夢十夜――第三夜『暗夜行路』――◆F0cKheEiqE



――ゆりかごの歌を かなりやがうたうよ
ねんねこ ねんねこ ねんねこよ

ゆりかごの上に びわの実がゆれるよ
ねんねこ ねんねこ ねんねこよ……



――バサッ
――バサッ

と、撒いた土が地に広がる音が響く。
事実、一人の少女が、目前の穴に向かって、
傍らの盛り土より両手で掬い取った土を撒いている。

穴の底にあるのは、一匹の蝦蟇の亡骸である。
厳密に言えば、蝦蟇では無く、蝦蟇の様な体躯と容貌をした怪剣士、
屈木頑乃助の亡骸であった。

土を撒く、剣道着すがたの少女は、富士原なえか
今からちょうど1時間半近く前、この屈木頑乃助を殺した少女である。


自身が頑乃助を殺した事実を認識した時、
なえかがとった行動は、己の殺した男の墓を作る事だった。

それは一種の逃避行動だった。

殆どの現代人にとって、殺人という行為は、
強烈なストレスとトラウマを伴う行為である。

そして、その心的ダメージは、殺しの方法がより原始的で、
殺した対象との距離が近ければ近い程、大きく殺人者に襲いかかる。

さるアメリカ陸軍の士官にして心理学者が、
前線で戦う多くの歴戦の兵士たちにインタヴューを重ねた所、
素手、あるいはナイフ、銃剣で相手を殺した記憶は、脳裏にこびり付いて取れる事が無いのだと言う。

その心理学者はその著書に、
今でも、夢に自分が刺殺した敵兵の末期の表情と、断末魔の叫びが現れて、
汗まみれになりながら絶叫と共に眼がさめる時があるのだと、
20人以上は殺しているであろう、さる海兵隊の男が涙ながらに語る様子を詳細に記している。

心身ともにタフな歴戦の兵士ですらこれなのだ。
心も体も、あくまで平和な現代日本の一女子高生に過ぎない富士原なえかに取って、
殺人の代償は、あらゆる意味であまりにも大きい。


だから、彼女は一先ず、その事実より目を逸らした。
墓を作ると言う行動に没頭する事で、脳裏より、殺人の事実を押し遣ろうとしたのだ。

彼女は元々、考えるより先に体が動くタイプの人間であり、
迷ったらまず行動、といった行動的な人間でもあったから、
この選択は至って自然であろう。

頑乃助の持っていた鉄鞘をスコップ代わりに大地とをほじくり返し、
手や鞘で石を除けて、時には両の掌で大地を抉る。

彼女が掘っているのは森の地面だ。
スコップの様な掘削器具を持たない上での作業である。
雑草の根と、木々の枝、数多の砂利、石ころが彼女の作業を阻む。

しかし、なえかは黙々と、休みなく穴を掘り続ける。
石や砂利で、指の皮は破れ、所々裂け、両の掌は余す所なく泥まみれだ。
ぶつけたのか、右手の人差指の爪が割れ、左手に薬指の爪が取れかかっている。
しかし彼女の動きは止まらない。

彼女の潜在意識は知っているからだ。
もし体を一度でも止めてしまえば、
自分は殺人の事実と向き合わねばならない。
そうなれば、自分の心も体も、一体どうなってしまうのか、まるで解らないと…

しかし何事にも終わりはある。
屈木頑乃助が死んでおよそ2時間後、頑乃助は地中の人となっていた。

うず高く盛り上がった塚を茫然と眺めるなえかの耳に、突如、

――ゴォーン、ゴォーン…
――ドン、ドン、ドン、ドン…

鐘の音と、太鼓の音が入り込んでくる。
ハッと辺りを見渡すなえかの脳内に、今度は不思議な声が響いてくる。

――御前試合参加者の皆様、急な呼び出しに快く応じ、
――奥義を尽して下さりし事、まずは御礼申し上げます…

なえかは、しばし静かに言葉に耳を傾けていたが、
彼女が、決して聞きたくなかった名前が、死者の名として読み上げられた。

――清河八郎殿

瞬間、なえかの体を支えていた緊張の糸が、
プツッと音を立てて切れた。


しばし、フラフラとたたら踏んだなえかは、
不意に、ジッと己の両の掌を見た。

泥で汚れた、傷だらけで、ベロベロになった両手がある。
しかし、彼女の眼にはそうは映らない。

そこには、真っ赤な血にまみれた、己の両の掌があったのだ。

「ハハ…アハハ…」

乾いた声で、虚ろな笑いをあげると、
なえかは、フウフラと力なく傍らのブナの木にもたれかかり、
そのままズルズルと座り込んでしまう。

「そっか…」
「清河さん…死んじゃったんだ…」

――何だかかもう…
――疲れちゃったな…

休みなく墓を掘り続けた事による疲労が、
どっと一気に彼女の体にのしかかり、
急激な睡魔が、心身ともに憔悴しきった彼女の意識に靄を掛け、
そして…



こんな夢を見た



なえかは剣道着姿で、弟・幸助を背におぶって、
左右の青田に挟まれた、細い畦道を歩いていた。
時刻は恐らくは夜。辺り一面が闇だが、なえかの歩きは迷いが無く、かつ軽い。
何処か遠くで時折、鷺の啼く声が、細く闇より伸びて、彼女の耳朶を打っていた。

