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上条さんと美琴のいちゃいちゃSS/Presented to you/Part06」を以下のとおり復元します。
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#navi(上条さんと美琴のいちゃいちゃSS/Presented to you)

―amnesia―


 上条は坂を全速力で駆け上がっていた。
 息はとっくの昔にきれている。
 応じて肺は休まる時を知らず、常に空気を取り込んではそれをすぐに吐き出す。
 坂を全力で駆け上がることで心臓はドクドクと目一杯脈打ち、上条の体内にこれでもかという量の血を巡らせる。
 身体がおかしくなるのではないかというほど心肺機能を酷使し、足には乳酸がたまりにたまってそろそろ限界を迎えようとしていた。
 けれど目的地は、もう目と鼻の先だった。

(あと、少し…!!)

 目的地までは確かにもう少し。
 とは言え、そこに捜し人がいるとは限らない。
 ここまで苦しい思いをして、汗を滲ませて、その末には誰もいなかったという終わり方も当然ある。
 そもそも、ここに向かった元々の理由というのが何の根拠のない上条の勘。
 いない可能性の方がうんと高いのだ。
 それでも、上条当麻は止まらない。
 目的地に着いた後、いなかったのならそれはそれでいい。
 例えいなくとも、収穫はある。
 ここにいるかもしれないという、一つの可能性を摘み取ることができるのだ。
 もし他の場所のどこにもいなければ、どうせこの場所に来なければならない。
 順番が少しばかり早まった、ただそれだけ。
 更に言えば街は恐らくあのツインテールの少女がきっと走り回っているはず。
 彼女は急に現れたり消えたりすることから恐らく空間移動能力者で、腕章から察するに風紀委員。
 お役目柄、街の地形にも明るいだろう。
 上条が汗水流して走り回って捜すよりも、より効率的で早い。
 ならば上条は逆に、彼女がいかなさそうな場所から捜して可能性の芽を摘んだ方がいいに決まっている。

(俺のことなんかどうでもいい。どれだけ苦しかろうが、どれだけ身体が辛かろうが、そんなのはどうでもいいんだ)

 どれだけ苦しくても、どれだけ身体が辛くても、それらは捜し終わってから休んでいれば済んでしまう程度の話。
 身体の傷みというのは、案外簡単に治ってしまうのだ。
 けれど心の傷みというのは、決して簡単には治らないもの。
 医者がどれだけの名医だろうと、どんな薬を処方されようと、容易ではない。

(それよりも、俺の苦しみなんかよりも、ずっと苦しい思いをしてるやつがいるじゃねえか! こんな程度の苦しみなんかで泣き言言ってる場合じゃねえだろうが!!)

 だから上条は走り続ける。
 上条がその少女を救うために、救われるべき一人の少女を捜すために。
 そして上条は、坂の上への最後の一歩を踏み出した。

「―――はぁ、はぁ…あいつ、は…?」

 目的地であった高台に、上条は着いた。
 すぐさま上条はその高台の全域を隈無く見渡し、捜し人である少女がいるかどうかを確認する。
 見渡して、第7学区を見渡せる位置に、一人の人影。

「!! あいつか!?」

 光源がそこまであるわけではないため断言することはできないが、上条にはその人影は常盤台の制服を着ているように見えた。
 確信を得るために、ゆっくりとその人物へと近づいていく。
 そして上条の予想は確信に変わった。
 まだ少し距離があることもあり表情までははっきりと見えないが、あの肩までかかった茶髪に横顔でもわかるほどの整った顔立ち。
 間違いない、その人物は昨日見た御坂美琴。
 上条は彼女を見つけることができたこと、彼女がちゃんと無事でいることに安堵の息を漏らす。
 なんてことはない、結局はあのツインテールの少女の最悪の場合の予感は、ただの杞憂だったのだ。
 上条は彼女の視線の先を追った。
 広がっているのは、街を彩るイルミネーション、ビルや家の明かり、街灯などの溢れんばかりの光で輝く学園都市。
 上条の目から見ても彼女が眺める先のその景色はかなり綺麗だと言えた。
 きっと彼女はこの夜景に時間も忘れて魅入ってしまっていたのだろう。

