第055話 会合 × ボス郎 × DEATH NOTE ~そして対主催へ ◆7NffU3G94s
「おーい! 平瀬村~~! ひ~ら~せ~む~ら~! 出てこーい!」
三井寿は、目の前の男が何を言っているのか全く理解できないでいた。
「……やっぱり出てこないか……ふぅ」
「いや、村は呼んで出てくるもんじゃないだろ」
奇抜なファッションに身を包み、片手には謎の黒いノートらしき物を手にしているその男の怪しさは正直計り知れないものがある。
しかし気がついたらいつもの癖か、三井は即座につっこんでいた。
……
後悔先に立たずとはよく言ったものである。
本当に相手が安全な人物なのか確かめる前に行動を起こしてしまったということに対し、さすがの三井も焦りだす。
振り向いた男もこちらの様子を窺っているのか、無言のままじっと三井を見つめてきた。
正直その雰囲気にはただならぬものがあった、何か仕掛けてくるのではないかと三井は表情を固くする。
そしていつでも逃げられるようにと、三井は改めて構えを取った。
背後も一瞬だけ見やり退路もちゃんと確保する、しかしそんな三井にかけられた声は……あまりにも、能天気なものだった。
「やった~平瀬村が出てきたぞ~」
「は? 何だそりゃ」
全くもって意味の分からないその一言、自身の中で張り詰めていた緊張感が一気に萎んでいくのを三井は実感するしかなかった。
そんな肩透かしをくらい呆れ顔を浮かべている三井のもとまで、男は一気に駆けてくる。
正面まで来たところで、男はさりげなく三井へと右手を差し出してきた。
「探してたんだぞ、もう心配させるなよ……」
「何のことだよ」
白い歯を浮かべながら爽やかに言い放つ男こと、
ジャガージュン市。
三井の送る胡散臭そうな眼差しを気にせず、ジャガーは左手でポンポンと三井の肩を叩くと状況を説明しだした。
「ほら、あれだよあれ。ボス郎が何かあっち行ったから俺は平瀬村に行きたくて、ピヨ彦のために葉書貼りまくったとりあえずはオッケーで」
「何のことだよ……」
身振り手振りで捲くし立てるジャガーに対し、三井は呆然となるしかない。
というよりも、余りにも不明慮過ぎる言葉の羅列に三井の中でジャガーに対する不信感は募る一方だった。
こんな危ないヤツに粘着されたらたまらない、三井は「じゃ!」と一言だけ呟きそのままジャガーに背を向ける。
さっさと逃げた方が賢明だ、それが三井の中で出された結論であった……が。
次の瞬間ガシッと肩を掴まれ進むことができなくなる、恐る恐る振り返ると……ジャガーが、真顔で三井のことを見つめていた。
「何だよ、離せ」
愛想のないぶっきらぼうな三井の言葉にも、ジャガーは反応しない。
ぎゅっと肩を握られることで感じる痛みに思わず顔をしかめる三井、ジャガーが口を開いたのはそれからすぐのことだった。
「…………んだよ……」
「は? 聞こえねーよ」
「だーかーらー、平瀬村を探してるって言ってるだろ! もうっ!!」
「知らねーよ?!」
何故自分が怒鳴られなければいけないのか……頭痛を感じ、三井は思わず眉間に皺を寄せる。
「えっとだな、だからピヨ彦はうんちゃらほんちゃらでボス郎が」
「あ? っていうか固有名詞だけ出されてもさっぱりなんだよ、お前だって知らない名前だけ出されても分からないだろ」
「そうか? そうだな、じゃあ……」
【 前回までの相関図 】
俺 ←協力関係→ ボス郎 ―捜索→ 大量の子分
(正義のヒーロー) (ドM)
| ↑
舎弟 似たもの同士(変態な所が)
↓ ↓
ピヨ彦 ←似たもの同士 → ハマー
(庇護の対象) (人類の汚点)
「こんな感じだ!!」
「ハマーって誰だー?!!!」ガビーン
三井の頭痛がグレードアップした!
