天使の抱擁
嫌悪。
悪意。
敵意。
侮蔑。
拒絶。
悪意。
敵意。
侮蔑。
拒絶。
周囲から、世界から放たれる黒い意思。
上条当麻はきょろきょろと辺りを見回す。
しかし彼の周りには何もない、誰もいない。
いや、正確にはあるのだ。
ただし、あるのは黒、そして闇のみ。
上を見ても黒。下を見ても闇。右も、左も、どこもかしこも漆黒の深い闇。
上条の周りには闇と、彼に向けられる黒い意思だけがあるのだ。
しかし彼の周りには何もない、誰もいない。
いや、正確にはあるのだ。
ただし、あるのは黒、そして闇のみ。
上を見ても黒。下を見ても闇。右も、左も、どこもかしこも漆黒の深い闇。
上条の周りには闇と、彼に向けられる黒い意思だけがあるのだ。
荒い呼吸をつきながら上条はもう一度辺りを見回した。しかし何度確認しても彼の周りには闇しかなかった。
なぜこんなところに自分はいるのだろうか。
そもそもここはいったいどこなのだろうか。
自分以外の人間はどこに行ったのだろうか。
まったくわからなかった。
ただわかるのは一つ。
自分は、今いるこの世界から否定されているということだけ。
だから彼は走ることにした。
走って、走って、ただひたすら走って、ここから逃げ出そうとした。
そうすれば何かが変わると思った。
なぜこんなところに自分はいるのだろうか。
そもそもここはいったいどこなのだろうか。
自分以外の人間はどこに行ったのだろうか。
まったくわからなかった。
ただわかるのは一つ。
自分は、今いるこの世界から否定されているということだけ。
だから彼は走ることにした。
走って、走って、ただひたすら走って、ここから逃げ出そうとした。
そうすれば何かが変わると思った。
走る。
駆ける。
跳ねる。
駆ける。
跳ねる。
上条はただひたすらに走り続ける。
自分を否定する世界から、この暗黒の世界から逃げたくて。
けれど、どれだけ走っても世界が終わる様子は感じられなかった。
どこまで、どれだけ走っても、上条の周りの世界は彼を否定し続ける。
自分を否定する世界から、この暗黒の世界から逃げたくて。
けれど、どれだけ走っても世界が終わる様子は感じられなかった。
どこまで、どれだけ走っても、上条の周りの世界は彼を否定し続ける。
やがてその否定の意思が少しずつ形を持ち始めた。
それは声。
上条に対する世界からの声だった。
それは声。
上条に対する世界からの声だった。
上条は一瞬、その声に対して耳を傾けようとした。
しかしすぐに彼は耳をふさいだ。
そこには吐き出したくなるような蔑みの意思を込めた言葉しかなかったから。
しかしすぐに彼は耳をふさいだ。
そこには吐き出したくなるような蔑みの意思を込めた言葉しかなかったから。
消えろ、疫病神。
目障りな化け物め。
お前の周りでは縁起でもないことばかり起こる。
不幸を呼び寄せる怪物が。
お前さえいなければ。
死ね、死ね、この世から消えてしまえ!
目障りな化け物め。
お前の周りでは縁起でもないことばかり起こる。
不幸を呼び寄せる怪物が。
お前さえいなければ。
死ね、死ね、この世から消えてしまえ!
どれもこれもが上条の存在そのものを否定する物でしかなかった。
上条はますます必死になって闇の世界を走り続けた。
世界の拒絶から必死になって逃げ続けた。
叫びながら走り続けた。
耳をふさいでも、それでも鼓膜に伝わる悪魔の言葉をかき消すように。
世界の拒絶から必死になって逃げ続けた。
叫びながら走り続けた。
耳をふさいでも、それでも鼓膜に伝わる悪魔の言葉をかき消すように。
ふいに、何かに足を取られた上条は黒い地面に倒れた。
足元を見た上条はその様子に表情をこわばらせる。
地面が、闇が人の手の形になって上条の足を掴み、引っ張っていたのだ。
やがて上条の体は、その手に引っ張られるかのように地面に沈み込みだした。
上条は必死で暴れ回り叫び続ける。
止めろ、離せ、と。
しかしそんな抵抗も虚しく上条の体はどんどん地面に沈んでいく。
闇はどんどん上条の体を呑み込んでいく。
そしてついに、上条の体の全てが闇に呑み込まれようとしたとき。
足元を見た上条はその様子に表情をこわばらせる。
地面が、闇が人の手の形になって上条の足を掴み、引っ張っていたのだ。
やがて上条の体は、その手に引っ張られるかのように地面に沈み込みだした。
上条は必死で暴れ回り叫び続ける。
止めろ、離せ、と。
しかしそんな抵抗も虚しく上条の体はどんどん地面に沈んでいく。
