『ミイッ!チィチィ!キィィ!ミィッミィッ!!』
「いつもくせぇなーここは」
一方、赤いリボンの子タブンネたち約20匹も特大衣装ケースに入れられ男2人によって第二飼育室に連れていかれた
第二飼育室は物置として使われていた部屋で環境は劣悪だ。
常に糞尿と腐ったフーズと死体の悪臭が籠りエアコンもストーブもなく窓が1つあるだけ
子タブンネを入れるケージも専用の質のいい物ではなく、使い古しの衣装ケースや果物の木箱
力の弱いベビンネのケージには段ボール箱さえ使われている
そんな環境で離乳して間もないベビンネやペットに向かない攻撃的な子タブンネが数十匹も飼われているのだ
もちろんそんな事をしていれば毎日死ぬタブンネが出るのは当たり前
男2人の仕事は死んだタブンネを片付ける事から始まる
まず手を付けたのは悪臭に満ちた部屋の中でも飛びきりキツい悪臭を放つ衣装ケースからだ
「あー、兄貴、このでけえの死んじゃってますぜ」
「うーむ、いくらなんでも5日間エサ抜きはムチャだったみてぇだな」
「こいつぁ確かオボン畑の近くで捕まえたヤツだもんで、口が肥えててオボンしか食わなかったからなぁ…」
弟分に耳を捕まれて持ち上げられた死体、黒い汁にまみれたそれはタブンネとは思えないくらいに痩せ細っていた
ふっくらしているはずの腕は骨と皮だけになって棒のよう
毛皮越しでもあばらが浮き出てるのがはっきり見て取れる胸に
支える腹筋が痩せ衰えて内臓がぽっこりと出たお腹はまるで餓鬼の様だ
そして絶望し切っている子タブンネとは思えないほど歪んだ死に顔…
それは新入りの子タブンネたちに一目見ただけでここは地獄だと分からせるのに十分なインパクトだった
「フィィ… ミッミィ…」
「ほらほら、お前らもこうなりたくなかったらフーズを食べられるようになるんだぞ」
初めて見る死体に怯え震える新入り子タブンネたち
しかし死んでいたタブンネは一匹だけではなかった
男2人は死体を脇に積みながら死に場所となった衣装ケースを雑巾で次々と掃除していく
この日死んでいたのは12匹。死因はいずれも餓死
みんな同じ場所、つまりオボン畑の側で捕まえた子タブンネだった
「兄貴、やっぱり畑の近くで捕まえるのはやめた方がいいんじゃないかい?」
「農家のおっさんには有り難がられるがな、
害獣駆除してくれたってよ
タブンネみてーに見た目が可愛いと農家の連中も中々手が出せねぇんだよ、色々言われるからな」
乾拭きで申し訳程度に綺麗にした衣装ケース、臭いはするがこれで新たな子タブンネが入れられる
最初に入れられるべく選ばれたのは子タブンネのなかでも一際幼い、まだベビンネと言っても良いくらいの小さなタブンネだった
「ヂヂーッ! ヂヂーッ!! ヂャアーーッ」
「おいおい、暴れんなって」
弟分に首根っこを捕まれたベビンネは恐怖して激しく暴れた
喉が枯れるほど叫び、手足を振り回し、体をよじらせ、おしっこを撒き散らし… 小さな身体で出来る抵抗は全てやっだろう
しかしその抵抗も大人の握力にはまるで意味を成さない
ベビンネを移そうと弟分が子タブンネたちを運んできた衣装ケースに背を向けたその時
「ウミィーーーーーーーーーー!!」
幼い雄叫びと共に一匹の子タブンネが他の子タブンネを踏み台にして飛び出してきた
そして弟分のズボンの飛び付くと噛みつきながら激しく揺さぶった
「うぉっ、なっ、なんだ?」
突然の攻撃に弟分は思わずベビンネを床に落としてしまった
ベビンネは急に落とされたショックと痛みでチーチーと泣きわめく
弟分に飛び付いた子タブンネはズボンから手を離すとベビンネの側に駆け寄り、両手を広げ男2人の前に立ち塞がった
「うへぇ、ちびの癖になかなか根性のあるじゃねぇか」
この勇気ある子タブンネ、実は男2人が襲った群れのリーダータブンネの息子だ
偉大な父から群れを守る責任と勇気を以て闘うことを教えられ
この子タブンネもそれに堪えられるように強くあるように努力してきた
その実力も群れの子タブンネの中では一番強く巣に侵入したバチュルを電撃を浴びながらも追い払った事もある程だ
それで群れの子タブンネたちからの尊敬を受けているガキ大将、
いや、小さな勇者とも言うべき立派な子タブンネだ
『ウミィーッ!ミーッ!ミーッ!ミィッ!ミィッ! ミバーッ!』
「兄貴ぃ、なんか他のタブンネも怒り出したんだけど」
「触ったら噛みつかれそうだなこりゃ」
勇者ンネの蛮勇に触発されてか、衣装ケースの中の新入り子タブンネ達も怒りを爆発させ、声を荒げて叫び暴れだした
ある者は小さな腕を振り上げ、ある者はケースから飛び出そうと短い足で必死に跳ね、
またある者は近くにいるベビンネを抱きしめ男2人を怒りの表情(でも子タブンネだからカワイイだけ)で睨み付けている
このケースの子タブンネたちは攻撃的ゆえに赤リボンを巻かれた個体が多い
それは彼等が勇者ンネと切磋琢磨していた仲間、もしくはライバルたちで
大人タブンネがいなくなった以上へ戦うしかないと覚悟を決めていたのだ
「兄貴、どうしよう、落ち着くまで待とうか?」
「うーん、そうだな、所詮タブンネのガキなんだしすぐに疲れるだろ」
男たち2人が困ってると、部屋の外から「フィー、フュルルル♪」と可愛らしいポケモンの鳴き声が聞こえてきた
「あっ、シルフィちゃんですぜ」
「なに?、何でこんな時に」
部屋の入り口にいつの間にか居たのは綺麗な青い目をした四足歩行のピンク色のポケモン
「シルフィ」と名付けられている社長のペットのニンフィアだ
社長はこのシルフィを娘の様に溺愛していて、男2人は気軽に触ることもできない。たが
「そうだ、シルフィにこの場を納めて貰おうぜ
ニンフィアてのは触覚で周りのポケモンを落ち着かせる事が出来るらしいからな」
「大丈夫ですかい兄貴、怪我でもさせたら大目玉ですぜ」
「なーに相手はタブンネのガキだ、大丈夫だろ…
シルフィちゃーん、おやつあげるからこっちおいで~」
兄貴の猫なで声はやや不気味だがシルフィは「フィ~♪」と機嫌の良いに返事をして臭い部屋の中へ入ってきた
シルフィを前にした勇者ンネは突然現れた大人タブンネの背丈ほどある相手に思わず冷や汗を垂らした
しかし、背のベビンネを守るべく、全身に力を込めた臨戦態勢でその場に踏み止まる
「シルフィちゃん、この子たちが興奮して暴れちゃって困っているんだ
シルフィちゃんの力で大人しくさせてくれないかな?」
「フィ~♪」
シルフィは二つ返事で承諾すると、リボンのような触角をゆらゆらと揺らし、波動を出し始めた
するとどうだろう、衣装ケース内の子タブンネたちがぴたりと騒ぐのをやめた
そしてみんな何が起きたか分からないという感じでキョロキョロと周りを見渡している
心の中に炎のように燃えていた闘争心が突然萎えていってしまい、皆困惑しているのだ
そしてそれは勇者ンネも同じだった
心にぴりりと張り詰めていた緊張の糸が切れ、力んでいた全身からはふわりと力が抜けた
「ミィ… ミィ…?」
「フィ~フィ~」
不意な心の変化に戸惑う勇者ンネ、その眼前にシルフィが歩み寄る
そして勇者ンネに顔を近づけクンクンと匂いを嗅ぐと、後ろのベビンネに興味を移した
「チィチィ♪」「ミィ?」
泣いていた筈のベビンネはいつの間にか泣き止んでいた。これも波動の効果である
シルフィはベビンネの顔に鼻が当たりそうになるくらい頭を近づけると、またクンクンと匂いを嗅ぎだした
あまりいい匂いはしないはずなのだが、どこか嬉しそうな顔で興味津々に
ベビンネもまた「チィチィ♪」と嬉しそうに笑いながらシルフィの顔をペタペタ触っている
「こいつら仲良くなってますぜ」
「色が似てるからお互い仲間だと思ってるんじゃねぇかな」
勇者ンネもベビンネと触れ合うシルフィを見て男2人と同じことを思っていた
このポケモンは僕たちタブンネのお友達なんだ、と
シルフィがベビンネのお腹に噛みつくまでは
「ヂビーーッ!!!」
前足で頭を押さえつけながら腹を食い破ると、腸が裂け目からプリッと飛び出した
そこに鼻先を突っ込み、ハラワタの中から美味しそうな1つを最初に腹から食い千切る
シルフィが見つけたのは栄養たっぷりの肝臓だ
「兄貴ぃ!シルフィがタブンネ食べちゃってますぜ!」
「えっ、こいつ肉食なの?!」
男たちがそれに気づいた時にはもう手遅れ。ベビンネがもう助からないのは誰の目にも明らかだ
「ミ,ミィィ… 」
勇者ンネはまさに目の前で起こっている惨劇に、ただ震えて立っている事しか出来なかった
もし、勇者ンネがまともな精神状態だったとしたら今頃シルフィに全力のタックルを仕掛けていることだろう
勇者ンネは強い相手に立ち向かう時、いつも恐怖を父から受け継いだ闘志で打ち消して戦ってきた
だが、ニンフィアの波動で闘志
を消された今の状態では捕食者への恐怖に心が覆い尽くされ、一歩前に出ることすらできなくなってしまったのだ
「ミギギ…」
たがそこは子タブンネの勇者と言うべきか、涙が溢れる目で毅然とシルフィを睨み付ける勇者ンネ
亡き父の教えと勇姿、そして誇りを心に思い浮かべながら一歩も下がらずに踏み止まった
耳の中に粘りつくようなおぞましい音もまた恐怖を煽った
プチップチッという腸が鋭い歯で千切れる音、コリコリという耳が口の中で噛み砕かれる音
バチン!と目玉が弾けて中の液体が飛び散る音、クチャクチャという咀嚼音など様々
中でも一番勇者ンネを苦しめたのは、死にきれないベビンネが時折漏らす苦痛のうめき声だ
勇者ンネが流す涙は恐怖のためだけではない
目の前でズタズタになっていく守るべきベビンネへの申し訳なさと、何も出来ない自分への悔し涙だ
「ドリュウズ出して止めさせようか?」
「バカ!怪我させちゃマズイって分かってんだろ!」