「おー…い…?」

 だから上条は彼女にゆっくりと近づいていき、声をかけようとした。
 ひとまずはごめん、と謝るために。
 そしていい加減帰れよと言うために。

「……? 御坂…?」

 しかし彼女の挙動が明らかにおかしい。
 今までは手は手すりをギュッと握りしめ、腕には若干の余裕をもたせ、顔は少し俯き加減にして学園都市を見下ろしていた彼女だったのだが、動きがあった。
 あろうことか、彼女は手すりを飛び越えようとする体勢へと。
 手すりを飛び越えてもそこから先はほぼ崖と変わらない。
 下までは30メートルほどはあり、しかも下はアスファルトで舗装された割と幅のある道。
 落ちれば、よほど運がない限り、まず助からないだろう。
 だというのに、あれでは、まるで…

「ッ!! 待て御坂!!」

 上条は咄嗟に叫び、駆け出した。
 だが彼女はそれでも止まらなかった。
 彼女はピクリと肩を揺らし、一瞬上条の方へと視線を向けはした。
 それでも、はっきりとは見えなかったが、上条を確認すると彼女はうっすらと笑みを浮かべただけで、動きは一瞬止まっただけに過ぎなかった。
 しまった、上条の脳裏に後悔がよぎった。
 何故彼女を見つけたからと安堵、油断して足を止めてしまったのだと。
 何故視認して直ぐに彼女の元へ駆け寄らなかったのかと。
 あそこで足を緩めず、すぐに駆けつけていれば恐らく間に合っただろうに。
 それが上条の失策。
 だから上条は自らを責めた。
 二人の距離はあと十数メートル。
 あと少し、あと少しだけ進めば上条の手は彼女に届く。
 だがそうこうしている内にも彼女は既に手すりを越えており、何やら少しだけ幸せそうな笑みを浮かべて、必死に走る上条を見ていた。
 その目尻には若干の涙も浮かんでいる。
 次第に、彼女は口を開いた。
 それを見た瞬間、上条の目は見開いた。
 小声で言ったのか、上条には声は聞こえなかった。
 だがその口の動きで言ったことはなんとなく理解できた。

 今までありがとう、さようなら。

 それは明らかに別れの言葉。
 それも、今生の別れの――

「馬鹿野郎!! やめっ――!!」

 静止を促す上条の叫びは、目一杯伸ばされた上条の手は僅かに彼女には届かず、彼女はふわりと非常にゆっくりとした動きで飛び降りた。
 二人の距離は、この時漸くほぼ零メートル。

(ッ!!)

 本当に咄嗟だった。
 後のことなど全くと言っていいほど考えていなかった。
 飛び越えた先に待ち構えているのが死だということすらも頭になかった。
 この時上条が頭の中で考えていたことはただ一つ。


(絶対に死なせねえ!!!)


 たったそれだけ。
 たったそれだけを考えていたで上条は自らの命も省みず、気付けば走った勢いで手すりを飛び越え、ほんのコンマ数秒ほど遅れてその崖から手すりを蹴って飛び降りた。



 美琴は自身の目を疑った。
 この件に関して誰かを巻き込もうなどとは微塵も考えていなかった。
 また、そもそも誰も関ることはできないだろうとも考えてもいた。
 こんな街の外れで、こんな時間帯で、来るのも長い長い坂を上りきらないといけないような面倒なこの場所に人が来るはずがない、と考えていたためだ。
 それがどうだろうか、まず来ないだろうと思っていた人が現れ、しかもその人物というのが、上条当麻。
 彼はまた自身が命を絶とうとしたこの時に、現れた。
 まるであの妹達での事件を彷彿させるような登場の仕方で。
 しかし、彼の登場は些か遅かった。
 美琴がとる行動は既に決まっており、しかももう行動に移していた。
 だから美琴は敢えて止まろうとは思わず、けれど最後に彼の顔を見ることができたことが嬉しくて、飛び降りる前に彼に対して笑いかけた。
 そして上条には聞こえないような小さい声で、今までの感謝の言葉を添えて最期の別れ言葉を告げた。
 それで終わり。
 それで美琴の中では全てが終わっていた、はずだった。

(ッ!?)

