波紋(前編)◆cNVX6DYRQU
「やはり仕掛けて参りましたな」
秋山小兵衛の言葉に、徳川吉宗と
魂魄妖夢は頷く。
状況から考えて、主催者は遠からず何かを仕掛けて来る……小兵衛がそう言った直後に、あの声が聞こえて来た。
死者の名を読み上げ、一部地域への立ち入り禁止を宣告して来た、主催者の一味であろう声。
一体、どんな狙いがあるのだろうか。
「それにしても、二十三名か……多いな」
沈痛な表情で呟くのは吉宗。その前には、支給された人別帖と地図が広げられている。
既に海の不可思議な有様を見ている彼等は、人別帖と地図がいつのまにか変化していたのを見ても大して驚きはしない。
まずは
佐々木小次郎の名を確認し、残っているのが小次郎(偽)だった事に胸を撫で下ろした。
この名が、村に来る途中で出会った、佐々木小次郎の名を持つ無名の剣士を示していると推測したからだ。
しかし、たとえ直接の知り合いが居なくとも、僅か四半日の間に二十三人も死者が出たというのは深刻な事態には違いない。
達人揃いのこの御前試合において、この短時間に二人も三人も斃した者がそうそう居るとは考えにくい。
つまり、少なくとも、死者の数と同等の二十数名は、殺し合えという主催者の言葉に乗せられた者が居たという事になる。
更に、夜闇のせいで獲物に会えなかった者や、今は隠れておいて数が減ってから参戦しようとしている者、
誰かを襲ったものの決着が付かぬままどちらかが退いた者などを考えれば、どれほどに見積もれば良いか。
「でも、名前を呼ばれた人達が死んだというのは本当かしら」
「偽りであればそれに越した事はないが、生きている者を死んだと偽っても、それはすぐに露顕する筈。
そのような、自分達の信用を失わせるだけの嘘をつく意味があるとは考えにくいが……」
「いや、上様。案外、妖夢の言葉が正しいかもしれませぬぞ」
小兵衛が、妖夢の意見を擁護する。
「確かに、生きてこの島に居る者を死んだと言っても、それはすぐに露顕いたすでしょう。
されど、はじめからこの島に居らぬ者を、この島で死んだ事にすれば、確かめる方法は、まず、ありますまい」
小兵衛の仮説はこうだ。
始めに人別帖を作る段階で、参加者でない者の名を幾つか書いておく。
その上で、この架空の名前を死者として読み上げれば、島内でその者に会う事はないのだから、真偽は判定不能。
こうする事で死者の数を水増しし、参加者の危機感と闘争心を刺激して殺し合いを誘発する事が出来る訳だ。
「なるほど。小兵衛の読み通りなら、主催者の言葉に惑わされた者はそう多くはない事になるな」
「はあ。されど……」
始めに白洲に集められた剣客達、その数は人別帖に記載されている八十名とそう大きくは変わらないように思えた。
小兵衛の仮説が当たっているとすると、あの中には実際には試合に参加しない主催者の回し者が紛れていた事になる。
つまり、主催者は妖術使いだけでなく、腕利きの剣客までも、手駒として抱え込んでいる事になるのだ。
「そうだとしたら、助かりますね。私達は主催者だけを探して斬ればいいんですから」
乱暴な物言いをする妖夢だが、それはそれで、剣客として正しい考え方かもしれない。
「だが……」
吉宗は険しい顔で村の方に目を遣る。
「小兵衛の言う通りだったとしても、幾人もの死者が出ている事は間違いあるまい」
村の中には彼等が確認しただけで、死体が一つと墓が一つ。どちらもごく新しい物だった。
村一つでそうなのだから、仮にあの発表に水増しがあったとしても、相当数の死者が出ているのは事実だろう。
天下無双の称号を与えるとかいう、何の保証もない言葉を信じて殺戮に走る者などそうはいるとも思えず、
舟を見に来た者が誰もいない事から考えても、主催への恐怖から従っている者もあまり居そうにない。
多くは、前に会った佐々木小次郎のように、自分なりの信念や事情があって闘っているのだろう。
だとすると、単純に剣の力だけを持ってしては、今回の件を完全に解決する事は出来ない事になる。