男2人もまた対処に困って何も出来ないでいる。さすがに泣いてはいないが
『ミィッ!ミィィッ!!ミーッ!ミーッ!ウミーッ!!』
ケースの中の子タブンネたちがまた騒ぎだした、たださっきとは様子が違う
全てのタブンネが同じ方向、勇者ンネに向かって叫んでいる
ある者は小さな拳を天に突き上げ、ある者はケースの壁をバンバン叩きながら
その叫びは、勇者ンネへの応援であった
「負けるな!」「やっつけろ!」「がんばれ!」「ベビの敵を討て!」
かつて仲間だった子タブンネも、ライバルだった子タブンネも皆声を張り上げ勇者ンネを激励した
彼等もまた闘志が消えかけていく自分の心と戦っているのである
人にはミィミィとしか聞こえない、しかし、勇者ンネにはその声に込めた熱い思いが確かに伝わって来た
仲間たちの声が光明となり、恐怖という闇に覆われた勇者ンネの心を勇気の光で照らした
みんなの勇気、そして自分の心のから涌き出る勇気、その全てを奮い立たせ、小さな足で大敵に向かって一歩を踏み出した
「ンーーーッ!!ウミーーーッ!!」
幼い雄叫びと共に繰り出された攻撃は、身体全てを使った捨て身の体当たり
それは群れの長、父タブンネの得意技であり、勇者ンネが最後に見た父の勇姿でもあった
父タブンネは言った、勝てない相手でも痛い目だけは見せろと
そいつがタブンネを容易ではない相手だと分かれば、仲間のタブンネが襲われなくなる
俺たちの戦いは勝って奪うための戦いではなく、たとえ負けても仲間を守るための戦いなのだと
そして勇者ンネも今、父亡き後の群れの長として、残った仲間達を守るために大敵との戦いを始めたのだ
問題はシルフィに痛い目見せるには勇者ンネの攻撃力が足りなさすぎた事なのだが
「ポフッ」
…これは勇者ンネの捨て身タックルがシルフィの後ろ足に直撃した音だ
筋力、体重、スピード、足の踏ん張り、身体の硬さ
悲しきかな勇者ンネの捨て身タックルはそれらの全てが足りてなかった
直撃を受けたはずのシルフィはびくともせず、勇者ンネは反動でコテンと尻餅をついてしまった
「フィー?」
「何かフワフワして気持ちいいものが足に当たったな」
シルフィはそんな事を思いながら捕食を中断し、何の気無しにひっくり返っている勇者ンネの顔を見下ろすように覗き込んだ
「ミ,ミィィ…」
血に塗れたシルフィの顔を見た瞬間、勇者ンネは戦慄した
こいつは可愛いタブンネのお友達などでは断じてない
悪魔だ、赤ん坊を食い殺し、その血を浴びて笑う悪魔だ
人間から見ればチャームポイントである大きくて円らな青い瞳、そして口からチラリと覗く白い牙
それらも恐怖した勇者ンネにとってはおぞましく悪魔的に見えた
「うわわっ、血だらけだぁ、ひでぇ事になってますぜこりゃ」
「やべぇよ… 昨日社長がサロンに連れてったばっかなのに… 」
男たちもまた別の部分で戦慄していた
「フィ~?」
興味深そうな顔をして怯える勇者ンネの顔に鼻先を近づけるシルフィ、その距離わずか数センチ
その吐息が勇者ンネの鼻に触れた
血の臭いと破れたハラワタの臭いが混じりあった胸が悪くなるような生臭い、死の臭いがする吐息だ
「ミビャァァァァァァァァ!!!」
それが鼻に入った瞬間、勇者ンネは悲鳴をあげてベビの様にハイハイして逃げ出した
恐怖のあまり腰が抜けてしまい立ち上がれないのだ
ニンフィアの闘志を消し去る波動など最早関係ない
あまりにも本能的で、そして圧倒的な目の前の捕食者への恐怖が勇者ンネの心を完全に支配した
群れを守る覚悟や偉大な父の教えなど、もはや完全に吹き飛んでしまっていた
そして恐怖に駆られたその行動、相手の目の前で背中を見せて逃げるという行為
それは捕食者を相手にしたときの最悪の行動の一つだ
「フィィー!」
「逃げるものを追う」というのは捕食者の誰もが持ち合わせている習性だ
その習性の
スイッチが入ったシルフィはピョンとひと飛びで勇者ンネに追い付き、前足でキュッと押さえ込んでしまった
「ビギュリグミバァ!」
押さえつけられた勇者ンネはタブンネの声とは思えない滅茶苦茶な声を出しながら悶絶した
手足を闇雲に振り回し、身体をくねらせて床にバンバンと打ち付ける
余りの恐怖で正気が保てなくなってしまったのだ
その姿は陸に上がったコイキングとかそういうレベルではない見苦しさだった
勇者ンネを押さえつけた後で、シルフィはハッと気づいた
「自分は今お腹空いてない」と
そして押さえつけていた前足をそっと離した
「ミ…ィ…」
「フィ?」
開放された勇者ンネは動きを止め、うつ伏せのままプルプル震えている
精神が限界でもはやハイハイで逃げることも出来ないのだ
しかしそんな事シルフィには分からない
死んでしまったのかと思い前足でそっと触ったその瞬間
「ビルルルルルル!!ボギュアビッビ!」プゥッ
勇者ンネはもう一度あの発狂ダンスでのたうち回った。しかもオナラのおまけ付き
いくら勇敢とはいえ勇者ンネも所詮は子タブンネ
幼く脆い精神であまりに過剰な恐怖を受けてしまい、少しの刺激でも自分が殺されると心が勘違いするようになってしまったのだ
人間で言うところのトラウマとかPTSDとかその類いだろう
「フィッフィ~w」
リアクション(オナラ付き)を面白がり、シルフィは動きが止まる度に勇者ンネを前足で叩いた
まるで触れば動くオモチャのように
勇者ンネは繰り返される悶絶ダンスの中で色々なリアクションを見せた
小便を漏らす、頭を床に叩きつける、あぶくを吹く、白目を剥いて触覚を自分で引っ張る…
男二人は悩んだ末「シルフィが飽きるまで遊ばせとく」という選択肢を取った
そのため勇者ンネの悶絶ダンスは死ぬまで続くかと思われた。しかし
「チィチィ… チィチィ…」
勇者ンネはうずくまって頭を抱え、震えながら「チィチィ」と繰り返すだけになった
これはタブンネの赤ちゃん、ベビンネの鳴き方、それもママンネを呼ぶときの鳴き方である
勇者ンネは心が壊れて赤ちゃん返りを起こしてしまったのだ
それはシルフィにとっては詰まらないリアクションだったようで
やっと小突くのを止めてくれたのが勇者ンネにとっての唯一の救いだ
幼い勇者の戦いは無惨な結末に終わった
父の教えの通りタブンネの強さ、危険さを敵に分からせるどころではない
何の抵抗もできずベビンネを食べさせてしまった上に、自分自身もオモチャにされてしまった
いつでも安全に美味しく食べられる上に楽しいオモチャも付いてくる…
ボクたちは草むらのハッピーセットですと天敵に宣伝したような物ではないか
これでは天敵がリピーターになって何度もタブンネの群れを襲いに来てしまうだろう
まあ勇者ンネがいた群れなんてもう無いようなもんだからただの杞憂だが
「ミッグ… ヒッグ…」「ンミィ…」
静けさを取り戻した第二飼育室には、子タブンネのすすり泣く声だけが聞こえてくる
衣装ケースの中にいる勇者ンネの仲間たちはもちろんの事、元々この部屋で飼われていた先住子タブンネも泣いていた
あの強い(強そうな)勇者ンネでも何もできずにオモチャにされて、挙げ句の果てには赤ちゃん返り
勇者ンネへの失望、そして自分たちの弱さへの悔し涙がプラスチックの床にポトポトと溢れた
「ホラ、いつまでも泣いてんじゃねぇよ、これからいっぱい食べて強くなるんだぞ」
兄貴分が震える勇者ンネを優しく抱っこして空いてる飼育ケースに入れた
この期に及んで親のカタキに励まされるとはもう恥も極まれりである
『ウミィィィィィ!!チィィィィィ!!』
「シルフィ!だめだよ、やめなさい!」
勇者ンネでは遊び足りなかったのだろう
シルフィは衣装ケースの縁に乗り掛かり次のオモチャを選ぶべく中の子タブンネ達を覗き込んだ
泣き叫び、一斉に逃げてケースの反対側に押し寄せる子タブンネたち
もはやシルフィと闘おうとなどと思う奴はいなかった
端から見れば衣装ケースを覗きこむ可愛いニンフィアだが
ケース内の子タブンネ達から見れば壁から顔を出す超大型巨人の如くである
「チッ、チィィ、キチーッ!」
逃げ遅れたベビンネが前足で押さえられ、そして耳を咥えられて捕まってしまった
目の前でベビンネが襲われ、救いを求め泣き叫んでるのにも関わらず、助けようとする子タブンネは誰もいない
目の前の現実から目をつぶり、耳を塞ぎ、必死に逃れようとする
タブンネの小さな戦士たちは、残虐な捕食者に威嚇の声一つ上げられない臆病者に堕してしまっていた
「チィーッ!チィーッ!チィーッ!ビャアアアアアア!!!」
泣き叫ぶべビンネを口に咥えたままシルフィはスタスタと飼育室を出ていった
美味しいオヤツをママ(社長)に持ってってあげようと思ったのか
はたまた、楽しいオモチャでママと一緒に遊ぼうかと思ったのか
それはシルフィにしか分からない
男たちに分かるのは、シルフィのお陰で仕事がやり易くなったという事だ
商品候補が1個ダメになったのはご愛嬌
「こいつらすっかり大人しくなっちまったな」
「これでフーズが食べれたらもう出荷出来そうですぜ」
男たち2人は反抗しなくなった子タブンネたちを次々に飼育ケースに移し
同時にボール付きの給水器に入った水と一掴みのフーズも一緒に入れていく
ケースに入れられた子タブンネ達、どの子を見ても隅っこで身体を丸くしてプルプル震えている
大勢の仲間がいても何もできなかった自分の弱さと目の前で悪魔に連れ去られたベビンネへの罪悪感
その二つが混じりあって黒くて重い塊となり、子タブンネたちの幼い心にずっしりとのし掛かった
もし、この子タブンネたちがこれからペットショップに売られて行き、そこで優しい飼い主に出会ったとしても
心にこれほど重い物を抱えたままで本当に幸せに暮らせるのだろうか…?