闇はどんどん上条の体を呑み込んでいく。
そしてついに、上条の体の全てが闇に呑み込まれようとしたとき。
突然、世界は、壊れた。
「ねえ、当麻、当麻ってば!」
「止めろ! 止めろ、離せ!」
「ちょっと、いい加減に起きなさいよ!」
「う、うーん……」
「だから、いい加減に起きなさいってーの!」
「……う、うわわわわわ!」
上条は全身を駆けめぐる電流のショックでようやく目を覚ました。
目覚めた上条は額に流れる汗を拭いながら体を起こし、ベッドの横に立つ女性を見た。
女性は腰に手を当てて憮然とした表情で上条をにらみつけている。
その女性とはもちろん、上条の恋人、御坂美琴である。
もっとも二年前、彼らが付き合いだしてすぐの時期に二人の婚姻届が作成されている現状では、既に彼らの関係は恋人どころか結婚一歩手前の状態ではあるのだが。
「止めろ! 止めろ、離せ!」
「ちょっと、いい加減に起きなさいよ!」
「う、うーん……」
「だから、いい加減に起きなさいってーの!」
「……う、うわわわわわ!」
上条は全身を駆けめぐる電流のショックでようやく目を覚ました。
目覚めた上条は額に流れる汗を拭いながら体を起こし、ベッドの横に立つ女性を見た。
女性は腰に手を当てて憮然とした表情で上条をにらみつけている。
その女性とはもちろん、上条の恋人、御坂美琴である。
もっとも二年前、彼らが付き合いだしてすぐの時期に二人の婚姻届が作成されている現状では、既に彼らの関係は恋人どころか結婚一歩手前の状態ではあるのだが。
とにかく上条の恋人である御坂美琴は、上条の座るベッドの側で不機嫌そうに立っていた。
「もう、どれだけ呼んだと思ってるのよ! さっさと目覚ましなさいっての! ホントに……」
上条が目を覚ましたのを見た美琴は表情を曇らせて上条の側に座ると、上条の頬にそっと手を当てた。
「急に叫んで暴れ出すから、びっくりしたじゃない。いったいどうしたのよ」
「…………」
しかし上条は何も答えない。荒い呼吸のまま、ただ呆然と美琴を見つめ続けている。
美琴はそんな上条の様子を見ると、急に彼の額に自分の額をくっつけた。
「ん……熱は、大分下がったみたいね、よかった」
「熱……」
上条はポソッと呟いた。
美琴は上条から離れると首を傾げた。
「何? どうしたの? アンタもしかして寝惚けてるの?」
「えっと、俺……ここ……俺の、部屋……?」
「そうよ、見慣れた部屋でしょ。何よ、いったい?」
ゆっくりと辺りの様子を確認し始めた上条に、美琴は軽くため息をついた。
「いや……」
上条は曖昧な返事を美琴に返すと、右手で顔を覆った。
「俺、どうして……」
「どうしてもこうしてもないわよ。アンタ風邪引いて寝込んでたんじゃない、二日も。まったく、たまたま私が用事でこっちに来れなくなった時を見計らって風邪引くなんて、どんだけアンタの不幸は重傷なのよ。あ、念のために言っておくけど今の時間は午後十一時ね。昨日からどれだけメールしてもアンタが全然返事くれないから、学校であった用事を強引に終わらせてきたの。それで寮に帰らずまっすぐここに来てみたら、アンタがベッドで苦しそうにしてたってわけ。それじゃ、それはそれとして」
そう言うと、美琴は上条に掛けられていた布団をめくり、彼が着ていたシャツを強引に脱がせた。
「えと、ち、ちょっと何、するん、だ、お前……」
口ではそう言うものの、上条は熱のせいで抵抗らしい抵抗もできないまま、美琴のなすがままにされていた。
「汗かいてるから着替えさせるのよ、ついでに体も拭いてあげる。どうせ私が来るまでアンタろくに何もしてないんでしょ。薬飲んで寝てたくらいじゃないの? 食事もまともに取ってないでしょ?」
「…………」
上条はこくりとうなずいた。
「やっぱり……。それじゃ体拭くわよ。本当は軽くシャワーでも浴びてくるのが一番良いんだけど、さすがに今はちょっと無理っぽいし」
そう言いながら美琴は、用意しておいたお湯を張った洗面器の中からタオルを取りだし、ぎゅっと絞った。
「悪い、シャワーは確かに今は、少しきつい」
辛そうな顔をして上条は呟く。
そんな上条を美琴はいたずらっぽい笑みを浮かべて見つめた。
「私が手伝ってあげればいけるんだけどな。どう、手伝ってあげるから私といっしょにシャワー浴びる?」
「……それは元気になった時に、頼む」
「…………!」
「……冗談」
「アンタね……」
「悪い……」
