368
三つの鎖 外伝 1 前編 ◆tgTIsAaCTij7 sage 2010/07/09(金) 23:34:37 ID:45E5IC2z
三つの鎖 外伝 誕生日の
プレゼント
終わりのホームルームが終わって騒がしくなった教室を出た。
教室の外は寒い。年を明けたとはいえ、春は遠い。
学校が終わって廊下は人が多く騒がしい。受験の季節だからか、みんな重たそうな鞄を手にしている。
そんな中、人が多い廊下でも頭一つ抜けている身長の高い男の子がこっちに歩いてくる。
「幸一くん!」
私の呼び声に幸一くんは片手をあげた。
珍しい。いつもは私が幸一くんの教室に迎えに行くのに。幸一くんから私の教室に来るのは久しぶりかもしれない。
「今日はどうしたの?」
幸一くんに駆け寄りながら私は尋ねた。返事が来る前に幸一くんの両手を握る。
「そんなにお姉ちゃんと帰りたいんだ!お姉ちゃん嬉しい!」
幸一くんの顔が面白いぐらい赤くなる。初々しい反応。楽しい。
「違うよ」
恥ずかしそうにそっぽを向く幸一くん。可愛い。
「春子に相談があって」
真剣な顔で私を見る幸一くん。最近、幼さが抜けて大人の顔になってきた。
嬉しいような寂しいような複雑な気持ち。
「いいよ。じゃあお姉ちゃんの家に行こうよ」
私は幸一くんの手を握ったまま引っ張る様に歩き出した。
生徒でごった返す廊下の中をかき分けるように歩く。
歩きながら私は考えた。幸一くんの相談は多分梓ちゃんに関係すること。
梓ちゃんの誕生日が近いし、誕生日プレゼントに違いない。
「春子」
「何?」
「恥ずかしいから手を離して」
「やだ」
私は幸一くんの手をぎゅっと握った。幸一くんの手は温かった。
結局私達は家まで手をつないで帰った。
何度も手を離してって恥ずかしそうに言う幸一くんが可愛すぎる。
「先に二階に上がって」
玄関で手を離す。幸一くんがほっとした気配が伝わる。
二階に上がる幸一くんをしり目に私はキッチンに入った。キッチンにはお母さんの置き手紙があった。今日も遅くなるとのこと。
よし。今日は幸一くんと梓ちゃんと食べよう。一人で食べるのは味気ないしね。ついでに幸一くんの腕前を確認しよう。
今、加原の家の家事は幸一くんが行っている。もちろんお料理も。教えたのは私とお母さんと京子さん。既に一人前といっていいレベル。
熱い緑茶とスポーツドリンクを手に私は二階に上がった。
部屋に入ると、暖かい。幸一くんがストーブをつけてくれたようだ。昔に比べ幸一くんは本当に気がきくようになった。
私の部屋には幸一くんとシロが座っていた。気持ちよさそうに幸一くんに頭を撫でられているシロ。
「幸一くん。どうぞ」
幸一くんは礼を言ってコップを受け取り口にした。
私がコートを脱ぐのを幸一くんは手伝ってくれた。
うーむ。この辺は紳士になったかな。昔のお調子者の幸一くんからすれば大きな成長だ。
「それで、相談って?」
幸一くんは深呼吸して話しだした。
私の予想通りだった。今度の梓ちゃんのお誕生日のプレゼントは何がいいかだ。
ちなみに、今年の私の梓ちゃんへのプレゼントは手編みのマフラーを渡すつもり。既に完成している。幸一君にもおそろいのを作っていて、もうすぐ完成。
去年の幸一くんのプレゼントはケーキだった。私と幸一くんの二人で作った手作りケーキ。梓ちゃんは何も言わずに食べてくれた。
「何か考えているの?」
「一応候補はある」
私は驚いた。去年は文字通り途方に暮れて私に相談してきたのに、今年は候補があるらしい。大きな成長だと思う。
胸が締め付けられるような感覚。想像もしなかった寂しさが募る。
「候補は何かな?」
私は胸の内を表に出さないようにしながら尋ねた。
「扇子をプレゼントしようと思っている」
…聞き間違えたかな。
「もう一回言ってくれる」
「扇子をプレゼントしようと思っている」
「幸一くん正座しなさい」
幸一くんは素直に正座した。何でそこは素直なのかな。妙に姿勢がいいのが何か腹立つ。