「うぇぇぇぇぇ!!?」
別の部屋から社長の悲鳴が聞こえた
血まみれのシルフィに驚いたからなのは想像に難くない
男たち二人も、震える子タブンネにも負けぬほど恐怖した
男二人は社長からのお叱りに戦々恐々としていたが、今日は客が来るという事でお叱りは先伸ばしになった
そして次の仕事に取りかかるべく、最初のタブンネを選別した部屋に戻った
『ミィッ、ミィッ、ミッ、ミッ、ミィッ!』
「ふぃ~、これだけいるとウンザリしてくるな流石に」
青リボンを結ばれた子タブンネ達は週に一回の競りがある日まで部屋で放し飼いにされる
そして競りの日になるとキャリーケースに入れられて出荷されるのだ
普通だったら出荷までに2~3日はこの部屋で過ごして、その間に親から離されたショックからある程度回復するのだが今回は違う
「ンミーッ!ミチッ!ミミーッ!!」
「ほらっ、痛くねーから大人しく入れって!」
子タブンネたちは捕まった当日だというのに輸送用のキャリーケースに次々と入れられていく
輸送用のキャリーは直方体で奥行きき70㎝、幅と高さが40㎝しかなく子タブンネ用にしてはかなり狭い
大きさだけ見ればケージというより棺桶である
これを入り口を上にしてそこから子タブンネを入れるのだが
狭くて暗いキャリーを嫌がって足をバタバタさせて入れられまいとしたり
入れられても入り口の縁を小さな手で懸命に掴んで懸垂のように登って脱出しようとするが
子タブンネを押し込めるように出入り口のドアを閉められ、ガチャリとカギをかけられてしまうのだった
「お邪魔するざんす、おー、こちらが当社の今度の企画で扱わせて頂くタブンネ達ざんすね
差し障りなければ少し見学させてくれないざんすか?」
「あっ、デパートの担当の方で?、どうぞお気になさらずご自由見てってくだせぇ」
急に子タブンネを集めたのには理由がある
それはデパートが企画した「タブンネとあそぼう!Mi Mi パラダイス」というイベントである
具体的に説明すると沢山の子タブンネと触れあって遊べて、その上気に入った子タブンネをその場で購入できるという催しだ
そのイベントに使う子タブンネが足りなくなって、急きょこの小さな会社に大量の発注が掛かってきたというわけだ
そしてこのざんす男はデパートの社員でイベントで扱う子タブンネの下見にやって来たのだ
「いやー、ここのタブンネたちは綺麗な子ばっかざんすね~、どの子も傷一つなくフカフカで!」
「ええ、ランク分けして厳選してますもんで、ここに居るのはいつでも売りもんに出来る一級品ですぜ」
「れれ?ランク分けってことは他にもタブンネがいるざんすか?」
「野生のやつを捕まえてきてるもんで、人工餌を食わない奴や攻撃的な奴なんかはウチで慣らしてから売るんですよ」
「実を言うと、ここにいる分だけではタブンネが足りてないんざんすよ、
そん中に使えそうなタブンネが居るかもしれないし、良かったら見せてほしいざんす」
「大丈夫ですぜ、これが終わったらご案内しやす」
「お客さんの要望だぞ、しばらく俺一人でやっとくから今すぐ案内して差し上げろ」
兄貴分に急かされて、弟分はデパートの社員を第一飼育室に案内する
弟分と知らない男が入ってきたので、ケージの中の子タブンネ達は「ミッミッ、ミッミッ!」と困惑や警戒の声で一斉に鳴き出した
弟分の操るポケモンに親兄弟を殺された子タブンネもいるのだ
そんな子タブンネたちをデパートの社員はケージに顔を近づけて一匹一匹観察していく
「さっきの部屋の子達とそれほど違いは無さそうざんすけど、何が違うんざんしょ?」
「ここに居るのはペレットのポケモンフーズに馴染めない奴等が主だもんで、
見た目だけはさっきの一級品とそう変わらないんですぜ、少しは毛抜けとかもいますがね」
「へぇー、好き嫌いの問題ざんすね、
…アー、このタブンネに餌をあげてみてもいいざんすか?」
「少しなら大丈夫ですぜ、あ
、人間の食べ物や刺激の強えぇもんは止めて下せぇ」
「な~に、ただのフーズの試供品ざんすよ」
そう言ってデパートの社員が懐から取り出したのはタブンネの絵が印刷されたとても小さな袋
カラフルなデザインで餌と言うよりかは駄菓子の小袋のようだ
ほ~れ、タブンネちゃん、美味しいオヤツざんすよ~」
「ミィッ?ミイッ!!」
食べ残しが残る餌入れに、その新製品のペレットが3粒、袋から転がり落ちた
それは鮮やかな赤や黄色の小さなクッキーの様なペレットだった
知らない人が見ると人間のお菓子と間違えてしまうような見た目だ
しかし、クッキーの様な見た目には似合わない不自然に強いフルーツの香りを放っている
その色と香りは、野生タブンネの最高のごちそう
すなわち、完熟した果実をイメージして作られているのだ
雑穀の粉とオカラの塊である子タブンネたちがいつも食べているフーズとは嗜好性が段違いだ
その新製品を投入された餌入れの主の子タブンネは、迷わずそれを二つ同時に手にとって食べた
「ミィッミッミ~♪」クチャクチャ
「ホッホッホ!ちゃーんとペレットも食べられるざんすねぇ」
見た目のみならず味もいつものペレットとは比べ物にならない
甘くてフルーティで食感もしっとりと柔らかい
これに比べたらいつも食べているフーズの味は土の塊にも等しいだろう
子タブンネもあまりの美味しさにほっぺたに両手を当てて尻尾をフリフリして幸せをアピールしている
そして、飲み込んだ後に最後のフーズを餌箱から取ろうとしたその時、
弟分は格子の隙間からそのフーズをひょいとつまみ上げてしまった
「ンミーッ!!ギィィィ!!」
「はえー、まるでお菓子みたいですな」
子タブンネはもちろん怒り出入口の格子のを掴みガタガタと激しく揺らして抗議したが弟分もデパートの男もあまり気にしていない
そして弟分はフッフッと息を吹き掛けて汚れを飛ばし、ためらいもなく口に運んだ
「ムミィィィィィィィィィィィィーーー!!!」
「ヒッ?!」
「昔トレーナーやっててね、ポケモンが食べるフーズはこうやって味見したもんですよ」
「…ふえー、すごい事するざんすねぇ」
フーズが口に入った瞬間、子タブンネは絶叫した
まるで目の前で肉親が殺されたかのような凄まじい慟哭だった
デパートの男はそれにビクッと驚いたが弟分はノーリアクション
仕事上タブンネの悲鳴には慣れっこなのだ
悲鳴には驚かない弟分だが、フーズの味には顔をしかめて静かに驚いていた
口に入れた瞬間に広がる安物の飴のような人工香料の香り
そして次に来る果物のような酸味、それもまた不自然な風味だ
食感はマドレーヌのような食感だが口の中でほどけると結構な量の油が含まれているのが分かる
そしてほんのりとだが、ポケモンフーズにはあるまじき白砂糖の味がする
(こりゃあ酷ぇ、知ってはいたがまさかここまでやってるとは思わなかったぜ)
弟分は知っていた、ペットポケモンショップで売られているフーズにはろくでもないものが入っている事があると
嗜好性を高めるための人工香料、化学調味料、脂肪分、糖分…
この新製品のフーズにはその全てが入っている
そして鮮やかな色は人工着色料によるものであることは想像に難くない
こんな物を自分のポケモンに食べさせる奴の気が知れない…
口の中のフーズの味も手伝って、弟分は気分が悪くなってきた
「おらっ、返すぜ」
「フミィ~ン!」
弟分はまるで痰を吐くように子タブンネのケージの中にフーズを吐き出した
唾液まみれでグチャグチャのそれに笑顔で迷わず飛び付く子タブンネ
「よく帰ってきてくれたね」と再開を喜ぶような嬉しさと感動が混ざった声で鳴きながら
運悪くフーズは先ほどオシッコをした場所に落ちてしまった
しかし新製品フーズの虜になった子タブンネは何も躊躇わない
四つん這いになっておしっこと唾液が混ざったフーズを小さな舌でペロペロと嘗めるのであった
「ンー… ところで、赤ちゃんのタブンネはいないざんすかね?」
「あー、こことは別の部屋に何匹かはいますぜ」
子タブンネのあまりの浅ましい行動にドン引きしていたデパートの男だったが
気を取り直して次の目的に話題を切り替える事にした
そして2人は子タブンネたちの「ミッミッ!ミッミッ!」と自分にもくれと催促する声を背に第一飼育室を出ていった
あの第二飼育室を客人に見せるのは少し抵抗があった弟分だが、ベビンネはそこにしかいない
「かなり臭ってて悪いですが、どうぞお入りくだせぇ」
「ふぇ~、こりゃ強烈ざんすねぇ」
第二飼育室の強烈な悪臭に、デパートの男はハンカチを取り出して鼻を覆った
この部屋にも子タブンネは沢山いるはずなのだがその鳴き声は聞こえず
カサカサ、カサカサと紙が擦れるような音がかすかに聞こえてくるだけだった
「ここに居るのは攻撃的なヤツや幼すぎるヤツが主でして、
出荷出来る個体になる可能性は高くないもんでこんなぞんざいな扱いしちまってるんです」
「ふーむ、ベビィちゃんはともかく攻撃的な子はこちらとしてもいただけないざんすねぇ」
攻撃的な子タブンネとはどんな物なのであろうか?
