都会派タブンネ

ヒウンシティを彷徨く一匹のタブンネ。
艶やかな毛並みにふくよかな身体。
トレーナーのものだろう。
耳にはピンクのリボンが付いていることから、大層可愛がられているようだ。
しかし、そのミィミィと可愛い鳴き声は鼻声で、目には涙が浮かんでいる。
近くにあるヒウンアイスの屋台を見るに、甘い匂いに釣られて主人とはぐれてしまったのだろう。
「ミィ~、ミィ~…」
声色が涙声になりながら、道行く人に必死に助けを求める。
しかし、都市部に住む人々は余裕のない生活故に冷たいもの。
誰一人としてタブンネに声をかける者はいない。
酷い時は縋りつこうとするタブンネに不快そうな表情を浮かべ、突き飛ばす者もいた。
「ミィ…ミャァァァン!」
溺愛されて育てられてきたため主を探しに行くということも出来ず、とうとうその場に座り込み泣き出してしまった。
もうすっかり暗くなった夜、静寂を望む人々は無駄に甲高いタブンネの鳴き声に眉を顰める。
「ぅぅるさぁいぞぉ!」
そんな中響き渡った男の声。
タブンネはビクリと身体を震わせ、目の前を覆う人影を見上げた。
そこにいたのはタブンネの大好きなご主人様ではなく、スーツを着くずした中年の男。
頭に巻かれたネクタイに、真っ赤な顔。実に分かりやすい酔っ払いである。
恐らくタブンネの鳴き声が癪に触ったのだろう。
涙目で見上げるタブンネを憎らしそうに睨みつけている。

「ミィミィ♪」
しかしタブンネはそんな事には気付かず、漸く自分を助けてくれる現れてくれたと、可愛らしい鳴き声で酔っ払いに抱きついた。
酒臭い臭いにタブンネが顔を歪めた直後、酔っ払いの膝がタブンネの腹にめり込んだ。
「ミャッ……!」
短い悲鳴と共にタブンネの身体が宙に浮かんで落ちた。
味わったこともない痛みにうずくまるタブンネを、酔っ払いは更に蹴りつける。
「もう夜だぁろぉが!少しは静かにしろやぁ!」
酔っ払いの爪先がタブンネの腹に、顔に、背中に、次々に打ち込まれる。
普通のポケモンならばこの時点で抵抗するものだが、溺愛された故にバトルの経験もないのだろう。
身体を丸めて本能的に急所を隠す程度しか出来ていなかった。
通行人も凶暴な酔っ払いに自らが巻き込まれることを恐れ、タブンネを気の毒に思いつつも助けに入ることはない。
「そぉんな、いけないポケモンにはおぉしおきだぁ!」
「ピャアァ!?」
酔っ払いはサッカーボールを蹴るように助走をつけてタブンネを思い切り蹴り飛ばした。
吹き飛んだタブンネはゴミ捨て場に激突し、ゴミ袋の山に沈んだ。
「なぁんだぁ?お前それでもポケモンさんかぁ~?」
ゴミの臭いと痛みからゲホゲホと咽せているタブンネの尻尾を掴み上げ、酔っ払いは怒鳴りつける。
タブンネはというと尻尾が弱点なのか、身体をじたばたさせ泣きじゃくる。
「よぉし、おじさんもそこそこのポケモントレーナー!軟弱なお前を鍛えてやろう!来~~い!」
嫌がるタブンネの尻尾を持ち、引きずりながら酔っ払いは街外れに進んで行った。