加えて、主催者には強力な妖術使いがおり、もしかしたら複数の剣客がいるかもしれない。
知恵、術への対処、剣の腕……この三つの総合力においては、おそらくこの三人が島内最優の集団だろう。
その彼等の力を持ってしても、悪意に満ちた御前試合を叩き潰すに果たして十分かどうか……
「主催が一部の地域への立ち入りを禁じた事についてはどう思う?」
話は、いつしか主催者が設定した禁止区域についての推測に移っていた。
「参加者を誘き寄せ、集める為、というのはまず間違いありますまい」
特定の場所の立ち入りを禁じると言われれば、そこに何かがあると考えるのが人情というもの。
それを調べようと皆が特定の場所に集まれば、必然的に多くの出会いが生まれ、中には闘争に到る者もあるだろう。
そうして殺し合いを誘発するのが主催者の狙い、少なくともその一つではあると考えられる。
また、これは小兵衛が指摘した、主催打倒を目指す剣士の、徒党を組み易いが故の優位への対策という面もあるかもしれない。
優勝を目指す剣士が多くいたとしても、個々で動いている限り、集団に各個撃破されるか、自分達で潰し合う事になる。
だが、大勢の剣士が一堂に会して乱戦ともなれば、集団側の優位は大きく減ずるだろう。
逆に、優勝狙いの者が片端から斬れば良いのに対し、まず相手の考えを確かめる必要のある集団側が不利な状況すらあり得る。
「それでも、こちらの方が有利ではないか?」
吉宗が指摘する通り、乱戦になった場合でも、互いに協力して戦える集団の有利は完全には消えない筈。
また、主催打倒を目指す者は、手掛かりを得る為に多くが禁止区域に向かうだろうが、優勝狙いの者には無視する者もあろう。
参加者の大半が優勝狙いというのも考えにくいし、数の上では集団側が優位に立つ事になりそうだ。
それに、出会いによって生まれるのは必ずしも戦いばかりではない。
同様の志を持つ者と会えれば、合流するか、そうでなくとも、情報や武器を交換してより強くなり得る。
「指定された場所に集まった参加者に対し、主催が何ら手を出さなければ、確かに我らが有利でしょうな」
「そうか……」
そう、主催者がこのような仕掛けを用意した以上、何らかの企てがないとは考えにくい。
妖術か、主催が飼っているかもしれない剣士を使って、自分達に抗う者を討とうとする恐れは十分にあった。
「そうなってくれると、助かりますね」
妖夢の言う通り、主催者やその手下が現れてくれれば、それを捕らえ、主催に辿り着く手掛かりを掴み得る。
この時点のの彼等にとっては、主催者の力よりも、得体の知れなさの方が、遥かに大きな問題だと思えたのだ。
「奴等がどう出るかは不分明ながら、少なくとも、へノ壱とほノ伍には何らかの手掛かりがある公算が高いかと」
「三つの内、二つだけですか?」
「うむ。この件に興味を抱いた者の大半は、まずはこの二箇所に向かうであろうからな」
小兵衛が目を付けたのは、それぞれの場所の立ち入りが禁止される時刻のずれである。
慎重な者ならば、「避け得ぬ死」とやらを避ける為、規定の時刻以前に調査を済ませようとするだろう。
逆に、その時刻を越えてから禁止区域に踏み込んでこそ、何らかの収穫が得られると考える者もいるかもしれない。
前者は早く時間切れになる場所を先に調べるだろうし、後者にとっては午前中にろノ弐を調べるのは無意味。
そして、 辰の刻にへノ壱、巳の刻にほノ伍というのは、島の何処にいようとも、どちらかには余裕で間に合う時刻設定だ。
つまり、禁止区域に何かあると踏んだ者は、まずへノ壱とほノ伍の少なくとも片方には訪れる公算が高い訳で、
そこに何も無ければ、誰もろノ弐に向かおうとはしないだろうから、三つ目の禁止区域の意味はほぼなくなる。
逆説的に言えば、三つ目の禁止区域がある以上、最初の二箇所には、参加者に対する餌が撒かれている可能性が高い。
「すると、余らが向かうべきはへノ壱かほノ伍。どちらに参るべきか」
「他の参加者の動向も主催の仕掛けもわからぬ以上、やはりここはほノ伍に向かうべきでしょう」
全体的に、禁止区域を規定時刻より余裕を持って前に訪れる者には慎重な者が多く、