頬を染めてジト目を向けてくる美琴に向かって力なく笑った上条は、美琴の持つ濡れタオルを取ると、緩慢な動作で体を拭こうとする。
その手を美琴が慌てて止めた。
「ちょっとアンタ、何やってるのよ」
「何って、体拭こうと思って」
「馬鹿、私がやるって言ってるでしょ」
「……スケベ」
「な、何言ってるのよアンタは! 病人はいい加減におとなしく看病されてなさい!」
「これくらいできるって、熱も結構下がってるし」
「うるさい! ……まったく、さっきからアンタはホントにもう」
美琴は強引に上条の手から濡れタオルを奪うと、丁寧に上条の体を拭き始めた。
「病人のくせに口だけは達者なんだから……」
「…………」
美琴の言葉に反論しようとした上条だったが、彼女の心配そうな顔を見ているうちにその気持ちは霧散してしまっていた。
「もう、どれだけ呼んだと思ってるのよ! さっさと目覚ましなさいっての! ホントに……」
上条が目を覚ましたのを見た美琴は表情を曇らせて上条の側に座ると、上条の頬にそっと手を当てた。
「急に叫んで暴れ出すから、びっくりしたじゃない。いったいどうしたのよ」
「…………」
しかし上条は何も答えない。荒い呼吸のまま、ただ呆然と美琴を見つめ続けている。
美琴はそんな上条の様子を見ると、急に彼の額に自分の額をくっつけた。
「ん……熱は、大分下がったみたいね、よかった」
「熱……」
上条はポソッと呟いた。
美琴は上条から離れると首を傾げた。
「何? どうしたの? アンタもしかして寝惚けてるの?」
「えっと、俺……ここ……俺の、部屋……?」
「そうよ、見慣れた部屋でしょ。何よ、いったい?」
ゆっくりと辺りの様子を確認し始めた上条に、美琴は軽くため息をついた。
「いや……」
上条は曖昧な返事を美琴に返すと、右手で顔を覆った。
「俺、どうして……」
「どうしてもこうしてもないわよ。アンタ風邪引いて寝込んでたんじゃない、二日も。まったく、たまたま私が用事でこっちに来れなくなった時を見計らって風邪引くなんて、どんだけアンタの不幸は重傷なのよ。あ、念のために言っておくけど今の時間は午後十一時ね。昨日からどれだけメールしてもアンタが全然返事くれないから、学校であった用事を強引に終わらせてきたの。それで寮に帰らずまっすぐここに来てみたら、アンタがベッドで苦しそうにしてたってわけ。それじゃ、それはそれとして」
そう言うと、美琴は上条に掛けられていた布団をめくり、彼が着ていたシャツを強引に脱がせた。
「えと、ち、ちょっと何、するん、だ、お前……」
口ではそう言うものの、上条は熱のせいで抵抗らしい抵抗もできないまま、美琴のなすがままにされていた。
「汗かいてるから着替えさせるのよ、ついでに体も拭いてあげる。どうせ私が来るまでアンタろくに何もしてないんでしょ。薬飲んで寝てたくらいじゃないの? 食事もまともに取ってないでしょ?」
「…………」
上条はこくりとうなずいた。
「やっぱり……。それじゃ体拭くわよ。本当は軽くシャワーでも浴びてくるのが一番良いんだけど、さすがに今はちょっと無理っぽいし」
そう言いながら美琴は、用意しておいたお湯を張った洗面器の中からタオルを取りだし、ぎゅっと絞った。
「悪い、シャワーは確かに今は、少しきつい」
辛そうな顔をして上条は呟く。
そんな上条を美琴はいたずらっぽい笑みを浮かべて見つめた。
「私が手伝ってあげればいけるんだけどな。どう、手伝ってあげるから私といっしょにシャワー浴びる?」
「……それは元気になった時に、頼む」
「…………!」
「……冗談」
「アンタね……」
「悪い……」
頬を染めてジト目を向けてくる美琴に向かって力なく笑った上条は、美琴の持つ濡れタオルを取ると、緩慢な動作で体を拭こうとする。
その手を美琴が慌てて止めた。
「ちょっとアンタ、何やってるのよ」
「何って、体拭こうと思って」
「馬鹿、私がやるって言ってるでしょ」
「……スケベ」
「な、何言ってるのよアンタは! 病人はいい加減におとなしく看病されてなさい!」
「これくらいできるって、熱も結構下がってるし」
「うるさい! ……まったく、さっきからアンタはホントにもう」
美琴は強引に上条の手から濡れタオルを奪うと、丁寧に上条の体を拭き始めた。
「病人のくせに口だけは達者なんだから……」
「…………」
美琴の言葉に反論しようとした上条だったが、彼女の心配そうな顔を見ているうちにその気持ちは霧散してしまっていた。