辿り着いた先は4番道路。
常に砂嵐が吹き付ける為、未だ未開発な場所でもある。
普通ならば夜に近寄るような場所ではないのだが、酔っ払ってるせいでその辺の判断もついていないのだろう。
「よぉ~し!この辺でいいだろぉ!」
男は一人叫び納得すると、引きずってきたタブンネを離した。
タブンネはというと、砂道を引きずられてきたせいでお腹は砂だらけで、至る所に擦り傷がある。
慣れない環境、受けたことのない仕打ち、そして男に対する恐怖に解放されても身体を丸めてうずくまったままだ。
その態度が酔っ払いの怒りには火に油。
再び尻尾を掴み渾身の力で、砂の深い場所に投げ飛ばした。
「ミュブ!?」
砂が鼻と口に入り、妙な声を上げるタブンネ。
酔っ払いはそのまま砂に沈めんばかりの勢いでタブンネを踏みつける。
「ほらほらぁ!このままじゃ砂に溺ぉれちまぅぞ!」
いつの間にか頭を掴まれ、砂に押し付けられる。
「ブミュア!?ミィ…ブ!」
鼻と口に砂が入ると共に酸素を吸うことが出来なくなり、タブンネの手足のばたつきが徐々に弱くなっていく。
そこで酔っ払いは我に返ったようにタブンネの顔を砂から上げる。
「いぃかんいかん。死んじまうとこだったわぁ」
酔っ払いはタブンネの頭を握ったまま一人納得したように頷く。
当のタブンネは虚ろな表情で鼻と口から砂をこぼしている。
「しぃぃかし、ここまで軟弱だぁといかんなぁ」
目覚まし代わりにタブンネの顔面に拳を打ち込み、酔っ払いは思案する。
どうすればこの豚の根性を叩き直せるかと。
家に帰る道のりに当てるべき時間を使い、考える。

「ぅぅん?」
酔っ払いは両手を目に当てえぐえぐと泣いているタブンネの耳に、ピンク色の可愛らしいリボンが付けられていることに気付いた。
「なぁんだぁ!その趣味の悪いピンクの紐はぁ!」
怒鳴り声に更に身体を縮こませるタブンネのリボンが付けられた耳を、酔っ払いは掴み上げる。
「ピャア!ミッ!ミィミィ!ミィ!ミィ!ミィィィィイ!!」
すると急に奇声を上げ今までにないほどに暴れ出すタブンネ。
恐らく大切なリボンを取ろうとしている酔っ払いの意図に気付き、それだけは阻止したいのだろう。
耳が痛むのも構わずに頭を左右に激しく振り、酔っ払いを引き剥がそうとする。
「うぅるさいわぁああ!」
酔っ払い渾身の右ストレートがタブンネの頬を捉え、その身体を吹き飛ばした。
肝心のリボンは頭を振り回したせいかタブンネの血の滲む耳を離れ、砂だらけの道路に落ちた。
「ミ…ィ……!」
タブンネは暴力と砂嵐に痛む身体に鞭を打ち、必死に這いリボンへ向かう。
しかし、そのスピードはツボツボ以下のものだった。
当然リボンは酔っ払いに拾われてしまう。
「ミャァァアァア!」
大粒の涙を流し、返して返してと泣きじゃくるタブンネ。
そんなタブンネの背中を踏みつけ黙らせると、酔っ払いはリボンをタブンネの目の前でひらひらさせ言い放った。
「こぉいつを返して欲しけりゃあ、ここからヒウンシティまで帰って来ぉい!」
言葉の最後にタブンネを蹴り飛ばし、酔っ払いは左右に揺れながらヒウンシティに戻っていった。
当然タブンネのピンクのリボンを持って。
「ミィ…ピィ……ミィ」
酔っ払いの姿が見えなくなってからもしばらく、タブンネは鼻を啜りぐずついていた。
その間も吹き荒ぶ砂嵐が身体を痛みつける。
「ミ……ィ………」
やがて弱々しく立ち上がったタブンネは、先程の酔っ払いよりもフラフラした足取りで、ヒウンシティへ歩いていった。