時間ぎりぎり、もしくは規定時刻より後に行く者は多くが大胆な剣客だろう。
慎重な者なら、集団に不用意に戦いを仕掛ける事はないだろうから、早めに行けば余計な危険を避ける事に繋がる。
また、ほノ伍にある手掛かりが、巳の刻を過ぎないと顕れない類のものである事も考えられるが、
その場合は主催者が何かを仕掛けて来る公算が高く、あらかじめ周囲の地形を把握しておく事が重要になるかもしれない。
へノ壱を見逃すのは惜しくもあるが、不明な事が多すぎる現状では慎重に動くべきであろう。
「わかった。小兵衛の案で行こう」「あなた達がそう言うなら、私もそれでいいです」
かくして、小兵衛が果心居士の言葉から引き出した情報を元に、彼等三人は動き出す。
老練の剣客の洞察力は、果たして正体不明の妖術使いの真意を見抜く事が出来たのか。
それが明らかになるのは、もう少し先の事になる。
【にノ漆 船着場/一日目/朝】
【徳川吉宗@暴れん坊将軍(テレビドラマ)】
【状態】健康
【装備】打刀
【所持品】支給品一式
【思考】
基本:主催者の陰謀を暴く。
一:小兵衛と妖夢を守る。
二:ほノ伍に行って主催者の手掛かりを探す。
三:妖夢の刀を共に探す。
【備考】
※御前試合の首謀者と尾張藩、尾張柳生が結託していると疑っています。
※御前試合の首謀者が妖術の類を使用できると確信しました。
※佐々木小次郎(偽)より聖杯戦争の簡単な知識。
及び、秋山小兵衛よりお互いの時代の齟齬による知識を得ました。
【秋山小兵衛@剣客商売(小説)】
【状態】腹部に打撲 健康
【装備】打刀
【所持品】支給品一式
【思考】
基本:情報を集める。
一:妖夢以外にも異界から連れて来られた者や、人外の者が居るか調べる
二:ほノ伍に行って主催者の手掛かりを探す。
【備考】
※御前試合の参加者が主催者によって甦らされた死者かもしれないと思っています。
又は、別々の時代から連れてこられた?とも考えています。
※一方で、過去の剣客を名乗る者たちが主催者の手下である可能性も考えています。
ただ、吉宗と佐々木小次郎(偽)関しては信用していいだろう、と考えました。
※御前試合の首謀者が妖術の類を使用できると確信しました。
※佐々木小次郎(偽)より聖杯戦争の簡単な知識を得ました。
【魂魄妖夢@東方Project】
【状態】やや疲労
【装備】無名・九字兼定
【所持品】支給品一式
【思考】
基本:首謀者を斬ってこの異変を解決する。
一:この異変を解決する為に徳川吉宗、秋山小兵衛と行動を共にする。
二:愛用の刀を取り戻す。
三:ほノ伍に行って主催者の手下が現れたら倒す。
三:自分の体に起こった異常について調べたい。
【備考】
※東方妖々夢以降からの参戦です。
※自身に掛けられた制限に気付きました。
制限については、飛行能力と弾幕については完全に使用できませんが、
半霊の変形能力は妖夢の使用する技として、3秒の制限付きで使用出来ます。
また変形能力は制限として使う負荷が大きくなっているので、
戦闘では2時間に1度程しか使えません。
※妖夢は楼観剣と白楼剣があれば弾幕が使えるようになるかもしれないと思っています。
※御前試合の首謀者が妖術の類が使用できると確信しました。
※佐々木小次郎(偽)より聖杯戦争の簡単な知識を得ました。
さて、上記のように、秋山小兵衛らは島内に流れた果心居士の言葉から、真偽はともかく、多くの情報を読み取ってみせた。
しかし、種々の特殊な技能を持つ剣士が集められたこの島には、更に多くの情報を聞き取った者もいたのだ。
時は少し遡り、夜明け前のこと。
仁七村の西にある小さな道祖神の祠の中で、
富田勢源と
香坂しぐれは身を休めていた。
「では、ここは地図で言うとにノ陸の北東寄りにあたるわけですね」「そ…う」
目明きのしぐれに教えられる事で、漸く勢源も試合場の地形を大まかに理解するに到っていた。
勢源がしぐれと出会ったのはへノ陸の南側だそうだから、それから一刻足らずで半里を歩いた事になる。
