしの横へと並ぶ。

「こんにちわ、飛澤さん。 今日はこんな所まで来てどうしたの?」
「ん~、今日は良い天気だから、ちょっとあても無く空のお散歩って所」
「んで、その後で『連峰』のケーキでも食いにでも行くって所だな。 
まあ、飛んでいきゃカロリーも消費されるだろうし、太るの気にしなくて良いよな」

ちょいと冗談のつもりで言ったのだろう、飛行服姿の惣一君がハハハと笑う。
けど、空子ちゃんにとっては冗談には聞こえなかったらしく、あたしが何かを言う間も与えず惣一君をキッと睨みつけ、

「ちょっとソウイチ! 女性に対してそんな事を言うなんてデリカシーが無さ過ぎよ!」
「へいへい、俺が悪うござんすた」
「ちょ、ふざけないで真面目に答えなさいっ! このチビ助っ!」
「だっ、誰が超絶マイクロドチビだっ! この白髪頭!」

そして、あたしの視線の先で始まる惣一君と空子ちゃんによる何時もの夫婦漫才、この二人は相変わらず仲が良い。
けど、あたしがその事を言ったとしても、この二人に即座に全力で否定する事だろう。それも二人で口を揃えて。
其処が蚤の夫婦だとかからかわれる大きな理由だと言うのに、この二人はそれに全く気付いてないし。
取りあえず、何時までも横で夫婦漫才をされてちゃあたしも困るし、とっとと窘めますか。

「まあまあ、落ちついて空子ちゃん。
あたしは惣一君の言う通り後で『連峰』に行くから。其処まで怒らなくても良いわよ?」
「で、でも……」
「それに、くだらない事でトサカ立ててたらせっかくの美人が台無しよ? 空子ちゃん」
「…う…わ、分かったわ。 もう……」

うんうん、素直で宜しい。 お姉さんは聞き分けの良い子が好きよ?
でも、空子ちゃんも惣一君も、どうもお互いに対してだけは素直になれないみたいなのよね……。
なんというか、二人とも似た物同士だから、磁石のS極同士が反発しあってる様な感じなのよね。
これでどっちかがN極に変わってくれれば、二人はがっちりとくっ付いてくれるのに。世の中は上手く行かない物ね。

「所で、逆に聞くけど、空子ちゃんと惣一君はこんな所で何しているの? 何時もの飛行機の試験飛行って所?」
「まあ、そうだな。昨日しがた『ブルースカイⅩⅡ』のモーターをより高出力な物に交換したから。
今回はそれの慣らしの為の試験飛行って所」
「それで、アタシはその試験飛行の際に、ソウイチが事故を起こさない為のお目付け役って所」
「……ンなお目付け役なんて要らないんだけどな」
「何 か 言 っ た か し ら !!」

ボソッと言った惣一君の一言にクワっ、と嘴を開いて威嚇する空子ちゃん。
しかし、当の惣一君はそっぽ向いて口笛を吹くばかり。
青空に浮かぶ太陽も風を受けて流れる白い雲も、このある種お似合いの二人を微笑ましく眺めている。

……それにしても、惣一君は本当に凄い。
過去に受けた精神的なショックで飛べなくなった空子ちゃんを再び空へ飛ばす為、
幾ら他人に馬鹿にされようとも、幾ら失敗して怪我をしようとも、決して諦めず自力で飛行機を作り上げ。
遂には空を飛んでみせて、更に空子ちゃんの心の傷を克服させるまでに至らせた。

それに比べて、あたしは何と小さい事か。……いや、身長的な意味じゃなくて、精神的な意味で。
ちょっとした些細な事で卓君と喧嘩して、そのまま謝る事も出来ずにこうやって宛ても無く空を飛んでいる。
挙句に、その嫌な事を空の向こうへ捨てに出ておいて、その嫌な事を余計に膨らましちゃっている。
う~ん、何だか今日のあたしはネガティブね……。

「どうしたの? 飛澤さん…なんか表情が暗いわよ?」
「そうだぜ? なんだか何時もピンと立ってる耳も伏せてるっぽいし……何かあったのか?」
「あ…いや。何でも無いわ、大丈夫。空子ちゃんも惣一君も気にしないで」

ここであたしは迂闊にも表情に出してしまったらしく、空子ちゃんも惣一君もあたしへ心配げに声を掛けてくる。
嫌な事を心に抱えるのはあたしだけで充分。そして青い空へ暗澹とした気分を放り捨てるのもあたしだけで充分だ。
こんな『くだらない事』で他の人にまで迷惑をかけたくない。

「飛澤さん。何か困った事があれば、あたしが相談に乗るわよ?」
「そうそう、一人で抱え込んでいるより誰かに話せば楽になれるからさ」

しかし、そんなあたしの願いとは裏腹に、
空子ちゃんも惣一君も、あたしに何かあったのかとばかりにお節介を焼いてくる。
惣一君と空子ちゃんの親切は痛いほど分かる。けど、あたしのくだらない悩み程度で二人を困らせたくはない。

「い、良いわよ。別に他人に相談する程の物じゃないし。あたしの事は気にしないで頂戴。
それじゃ、あたしはこれから用事があるから、また明日!」

だから、あたしは誤魔化し笑いを浮べながら適当にはぐらかして答えると、
心配する二人を振り切る様に、翼を翻して飛び去っていったのだった。

「はぁ……あたしとした事が何やってるのよ……」

そのまま当て所も無く飛び続けた後、あたしは海岸線の上を飛行しつつ独り自己嫌悪する。
さっきのあたしのとった行動、アレは確実に二人に心配掛けさせる別れ方じゃないのよ…。
心配掛けさせない様にしておいて、かえって心配掛けさせてしまうなんて、本当、今日のあたしは如何にかしてる。
そう考えているとなんだか、この青い空もどんよりと雲って見えて……