369 三つの鎖 外伝 1 前編 ◆tgTIsAaCTij7 sage 2010/07/09(金) 23:35:49 ID:45E5IC2z
シロも何故か幸一くんの隣にちょこんと座った。君は関係ないよ。
「あのね、梓ちゃんもう中学2年生だよ?年頃の女の子に扇子?まあ百歩譲ってもだよ、今は冬だよ?」
幸一くんの成長は私の勘違いだったみたい。
「何で扇子をプレゼントしようと思ったのか、お姉ちゃんに説明してくれるかな」
幸一くんは落ち着いた声で説明し始めた。
梓ちゃんが暑がりなこと、特に暖房の効いている場所ではいつも顔を手で仰いでいること、だから扇子があれば役に立つのではないかと思った、との事らしい。
幸一くんの言うとおり、梓ちゃんは暑がりだ。よく手で顔を仰いでいる。
「だから春子にいい扇子を売っているお店を聞こうと思って」
さっきのは訂正。やっぱり幸一くんは変わった。妹へのプレゼントを幸一くんなりに考えている。
それでも扇子はどうかと思うけど。
「やっぱり扇子は変かな」
不安そうな顔をする幸一くん。この表情も可愛い。
「変だよ」
落ち込む幸一くん。梓ちゃんと違って分かりやすい。シロが慰めるように幸一くんに体を摺り寄せる。
「でも、幸一君らしくていいと思うよ」
幸一くんの顔が笑顔に輝く。単純だなー。でもそんなところが可愛い。
「扇子かー。お姉ちゃんで調べてみるよ」
また後で幸一君の家でご飯を食べる約束をして、幸一くんを家に帰した。
早速、私はインターネットで調べ始めた。
何だか気分がウキウキする。自分でもその理由が分からないまま、私は調べものに没頭した。
調べ物を済ませて、私は家を出た。
幸一くんの家の玄関の扉は鍵が掛かっていた。私はピッキングツールを取り出し、ドアを開けた。結構頑丈な鍵を使っていて最初は手間取ったけど、慣れればどうという事は無い。
こっそり幸一くんの家に入り込み、驚いた幸一くんの顔を見るのが私の楽しみの一つ。
勝手知ったる幸一くんの家に入り、リビングからキッチンに向かう。リビングは暖房がついていなかった。ちょっと寒い。
こっそり覗くと、幸一くんは晩ご飯を作っていた。
無駄のない手慣れた動きで料理する幸一くん。驚かそうと思って、私はできなかった。料理する幸一くんの表情が、びっくりするぐらい真剣だったから。
料理を一通り済ませ、使った料理道具を洗い始める幸一くん。手慣れた動き。
「幸一くん」
びっくりした表情で私の方を振り向く幸一くん。さっきの大人びた表情は見る影もない。
嬉しさと、寂しさが胸に湧き上がる。
自分自身でも、何でそんな風に思ったのか分からない。
「春子?どこから入った?」
「玄関の鍵、開いてたよ」
そうだったっけ、と頬をかく幸一くん。いつもの幸一くんの仕草。
私は手を洗い、お味噌汁を一口味見した。
おいしい。男の子の作る料理にしては、濃くない。
男の子はどちらかというと濃い味付けが好きだ。幸一くんもそう。でも、これはそんなに濃くない。
「幸一くんて薄味が好みだっけ?」
「違うよ」
不思議そうに私を見る幸一くん。
「じゃあ何で薄めに作ったの?」
幸一くんは微笑んだ。
「梓は、ちょっと薄味の方が好みだから」
大人びた幸一くんの微笑み。
今まで、こんな笑顔の幸一くんを見た事ない。落ち着いた笑顔。
頬が微かに熱くなるのを感じる。
その事に気がついて、ちょっと腹が立った。
私は背伸びして幸一君の頭を撫でた。
「よくできてるよ」
幸一くんの顔が赤くなる。
「おいしいけど、出汁を煮込み過ぎかな。薄味にしたいなら、そこを気をつけた方がいいよ」
顔を赤くしたまま黙って耳を傾ける幸一くん。
その恥ずかしそうな表情はいつもの幸一くんだった。
「春子」
「なーに?」
「恥ずかしいからやめて」
「やだ」
幸一くんは顔を赤くしたまま。恥ずかしそうに視線を逸らす。
ちょっと気が晴れたかも。
370 三つの鎖 外伝 1 前編 ◆tgTIsAaCTij7 sage 2010/07/09(金) 23:37:13 ID:45E5IC2z