 そう、はずだった。
 だがそれでは終わらなかった。
 彼が自身の飛び降りを静止するだけでは飽きたらず、自身を追って飛び降りてきたのだ。
 しかも彼は飛び降りる際に勢いをつけたのか、初速がある分空中で彼にすぐに追いつかれた。
 彼は追いつくと大丈夫だからと一言囁き、あくまで美琴を死なさないようにするためなのか、美琴を抱き締め彼が下になるような体勢をとる。
 この体勢のまま落ちれば、美琴はともかくとして上条はまず助からない。

「ばっ!!ダメ!!」

 それだけはいけないと美琴はすぐさまもがくが、彼の腕は簡単には外れない。
 両腕までまとめて抱きかかえられ、まともに動こうにも全く動けないのだ。
 そうしている間にも二人は落下していく。
 元々美琴達がいた高さは約30メートル。
 単純計算で地面に落ちるまでにかかる時間は約2.5秒。
 既に美琴が飛び越えて1秒は確実に経過している。
 残された時間は約1.5秒。
 とにかく時間がなかった。
 美琴は自身の頭をフルに働かせる。
 美琴にとって、自身の生死などはっきり言ってどうでもいい。
 元々自分で絶とうとしていたくらいだ、そこは気にしない。
 しかし彼は、上条当麻は死んではいけない。
 こんな自分の極めて自分勝手な行動のために巻き込むにはいかないから。
 彼にはきっと彼を待っている人がいて、彼が死ねば悲しむ人もまた数え切れないほどいるから。
 例え記憶を無くしていても、美琴にとって大切な人には変わりないから。
 理由を挙げればそれこそキリがないほど挙げられる。
 それほど彼は美琴に限らず誰にとっても大事で大きな存在。
 こんなことで、こんなところで命を落としていいはずがないのだ。
 確かに美琴は一度は彼を救い損ねた。
 だからといって、そう何度も失敗を繰り返すほど御坂美琴は愚かではない。
 ここで力を使わずして、ここで彼を救わずして何が学園都市第三位、何が超能力者か。
 それでは本末転倒、名折れもいいところだ。

「右手、離して!!」
「え…?」
「早くっ!!!」

 だから美琴は選択する。
 彼が今まで何度も様々な人達を救ってきたように、今彼が美琴を文字通り命を捨ててでも助けようとしてくれたように、美琴もまた選ぶ。

 絶対に、上条当麻を死なせない道を!!



 飛び降りてから既に二秒ほどが経過した。
 地面までの距離は約十メートル。
 地面を背にしているために実際の距離は上条にはわからないが、普通に考えればもう地面につくことは上条にもわかる。
 びゅうびゅうと落下する際の風を切る音が強みを増してきたことこそが、まさにそれを示していた。
 だから美琴に言われた通り右手だけは離した上条は、残る左手だけは離すまいとさらに美琴を抱きしめる力を強くすると同時に、死をも覚悟し目をギュッと瞑った。
 しかしそんな覚悟を決めた上条に訪れたのはガクン、と急にきた何やら弱い衝撃。
 それは明らかに落下時の衝撃ではなかった。
 その衝撃からは実体が感じられず、何かにぶつかった時のそれとは明らかに違っていたからだない。
 そしてそこからほんの数瞬。