三井は偏頭痛持ちになった。
空気も読まずハマーの解説を始めようとするジャガーを寸止めると、三井は彼をどう対処するか考えるために痛む頭を使い出す。
このままでは埒が明かない、それにいくら三井がつっこんでも次から次へとその要素を作り出すジャガーとはある意味相性が良いのでそれはそれで具合が悪い。
とにかくこの危機的状況にあまりにも似つかわしくない変人に出会ってしまったこと自体が、三井にとっては不幸だった。
何とかして巻かなければ、痛む頭を抑えながらチラリと三井が横目で見ると、ジャガーも何故かウインクを返してくる。
「ひでぶっ?!」
ガツンと一発、三井の放った右ストレートがジャガーの頬にクリーンヒットした。
それは三井が意識して取った行為ではなく、自然と出してしまうつっこみの一種だった。
が、つっこみとしては過激な部類に入るだろう。
勢いとは言え初対面の相手に対し拳を振るってしまったという事実に、三井の良心も少なからずとも痛み出す。
だがもう遅い、わなわなと震えながらジャガーはギロリと三井を睨みつけていた。
「ぶったな……オヤジにもぶたれたことないのに……」
「あ、謝らねーぞ。そっちがふざけてんのが悪いんだろうが」
「……」
「……」
険悪な空気が場を満たしだす。
そんな時だった。どうしたもんかと弄るには短すぎる自分の前髪をつまんでいた三井の中で、ふとした名案が思いつく。
このまま相手にせず放って置けば、ジャガーもさっさとこの場を去るかもしれないという可能性。
後味が悪いというだけでこの変な男と縁を切ることが出来るならば、それは必要な犠牲と呼べるかもしれないのだ。
勿論三井がそんな気兼ねなどすることなく、さっさと一人どこかに行ってしまえばこれはこれで済んだ話でもある。
だが何故か三井の中では先ほどのこともあり、ここできちんと拒否しておかないといつまで経っても付き纏われてしまうかもしれないという、謎めいた予感がふつふつと構築されていたのだった。
三井の中では現在、ジャガーは害虫レベルに性質の悪い物にまで成長していたことになる。
くるりと半回転、三井に背を向けるとジャガーはさっさと一人で歩き出した。
哀愁漂うその背中。これでこの男とは終わり、もう会うこともないだろうと三井もセンチメンタルになる。
これで良かったのだと、三井は黙ってそれを見送った。
「いいから平瀬村まで案内しろよ」ボソッ
見送らせてくれなかった。
ちらりと視線を送りながら呟いてきたジャガーのそれを受け、三井はさらにアンニュイになるのだった。
そして今、二人は肩を並べて歩き出していた。
とりあえずあそこで問答し続けても仕方ないということで、三井も嫌々ながら強引なジャガーに引っ張られる形で同行することになったのである。
「フンフフフーン♪」
嫌味ったらしく鼻歌をかますジャガーに対し、少しは自重しろとつっこみたい気が高まるが……三井は、それを気合で堪えた。
(駄目だ駄目だ、こいつのペースにはまったら終わりだ……終わり、なんだ……)
「ん? どうした、ミッチー」
「ミッチー言うな」
お互いの自己紹介も無事済んだらしい。
妙に馴れ馴れしいジャガーの態度にも慣れたのか、三井の切り返しも大分自然なものになっている。
「それにしても三井ね~、ププッ! 平凡で覚えやすいったらありゃしないな」
「そういうお前はジャガーって何人なんだよ一体。……で、お前はその……ピヨ彦? ボス郎? を探してるのか」
先ほどの相関図の件が三井の頭の中を掠める、しかしジャガーはというと首を振って三井の言葉を否定した。
「いや、探しているのはピヨ彦の方だけだ。あと高菜君」
「また増えた……ハマーはいいのか、ハマーは」
「ハマー? ああ、あいつはいらない子だからいい。ちなみにボス郎は探されているんじゃなく探す方なのさ。だから、ボス郎も違う」
……頭の中に浮かぶ疑問符は増える一方である、三井はさらに顔をしかめた。
そんな三井の手には今、支給された地図があった。
とりあえずはジャガーが向かうと言う平瀬村まで、あくまで「途中まで」同行するためである。
聞いた所ジャガーは鎌石村を経由したという、その後何故か南ではなく北に進路を取ったことで道に迷ってしまい……
「こうしてミッチーと出会えた訳だな」
「ミッチー言うなって。っていうかお前もちゃんと地図を見ろ、地図を……」
「しかし三井ね~、世の中にはありふれた名前だけどまさか一日も二度も聞くなんてね」
三井の言葉に対し聞く耳を持たないといった態度をジャガーは取る。
少し慣れたとはいえ、やはり三井にとって扱いづらい相手には変わりないようだった。
「ボス郎も三井ってヤツ探してるらしいからな~フフンッ♪ 偶然って恐ろしいね」
「それって俺のことじゃないのか?!」
……間。顔を見合わせる、ジャガーと三井。
「あ、そうかもしれないね」
ジャガーの顔は、いたって涼しげだった。
一方噂の元であるボス郎こと