「さ、上半身はこれでよし!」
洗面器内のお湯でタオルをゆすぎながら上条の体を拭いた美琴は、うんうんとうなずく。そしてそのまま上条の顔を見て、こほんとわざとらしく咳払いをした。
「さ、次は下半身よ。ず、ずずずずズボン、ぬい、脱いいいでちょう、ちょうだい!」
「へ?」
「ズボンよ、ズボン! 脱がなきゃ体拭けないでしょ! ほら、さっさと脱ぐ!」
そう言いながら美琴は上条のズボンに手をかける。
一方の上条は熱のせいで上手く動けない手で、必死に抵抗する。
「ま、待つのですよ美琴さん! こっちは上条さんが自分でやりますから!」
「何言ってるのよ、お互い知らない仲じゃないでしょ、恥ずかしがる理由なんてないわよ」
「それとこれとは話が別です、恥ずかしいものは恥ずかしいのですよ! お願いですから勘弁して下さい!」
「えーい、やかましいわ、観念しなさい!」
「あーれー!」
洗面器内のお湯でタオルをゆすぎながら上条の体を拭いた美琴は、うんうんとうなずく。そしてそのまま上条の顔を見て、こほんとわざとらしく咳払いをした。
「さ、次は下半身よ。ず、ずずずずズボン、ぬい、脱いいいでちょう、ちょうだい!」
「へ?」
「ズボンよ、ズボン! 脱がなきゃ体拭けないでしょ! ほら、さっさと脱ぐ!」
そう言いながら美琴は上条のズボンに手をかける。
一方の上条は熱のせいで上手く動けない手で、必死に抵抗する。
「ま、待つのですよ美琴さん! こっちは上条さんが自分でやりますから!」
「何言ってるのよ、お互い知らない仲じゃないでしょ、恥ずかしがる理由なんてないわよ」
「それとこれとは話が別です、恥ずかしいものは恥ずかしいのですよ! お願いですから勘弁して下さい!」
「えーい、やかましいわ、観念しなさい!」
「あーれー!」
十分後。
上条の部屋には、ごしごしと目をこすりながらしゃくり上げる、上条の姿があった。
「うう、恋人とはいえうら若き女性に全身をくまなく……。上条さんはもう、お婿にいけません……」
上条の部屋には、ごしごしと目をこすりながらしゃくり上げる、上条の姿があった。
「うう、恋人とはいえうら若き女性に全身をくまなく……。上条さんはもう、お婿にいけません……」
一方その頃、羞恥に頬を染めた美琴は、上条の体を拭いたタオルと洗面器を洗面所で洗っていた。
「なに泣いてるのよ。あ、アンタはとっくに私に売約済みなんだから問題ないでしょ。そ、それに、恥ずかしいのは、私だって同じだったんだから。まったく……」
洗面器を片付け、タオルを洗濯機に放り込んだ美琴は目を閉じて静かにため息をつく。
「それにしても」
美琴は天井を仰ぎ見た。
「あーあ、卒業まであと二年近くあるのよね、長いな、早く卒業したいな……。卒業したら大手を振ってアイツと同棲できるのに。そうすれば、アイツの体調が悪いことだってすぐにわかったのにさ。そうよ、最初っから同棲してればなんの問題もなかったのよ。それをあの堅物お馬鹿が……」
「なに泣いてるのよ。あ、アンタはとっくに私に売約済みなんだから問題ないでしょ。そ、それに、恥ずかしいのは、私だって同じだったんだから。まったく……」
洗面器を片付け、タオルを洗濯機に放り込んだ美琴は目を閉じて静かにため息をつく。
「それにしても」
美琴は天井を仰ぎ見た。
「あーあ、卒業まであと二年近くあるのよね、長いな、早く卒業したいな……。卒業したら大手を振ってアイツと同棲できるのに。そうすれば、アイツの体調が悪いことだってすぐにわかったのにさ。そうよ、最初っから同棲してればなんの問題もなかったのよ。それをあの堅物お馬鹿が……」
常盤台中学を卒業後、美琴は学校の教師達といった周囲の反対を押し切って上条と同じとある高校に進学していた。たった一年間ではあるが、美琴にとっては憧れであった、上条と先輩後輩の関係になったのだ。
また中学卒業と同時に常盤台の寮を出た美琴は、高校進学を機に上条と同棲しようとも考えていた。
しかし進学先に関してはなんの反対もしなかった上条が、同棲に関しては頑として首を縦に振らなかったのだ。男女交際に関して古風な考えを持つ上条としては、正式に籍を入れる前に同棲するなど考えられなかったためである。
美琴としては上条のそんな考え方を考慮に入れて、付き合いだしてすぐに半ば強引な形で婚姻届を作成していたのだが、その既成事実を持ってしても上条の決意を揺るがせることはできなかった。