「痛てぇ!!」

 ゴッ!! と鈍い音がして、今度こそ上条が予想していたような、地面との接触による猛烈な痛みが背中と後頭部を襲った。

「痛つつ……ん? あ、れ…?」

 だが上条はその背中と後頭部に走った痛みだけでは物足りなさを感じた。
 当然ながらそれは上条がマゾヒストの気があるからだとか、もっと痛い方が良かったとかいう意味ではない。
 第一、落下時に受けた痛みは十二分に重く、脳を揺るがしたほど。
 彼はそんな痛みを受けて喜ぶような人間でもないし、痛いことや苦しいことは極力避けたいと考えるいたって普通の人種だ。
 それでも、上条は背中と後頭部の軽い痛みだけでは物足りなさを感じていた。
 何故、自分は生きているのだろうか。
 上条の疑問の理由はそれに尽きた。
 あの高さから、しかも自分自身が下になるようにして落ちたのだ。
 明らかに痛い、だけで済むはずがなかった。
 上条は右手に変わった能力があるだけで、それ以外は平均よりはある体力と筋力を持つだけの、どこにでもいるような平々凡々な高校生。
 普通に考えれば、あの高さから硬いアスファルトで舗装された地面に打ちつけられて無事いれるはずがないのだ。
 本来、上条を待ち受けていた結末は死で間違いがなかったはずだった。

(………まあ、生きてるんだし、それでいいか)

 そこまで考えて、それ以上の思考は中断する。
 かなり気になることではあるが、そんなことよりも早く確認しなければならないことがある。

「御坂は…無事だな?」

 上条は自らが胸に抱くもう一人の存在の無事を確認する。
 美琴からの返事はなかった。
 だが無事であるということは確認できた。
 美琴が、震えていたためだ。
 震え、上条のシャツをギュッと握りしめ、上条の胸に顔を埋めていた。
 その震えが果たして助かったことへの喜びなのか、はたまた助かってしまったことによる上条への憤りなのか、上条には知る由はない。
 それでも確実にわかることがある。
 それは、御坂美琴という少女が、生きているということ。

「アンタは……どうして、そこまで…!」
「ん…?」

 先ほどの上条の確認に応じなかった美琴が、ここで口を開いた。
 身体同様、声もまた、震えていた。

「アンタは表向きは無能力者なのよ? 例え右手の力があるといってもそれであの状況をできるわけじゃない。それ以外はそこら辺にいる一般人と何ら変わらないのよ? あんな無茶すれば待ち受けてたのは確実に死よ? わかってるの?」
「そう…だな」
「それに記憶喪失のアンタにとって、私なんて昨日一回会っただけの赤の他人同然じゃない…。当然そんな義理があるわけでもない、アンタがあの時何もしなくても誰も文句なんか言えない。それなのにどうして、そんな赤の他人なんかのためにそこまで命を張れるのよ…? アンタには、アンタの帰りを待つ人だっているだろうに、どうして…!」

 確かに、正直な話をすると今の上条にとって美琴は一度面識があって名前を知っている程度の、言ってしまえば赤の他人。
 当然ながらほぼ確実に死ぬという状況へ身を投げ、命懸けで彼女を救わなければならないといういわれはない。
 例え助けてほしいとお願いしてきたツインテールの少女ですら、あの状況で飛び込めなくとも上条には何も文句など言えない、言えるはずがないのだ。
 上条が助かる手段を全く持っていないあの場面で飛び込め、などと。
 人の命をそんなぞんざいに扱っていいわけがない。

「……多分、違うと思うんだよ」
「えっ…?」
「確かに今の俺にとってお前は赤の他人とは変わらないしそんな義理もないかもしれない。しかもあんなところから飛び込めば俺には助かる手段は何もなかった。本当なら本当に死んでいただろうな。それでも、違うと思うんだよ」

 しかし違う。
 上条当麻の行動原理はそうではない。

「逆に人を助けるのに、理由がいるのか? 義理なんか必要あるのか? 親しくないと、メリットがないと助けちゃいけないのか? それは違う、それじゃ本末転倒だろう」

 理由、義理、親密度、利点。
 そんなものがあるから、そんなもののために動くのではない、それは違う。
 上条は決して何が重要であるのかは履き違えない。
 上条当麻が動く理由は今も昔もただ一つ。