魚住純は、草むらに隠れ前方をじっと観察し続けていた。
彼の目の前には一人の巨漢が、その鋭い目つきを周囲に向けながらどかっと草地に座り込んでいる。
魚住の中で警報が鳴り響く。風貌から喧嘩に慣れている様子がありありと伝わってくるこの男からは、危険な臭いしか嗅ぎ取れない。
魚住は安全だと確認できない相手と鉢合わせになりそうならば回避した方が無難だと判断し、今は男がこの場から去るのをこの茂みの中で待つことにしていた。
下手に動き音を立て、相手に感づかれてしまったらそれこそ面倒なことになる可能性が出てくるからである。
「確かボス郎はこっちの方に行ったような~」
「お、おい! どこまで行くんだよ」
そんな時だった、背後から何やら騒がしい声が響き渡ったのは。
慌てて振り向くと、魚住の目には少し前に立ち話をしたジャガーの姿が鮮明に映った。
「あ、いた。お~い、ボス郎~」
「え、あれ、魚住……って、ボス郎?! 魚住がボス郎?!!」
手を振りながらパタパタと走るジャガーは、魚住の元まで一目散に駆けて来た。
そして呆然と見やる魚住を他所に、ジャガーはそのままポンポンと彼の肩を親しみを込め叩いてくる。
「よっ、ボス郎。相変わらず変態してるかい」
「お前、平瀬村に行ったんじゃ……ん?」
目立つ格好をしていたジャガーに気を取られていたため、魚住は今の今まで彼の後ろにいたもう一人の少年に気がつかなかった。
どこにでもある学ランを着た少年、しかし見覚えのあるその容姿に魚住は喜びの声を上げた。
「三井!!」
魚住が無残にも殺されてしまった赤木剛憲の代わりに守るべき存在と誓った湘北のメンバーの一人、三井寿。
三井は五体満足な無事な姿で、こうして魚住の前に現れた。
それは魚住にとっても心の底から喜ばしく思える事だった、そう、感動の再会である。
感動の再会の……はずで、ある。
「う、魚住、え、変態って何……え、こいつと知り合い? え?」
三井の魚住を見る眼差しは、疑惑に満ちたものだった。
立ち上がり、慌ててジャガーを振りほどくと魚住は三井のもとへと進もうとする。
しかし魚住が一歩前に出れば、三井は一歩後退する。
戸惑いに満ちた三井の表情、魚住は慌てて弁明を図った。
「待て三井、それは誤解だ!」
「そうだそうだ、こんなドMと俺を一緒にするんじゃないやい! エンガチョ!」
「魚住……?」
三井の顔には悲壮さが増していく一方だった。
このままではまずい、魚住は何とか三井の解釈を変えなければと言葉を懸命に探し出す。
……ただ、こういう時に限って邪魔が入るものなのである。
チョンチョンと脇をつつかれ魚住が振り向くと、そこには厳つい顔をしたジャガーがいた。
「ボス郎気をつけろ、あいつ俺を殺そうとした」ボソッ
「何言ってるんだ、お前は?」
「嘘じゃないぞ、ほらコレコレ。殴られたんだぞっ」
「大方、お前が三井を怒らせることを言ったからだろう……」
「へー……う、魚住そいつと仲いいんだな」
解明どころか泥沼化する一方だった。
こうなってくると、魚住もいい加減頭を抱えたくなってきてしまう。
しかしここで誤解を与えたままで終わらせる訳にはいかない、今一度ジャガーを振りほどき魚住は三井と向かい合おうとした。
……が、それが叶うことはない。
ぞくりと走り抜けた一瞬の冷気、背中から伝わってくる痛いほどのプレッシャーに魚住ははっとなる。
正面にいた三井も、いつの間にか真顔で魚住の背後を凝視したまま凍りついていた。何故か。
魚住が恐る恐る振り向くと、そこには見覚えのある人物が鬼の形相を湛えながらも一人仁王立っていた。
「……」
月の光が逆光になりその目立つ白い学ランさえも霞ませる、しかしそれ以上に大きすぎる男の存在感がそんな負のイメージを打ち消していた。
周囲の空気は一瞬で冷え切ったものへと変換させられる。それ程の要素を、男は放っていた。
魚住も三井も、蛇に睨まれたカエルの如くただ男を呆然と見やるだけだった。
突然のことで頭が働かなかったのだろう、そんな彼等に対し男は腕を組みながらするどい鋭い視線を送っている。
……
川島清志郎。騒ぎを聞きつけ近寄ってきたのは、先ほどまで魚住が様子を窺っていたあの人物である。
魚住の中の警報が、一際大きく鳴り響く。
こちらに対し値踏みをするような動作すらしない川島の目つきは余りにも不自然で、その構えにも一切の隙すら見つからない。
何か口にしなければと思うものの、「言葉」という概念がこの男に通じるか魚住の中で疑問が生まれる。
直線的な視線は強固な意志の表れのようで、それに射られた魚住はこの悪鬼と呼んでも過言ではない存在に対し圧倒されるだけだった。
止められた時間の中、瞬きで動いた川島の瞳だけがその経過を魚住に実感させる。
そして組んでいた腕を川島がほどき、そのまま拳を作る様でやっと彼等は認識することになった。
「危険」という、言葉の意味を。
無言のまま拳を振りかぶった川島の繰り出す一撃が、始まりの合図となる。