ちなみに、勢源が最初にいたのは、おそらくとノ伍の辺り。
つまり、一人で居た時は、十町かそこらを歩くのに二刻程もかかっていたという事か。
これだけを見ても、しぐれと同行できた事は、勢源にとって非常に幸いだったと言えるだろう。
(これは、小太刀一本では些少に過ぎたかな)
手当てをするのと小太刀一本を報酬に、道案内と地図や人別帖について教えてくれるよう頼んだのは勢源の方だった。
あの時は、重傷を負った様子なのに一人で通り過ぎようとするしぐれを引き止める方便という側面が強かったのだが、
こうしてみると、むしろ勢源の側により多くの利がある取引だったと言えるかもしれない。
二本ある小太刀の一本を渡しはしたが、そもそも勢源が編み出そうとしているのは、小太刀一本による護身術。
ある意味では、自分にとって不要な物を押し付けたに過ぎないとも言える訳だ。
それなのに、しぐれは誠実に契約を守って勢源を導き、ここまで連れて来てくれた。
今も、まずは身体を休めるように言うのを拒み、約束だからと地図と人別帖の概要を教えてくれている。
これでは、勢源の方ももっとちゃんとした謝礼を支払わなければ、とても釣り合うまい。
と言っても、勢源は小太刀以外に大した物は持っていないのだから、物ではなく行為で支払うしかないのだが。
ふと、勢源が顔を上げ、僅かに遅れてしぐれも気付く。
例によって刻を告げる鐘の音が聞こえて来たのだ。加えて、今回は太鼓の音まで聞こえて来る。
(鐘はやはりいノ捌にある寺から。太鼓は東南東……ほノ参にあるという城辺りか)
音が聞こえて来た方向としぐれに教わった地形の知識から、鐘と太鼓の位置を推測する勢源。
その音が鳴り止まぬ内に、果心居士の声が彼等にも聞こえ始める。
声は頭に直に響いて来るようで、耳で聞く通常の音とは異質な物だったが、それでも音の一種には違いない。
現段階で生き残っている剣士の内では、音を聞く事に関して勢源に匹敵する者はまずないだろう。
故に、勢源は果心居士の「言葉」ではなく「音」から、他の者には得られぬであろう情報を探り出して行く。
とはいえ、果心の言葉の内容そのものに、勢源が何も感じなかった訳ではない。それどころか……
「どうし…た?」「失礼、少々用足しに」
しぐれにはそう言って祠の外に出た勢源はしかし、静かに祠から数歩遠ざかると、一散に駆け出した。
全力で疾走し続ける勢源。これは、彼が眼病を患って以来、絶えて無かった事である。
気配を読む事で、人や剣の動きはほぼ完全に判別できるが、走りながら足元の地形を把握するのは簡単ではない。
土石が発する僅かな気配と己の足跡の反響、そして残された微かな視力でどうにか読んではいるが、
やはり完全ではないらしく、時に躓いて体勢を崩しながら、刀を杖代わりにして立て直し、走り続けていた。
やがて河に行き当たると、足を止める事なく跳躍、更に小太刀の鞘で川底を突いて加速し、跳び越える。
水音から川の幅と深さを測っての跳躍ではあるが、それでも無謀な行動である事は間違いない。
危険を冒している事は承知の上で尚、勢源には急ぐ理由があるのだ。
そして、川を渡ってから更に北上し続けた勢源は、前方に強い妖気を感じ、必死で急いだ甲斐があった事を察知した。
参加者への申し渡しを終え、見本の地図と人別帖で術の成果を確認した果心居士は、帰還の準備を始めた。
己の身をあの鏡の間へと運ぶ転移の図形、人一人分の質量が消失する事による歪みを最小限に抑える図、
最後に、自分が消えた後に発動し、全ての術の痕跡を消し去る図形。
杖でもって全ての図を描き終え、いよいよ術を発動させようとしたその時、果心は漸くその足音に気付いた。
「富田勢源……」「やはり、貴方ですか」
果心の呻き声を聞き、それが先程の声の主である事を確かめた勢源。
そう、勢源の無謀な疾走は全て、果心居士が伝えた音からその居所を悟ったが故のものだったのだ。
勢源が果心の居場所を掴んだ秘密は鐘と太鼓の音にある。
あの時、勢源達の頭の中に響いたのは果心の声だけではなく、鐘と太鼓の音が混ざっていた。