しかもなぜか上条家、御坂家両親共に上条の味方に付いたため、美琴の主張は受け入れられることはなかった。
結局長い話し合いの末、美琴が高校を卒業したとき初めて、二人は同棲できるという結論に達したのだった。
そのためやむを得ず美琴は高校卒業までの三年間、とある高校の女子寮に居住しつつ、上条の部屋への通い妻状態を続けることに相成ったのである。
また中学卒業と同時に常盤台の寮を出た美琴は、高校進学を機に上条と同棲しようとも考えていた。
しかし進学先に関してはなんの反対もしなかった上条が、同棲に関しては頑として首を縦に振らなかったのだ。男女交際に関して古風な考えを持つ上条としては、正式に籍を入れる前に同棲するなど考えられなかったためである。
美琴としては上条のそんな考え方を考慮に入れて、付き合いだしてすぐに半ば強引な形で婚姻届を作成していたのだが、その既成事実を持ってしても上条の決意を揺るがせることはできなかった。
しかもなぜか上条家、御坂家両親共に上条の味方に付いたため、美琴の主張は受け入れられることはなかった。
結局長い話し合いの末、美琴が高校を卒業したとき初めて、二人は同棲できるという結論に達したのだった。
そのためやむを得ず美琴は高校卒業までの三年間、とある高校の女子寮に居住しつつ、上条の部屋への通い妻状態を続けることに相成ったのである。
だが、未だ上条は気づいていない。
彼の考え方に従うのであれば、美琴の卒業式の日がイコール、二人の婚姻届提出の日になるのだということに。
しかも美琴はそれを遂行することに、もはやなんのためらいも持っていないということに。
恋人を三年間待たせる罪は重いのである。
彼の考え方に従うのであれば、美琴の卒業式の日がイコール、二人の婚姻届提出の日になるのだということに。
しかも美琴はそれを遂行することに、もはやなんのためらいも持っていないということに。
恋人を三年間待たせる罪は重いのである。
上条は、まったくもって、微塵も、気づいていない。
この美琴の計画は、既に上条家、及び御坂家両親、特に上条詩菜と御坂美鈴、二人の許可を得ているのだということに。
いや正確には許可ということそのものがおかしい。なぜなら詩菜と美鈴が二人の同棲に反対した理由自体が、「籍を入れる、イコール同棲」という上条の考えを引き出すためだったのだから。
つまり詩菜と美鈴の行動は全て、美琴の計画を成功させるためのものだったということに上条は気づいていないのだ。
ちなみに美琴は母親達の企みには、とうの昔に気づいていたりする。
この美琴の計画は、既に上条家、及び御坂家両親、特に上条詩菜と御坂美鈴、二人の許可を得ているのだということに。
いや正確には許可ということそのものがおかしい。なぜなら詩菜と美鈴が二人の同棲に反対した理由自体が、「籍を入れる、イコール同棲」という上条の考えを引き出すためだったのだから。
つまり詩菜と美鈴の行動は全て、美琴の計画を成功させるためのものだったということに上条は気づいていないのだ。
ちなみに美琴は母親達の企みには、とうの昔に気づいていたりする。
「好き合ってるんだし、私はちゃんと常盤台を卒業したんだし、なんの問題があるってのよ。肝心な時に側にいてあげられなくて、何がフィアンセよ、ほんとに情けない……」
あと二年我慢すれば美琴の夢が一つ叶う。
それでも美琴は上条を心配するあまり、思わず愚痴が口をついて出てしまうのであった。
あと二年我慢すれば美琴の夢が一つ叶う。
それでも美琴は上条を心配するあまり、思わず愚痴が口をついて出てしまうのであった。
洗面所を出た美琴は台所に立ち寄り、水と薬、そして食べやすいよう一口サイズに切ったりんごを盛った皿をお盆に載せて、再び上条の側にやってきた。
「薬持ってきたわよ。それから、りんご剥いてきたから食べて。少しでもお腹に何か入れてからでないと、薬も飲めないでしょ」
「…………」
着替え終わった上条は何をするでもなく、ぼうっとベッドの上に座ったまま美琴の方に顔を向けた。さすがにもうべそはかいていないらしい。
「薬持ってきたわよ。それから、りんご剥いてきたから食べて。少しでもお腹に何か入れてからでないと、薬も飲めないでしょ」
「…………」
着替え終わった上条は何をするでもなく、ぼうっとベッドの上に座ったまま美琴の方に顔を向けた。さすがにもうべそはかいていないらしい。
「少しは落ち着いた?」