「アレは……」

ふと見上げた水平線の向こう、其処に見えるは大きな翼を広げて滑空する、学園指定のジャージ姿の鷲人の姿。
それはあたしにとって嫌な位に見慣れた物であり、そして今の状況ではもっとも会いたくない人の物だった。

「うわぁ…最悪。宮元先輩じゃない……」

『お前なら世界を取れる!』とか言ってあたしを大空部へ勧誘しつづける、やたらと声の大きな大空部の部長。
今年始めに起きたある事件を機に、その勧誘もある程度は落ち付いてくれたけど、
それは飽くまで落ち付いてくれただけ。この先輩はまだあたしの事を諦めてくれてはいないのだ。
今でも、先輩はあたしと顔を合わせる事があれば、決まってあたしに大空部への入部を勧めて来る。
あたしは鉄道研究部をやってると言っても、『なら掛け持ちすれば良い』とか言い出して聞いてくれないし……。
多分、この先輩は空を飛べるケモノならば誰彼構わず勧誘しているのだろう。

只でさえ今のあたしはどんよりと曇り空な気分だと言うのに、
これで先輩に見つかってしまったら、忽ち気分はバケツをひっくり返した様などしゃ降りになるに違いない。
取りあえず、彼女に見つかる前に適当な場所に隠れる事にしようっと。

「良い場所見っけ」

何処か隠れる良い場所は無いかと探すあたしが見つけたのは、海沿いの崖に防風林として並ぶ木々
すかさず其処へ降下すると、適当な枝に足の爪を掛けて、枝葉の間へ身を潜める様にぶらりと逆さまにぶら下がる。
端から見れば頭に血が上りそうに見える光景だけど、蝙蝠のあたしにとっては人間が立つのと同じ位に普通な事。
皆は知らないと思うけど、あたし達、蝙蝠のケモノが眠る時はこの『逆ぶら下がりスタイル』が一般的なのだ。
さて、これで先輩があたしに気付く事無く通りすぎてくれれば良いけれど……

…………。

そろそろ良いかしら? もう通りすぎてても良い頃だと思うけど……大丈夫かな?。
あたしは安全を確認しようと翼の鉤爪を枝に引っ掛けて、身を隠していた枝葉の間から頭をひょっこりと覗かせた。
うん、右よし、左よし、下もよし、そして上も……

「かくれんぼはもう終わりかな? 飛澤」
「――っ!?」

うげっ! あたしの止まっている枝の上に止まってた! というか、何時の間に!?
こりゃ本気で拙いわ、もうこうなると今更飛んで逃げた所で、宮元先輩の飛行能力なら容易く追いついてしまう。
八方手塞がり、成す術無しとはまさにこの事、今日のあたしは本当に運が無い。
……ああ、もう勧誘でも何でもしちゃって頂戴。今回は蚊にでも噛まれたと思って諦めるわ。

「……飛澤、お前、何やら悩みがあるようだが……話くらいなら聞くぞ?」

しかし、諦め切ったあたしの予想とは裏腹に、彼女の嘴から飛び出したのは、意外な言葉だった。
……あれ? 勧誘されなかった? しかも悩みを聞くとはどゆ事?

「あの……あたし、悩みがあるとか、先輩には一言も言ってないけど?」
「いや、ちょっとな、飛澤が何かで悩んでいるようだと白頭と風間から聞いたのだ」

なるへそ、どうやら惣一君と空子ちゃんがあたしと別れた後、偶々出会った宮元先輩にあたしの事を話したって所か。
う~ん……この先輩の事だし、悩み相談にかこつけて大空部に入れと言い出すかもしれない。

「そんなに警戒しなくても良い。今回は勧誘とは無関係で相談に乗ってやろう言うのだ。
もし、これで私が約束を破ったなら、一回だけ飛澤の言う事を何でも聞いてやるさ」
「……本当に?」
「ああ、本当だって」

そんな警戒の眼差しを送るあたしの視線に気付いたのか、宮元先輩は両の翼手をパタパタと振って言う。
しかし、先輩は今までが今までだったから、ひらりと抜け落ちる羽毛でさえも何処か疑わしく感じる。

「先輩はどうも信じ難いのよね……」
「約束は守るさ、これでも部長をやっているんだ、私を信じてくれ」

遂には頭を下げて頼みこんできた宮元先輩。
この時、あたしは「だが断る!」と先輩へ言って、とっとと逃げ出すつもりだった。
けど、心の内を満たしたモヤモヤが、逃げようとするあたしの心に重く圧し掛かってきた。
お前はまた逃げるつもりなのか? 逃げても何も変わらないぞ、と。
……だから、あたしは逃げない事にした。

「……分かったわ。けど、約束は守ってね?」
「む、話してくれるのか……?」
「ええ……けど、これから話す事は本当にくだらない事よ?」 

もし約束を破ったら、『連峰』のスィーツと言うスィーツが無くなるまで奢らせるまでよ。
そんな考えに至ったあたしは逆さまにぶら下がった体勢のまま、宮元先輩へ事情を話し始めた……。

「――と、言う訳。 本当にくだらない悩みでしょ?」

あれから、あたしがその話をしている間中、宮元先輩は余計な事を言わずに話を聞いてくれていた。
何時もの空気の読めない先輩とは違う、猛禽特有の鋭く真摯な眼差しがあたしをじっと見据える。
……やっぱり、先輩も「なんだ、そんな事か」とでも思っているのだろうか? 
それとも、「天真爛漫で通っているお前にしては珍しい」とも思っているのだろうか?

「……ふむ、その悩みの何処がくだらないと言うのだ。飛澤。
お前のその話、それは悩みとしては充分過ぎる物だ」
「……へ?」

余りの意外な言葉にあたしは思わず耳を立てて硬直。
最悪、笑われてしまう事を覚悟して居たと言うのに、この反応は一体……?