時間は既に丑三つ時。
明かりの少ない4番道路を、弱々しい足取りでタブンネは進む。
普段なら毛布の中ですやすや寝息をたてている時間。
眠気に誘われてもおかしくないのだが、砂嵐の痛みと暗闇への恐怖が、タブンネから睡魔を奪い取っていた。
ご主人様に会うため、大切なリボンを返して貰う為、一心不乱にヒウンシティを目指している。
つもりなのだが、目に入る砂を手で擦りながら歩くせいで、前を見ておらず足取りはお世辞にも良いとは言えなかった。
「ミィ……ミギュゥ…」
砂嵐が目や身体に当たる度に小さな悲鳴を上げるタブンネ。
特に目の痛みはタブンネにシャンプーが目に入った時を彷彿とさせた。
その時はご主人様が優しくシャワーで洗い流してくれた事を思い出し、更に涙が溢れてくる。
前を見ず、涙に歪んだ視界での覚束ない足取り。
幾度となく足を砂に取られ、頭から突っ込み砂まみれになる。
そこでまた泣き出し、歩みは止まる。
何とか泣き止んで弱々しく歩き出す。
先程からこの繰り返しだ。
そのせいで艶々の毛皮やもふもふの尻尾は、見る陰もない程に逆立ち縮れていた。
端から見ればポケモンなのに砂嵐くらいで何を。と思うかもしれない。
しかし、街のお散歩が最大の遠出なこのタブンネに、砂嵐吹き荒れるこの道を進むことはヒトカゲに「おい、波乗りしろよ」と言っているようなもの。
十二分に頑張っていると言えよう。

しかし、それも長くは続かなかった。
「ミッ……」
急に全身の力が抜け、呆けた声を上げながら地に倒れ込む。
地面とのキスはもう何度目か分からない程。
流石に慣れてきたのか、泣きそうになりながらも何とか身体を起こそうとする。
「ミ……?」
しかし、幾ら力を込めても起き上がれない。否、どんなに頑張っても力が入らないのだ。
可愛がられて育てられた故の、致命的な体力不足。
それに加え酔っ払いによる暴行。
迷子になってからの精神的不安。
といった種々の要因が重なって、とうとう身体の方が限界を迎えたのだ。
俯せのまま動けないタブンネの身体が、容赦なく砂に覆われていく。
このままでは完全に埋まるのも時間の問題だろう。
「ミィ……ミィ…」
助けて――助けて――
と弱々しくも精一杯鳴くが、それがご主人様に届くことはない。

頭が完全に埋まりかけたところで、不意にタブンネの身体が砂から上げられた。
またも掴まれているのは尻尾。
弱点を掴まれた苦痛に顔を歪めるが、今はそれよりも助けられたことがありがたかった。
お礼を言わなきゃ!
と弱った身体でどうにか後ろを向くと、尻尾を掴んでいるのはグラサンのような
模様を目の周りに持つポケモン―ワルビルだった。
周囲には大量のメグロコもいる。
皆いかにも肉食な牙に大きな口。
温室育ちのタブンネでさえも、今自分が置かれている状況は十分に理解出来た。

何とか暴れて抵抗したいが、もう手も足も棒のように動かない。
ワルビルがわざと舌なめずりをすると、タブンネの身体はガタガタと震えだす。
「ミィ…ミィ…」
必死に許しを乞うが、過酷な砂漠にこんな美味そうな肉が転がっていれば見逃す理由はない。
ワルビルがタブンネを放り投げると、そこに大量のメグロコが群がってくる。
「びゃぁあぁぁぁあぁあaAaAAaaA!!?」
幾ら喉が乾いていようが、文字通り肉が食いちぎられる痛みに絶叫せずにはいられなかった。
手始めに尻尾を食いちぎられ、続いて脇腹、腕、耳と肉を失い、血が吹き出す。
自分の身体が無理矢理引き剥がされる苦痛に、タブンネの脳は四肢に限界を超えて暴れることを命ずる。
しかし先程と同じく、温室育ちのタブンネが野生で生きてきたメグロコ達に叶う筈はなかった。
抵抗虚しく次々に身体の一部を失っていく。

「グルァァア!!」
しかしそれは、突如響いた咆哮によって終わりを迎えた。
一斉にタブンネから離れるメグロコ達。
やって来たのはメグロコの最終進化系――ワルビアルだった。
ワルビアルがメグロコ達を睨み付けると、ボスらしきワルビルも蜘蛛の子を散らしたように逃げていった。
ワルビアルは顔以外が真っ赤なタブンネを見下ろす。
その身体は非道いものだった。
腕や足、脇腹は食べかけのフライドチキンのようになっており、当然尻尾はない。
幸い致命傷は避けられていたようであるが、出血量は無視出来るものではないだろう。
メグロコよりも遥かに大きく強そうなワルビアルにタブンネは絶望した。
もう助からない――
このワルビアルは自分を丸呑みにするつもりなのだ。
タブンネは諦めたのか、泣いたまま静かに目を閉じた。