ご飯ができたから梓ちゃんを呼びに行くことにした。階段を上り梓ちゃんの部屋の扉をノックする。返事無し。
「梓ちゃん。入るよ」
ドアを開けると、締め切られた淀んだ空気が出てきた。
梓ちゃんはベッドの上で布団にくるまって寝ていた。
白くて細い素足が布団からはみ出ている。寒くないのかな。
「梓ちゃん」
私は布団の上から梓ちゃんをそっと揺らした。
ガバッと梓ちゃんが跳ね起きた。びっくりした。
不機嫌そうに私を睨む梓ちゃん。
「梓ちゃん。晩ご飯ができたよ」
「何で春子がいるの」
すごく不機嫌そうな声。
そういえば、幸一くんの家で晩ご飯を食べるのは久しぶりな気がする。最近は受験勉強で忙しくて、幸一くんの家にお邪魔する機会自体が少なかった。
「今日はお姉ちゃんの家、誰もいないから、一緒に食べようと思って」
梓ちゃんは不機嫌そうに私を睨むけど、やがて興味を失くしたようにベッドから降りた。
すらりと伸びる白くて細い素足と腕。キャミソールに飾り気のない白い下着という格好の梓ちゃん。寒くないのかな。
そのまま梓ちゃんはホットパンツをはいて部屋を出ようとした。
「梓ちゃん。寒くないの?」
「別に」
そっけなく答える梓ちゃん。その後ろ姿はこれ以上の会話を拒絶していた。
二人で階段を下り、リビングに入る。
食卓には湯気の上るおいしそうな料理が並んでいた。
ご飯にお味噌汁、ほうれん草のおひたしにかぼちゃの煮つけ、鳥の照り焼き。
匂いが食欲を刺激する。
みんなで座って手を合わせる。
「いただきます」
「いただきます!」
「…いただきます」
三者三様にいただきますをして箸をとる。
どれもおいしい。初めて幸一くんに教えた時とは別人としか思えない腕前。
幸一くんの成長に嬉しさを感じる。
それと同時に寂しさも感じる。何で寂しく感じるのか、分からない。
幸一くんの成長は嬉しいはずなのに。何でなんだろう。
お味噌汁を口にする。おいしい。リビングに暖房がついてなくてちょっと寒いから、お味噌汁の温かさが身にしみる。
食卓をちらりと見まわす。幸一くんは静かに食べている。梓ちゃんも無言で食べている。寒そうな格好なのに、涼しげな顔。
やっと分かった。リビングに暖房がついていない理由。
梓ちゃんが暑がりだから、暖房をつけていないんだ。
無言で食べる兄妹。なんだか声をかけずらい。
「幸一くん。腕を上げたね」
「ありがとう。春子のおかげだよ」
嬉しそうに笑う幸一くん。その笑顔が眩しい。
「梓ちゃんはどう?おいしい?」
「…まあまあ」
不機嫌そうに答える梓ちゃん。
結局、会話が続かないまま晩ご飯を終えた。
梓ちゃんは何も言わず食器も片付けず席を立った。
「梓ちゃん。ご馳走さまは?」
面倒くさそうに私を見る梓ちゃん。
「…ご馳走さま」
梓ちゃんはリビングを出て行った。
幸一くんはそんな梓ちゃんに何も言わずに後片付けをはじめた。
「いいの?」
苦笑する幸一くん。
「僕も梓に苦労かけたから」
そう言って食器を洗い始める幸一くん。そんな幸一くんを不憫に感じた。
梓ちゃんと幸一くんの確執は私も知っている。確かに幸一くんは無責任な所もあった。でも、幸一くんが全て悪いわけじゃない。梓ちゃんだって、家事が嫌ならそれを言えば良かった。荒れて夜の街に繰り出す必要なんて無かった。
それなのに幸一くんは全部自分の責任と言って、梓ちゃんに尽くす。
私は腕をまくって幸一くんの隣に並んだ。
「いいよ。僕が洗うから」
371 三つの鎖 外伝 1 前編 ◆tgTIsAaCTij7 sage 2010/07/09(金) 23:38:38 ID:45E5IC2z
「お姉ちゃんも手伝うよ。おいしいご飯のお礼」
そう言って二人で食器を洗う。
大した量じゃないし、すぐに終わる。
幸一くんはお茶を入れてくれた。温かい緑茶。二人でリビングに座り、のんびりとお茶をすする。
少し寒いリビングに、温かいお茶が美味しい。
