日の出 ◆cNVX6DYRQU
「ぶはははははは、何だそりゃあ」
凄惨な殺し合いの場に似つかわしくない朗らかな笑い声が辺りに響く。
笑っているのは、志半ばで処刑された後にこの島に呼ばれ、狂犬の如く出会う者悉くに切り付けている
近藤勇。
笑われているのは、妖人果心居士に新たなる顔と牙を授かり、一切衆生を殺戮し尽くす事を誓った三合目陶器師。
この二人が出会った時点で、血の雨が降り断末魔の声が響く事態が起こるのは約束されたようなもの。
それなのに、近藤勇は陶器師の姿を見た瞬間からひたすら笑い続けている。
「有り得ねえだろ、その顔は。……くくく、相手を笑い死にさせようって作戦か?」
顔というものに対して陶器師がどんな葛藤と劣等感を抱えているのか、そんな事は近藤には知りようもない。
しかし、禍々しい妖気を発するこの男が危険な存在で、それを笑えばただではすまない事くらいはわかる。
それでも近藤は笑い続けた。
一度死に、天然理心流の宗家でも新撰組の局長でもなく、一介の剣士となった近藤に、恐れも遠慮も無縁の感情なのだ。
やっと己に合う仮面を手に入れられたと言うのに、いきなりそれを笑い飛ばされた三合目陶器師。
当然それを放置しておく筈もなく、最も手っ取り早い手段、即ち近藤を殺す事で口を閉じさせようとする。
陶器師が刀を抜くと、近藤も漸く馬鹿笑いをやめて剣を構え、今度はにやりと笑う。
三合目陶器師が使うのは、香取神道流開祖飯篠長威斎の弟子諸岡一羽が創始した一羽流。
対する近藤の天然理心流は、長威斎の末裔と称する近藤内蔵助が神道流を学んで創始した流派である。
つまり、二人が使う剣法は源流を同じくする、いわば親戚とも言えるものなのだ。
無論、一羽にしろ内蔵助にしろ、己の剣に長威斎の神道流の枠を超えた部分があると感じたからこそ新流を開いた訳であり、
同様に陶器師や近藤とて師に伝えられた剣技を墨守する事に終始している筈もなく、両者の剣は独自の進化を遂げている。
とはいえ、剣理の根幹から細かい手筋に到るまで、共通する部分が多いのもまた事実。
つまり、一羽流や天然理心流の技を繰り出したとしても、互いに読まれてしまう可能性が高い訳だ。
となると、相手の虚を衝く奇手などは、先読みされた場合の危険を考えるとなかなか使いにくい。
結果、陶器師と近藤は、それぞれの流派の技巧ではなく、剣士個人としての気組みを真っ向からぶつけ合う事となった。
国重と大包平がぶつかり合って火花を散らし、そのまま鍔迫り合いの体勢に入る。
そのまましばらく拮抗していたが、徐々に陶器師が押し始めた。
甲冑を着けて戦陣を駆け回っていた陶器師の膂力が、剛剣とはいえ素肌剣法の使い手である近藤に勝っているのか。
或いは、高揚状態にある陶器師の筋力が普段よりも底上げされていたのかもしれない。
こらえきれず、遂に近藤は膝をつく……いや、それにしては早すぎる。膝をついたのは近藤自身の意思だ。
力比べでは不利と悟った近藤は自ら膝をつき、陶器師の刃が追って来る刹那の間に剣を滑らせ、小手を狙う。
苦し紛れの反撃などあっさりかわされるかと思えたが、陶器師が片手を放すのが半瞬だけ遅れ、手首を削られる。
めげずに陶器師は片手斬りを放つが、近藤が地を転げて逃れると、国重はあっさりと空を切った。
「何だ、ただの間抜けかよ」
立ち上がった近藤は、少し拍子抜けをした顔で呟く。
上段の構えから近藤が脛切りを放つ。
陶器師は辛うじて防ぐが、近藤が更に連続して足を攻めて来ると、足捌きに乱れが生じた。
そこに近藤の渾身の袈裟懸けが走り、陶器師は防ぐ術なく大きく後に下がるが、それでも胸元を掠られる。