「実は言うと、私もな、大空部の部長をやっている関係上、部員との衝突が絶えなくてな…
大空部に集まる鳥人の大半が猛禽族なのもあって、他から見ればごく瑣末な事で言い争う事は多いんだ。
私としても、部長として部員には優しく接したいのだが、反抗的な態度を取られるとつい頭に血が上ってな……」

少し顔を俯き加減に、声のトーンを下げて話し始める宮元先輩。
其処には、何時もの豪気なイメージの先輩の姿は無かった。

「……それで……?」
「酷い時となると、それこそここでは言えない位の酷い暴言を部員にぶつけてしまっているんだ。
それで私がしまった、と気付いた時には、部員が涙を流しながら部室の外へ飛び出してしまった後。
……これで考え直して帰ってきてくれればまだ良いのだが、最悪、退部届だけが部室に届けられる事もあってな、
そのたびに、私は自分の不甲斐無さと自制心の無さに自己嫌悪してしまうんだ……」

……知らなかった。
宮元先輩は何時も部員獲得だけに勢力を注いでいるだけの人かと思ってたけど。
こうやって部員の事とかで思い悩む事もあるんだ…。
きっと、先輩はあたしの知らない所で、独りで悩み、苦しんでいた時もあったのだろう。
駄目だなぁ、あたしは。なんだかんだ言って結局はうわべだけでしか物を見ていないなんて。

「先輩、そう言うときは……何時も如何しています?」
「ん? ああ……そうだな、少しでも自分が悪いと思っているなら、先ずは相手に謝る事だ。
例え恥かしくて言い辛くても、そして相手が許してくれなさそうだとしても、謝る事が一番大事なんだ」
「謝る、事……」
「そうだ、例えば口喧嘩した時は『あの時は言いすぎて悪かった』と、頭を下げて真剣に謝るんだ。
そうすれば、多少なりとも険悪だった関係は改善される……と、私は思っている」

そう言えば、宮元先輩は自分が悪いと思ったときは、
例え下級生が相手だったとしても、しっかりと頭を下げて謝っていたのを思い出す。
端から見ればプライドの無い行動に見えるけれど、それは先輩の持論があってこその物。
むしろ、頭を下げるべき時は躊躇せず下げる事の出来る先輩は、在る意味誇り高い。
こんな事、他のケモノに真似をしろと言っても、そう簡単には出来ない事だろう。


「それともう一つだが、それ相応のお詫びをやっておくのも忘れない事だ。
だが、こうすれば喜ぶだろうと自分勝手に思うのではなく、本当に相手が喜ぶ事で誠心誠意のお詫びをするのだ。
それだけでも、壊れてしまった関係修復への一歩となる……と、私は思ってる」
「お詫び、ね……なるほどなるほど」

……そういや、卓君が喜びそうな事ってなんだろ?
ああ見えて卓君、何が好きなのか殆ど分からないのよね。本人も何が好きかとか言ってくれた事無いし。
去年のハロウィンの時に卓君の部屋へお邪魔した事があったけど、本がやたらと多かった位しか印象が無かったし。
けど、その割にヒカル君の様に本が好きだって言う雰囲気も無いし……本当、卓君は何が好みなのかしら?
……うーん、考えたって仕方ないし、こうなればぶっつけ本番でいくかな? 終わり良ければ全て善しって所で。

「私から出来るアドバイスはこれで以上、だな。
このアドバイスが飛澤の役に立ってくれれば良いのだが……」
「うん、有難う。必ず役立てるわ。宮元先輩」
「うむ、良い返事だ。友人達と仲直りできる様に頑張るのだ、飛澤!」

言って、ハッハッハと豪快に笑う先輩は、今のあたしにとってはまるで雨雲払う太陽のよう。
今まで勧誘ばかりで鬱陶しいケモノだと思ってたけど、先輩にはこう言う一面もあったのね。
先輩の事、ホンのちょっとだけ見直した。……まあ、本当にホンのちょっとだけ、なんだけど。

なんだかんだあったけど、これで明日は気分良く学校へ行ける筈!
……と言いたい所なんだけど、あたしの心の隅には、まだ暗澹とした気分がしぶとく張り付いていた。
それは不安。謝っても卓君が許してくれるかどうかと言う、根拠の無い雑然とした物。
そんなあたしの気分を知ってか知らずか、先輩は更に続ける。

「そうだ。どうせならばお前の心のモヤモヤを晴らす為にスポーツに打込んで見ないか?
わが大空部は何時だって大歓迎だ。飛澤ならば部員達も温かく迎えてくれる筈だ!」
「…………」

……あたしが馬鹿だった。少し見直したそばからあっさりと約束破ってるしこの鳥頭。
なんだか、こんな先輩信じたあたし自身の馬鹿さ加減に、どんより曇り空の気分がどしゃ降りに変わってしまいそう。
そう、思っていた矢先、宮元先輩はやおら素っ頓狂な声を上げて

「あ、しまった! かんゆうしないと飛澤とやくそくしたのに、かんゆうしてしまったではないか!、ああ、しまったなぁ……。
そう言う訳でだ、飛澤。お前との約束を破ってしまった以上、
私は一回だけ、お前の言う事を何でも聞かねばならなくなった!」
「……へ?」

宮元先輩が突然言い出した事に、あたしの頭の上でぴょこんと上がる疑問符。と言うか、何故棒読みだったの?
今の体勢が体勢だから、頭の上に浮かんでいるクエスチョンマークも逆さまになっている事だろう。

「いや、『へ?』じゃなくてだな、私はお前との約束を破ってしまったから。
そのお詫びとして、私に出来る事なら何でも頼んでくれと言ってるんだ。 
例えば、そうだな……お前が欲しい物を買ってくる、とか」