お茶をすする幸一くんの横顔を見る。幼さの少し抜けた横顔。
大人びた落ち着いた表情に、不安を感じる。
ずっと一緒にいて、ずっとそばにいたはずなのに、幸一くんが遠くに感じる。
何でだろう。幸一くんに取り残されているように感じる。
まだ私の方がお料理は上手だし、成績も私の方がいい。幸一くんに教えられる事はたくさんある。
それなのに、幸一くんに置いてきぼりにされているように感じる。
不安と同時に若干の怒りも感じる。私にそんな事を感じさせるなんて、ちょっと腹が立つ。
私はコップを置いて幸一くんの後ろから抱きついた。
「えっ!?」
びっくりしてコップを落としかける幸一くん。
慌てた表情。その表情が赤くなる。
可愛い。私は幸一くんに頬ずりする。
「な、なに?どうした?」
恥ずかしがる幸一くんの表情を見ていると、腹立ちが徐々に収まっていく。
うん。やっぱり幸一くんはこの表情が一番似合っている。
「は、離れて」
恥ずかしそうに身をよじる幸一くん。私は調子に乗ってさらに幸一くんに抱き締める。背中に胸を押し付ける。
「恥ずかしいから離れて。お願いだから」
顔を真っ赤にする幸一くん。可愛い。
幸一くんの恥ずかしそうにしている表情を見るのがすごく楽しい。
そんな幸せに浸っていると、リビングから梓ちゃんが入ってきた。
相変わらずの薄着。白くて細い手足が眩しい。お風呂上りなのか、艶のある長い髪を背中に垂らしている。
「何してるの」
不機嫌そうに私達を睨む梓ちゃん。
「どう?恥ずかしがっている幸一くん、可愛いでしょ?」
幸一くんの頬を手でなでる。恥ずかしそうに身をよじる幸一くん。可愛い。
梓ちゃんの視線がさらに不機嫌になった気がした。
無言で何かを幸一くんに投げつける梓ちゃん。幸一くんは手慣れた様子で受け取った。ブラシだ。
何も言わずにソファーに座る梓ちゃん。
幸一くんは私の腕をそっと離して、梓ちゃんの後ろに立った。
「ドライヤーは?」
「いらない」
短いやり取りの後、幸一くんは梓ちゃんの髪をとき始めた。
真剣な表情で丁寧に髪の毛をとく幸一くん。梓ちゃんは相変わらず不機嫌そうにしているけど、少しだけ気持ちよさそうにしている気がする。
その光景に、胸がもやもやする。
昔、幸一くんが私に手入れの仕方を教えて欲しいと頼んできたことがある。私は教えてあげた。練習台に髪の毛をとかしてあげた。
最初はひどかった。髪の毛は絡まるし、抜ける。
でも、すぐにうまくなった。上手に髪の毛の手入れをできるようになった。
今の幸一くんを見ても、さらに上達しているのが分かる。
幸一くんの成長が嬉しいはずなのに、胸がもやもやする。寂しさを感じる。
「これでいい?」
幸一くんの言葉に梓ちゃんは無言で立ち上がった。そのままリビングを出て行こうとする梓ちゃんを幸一くんは呼びとめた。
キッチンに向かった幸一くんは、コップを片手に戻ってきた。氷の入った琥珀色の液体。
「アイスティーでいい?」
梓ちゃんは無言で受け取り、リビングを出て行った。
「相変わらずだね」
幸一くんは苦笑した。
梓ちゃんが幸一くんをこき使うのも、今では見慣れた光景になってしまった。
「お店はいいのあった?」
幸一くんの言葉に一瞬考えてしまった。幸一君の頼みで扇子を売っているお店を調べたんだった。
「あったよ。少し遠いから、今度の休日に一緒に行こ」
「ありがとう」
柔らかい笑みを浮かべる幸一くん。
優しい落ち着いた笑顔に頬が熱くなる。その事に気がついて、自分でもよく分からないぐらい腹が立った。
372 三つの鎖 外伝 1 前編 ◆tgTIsAaCTij7 sage 2010/07/09(金) 23:41:10 ID:45E5IC2z
休日の朝、私は幸一くんが迎えに来てくれるのを家で待っていた。
もう既に準備はできている。ロングスカートにブラウス。その上にカーディガン。コートにマフラー。このマフラーは去年の誕生日に幸一くんがプレゼントしてくれた品。
そういえば、もうすぐ私の誕生日だ。梓ちゃんの誕生日のすぐ後。私の誕生日の次の日が幸一くんの誕生日だ。