足への攻めで相手の体勢を崩し、そこへ本命の一撃を叩き込む……柳剛流が得意とする戦法だ。
幕末に剣術界を席巻した柳剛流は勢力圏が一部天然理心流と重なっており、いわば商売敵であった。
近藤も柳剛流の剣士と戦った経験は一度や二度ではなく、彼が柳剛流の刀法を身に付けていても不思議はない。
だが、そもそも幕末に多くの剣士が柳剛流に敗れたのは、素肌剣法で脛打ちが滅多に使われない技だったからこそ。
実際、剣客達が足狙いの技に慣れ、対策を編み出すと柳剛流は途端に勝てなくなった。
そして、介者剣術では防御の薄い下半身を狙う手はさして珍しくもなく、陶器師程の武者なら防ぎ方ぱ熟知している筈。
なのにどうして、近藤の付け焼刃の柳剛流もどきに陶器師がこうも苦戦しているのか。
理由は単純、下段を攻める近藤の剣が、陶器師にはきちんと見えていないのだ。
仮面を着ければ視界が狭くなる。当然の事だが、そんなわかり易い弱点が放置されるとは考えられず、逆に攻めにくい。
しかし実際には仮面の死角を利用した攻めは覿面に効き、近藤はその事に少し失望していた。
陶器師が仮面を手に入れたのはついさっきなのだからそれも仕方がない事なのだが、
仮面がぴたりと陶器師の顔に嵌っている様子を見れば、ずっと以前から仮面を着けていたと思うのもまた仕方なかろう。
近藤としても他流の技で同系統の剣士を倒すのは不愉快だが、そうするのが最善手なのだから外す訳にはいかない。
「ちっ、つまらねえな!」
近藤の顔に侮蔑の表情を見た時、陶器師の中の狂気と憎悪が更に増幅され……ついに破裂した。
「ぬおっ!?」
近藤が再び脛に切り込んだ瞬間、陶器師は前方に大きく跳躍し、頭から突っ込んで行く。
ここで退いてはつけ込まれると、近藤は真っ向からこれを受け止める。
国重と大包平が打ち合う甲高い音と、近藤の頭蓋骨が陶器師の仮面とぶつかる鈍い音が同時に響き渡った。
但し、鈍い音が一度きりだったのに対し、刀が打ち合う音はその後も幾度となく連続する。
陶器師が潰した間合いを再び離されるのを防ごうと、大攻勢に出たのだ。
近藤としても、常々真剣勝負で最も大切なのは気組みだと言っているだけに、ここで下がる訳にはいかない。
かくして、二人は超近距離に留まり、激しく真っ向からぶつかり合う事となる。
これだけ間合いが近ければ、脛斬りは不可能だが、同様に片手切りや切り込みの緩急もほぼ無意味。
為に、戦いは精緻な技を使いこなす剣客同志の立ち合いにしては珍しく、正面からの力比べの様相を呈して来た。
ピシッ
何十合目かの打ち合いで、拮抗していた二人の戦いに転機が訪れる。
異音が響き、近藤が持つ大包平に小さな亀裂が走ったのだ。
国重とて名工には違いないが、単純に刀の質を比べるならば、やはり名刀中の横綱と呼ばれた大包平に軍配が上がるだろう。
にもかかわらずどうして、力比べで大包平が競り負ける結果となったのか。
元々大包平が重ねが薄く軽量の刀で、耐久力という点ではさして飛び抜けている訳ではない、というのもあるかもしれない。
しかし、最大の要因は剣と剣士がどれだけ同調できているかの差。
新藤五郎国重は、陶器師と共に幾多の姦夫姦婦を葬った相棒であり、もはや半身と言っても言い過ぎではあるまい。
対して、近藤が大包平と出会ってから未だ数刻、一刀斎にあしらわれたのを含めてもこの闘いでやっと三戦目。
もしも近藤が手にしているのが虎徹……今は
芹沢鴨が手にしている贋虎徹だったなら話は違っただろう。
だが、如何に良質でも、まだ手に馴染む程には使い込んでいない大包平では、近藤の気組みが剣勢に乗り切らない。
