しろ(城)

辞書 品詞 解説 例文 漢字
日本国語大辞典 名詞 ① 敵の来襲を防ぐための軍事的施設。古代では朝鮮半島からの来寇に備えた九州北部の大野城などがあり、また、東北の蝦夷対策のための多賀城や払田柵(ほったのさく)などがあった。前者は山の斜面、または尾根を利用して土塁・柵などをめぐらしたものであったが、後者は単なる軍事的施設ではなく、地方官庁的性格を合わせもったものであった。中世では山上に築き、山下に居館をおいていたが、このころのものは堀・土塁・柵などをめぐらした程度の簡単な施設しかなかった。室町時代末以後、戦乱が長引き、戦闘の規模が拡大してくると、山上の山城では常時の領国統治に不便なため、領地の中心に設ける必要が生じ、丘陵を利用した平山城ができ、周囲に家臣の邸宅をおき、城下町が形成され、城の施設も天守を中心とし、堀・石垣・土塀・櫓(やぐら)をめぐらした堅固なものとなった。また、全くの平地に築かれた平城もある。桃山時代には領地の中心にある本城のほか、支城・境目の城・繋ぎの城・詰の城・向城など、いくつかの城を築いたが、元和元年(一六一五)の「一国一城令」により、本城だけが許され、しかもその修理・改築にも厳重な制限が行なわれるようになった。城郭。。じょう。 日本紀略‐延暦一三年(794)一一月八日「此国山河襟帯、自然作城。因斯形勝〈略〉宜山背国山城国
〔日葡辞書(1603‐04)〕
② 比喩的に、他人のはいりこむことを許さない、自分だけの世界。自分だけの場所。 「自分の城を持つ」
[補注]語源については諸説あるが、[ 一 ]①の挙例の「日本紀略」に見えるように、延暦一三年(七九四)に桓武天皇が平安京に遷都したときに、山背国を山城国と改められてから「城」に「しろ」の訓が生じたとする説が有力である。「しろ」を城郭の意に用いた確例は中世以前には見あたらないようである。
広辞苑 名詞 敵を防ぐためい築いた軍事的構造物。日本では、古くは(さく)や石垣または(ほり)・土塁をめぐらしたが中世には、地形を利用して防御を施す 山城 (やましろ)が発達し、もっぱら戦闘用であった。戦国時代以降は、領内統治・城内居住・権勢表示などをも兼ねた、いわゆる城郭が完成。多く平野にのぞむ小丘の上または平地に築かれ、二重三重に濠をめぐらし、本丸・二の丸・三の丸などに(くるわ)を区分、石塁上に多数の(やぐら)類を建てて視察・射撃に利し、本丸には天守閣を設けて郭の中軸とし、表には大手門、裏には 搦手 (からめて)の門を構え、住居用の殿舎をも備えた。き(城)。じょう。
大言海 名詞 山背 (ヤマシロ)國ヲ延曆年中ニ、(ヤマ)()國ニ改メラレシヲ、舊稱ニ因リテ、しろト讀ミ來リシニ起ルト云フ〕
古言、 ()。敵ヲ防ガムガ爲ニ、四方ヲ堅固ニ構ヘタル、一區ノ地ノ稱、外ニ、土石ノ郭、堀、ナドアリ、內ニ、家アリ、兵ヲ屯シテ、住ム。
十訓抄、上、第一、第六條「妻ノ敵ニ攻メラレテ、城モ破レ、兵モ悉ク打失ニケリ」
紀略、前篇、十三、延曆十三年十一月、詔「山勢實合前聞、云云、此國、山河襟帶、自然作城、因斯形勝、可新號、宜山背國、爲山城國、又、子來之民、謳歌之輩、異口同辭、號曰平安京

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最終更新:2024年10月27日 19:10