ちょっと不安になる。幸一くん、私の誕生日を覚えているのかな。梓ちゃんの事ばかりだし。
そんな事を考えていると、ドアベルが鳴る。
お母さんの声が聞こえてくる。
「春子!幸一くんが来てくれたわよ!」
私は鞄を手に階段を下りた。
幸一くんが私に気がついて微笑む。
「おはよう」
恥ずかしそうな表情。きっとお母さんに何か言われたに違いない。
「お母さん。幸一くんに何か言った?」
お母さんはニッコリと笑った。
「春子をもらってやってってお願いしただけよ」
幸一くんの顔が赤くなる。
いつもの恥ずかしそうな幸一くんの表情なのに、ちょっと腹が立つ。
何でだろう。いつもの恥ずかしそうな表情なのに。
「そうだね。お姉ちゃんでよければ結婚してくれる?」
幸一くんの顔がさらに赤くなる。恥ずかしそうにそっぽを向く幸一くん。可愛い。
腹が立った理由が分かった。私以外の人が幸一くんにこの表情をさせたからだ。
自分の意外な独占欲にちょっとびっくり。
「お母さん。行ってくるね」
「幸一くん。春子をお願いね」
はい、と消えそうな声で答える幸一くんの手をとり、私達は家を出た。
外は寒い。私は幸一くんの手をぎゅっと握った。幸一くんの手は温かい。
「春子」
「なに?」
「恥ずかしいから手を離して」
私は手を離した。幸一くんがほっとした気配が伝わる。
自分の腕を幸一くんに絡ませる。腕を組んだままの状態で私は歩き出した。
「は、春子?」
恥ずかしそうな幸一くん。私に引っ張られるように歩く。
もう。男の子がリードしないといけないのに。
「幸一くん。男の子なんだからリードしないと駄目だよ」
「その、もうちょっと離れて欲しい」
「やだ」
そんなやり取りをしながら歩く。
バスに乗り、隣町のショッピングセンターに向かう。
揺れるバス。私はバランスを崩した。咄嗟に手すりを掴もうとしたけど、手が届かない。
こける。そう思った時、幸一くんが支えてくれた。
私を抱きかかえるように支える幸一くんの腕。思ったより逞しい腕に抱きしめられ、びっくりした。
いつの間にこんなに逞しくなったんだろう。
「大丈夫?」
私を見下ろす幸一くん。
「どこか痛めた?」
無言の私を見て勘違いしたのか、幸一くんは心配そうに私を見下ろす。
「うんうん。大丈夫」
そう言った次の瞬間、目的地が近い事をアナウンスが告げる。幸一くんは降車のボタンを押した。
幸一くんが先にバスを降りる。私が降りようとした時、幸一くんが手を差し出した。
「ありがとう」
私は礼を言って差し伸べられた手を握った。幸一くんに支えてもらいながらバスを降りた。
横目に幸一くんを見る。平然としている。全く恥ずかしがっていない。
手を握られたり腕を組まれたりするとあんなに恥ずかしがるのに、女の子に手を差し伸べて支えるのには何の羞恥心も感じないみたい。
私は幸一くんの手を握った。
「え?」
幸一くんが驚いた表情が赤く染まる。
「は、春子?恥ずかしいからはなして」
変な幸一くん。支える時に手を握るのは平気なのに、こうやって握られたら恥ずかしがる。
でも、そんな所も可愛い。
「春子?聞いてる?」
373 三つの鎖 外伝 1 前編 ◆tgTIsAaCTij7 sage 2010/07/09(金) 23:42:26 ID:45E5IC2z
もちろん聞いている。私は手を離して、抱きしめるように幸一くんと腕を組んだ。
恥ずかしそうにそっぽを向く幸一くん。可愛い。
ショッピングセンターの中は込んでいる。家族連れやカップルも多い。
その中を歩いていると、幸一くんが驚いたような顔をした。
幸一くんの視線の先を見ると、私達と同じぐらいの年の男女が歩いていた。
男の子は見覚えがある。確か、幸一くんのお友達の田中耕平君だったと思う。
田中君は私達に気が付く事なく離れて行った。
「田中君だっけ?」
「そう。僕と同じクラスの。また知らない子と歩いてる。」
「知らない子?」