先程までは慣れない仮面の弱点の為に陶器師が劣勢に立っていたが、立場が逆転した形だ。
大包平の亀裂を見た陶器師はそこに己の剣を叩き付け、再び鍔迫り合いの体勢に持ち込む。
陶器師に押し込まれて更に亀裂が広まって行く己の剣を見た近藤は、大包平を支えるのではなく、逆に片手を放した。
近藤はその手を強く握り締め、拳撃の構えを取る。
危機に怯む事なく、死中に活を求める……近藤らしい選択だが、決して成算が高いとは言えない。
拳を打ち込む前に大包平が壊れれば死、拳撃を放ててもそれで十分な打撃を与えられなければやはり死だ。
大包平ならば横綱の意地を見せてしばらく陶器師の剣を支えてくれるかもしれないが、拳の一撃で達人を倒すのは至難の業。
仮に、拳を顔面に当てて仮面を破壊できれば、陶器師の心に衝撃を与えて剣を止めさせられるかもしれないが、
そうなれば、今より更に狂気を増した陶器師の憎悪を一身に受けることになり、素手で捌くのは難しいだろう。
第一、果心居士がわざわざ授けたこの仮面が、素手で破壊できるような代物なのか。
この辺りの事情は近藤の関知するところではないが、たとえ知っていたとしても行動は変わらない。
近藤は固めた拳をまっすぐ前に……
突然、近藤は攻撃の姿勢を崩し、身を伏せて陶器師の剣を受け流す。
やはり素手で陶器師に対抗するのは無謀だと思い直し、下方からの攻撃に切り替えたのか。
しかし、敵の目の前で屈み込んでの下方からの攻撃は神道流にある技であり、一羽流もそれを受け継いでいる。
近藤がこの手で来るかもしれない事も予測していた陶器師は、慌てずに剣を持ち替え、近藤を串刺しにしようと……
ここで、陶器師は漸く気付く。
仮面の弱点は視界が狭まる事だけではない。周囲の音をも聞き取りにくくしているのだ。
それは平時であれば周囲の密やかな嘲りから陶器師を守る盾となったかもしれないが、この島では弱点でしかない。
仮面の為に聴覚を制限された陶器師が、横合いから忍び寄っていた男に気付いた瞬間、男は横薙ぎを放っていた。
地に伏せた近藤が壊れかけた大包平を倒れ行く陶器師の手に叩き付ける。
近藤は大包平を投げ捨てると、陶器師の手から零れ落ちた新藤五郎国重を空中で掴み、一転して立ち上がった。
しかし、陶器師の眼が向けられているのは近藤ではなく、横から切り付けて来たもう一人の男……
土方歳三だ。
(そういうことか……)
男の構えが近藤のそれとよく似ている事、更に今の横薙ぎの手筋から、陶器師は近藤と男の関係を見抜く。
おそらく二人は同門。つまり、仲間である近藤を助けるために土方が助太刀に入ったのだと、陶器師は推測する。
だが、ならばどうして近藤が土方に剣を投げ付けたのか、そして二人が互いに剣を向け合っているのは何故か。
そこまでを考える必要も余裕も、陶器師にはなかった。胴を両断された人間に残された時間など数瞬に過ぎないのだから。
土方の事を考えていた為に、最後の瞬間に園女の事を思い出さずに済んだのは、彼にとっては幸か不幸か……
陶器師は事切れ、同時に剣を受けてはいない筈の彼の仮面も爆ぜ割れた。
だが、近藤勇と土方歳三は、その奇怪な現象には目もくれず、互いに見詰め合っている。
近藤と土方、彼等は無二の親友であり、師弟であり、同志であった。
今までずっと共に戦って来た二人だが、戦い抜いて果てた彼等には、既に道場も隊も国もない。
そうなると、親友・師弟・同志以外の隠されたもう一つの関係が表に出て来る……即ち、好敵手である。