おそらくは、声の主もまた、鐘や太鼓の音が響く島内に存在し、その周囲の音まで伝わっているのだろう。
しかも、鐘や太鼓の音色を注意深く聞くと、その音は耳で聞こえるものとは時間差があったのだ。
鐘の音を例に取ると、耳に聞こえる音は、伊庭寺と推測される音源から、音の速さで伝わって勢源の耳に届く。
同様に鐘の音は、島内にいる果心の元に、やはり音速で届き、そこから果心の術で各参加者の頭の中に転送される。
術が伝わる速度がどの程度かというのは最大の不確定要素だが、この御前試合の始まりを思い出してみると、
全参加者が集められたあの場から、勢源が島南東の道端に転送された時、要した時間は一刹那にも満たないと思えた。
これを基に、術の速度は音速よりもずっと速いと仮定すると、音の時間差の原因は伊庭寺からの距離の差という事になる。
無論、勢源の時代には、音速の正確な測定は南蛮においてすら未だ為されていない。
しかし、勢源は聴覚に大きく頼らざるを得ない、ほぼ盲目の剣士。
そして、達人同士の闘いでは、音が発せられてから届くまでのごく僅かな時間差ですら重大な意味を持つ。
故に勢源は音の速さを体感として知っており、二つの音の時間差から、寺と果心の距離を計算する事が出来た。
これで響いた音が一つならば、果心の居場所は伊庭寺を中心とする円上の何処か、としか言えなかっただろう。
だが、幸いな事に、
日の出を告げる合図は、伊庭寺の物と思われる鐘と、帆山城にあるのであろう太鼓の二つ。
という事は、音の時間差から、果心が居る位置の、寺と城の二箇所に対する距離を測る事が出来る訳だ。
この時点で果心の居場所の候補は、二つの円の交点である二箇所にまで絞られる。
勢源にとっては幸運にも、二箇所の内の一箇所は河の近辺であり、頭の中に響いた音には水音は混ざっていなかった。
以上の方法により、勢源は声の主の位置を大まかに推定し、ここまでやって来たのだ。
「それで、私に何か御用がおありですか?富田殿」「……」
果心に言われて、勢源はしばし黙り込む。
果心に出会ったのが勢源ではなく、もっと好戦的な者であったなら、とうに斬り掛かっていただろう。
しかし、勢源の剣はあくまで護身の剣。如何に相手が妖人とはいえ、自分から攻める訳にはいかない。
それでも、勢源はこの場所に来ずにはいられなかった。
目の前にいる妖術使いが、死者として佐々木小次郎の名前を呼ぶのを聞いてしまった以上は……
「何故、このような事をなされる?」
「貴方様が護身剣の完成を目指すように、私のような左道使いにも、目指すべきものがありますれば」
「目指すべきもの……」
勢源もまた、ある意味では、御前試合に参加する他の剣士を、己の剣の為に利用しようとしているとも言える。
とすると、勢源も果心もしている事に本質的な差はないという理屈も成り立たなくはないが……
「それでも、私は剣士の端くれとして、前途ある剣術者が犠牲になる事を容認はできかねる」
そう言う勢源の語調は強くはないが、このまま行けば衝突は避けられない。
こう踏んだ果心は、勢源の剣気が高まる前に先手を取ろうと、術の発動の為に高めていた妖気を一挙に開放した。
「!」
果心の妖気が蜘蛛の糸のように勢源に絡み付き、その忌まわしさに、さしもの勢源は思わず小太刀に手を掛ける。
次の瞬間、果心が指を鳴らし、勢源の頭部を爆発……白洲で村山斬を殺したのと同じ爆発が包んだ。
血が飛沫き、膝を付く勢源。同時に勢源が飛ばした刃が迫るが、果心は軽やかに跳んでかわす。
「!?」
跳躍した後で果心は気付く。己に向かって投げられたのは剣ではなく、鞘の方であった事に。
恐るべき妖人とはいえ、武術家ではない果心が、鋭い剣気の乗った投擲を見て、刃と誤認したのは仕方あるまい。
だが、攻撃を避けたという事は、自身にも物理的な攻撃が有効だと自白したに等しく、
果心に枯葉がえしの秘術があると言っても、空中での機動力には限界がある。
続いて勢源が投じた小太刀は、今度は見事に果心の唐人服を貫き、地面に縫い止めてみせた。
(これは……?)