幸一くんいわく、田中君はいつも別の女の子と一緒にいるらしい。大したプレイボーイだ。
「幸一くんも色んな女の子と遊びたいの?」
頬を赤くする幸一くん。
「恥ずかしいからいいよ」
恥ずかしそうに言う幸一くんに、ちょっと腹が立った。
何で腹が立ったか、自分でもよく分からない。
でも、恥ずかしそうにする幸一くんに自分でも分からないぐらい腹が立った。
「好きな女の子でもいるの?」
私の問いに幸一君は驚いた様に私を見た。
「いないよ。僕の評判を知っているだろ?」
幸一くんの評判。成績優秀で真面目。でも、シスコンで、幼馴染の女の子がいつもそばにいる。
うーん。何も知らばい女の子からすれば、ちょっと付き合いにくいかな。
「お姉ちゃんが女の子を紹介してあげようか?」
幸一くんの顔が赤くなる。
不思議と腹が立つ。
「いいよ。今は受験だし」
そんな事を話しているうちに目的地に着いた。
和服を扱うお店。和服だけでなく、和風のアクセサリーや小物も扱っている。
当然、扇子もある。
扇子を手に取る幸一くん。
幸一くんの横顔に、胸が締め付けられる。
その横顔が、今まで見た事の無い真剣な表情だった。
ずっとそばにいたのに、私には見せた事のない表情をする幸一くん。
私の知らない間に成長している幸一くん。喜ばしいはずなのに、胸が締め付けられる。
「これどうかな?」
私に扇子を差し出す幸一くん。ぼんやりとしていた私は慌てて視線を扇子に向けた。
幸一くんの手にした扇子は、落ち着いた色合いの品の良い物だった。
梓ちゃんが手にしている姿を想像する。暑そうに扇子でぱたぱた顔をあおぐ梓ちゃんを容易に想像できる。
思った以上に似合っている。
「いいと思うよ」
「ちょっと待ってて。買ってくる」
レジに向かう幸一くん。後ろの背中が大きく見える。
胸が締め付けられるような感覚。郷愁にも似た寂しさ。
包装された扇子を鞄に入れながら幸一くんが近づいてくる。
「梓、喜んでくれるかな」
不安そうな表情の幸一くん。その表情を見て安心してしまった。
「大丈夫だよ。きっと喜んでくれるよ。幸一くんが梓ちゃんのために一生懸命選んだのだから」
私は幸一くんの手を握り締めた。
「もっと自分の選択に自信を持って」
幸一君は微笑んだ。手を握った時にする、恥ずかしそうな笑顔じゃない。落ち着いた大人びた微笑み。
「ありがとう」
その笑顔に、胸が締め付けられる。
分からない。何でなんだろう。幸一くんの落ち着いた大人びた笑顔や仕草に、理由の分からない寂しさを感じる。
「どうしたの?」
不思議そうに私を見る幸一くん。落ち着いた表情が何だか腹立つ。
私は幸一くんの腕に私の腕を絡ませた。
たちまち顔を赤くする幸一くん。
「ちょっと春子!」
幸一くんの抗議を無視して私は歩き出した。
私に引きずられるように歩く幸一くん。
374 三つの鎖 外伝 1 前編 ◆tgTIsAaCTij7 sage 2010/07/09(金) 23:44:41 ID:45E5IC2z
「せっかくだから今日は一杯遊ぼうよ」
「受験前でしょ?」
「息抜きは必要だよ」
そんな事を話しながらショッピングセンターを歩く。
シルバーアクセサリーを売っているお店を発見。
扇子じゃなくて、こういうのをプレゼントしたらいいのに。
幸一くんのお勉強のためにも見てみようかな。
「行ってみようよ」
私は幸一くんを引っ張ってお店に入った。
色々なシルバーアクセサリーがある。幸一くんも珍しそうに商品を見ている。
たくさんあるなかで、一つの指輪が目を引いた。
飾り気もないシンプルなデザインの指輪。他にも綺麗で洒落たデザインの指輪があるなかで、何でかこの指輪に注目してしまう。
横目に幸一くんを見る。幸一君は珍しそうにきょろきょろしている。
朝のお母さんとの会話を思い出す。結婚。
結婚なんて想像もつかない。まだ中学3年生だし。
一人の男の子とずっと一緒にいる。そんな男の子は、私にとって幸一くんしか考えられない。