共に闘い、激戦を乗り越える度に、彼等は互いの強さを実感し、本気で戦ってみたいという欲望を蓄積させて来た。
生前は立場を慮って胸の奥に秘めざるを得なかった想いだが、死によってあらゆるしがらみから開放された今、
彼等が宿願を果たす事を妨げる要素は何一つ無い。
二人は無言の内に互いの思いが同じである事を確認しあうと、本気で剣を繰り出す。
晴れがましい気持ちで戦う彼等を祝福するかのように日が上り、二人の姿を照らし出した。
【三合目陶器師@神州纐纈城 死亡】
【残り五十七名】
【へノ漆/村の中/一日目/早朝】
【近藤勇@史実】
【状態】健康 左頬、右肩、左足にかすり傷
【装備】新藤五郎国重@神州纐纈城
【所持品】支給品一式
【思考】
基本:この戦いを楽しむ
一:土方と決着をつける。
二:強い奴との戦いを楽しむ (殺すかどうかはその場で決める)
三:老人(
伊藤一刀斎)と再戦する。
【備考】
死後からの参戦ですがはっきりとした自覚はありません。
【土方歳三@史実】
【状態】健康
【装備】
香坂しぐれの刀@史上最強の弟子ケンイチ
【道具】支給品一式
【思考】基本:全力で戦い続ける。
1:近藤に全力で挑む。
2:強者を捜す。
3:集団で行動している者は避ける。
4:志々雄と再会できたら、改めて戦う。
※死亡後からの参戦です。
※この世界を、死者の世界かも知れないと思っています。
ほぼ同時刻、島内のとある場所にて。
日の出と共に行う術式の為に呪力を集中させていた果心居士の精神の片隅で、何かが弾ける。
果心がその妖術で作り出し、参加者に寄生させた仮面が、自壊する事で宿主の死に様を知らせて来たのだ。
「三合目陶器師、討たれたか!」
そう呟く果心の声には、安堵の響きがあった。
三合目陶器師……その凄まじい狂気と剣技を見込んで果心がこの島に連れて来た男だが、その心根は剣客としては異端。
「剣に淫する狂人」武田信玄は陶器師をこう評し、それが本当ならば陶器師はこの御前試合に相応しい剣士と言えるが、
陶器師の行いを分析してみると、この評価は人間観察の名人たる信玄には珍しい眼鏡違いではないかと思えて来る。
そもそも、彼が主家を捨てて富士の裾野に潜み、人を斬るようになったのからして原因は剣ではない。
妻を寝取られた屈辱と、周囲の嘲りから逃れる為に樹海に隠れ潜んだという情けない理由なのだ。
本人は女敵討ちなどと言っていたが、それなら何故、敵が富士の裾野にいるという考えにああも固執したのか。
真剣に情報を集めれば、各地の大名と奥方を誑かして金を盗む、美貌の男女の噂が聞けたかもしれないのに。
だが陶器師はそれをせず、知己が妻と情夫の消息を知らせてくれた時には、それを止めようとすらした。
止めきれずに求める敵が八ヶ嶽にいると知っても、真っ直ぐそこに向かうのではなく、最初に訪れたのは病魔に襲われた甲府。
何より決定的なのは、そこで憎い敵の筈の伴源之丞と園女に行き会いながら、陶器師がそれと気付けなかった事。
無論、彼等が事前に月子の整形を受け、別人の顔に変わっていたせいもあるだろう。
しかし、陶器師が真にこの二人を追い求めていたならば、その程度で誤魔化されるものだろうか。
誤魔化されたとしても、後ろ姿で怪しいとは思ったのだから、尾け回すだけなんていう手緩い処置で済ます必要などない。
正体を明かして誰何すればボロを出したかもしれないし、本来なら疑わしきは斬ってしまうのが陶器師らしかった筈だ。
結局、富士の裾野に身を潜め無関係の男女を姦夫姦婦と呼んで斬るのは、逃避であり代償行為だったのだろう。
口では勇ましい事を言っていても、陶器師は本心では源之丞と園女と向き合うのが怖かった。