「目の前に助けないといけない人がいたら、助ける。他には何もいらねえんだよ」


 そう、それだけ。
 上条から言わせれば人を救うとは、生きるために呼吸をするようなもの。
 困ってる人、助けないといけない人が目の前にいれば、行動の選択肢はただ一つしか存在しない。
 例えそう動くことで上条が不利益を被ることになろうが、とるべき行動は何ら変わらない。
 それが“今”も“前”も変わらない上条の芯。
 記憶は失っても、それは無くなることはなく、上条の心に強く根付いていた。

「私を、助けないといけない…?」

 上条は言った、人を助けることに必要なものなんかいらないと。
 上条は言った、助けなければならない人がいれば助けると。
 その姿勢、その言動、その強さには10月のあの夜にも美琴は触れた。
 それはまさに上条が上条である証。
 例え記憶を失っていようが、上条の本質は何一つとして変わってはいなかった。
 美琴は変わらない上条の本質に安堵した。
 さらに上条は言った、美琴はその助けなければならない人だったと。
 そう言ってくれたこと自体は美琴は素直に嬉しかった。

「なんで…? なんでそんな結論に至るの? 私にはそんな価値なんてないし、そこまでされる資格も、ない。他の人とは違って困ってたわけでもない」

 それでも、美琴は疑問を覚えずにはいられなかった。
 美琴の心には、真っ黒い染みがあった。
 それは一日や二日程度でできたものではない、ずっと、あの日以来ずっと心を痛め、吐き出しようのない感情の奔流を心の内にため込んでいる内にできた、どうしようもないくらい、真っ黒い染み。
 今まで美琴はそれを抑えこんでいた。
 表には出すまい、出してはいけないものとして、必死で。

「そんなことはないだろ。お前には…」
「だからさ、どうしてそんなことがわかるの? アンタに何がわかるの? アンタは私のここ一ヶ月の状態を知ってる? 知らないわよね。なら、どうしてそんなことが言えるの?」
「それは…」

 しかしそれを今までせき止めていた堤防が、ガラガラと音をたてて崩壊した。

「私のことなんか何も知らないくせに、記憶もないのに私のことを知ったような口きかないで!!」
「!!」

 その決壊から始めに流れ出たものは、冷たく溜め込まれていた美琴の心の痛みが凝縮された、鉄砲水。
 それは記憶を失った上条には禁句とも言える言葉で、勢い凄まじく上条の精神にボディーブローのようなダメージを与えた。
 本来なら上条を記憶喪失関連のことで不用意に傷つけるような発言は控えるべきだ。
 上条とて何も好きで記憶喪失になったわけではなく、美琴が思うに恐らく人のための行動をとっての結果。
 しかし美琴は言わずにはいられなかった。
 記憶を失ってなお芯を失わない彼に嫉妬したのか。
 単に助けてくれたことへの重度の照れ隠しなのか。
 どうしようもない人間である自分を優しくする彼に憤りを感じたのか。
 それは美琴本人も説明できなかった。
 さらにそこから溢れ出るのは、誰にも吐くことのなかった、美琴の本音。

「私はさ…もう、疲れたのよ。生きていくだけの力が、希望が、もうないの。知ってる?今だから言うけど、私にとってアンタは希望だった、心の支えだった。アンタさえいれば他には何もいらなかった。それなのに私はあの時アンタを救えず、挙げ句の果てには…。…だから私はもう、生きていたいとは思わないし、アンタに助けられる資格も、ない」