* * *
「成る程な。それで俺に協力を煽いだってことかよ」
その頃。
魚住達とは少し離れた場所、鎌石村内にてとある四人の参加者が会合を果たしていた。
一世代前のヤンキーと呼ばれるような学ランの着こなしをした男、
前田太尊は胡散臭い眼差しを対峙する三人の男女に向けて送る。
「とにかく俺には関係ねーよ、他あたんな」
「ちょっと、そういう言い方はないんじゃない?」
「あぁ? 舐めた口聞いてんじゃねーぞ、このクソアマが」
すかさず雑言を浴びせる太尊、しかし恐らく同い年ぐらいであろうショートカットの少女が怯む様子はない。
西野つかさは太尊から目を逸らすことなく、まっすぐ彼の瞳を見つめながらもう一度口を開いた。
「主催側の連中を黙らせればこんな殺し合い止められるのよ? 私達が争う理由も消えて、万々歳なのに」
「うるせー、そんなことに関わってる暇はないんだ」
手を腰に当て不快そうに眉を寄せるつかさ、そんな彼女に対し聞く耳を持たないと太尊も顔を右方へ背ける。
「……おいおい、もう少し俺達の話も聞いてから結論を出して欲しいんだZe」
「知らねー知らねー、いい加減しつこいって言ってんだろうがぁ!!」
が、そしたらそしたらで今度は右からのつっこみが入る。
太尊の苛立ちは増すばかりであり、それは対面することになった
虎鉄大河にも充分伝わったようであった。
どうしたものか。つかさと虎鉄が顔を見合わせる。
そして、その一歩後ろで……槙村香も、この少年をどう説得すべきか頭を悩ませていた。
彼等には時間がなかった。
第一回目の放送までにケリをつけなくてはいけないという焦りもあるだろう。
学校にて待機させている
滝鈴音と
酒留清彦の身だって気がかりだ、行動は早めに移すにこしたことはない。
それは彼等も分かりきっていることである。
しかし状況がそれを許さない。
助力を得ようと訪れた鎌石村で出会ったのが、こんなにも意固地な男だったということ。
違う誰かを探そうにも、既に約束の第一回目の放送までの時間を考えるとぎりぎりだったということ。
今から村内を探索する時間は残されていなかった。
周辺民家から回収できたのがまな板に包丁、そして皿やフォークといったいくつかの台所雑貨、その他ロープや鋏、ライターといった武器と呼ぶにはあまりにも乏しい力道具のみだったことも影響しているであろう。
ここで太尊にまで逃げられてしまったら、三人が鎌石村まで足を運んだ意味すらも怪しくなってしまう。
彼だけが、太尊だけが三人にとっては次に繋がる希望の光と呼んでも過言ではなかった。
「あなた、その……千秋さん、でいいのかな。その子を守りたいって、言ったわよね」
頑ななまでに協力を拒否してくる太尊が、まず最初に断った理由を思い出し香は口を開く。
守りたい人がいるということ、それ以外の事に時間を割きたくないという太尊の言い分を香も分からないでもなかった。
しかし。
「千秋さんがどこにいるかっていう、目星はついてるのかしら?」
「そ、それは、だな……」
問題点をポイントで提議するだけで、太尊の動揺は目で見て伝わるくらい明らかなものになる。
大声を出しつかさや虎鉄を威嚇していた姿が霞んでいく、香は瞳にしっかりとした意思を込め今一度太尊に明確な言葉を突きつけた。
「時間を無駄に使って、気がついたら放送で名前が呼ばれるかもしれないっていう可能性もあるのよ。
それを避けるためにも、この殺し合いを止めること自体が千秋さんを救うことにもなるかもしれないって考えられない?」
固まる太尊、一歩前に出た香は改めて彼と対峙しその出方を窺った。
「……本当に、この殺し合いを止められる、のか?」
「みんなで力を合わせれば、何とかできるかもしれないってレベルだけどね。
あなたなんか見るからに喧嘩強そうだもの、戦力として考えるならピカイチだわ」
「そりゃ、まぁ……」
「ただ、偵察にやってる子のこともあって、事はかなり急を要してるってことは理解して欲しいかな」
「……」
つかさも虎鉄も、ただ黙って固唾をのんでいた。
受け入れてもらえるか、否か。その瀬戸際である。
俯き腕を組んだまま微動だにしない太尊の出方を香も静かに待ち続けた。
そしてついに観念したかのように溜息をつき……太尊も、小さく首を縦に振るのだった。
ほっと安堵の表情を浮かべるつかさ達を尻目に、香はその場で鞄の中から時計を取り出した。
辺りの薄暗さはかなりマシなものになっている、放送の始まる六時に近づいている証拠だった。
掲げ上げ、急いで現在時刻を確認する香。一応今すぐ学校へ向かえば、放送にならば間に合う程度の時間である。
「じゃあ戻りましょうか、時間を無駄にはできないからね」
三人となった仲間を見やり、香はすぐさま次の行動へと移ろうとする……が。
進路を学校にとろうとしたその瞬間、それは鳴り響いた。
「きゃっ!」
「い、今のはなんなんだZe?!」
