茶屋前の決闘 ◆F0cKheEiqE
暗闇の中、二人の男が相対している。
双方ともに、暗くてよく顔が伺えない。
「お前は人を殺すな?」
一方の男が問うた。
それは問答であった。
「ハイ」
もう一方の男が弱々しく答えた。
「居たたまれないからでございます。必要からでございます」
「活きて行く上の必要からと、こうお前は云うのだな」
「ハイ、左様でございます」
「心の中に鬼がいて、それが私を唆して、人を殺させるのでございます」
「もし唆しに応じなかったら?」
「あべこべに私が殺されます」
「ハイ、その心の鬼のために食い殺されるのでございます」
「自滅するのでございます」
「しかし、たとえ、人を殺しても、お前の心は休まらない筈だ」
「ただ、血を見た瞬間だけは…」
「心の休まることもあろう」
「しかし直ぐに二倍となって、不安がお前を襲う筈だ」
「で、また人を殺します」
「すると直ぐ四倍となって、不安がお前を襲う筈だ」
「で、また餌食を猟ります」
「血は復讐する永世輪廻!」
「で、また餌食を猟ります!」
「で、復餌食を猟ります!」
「で、復餌食を猟ります!」
「で、復餌食を…」
「で、復餌食を…」
「 地 獄 だ 、地 獄 だ !」
「 血 の 池 地 獄 !」
「 無 間 地 獄 だ あ ~ っ !」
絶叫が暗闇に響いた。
◆
ろノ伍、「ろごう茶屋」。
そこの軒先に、一人の男が横たわっていた。
宗匠頭巾を被り、十徳を着て、
白い革足袋と福草履を履いている。
年のころは三十の後半といったところであろうか。
恐ろしく美しい男であった。
しかし同時にひどく不気味な男であった。
鼻高く眼長く、唇薄くその色赤く、眉は秀でて一文字に引かれて、と、
青白い顔は、部分部分は非常に整った物であったが、
総合してみるとひどく不自然であった。
蒼白の額や、げっそりと削げた頬、精気の無い瞳は、
まるで男が生き物で無いかのような印象を人に与える。
仮面。
そう、仮面である。
男の顔は精巧に作られた仮面のように、
不自然に整いすぎているのだ。
男がひどく無表情なのも、その不自然さに拍車をかけていた。
男は横たわったまま、ぼんやりと月を仰ぎ見ている。
頭の傍には枕の様に、朱の鞘の打刀が一振り横たえられていた。
青白い月明かりが、
よりいっそう男を幽霊のように見せている。
男が不意に身体を起こし、
東の方へ眼をやった。
すると、一人の男が歩いてきた。
三度笠を被った牢人風の男だ。
脚絆に草鞋をはき、袴を履かずに、
色の褪せ垢じみた裾の短い黒紋付を着流している。
一見すると乞食に見えない事もない、みすぼらしい風体だが、
何処となくその長身を包む野生染みた風格がある。
刀は差しておらず、背に行李だけを背負っている。
その男が、ろごう茶屋の前を丁度通りかかった時、
十徳の男が、三度笠の男に声を掛けた。
「肋、一本、置いてきなせえ!」
「何?!」
三度笠の男の歩みが止まった。
「肋、一本、置いてきなせえ!」
十徳男がまた言った。
「金を置いて行け」という謎かけである。
三度笠の男はしばらく黙っていたが、
にゅっーと、笠の縁の下から覗く口を三日月型に歪めると、
「無いな」
「何?」
「無い、と言ったんだ、貴様のような奴に渡す物など・・・」
牢人風の男は、三度笠を放り投げた。
「肋は愚か、指一本爪一片とてありはせん」
そう啖呵を切った。
三度笠の下から出て来たのは、
男臭い凄絶な顔であった。
赤茶けた蓬髪、三角形の琥珀色の瞳、
まばらな針みたいな髭をはやした高い頬骨があり、鼻梁は高い。
不動明王を思わせる魁偉な容貌であった。
この殺し合いに参加している、
