魔境転生◆cNVX6DYRQU



人の姿を求めて城下町目指して歩き始めた三合目陶器師。
しかし、彼が歩き始めてから人に出くわすまでに要した時間は僅かに数分であった。
そこにいたのは編み笠を被って剣を抱え、街道の脇に生えた樹に寄りかかって眠っているらしい一人の侍。
それを最初に獲物にせんと刀の柄に手をかける陶器師だが、そこで侍が声を上げる。
「お主も無明に落ちし者か」
陶器師の殺気を感じて目覚めたか、あるいは寝ていると見えたのは偽装であったのか、侍は軽快な動作で立ち上がる。
「いや、落ちたのは地獄よ。永劫の無間地獄。恐ろしい血の池地獄……」
陶器師は剣を抜き、侍もまた編み笠を外して刀の鯉口を切る。
露になった侍の顔を見て、その隻眼の剣士が白洲で十兵衛と呼ばれていた男だと陶器師が気付いたかどうか。
「この地獄の苦しみは人を殺している時だけ晴れるのだ。だから、俺はお前を斬らねばならぬ」
そう言った陶器師に対して、十兵衛は返事をする代わりに手にした編み笠を投げ付ける。
飛燕の如く飛び来る笠を陶器師は見事に両断するが、そこに笠を追うように駆け寄った十兵衛が素早く斬り付ける。
陶器師の本来の反射を持ってすれば、この一撃をかわす事は十分に可能だっただろう。
しかし、先程の無二斎との立会いの疲れが僅かに陶器師の動きを鈍くし、十兵衛の刃は陶器師の顔を浅く切り裂いた。

「おお、俺の顔が、また醜く恐ろしい顔になってしまった」
陶器師は十兵衛の一撃を顔に受けたが、その傷は戦闘力を奪うほど深い傷では決してない。
にもかかわらず、顔を傷付けられたという事実は、陶器師の心に激しい動揺を引き起こしたようだ。
「ここには月子はおらぬというのに……こんな顔で俺はこれからどうすればいい」
顔を抑えて蹲る陶器師。十兵衛にその気があれば、今の陶器師を斬り捨てるのはた易かっただろう。
しかし、十兵衛は黙然と陶器師を見つめるのみ。十兵衛が斬るべき相手はこの哀れな男ではなく別に居るからだ。
そして、その甘い判断が、十兵衛を窮地に追い遣ることになる。

「そうだ」
すすり泣いていた陶器師が不意になくのをやめて立ち上がる。
「お前の顔をもらえばいい」
陶器師の目は爛々と輝き、傷ついたとはいえ整っていた顔が醜く恐ろしく歪んで行く。
「お前の顔を剥ぎ取って、仮面にして被るとしよう」
十兵衛は、陶器師の全身から凶々しい妖気が立ち上るのを、確かに見た気がした。
「片目なのはいただけぬが、顔の造作は悪くない。当座の間に合わせにはなるだろう」
「もはや人には立ち戻れぬところまで堕ちたようだな。やむを得ぬ」
陶器師は上段、十兵衛は中段に構えて再び両剣客は対峙する。

互いに一歩も動けず睨み合うこと一刻余り、両者の均衡は遂に崩れようとしていた。
不利なのは十兵衛。その顔からは血の気が失われ、代わりに脂汗が噴出している。
普通に考えれば、このような長期戦では体力を消耗した上に負傷している陶器師が不利だったであろう。
しかし、陶器師が持つ凄まじい負の想念が彼に無尽蔵の気力を与え、それがさしもの十兵衛をも圧倒したのだ。
「もうすぐお前を斬れる」
陶器師が喜悦の響きを含んだ声で言う。
「お前を斬ったらその顔を剥ぎ取って俺の顔にしてやろう」
十兵衛の目には陶器師の身体が本来よりも何倍も大きく見え始め、とうとう膝を付いてしまう。
「片目だが次の顔を手に入れるまでの仮の顔にはなるだろう」
十兵衛の顔を傷付けずに手に入れたい陶器師は、一気に勝負を決めようとはせず徐々に十兵衛に近づいて行く。
「何、もっといい顔はすぐに手に入る」
陶器師が思い浮かべるのはあの白洲で見た幾人もの美剣士たち。
「あの中の誰かの顔を剥いで俺のものにすれば、誰も俺を醜いとは言うまい」