でも、一人の男の子として愛しているかというと、そんな事は無い。
女の子としての愛じゃなくて、姉としての愛。
だから幸一くんの付き合って欲しいという告白を断った。それに、幸一くんは本気で私を好きなわけじゃなかった。
もし幸一くんが私の事を本気で好きなら、応えたいと思ったかもしれない。でも、幸一くんは単に彼女が欲しいと思っていただけだった。恋に恋していただけだった。
いつか幸一くんも結婚するのかな。
もう一度横目に幸一くんを見る。
真剣な表情でアクセサリーを見ている幸一くん。私には向けない、大人びた表情。
幸一くんが何を考えているか、分かった。分かってしまった。
梓ちゃんが喜ぶかを考えているんだ。
胸に切ないほどの寂しさが湧き上がる。
私は幸一くんの腕に抱きついた。
びっくりしたように私を見下ろす幸一くん。
幸一くんの身長、いつの間にこんなに高くなったのだろう。
私は幸一くんと腕を組みお店を出た。
引っ張られるように歩く幸一くん。
私と一緒にいるのに、梓ちゃんの事ばかり考えている幸一くんに何だか腹が立った。
梓ちゃんが幸一くんの妹なら、私は幸一くんのお姉ちゃんなのに。
幸一くんの腕に思い切り胸を押し付ける。
どうだろう。幸一くん、恥ずかしがっているかな。
「春子」
落ち着いた幸一くんの声。
振り向くと、心配そうに私を見る幸一くんの顔が近くにあった。
「どうしたの?何か春子らしくないよ」
綺麗な瞳が私を見つめる。
その顔には、羞恥も浮かんでいないし、赤くもなっていない。
あくまでも心配そうな表情が浮かんでいるだけ。
切なさに似た寂しさに、胸が締め付けられる。
「そんな事ないよ。それよりも何か食べようよ。お姉ちゃん、お腹がすいた」
誤魔化しながら私は幸一くんの腕を引っ張るように歩いた。
結局、一日遊んだ。
バスの座席でうとうとする幸一くん。
今日一日、思い切り引っ張りまわしたから、幸一くんはお疲れだ。
幸一くんの寝顔。幼さの抜けてきた男の子の顔。
今日は楽しかったけど、腹立たしく感じたこともあった。
幸一くんが梓ちゃんの事を考えているのが腹が立った。
幸一くんが私に見せた事のない表情をするのが気に食わなかった。
幸一くんが恥ずかしがらずに私を心配するのが嫌だった。
静かに眠る幸一くん。その寝顔を見ていると、変な気分になってくる。
落ち着かない、そわそわした感じ。
その事に気がついて、余計に腹が立った。
まるで私が幸一くんに恋しているみたい。
ずっと面倒を見てきた、手のかかる弟みたいな男の子。
そんな幸一くんにお姉ちゃんが恋するなんて、ありえない。
375 三つの鎖 外伝 1 前編 ◆tgTIsAaCTij7 sage 2010/07/09(金) 23:46:21 ID:45E5IC2z
私の想いを知らず、のんきに眠り続ける幸一くんを見ていると、もっと腹が立った。
幸一くんのほっぺた。柔らかそう。
小さい時は何度も幸一くんにキスした。恥ずかしがって逃げ回る幸一くんを追いかけるのが楽しかった。
でも、別に胸が高鳴る事は無かった。あくまでも子供のお遊びみたいなキスだった。
最後にキスしたのはいつだろう。
今、幸一くんに口づけしたら、胸は高鳴るのかな。
私は幸一くんのほっぺたに、そっと口づけした。
胸は高鳴らなかった。
ただ、顔が熱くなった気がした。
幸一くんと別れ、家に入る。
自分の部屋に戻り、ベッドにダイブした。
恥ずかしさと自己嫌悪に頭が爆発しそう。
私は何をしているの。
他の人がいるバスの中で、寝ている幸一くんの頬に口づけ。
自分がした事を信じられない。
頬が熱い。昔は口づけしても、恥ずかしく感じる事は無かったのに。恥ずかしがる幸一くんを見るのが楽しかったのに。
悶えていると、階段を上る音が聞こえてくる。
人間じゃない足音。
シロが扉を開けて入ってきた。
心配そうに私を見るシロ。
「シロ。おいで」
シロは私の傍にやってきた。その頭をそっと撫でる。
気持ちよさそうにするシロ。そんなシロを見ていると、だんだん気分が落ち着いてくる。