ある人物とよく似た風貌だが、
単なる偶然であろうか。
「刀もねぇのに、いい度胸だねお前さん」
「貴様なんぞには刀を使うまでもない」
「こりゃ面白え、いい度胸だ。…ひとつ名乗りが聞きてえものだ」
十徳男は立ち上がった。
手にはいつの間に抜かれていたのか、
怪しく光る白刃が閃いている。
男の体から、血の臭いが仄かに香る。
男は人斬りであった。
男が不意に笑った。
不気味な笑いであった。
「ハハ」でもなければ「ヒヒ」でもない。
その中間の、陰性を帯びた幽霊のような笑いであった。
「まあ、言った手前、こっちから名乗らせてもろうか」
「しかし、名前など捨てて久しいが・・・強いて名乗らば」
「青木ヶ原住人、三合目陶器師(すえものし)」
◆
昔、小田原北条氏の家臣に、北条内記という人物がいた。
姓が示すとおり、主君たる北条氏の縁故者で、
大層な勇士であり、主君の覚えも非常に良かった。
彼は侍大将の筆頭だった。
剣の達人でもあり、家中にも彼ほどの使い手はそうはいなかっただろう。
使う流派は一羽流で、師匠は師岡一羽の高弟、土子土呂之介。
片手剣が閃けば、如何なる相手も一刀両断であった。
妻は家中随一の、誰もが羨む美女であった。
ああ、絵に描いたような幸福な生活!
順風満帆な人生!
こうして情報を文字で並べただけならそうである。
しかし、そんなものは『空想』に過ぎない。
彼には一つの欠点があった。
致命的な欠点があった。
ただ一つ、それ故に彼の幸福は上辺だけの『空想』に成らざるを得なかった。
飛び出した額!
扁平の鼻!
左右不揃いの釣り上がった眼!
衣裳の裾のように脹れ上がり前歯をむき出した上下の唇!
左半面ベッタリと色変えている紫色の痣!
何と厭らしい顔だろう
何と浅ましい顔だろう
彼はあまりに醜かった。
それ故に、彼の栄光には、常に人々の悪意が纏わりついていた。
どれだけ功績をあげようとも、
どれだけ武勲を挙げようとも、
称賛の陰には常に蔑みがあった。
妻もまた彼を疎んでいた。
妖艶とすら言えた彼女は、
徐々にこの醜い男から離れつつあった。
彼女は遂に情夫と逐電した。
同情は姦婦姦夫に集まった。
『北条内記の面相なら、連れ添う女房でも厭になろう』
『その女房の園女と来ては、家中一等の美人だからな』
『旨くやったは伴源之丞、あの園女を手中に入れ、他国するとは果報者だ』
『その又伴源之丞と来ては、家中一番の美男だからな。似合いの夫婦というやつさ』
内記は逃げ出すように女仇討ちの旅に出た。
しかしどれだけ探せど見つからない。
終いには青木ヶ原の樹海に迷い込んだ。
彼の心は、羞恥と嫉妬と憎悪の坩堝なった。
その感情の奔流は、日が経つにますます強くなった。
その感情がもはや極限まで来た時、
北条内記という人間は死んだ。
そして新しい怪物が生まれた。
それは殺人鬼。
それは吸血鬼。
青木ヶ原に不幸にも迷い込んだ旅人を悉く斬り捨てる、
剣に淫する物狂い。
その名は、三合目陶器師。
◆
「陶器師?賊の分際で数奇者気取りか?」
牢人男は侮蔑的な笑いを込めて言った。
「いやなに、そっちが本業よ」
「富士の三合目あたりで、モノを焼きながら稼ぎをするのよ」
「なるほど、それで三合目陶器師」
「人はみんなそう呼ぶねぇ・・・では、改めて肋を一本置いてきねえ」
「何度も言わすな、鐚一文貴様にやるものは無い」
フ フ フ フ フ
陶器師が不意に笑った。
例の陰性の中音である。
と、陶器師の眉の辺、ピリピリと痙攣したかと思うと、
ゆらり休形斜に流れ、サーッと大きく片手の袈裟掛!
大概の相手はこれで一撃、一刀両断だろう。
しかし・・・
ガッキ!