 美琴の上条のシャツを握る力が、強まる。
 上条には過去の記憶がない。
 従って美琴が言ったあの時とはいつのことを指すのかとか、そもそも記憶喪失になった原因も過程もわからない。
 それが美琴の言い方だと記憶喪失の原因は自身にあるという風にもとれるが、それの真偽すらもわからない。
 さらに言えば美琴にとって上条は支えだったと言う発言には、上条は内心半分驚き半分申し訳なさを覚えたが、二人がどういう関係だったのかということも今上条にはわからない。
 わからないことだらけで上条は少し混乱した。
 けれど美琴にとっての上条の存在は計り知れないものだったということは上条でもなんとなくは理解できた。
 そうでもなければ、他に何もいらないなんて言わないだろうし、何よりも身投げなど、するはずがない。
 恐らく、美琴の心にはもう潤いがないのだろう。
 上条のいない生活で神経をすり減らし、心を疲弊させ、そうして心が渇きに渇き、自分自身での再起が不可能に追い込まれるまでに干からびてしまった。

「……確かに、全部お前の言うとおりだよ。俺には記憶がないし、意識が戻ってからもしばらくはイギリスにいた。だからお前が何をしてたとかどんな状態だったかなんて知らないし、結局は俺の勝手な想像でしかない。そんな俺がつべこべ言うのは間違ってるのかもしれない」
「そうよ。結局はアンタの自分勝手な妄想。そんな妄想で私を作って語られても、助けられても迷惑でしか」
「けどな」

 かと言って、その干からびきってしまった美琴の心を救う術がないかと言うと、実際問題そうとは言い切れない。
 美琴は確かに最早自身での再起は不可能かもしれない。
 上条は横になっていた身体を起こし、しがみついていた一度美琴を引き剥がすと、真っ直ぐと未だ光の灯っていない美琴の瞳を見据え、

「だからと言って簡単に命を捨てるのは絶対に間違ってる! 俺に記憶がなくても、俺がお前を知らなくても、それは絶対だ!! お前が死んだら、それを悲しむ人は絶対にいる。なのにそんな人達の気持ちを全部無視して、自分には価値がないだの、助けられる資格がないだの、ごちゃごちゃぬかすんじゃねえ!!」
「っ!? あ、アンタに、私の気持ちなんて、わかるわけが…!!」
「ああわかんねえよ! 勝手に自分の人生に見切りをつけて、もう生きる希望も力もないなんて決めつけて自分の命を捨てようとするヤツの気持ちなんてわかんねえよ!!」
「……!」

 ただ、不可能なのかもしれない話は、あくまでも美琴“一人で”再び立ち上がるということ。
 立ち上がるには、一人では力が足りないだけ。
 上条の言い分を聞いて、美琴にも少なからず言い分はあった。
 いや、むしろ言い分しかないだろう。
 美琴とて、決して安易な考えで自身の命を絶つことを決断したわけではないのだ。
 悩んで、悩んで、それでもその末に希望を見いだせなくて、ようやく決断を下した。
 残される人達のことだって考えないわけがない。
 美琴はそこまで軽率な人間ではない。
 しかし上条はそれを言わせる隙を与えない。

「お前さっき言ったよな?“前の”俺が支えだったって、希望だったって。そしてそれが少なからずさっきの件に絡んでる、そうだよな?」
「…………」

 俯いている美琴からの言葉による返事は、ない。
 けれどその返事は首を縦に小さくこくん、と首を縦に振るという形で返された。

「なら、これからは俺がお前の支えになってやる。お前が嫌だと言ってもそんなの関係ない」
「なっ…! 何、言って…」
「“今の俺”と“前の俺”は違う。俺が前と全く同じになんてできるわけねえし、まして前の俺の100%代わりになんてなれるわけがない。それでも、」