背に負うた幸助は、年6つ程と思われる。
顔、胴、手、足が悉くふっくらと丸く、中々に可愛らしい少年で、
彼女の背で、小さな鼾を立てながら寝ているものと思われた。
なえかの口から、子守唄が紡がれる。

――ゆりかごの歌を かなりやがうたうよ
――ねんねこ ねんねこ ねんねこよ

中々に綺麗な歌声である。
寝顔の幸助が、僅かに微笑んだ様に見える。

一見、微笑ましい情景だが、よく考えれば奇怪な状況だ。
幸助は現在、彼女の一学年下の高校生である。
だが、なえかに背負われた少年は、その容貌こそたしかに富士原なえかの弟幸助であるが、
17のなえかに、6つの幸助の組み合わせは、どう考えてもその年齢が合わない。

しかし、なえかはこの現状を不審に思う様子は無い。
むしろ…

――ゆりかごの上に びわの実がゆれるよ
――ねんねこ ねんねこ ねんねこよ

と、背後の弟をあやさんと、子守唄を続けている。

――ゆりかごのつなを 木ねずみが……
「……ん」
「あれ?起きちゃった?」

そこまで歌った所で、幸助は眼を覚ました。
彼は右の拳で薄目を擦りながら、首を廻し、寝ぼけ眼で辺りを見渡した後、

「ねえさん……あっちへ行こうよ」
と、何処かを指さしながらそう言った。


「え?あっち?」
指差した方を向けば森が見えた。
闇の中に、青々と茂った立木の群れが屹立していた。

――ゾクッ
「―――ッ!?」

何故か、森を見た瞬間、
正体の解らない嫌な予感が、なえかの体を走った。
行ってはならない、あの森に行ってはならない…そう、体のどこかで誰かが囁く。
しかし一方で、いや行くのだ、お前は行かねばならぬ、そう反対の言葉を囁く誰かがいる。

「ねえさん…ひょっとして怖いのかい?」

相反する事を囁く胸中の二つの声に気を取られていたなえかは、
そんな弟の言葉にはっと意識を思考の渦より現実に返した。

「あの森、随分暗い物だしね。お化けがでるかもしれない。怖いのも無理は無い」
「バ、バカ言うんじゃないわよ!そんな物、怖いわけないでしょ!」

少し顔を赤らめながら、弟に反論したなえかは、
胸中のざわめきを意識の外に押しやって、森へと向けて足を向ける。

なえかは気づいていない。
6つになるかならないかと言う弟の物言いが、まるで大人のそれであるという不自然さに。

ぐにゃぐにゃとした畦道を少し行くと、道の分岐が見えた。
石の道しるべが立っていて、そこには、「右、呂仁」「左、帆山」と聞いた事の無い地名が書かれていた。
文字は赤い顔料で書かれていて、その赤は、まるで血の様な不吉な赤だった。

「左だよ」
幸助が言った。

「え、何で知ってるの?」
「前に、来た事があるじゃないか。ねえさんも、一緒だったろう」
「…そうだっけ?」
「あの時も、ちょうどこんな晩だったじゃないか」
「…ゴメン…覚えてない」
「ハハハ、ホントは良く知ってるくせに、とぼけちゃって」

――まあ、忘れてたとしても、すぐに思い出すよ…
そんな弟の言葉に、なえかは、また漠然とした不安を覚えた。
何か忘れている様な気がする。それもとても重要な事を…


そんな不安を余所に、不思議と足は軽々と森の入り口まで進んでいた。
眼前にぽっかりと空いた林の入り口に、少しばかり身震いした。
何処かでまた、鷺が啼いた。

「ねえさん…重いかい?」
「え?」
幸助が出し抜けに聞いて来た。

「別に…重くはないけど」
「今に重くなるよ」
幸助の言葉に、三度(みたび)、嫌な予感を感じた。
何かを、確かに忘れている。
こんな感じの晩に、こんな感じの森の中で…
一体自分は、何を忘れていると言うのか。

幸助の導きに従って、グネグネと曲がった森の獣道を歩く。
森の外からは綺麗に立っていると見えた木々は、
その実、バロック絵画の様にぐにゃぐにゃと曲がり、黒く茂った葉と、
鬱々とした藪は、確かな質量と圧力を以てなえかを圧する。
藪と葉で見えぬ、道の外の森から、ホーホーと、梟が啼く声が聞こえる。