そう言いながら美琴は上条の隣に腰掛けた。上条の体重に加え、美琴の分のそれまで受け止めたベッドはぎしぎしと悲鳴を上げる。
上条は美琴の質問にほんの少し笑みを浮かべた。
「まあな、さすがにあの程度でへこたれる上条さんじゃありません」
「……違うわよ、誰もさっきの事なんかでアンタがへこたれるなんて思ってやしないわ」
「じゃあ、いったい?」
「当麻、アンタとぼける気? 私が言いたいのはアンタがさっきまで見てた夢の話よ」
「…………!」
上条ははっと息を呑んで目を見開いた。そのままゆっくりと視線を美琴の方へ向けると、上条は困ったような笑みを浮かべた。
「えっと、夢って、なんの、こ――」
美琴は上条にずいと顔を近づける。
「本当にとぼける気なの? 『止めろ』とか『離せ』とか、あんな大声出して暴れてたのよ、ごまかしきれるわけないでしょう。アンタが見てた夢が関係してるって考えるのが一番筋が通ってるでしょう?」
「う……」
「どんな内容だったの?」
「……お、覚えて――」
「もちろん覚えてるわよね、ごまかそうとしたくらいだし」
「ううう……」
「ほら、さっさと言いなさい。それとも……」
美琴はここでいったん言葉を句切った。
「やっぱり、私は頼りに、ならない、のかな……?」
「あ……」
「そりゃ誰にだって人に話せないことは確かにある。けど、アンタが苦しいと思ったのは夢の内容、なんだよね? アンタにとっては、夢の内容すら、私に話せないことなの? アンタにとっての私は、夢の内容すら話せない相手でしか、ないの? 私達が付き合って、もう何年にもなるのに、アンタはやっぱり、肝心なところでは私を頼ってくれ、ない、のかな……?」
そう言いながらうつむいた美琴を見て、上条の口から声が漏れた。
「違う」
「え?」
「違う、違うんだ……そうじゃ、ない……」
「……じゃあ、どうして何も言ってくれないの?」
瞳にほんの少し涙を溜めながら美琴は上条を見上げた。
「それは……」
その涙に罪悪感を感じながら、上条は言いにくそうに口ごもった。
美琴も上条をじっと見つめながら、それ以上何も言わなかった。
そう言いながら美琴は上条の隣に腰掛けた。上条の体重に加え、美琴の分のそれまで受け止めたベッドはぎしぎしと悲鳴を上げる。
上条は美琴の質問にほんの少し笑みを浮かべた。
「まあな、さすがにあの程度でへこたれる上条さんじゃありません」
「……違うわよ、誰もさっきの事なんかでアンタがへこたれるなんて思ってやしないわ」
「じゃあ、いったい?」
「当麻、アンタとぼける気? 私が言いたいのはアンタがさっきまで見てた夢の話よ」
「…………!」
上条ははっと息を呑んで目を見開いた。そのままゆっくりと視線を美琴の方へ向けると、上条は困ったような笑みを浮かべた。
「えっと、夢って、なんの、こ――」
美琴は上条にずいと顔を近づける。
「本当にとぼける気なの? 『止めろ』とか『離せ』とか、あんな大声出して暴れてたのよ、ごまかしきれるわけないでしょう。アンタが見てた夢が関係してるって考えるのが一番筋が通ってるでしょう?」
「う……」
「どんな内容だったの?」
「……お、覚えて――」
「もちろん覚えてるわよね、ごまかそうとしたくらいだし」
「ううう……」
「ほら、さっさと言いなさい。それとも……」
美琴はここでいったん言葉を句切った。
「やっぱり、私は頼りに、ならない、のかな……?」
「あ……」
「そりゃ誰にだって人に話せないことは確かにある。けど、アンタが苦しいと思ったのは夢の内容、なんだよね? アンタにとっては、夢の内容すら、私に話せないことなの? アンタにとっての私は、夢の内容すら話せない相手でしか、ないの? 私達が付き合って、もう何年にもなるのに、アンタはやっぱり、肝心なところでは私を頼ってくれ、ない、のかな……?」
そう言いながらうつむいた美琴を見て、上条の口から声が漏れた。
「違う」
「え?」
「違う、違うんだ……そうじゃ、ない……」
「……じゃあ、どうして何も言ってくれないの?」
瞳にほんの少し涙を溜めながら美琴は上条を見上げた。
「それは……」
その涙に罪悪感を感じながら、上条は言いにくそうに口ごもった。
美琴も上条をじっと見つめながら、それ以上何も言わなかった。
部屋の中がしんと静まりかえる。
美琴にとっても、上条にとってもその静けさはあまり気持ちのいいものとは言えなかった。
やがて言いにくそうに、ぽつりぽつりと上条が口を開いた。