……この言葉で、あたしは何となく宮元先輩のやろうとしている事が読めてきた。
彼女は彼女なりに、暗い気分なあたしの明るくしてやろうとあんな事を言い出したんだ。
そう、先程の見事なまでな棒読みから見ても、それは間違い無いわね。
……何と言うか、この先輩、不器用にも程がある。


「本当に何でも良いの?」
「ああ、勿論だとも。もし飛澤がもう二度と勧誘しないでくれと言うなら、
私も部員も二度とお前を勧誘しない事にするつもりだ。
だから飛澤、私に何を頼んでくれても構わん。これは私の蒔いた種だからな!」

先輩、あたしを励ます為に精一杯虚勢を張っている様だけど……こりゃ、完全に無理しているわね?
だって、尾羽がこれまでに無いくらいに広がっているもの。かなり緊張しているに違いないわ。

「ん~、それじゃあ、何を頼もうかなぁ……?」
「……」

緊張の余り、思わず唾を飲んだのか喉をごくりと鳴らす宮元先輩を前に、あたしはわざとらしくもったいぶって見せる。
ちょっぴし酷い様にも思うかもしれないけど、あたしは今までこの先輩に散々といって良いほど困らされてきたのだ。
偶にはこれくらいイジワルしてやっても誰も文句は言わないかな?……多分。
ま、イジワルするのもこれくらいにして、とっとと頼みたい事を言ってしまいましょ。

「んじゃあ、そうね、宮元先輩にはこれから色々と奢ってもらおうかしら?」
「……な!? そ、それで良いのか? 飛澤」
「ええ、そうよ? 文句あるかしら?」

あたしの提案に、酷く意外そうに目を見開かせて嘴をぱくつかせる宮元先輩。なんだかちょっぴしカワイイ。

「いや、お前は今まで私の事を散々煙たがっていたから、てっきりもう勧誘しないでくれと言うのかと……」
「それとこれとは話は別よ? そりゃ確かにあたしは、今の今までしつこくしつこく勧誘してくる先輩を鬱陶しく思ってたわ。
けど、先輩は決して悪気があってあたしを勧誘してた訳じゃないんでしょ? そうなんでしょ?」
「……う、まあ、そうなんだが……」

知らず知らずのうちにあたしのペースに乗せられ、彼女は大きかった声を徐々に萎ませて行く。
くっくっく、もうこうなってしまえば、ずっとあたしのターン! けど、あたしはまだまだ容赦しないわよ?
あたしは身体を仰け反らせて勢いをつけて、逆さまの体勢から鉄棒の要領でクルンと半回転し、枝の上に立つ。
その流れで宮元先輩の横へと並び、その羽毛に覆われた翼をぐいよと掴んで

「それじゃあ、善は急げと言う事で早速、行くとしましょうか?」
「え?……何っ!? ちょっと待て! 今直ぐに行くというのか!?」

にっこりと微笑むあたしを前に、頭の羽毛をぶわっと逆立てておおいに戸惑う宮元先輩。

「何言っているのよ宮元先輩、当たり前でしょ? あたしは即断即決即実行をセオリーにしてるのよ?」
「いや、だが、何も今日でなくとも……」
「あのね? 先輩。あたしは今直ぐスィーツを食べたい気分なの。そう、何と言われようともね?
それに、先輩はあたしの言う事を何でも聞くと言ったんでしょ? それを今日は都合が悪いからと聞かない訳?」
「う…それは、そうだが……」

暫しの押し問答の末、あたしに押されまくった先輩は遂にぶつぶつと呟くだけとなった。
そんな今の彼女の気持ちを表してか、プルプルと左右に振られる尾羽。
そして、先輩は暫しの逡巡の後、もうヤケクソとばかりに叫ぶ。

「え、ええい、もうっ、分かった! お前の言う通りスィーツでもなんでも奢ってやるさ! これで良いのだろう、飛澤!」

うっしゃ! これでスィーツタダで食べ放題Get! 
と、喜びの余り思わずガッツポーズを取ったら、広がった翼膜に風が当りバランスを崩して枝から落ちかけた。
しかし、幸いにも。その時には先輩はがっくりと項垂れており、あたしの様子に何ら気付いてなかった。

             ※ ※ ※

「ここよ、ここがあたしの言うスィーツショップ『連峰』」
「噂は部員から何度か聞いてはいたが……随分と小ぢんまりとした店だな」

ややあって、宮元先輩を連れ立って飛び立ったあたしは、港通り沿いにあるスィーツショップ『連峰』の前へ降り立った。
見た目は赤い三角屋根の小さな喫茶店、けど、その中はバニラの香り漂う、女性にとっての甘い天国が広がっている。
時刻はそろそろ夕暮れ時、けど看板のネオンが羽虫の様な音を立てて、今晩の職務を少しばかり早く始めていた。
店の換気扇からほんのりと鼻腔に感じるは、馨しいばかりのスィーツの甘い香り。ああもう待ちきれない!
無論、あたしは逸る心を抑えきれず、未だに店を観察している宮元先輩を置いてさっさと店内へ突入する。

「ヤッホー、てんちょーさんいるー?」

店内に入ったあたしは早速とばかりに、店長の香苗さんに向けて声をかける。
けれど、香苗さんはケーキでも作っている最中なのか、店内にその姿は無く。
代わりに、床にモップ掛けをしている最中だったキジトラのネコのウェイトレスがこちらに気付いた。

「あ、いらっしゃ……て、てんちょー!! またあのコウモリの子g――ヘベッシ!?」

しかし、その客があたしと知るや否や、
頭の上にピンとエクスラメーションマークを立てた彼女は、尻尾を丸めて全身の毛を逆立てて悲鳴を上げて走りだし、
挙句、置いてあったバケツに足を引っ掛けて見事にすっ転び、それでひっくり返ったバケツの水をモロに引っ被った。
……うん、どうやら驚かせちゃったみたい。ごめんね?