陶器師の口から例の中間性の笑いが漏れ出ようとした矢先、風切り音と共に一本の木刀が陶器師めがけて飛来する。
無論、そんなものに不意を突かれる陶器師ではなく、僅かに身をそらすだけで木刀をかわして見せる。
しかし、それでほんの一瞬だけ十兵衛から注意を逸らした陶器師が向き直ると、十兵衛の構えが変わっていた。
一瞬前まで膝を付いていたのが嘘のように堂々と立ち、中段に構えていた剣も陶器師と同じ上段。
いや、同じなのは剣の位置だけではない。身体の隅々、指一本に至るまで十兵衛の構えは陶器師と同一だった。
(何の真似だ?)
戸惑った陶器師は構えを変えてみるが、十兵衛も間を置かず……いや、陶器師と全く同時に構えを変える。
十兵衛の姿は、まるで鏡の如く陶器師の姿を写し取っている。
それどころか、陶器師は徐々に十兵衛が自分を写し取っているのではなく自分が十兵衛を写し取っている気がして来た。
そもそも、本当に自分は陶器師なのか。十兵衛が陶器師になりきる余り十兵衛である事を忘れたのが己ではないのか。
彼と我との区別もなくなった中、十兵衛と陶器師は同時にスルスルと前に出ると、矢張り同時に剣を振り下ろした。
十兵衛が着けていた眼帯が切られて落ちる。しかし、呻き声を上げて飛び退いたのは陶器師の方だ。
陶器師が抑えた右目から血が流れ落ちる。
一方、十兵衛の右目も切られているが、こちらの右目は元々潰れているので、この傷はただの掠り傷でしかない。
陶器師の剣が右目に当たったのは十兵衛の幸運……ではない事はその右目に刻まれた幾筋もの刀痕が証明していた。
新陰流の奥義に水月と呼ばれるものがある。
自らの心を鏡のように磨き上げ、水面が月を映すように対手の姿を、剣を、そして心を映す心術だ。
十兵衛はこれを更に研究し、己が敵の心を映すのみならず、敵の心をも鏡にして己の心を映させる技を考案した。
こうする事で自身と相手の区別を限りなく曖昧にし、相手に自分と全く同じ行動を取らせる事ができるのだ。
無論、互いに同じように動けば、同等の得物を持っている限り相討ちにしかなりえない……通常は。
しかし、そこで十兵衛の潰れた右目が活きて来る。
彼我の行動を制御して互いの右目を切らせれば、自身の掠り傷と引き換えに相手の眼を一つ潰すことが出来るのだ。
これぞ、本来なら弱味でしかないはずの隻眼を強味に変える、十兵衛苦心の工夫である。

「俺の顔を更に醜くしたな。お前は絶対に殺す」
そう言って凄まじい眼で十兵衛を睨む陶器師だが、流石にそれ以上戦い続ける気力はないのか、背を向けて駆け出す。
十兵衛も敢えてそれを追わず、少し離れた所で見ていた者に声をかける。
「もう大丈夫だ。お主のおかげで助かったぞ」
そこにいたのは、眼に珍妙な器具を着けた少年……志村新八である。
仲間を探す内に十兵衛と陶器師の対決に出くわした新八は、陶器師の言葉から彼を危険人物と判断して木刀を投げたのだ。
「行かせちゃってよかったんですか?あいつ、何かあからさまにヤバい奴っぽかったですけど」
「確かに危険な相手だが、片目に慣れて満足に剣を触れるようになるまでにまず数日はかかろう。
 その前に俺にはするべき事があってな。……親父殿は俺から見ても手強い相手。今は体力を温存しておきたい」
「親父殿って、白洲で話していたあの人ですか?」
「ああ。親が無明に落ちた以上、せめてこの手で斬ってやるのが息子の務めだろう」
「そんな……」
新八は深刻な顔をして俯いていたが、やがて何かを決意した様子で顔を上げて言う。
「あの、実はここに僕の上司も来てるんですよ。坂田銀時って言うんですけど」
「坂田……確かにその名前は人別帖にあったな」
「ええ。銀さんは普段はどうしようもないダメ人間ですけど、こういう時はすごく頼りになる人です。
 探し出せばきっと助けになってくれます。だから、お父さんと戦う前にまず銀さんを探すってのはどうでしょう?」
親子の戦いに助っ人など不要、そう言おうとした十兵衛だが、新八の顔を見てふと考えを改める。
宗矩はこの少年を守りながら戦えるほど甘い相手ではない。
かと言って、命の恩人である少年を剣鬼蠢くこの島で放置しておくわけにもいくまい。
とすれば、宗矩との戦いの前に、誰か信頼できる人物を探して彼の護衛を依頼するくらいの事はするべきだろう。
「わかった。それで、その坂田殿の居場所に心当たりがあるのか?」
「そうですね……銀さんは甘いもの好きなので城下の甘味処なんて怪しいかもしれません」
「城下か。良かろう」
どうせ、宗矩を探す為にもまずは城に行ってみるつもりだったのだ。
城下ならたとえ坂田なる人物に会えなくても、一人くらいは信用して新八を預けられる剣客が見つかるだろう。
そうして、二人は遥か城下町を目指して歩き始めた。