 一拍おいて、告げる。


「代わりにはなれねえけど、支えにはなれる! お前が倒れそうになったら何度でも支えてやる。何度でも、何度でもだ!! だから、死ぬなんて言うな!!」


 今は、上条がいる。
 一人で立ち上がれないなら、二人で立ち上がればいいだけの話。
 それは上条が考えて出した打開策であり、願い。
 いつだって上条は、何一つ失うことなく、誰もが笑って帰ることを願ってる。
 これもその一環。
 まだ彼女に救いがあるならいい。
 だが彼女はどうしても救いを見いだせず、ここまで追い込まれていた。
 一人につきたった一つしかない尊い命を投げ捨ててしまうほどまでに。
 そんな世界など、上条から言わせれば糞くらえだ。
 だから今の彼女を取り巻く世界が、彼女が苦しんで苦しんで、それでも救われない世界なら、その世界を全てまとめてぶち壊す。
 その上で新たな道を示し、新たな世界を構築する。
 上条当麻とは、そういう人間である。



「なん、でよ……どう、して…そこまで…ッ!」

 美琴の頬を、一筋の涙が流れた。
 様々な感情がごちゃごちゃに混ざり合って、今の美琴には最早制御が不能になっていた。
 けれど涙ぐみ嗚咽も少し混じったその声で、精一杯その言葉だけは紡いだ。

『―――支えになってやる』

 上条のその一言は美琴の心に響いたと同時に、美琴はどうしても疑問を感じずにはいられなかったのだ。
 さっき飛び込んだ後にも、同じような質問をした。
 けれどやはり、同じような疑問が湧いてくる。
 どうしてこの男は死なせてくれないのか。
 どうしてそこまで言ってくれるのか。
 どうして記憶がないのにそんなに強くいられるのか。
 強く、本当に強く心から美琴はそう思った。
 先ほど上から飛び込んだ時もそうだった。
 あの場面、美琴は上条の右手から解放された直後、全開で能力を行使した。
 磁力を利用し、上にあるものには引力を、下にあるものには斥力を働かせ、重力による落下の速度を極限にまで落とし、落下の衝撃を美琴が出来うる限りで最大限にまで軽減しようとした。
 磁力に反応するもの全てにところかまわず超能力者である美琴が最大出力の磁力で様々なものに干渉したこともあり、干渉された物が今無事かどうかは定かではない。
 タイミング的に間に合うかは正直微妙なラインではあったことは確かだったが、結果的に間一髪で死には至いたらない程度にまでは速度を落とせた。
 上条が助かった裏には、そういう経緯があった。
 でなければ、上条は今頃帰らぬ人となっていただろう。
 彼は助かるための手段など、何一つとして持っていなかったのだから。
 にもかかわらず、上条は飛び込んだ。
 今言った一言にしても同じだ。
 自殺志願者など、見て見ぬ振りでもして捨ておけばよいのだ。
 何もそこまでする義理などどこにもない。

「……言ったろ? 助けないといけない人がいたら、助ける。それが俺だって」

 二度目の疑問対してもそれが回答。
 そんな言葉は、そう易々に言えるものではない。
 彼はそれがさも当然のようして話すが、これは当に言うが易しだ。
 ごくごく限られた一握りの人種ではなければ、有言しても実行に移せずに終わるだろう。
 それほど、その言葉は重い。

「わ、わた…」

 きっと美琴も、こんなことを言うのがどこの馬の骨とも知れない輩だったとしたら、すぐに切って捨てていた。
 単純にいい迷惑。
 そしてそれはそんな簡単に口にしていい言葉ではないし、できたとしてもすぐに挫折する、と。
 美琴の心の闇もまた、深く、重い。
 簡単に晴れるはずがなく、誰にも晴れさせることはできないとまで美琴は思っていた。

「私、は…!」

 それがどうだろう、彼が口にすることには妙な説得力がある。
 この少年なら、彼ならば、どうにかしてくれる。
 この男の言葉なら信じてもいい、上条当麻になら頼ってもいいんだ。
 例え、記憶を失っていようとも、関係なく。
 そんな考えが、美琴の頭に浮かんでいた。