デパートの男はそんな好奇心から衣装ケースの空気穴から中の子タブンネを覗きこんだ
「ピィッ!!」
視線に気づいた子タブンネはビクッと驚き高い声の悲鳴をあげた
そして狭いケースの中をパタパタと走り、壁にぶつかってしまった
「あの、むしろ普通の子より臆病そうに見えるざんすが…」
「あー、社長のペットのニンフィアがこいつらに酷いいたずらをしちまって、
それで怯えちまってみんなビビりになってるんでさぁ」
どんないたずらをしたんだろうとデパートの男は気にはなったが、あまり話題が逸れてもいけないのでここは聞かないでおいた
ここに来た本来の目的はベビンネである
「ええと、たしかこのケースだったな… いたいた」
「チィィ…?」
弟分がケースの蓋を開けると、アンモニアの臭気がムワッと立ちこめた
ケースの中は無造作にいくつもの糞が転がり、敷き詰められた新聞紙は大部分が小便でしっとりと濡れている
そして、新聞紙の残り少ない濡れてない部分にちょこんと座るベビンネがいた
「いやー、汚いとこ見せちまって済まんこってす」
「いえ、大丈夫ざんす、それよりもせっかく見せてもらったのに悪いざんすが、
もうちょっと小さい、ママのミルクを飲んでるくらいのベビィちゃんはいないんざんすかね?」
「えっ、乳飲み子ですって? ここにはいないですぜ
店に置いてからの世話が大変だもんでショップが扱わねぇんですよ
ショップの店員でももて余すのに、ましてやポケモンを金で買うような素人なんか…」
「ホホホ、それでも可愛いベビィタブンネちゃんを一目見たい、
あわよくばお家にお迎えしてママになってあげたいという方々は大勢いるざんすよ
あのアイドルの女の子がタブンネの赤ちゃんをお世話するテレビ番組の影響ざんすね」
「はぇー、そんなのがあったんすか、タブンネ扱ってんのに不勉強でしたぜ」
デパートの男の言う通り、テレビの影響でベビンネを飼いたいと思う人が密かに増えていた
だが、イッシュ地方のほぼ全てのポケモンショップが離乳前のベビンネの販売には及び腰であった
餌皿に餌を入れて糞さえ掃除しておけば生きてる子タブンネとは違って乳児ンネには色々と手間がかかる
食事一つとってもいちいち粉ミルクを作り、その上人の手で一匹ずつ飲ませてやらなくてはならない
世話の手間だけではなく身体の弱さも問題だ
ママンネから引き剥がされたストレスや急な環境の変化などで乳児ンネはすぐに体調を崩してしまう
乳児ンネの体調不良はすぐに風邪や下痢などの病気に変わり、酷いときには入荷から数日で死んでしまう事もある
入荷しても売れる前にすぐダメになってしまうのでは商品失格という事だ
ただ、2日間のごく短期間のイベントで展示販売するとなると話は別である
その程度の期間だったら持つだろうし普段のショップの何十倍、何百倍もの客が来るであろうから売れる確率も高い
もし売れた後にすぐ死んでしまっても客の自己責任である
最も、弟分が心配した通り可愛いからと衝動買いするようなヤツの下でか弱い乳児ンネが長生きできるワケがないのだが
「う~ん、でも、このベビィちゃんも十分可愛いざんすねぇ
お手数ざんすが他のベビィも見せてくれないざんすか?」
「いいですぜ、箱に集めるんでちょっとお待ちくだせぇ」
そう言って弟分は部屋の隅にあった段ボールを組み立て、
部屋中のケースからベビンネを探し出し次々とその箱に移していく
ほんの5分ほどで6匹のベビンネが見つかり箱の中に集められた
「チィ?」「チィィ♪」「チィ♪チィ♪」
箱の中のベビンネたちは最初はキョトンとしていたが、久しぶりに同族に触れたのが嬉しくてすぐに他のベビンネと遊びだした
小さな手をペタペタと手遊びの様に合わせあったり他のベビンネの尻尾をもふもふと揉んだり
軟らかなほっぺをくすぐり合ってチッチッと笑いあったりしている
そのあまりに微笑ましい光景にデパートの男は思わず顔がにやけてしまう
「おほ~、これはキュートすぎていかんざんすねぇ~
イベントで使わない手は無いざんす! 全部買わせてほしいざんす! 」
「あー、俺は一番下っぱだもんで、売り買いの話は社長にお話くだせぇ
社長室は二階なんで案内しますぜ、一緒に行きやしょう」
そうして男たちはベビンネたちが入った箱と共に二階の社長室へと向かう
階段を上る際の揺れる感覚が楽しかったのか、箱の中のベビンネたちは「チッチッ、チッチッ」と楽しそうに笑っていた
狭いが小綺麗な社長室では社長が椅子に座って机に向かっていた
そこにノックの後にデパートの男が入り、挨拶もそこそこに商談が始まった
「つまり、B級品のタブンネと小さい子も追加で買いたいと。それは大丈夫ですよ」
「いやー、話が早くて助かるざんすよ」
「ただ、B級品はともかく小さい子はそちらにお届けした後の品質は保証できかねますので
そちらに送られてからの返品や交換は無しでお願いしますね」
「ええ、そこの所は承知してるざんす。ただ、五匹しか居ないと言うのがちと不足ぜんすが」
「不足?この半分赤ちゃんみたいなタブンネがもっと必要なのですか?」
「そりゃもう、いまタブンネの赤ちゃんは大人気ざんしょ、もう10匹、いや20匹でも大歓迎ざんすよ
イベントで赤ちゃんタブンネの授乳体験とかもやる予定ざんしたから」
「へぇ、ところで、イベントは明後日の土曜日からでしたよね?」
「ええ、その通りざんすよ」
「ならギリギリ調達が間に合います ね、何匹に調達できるかは分かりかねますが」
社長室の外で横聞きしていた弟分はぎょっとした
一日で調達と選別に、ついでに配達とか無茶すぎる…
しかも乳飲み子だけを狙うとは、これはかなり骨が折れることになりそうだ
そして話がまとまってデパートの男が帰ったあと、タブンネの梱包作業を行っていた兄貴分も呼ばれて指令が下された
「明後日の夕方5時のまでにタブンネの赤ちゃんを10匹以上捕まえてきてね」
正直かなりきつい条件だが、シルフィの事もあって男2人は素直に受け取らざるを得なかった
そして翌日、日が昇ると同時に男たちはワゴン車の前で狩りの準備をしていた
「さて、どの辺りを探せばいいかなぁ」
「子タブンネならまだしも、赤ん坊となるとなぁ…
よく吟味して探す場所を選ばんと一匹も見つからねえって事もありうるぞ」
「こんな事なら昨日の群れの赤ん坊をつかまえておくんだったよ」
今は11月、秋が終わり餌も少なくなってくると野生のタブンネたちは子作りをしなくなる
つまりこの時期にベビンネはあまり居ないと言うことだ
居るとしたらパートナーを見つけるのが遅れた、
夏に孵ったベビが早い時期に全滅してしまいもう一度タマゴを産んだ、
冬に餌が少なくなるのが分からないほどママンネがバカ、など何らかの事情があるタブンネのベビだ
昨日狩った群れにはそれらしいベビも結構居たがあれほど荒らしてしまっては同じ場所にいるとは考えない方がいいだろう
仕度が終わって車に乗り込んでも男たちは目的地をまだ決めかねていた
「さて、この時期に赤ん坊抱えてるバカタブンネが居るとすれば… リンゴ畑の側か
それとも、昨日みてぇなでけぇ群れを探すか…」
「畑といえば兄貴、近くの果樹園で売りもんにならねえ果物を捨ててる場所が近くにありますぜ」
「そりゃいいや、とりあえずそこを当たってみるか」
その場所は会社から車で10分ほどの所にある雑木林にあり
その中の少し開けた場所に割れたり痛んだりしたリンゴや梨などが捨ててあったのだ
ただし、男たちが訪れた時には果物の本体は無く変色した芯や腐って溶けた残骸がわずかに残っているだけだった
その周りの地面を男二人が少し探すと、あのハート形の足跡が
「やりましたぜ兄貴、タブンネ居るみたいですぜ」
「まー喜ぶのはまだ早ええ、赤ん坊を見つけてからだ」
足跡はまだ新しく、そして藪の中へと続いていた
兄貴分はルカリオをボールから出し、弟分と共に慎重にそれを追跡していく
そうして5分ほど足跡を追っていくと、草や蔓を編んで作られたドーム状の巣が見付かった
大きさは高さ約1m、幅は直径1.5m強くらい、タブンネの親子が隠れるには十分な大きさだ
間違いねぇ、この大きさはタブンネの巣だ、ルカリオの波動で探させるまでもなかったな」
弟分が隙間から中を覗くと、タブンネが横になってすうすう眠っていた
そしてそのお腹の前には、小さなピンク色の毛玉たちがもぞもぞと蠢いている
(やりましたぜ兄貴、大当たりだ)
(小声でも喋るな、タブンネに聞こえちまう)
兄貴分は静かに興奮する弟分を諌めると、静かに麻袋を広げる
そしてドリュウズを出させ、巣に大きな穴を開けるようハンドサインで指示を出す
ドリュウズはそれに応じ、鉄の爪で巣の壁を縦に切り裂いた
「今だ!捕まえろ!」
「ミィッ?!!」
男たちは裂け目を掻き分けて巣の中に押し入りベビンネたちを数匹まとめて両腕で抱え込むように捕まえた
それは飛び付いたと言っても過言ではない素早さだった
驚いて飛び起きたママンネだが何がなんだかわからず、ただ寝ぼけまなこで狼狽えているだけだ
『チィッ、チィッ、チィッ、ヂーッ!ヂーッ!ヂャァァ!!ヂーッ!!』
「ミッ?ミィッ!!ミィィー!!!」
袋の中からの助けを求める声を聞いて、やっと自分のベビ達が拐われそうになってると気付いたママンネ
寝起きでふらついた足取りだが必死で男たちに向かっていく
しかし、主人が襲われると判断したルカリオに素早く間に入られてしまった
「ん? こいつ小せぇな」
「ああ、かなり若ぇな」
出前のルカリオと見比べてみて二人は初めて気づいたが、このママンネはかなり小さい
身長120㎝のルカリオと比べて頭一つ分ほど低く、身長90㎝も無いだろう
それに加えまだ子タブンネの面影を残す顔つきでかなり若いタブンネだという事が分かる
「ガル!」
「ミヒィ!?」
ルカリオの一喝で驚いて尻餅を突いてしまうママンネ
続いて腕を振り上げて殴る真似をするとキュッと目をつぶり手のひらをつき出し
ミィミィと涙声で「やめてやめて」と訴えている
「殴るまでもない」と呆れてルカリオが拳を下ろしたその時、ガサッと草が揺れる音がした
「ルカリオ、左だ!追え!」
兄貴分の急な命令に即座に反応してルカリオが音の元へ一足跳びで飛び付く
そのスピードは名の通り神速で音の主は一たまりもなく押さえ込まれてしまった
「グルル…!」
「ミィ… ミィ… ミィ…」
兄貴分の直感の通り、音の主はタブンネだった。さっきの奴程ではないが小さめの若い個体だ
さっきの奴よりかは根性があるタブンネで
歯を食いしばって右へ左へ身をよじりながら馬乗りになったルカリオの腿をペチペチと叩いて抵抗している
ただ力の差は歴然で、いくら足掻こうともルカリオが離す様子はない
「チィ… チィ… チィィ… 」
「ミィッ!?」
どこからか微かにベビンネの声が聞こえてくると、タブンネの顔に焦りが見え始めた
このタブンネもまたママンネだったのだ