「うー…服と毛皮がぐしょぐしょ……」
「あらあらぁ……真央さん、いきなり転んで如何したんですかぁ?」

ずぶ濡れになったのが余程嫌だったのか、キジトラのウェイトレスはその場でがっくりと膝を付く。
その様子に、角のリボンが可愛らしい羊のウェイトレスが気付き、掃除をしていた手を止めて心配げに駆け寄る。
それに気付いたキジトラの子はバケツの水と涙で顔の毛皮を濡らしながら、あたしの方へと指差し

「未井さぁん、あのコウモリの子が……」
「こ、こんばんわ…今日もスィーツを食べに来たわよ?」
「――っ!!」

羊のウェイトレス、もとい未井さんは挨拶するあたしの姿を確認するや、ふわふわの毛を1割ほど膨らませて硬直。
そしてあたしもまた、その羊のウェイトレスの反応に一体何事?と思わず硬直。

「て、店長っ! き、緊急事態発生、メーデー! メーデーですぅっ!」
「ああっ! 未井さん!? 私を置いていかないでぇっ!!」

未井さんはやおら叫びながら走りだし、身体をテーブルやイスにぶつけつつ店の奥へと引っ込んで行く。
そしてその後に続く様に、キジトラのウェイトレス、もとい真央さんも濡れた尻尾を振りながら店の奥へと引っ込んで行った。
シンと静まり返った店内の静寂が、妙に耳に痛いのは決してあたしの気の所為じゃない。

「……飛澤、お前はこの店で一体何をやらかしたんだ……?」

そうしてあたしが呆然と佇んでいると、何時の間にか店内に入っていた宮元先輩が呆れ混じりに問い掛けてきた。
ちょっぴしこっぱずかしい物を感じたあたしは耳の裏をぽりぽりと掻きつつ、質問に答える。

「えっと……あたしはこの店のスィーツを何度か楽しんだだけなんだけど……」
「何度か、か。……じゃあ、お前は一度の来店でどれくらい食っているのだ?」
「んーと、あの陳列棚の右端から左端まで全部……位かな?」
「…………」

あたしの照れ混じりの返答に、陳列棚へ目を移した宮元先輩は遂に言葉を失った。
なによぉ、別にスィーツをあれくらい食べる事程度で驚かなくても良いじゃないのよ!
そりゃ、偶にちょっと食べ過ぎかなって思う事はあるけど……。

「ふふ、どうやらまた戦いの時が訪れた様ですね……」

あたしが独り心の中で憤慨していた矢先、
『連峰』の店長兼パティシエの香苗さんが未井さんを伴って店の奥から出てきた。
其処に真央さんの姿がない所から見て、彼女は只今濡れた制服のお着替えの真っ最中なんだろう、多分。
如何言う訳かあたしに対して対抗心剥き出しの香苗さん。その後でフレーフレーと手を振って応援する未井さん。

「飛澤 朱美! 今度こそあなたに『もう、お腹一杯』と言わせますよ!」
「店長ぉ、頑張ってくださぁい」

香苗さんは相当やる気なのか、尻尾は天を突かんばかりにピンと立ち上がり、おまけに瞳には闘志の炎が揺らいでいる。
……というか。何だか知らないうちにあたしは香苗さんのライバル認定? つか、そもそも何の戦いなの?
ふと、横を見やると、どうやら宮元先輩も話を自慢の鉤爪で掴めなかった様で、只々嘴をポカンと空けて立ち尽くしてる。
そんなあたしと宮元先輩の気なんてつゆ知らず、自信満々と仁王立ちした香苗さんがあたしへ挑戦状を叩きつける。

「今回こそあなたを打ち負かす為に、私は今までの集大成であるスィーツマウンテンEX改を考案しました!
そして、スィーツファイターであるあなたならば、私のこの挑戦を受ける筈! さあ、勝負を…」
「あの、あたしは今日、この人の奢りで食べに来ただけで……勝負とかするつもりは無いですけど?」
「……なに?」

言いきる間も無く、即座にあたしから挑戦状を突っ返された香苗さんは間の抜けた声を上げて硬直する。
話を振られた先輩の方も、へ? と言いた気に目と嘴を大きく開かせる。 先輩、話を聞いてなかったの?
香苗さんは人差し指の先を額に押し当てて、しばらく考えると勝手に自己完結したのか、

「……と言う事はここは私の不戦勝、つまりは私の大勝利と言う事ですか?」
「店長ぉ、そもそも相手が勝負を引き受けてないのでぇ、不戦勝云々以前の話じゃぁ?」
「う゛……言われてみればそうでしたね……」

しかし、即座に入った未井さんのスルドイ突っ込みに、
完膚なきまで意気込みを挫かれた香苗さんの尻尾が力なく垂れ下がる。闘志の炎もシュンと鎮火した。
そりゃ、スィーツマウンテンEX改とやらを食べてみたいとは思うけど、今は宮元先輩に奢ってもらいに来たのだ。
だから香苗さんには悪いけど、今回の勝負はまた時間の空いた時に延期と言う事で。

「となると、飛澤 朱美。あなたは普通のお客様として当店にご来店された、と言う訳ですか?」
「うん、そうよ♪」

冷静さを取り戻した香苗さんの問い掛けに、あたしはにっこりと微笑んで答え、宮元先輩は無言で頷く。
香苗さんはそうですか、と答えた後、尻尾を訝しげに揺らして隣の未井さんへひそひそと話し始める。

「……末井さん、どうおもいます?」
「店長、如何思いますといわれてもぉ、私は何か裏があるとしか思えないですぅ」
「そうですね…これは一応警戒しておいた方が良いみたいですね……あの鷲人も怪しい事ですし」