一つの短い轟音、本物を聞いたことのない人間でも予測くらいはつくだろう。
銃声。そう表すことのできる攻撃的な音は、彼等の向かう鎌石小中学校とは逆の方面から響いたものだった。
不穏な空気が混じりだす、いきなりのことで慌てふためく彼らを押し止め香は音の出所に値する方角へと神経を集中させる。
第二発目はこない、争いは済んだのだろうか……それとも。
「……千秋!」
叫び声、それは香の目の前にいた太尊の放ったものだった。
落ち着いてきたと思ったらその表情はまた一転している、余裕の欠いたそれで太尊の考えていることは香にもありありと伝わっただろう。
そのまま駆け出そうとする太尊の腕を、香は慌てて両手で掴み取った。
太尊が音の出所へと向かおうとしていると確信したからだろう。
「離せ! 千秋が襲われてんのかもしれねーだろっ?!!」
「軽率な行動を取ろうとしちゃ駄目よ、落ち着きなさいっ」
力任せに香の拘束を解こうとする太尊、しかし香も簡単にその手を離す気など毛頭ない。
太尊の様子は必死という言葉そのものだった、それほど意中の彼女が大切ということなのだろう。
虎鉄は、そんな二人のやり取りを手が出せないといった感じで後方から見つめていた。
つかさも同じである、ただ黙って見るだけだった。
しかし、虎鉄と違いつかさの胸を絞めているのは……太尊と同じ、かけがえのない大切な存在である一人の人物のことであった。
(……淳平君)
砂が混じったようなざらついた感触がつかさの口内に広がる、それは嫌な予感と表してもいいかもしれない。
太尊の言う「千秋が誰かに襲われているかもしれない」という可能性は、置き換えれば誰にでも代わることのできる一つの想像であった。
そう、「淳平が誰かに襲われているかもしれない」でも、しっくり当てはまるのである。
「……私、行ってきます」
「つ、つかさちゃん?!」
気づいたら、そうつかさは言葉に表し自分の行動を宣言していた。
確かめたいということ。万が一襲われているのが淳平であるならば、放っておくことなどつかさができるはずはなかった。
「香さん達は先に行っていてください、ちょっとだけ様子を見てすぐ戻ってきますから」
「そんな、駄目よ一人なんてっ」
だがそんなつかさに対しても、香は説得の言葉を口にするしかない。
……香だって、気にならないわけではなかった。
大事な知人達が危ない目にあっているのかもしれない、危機ならば形振り構わず助けに行きたい気持ちだって勿論ある。
しかし今それを行動に移してしまったら、せっかく立てた計画というものが潰れてしまうのだ。
鈴音やピヨ彦を置き去りにする訳にはいかない、それは一種の葛藤である。
「Fu ~、行動派なお姫様だZe。安心しなハニー、こちらのお姫様のことは俺が責任を持って守ってやるYo」
両者言葉が出ないらしく沈着状態になっていた場に響くのは、あくまで陽気な虎鉄の声。
香もつかさもはっとなり顔を上げると、虎鉄は口の端だけ吊り上げたような表面だけの笑みを湛えながらその心を見透かすかのごとく二人をじっと見やっていた。
「でも、勘違いして欲しくないんだZe。あくまで彼女の言う通り『見てくる』だけSa。
直接ガチンコってくるわけじゃあない。そうだRo、御姫様?」
「え、えっと……」
どもるつかさを制し、虎鉄は香へと視点を固定させる。
どう答えるべきか、香は諮詢しているようだった。
「あぁ? それなら俺が行ってもいいだろうが」
「アンタ、沸点低いから下手したら手がでるんじゃないKa? それはそれで危険だRo、却下だZe」
「な……っ?!」
思わず言い返そうとするが、確かにそれも事実でるが故に太尊も言葉を詰まらせる。
虎鉄の主張は様子を見てくるという一点のみであり、危険な場に躍り出る類でないということを言い聞かせてくるものだった。
この主張を跳ね返せる言い分を、香は即座に口にすることができなかった。
「じゃ、そういうことDe! 荷物はそちらのダンディズムに頼むYo、行こうZe~」
「え、あ……待、待ちなさいっ」
つかさの手を取り、さっさと走り出す虎鉄の背中は一気に遠いものへとなっていく。
香が漬け込む隙はなかった、太尊も呆然とそれを見送るしかない。
あっという間の出来事に二人ともしばしの間固まっていた。
残されたのは、先ほどの民家で回収したアイテムの詰まった虎鉄のデイバッグのみである。
溜息を吐きながらそれを手に取り、香も思わず声を漏らす。
「……ふう、上手く言いくるめられちゃったわね」
「ああ?」
すかさず太尊が反応してくるが、香はそれを無視して今自分がすべきことを考えた。
「とにかく、私達は先に向かいましょ。向こうで待機してるあの子達のこともあるからね」
まだ渋ったままの表情である太尊に向けそれだけ言うと、香は黙って走り出す。
心配する思いは勿論ある、しかしここで駆けて行った二人を追いかけてしまえばそれまで築いた行動は全て無意味なことになってしまう。