しかし、食われる時は何時までたっても訪れなかった。
代わりに軽い痛みの直後、身体が浮かび上がる感覚。
恐る恐る目を開けてみると、そこには自らを抱え歩くワルビアルの姿があった。
どういうことなんだろう?
タブンネは触覚を伸ばしワルビアルの身体に触れてみた。
「お前、この辺の奴じゃあねぇだろ?大方、ご主人とはぐれたってとこか?俺様はああいう弱ぇ奴を集団で痛ぶる小物は大嫌いでね。一つヤキを入れてやったのよ。テメェを助けるつもりじゃなかったんだがな……糞ッタレ」
そこで思考するのをやめたのか、それ以上ワルビアルの気持ちは分からなかった。
しかし、タブンネにはそれで十分だった。
運ばれる間、タブンネはワルビアルにミィミィとお礼を言い続けていた。

夜が明け、ヒウンシティに着いたワルビアルは人目に付かない裏路地にタブンネを放り投げ、帰っていった。
肉が剥き出しの箇所もある身体にそれは苦痛だったが、今はひとまず街に戻れた
ことに安堵し、ワルビアルには感謝してもしきれなかった。
しかし既に体力は限界。
至る所で肉が欠けている身体。
もう這って進むことも出来なかった。
しかしここならば――
「ミィ!ミ、ィ!」
頑張れば誰かが、ご主人様が気付いてくれるかもしれないと、なけなしの力を振り絞り懸命に鳴く。
しかし動き出した都会の喧騒は弱ったタブンネの鳴き声などたちまち掻き消してしまう。
頑張りも虚しく、段々と視界が狭くなってきたその時、タブンネのレーダーの如き聴覚が聞き覚えのある声を聞き取った。
その声の主は忘れもしない、ご主人様のものだった。
姿は見えないが、近付いてくるその声にタブンネの心は震えた。
神さま、ワルビアルさん、ありがとう。
タブンネは必死にご主人様の声を聞き取り、直ぐに鳴いて知らせようと思った。
瞬間、タブンネの耳に信じ難い声が入ってきた。
「うーん、よく似合ってるよタブンネちゃん」
「ミィミィ♪」
それは、自分とは違うタブンネの声。
何で―――?
どうして私じゃないタブンネがご主人様といるの―――?
タブンネの頭は真っ白になるが、優れた聴覚は残酷にもご主人様の言葉を聞き取り続ける。
「あのタブンネちゃんがいなくなっちゃったのは残念だけど、まさかそのすぐ後に色違いに出会えたなんて私ラッキー!」
言葉の意味はただ一つ。
自分はご主人様に捨てられたということ。
二重の意味で意識が遠退いていくタブンネの視界が捉えたのは、裏路地を通り過ぎるご主人様と色違いタブンネの姿だった。
色違いタブンネの耳には、自分と同じリボンが付けられていた。
嫌だよ―――
ご主人様、私を忘れないで―――
こんなに痛くて苦しいの――――
助けて、助けて、助けて、助けて――――
た、す、け、て――――

「しっかしアンタ、ポケモン逃がしたりなくしたりしすぎだよー!」
「しょーがないじゃん!あのタブンネだって勝手にどっかいなくなっちゃったんだしー」
「タブンネだけじゃなくて、アンタこないだもポケモン逃がしてたじゃん。何だっけアレ?」
「ああ、ワルビアル?だって大きくなり過ぎて可愛くなくなったんだもん」
「まー確かにねー。って何コレ?」
「うわ、汚いリボン。しかもウチのタブンネちゃんとお揃じゃん。気持ち悪、どっかやっちゃいなよ」
「はーいはい」

投げ捨てられたリボンは風に揺られ、裏路地の方へ入っていった。
リボンは確かに、タブンネの元へと戻っていった。
最終更新:2014年07月08日 00:12