無慈悲にも男たちはその声がする方へ正確に向かっていく
「ルカリオ、そのまま押さえつけてろ
へっへっへ残念だったな、お前ら程じゃねーが俺も地獄耳にゃ自信があるんだ」
「あー、これじゃねーですかい兄貴」
それはさっきのと同じ様な草でできたドーム状の巣だったが高さは50㎝程とずいぶん低い
それは家主のタブンネが穴を掘ってスペースを作り、
その上に草のドームの屋根で覆うという工法で作られているからだ
この作りだとさっきのママンネの
巣と違って敵から見つかり辛い
しかしそれでも見つかってしまってはそれまでだ
「ドリュウズ、屋根をひっ剥がしちまえ」
「ドリュ!」
ドリュウズがちゃぶ台返しの要領で屋根を剥がすと、巣の中の全容が丸見えになった
全体に分厚く草が敷き詰められており、片隅には乾燥した草の実やドングリなど保存の効く食べ物が集められている
そして巣の真ん中には細くて柔らかい草で作られた大きな鳥の巣状のベッドがあり
そこで5匹のベビンネたちが身を寄せあってプルプル震えていた
「ハハハ!これでもうノルマ達成じゃねぇか! いやー出来すぎてるぜ」
「このタブンネたちに感謝感謝だぜこりゃ」
男たちが近寄るとベビンネはチィ-チィ-と悲痛な声で鳴きながらベッドからハイハイで懸命に逃げだした
「ミィッガガガガガ!!!ウギィーーーー!!!」
ベビンネが鳴いた途端、ルカリオに押さえつけられてるママンネが激しく暴れだした
この鳴き声はベビンネが緊急時にママンネを呼ぶ声なのだ
手足を無茶苦茶に振り回し、体を反らしてバタンバタンと跳ね、ルカリオの手に噛みついた
うっかり手のトゲの部分に噛みついて前歯を全部折ってしまったがそれでも怯むこと無く暴れまくる
何がなんでもベビンネを助けに行くべく必死なのだ
しかしその抵抗も空しく、ベビンネたちは次々と男たちに捕まって麻袋の中に入れられて行った
捕まった瞬間恐怖でウンチとおしっこを漏らしたベビンネも居たが気にかけられる事も無く股間を汚したまま麻袋へ放り投げられた
そして最後のベビンネに兄貴分の手が掛かったその時、
「ウッミィイイイイイイイイ!!!」
突然藪の中から一匹の子タブンネが現れ、兄貴分に突進していく
この子タブンネはベビンネたちの兄タブンネで、ママンネの言いつけで草むらに隠れていたのだが
ベビンネ達の必死な助けを呼ぶ声にたまらず飛び出してきたのだ
妹や弟を可愛がっていたいいお兄ちゃんなのだが、兄貴分にサッカーボールの様に蹴り飛ばされてしまった
「ミヒィィィィィン!」
「ルカリオ、離していいぞ!」
見事な放物線を描き藪の中へと落ちていく子タブンネ
開放されたママンネはそれの落下地点へ泣きながらまっしぐらに走っていく
「オトリ作戦大成功! よし、ずらかるとするか」
男たちはポケモンを戻し、チィチィ五月蝿い麻袋を肩に下げながらタブンネの巣を後にした
車に戻った男たちはベビンネの仕分けを始めた
昨日のように麻袋に乱雑に詰めて死なせるといけないので一匹ずつ洗濯ネットに小分けにしていく
ベビンネは硬くてざらざらした洗濯ネットの感触を嫌がって中でモゴモゴともがいた
しかし外側から堅いチャックで閉じられていては脱出は不可能だ
「チィ-!チィ-!チィ-!チィ-!…」
「11、12、13… 全部で13匹だな」
「あの小さいの8匹も産んでたんですかい」
「捨てられる果物をアテにしてたんだろうよ、それもこれから無くなるってのにバカな奴だ」
2人が最初に出会った若いチビママンネ
彼女は二週間前に親元から独り立ちしたばかりで、その後パートナーに出会ってからあの林に流れ着き
兄貴分が言う通り大量に捨てられる果物をアテにしてタマゴを8個も産んだのだ
チビママンネの無知のなせる業である
しかし今は11月、収穫も終わりに近づいてきて捨てられる果物も大分少なくなってくる時期だ
パートナーのパパンネは日々少なくなっていく廃棄果物に不安になり、
新たな餌場を見つけようと遠征に行ったまま帰ってこなくなっていた
水を飲もうと沼に近づいたらガマゲロゲに食われてしまったのだ
もう一匹のママンネの夫もまた遠征中にフシデの毒にやられて力尽きている
男たちもママンネ達も気づく由も無かったが、かなり絶望的な状況だったのだ
「まぁー、赤ん坊さえいなけりゃ成獣2匹にガキ一匹だ、
草の根っこでも食ってりゃ何とか冬も越せるだろうさ」
「俺たちゃあのタブンネを救ってやったのかもなぁ」
会社に着くと男たちはベビンネを洗ってやる事にした
子タブンネの様に冷水で洗うと死んでしまうかもしれないので風呂場で洗面器にお湯を張って一匹ずつ綺麗にする
「チィッ!チィッ!チィッ!チィッ!チィィー!!」
「ほら、綺麗にしてやるからじっとしてろって」
生まれて初めてのお風呂だったが最初のベビンネは嫌がって洗面器の中でジタバタと暴れた
シャンプーが目に入って滝のように涙を流し、シャワーのお湯の勢いと熱さ(38度)に泣き叫んだ
腕を捕まれ、体じゅう泡立てられながらイヤイヤと首を振り、
ヂィ-ヂィ-とこの場にいるはずのないママンネに必死で助けを求める
その光景を見ていた順番を待つベビンネたちは何か怖くて痛くて苦しい事をされるんだと勘違いして、
処刑の順番を待つ死刑囚にも似た心境で次は自分の番かとガクガク震えていた
「兄貴、それシルフィ専用の高いシャンプーですぜ、勝手に使っちゃまずいよ」
「いいんだよこの際、赤ん坊の肌と毛並みは繊細だからなるべく刺激が少ねぇ奴を使ってやらんと…」
ベビンネ全員のお風呂が終わった後男たちがバスタオルで体を拭くと、
怖かったのと泣き疲れたのとでみんなグロッキー状態だ
そんなベビンネたちを床に広げたバスタオルの上に並べてドライヤーで温風を送ると、暖かくて気持ちが良くなった様でみんなそのままスウスウと眠ってしまった
「こりゃ丁度いいや、うるさくなる前にこいつらの寝床を作ろうや」
2人が作る寝床というのは特大の段ボールの中に古くなったバスタオルを敷き詰め、
保温に布を巻いた湯たんぽを置いただけというシンプルな物だ
手早く完成させたそれに眠っているベビンネを一匹ずつ寝かせていく
抱き上げられてもベビンネたちは起きる事なく眠ったまま
朝早くに起こされた上に色々な事があってとても疲れていたのだ
赤ちゃんなので元々睡眠時間が長いというのもあるが
男たちはその寝床を中のベビンネごと選別部屋へ持っていくと、社長が子タブンネが入ったキャリーケースを整理していた
「おはよー… ふぇっ、もうベビちゃんたち捕まえて来たの? すごーい!」
「いい場所を見つけましたもんで、一度に13匹も見つけられたんでさぁ」
「良かった良かった、じゃあ開店時間になったらデパートの方に連絡するから、仮眠室で休んでていいよ
ベビちゃん達は私が見てるから大丈夫!」
「はい、少し眠らせてもらいますぜ」
男二人は二階にある仮眠室のベッドに入ると、すぐたグウグウとイビキをかいて眠ってしまった
早起きしてすぐの野外での仕事は体にも精神にも堪えるものだ
そうして3時間ほどたった頃、社長がデパートの男に連絡して、午後三時に子タブンネたちを輸送するトラックを会社へよこす約束を取り付けた
今現在11時、社長が子タブンネ達の最終チェックをしている時、ベビンネたちは人知れず目を覚ましていた
目が覚めた時、肌に伝わる感触はいつものふかふかな柔らかい草のベッドではなく、古いタオルのゴワついた感触
隣に居るのは見慣れた兄弟とそれに混ざっている知らない子
ママンネの姿を求めて周りを見たけど、見えるのは見たことのない茶色い壁ばかり
ママンネの音を求めて小さな耳をピンと澄ましたが、
聞こえてくるのは知らないタブンネたちの辛そうな声と怖い怖い人間の足音だけ
人間の存在に気が付いた瞬間、ベビンネ達の心の中に今朝の辛い出来事が一気に甦った
突然目の前が明るくなって、突然現れたママンネより大きな生き物
そいつに手で捕まれた時の痛さとゴツゴツした感触
大好きなママンネを苛める青いポケモン
どこかへ飛んでいく大好きなお兄ちゃん…
眠ってる間には悪い夢のようにも思えていたそれらは確かな現実の記憶となり、
今の自分達の状況とも混ざってベビンネの小さな心を恐怖と不安でたっぷりと満たした
そして心で受け止めきれなかった分は涙となり、数日前に開いたばかりの青い瞳から止めどなく溢れ出た
『ヂィ… ヂィ… ヂィ-!ビィィー!!ビィィー!! 』
一匹のベビンネが大声で泣きだした
それに釣られて隣のベビンネも泣きだして
隣、その隣と次々と泣き声をあげ、段ボールの中のベビンネ皆が大声で泣きじゃくった
それはママンネを呼ぶための涙の大合唱だった
声が届く所にママンネが居ないかもしれないのはベビンネでも薄々分かっている
だが、こうしていないと心が不安で潰れてしまいそうなのだ
「あらら起きちゃった、お腹すいたのかな?」
泣いてるのに気付いた社長はキッチンへ行き、お湯を湧かして粉ミルクを溶かして人肌の温度のミルクを手際よく作る
そしてベビンネのうちの一匹を抱っこして哺乳瓶を口に近づけた
しかしベビンネは嫌そうな表情で飲み口から顔を逸らし、小さな手で哺乳瓶を押し退けてしまう
今までママンネの母乳しか口にしたことがなく、初めて見る哺乳瓶が怖かったのだ
「あらら、飲んでくれないのね…」
「チヒッ?!ヂィィィィィ!!ヂィィィィィィ!!」
腕の中のベビンネはビクッと何かに驚いたかと思うと、さっきよりさらに大声で泣き出した
そして足をバタつかせ、両手で自分を抱く腕を押し、必死に社長の腕の中から逃げ出そうとしている
その泣き声は「お腹がすいた」とか「さみしい」というベビンネのよくある泣きかたではない
恐ろしい何かに出くわして恐怖で泣き叫んでるといった泣きかただった
ベビンネが出くわした恐ろしい物、それは「殺意」
不意に社長の胸に触れていた触角からそれを感じ取ってしまったのだ
産まれて初めて感じ取った他者の負の感情、敵意に、ベビンネは心の底から恐れおののいた
それが敵意の最上級とも言える殺意をいきなり感じ取ってしまったのだからなおさらだ
しかし、社長は貴重なベビンネを殺す気は毛頭ないのだが、いつものクセというやつだ
「ヂッ… ヂィッ… ヂィィィィン!! ヂィィィィィィン!!」
「えっ、わっ、ちょっと… どうしよ~」
さらに勢いを増していく泣き声に焦りを感じ、ユサユサと揺らしたり背中を優しく撫でたりしてあやそうと頑張る社長
しかしどうやってもベビンネが泣き止む気配はない
しかも泣いてるベビンネはあと12匹もいるのだ
「ふぇー、困ったな…」
家中に響き渡るベビンネ13匹の泣き声の中、社長は為す術もなく呆然としていた
そして色々思案した結果、とりあえず泣きたいだけ泣かせておけばいいやという結論に達して抱いていたベビンネを箱に戻した
そして子タブンネの最終点検に戻ろうとした時
ドン!ドン!ドン!ドン!! ドン!ドン!ドン!ドン!!