投じた小太刀の妙な手応えに、勢源は眉をひそめた。
当たりが浅かった上に、感触が人間のそれとは違うのだ。これではまるで……
地に縫い止められた唐服が蠢き、中から出て来たのは、妖人ではなく一匹の鼠。
小太刀に掠られたか、鼠は血を流しつつ、慌てて走り去った。
「してやられたか」
おそらく、果心は跳躍する際に、別方向に鼠をくるんだ服を投げたのだと、勢源は推測する。
服のはためく音と鼠の気配で気を引き、自身は無音かつ気配を消して逃げればさしもの勢源でも見逃し得るだろう。
伊賀の忍術に動物をそのように使うものがあると聞いた事があるが、あの妖術使いには忍術の心得もあるのか。
そう言えば、これをやったやり口にも、相手の虚を突く事を好む忍びに通じるものがあったと、勢源は傷付いた己の足を見る。
ざっくりと切れた足の傷は、恐ろしく切れ味の鋭い鋼糸のようなもので切られた物だ。
忍びの技には、髪の毛を武器として使い、人体を豆腐のように切り刻むものがあるという。
しかし、目に見えぬ極細の糸は、視力に頼る剣士には脅威であっても、勢源ほどの者が容易く絡まれる筈がない。
にもかかわらず勢源が傷を受けたのは、一つにはその糸が元々実体を持たぬ妖気が変じたものだったからだ。
最初は、実体がなく、それ故に防ぎようがないとして相手の全身に絡み付き、後に果心の術により鋭い鋼糸となる。
厄介な術だが、それでも一流の達人ならば、妖気が実体を持ち始めた瞬間に、全てを切り離す事は難くはなかろう。
なのに勢源が一本だけ切るのが遅れ、手傷を負った原因はあの爆発。
村山なる少年が殺された時のものと同じ爆発だが、爆発自体はただの幻であり、殺傷力はない。
おそらく、あの時も少年は爆発で殺された訳ではなく、勢源を傷付けたのと同じ糸を用いたと思われる。
幻だけにどんな反射神経を誇る剣客にもかわしようがなく、音と匂いと気配をも伴う幻覚は勢源のような剣客をも惑わす。
いわば幻術と妖術の複合技であり、心は忍術にも通じる厄介な術だ。
さすが、一級の達人を無数に集めて殺し合わせようと企むだけに、やはり相当の難物という事か。
「未熟……」
勢源は反省の念を胸に立ち上がる。
強敵とは言え、妖術使いなどに手傷を負わされたのも未熟だが、より深刻な問題はそれ以前にある。
愛弟子の名を聞き、十分な見通しのないまま果心居士の居所を探り出し、不用意に出会ってしまった。
そもそも、香坂しぐれによれば、人別帖には佐々木小次郎の名は三つあり、死んだのが彼の弟子の小次郎とは限らない。
まあ、この機会を逃せば主催の一人と会う機会などそうはなかろうし、まずはそちらを優先するのも良いだろう。
しかし、苦労して会いに行ったのに、その後どうするかの方針がなくては無意味というものだ。
討つのか、御前試合を中止させるのか、情報を聞き出すのか、それをあらかじめ決めておくべきだったのに。
それをしなかった為、勢源は果心に機先を制され、無駄に負傷して逃がすだけの結果となった。
盲目の身で真の護身を完成させる為には、もっと思慮深く、激情を抑えられるようにならなければ。
勢源は足を引きずって歩き出す。この傷では、しぐれの所に帰り着くのは何時の事になるか。
彼女には、まだ恩を返し切れていないのに、迷惑を掛けてしまう……歩きながら、勢源は己の未熟さを噛み締めていた。
【ろノ陸 南部/一日目/朝】
【富田勢源@史実】
【状態】足に軽傷
【装備】蒼紫の二刀小太刀の一本(鞘付き)
【所持品】なし
【思考】:護身剣を完成させる
一:香坂しぐれと合流する
二:死亡した佐々木小次郎について調べたい
※
佐々木小次郎(偽)を、佐々木小次郎@史実と誤認しています。
※ろノ陸に、果心居士の書いた魔法陣が残されています。
果心居士なしで何らかの効力を発揮する事が有り得るかは不明です。
勢源の小太刀に傷付けられた鼠は一目散に走って勢源から遠ざかり、そこで限界が来たのか、徐々に人の姿を取り戻す。
そう、果心は鼠を身代わりにしたのではなく、鼠に化身する事で飛刀をかわし、勢源を誤魔化して逃げたのだ。
かつて太閤秀吉の秘密を暴いて処刑されかけた時にも用いた、果心得意の遁術である。