こらまて、其処の店長とウェイトレス。あなた達はあたしを何だと思ってるのよ?
――と、聞きたかったけど、聞いたら聞いたで口を揃えて何かヤな事を言われそうな予感がしたので、
咄嗟に喉元まで出かけていた言葉を出さずに留めておいた。
と、店の奥からこちらへやって来る足音が一つ。濡れたメイド服を着替えに店の奥へ引っ込んだ真央さんだった

「店長、着替え終わりました―!」
「真央さん、着替えるのが遅いですよ!……って、なんですか、その格好は?」
「なんですか、って言われても、これしか換えの服がなかったんですよぉっ! 店長!」

ジャージ姿の真央さんを見て思わず呆れる香苗さんに、尻尾を立てた真央さんは涙目で抗議する。
えっと、何と言うか、凄く罪悪感を感じちゃうなぁ……。彼女の服を濡らしたそもそもの原因はあたしだから……。

「ま、まあ気を取り直して、先ずはご注文をどうぞ!」
「飛澤、一応奢ると言った以上は何を頼んでも構わんぞ?」

ををっ、宮元先輩は何と太っ腹! それじゃあお言葉に甘えて遠慮なく、

「んっと、あの棚の右端から左端まで全部♪」
「「「「…………」」」」
「じょ、冗談よ冗談!」

――と行こうとしたら、あたし以外の四人全員から死んだお魚さんのような濁った眼差しを向けられ、
薄ら寒い物を感じたあたしは即座に注文を撤回せざる得なかった。何と言うか、ゴメンナサイ。

「んぅ~、やっぱりここのスィーツは最高!」

熟した林檎の甘酸っぱい芳醇な香りと味が鼻腔と舌を優しく蕩かす林檎のタルト。
完熟苺とさくさく生地と濃厚生クリームとの甘い出会いが織り成す三重奏が光る苺のミルフィーユ。
お互いを協調し合うカカオの香りとブランデーの香りにほんのりほろ苦い後味が飽くまで心地よいガトーショコラ。
あたしはテーブルに居並ぶそれらを口に入れ、その甘美たる味のひとときの虜となっていた。
そんなあたしへ、テーブルの向かいから冷めた眼差しを投げ掛ける宮元先輩。

「オオコウモリ族は甘い物に目が無いとは聞いてはいたが……本当に良く食うよな?」

良く食うって言うけど、これでもまだまだ全力の10%程も食べていないのよ? 見縊らないで欲しいわ!
因みに、あの時のあたしはあの濁った目を向けられるのが恐くて、何時もよりも大分少ない量しか注文できなかった。
嗚呼、あたしのスィーツ食べ放題タダGetが夢幻に……。こんなに悲しかった事は他にはないわ!
こうなればヤケ食い……と行きたいけど、そのヤケ食いが無理な以上、ここは涙を飲んで諦めるしか無いわね……。
そんな悲しい気分を感じつつ、残りのスィーツをあたしなりに大事に大事に食べていたその矢先。

「……あれ? 朱美か? それに宮元先輩? 何でここに?」

背に掛かった聞き間違え様の無い声にあたしが振りかえり見れば、
其処には意外そうな表情を浮べる卓君の姿。いや、『何でここに?』と聞きたいのはあたしの方だ。
なんてこったい。 心の準備云々をする以前の時に会ってしまうなんてあたしは何て運が無い。
卓君から見れば、あたしは反省も無くスィーツに齧り付く食い意地の張った蝙蝠にしか見えない事だろう。
しかし、あたしの予想に反して、卓君が猜疑心丸だしの眼差しを向けたのは宮元先輩。

「ひょっとして、宮元先輩……朱美を如何しても勧誘したいが為に食い物で釣ろうとしたな?」
「そ、それは違うぞ! 御堂! 私はごく純粋に飛澤へケーキを奢ってやろうと思っただけで、やましい気は……!」

ばたつかせた翼から羽毛を何枚か抜け落ちさせつつ、慌てて卓君へ弁明する宮元先輩。
しかし、必死な先輩の願いも虚しく、卓君は「へー、そうなの」と、全く信じていない様子で冷めた目で頷くだけ。
と、先輩がちらりとこちらを見た、しかし、その眼差しは『お前も何か弁論してくれ」と言う感じの物ではなく、
『今のうちに早く言うんだ』と、あたしの背中をそっと押すような優しげな眼差し。

「……?」

あたしは最初、宮元先輩の向けた眼差しの意が読み取れず、思わず困惑してしまったが、
それに気付いた先輩が卓君に向けて一瞬だけ、くいと嘴を振った事で、何とかその意を察する事が出来た。

―ーそう、今こそが卓君へ謝るチャンスなんだ。

しかし、ここまで来ておいて、あたしは卓君へ声を掛ける勇気を出せなかった。
ひょっとしたら謝っても許してはくれないのでは、と言う漠然とした根拠の無い不安があたしの勇気を止めていたのだ。
ああ! こんな時に限ってあたしの意気地なし! あたしは何処まで他人に迷惑をかければ気が済むのよ!
そんな自分に情け無さと悔しさを感じている間にも、卓君と宮本先輩の押し問答は続く。

「にしても、大空部の部長とあろう者が、ずいぶんと狡い(こすい)真似をする様になったもんだな?」
「だから違うといっているだろう! そりゃ、端から見れば飛澤を食い物で釣っている様にしか見えないが……」
「『様にしか見えない』じゃなくて、如何見てもその物としか思えないがな?」
「だから御堂、私を信じてくれっ! 本当に私は飛澤を食い物で釣るつもりなんて毛頭無いんだ!」

これでもかとばかりに卓君が突き立てる言葉の槍を、宮元先輩は弁明の盾で必死に防ぐ。
しかし、何処から如何見ても状況は宮元先輩が劣勢に追い込まれている状態。落城は目に見えている。
このままでは、宮元先輩は『生徒を餌で釣ろうとした大空部部長』と言う不名誉なレッテルを無理やり張られてしまう。

……ええぃっ、何やってるのよ、あたしは! こうなれば当初の予定通りぶっつけ本番よ、ぶっつけ本番!
意を決したあたしは、押し問答が一瞬途切れた隙を突いて卓君へ声を掛ける!