玄関のドアを激しくノックする音が社長がいる選別室まで響いた
音が激しすぎるので変に思った社長だが「デパートの人かな?」などと思いつつ小走りで玄関に急ぐ
「はーい、今開けるよー」
社長がドアを開けた瞬間、一匹のタブンネが玄関に飛び込んできた
それは男たちが今朝最初に襲った
巣の主
身長90㎝もないチビママンネだった
「ええっ、タブンネ!?」
社長が驚く間もなくチビママンネは玄関から廊下へ上がり、我が子が居る選別室へ脇目も振らずバタバタと真っ直ぐに向かっていく
あまりの急な事態に呆然とする社長
だが、母タブンネが赤ちゃんを取り返しに来たのだと気付くのにそう時間はかからなかった
「うー、まずいまずい、早く追っ払わなくっちゃ」
おとなしいタブンネ相手とはいえ野生のポケモン相手に素手ではまずい
そう考えた社長は玄関にある傘立てから古いビニール傘を持ち出して選別室へソロソロと向かう
そしてドアの前で一旦立ち止まり、身を隠しながら中の様子を覗き見る
「ミィッ、ミミッミッ!」
「チィチ!チィチィ!チィチィ!!」
部屋の中のチビママンネはベビンネたちが入っている段ボール箱を何とか引き千切って壊そうと頑張っていた
自分の肩ほどの高さのある大きな厚い段ボールなのでかなり苦戦している
箱の中のベビンネたちはさっきまで家中に響き渡る大声で泣いていたのが嘘のようにケロリと泣き止んでいて
その代わりにチィ、チィ、と可愛らしい声で鳴いている。顔を見なくても喜んでるのが分かるような歓喜の声だ
(うっそ、もう泣き止んじゃってる… やっぱり本物のママが一番なんだね)
社長は驚いていた
自分があれほど手を尽くしてあやしても一匹のベビンネすら泣き止ませる事ができなかった
それなのに、あのタブンネが顔をちらりと顔を見せるだけでみんな泣き止んでしまったのだから
チビママンネに興味を持った社長は追い払うのを止めて少し観察する事にした
依然として段ボールに苦戦しているが、体重をかけてグイと引っ張ると角の部分からびりりと破けた
古い段ボールだったため所々劣化していたのだ
後ろに体重を掛けた時に急に破けたためチビママンネはバランスを崩して尻餅をついてしまった
しかし、段ボールは大きく破けベビンネが通れるくらいの隙間ができた
「チィ…! チィ…!!」
「ミッミ、ミッミ!」
チビママンネが破いた隙間からベビンネたちが次々と這い出てくる
精一杯であろうスピードでパタパタとハイハイしてチビママンネへまっしぐらだ
尻餅をついたままキョトンとしているチビママンネだったが
箱から出てきて自分に寄ってくる我が子を見ると両手を伸ばし自力で自分の所まで来るよう促した
「ママはこっちだよ」とミィミィと柔らかく優しい声でベビ達に鳴きかけながら
母と子の微笑ましい戯れなのだが、敵陣の真っ只中でやることではない
そしてチビママンネの下にたどり着いたベビ達はそれぞれ思い思いに甘えだした
柔らかなお腹に顔を埋めたり、太ももの毛皮をキュッと掴んで昇ろうとしていたり、ふわふわした尻尾に抱きついたり
チビママンネの小さな体は8匹ものベビンネがくっ付いて忙しいことになっている
「チィィ… チィィ…」
再開を満喫してるチビママンネ親子だったがあの二番目に見つかったママンネの5匹のベビンネたちは気が気ではなかった
チビママンネのベビと同じように隙間から箱の外へ出たベビンネたち
段ボールの周りを闇雲にハイハイしてはチィと鳴き、必死で自分のママンネの姿を探した
自分たちのママンネも来ているに違いない。幼すぎる心でそう信じて
しかしどこにも自分たちのママンネの姿はない。そして横目に見えるは母親に触れ合うベビンネたち
「チィッグ… ヂッグ…」
五兄弟のうちの一匹が疲れたようにハイハイを止め、メソメソと泣き出した
母親が来てくれなかった悲しみ、捨てられたのかもという不安
、そしてチビママンネ親子への羨ましさ
その三つが幼い心の中でぐちゃぐちゃに混ざりあった涙だった
「ミィミ、ミィ」
「チィ…?」
そんなベビンネに、チビママンネはそっと手を伸ばし優しく頬を撫でた
「あなたのママはベビちゃんたちを見捨てたりはしないよ」
そんな事をミィミィと優しい声で語りかけながら
「チィ… チィィ」
ベビンネはほっぺを耳と一緒にチビママンネの手にふわりとくっ付けた
その顔はまるで本当のママンネと触れあっているときのような安らいだ顔だった
「チィィ…」 「チィィ…」
それを見ていた他の4匹のベビもチビママンネへと集まっていく
例え実の母でなくとも母性のぬくもりを切ないほど欲しているのだ
そんなベビンネたちをチビママンネは何も拒否することなく我が子と同じように受け入れた
「ミィー♪ ミミミー ミミミー♪ ミミミィ~♪ ミィ~♪」
「チィィ~ チチィ~♪」
自分の子とお隣さんの子、全てのベビンネが体にくっつくと、チビママンネは子守唄のような歌を歌いだした
子守唄といってもベビンネたちが眠そうな様子はない
それどころか少し外れた音程で真似をするベビもいた
おねむが出来ないほどにベビンネ達はママンネに夢中だった
もう二度と離れたくないと小さな白い手できゅうっと毛を掴み、柔らかな毛皮に頬をくっ付けている
温もりだけではなく、ベビンネはその小さな触角でママンネの命の音を聞くことによって安心感を得るのだ
「へ~、あの子、背は小さめだけど凄いタブンネなのかも」
この一部始終は社長にしっかりと見られていた
そして社長の頭のなかでは、あのチビママンネを排除するのではなく利用する方向に考えが動いていた
突然部屋に入ってきた人間、社長にチビママンネはぎょっとした
ベビ13匹を体にくっ付けている状態ではまともに逃げることは出来ない
もし逃げられたとしても、ベビたちの半分は見捨てることになってしまうだろう
チビママンネは敵を前にしてどうしたらいいか分からなくなってしまっていた
そんなチビママンネに社長はにこやかに話しかける
「怖がらなくていいよ。私は可愛い子タブンネちゃんが大好きなの
可愛い赤ちゃんを見せてくれたお礼にプレゼントを持ってきたよ」
「ミッミ!」
社長がプレゼントと言って差し出したのは丸ごと一個のオボンの実
それを見たチビママンネは目を丸くして驚いた
食料の乏しい場所で生まれたチビママンネにとっては幼い頃にひとかけら食べただけのごちそうだ
それが今、丸ごと差し出されているのだから
受けとる前に、目の前のオボンの実と社長の顔を交互に見比べる
同じ人間と言ってもベビたちをさらっていった怖い男たちとはまったく違う
背は小さくて目も丸くて大きく、高くて柔らかな声もどこか自分たちタブンネに近いように感じる
その優しそうな雰囲気からこの人間は自分達の味方なのではないかとママンネは思い、オボンを受け取った
事もあろうに昨日同じ部屋で捻り殺されたベビンネの兄と同じ致命的な勘違いであった
チビママンネのお腹に顔を埋めてブルブルと震えるベビンネ、
あの社長の殺意を感じ取った個体だけがそれが間違いだと知っていた
「ミッミィミィ…」
「ふふ、美味しそうに食べるね~」
渡されたオボンの実をシャクシャクと音を立てて美味しそうに食べるチビママンネ
体に纏わりつくベビンネたちも一匹を除いてその様子をじっと見ている
丸ごとのオボンの実は1分も経たずに芯も残さずチビママンネのお腹の中に収まってしまった
チビママンネが満足したタイミングを見計らって、社長はお願いを始めた
「タブンネちゃんには、ここに残って赤ちゃんたちのお世話をして欲しいの
ご飯はいっぱいあげるし、ベッドも用意してあげちゃうよ~」
「ミィ?」
チビママンネは社長が言ってる事をあまり理解出来ていなかったが、ここでベビ達の世話をしてれば良いということだけは分かった
ベビの世話は言われなくても喜んでやるだろうが
「チィチィ、チィチィ、チィ!」
母親が食べてるのを見て自分達もお腹が空いてきたベビンネたち
チィチィと鳴きながらチビママンネの皮膚を揺さぶってお乳を催促した
気づいたチビママンネはすぐさま寝そべって授乳の体勢になりそれに応えた
「チィィ!チィィ!」「チィチ、チィチィ!」
本当の子もそうでない子も、ベビンネ達はチビママンネのお腹に殺到した
身長90㎝弱のチビママンネのお腹に25~30㎝のベビンネが13匹も集まったものだから大変だ
お腹の前は小さなピンクの毛玉が折り重なってぎゅうぎゅう詰めになった
チィ!、チィ!、と強い口調の鳴き声が時折ベビンネの塊から聞こえてくる
普段は喧嘩することなどないのだが数が増えたからどうしても乳首の取り合いになる、
おまけに朝から何も口にしてなくてベビ達もお腹が空いて気が立っているのだ
そんな中、ベビンネの塊の中から
一匹のベビンネが這い出してきた。25㎝ほどの小さいベビンネだ
小ベビンネは目に涙を一杯溜め、震える手の弱々しいハイハイでチビママンネの顔へと向かっていく
涙目でチィチィと何かを訴えるベビンネを、ママンネは片手で優しく抱き寄せた
そして「おちびちゃんの分もちゃんとあるからね」と後ろ頭を撫でながら優しい声で慰めている
その光景を見ていた社長は思わず微笑ましい気持ちになってしまった
「よーし、お姉さんがおっぱいのお手伝いをしてあげちゃうよ
ちょっと待っててね」
そうチビタブンネに話してから先程作ったミルクを温め直しに戻ろうとした瞬間、社長はあることに気づいた
(そういえば、イベントで授乳ショーをやるって言ってたよね)
そう、授乳ショーをやるためには
粉ミルクを飲めるようにしなければならないのだ
その為には今すぐにベビンネたちに母乳を絶たせなければならない
「タブンネちゃん、ストップ、スト~ップ!」
「ミッ、ミィッ!?」
社長は寝そべるチビママンネの脇の下に手を回して持ち上げて無理矢理立たせた
急に立たされたもんだからベビンネたちは乳首に吸い付いたまま一瞬宙ぶらりんになってしまい、そしてボトボトと床に落ちた
どうしてどうしてと困惑するママンネに、社長は何とか授乳を止めさせようとする
「おっぱい、あげる、ダメ!」
「ミィッ!ミィィッ!ミィッ!」
簡単な言葉と身ぶり手振りで授乳を止めるように伝える社長
チビママンネにその意図は伝わったのだが、首を激しく横に降り言うことを聞く様子がない
お腹を空かせた赤ちゃんにお乳をあげてはいけない理由などあるのだろうか?