「生きてて、いいのかな…? また、立ち上がれるのかな…?」

 美琴は、絞り出すようにして、上条にそう尋ねた。

「当然だろ。何度もそう言ってるじゃねえか」

 その言葉を聞いて、美琴は胸が熱くなるのを感じた。
 だがそのこみ上げてくる熱は風邪などの時のような不快な熱ではなく、冷え切っていた心を隅から隅まで隈無く暖めてくれるような、心地良い熱。
 美琴は内からこみ上げてくる様々な衝動を我慢できず、衝動に身を任せて、優しく微笑んでいる上条の胸に飛び込んだ。
 静寂が支配するこの空間の中で響いている唯一の音は、美琴の泣きじゃくるの声。
 しかし不思議と、美琴はそうすることへの抵抗や恥ずかしさは全く感じなかった。
 それらの感情を軽く凌駕する歓喜、安堵、希望を手に入れたことの方が遥かに大きい。
 上条もそんな美琴をあやすためか、黙って非常にゆったりとした動きで右手を美琴の頭の上にもっていき、優しく泣きじゃくる美琴を撫でた。
 上条が頭を撫でる動作に美琴は半分驚きぴくっと反応しつつも、その感触をここぞとばかりに味わい、五感全てで上条当麻という存在全てを感じていた。
 美琴の目は、上条当麻という存在を確かに捉えていた。
 美琴の耳は、トクトクと彼の心臓が脈打つ音を感じた。
 美琴の肌は、呼吸のためゆっくりと上下する彼の胸の動きを、暖かい体温を感じた。
 美琴の鼻は、若干の汗の臭いの中に混じる彼の香りを感じた。
 美琴の舌は、……流石に自らの唾液の味しかせず上条当麻を感じることはなかった。

(ああ、そっか…)

 そこで、美琴は再び実感する。
 上条当麻は、ちゃんと生きているのだと、ここに存在しているのだと。
 それと、もう一つ。

(私、もうコイツ無しではやってけない…。私には、コイツが必要なんだ…)

 長い間、本当に長い間いたかった場所に身を委ね、それを再確認。
 その場所は、長らく底なしの暗く冷たい沼に浸かっていた美琴にとってはあまりに暖かく、眩しかった。
 取り返しがつかないレベルまで堕ちる直前に底なしの沼から引きずり出してくれたのは、やはり上条当麻。
 感じたのは、長い間感じていなかった熱、長い間感じたかった熱。
 それをもっと感じていたくて、半分無意識の内に上条の背中に手を回し、ギュッと抱きしめる。
 上条は美琴のその行動にギョッとするが、抵抗するといったことはせず、やがて不器用ながらも受け入れ、優しく美琴を包んだ。

(もう、離さない。離したくない、離れたくない…!)

 美琴は上条という優しさと安心感に包まれ、切に感じた。
 全てが上手い具合に転ぶように世界ができていないことなど、美琴は知っている。
 現実は時として、どんな事よりも残酷な事実を提示してくる。
 美琴はその身を以てそれを何度も体験してきた。
 それでも、何も常に厳しいことばかりを押し付けられるわけではない。
 偶には幸運や成功が訪れるという形で、その厳しい現実に耐え忍んだことへの“褒美”があることも知っている。
 美琴にとってそれは今の地位然り、能力然り。
 それを糧にすることができるから人は生きられる、生きるということはそういうことなのだから。
 今日美琴に起きたことは当にそれと言えるのではないか。
 今まで耐えに耐え、耐え続けた結果があまりに残酷な現実で、一度は完全に芯を失い、命すら絶とうとしていた。
 それがどうだろうか、遅蒔きながらもヒーローはやってきて、美琴を底なしの沼から拾い上げてみせた。
 おかげで美琴はまた生きていられる、それを糧にまた立ち上がれる。
 御坂美琴は、また新たに芯を手に入れたのだ。
 確かに新しくはあるけど、それは決して代えはきかないような、かけがえのないもの。
 今度は簡単には失わない、失いたくはない。
 故にもっと強くなる、泣きながらにそう誓う。
 美琴は、自身を優しく包む存在を更に強く抱きしめた。

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