あくまで香は「リーダー的立場」だった。
とにかく今できる最大限の反撃を主催側に対し食らわせることが香の役目でもあり、最優先と呼んでもいい事柄である。
(つかさちゃん、虎鉄君……本当に無理だけはするんじゃないわよ)
駆けて行く二人の背中が香の脳裏に蘇った。
そんな時、ふと荷物を背負っていた肩がいきなり軽くなり香は慌てて視線を横へと移動させる。
太尊だった。その面構えは不貞腐れたままであるが、どうやら重量的にはかなりきつい虎鉄の荷物を代わりに持とうとしてくれているらしい。
「勘違いすんじゃねーぞ。一刻も早く行こうとすんなら、こういうのは案内役の奴が持つべきじゃないからな」
素直じゃないお年頃な男の子といった台詞に、思わず香の頬が緩む。
それからは無言で、二人とも目的地に向かい必死に足を動かし続けるのだった。
* * *
勢いに乗ったパンチが目の前にせまるさま、咄嗟のことに動けないでいた三井の肩を魚住が力いっぱい引き倒す。
ほぼ正面、空を切った川島の拳はそのまま地面に突き刺さりボコッっと嫌な音を立てた。
「ま、マジかよ……」
「呆けてる暇はないぞ、三井!」
魚住が叫ぶ。ゆっくりと体勢を整えてくる川島は表情を変えぬまま、狩人を彷彿させる鋭い目つきを変えることなくじっと三人を窺っていた。
握られた拳が嫌でも目に入る、その威力を見せ付けられてしまった三井は竦みそうになる足を何とか立たせようとするのに必死だった。
「くそーう、ならオレが相手だーー」
「おい、何を考えている?!」
「馬鹿! 戻れ!!」
そんな場の中で、冷たい仮面を身につけたまま表情を崩さない川島に向かって行くとてもじゃないが勇敢とは呼べない男がいた。
ジャガーは背後からかけられた静止の声をも無視し、ノートを片手に走りだす。
「オレの美技に酔え~~」
「……クソが」
あまりにも相反するその雰囲気。
しかし川島は慌てることなく迫り来るジャガーの顔面に裏拳を叩き込み、一発で彼を地面に落とすのであった。
そのままジャガーが口を挟む間も与えず、川島は頬が膨れ上がっているジャガーの額に利き手をあて……得意のアレを、かまし出す。
「うおおおぉぉおおおおぉぉおお~~~」
アイアンクロー。ギチギチと力が込められていくそれは、沈んでいたジャガーの体をゆっくりと宙に浮かしていった。
片手で男一人抱え上げる川島の顔色に変化はない、余裕を湛えたままで川島はそのままジャガーを本当の意味で落とそうとした。
「あんの、馬鹿……っ!」
「三井っ?!」
舌打ちをしながらも、三井は川島の元へと駆け出した。
喧嘩なら慣れている、人を殴り倒すことについて確かに三井は躊躇などしない。
……あるのは、川島に対する純粋な恐怖心だけだった。
それを必死で押さえながら、三井も拳を振り上げる。
「調子乗ってんじゃ……ねー、っよ!」
右ストレート、しっかりと体重を乗せた三井の渾身の一撃が川島の顔面を捉えようとする。
川島の手にはジャガーが、その上で俊敏な動きを取るのは難しいだろう。
三井の脳裏には、次の瞬間張り倒される川島のビジョンが映っていた。
万が一倒れなくても……捕らえられているジャガーさえ何とかすれば、まだ勝機を生むための策を考えられると三井は前向きに考えていた。
しかし次の瞬間、そんな予想は簡単に覆されてしまう。
三井に向かって構えを取ろうともしなかった川島が、持ち上げていたジャガーの体を……三井に向かって、投げ放ったのだ。
「なっ?!」
せまってくるジャガーの体が三井の視界を覆い隠す、振り切った拳が獲物を捕らえた感覚を得ることなども勿論ない。
正面から顔にぶつかってきたジャガーの体、三井は倒れぬようにとふんばるがそれでも体勢が崩れ川島に対する注意が散漫になってしまったのは確かだった。
三井に隙が生まれたということ。それが、決定打だった。
「……がはっ!」
腹部に感じた凄まじい衝撃、それと同時に浮遊感が三井の体を包みだす。
時間にすればコンマのレベルだろう、しかし三井は確かに宙に浮いていた。
そして。
勢いの乗った体が大木にぶつかる、背中を叩きつけられた衝撃で三井の呼吸は乱される。
圧倒的な、力だった。
痛みを堪え目を見開くと、振り上げた右足を下ろそうとしている川島の動作が三井の視界に入る。
蹴りをかまされたということ、しかしただ一発のキックでこのような目に合うのかと三井の中には混乱が生まれていた。
「なんや、威勢だけやな」
嘲笑。しかし川島の余裕ぶる態度に対し、三井は反逆する意思すら持てなかった。
痛む背中、込み上げてくる嘔吐感、そして……途切れ途切れの、呼吸。
霞みかけた視界の中、近づいてくる川島から痛む体を動かすことの出来ない三井に逃げる術はない。
見上げた男の姿はあまりにも大きく、そして……貫禄に、満ちていた。
「三井ー!!!」
絶望に満ちた三井の思考、川島には勝てないと白く果てそうになるそれに一人の男の声が響き渡る。
(うお、ずみ……?)