あったとしても、そんなものチビママンネは分かりたくも無いのである
社長も譲歩してもう一個オボンを見せるなどいろいろやったが結局交渉は決裂
横になって授乳の体勢に移ろうとするチビママンネを社長が腕を引っ張って止めるという不毛な争いが10分も続いた
「ンミーッ、ミーッ!ミィーッ!!」
「痛っ、痛い!やめてよ!」
お腹を減らしたベビンネたちを前にして、ママンネの神聖な行いである授乳を何度も止められる…
今まであまり怒った事がないチビママンネも流石に我慢の限界だ
唸り声を上げながら社長の胸やお腹を手のひらでバシバシと叩きだした
小柄で戦闘経験がない未熟なチビママンネだったのでビンタの威力はかなり弱かったが
一応はポケモンの攻撃なので身長160㎝弱の小柄な社長には結構効いている
結局社長は耐えかねて、後ずさりしてチビママンネ親子から離れていった
「うー、そっちがその気ならこっちにも考えがあるんだからねっ!」
「ミッミ!ミッミ!」
涙目になって部屋から出ていってしまう社長
その後も腕を振り回しながら怒るチビママンネだったが、ベビンネたちがぐずり始めてるのに気づいてハッと正気に戻った
そして授乳の再開すべく寝そべると床からスタスタと階段を下りる音が聞こえてきた
「音の間隔からして二足歩行」「体重はさっきの人間と同じくらい」
タブンネに先天的に備わっている能力で無知で未熟なチビママンネでもこのくらいの分析はできた
この2つの情報からさっきと同じくらいの大きさの弱い人間だろうと高を括ってそのまま授乳に入ろうとする
「ガルッ!」
「ミヒィッ!!?」「チィィ!!」
しかしというか、案の定チビママンネの読みは外れていた
駆け足で部屋に飛び込んできたのは、今朝出会ったあの恐ろしいルカリオだ
ルカリオはドリュウズと共にシルフィの見張り兼遊び相手を兄貴分たちに命じられていたのだが
下の階の騒ぎを不審に思いシルフィをドリュウズに任せて様子を見に来たのだ
そうして目に入ってきたのは今朝脅したタブンネがなぜか家の中に居るという異常事態だ
「ミッミッミ、ミィー」
さっき人間を追い払ったことで少しだけ自信が着いたチビママンネ
今朝あれほど怯えていたルカリオを前にしても恐れることは無かった
横になったままベビンネたちを腕で庇いつつ「おっぱいあげてるから静かにしててね」とお願いする
だが今のルカリオにはそんな物を聞く耳は持たない
チビママンネを自分達の家に堂々と侵入し、事もあろうに授乳をしている不届き者と認識しているのだ
もし、社長を攻撃している場面を見られていたら今頃命は無かったであろう
その点だけチビママンネの運は良かった
『ヂーッ!ヂーッ!ヂィィィィィィィ!!ビィーッ!!』
「ワウ! ワウ!」
「ミィッ… ミィッミィーッ!!」
恐怖と空腹でベビンネたちが大声で泣きじゃくる中、ルカリオとチビママンネの戦いが始まった
ルカリオに耳を引っ張って持ち上げられて無理矢理立たされ、その耳に至近距離で怒声を浴びせられるチビママンネ
耳が千切れそうな程痛くて怖かったが、お乳を待ってるベビたちを前にして負ける訳にはいかない
社長にやったようにベシベシ叩いて必死に反撃を続ける
しかし、鍛え上げられた身体に鋼の骨格を持つルカリオには全く効いていない
急所である下顎にビンタが当たっても平然としているのだ
最初は穏便に脅して追い払おうとしていたルカリオだが
ベビンネがのうるささとチビママンネのしつこさにとうとう我慢の限界に
全身に怒りの青い波動のオーラを纏いながら掌に光の塊、波動弾を形作る
だが波動弾がチビママンネの顔面に発射されようとしたその時、大きな工具箱を片手に社長が部屋に戻ってきた
「あっ、ルカリオちゃん駄目だよ、その光るやつ引っ込めてね」
「ガルッ!?」「ミィ?」
社長の一声でハッと我に帰るルカリオ
同時に青いオーラと波動弾は蝋燭の火が吹き消されたようにしゅんと消えてしまった
チビママンネもまた呆気に取られて攻撃の手が止まりキョトンとしている
「いい子いい子~、…そうだ、そのタブンネちゃんを後ろから捕まえといてくれないかな?」
「ワゥ!」「ミィッ?!」
社長のお願いに即座に反応し、ルカリオはチビママンネの後ろに素早く回り込んでがっちりと羽交い締めにした
身長に差があったのでチビママンネの身体は持ち上がって宙に浮いてしまう
ビービーと声を荒げ足をバタバタさせて抵抗したが、力の差は歴然である
「すごくうるさくなると思うけど、ルカリオちゃんちょっと我慢してね」
そう言いながら社長は工具箱の蓋を開け、ゴソゴソと中を探る
そしてそこから取り出したのは、少し大きめのペンチだ
「えーと、ここかな… あったあった」
社長は前屈みになってチビママンネの胸の毛皮をまさぐり、ピンク色の乳首を探し出してペンチの先端で軽く鋏む
「ヒイッ?!」
敏感な乳首へ伝わるペンチの固くてひんやりとした感触にママンネの背中に悪寒が走り、冷や汗が流れる
猛烈な嫌な予感に怯え顔を青くしてプルプルと震えるが、数秒後にその予感は現実の物となった
「ルカリオちゃん、すっごい暴れそうだからしっかりと押さえといてね」
社長はペンチに力を込めて乳首を思いっきり鋏むと、周りの肉ごと乳首をブチリとむしり取った
「ヂビャアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!」
その瞬間、鋭い痛みがママタブンネの乳首から脳天へ、そして全身へと駆け巡る
目から涙が洪水のように溢れ、首も腰も足も、動くところは全部めちゃくちゃに動かしてバタバタと大暴れだ
乳首は神経や毛細血管が集中している場所、その痛みは想像しただけでも寒気がする程だ
乳首が取れた痕からは血液と白い母乳がタラタラと流れだし、クリーム色のお腹を濁ったピンクで汚した
ルカリオもあまりの所行に青い顔をさらに青くしてドン引きしていたが、拘束の手を緩めることは無かった
「うぇぇ~、自分でやっといて何だけどすっごい痛そー…」
「ヒィッ… ヒィッ… ヒィィィッ…」
「でもがんばって、はい、次いってみよー」
悶絶が収まったのを見計らって、社長は次の乳首にペンチで狙いをつける
ペンチの先端が乳首に触れると、チビママンネはガクガクと激しく震えカタカタと歯を鳴らして怯えだした
地獄は始まったばかりだ。乳首はあと七個も残っているのだから
「ジビビーッッ!!クキュウゥゥゥゥゥッッ!!!」
二つ目の乳首をむしり取られた時、チビママンネは全身をビクビクと激しく痙攣させ、失禁して床に水溜まりを作った
もう限界と言わんばかりに白目を剥き、舌をダランと出してゼェゼェと苦しそうに息を吐いている
『チィ… チィチィ… チィィ…』
「ミィ…? ミィ…」
二つ目で限界に達したかに見えたチビママンネだが、ベビンネたちのか細い声がその精神を正気へと連れ戻した
血まみれのペンチを持つ社長の後ろに見えるのは、怯え震えるベビンネたち
目の前で大好きな母親がなす術もなくズタズタにされ泣き叫ぶ… ベビンネたちにとってかなり絶望的な光景である
ベビンネたちの前でこれ以上情けない姿を見せるわけにはいかない…
チビママンネは強い母としての覚悟と共に歯を食い縛り、キッと目の前の社長を睨み付けた
「ミッ!ミッ!ミッ!ミッフィフィィィーン!!!」
だがそんな覚悟も乳首をもぎ取られる毎に薄れていき、三つ目をむしられた時には跡形もなく吹き飛んでしまった
こうなるともはやベビ達の姿は目に入らなくなり、
痛みから逃れるために情けなくミィミィと泣きながら社長に命乞いをするのであった
だが社長にそんなものは通用しない
六つ目の乳首も容赦なく千切り取られ、部屋中に悲鳴を響かせるのであった
「最後は二つ同時にやっちゃうよ~♪」
右手にペンチ、左手にラジオペンチを持ってカチカチと鳴らす社長
言葉は分からずともやろうとしてることを察したチビママンネは震え上がり、ふるふると首を横に振った
もちろん許されるはずもなく、お腹に最後に残った二つの乳首にペンチが襲いかかる
「ヂビガァァァァァァァーーーッッ!!!!」
「あ、一個失敗しちゃった」
二つの乳首のうち左手のラジオペンチの方が完全には取れずに皮と乳腺と血管でぶら下がってるという状態になっていた
血と母乳だらけの傷口から垣間見える白い筋が非常に痛々しい
チビママンネの方は叫び尽くして行きも絶え絶えと言った感じだ
そんな状態でも社長は妥協せず、取れかけのままだと気分が悪いのでしっかり全部取ってしまう事にした
「えーと、この筋が硬いんだねー」
「オギョワギョオオオオオオ… カッ…」
社長がラジオペンチを傷口に突っ込んでぐちょぐちょとかき回しながら先端で筋を摘むと
チビママンネは目をギョロギョロと出鱈目と動かし、もはやタブンネの鳴き声ではなくなった声で喘いでいる
痛すぎてもう発狂する寸前なのだ
そして筋を力ずくでブチッと引き抜かれると、チビママンネはガクンと気絶してしまった
「はい、終わったよ~。あとはこれで仕上げっと」
血を拭き取り、パウダーを吹き付けて傷口を塞ぐタイプの傷薬を乳首の痕に一つずつ吹き付けていく社長
処置が終わってルカリオが解放すると、チビママンネは力なく床にバタンと倒れこんでしまった
「あ、ミルク暖めて持ってこなくちゃ
ルカリオちゃん、タブンネちゃんたちが変なことしないように見張っててね」
社長はルカリオとタブンネたちを残してまた部屋から出ていった
「たかが赤ん坊と気絶してるタブンネがどんな悪さをするというのだ」
そんな事を思いながらルカリオはダルそうにタブンネたちを見下ろす
そんな中床にうつ伏せに倒れたチビママンネにベビンネたちが弱々しいハイハイでよろよろと集まっていく
もちろんすぐ傍で怖いルカリオが睨んでいるのはベビたちにも分かる
しかし、恐怖よりも耐え難い空腹の方が勝っているのだ
「チィィ… 」「チィチィ… 」「チィチ、チィチ…」
「ミィ… ミィ!!」