バサバサッと、葉と羽を鳴らして、頭上を何かが飛び去った。
ギャーっと、聞いた事も無い不気味な声が森に響く。

頭上に目を遣ったなえかが、目線を正面に戻せば、
そこで、奇妙な物を見た。

獣道の真ん中に、でんと居座った一匹の大きな蝦蟇である。
ゲコゲコと、喉を膨らませながら、気持ちの悪い声を出している。

「・・・・」

なえかが近づくと、蝦蟇はぴょんと横に飛んで、藪の中に消えた。
なえかは酷く不快な気分に襲われた。飛び去り際に見えた蝦蟇の横顔は、確かに嗤っていた。
通常、蝦蟇が人を嗤う筈も無い。しかしなえかには解った。確かにあの蝦蟇は、自分を嗤っていた…

「そこを右だよ」

不安、苛立ち、焦燥…
あらゆる感情をない交ぜににした上で霞を掛けた様な、
模糊として、ただひたすらに不安定で不可解な心境の中、
彼女は弟の先導に従って森を歩く。


その先に、この心の霧を晴らす答えがある。
なえかは何故かそう、確信を足を進める。
きっと、解ってしまえばなんて無い事に違いない。そうに違いない。
楽観的に、そう自分を励まして、するする足を進める。
行ってはならぬ、と、心のどこかで、誰かが囁くの、意中より押し遣りながら…

「そこを右」

四度目の岐路を曲がって、しばらく行った所で、
なえかは、またも予期せぬ光景に出くわした。
しかしその予期せぬ光景を見るや否や、心の霧が少し晴れるのを彼女は感じた。

「ねえさ~ん」
「おかえりなさい」
「ククク…さあ御主人様!家に帰るぞ!」

見慣れた3人分の人影を見た。
なえかの弟、富士原幸助…それも世の理に則った、たしかに年15の彼である。
やさしく、そして愛すべき女メイド、フブキ。
いけすかない、しかしここぞと言う時頼りになるメイドガイ、コガラシ。

「みんな…!」
なえかは、愛すべき「家族」に駆け寄ろうとして、あわてて足をとめた。

「なに…コレ…」

彼女の足元に、出現したのか、最初からあったのか…
深い深い、底の覗えない幅の広い亀裂が、なえかの足元にはある。
これでは、三人の所へ行けないではないか…

「行けないよ」

背後の幸助がそう言った。

「え…?」
「アンタは行けないよ」

いや、コレは本当に幸助なのだろうか…
その声は、おそろしく低く、ゴロゴロとした濁声で、それは正しく蝦蟇の鳴く様な…


「左を見ろ」

なえかは左を見た。

「奥だ。奥へ行け」

体は自然と動いた。気が付けば、森を分け行っていた。
――行ってはいけない
嫌な予感は悪寒となって背骨を駆け抜け、
胸中の誰かは必死に自分を留めようと絶叫している。
しかし、体はまるで誰かが動かすように動いた。

三間ほど行くと、一本の杉が立っていた。

「そこだ、そこだ。ちょうどその杉の根の処だ」

根元を見た。何のためか、酷く黒ずんでいる。

「ねえさん、その杉の根の処だったね」
「うん、たしかにそうね」

なえかは、思わず答えてしまった。

「ちょうど二時間前だな」
――ああ、確かに2時間前だ。

「御前がおれを殺してから、今でちょうど2時間だ」

何時の間に幼き幸助より変じたか、なえかの背後にしがみ付いた、
無様に太った体に短い脚、青黒く、両眼が酷く離れ、鼻が潰れ、
今や嗤いの形を描いている大きく突き出た口をした、一匹の蝦蟇剣士がそう言った。

「…ああ」
――どうして忘れていたのか
――どうして忘れようとしていたのか
――どうして逃げようとしていたのか
――どうして目を背けようとしたのか
――私は…

「私は、人殺しだったんだなぁ」

自分が、人殺しであったと気が付いた時、
なえかの背中にしがみ付いた蝦蟇の体が、急に、
まるで石地蔵のように重くなった…



朝焼けが、木の根元に凭れかかって眠る一人の少女を照らす。
身につけている稽古着の胸元がはだけ、豊かな双丘が、その白くやらやかな艶をつるりと曝している。
しかし一方で、その両手は無残にも無数の傷と、一面の泥で汚れていた。

そんな彼女の寝顔から、
――ツゥーッ
と、一筋の涙が零れた。

少女のの懐中の霊珠は、彼女に如何なる天啓も与えてはくれない。
全ては少女が向き合うべきものと…


――ゆりかごのつなを 木ねずみがゆするよ
ねんねこ ねんねこ ねんねこよ

ゆりかごの夢に 黄色の月がかかるよ
ねんねこ ねんねこ ねんねこよ


【はノ弐 森の中/一日目/早朝】

【富士原なえか@仮面のメイドガイ】
【状態】足に打撲、両の掌に軽傷、睡眠中(悪夢)、強い罪悪感
【装備】壺切御剣@史実
【所持品】支給品一式、「信」の霊珠
【思考】
基本:殺し合いはしない。
一:私は……


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一人脱落、一人参戦 富士原なえか 悪夢の終わり

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最終更新:2010年12月02日 20:55