「あの、卓君!」
「んお? なんだよ、朱美……?」

いきなり話し掛けられた卓君は驚いた様に振り向き、不思議な物を見るような目であたしを眺めた。
あたしに向けられた何気無い眼差し、けど、今のあたしにとっては鋭い槍を突き立てられている様に感じてしまう。
けど、もうあたしは怖気付いてはいられなかった。もう、後は野となれ山となれよ!

「先週は本当にゴメンナサイ! あの時は本当にあたしが言い過ぎてたわ!」
「……??」

頭を下げたあたしの行動の意図を掴めなかったのか、目を丸くしてキョトンとする卓君。
そして、暫しの間、あたし達三人を沈黙が支配する。宮元先輩は不安げに視線をあたしと卓君の間を往復させる。
気付けば、『連峰』の店員達もあたし達の様子を興味深げにじっと眺めていた。あたし達は見世物じゃないんだぞ。
やがて、あたし達を支配した沈黙を打ち破ったのは、困った様に後頭を掻く卓君だった。

「えっと……先週って言うと、ひょっとして先週の金曜日の放課後の事か?」
「う、うん、そうよ……?」

我ながら何と間抜けな返答。あたしはバカか? 
恥かしさの余り、翼膜が熱くなる感覚を感じる。あたし達コウモリは翼膜に細かい血管が多いのだ。
だから人間が顔を赤くする様に、ウサギが耳を赤くする様に、コウモリは恥かしくすると翼膜を赤くする。
けれど、恥かしがるあたしに、卓君はふっ、と優しく笑って言う。

「別に気にしなくても良いよ、朱美。
あの時は俺の方もちょっと強情だったかなって思ってたくらいだし。
朱美も自分が悪かったと思ってるなら、それはそれで良いじゃないか。
そう、俺と朱美の考えがちょっとだけ擦れ違った。それだけの話だからな?」
「卓君……」
「まあ、そんなくだらない事はとっとと忘れて……って何で泣き出すんだ!?」
「……ごっ、ゴメン! あたしにも良くわかんない……」

卓君に許してもらって嬉しい筈なのに、何であたしは泣いているんだろう?
何と言うか、心がじんわりと暖かくなって、その暖かい物が目から溢れ、零れ出している様な感じ。
そう、それはある事件が元で怪我をして意識を失った卓君が、やっと目を覚ましてくれたあの時。
その時に感じた、あの暖かく何とも言えない気持ちに似ていた。

「お、おい? 他の人が見てるんだぞ? 朱美。と、取りあえずこれで涙ふけよ」

いきなり泣き出したあたしに、意味も分からずただただ慌て、戸惑いつつティッシュを差し出す卓君。
その様子を見て、胸の前に翼を腕組みさせた宮元先輩がはっはっはと豪快に笑って言う。

「女を泣かせる様になるとは、随分な色男ぶりだな? 御堂」
「宮元先輩。からかわかないでくださいよ!?」
「や~い、色男~」
「色男さんですねぇ」
「ふん、この色男め」
「ちょwwww!? 店員さん達まで!? ちょ、恥かしいっての!」

更に様子を見ていた『連峰』の店員さん達にまでからかわれ、
かなり狼狽した卓君は、羞恥心で顔を完熟苺の様に真っ赤に染め上げて、おおいに慌てふためく。
その余りにも滑稽な光景を前に、あたしは可笑しさを感じ、思わず『ふふふ』と笑い声を漏らしていた。

……そう言えば、今気付いた事だけど。
あれ程あたしの心にしぶとく張り付いていた暗澹とした気分、それは流した涙と共に綺麗さっぱりと消え失せていた。
ひょっとすれば、これも宮元先輩のお陰なのだろう……けど、それを彼女へ言うつもりはなかった。
もし、ここで言ったら宮元先輩の事だ、それこそ恩着せがましく勧誘してきそうだったし。
この事はあたしの胸の内に密かに仕舞っておくとしよう。

「ったく、あそこまでからかわなくても良いじゃないか……」
「アハハ、迷惑かけてゴメンね、卓君。 お詫びにケーキあげるから」

それからしばらくたった後、時折通る路面電車の釣りかけモーターの音だけがBGMとなった『連峰』の店内。
小用で席を立った宮元先輩に代わってあたしの向かい側の席に座ったのは、ちょっぴし不機嫌にぶーたれた卓君。
あたしは軽く笑って卓君へ謝りつつケーキを差し出した後、少し気になった事を聞いてみる。

「所でさ、話は変わるけど、卓君は何でここに来たの?」
「そうだな、俺が何でここに来たかって言うと。
明後日が親父の誕生日でな、その誕生日のお祝いの為のケーキを買いに来てたんだよ」
「へ? ちょっち待って? 卓君の家じゃお祝い事のケーキって卓君のお母さんが作るんじゃなかったっけ?」
「ああ、本来だったらそうなんだけどな……」
「……そうなんだけどな?」