火花が散り、金属がぶつかり合う音が響いた。
思わぬ衝撃に、陶器師はたたら踏むが、
巧みに力を受け流して、流れるように体勢を戻す。
牢人風の男の両手に、
二つの武器が出現していた。
「・・・妙な武器を使うな」
「まあな。そう言えば名乗ってなかったな」
牢人男は二本の『十手』を構えながら名乗った。
「作州牢人、新免無二斎」
◆
新免無二斎。
またの名を、宮本無二助と言ったこの人物は、
「当理流」なる流派の流祖として、
そして、あの宮本武蔵の父親として著名な人物である。
一説によると、美作国新免氏の家老である平田武仁こそ彼だと言うが、
これは史実であることを証明できない。
また、彼はこの平田氏の血縁であったが、
訳あって牢人したとも言うが、定かでない。
上記のように伝記は必ずしも明らかでないが、
京都の「室町兵法所」吉岡憲法を破ったとも言い、
その実力は確からしい。
武蔵との親子中は最悪で、
武蔵の幼少期の逸話に登場する彼は、
正直心に狂気を帯びているとしか思われない節がある。
上の牢人した話というも、
上意打ちを命ぜられるも、殺し方が汚く、
家中でお味噌な扱いになって憤然として出奔したというから、
少なくとも、清廉潔白な君子で無かったことは確かだろう。
しかし、子の武蔵が有馬喜兵衛を打ち殺したのは一三の時であり、
そのやり口を見れば武蔵もまた、父と同質の狂気を本質的に持っていたと思われる。
この親あって、この子ありと言った所か。
それはさておき、この兵法勝負に、
新免無二斎が呼び出されたのは、
この武蔵がまだ影も形も無かった時期である。
◆
二人の立ち合いはもはや何合目であろうか。
片手剣と二本十手の丁々発止は、
双方の予想を超えて長く続いていた。
まるで、柳の様に身体を左右に揺らめかせながら、
陶器師の凶刃はあらゆる方向から、
緩急自在に無二斎に襲い掛かる。
無二斎は、陶器師の刃が、
自分の十手の射程圏内に入るや否や、
電光のように十手を閃かせ、
凶刃を巧みに受け止め、あるいは弾き飛ばす。
本来ならば、無二斎はここで手首をひねって、
刃を十手の鉤に掛けて、
相手の動きを止めるか刃をへし折るかするのだが、
陶器師はそうなる前に巧みに刃と、体を逃がしてしまうのだ。
こちらから突っ込んで行くことも、
陶器師の太刀筋は許してはくれず、
結果として受け身に回らざるを得ない。
双方の実力は拮抗していた。
( (思ったよりもやるな・・・・ ) )
( (長引くのは良くない) )
( (ここらで・・・) )
双方ともに思考はこれであった。
陶器師が、八相に構える。
一方無二斎は、撫で肩の脱力した構えである。
それは、奇しくも、肖像画の武蔵の姿によく似ている。
趣味のいい茶店前の往来で、
二人の兵法者が対峙する。
片や剣に淫する殺人鬼
片や大豪傑の先代剣士
双方一言も発することなく、
ただ時間だけが過ぎる。
フ フ フ フ フ
例の陰性の中音が笑いとなって、
陶器師の口から飛びだした。
同時に陶器師の体に殺気が充満する。
一方、無二斎の体にも変化が訪れる。
それまで脱力しきっていた全身筋肉に電流が走り、
一気に膨張する。
八相より地面へと向けて、落雷のように白刃が振り落とされ、
二本の十手がそれを巧みに受け止め・・・
「やめた」
…とはならなかった。
「何!?」
「やめた、と言った」
言うや否や、陶器師は構えを崩し、
パチンと、刀を鞘に戻してしまう。
呆気にとられる無二斎だったが、
陶器師は、そんな様子を気にするでもなく、
茶店の席に座ってしまう。
「俺と太刀を合わせて斬れない奴は、これで三人目」
「それ以外は、だいたい一太刀でやっつけてきた」
そう言うと、ごろりと赤い布が引いてある長椅子に横たわり、
「しかし、アンタはどうも妙な技を使う。
どうにも調子が狂ってきてる」