「ごめん。でも、俺にとって、美琴が、頼りない、なん、てことは、絶対にない。そうじゃない。ただ、俺にも、わけがわからなくて。そんなことで心配、かけたく、なく、て……」
「わけが、わからない?」
美琴の言葉に上条はこくりとうなずいた。
「ああ。夢なのかどうか、すら、正直はっきり、しないんだ」
上条はここでごくりとつばを飲み込む。
「最近、よく見るようになった夢、みたいなものなんだけど、その、真っ暗な世界の夢、なんだ」
「真っ暗な世界?」
「ああ、上も下もどこもかしこも真っ暗な世界。それに誰もいないんだ。何もなくて、体だって地面に立っているようで浮いてるようで。なんだかよくわからない世界だ。けど、誰もいないはずなのに、俺は憎まれてるんだ」
「誰もいないのに、どうして? 何が当麻を憎むの?」
「わからない……。でも、確かに俺は憎まれてて、殺意すら向けられてて。だんだん、それがはっきりした声になってきて」
「殺意って、何よそれ……。あれ、と、当麻、アンタどうしたの……?」
美琴ははっと息を呑む。上条の呼吸が目に見えて荒くなってきており、その手が不自然に震えだしていることに気づいたからだ。
「だから俺は耐えられなくなって、いつも逃げ出すんだ。耳をふさいで叫びながら、逃げて、逃げて、ひたすら逃げて。そして、逃げ切れなくて最後には捕まる、んだ」
荒い呼吸のまま上条は無理矢理言葉を繋げ続ける。
「足を掴まれて、倒されて、どんなにもがいても、離れなくて。最後にはありとあらゆるところから手が出てきて、体全部が、底なし沼みたいな地面に呑み込まれるんだ。そこには頭がおかしくなるくらいの憎しみがあって、どんなに止めてくれって叫んでも、消えなくて。それでいつも最後は気が狂う寸前に夢の中で気絶して、目が覚める」
上条は両手で顔を覆い、くくく、と乾いた笑いを浮かべた。
「な、わけがわからないだろ? たかが夢だ。でも俺はそんな夢が怖くて、辛くて、耐えられないくらいなんだ。夢の中では幻想殺しも役に立たない。まったくお笑いだろ? 今までいろんな人が持ってる、いろんなふざけた幻想をぶち殺してきたつもりの俺が、自分自身のことに関しては何もできないんだ。ただ、恐怖のあまり逃げ出すだけ……まったく、みっともない……。いや、今まで、人の幻想を無遠慮にぶち殺してきた罰が当たったのかな……」
上条はギリッと奥歯を噛みしめながら、自らの肩をかき抱く。
「もしかしてアンタ、その夢を見るようになってから体の調子が悪いんじゃ?」
美琴の質問に上条は首を横に振る。
「わからないって言ったろ? ほんとに、何もかもがわけわからねーんだ。なんでこんな夢を見るのかも、俺の体に影響があるのかも。そもそも、俺はこれからどうすりゃいいのかも。すまねー美琴、みっともない彼氏で。幻滅したろう、たかが夢なんかでここまで落ち込む男なんて。でも俺は……チクショウ、畜生、ちくしょう……」
絞り出すようにそこまで言うと、上条はそれ以上何も言わなかった。ただひたすら目を閉じ、恐怖に耐えるように体を震わせるだけだった。
美琴にとっても、上条にとってもその静けさはあまり気持ちのいいものとは言えなかった。
やがて言いにくそうに、ぽつりぽつりと上条が口を開いた。
「ごめん。でも、俺にとって、美琴が、頼りない、なん、てことは、絶対にない。そうじゃない。ただ、俺にも、わけがわからなくて。そんなことで心配、かけたく、なく、て……」
「わけが、わからない?」
美琴の言葉に上条はこくりとうなずいた。
「ああ。夢なのかどうか、すら、正直はっきり、しないんだ」
上条はここでごくりとつばを飲み込む。
「最近、よく見るようになった夢、みたいなものなんだけど、その、真っ暗な世界の夢、なんだ」
「真っ暗な世界?」
「ああ、上も下もどこもかしこも真っ暗な世界。それに誰もいないんだ。何もなくて、体だって地面に立っているようで浮いてるようで。なんだかよくわからない世界だ。けど、誰もいないはずなのに、俺は憎まれてるんだ」
「誰もいないのに、どうして? 何が当麻を憎むの?」
「わからない……。でも、確かに俺は憎まれてて、殺意すら向けられてて。だんだん、それがはっきりした声になってきて」
「殺意って、何よそれ……。あれ、と、当麻、アンタどうしたの……?」
美琴ははっと息を呑む。上条の呼吸が目に見えて荒くなってきており、その手が不自然に震えだしていることに気づいたからだ。