二人がその美しい顔を捨て、醜い姿となっても寄り添い続けている事を知ったら、陶器師の心はどうなってしまったか……
陶器師にとっては幸運にもと言うべきか、
塚原卜伝の邪魔や、この島に呼び寄せられた事で真実を知らずに済んだ。
しかし、世の中は帳尻が合うように出来ているのか、この御前試合で陶器師は散々な目に遭っている。
柳生十兵衛には顔を傷付けられ、神谷薫には顔に醜い傷を持つ男への愛情を見せ付けられ、
緋村剣心には剣で敗れた。
陶器師は拠り所を失って弱り、あのまま放置すれば、悪夢から目覚める事なく自滅していたかもしれない。
故に、果心は介入した。
顔を隠す仮面と、戦う為の刀を与え、陶器師の夢の中に入り込んで壊れかけた心を鼓舞したのだ。
そのような対処療法がどれくらい保つかは不明瞭だったが、誰かが早めに討ってくれたらしい。
お蔭で、果心が己の全てを賭けて為さんとしている、壮大なる蠱毒の儀式が潰える事はどうにか防げた。
そう、蠱毒は毒虫達が互いに殺し合ってこそ成立する術。
この御前試合も同様で、島にいる八十余名の剣客が殺し合い、優勝者一名を除いて討たれる事が肝要。
誰か一人でも、自害や事故死など、討たれるのではなく死ねば、この蠱毒は果心が望む効果を発揮してはくれない。
果心がやろうとしている儀式は、その程度の事で崩れる程の、ひどく脆い代物なのだ。
そんな不安定な催しに、陶器師のような内に弱さを秘めた剣士を呼ぶのは危うい事だが、それは仕方がないだろう。
蠱毒というものは、同種の虫ばかり使うよりも、珍奇な虫を混ぜる事でより強力な毒を養えるのだから。
(これで二十三人か)
果心が術の準備を始めるまでに把握していた死者は二十二名。これに陶器師を加えれば二十三名という事になる。
もっとも、この島の状況ならば、目を離していた僅かの間に、更に他の死者が出ていてもおかしくないが。
その意味では、良い具合に殺し合いが進んでいると言えるが、まだ不安要素は多い。
陶器師以外にも弱い一面を持った参加者はまだ多いし、逆に剣聖と呼ばれる程の剣客達の技と行動は時に果心の想像を絶する。
そんな者達が入り乱れる中での儀式の遂行は正に綱渡りだが、何としても成し遂げて見せよう。
固い決意を胸に、果心は手にした巻物を開き、そこに浮き出る名前を確認した。
日の出。時を告げる鐘の音が島内に鳴り響く。
辻月丹が伊庭寺に留まっているのなら、またも撞木がひとりでに動いて鐘を撞く光景を見ているかもしれない。
だが、今までと違うのは、今回は鐘の音に混ざって太鼓の音もしているという事だ。
城の太鼓櫓に参加者の誰かが来ていれば、撥が浮き上がって太鼓を打つ姿が見れただろう。
日の出は、主催者にとっても一つの区切りという事だろうか。
それを裏付けるように、鐘と太鼓が鳴り止まぬ内に、今度は男の声が島中に響く。
「御前試合参加者の皆様、急な呼び出しに快く応じ、奥義を尽して下さりし事、まずは御礼申し上げます。
上様も御悦びの御様子。日が昇り、これからは更に闘うに好き日和に為りますれば、更なる奮闘を期待致します。
また、勝負が進み、参加者の数も御前試合開始時より大分減っておりますれば、それをお知らせいたしましょう。
御前試合開始より日の出までの間に亡くなられた方は以下の通り。
犬塚信乃殿の内、御一方
岩本虎眼殿
伊良子清玄殿
林崎甚助殿
新見錦殿
河上彦斎殿
高嶺響殿
中村半次郎殿
鵜堂刃衛殿
岡田以蔵殿
屈木頑乃助殿
九能帯刀殿
久慈慎之介殿
仏生寺弥助殿
斎藤伝鬼坊殿
座波間左衛門殿