細くしか開けられていない三井の眼には、確かに駆けて来る仲間と呼んでいい知り合いの姿があった。
その手にはごつい鉈が、鈍い光を放つそれを振り回しながら魚住は川島へと向かっていた。
目の前で行われる問答、三井はそれをぼーっと眺め続ける。
体に力が入らなかった。
その光景も、圧倒的な力を持つ川島と互角に奮闘する魚住の姿というのに現実感を持てないでいた。
川島のパンチをギリギリで避け、鉈で威嚇する魚住はひたすら何かを口にしていた。
しかし三井は聞き取れない。三井の頭に、伝わってこない。
(なん、だ……)
目をしぱしぱと瞬かせる。意識を耳に集中させ、三井は声を拾おうとした。
「逃げろ、いいから逃げるんだ、三井……っ!!」
川島との攻防を繰り返す魚住は、ひたすらそう叫んでいた。
何故魚住があんなにも必死になって争っているのか。簡単だ。
三井を……三井を、助けるためだ。川島の意識を自分に移し、魚住は三井を庇ったのだ。
何故だ。三井の中に疑問が生まれる。
確かに魚住との面識はあったが、それだけである。特別親しいわけでもない。
ここまで魚住が親身になり、自分のためにと身を犠牲にしている理由が三井には思いつかなかった。
他の湘北のメンバーならまだしも魚住は他校の選手である。
それほどのお人よしだった、というレベルの結論しか三井は出すことができない。
「うぎぃっ?!」
尋常じゃない苦痛に満ちた声ではっとなる、頭を振って慌てて魚住達の方に目をやる三井の瞳に映ったのは……真っ赤に染まり始めた、白い学ランの一部だった。
魚住も動揺している、まさか本当に当たるとは思わなかったのだろう。
三井もきちんと見ていたわけではないからそこは予測するしかないが、どうやら魚住の持つ鉈の切っ先が川島の左腕部分を裂いたようだった。
どれだけ喰い込んだかなども明確に分からないが、それでも滲み出る血の量はそれを吸い取る布地で判断できるだろう。
「舐めた真似、してくれよったの……」
川島の目がさらに細まる、魚住も気を引き締めなおし改めて鉈を前に掲げ牽制した……が。
川島の取った行動は、魚住の想像の範疇を超えていた。
三井も、川島が何をしようとしているのか。すぐには理解できないでいた。
「死ね」
ぼそっと囁かれたそれと、川島の手が動いたのはほぼ同時。
素早い動きでデイバッグから取り出されたモスバーグ、構えたと同時に川島はスムーズな手つきで機構を操作する。
一瞬の機械音の後、左腕から垂れている自身の血を気にすることも無く川島はその引き金を迷わず引いた。
轟音、静かな夜の森に似つかわしくない乱暴な響き。
見開かれていく三井の瞳、その先にはゆっくりと崩れ落ちていく魚住の姿が。
驚愕に満ちた魚住のそれに、三井の心が締め付けられる。
そして。
だんっ……とその巨体が崩れ落ち、地面に横たわると同時に。
じわじわと赤い泉が、その場で広がっていくのだった。
それが、全てを表していた。
「魚……住……」
何が起きたのか。鈍い痛みを放ち続ける頭を抑えながらも、三井はフラフラと立ち上がる。
川島も、いつの間にかその強面を三井に対して向けていた。
そして魚住にしたのと同じように、川島はモスバーグの切っ先を三井へと突きつける。
三井はただ、黙ってその銃身を見つめ続けていた。
このまま撃ったとしても必ず当たるとは思えないその距離を、少しずつ縮めてくる川島に対しても三井は何か策を練ろうなど考えることができないでいた。
銃という道具の存在自体が、三井の日常ではファンタジー的要素のものであった。
いや、三井以外でも穏やかな日常を過ごす人間ならば誰だってそうであろう。
それが今、三井の目の前にあり。
自分を救うべく行動に出ていた知人の体を貫き。
今度は、三井自身を的にしていて。
「なん、で……」
あまりにも現実感のないそれ、三井の中の混乱はピークを迎えていた。
川島が何か言っている、しかし三井は聞き取れない。三井の頭に、伝わってこない。
拳銃に撃たれるということ、それは怪我で済むレベルの問題ではない。
命の危機だということ、目の前で命が失われたということ。