思わずオウム返しに問うあたしに、
卓君はあたしから貰ったケーキを口に運び入れつつ、はあぁぁ…とマリアナ海溝よりも深い溜息を付いて言う。

「その義母さんがな、あろう事か四十肩になっちまったもんで、ケーキを作るどころの話じゃなくなったんだよ」
「ありゃりゃ、そりゃ大変ねぇ」

卓君のお母さんはクールなイメージを感じさせる黒豹。だけど妙にそそっかしい所がある。
今から2週間ほど前、家に遊びに来た友達へ食べきれない量のホットケーキを作ってしまい、
食おうとしたけど食べきれず結局はあたしにその処理をお願いする羽目になった事があったし。あの時はご馳走様。
そう言えば、その時に卓君の家に来た友達って誰なんだろう? 卓君に聞いても誤魔化すばかりで教えてくれないし。
あたしにまで秘密にするなんて、これはその『友達』にとやらを調べて見る必要があるわね。なんか凄い発見がありそう。
と、そんな事をあたしが考えているとはつゆ知らず、卓君は話を続ける。

「んで、そのちょっと前にな、義母さんが四十肩だって俺に嘘付いた事があったんだけど。
まさかその後で、本当に義母さんが四十肩なってしまうなんてなぁ……世の中、何があるか分かったもんじゃないよ」
「ふふ、卓君を騙した天罰があたったのね?」
「天罰か…そりゃ言えてる。 けど、それでこっちまで迷惑が掛かるってのはちょっとなぁ。
ま、そんな訳で、ケーキを作れなくなった義母さんの頼みで、俺は親父のバースディケーキを買いに来てたって訳。
本当に困った義母さんだよなぁ?」

言って、「やれやれ」と外人が取るような大げさなジェスチャーをとって見せる卓君。
そういや、卓君の座るイスの横に『連峰』のケーキ箱を入れたビニール袋が置かれているけど、多分あれなのだろう。
あの中には香苗さんが腕によりを掛けたケーキが入っている。けど、卓君のお母さんのケーキには敵わないかも?
だって、一度だけ卓君のお母さんのケーキを食べた事があったけど、あれは本当に美味しかったし。
また機会があれば、卓君と一緒にお母さんの手作りケーキを食べてみたいわね。

「さて、と、ケーキも買った事だし、とっとと帰るかな……」

ややあって、あたしから貰ったケーキを食べ終わり、卓君が席を立つ。
其処でちょっとした事を思いついたあたしは、にっこりと微笑んで卓君へ切り出す。

「あ、卓君、ちょっとケータイ貸して」
「……? 良いけど。 何するんだ?」

不思議そうに首を傾げながらも、あっさりと携帯を寄越す卓君。
クックック、まんまとあたしの策略にはまってくれたわね? 卓君。もうあたしは止められないわよ?
頭の中でほくそえみつつ、あたしは卓君の携帯を手早く操作し、卓君の家へと電話を繋げる。

「もしもし? 卓君のお母さん? あたし、卓君のガールフレンドの朱美よ。
これから3時間ほど卓君を借りるけど良い? そう、良いのね? 分かったわ。じゃーねー!」
「ちょ、まて! 朱美!? おまっ、いきなり何してくれてるんだ!?」

電話を切ったあたしに血相を変えて詰め寄る卓君。
けど、何時もの明るい自分を取り戻したあたしは、にっこりと微笑を返して卓君へ言う

「何をって? 卓君のお母さんに卓君を借りる事を伝えただけよ? はい、携帯返すわね?」
「あのな……いや、もう良い。 もう、こうだと決めた朱美に何言ったって無駄だもんな」

そうそう、分かってくれれば宜しい。お姉さんは物分りの良い子も好きよ?
そして、何処か諦め切った表情を浮べた卓君は、何処かわざとらしいくらいに礼儀正しく、

「それで、お嬢様。このわたくしめを連れて何処へと向かわれるのですか?」
「んーとね、卓君との仲直りの記念にカラオケでも如何かなーって」
「カラオケねぇ……どうせ俺が反対した所で、朱美は無理やり俺の手を引っ張ってでも行くつもりだろ?」
「うん。当然じゃない!」

ぴしぃっとサムズアップして見せるあたしに、卓君は「さいですか」と呆れたかの様に笑って見せる。
其処には、何時ものあたしと卓君のごく他愛のなくありふれた、それでいて幸せに溢れた関係があった。
この関係を失いたくないと願うなら、これからはもう二度とくだらない事で喧嘩しない、いや、したとしても直ぐに謝ろう。
――そう、あたしは心の中で誓うのであった。

「ん? 飛澤に御堂、お前らは何の話をしているのだ?」

声に振り返ってみれば、先程小用を終わらせて来たであろう宮元先輩の姿。
其処で名案を思いついたあたしは、早速とばかりに宮元先輩へと切り出す。

「ねえねえ、宮元先輩! これから暇だったらカラオケにでも行かない?」
「ん? カラオケか……そうだな、私もどうせやる事がないし。一緒に行ってやっても良いかもな」

ふっふっふ、良いんですか? 先輩。そんな簡単に安請け合いしちゃって。
先輩はまだ気付いていない、あたしとの約束を破った『お詫び』はまだまだ終わっていないと言う事を。
作戦が上手く行った事にあたしは心の中でガッツポーズを取りつつ、卓君へ明るい声で言う。

「良かったわね、卓君。先輩がカラオケ代奢ってくれるんだって!」
「ほぅ、そりゃありがたい話だな? だったらその宮元先輩のご好意に甘えるとするか」
「……??」

対する宮元先輩はというと、いきなり始まったあたしと卓君の会話に付いて行く事が出来ず、
意味の分からぬまま不思議そうに首を傾げるだけ。

「んじゃ、ケーキ代の支払いはお願いね、宮元先輩? それじゃお先に」

言って、呆然と立ち尽くす宮元先輩へ翼の先を振り、あたしは卓君と歓談しながら共に歩き出す。
其処で先輩はようやく我が身に降り掛かった状況に気付き、
店の外へ去り行くあたしと卓君の背を見やり、溜息交じりに漏らした。

「……やれやれ、飛澤の悩みを解決したのは良いが、今度は私の方がどんより曇り空になりそうだな」

――――――――――――――――――了――――――――――――――――――

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