か弱く悲痛な乳を求める声と、たくさんの小さな手に触れられる感触がチビママンネの意識を現実へと引き戻した
そうだ、お腹を空かした赤ちゃんたちにお乳をあげなくちゃ…
ズキズキとした激しい痛みと朦朧とした意識の中、ただそれだけを思い出し授乳の体制をとるチビママンネ
ベビンネたちはハイハイで再びお腹の前に集まった
「チィィ?」「チィ?」
先陣を切ってお腹にたどり着いたベビンネたちが不思議そうに鳴いた
乳首がどこにもなくて、あったはずの場所には白くてザラザラした何か(傷薬)があるだけ
それならばとその周りの毛皮に顔を埋めて探すが、乳首はどこにもない
「ミッ… ミィ… ?」
チビママンネもまた自分の身体に違和感を感じていた
大勢のベビたちがお腹の前に集まっているというのに、誰もお乳を吸ってこない
あの身体の中からお乳が吸われていくむず痒いけど心地よい感覚がやってこないのだ
そんな中、ベビンネのうちの一匹が我慢できずに傷薬を塗った傷口にパクリと吸い付いた
「ミピィ!!」「ヂボェッ!!」
急な激痛に驚き、ママンネは叫んで横になった状態から飛び起きてしまう
処置をしてあるとはいえ出来立てホヤホヤの敏感な傷口に食い付かれるのはかなり痛い
一方、吸い付いたベビンネの方は涎を大量に垂らしながらオエオエと嗚咽している
何故かというとポケモン用の傷を覆い隠すタイプの傷薬はポケモンが付けた薬を舐め取ってしまわないようにかなり苦い味がつけてあるのだ
その苦味はカンポー薬の数倍とも言われている
ルカリオは舐めてしまったベビンネを苦い顔つきで見つめていた
実はルカリオもリオル時代に自分に塗られた傷薬を舐めて苦い思いをしたことがあるのである
一生の思い出に残る、それほどの苦味だ
それをただでさえ敏感な赤ちゃんの舌で思いきり味わってしまったのだからもうたまらない
「…エッ!ォエッッ!! ェエーッ!… ハァ… ハァ…」「ミィ… ミィ…」
苦味がなかなか口の中から消えず、床に涎と涙をポトポト落としながら激しく嗚咽するベビンネ
チビママンネは優しく声をかけながらその背中を優しく擦って慰める
他のベビンネたちはその様子を心配と不安が入り交じったような心境で泣きもせずにじっと見ていた
ベビンネを慰めてるうちに、チビママンネの目から涙が数滴こぼれ落ちた
「なんでお乳を吸おうとしたベビちゃんがこんなに苦しんでるんだろう」
「どうして吸われたときあんなに痛かったんだろう」
疑問と悲しみが頭の中をぐるぐるする中、チビママンネ何気なしにベビに吸われて痛かった部分に手を触れてみた
「ミィ…? ミ!?」
傷を触った時、チビママンネは猛烈な違和感を感じた
そこにあるはずの大事な出っ張りが完全になくなっている
そんなはずはないと痛みを堪えて軽く絞ってみるも、傷薬のコーティングに血が滲むだけ
おバカなチビママンネはようやく自分の体の状態と、あの拷問の意味を理解した
「ミッ… ミグッ… ヒグッ…」
チビママンネはガクガク震えだし、瞳から絶望の涙が止めどなく流れた
目の前にいるまだ乳離れしてない8匹の我が子と5匹の大切な友達の子供たち
何よりも大切で愛しいベビたちが飢えて苦しみ、そして死んで行く…
想像しただけでも胸が張り裂けそうな未来が、確実に訪れようとしている
なぜ、ここからベビたちを連れてすぐに逃げ出さなかったのか
なぜ、ルカリオと戦おうと思ってしまったのか…
なぜ、8匹もベビを作ってしまったのか…
様々な絶望と後悔がチビママンネの心の中で膨らんでギチギチと胸を締め付ける
「ヂッ… ヂビッ…」「ビィィ… ビッ…」
チビママンネの絶望に呼応して7匹のベビンネたちもグスグスとぐずりだした
嗚咽ンネのはまだ嗚咽したままだが
タブンネは他者の感情に敏感なポケモン。血の繋がった親子なら尚更だ
ベビンネたちもまた、自分の将来が閉ざされてしまったのを母の心の音から察したのだ
その絶望と悲しみはやがてお隣さんのベビンネたちにも伝わり、やがて涙の大合唱へと発展していった
そんな泣き声の嵐とたまに聞こえる嗚咽の中、部屋のドアがガチャリと開いて社長が戻ってきた
ミルクが詰まった哺乳瓶を満載した箱を持って
「ふぇー、重い… ルカリオちゃんに手伝ってもらえば良かったよー」
「ミィ… ミィ…」
ここは社長に怒りの一撃を食らわしてやるのが筋なのだろう
しかし、乳首を奪った張本人である社長が目の前にいてもママタブンネは座り込んだまま動かなかった
余りにも深すぎる絶望で身体が動かせないのだ
「お待たせ~、お腹空いてるでしょ。ミルクの時間だよー」
社長は箱を床に置き、一本の哺乳瓶を取りだして飲み口をベビンネに近づける
しかし向けられたベビンネは口を固く閉じて後ろに引いてしまう
さっきと同じように哺乳瓶からミルクが出てくると理解できないのだ
「うーん、やっぱり飲まないなぁ… これならどうかな?」
今度は自分の手の甲にミルクを数滴垂らし、そっとベビンネたちの前に差し出してみる
すると匂いに惹かれた一匹のベビンネが社長の手の甲に近づいてきた
少し怖がって恐る恐るなゆっくりとしたハイハイだったが、社長の手に辿り着き手の甲のミルクをペロリと舐めた
「…!!」
ベビンネは目を見開いて静かに驚いた
母親のとは少し違うが、確かに待ち焦がれていたお乳の味だ
なぜ人間の手の甲からお乳が出ているのか?
そんな事は空腹の極限状態であるベビンネは気にも留めなかった
ただ手の甲のお乳を塗ってあった場所に夢中でむしゃぶりついて皮膚をチュウチュウと吸っている
もちろん人間の手からお乳は出てこない
だが、ベビンネはお乳が出ると信じて力一杯手の甲を吸い続ける
小さな手で社長の指をしっかり掴み、涙まで流しながら
「あいたた、おっぱいはこっちじゃないよー」
「ヂッ? ジビッ… ビーッ!」
少し痛くなってきたので社長はプルプルと少し手を振ってベビンネを振りほどいた
手の甲の真ん中なベビンネの口の形にほんのり赤く充血していたのでけっこうな力で吸っていたのが分かる
一度は手を離したベビンネだったがは焦った声で鳴きながらまた社長の手にすがり付いた
朝からお腹がカラッポのベビンネにとっては生きるか死ぬかの瀬戸際なのだ
数滴とはいえミルクを見てしまえば必死になるのも無理はない
「ベビちゃんのは、こっち!」
「チグッ?!」
社長は手の甲を吸おうとする横から哺乳瓶の吸い口をベビンネの口に無理矢理突っ込んだ
もちろんベビンネは嫌がって押し退けようとする
しかし、押し込んだ拍子に吸い口から飛び出したミルクが数滴舌の上に落ちると態度は一変
素早く哺乳瓶を掴んでゴクゴクとすごい勢いで飲みだした
「チィィ…?」「チイ?」「ミ?」
他のベビンネたちとママンネはミルクを飲んで喉を鳴らす音に反応し、視線を社長とミルクを飲むベビに集める
世の事は何も知らないベビ達にもその音がミルクが喉を通る音だという事は分かる
兄弟たちの喉で鳴るその音をすぐ隣で聞いているからだ
そして一匹、また一匹とハイハイを始め、しゃがんでミルクを飲ませている社長の下へと集まっていく
「チィチィ!」「チッチ!」「チーッ!チーッ!」
「えわわ、ちょ、みんなにもちゃんとあげるから待ってね」
12匹ものベビンネに群がられると流石の社長も焦った
ベビンネたちは足やお尻を小さな手で揺するように押したり
エプロンの紐やスカートの裾を引っ張ったり、ミルクを飲むベビンネぴったりくっついて横から吸い口をペロペロ嘗めたり
ふくらはぎにできていたおできを乳首と勘違いしてチュパチュパ吸ったりと大騒ぎだ
やられている社長はたまった物ではないが、この全ての行為はただお乳が欲しいが為だけの必死なおねだりなのだ
「ほらほら、ミルクはここだよ~!」
『チィーッ!!』
困った社長は無理矢理片手に3本ずつ哺乳瓶を持って群れるベビンネ達の目の前に差し出す
すぐに全ての哺乳瓶にベビンネが食いついてミルクを飲み始めた
が哺乳瓶が6本に対しベビンネは13匹
まだ半分以上のベビがミルクからあぶれたままである
結果哺乳瓶の周りはギュギュウの押し合いになり、ヂーヂーと声を荒げて喧嘩するベビも出てきた
チビママンネはそんなベビンネ達をミィ、ミィとあやす時の声で鳴きながら頭や背中を撫でてなだめようとするが
ベビ達の注意は完全に哺乳瓶の方に向いていてなんの効果も無かった
「そうだ、ルカリオちゃんも手伝って!そこの箱に哺乳瓶入ってるからベビちゃんにあげてね」
「ワフ?」
ルカリオは指示に戸惑いながらも箱から哺乳瓶を取り出して両手に1本ずつ持ち
そして膝をついて吸い口をベビンネ達に向けた
オスなのでこういう事には慣れてないのだ
「チィ?」「チィィ?」
「クゥ~ン…」
哺乳瓶に気づいたベビンネ2匹がそろそろとしたハイハイでルカリオに近づき、持っている哺乳瓶から恐る恐るミルクを飲み始めた
やはり社長よりか見た目が怖いので若干警戒しているのだ
ルカリオも慣れない猫なで声など出して頑張ってはいるのだが
「チィ… チィ… 」
「ミィ…」
ベビンネの押し合いの中から一匹がよろよろと抜け出してきた
先程チビママンネが授乳しようとした時、乳首争奪戦に負けてママンネに慰められていたあの25㎝ほどの小さいベビだ
知らないベビにも、仲良しだった兄弟たちにも揉みくちゃにされ、押し退けられて今までにないほどに泣いたのであろう
顔の毛皮を涙でくしゃくしゃに濡らした、この上なくみじめで悲しみに溢れる顔だった
その顔を更に涙と鼻水で濡らしながら、小ベビンネは震える手のハイハイでチビママンネに近づいていく
そんな小ベビンネをチビママンネはそっと抱き上げて、濡れた顔をペロペロと嘗めて綺麗にしてあげた
くすぐったいのと嬉しいのとで、小ベビンネは「チッチッw」と少しだけ笑った
その笑顔とは裏腹に、小さなお腹はキュルキュルと鳴り悲痛に空腹を訴えるのだった
そしてその音は、お腹を空かした我が子に何もしてあげられない無力なチビママンネの心を、キリキリと締め付けるのであった
最終更新:2017年05月17日 18:17