「行きなされ、お行きなされ」
「どれ、ひと眠り」
そのまま、こちらに背を向けてしまった。
余りにも人を食ったやり口に、
無二斎はしばし呆然としていたが、
バカにされたこと思って憤然とし、
ツカツカと陶器師に向かっていくが、
(隙がないな)
無造作に雑魚寝しているように見える陶器師だが、
そのくせ一分の隙もない。
こういうのに斬り込むのは少し厄介かもしれない。
無二斎はしばし無言で陶器師の背中を睨みつけていたが、
帯に二本十手を差して、茶屋に背を向けて歩き出した。
「無二斎どの」
不意にその背に陶器師の声が掛った。
「俺は寝がえりを打とうと思う」
それを聞くや否や、
腰帯から十手を引き抜きながら無二斎は振り向く。
そして、無二歳目掛けて飛んできた何かを叩き落した。
「・・・・・・」
叩き落した物は何であろう。
何の事はない、茶店の茶釜に備え付けられていた、
一本の柄杓であった。
「あぶない、あぶない」
「恐ろしいもの剣ばかりではない。こういう不意打こそ恐るべし」
「あぶない、あぶない・・・・」
陶器師はもう、こちらを見ておらず、
こちらに背を向けて横たわっていた。
無二斎は、叩き殺してやろうかと思ったが、
先ほどの立ち合いを思い出して、
何も言わずに立ち去って行った。
茶店には、殺人鬼だけが残った。
◆
「何が調子が狂った・・だ。
調子が狂わされたのはこっちだ」
無二斎は苦虫噛み潰したようなしかめっ面で、
夜の道を一人歩く。
「それにしても、あれはこの兵法勝負の参加者なのか?
もしそうならもう少しマトモな奴を呼んで欲しいもんだ」
室町兵法所にすら勝った無二斎である。
あの白州に突然呼び出された時は流石に少し面食らったが、
こういう趣向は悪くない。
兵法者としての血が騒ぐと言う物だ。
人別帖を見れば、上泉伊勢守、塚原卜伝、師岡一羽、富田勢源など、
当代きっての使い手たちの名前も見える。
故に一層やる気が出ていた所だが、
初っ端からあれでは、少しばかり気がめいりそうだ。
「しかし、参加者だとすれば、
もう一度戦(や)らねばなるまい。
だとすると・・・・」
腰帯から十手を引き抜いた。
「刀が要るな」
あの男を斃すには、十手だけでは間合いと威力が足りない。
それに十手は、無二斎が最も得意とする武器だが、
槍など相手にするには、やはりこれだけだと心もとない。
「取り敢えず城下へ、か」
無二斎は城下へと足を進めた。
【ろノ肆 路上/一日目/深夜】
【新免無二斎@史実】
【状態】健康
【装備】十手×2@史実
【所持品】支給品一式
【思考】:兵法勝負に勝つ
一:城下に向かう
二:刀が欲しい
三:陶器師はいずれ斃す
陶器師は、無二斎が去った後も暫く横たわったままであった。
「強い奴だったな・・・」
陶器師は呟いた。
「また会った時に斬れるかな」
「少しあの武器が厄介だ」
「どうもここのところ妙な奴に会う事が多い気がする」
暫くそんな事をぽつぽつと誰へとでも無く呟いていたが、
不意に突然身体を起こして、
「俺は人が斬りたくなった!」
と叫びだした。
やはりこの男、腕は立っても物狂いである。
「うん、人が斬りたくなった」
「人が斬りたくなった」
「城下町へ行こう!」
「あそこならうんと人が斬れるはずだ」
「うん、そうだなあそこならうんと人が斬れるはずだ」
「行って人を斬ろう」
「存分に斬ろう」
「アハハハハ」
陶器師は立ち上がると、
行李を背負ってふらふらと歩きだした。
【ろノ伍 路上/一日目/深夜】
【三合目陶器師(北条内記)@神州纐纈城】
【状態】健康?
【装備】打刀@史実
【所持品】支給品一式
【思考】:人を斬る
一:城下に向かう
二:人が斬りたい
三:新免無二斎はいずれ斃す
【備考】
※人別帖 を見ていません
時系列順で読む
投下順で読む
最終更新:2016年02月20日 13:18