もっとも、さすがに富田勢源は秀吉よりも手強く、小太刀に掠られた傷は人の姿に戻ってもかなりの痛手になっていた。
まあ、妖術が正面から闘って武術に太刀打ち出来る筈もなく、ましてや相手は富田勢源。
この程度で済んだのは、勢源に果心を殺そうというまでの決心がなかったからだろう。
そう考えると生き残っただけでもよしとすべきかもしれないが、このままの状態で帰る訳にはいかない。
果心が印を結んで呪を唱えると、苦痛に曲げられていた背筋がぴんと伸びる。
傷自体を癒した訳ではない。そもそも、いくら妖術でも、超一流の剣客から受けた傷を癒すのは簡単ではないのだ。
単に傷の痛みを一時的に抑えるだけの術。
しかも、それも精力を前借りしているようなもので、術の効果が切れたらしばらく休まねばならない。
あまり使い勝手の良い術ではないが、仕方ないだろう。
弱った状態であの得体の知れない怪僧……天海に会えば、全てを読まれてしまうかもしれないのだから。
天海とは何者なのか。
御前試合の準備の為に、果心が忠長から注意を外した数日の間に、天海は忠長の腹心中の腹心にまでなっていたのだ。
忠長は天海が傍から離れていると普段より更に情緒不安定になる程で、果心は怪僧をこの島に招くしかなかった。
一時は忠長を始末しようかとも考えたが、既に忠長は儀式の一部に組み込まれており、それも難しい。
それに、どのみち名目上の主は必要であり、果心に操れる程度の主なら、取り入るのは黒衣の宰相には容易い事なのだろう。
結局、果心と天海は共に御前試合を運営しつつ腹を探り合い、今に到っている。
それにしても、天海の狙いは那辺にあるのか、未だに果心は探り出せてはいない。
漸くわかったのは天海の配下に土岐一族の者が幾人かいる、という事のみ。
その者達自体は取るに足らない小者ではあるが、土岐と聞いて、果心には思い出される出来事があった。
第六天魔王が炎の中に消えたあの事件、世に言う本能寺の変である。
魔王の忠実な配下であった明智がどうして急に謀反に踏み切ったのか。
その事情については諸説あるが、中に、あれは比叡山の僧侶による呪殺であったというものがあったのだ。
それによると、比叡山焼き討ちを生き残った僧が、明智を鬼囁の術によって動かし、主殺しに導き、復讐を遂げたという。
天海が比叡山の僧であった事は確かなようだし、恐るべき人心操作術も持ち合わせている。
無論、忠長と光秀では器が違うが、だからこそ、その黒幕がいたならば、それは天海のような大物の筈だとも言えるか。
この推測が正しければ、果心と天海は因縁の宿敵という事になり、今回も何を企てているか知れたものではない。
内憂外患を抱えたこの状況で、果たして儀式を完遂できるのか、果心には、茨の道が待っているようだ。
「柳生を動かすしかあるまい」
果心は苦渋の決断を下す。
剣客達の動きは果心の想定内に留まらず、天海の思惑は読めず、果心自身は傷のせいで当分は動けなくなる。
この状況で儀式を滞りなく進行させるには、切り札である柳生を、予定を繰り上げて投入するしかないと思い定めた。
極上の剣士を放り込む事で他の剣士達を刺激し、殺し合いを加速させて、止めようとしても止まらなくする他あるまい。
予定を急に変更する事に関しては不安もある。特に、柳生宗矩の動向については。
本来ならば、宗矩はもっと焦らしに焦らす筈だったのだ。
これは御前試合の展開次第だが、出来れば子である十兵衛が討たれるまでは、宗矩にはただ鏡を見させていたかった。
そして、剣客として闘死した息子を見た宗矩に顕れる感情が怒りでも悲しみでもなく羨望であってくれれば、
果心は何の心配もなく、宗矩を御前試合の場に送り出せたであろうに。
今の時点では、未だ宗矩の中に、徳川の臣として、柳生家の長として、子の親としての心が残っているかもしれない。
不安は尽きない。だが、今の果心には、他に打てる手がないのも間違いのない事。
こうなれば、宗矩の、剣客達の剣士としての業が、最後は他の全ての想いに打ち克ってくれる事を信じるのみ。
不安を押し殺し、果心は転移の術を発動させるのであった。
最終更新:2010年06月25日 22:02