(ダメだよ、親子で殺し合いなんて。絶対に止めないと)
新八の真意はそこにあった。しかし、なまじの説得では十兵衛を翻意させる事は出来なさそうだ。
実際、彼の父が既に人を殺してしまっている以上、この状況を丸く収める解決策なんて彼には思い付かない。
(それでも、銀さんならきっと……)
銀時なら何とかしてくれる。殺し合う以外の解決策を考えてくれる。新八の銀時に対する信頼はそれだけ深かった。
(それにしても……)
新八は十兵衛の顔、特にその潰れた右目を見つめる。
「この眼が気になるか?」
視線に気付いた十兵衛が言ってくる。
「え?い、いや、決してそんなわけじゃ」
「隠すな。この眼の無数の傷は俺もまたあの男や父と同じ魔境に片足を踏み入れているという、いわば動かぬ証だ。
 これをあさましく思うのは、お主の剣が正道を外れていないからこそ。隠すどころかむしろ誇るべきことだ」
「いや、本当にそういうんで見てたわけじゃないですから!あなた、柳生十兵衛さんですよね?
 実は僕の知り合いに柳生九兵衛さんって人がいまして、もしかして親戚かなって思っただけなんですよ本当に」
「九兵衛?知らぬな。まあ、俺とて一族全てを見知っているわけではないが。……さて、これで良かろう」
そう言って十兵衛は布を巻きつけた右目を見せる。どうやら九兵衛の話は完全にただの言い訳と取られたようだ。
(でも、それってこの人はやっぱり僕の知ってる柳生家とは関係ないって事だよね)
例えば彼が柳生の分家の人間なら、本家の嫡子である九兵衛の名すら知らないなんて事はありえないだろう。
しかし、そうするとたまたま名前が似た無関係の二人が、たまたま隻眼という同じ特徴を持っていることになる。
果たしてそんな偶然がありえるものなのだろうか。
新八の胸には得体の知れぬモヤモヤしたものが垂れ込めていた。

【ろノ伍 街道/一日目/未明】

【柳生十兵衛@史実】
【状態】健康、潰れた右目に掠り傷
【装備】打刀
【所持品】支給品一式
【思考】
基本:柳生宗矩を斬る
一:城下町に行く
二:信頼できる人物に新八の護衛を依頼する

【志村新八@銀魂】
【状態】健康、決意
【装備】木刀(少なくとも銀時のものではない)
【所持品】支給品一式
【思考】基本:銀時や土方、沖田達と合流し、ここから脱出する
一:銀時を見つけて主催者を殺さなくていい解決法を考えてもらう
二:十兵衛と自分の知っている柳生家の関係が気になる
【備考】※土方、沖田を共に銀魂世界の二人と勘違いしています
※人別帖はすべては目を通していません
※主催の黒幕に天人が絡んでいるのではないか、と推測しています

※ろノ伍の街道脇に、三合目陶器師の行李が放置されています。



川面に啜り泣きの声が響く。三合目陶器師が、水面に映る己のおぞましい顔を見て泣いているのだ。
しかし、時が経つうちに、陶器師の内部で如何なる変化があったのか、泣き声は陰々たる笑い声に取って代わられる。
先程、十兵衛は陶器師が片目に慣れるまで数日はかかると言った。
確かに、片目の剣法などいくら優れた剣士でも一朝一夕に編み出せるものではない。
しかし、その十兵衛が一つ忘れていた、あるいは知っていながら言わなかったことがある。
それは、剣士の強さは技だけで決まるものではなく、時に心が技以上に重要になるという事だ。
特に三合目陶器師の場合は、技よりも、剣聖塚原卜伝すらも戦慄させた心をこそ強さの源にしてきた。
先に技においては優っていた十兵衛が危うく斬られそうになったのも、凄まじい妄執が陶器師に力を与えたからだ。
そして、十兵衛に二度にわたって顔を傷付けられた陶器師の心は、以前よりも更に深い魔境の深淵に堕ちていく。
立ち上がった陶器師が剣を振るって月を映す水面を切ると、何とした事か、水と一緒に月の像までもが確かに両断された。
戦国の世に名を馳せた富士の裾野の怪人が、更に恐ろしい妖怪に生まれ変わった瞬間である。

【三合目陶器師(北条内記)@神州纐纈城】
【状態】右目損壊、顔に軽傷
【装備】打刀@史実
【所持品】なし
【思考】:人を斬る
一:柳生十兵衛を殺す
二:美剣士の顔を剥いで自分の物にする
三:新免無二斎はいずれ斃す
【備考】
※柳生十兵衛の名前を知りません
※人別帖を見ていません


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OP 柳生十兵衛 昔飛衛と言う者あり
決意と誤解のあいだ 志村新八 昔飛衛と言う者あり
茶屋前の決闘 三合目陶器師 妖怪たちの饗宴

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最終更新:2009年05月08日 22:31