佐々木小次郎殿の内、御二方
三合目陶器師殿
清河八郎殿
四乃森蒼紫殿
師岡一羽殿
瀬田宗次郎殿
以上二十三名の方々、既に修羅界へと昇られました。
詳しくは事前にお渡しした人別帖を参照されたし」
この言葉を聞き人別帖を見る者が居れば、そこに連なる名の内二十三が、何時の間にか朱線で消されているのを見出すだろう。
男の話は更に続く。
「皆様には申し訳なき事ながら、今後一定の時刻毎に、立ち入りを禁じる区域を設けさせて頂きます。
辰の刻よりへの壱、巳の刻よりほの伍、午の刻よりろの弐への立ち入りは御遠慮頂きたい。
強いて押し入られるならば、その方には避け得ぬ死が訪れるでありましょう。
これもまた、詳しくは先に配りし地図を御覧あれ」
その言葉と同時に、支給品の中にあった地図が変色し始める。
地図上の指定された三つの区画が黒ずみ始め、定められた時刻には完全に塗り潰されるであろう。
「連絡事項は以上。では、今後とも皆様の御奮闘を、陰ながら御祈り申し上げまする」
何処とも知れぬ闇の中、無数の鏡が浮かび、島内の様々な景色を映し出している。
正確には、鏡の数は八十。ただし、内二十数枚は闇のみを映しており、遠見の鏡として機能しているのは残りの五十数枚。
そう、鏡は一枚につき一人ずつ御前試合の参加者を追跡し、ここにいながらにして全ての殺し合いが見れるのだ。
この場には、それぞれの心境で鏡を見詰める男が三人……いや、更にもう一人が闇の中に現れる。
「御苦労でしたな、果心殿」
南光坊天海が、参加者への申し渡しを終えて帰って来た果心居士に声を掛けた。
「ところで、あれは真ですかな?討ち死にした武芸者達の魂が既に修羅界に参ったというのは」
「さて、その手の事柄は、私などよりも大僧正の方がお詳しいのではありませぬか?」
妖人と怪僧の視線が絡み合い、火花を散らす。
場の緊迫感が高まり……いきなり調子の外れた笑い声がして二人の気が逸れる。
笑い声の主は大納言徳川忠長。どうやら、鏡の中でまた武芸者が討たれたようだ。
それを機に果心は視線を外すと、闇の奥へと歩き出す。
「少々疲れました故、少し休ませて頂きます。ああ、それと……」
果心は、端座して鏡を見詰めているもう一人の男……柳生宗矩に目を向けた。
「そろそろ柳生の方々に働いてもらう事になります。但馬守様、御準備は宜しいですか?」
宗矩の答えはない。が、果心はかまわずに一礼すると、歩み去る。
一方で、柳生宗矩は周囲の様子に少しも関心を示す事なく、ただ鏡に映る光景を見詰めていた。
彼が注視しているのは息子か、又甥か、流派の開祖か、同僚か、それとも……表情や視線からは何も読み取れなかった。
呉越同舟、一触即発。彼等の関係を一言で表すとそんな感じであったが、主たる忠長にそれを気にする様子はない。
ただ、狂気の笑いを顔面に張り付かせたまま、酒杯を傾ける。
何杯目かを飲み干すと、杯を置いてもう一つの、不恰好な金塗りの杯を取って侍女に酒を注がせる。
「楽しいだろう、兄上。貴方とは何から何まで意見が合わなんだが、この楽しみだけは同じだったからのう」
忠長は言うが、如何に武芸好みと言っても、彼の兄家光はこんな殺し合いを楽しむ狂気を持ち合わせてはいなかっただろう。
もっとも、生前にどんな性向を持っていようが、そもそも杯に改造された頭蓋が何かを楽しむなど有り得ぬのだが。
重苦しい闇の中、ただ狂人の笑い声だけが響いていた。
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最終更新:2010年12月02日 19:18