よし。今度幸一くんに会ったら思い切り頭を撫でてあげよう。
そして思い切り恥ずかしがっている幸一くんを見よう。
羞恥にうつむく幸一くんの表情。あの可愛い表情を思い出すだけで幸せな気分になれる。
そんな事を考えていると、お母さんの声が聞こえた。
「春子。ごはんよ」
「はーい」
私は部屋を出てリビングに向かった。シロも後ろをついてきた。
今日の晩ご飯はお母さんと二人。いつもは私が用意していたけど、受験で忙しくなってからはお母さんが作ってくれることが多い。
「幸一くんとのデート、どうだった?」
お母さんはニコニコしながら尋ねてきた。
「楽しかったよ。でも、あんまりデートって感じじゃ無かったよ」
どちらかというと弟の買い物に付き合ったって感じ。
幸一くんと二人で出掛けたのは今回が初めてじゃないし。今までに何回もある。
でも、今回は今までと違った。
幸一くんの成長をはっきりと感じた。
嬉しい事なのに、胸が締め付けられる感覚。よく分からない寂しさが沸き起こる。
「何かあったの?」
「幸一くん、変わったと思って」
お母さんの言葉に私は答えた。自分でもびっくりするぐらい沈んだ声だった。
「そうね。最近、落ち着いて大人っぽくなったわ。昔はお調子者だったのに」
嬉しそうにお母さんが喋る。それが何だか腹が立つ。
「まだまだ子供だよ。私から見たら、駄目な所もたくさんあるよ」
変にムキになっているのが自分でも分かった。それが余計に腹立たしい。
「幸一くん、きっと立派な男の子になるわ。今のうちにツバをつけときなさいよ」
「変な事言わないでよ」
あの幸一くんが立派な男の子?にあれだけ手間のかかった幸一くんが?
昔から幸一くんは手のかかる男の子だった。
ご両親がお仕事で忙しいせいか、いつも梓ちゃんと二人で家にいた。
小さい時の幸一くんはお兄ちゃんの使命感に溢れていて、甲斐甲斐しく梓ちゃんの世話を焼いていた。
でも、幸一くんは寂しがり屋だった。
無理もない。甘える事の出来るご両親はお仕事で忙しい。
梓ちゃんのいないところでは寂しそうにしていた。泣いていることもあった。
だから私は幸一くんの傍にいてあげた。
寂しいって泣く幸一くんを抱きしめてあげた。
泣きやむまで傍にいてあげた。
そんな幸一くんが立派な男の子になるなんて、想像もできなかった。
376 三つの鎖 外伝 1 前編 ◆tgTIsAaCTij7 sage 2010/07/09(金) 23:47:59 ID:45E5IC2z
そう、想像もできなかった。
今は何となく想像できる。できてしまう。
「春子。複雑な気持ちでしょ」
「そんな事ないよ」
嘘。複雑な気持ちだ。
確かに幸一くんは成長しているけど、それは私のためじゃない。
梓ちゃんのため。
今日もそう。傍にいても、幸一くんは私を見ていない。私の事を考えていない。
幸一くんが考えているのは、梓ちゃんの事ばかり。
「梓ちゃんも、幸一くんみたいにいい方向に変わってくれたらいいのにね」
ため息をつくお母さん。
昔から、お母さんは梓ちゃんを心配していた。
気難しくて塞ぎがちな梓ちゃんを、何とかしようと色々してきた。梓ちゃんを私が通っていた合気道の稽古に連れていく事を考えたのもお母さんだ。
「今日もお昼ごはんを一緒に食べたのだけど、すごく不機嫌そうだったわ」
「梓ちゃんとお昼を食べたんだ」
「加原さんのご両親、今日もお仕事でしょ?ずっと家に一人でいるのは気が滅入ると思って」
ちょっと悪い事をしたかもしれない。
梓ちゃん、ずっと一人で家にいたんだ。
でも、いいじゃない。
幸一くんは、梓ちゃんの事を考えていたんだから。
そばにいなくても、幸一くんは梓ちゃんの事を考えている。
そばにいても、幸一くんは私の事を考えていない。
どっちが幸せか、私には分からない。
私の足元でシロがくーんと鳴いた。
下を見ると、シロと目が合う。
シロのつぶらな瞳は何も語らない。
最終更新:2010年07月12日 20:30