瞬間、三井の頭にフラッシュバックしてきた光景は……数時間前突きつけられた、あまりにも無残な形で晒されてしまった赤木の亡骸だった。
現実を表すには、それで充分だった。
「う、あ……うわあああああああっ!!」
「?!」
三井は全力で足を動かした、受けたダメージを全て跳ね返し一気に川島との距離を詰める。
そしてモスバーグの標準が合わされそうになると同時に、三井は肩に引っ掛けていたままであったデイバッグを手に取りそれを川島に向かって投げつけた。
こんな時でもコントロールだけは充分取れていたようで、三井の放った鞄は確かにモスバーグへと命中し川島の手からそれを離すことに成功する。
突然のことで川島も機敏な行動に移せなかったのであろう、迫ってくる三井の勢いに押される形で彼にも一瞬の隙が生まれる。
三井がその間を逃すこともなく、彼はそのまま川島の胸倉を掴みあげると押し倒すようにその体を地へと落とすのだった。
「な、んで……何で殺したんだ! 何で、そんなことができるんだ!!」
余りにもストレートな感情の込められた三井の叫びに、川島も冷静さを取り戻す。
「なんもできんクセに口だけは達者やな」
「どうして、人を殺すなんてことが……あんただって死にたくないだろ! 何で手に取れるんだ、あんな凶器がっ」
「どけ、離せ。また吹っ飛ばされたいんか」
「魚住は俺を助けようとしてただけだろ、正当防衛だろ?! それに対してあんたは何なんだ、あんたは……あんたって、奴は……」
「……ボケが」
川島の言葉はあくまで冷たく、そこから人の温もりを窺うことはできない。
三井はそれでも押さえきれない憤りを発散した、とにかく喚き散らしていた。
……が、それも急に止められることになる。川島が武力行使に出たからだ。
「黙らんかい」
言葉と共に振るわれた拳が三井の顔面を確実に捉える。
横に払われたことで三井自身も地面に転がされる形になり、川島の身はあっという間に自由になった。
むくりと起き上がり、手放したモスバーグの軌跡を思い出し視線をやる川島。
投げ出されている三井の鞄のその奥の茂み、そこにあるであろうことは川島も簡単に憶測がついたようだった。
……しかし、歩みを遮る障害が川島の前に再び現れる。
「答えろ、答えろよ……」
唇の端を切ったらしく血を垂らしながらも、三井は川島の前へと回りこんできていた。
その執念だけは評価に値するかもしれないが、またそれは「だからどうした」という一言で片付けられることでもある。
「……ぐっ?!」
もう一度、川島は無言で張り手を食らわせた。
よろける三井の体を見やり、起き上がってくるようなら今度は裏拳をかますつもりで構えをとる。
案の定、三井は両の足で踏ん張り何とか倒れることを阻止していた。
落ちない、そう判断した直後に川島はまた手を上げる。
そんな動作が、しばらく続いた。
腫れ上がる三井の顔が物語る暴力、それでもいくら川島が手を上げようとも三井は起き上がってくる。
気味が悪い。川島の中では、そんな感情すらも沸いていた。
それと同時にじくじくと痛覚を刺激する左腕の感触が、川島は気になって仕方なかった。
裂かれたとは言え傷自体はそこまで深くないのかもしれない。
しかしモスバーグを撃った際の反動や三井と揉みあったことにより、収まりかけていた出血が再びひどくなっていることに対し川島の中でも懸念が走る。
放っておいて、後に明確な問題を抱えるようになってからでは遅い。
川島の中に迷いが生まれる、その時だった。
「淳平君っ!!」
「お、おい! 飛び出しちゃ意味がないんだZe」
人の声、複数の第三者がこちらに向かって来るその様子が次の瞬間川島の視界に入る。
思わず舌を打つ川島、この状態で新手と見えようとするほど彼も猪突猛進な訳ではない。
モスバーグは……駄目だ、拾いに行っている暇はなさそうだろう。
息を一つ吐くと、川島は今だ荒い息を立てながらも立ちふさがっている三井に改めて視線をやる。
「運がよかったの、今回はここまでや」
最終更新:2008年02月13日 19:54