「だから俺は耐えられなくなって、いつも逃げ出すんだ。耳をふさいで叫びながら、逃げて、逃げて、ひたすら逃げて。そして、逃げ切れなくて最後には捕まる、んだ」
荒い呼吸のまま上条は無理矢理言葉を繋げ続ける。
「足を掴まれて、倒されて、どんなにもがいても、離れなくて。最後にはありとあらゆるところから手が出てきて、体全部が、底なし沼みたいな地面に呑み込まれるんだ。そこには頭がおかしくなるくらいの憎しみがあって、どんなに止めてくれって叫んでも、消えなくて。それでいつも最後は気が狂う寸前に夢の中で気絶して、目が覚める」
上条は両手で顔を覆い、くくく、と乾いた笑いを浮かべた。
「な、わけがわからないだろ? たかが夢だ。でも俺はそんな夢が怖くて、辛くて、耐えられないくらいなんだ。夢の中では幻想殺しも役に立たない。まったくお笑いだろ? 今までいろんな人が持ってる、いろんなふざけた幻想をぶち殺してきたつもりの俺が、自分自身のことに関しては何もできないんだ。ただ、恐怖のあまり逃げ出すだけ……まったく、みっともない……。いや、今まで、人の幻想を無遠慮にぶち殺してきた罰が当たったのかな……」
上条はギリッと奥歯を噛みしめながら、自らの肩をかき抱く。
「もしかしてアンタ、その夢を見るようになってから体の調子が悪いんじゃ?」
美琴の質問に上条は首を横に振る。
「わからないって言ったろ? ほんとに、何もかもがわけわからねーんだ。なんでこんな夢を見るのかも、俺の体に影響があるのかも。そもそも、俺はこれからどうすりゃいいのかも。すまねー美琴、みっともない彼氏で。幻滅したろう、たかが夢なんかでここまで落ち込む男なんて。でも俺は……チクショウ、畜生、ちくしょう……」
絞り出すようにそこまで言うと、上条はそれ以上何も言わなかった。ただひたすら目を閉じ、恐怖に耐えるように体を震わせるだけだった。
深刻な顔で上条の話を聞いていた美琴だったが、急に何かを思いついたのか、上条に声をかけた。
「ねえ、さっき憎しみの声って言ってたけど、具体的になんて言われるの?」
「え?」
上条は虚ろな表情を美琴に向ける。
その表情に心の痛みを覚えながら美琴は言葉を続けた。
「だから声の中身よ、はっきりとした声が聞こえたんでしょ? なんて言われてたの?」
「え、えと、『疫病神』とか『化け物』とか、『不幸を呼び寄せる怪物め』とか……。後、『この世から消えてしまえ』とか……」
「そう……」
上条の答えを聞いた時、それは美琴の中に一つの仮説を浮かび上がらせた。
けれどそんな仮説があろうとなかろうと、今の美琴にとっては「なすべき」こと、いや「なしたい」ことがある。
だから美琴はその「なしたい」ことを実行に移した。
「ねえ、さっき憎しみの声って言ってたけど、具体的になんて言われるの?」
「え?」
上条は虚ろな表情を美琴に向ける。
その表情に心の痛みを覚えながら美琴は言葉を続けた。
「だから声の中身よ、はっきりとした声が聞こえたんでしょ? なんて言われてたの?」
「え、えと、『疫病神』とか『化け物』とか、『不幸を呼び寄せる怪物め』とか……。後、『この世から消えてしまえ』とか……」
「そう……」
上条の答えを聞いた時、それは美琴の中に一つの仮説を浮かび上がらせた。
けれどそんな仮説があろうとなかろうと、今の美琴にとっては「なすべき」こと、いや「なしたい」ことがある。
だから美琴はその「なしたい」ことを実行に移した。
「当麻」
「え?」
「口を開けなさい」
「な、なんで?」
「いいから」
「ああ……」
強い口調の美琴に逆らうことができずに、上条は渋々口を開いた。
美琴は一口サイズのりんごを二つほど手に取ると、上条の口に強引に放り込んだ。
「…………!」
驚きで目を丸くした上条だったが、昨日からの空腹のせいもあったのだろう、シャリシャリと何度か咀嚼すると、ごくりとりんごを飲み込んだ。
上条がりんごを食べたことを確認した美琴は、今度は自らの手で強引に上条の口を開いた。
そして間髪入れずに薬を上条の口に放り込むと、今度も強引に水のみに入れた水を飲ませた。
「…………!」
えづきながらも上条はなんとか薬と水を嚥下する。
「み、こと、てめー」
胸を押さえて呼吸を整えた上条は、文句を言おうと美琴をにらみつけた。
しかし、
「?」
急に上条の顔が暖かく、柔らかい物に包み込まれた。
「もう、アンタは本当に馬鹿なんだから」
そして困惑する上条のすぐ側から美琴の声が聞こえてくる。
「へ? へ? お、おま、え、何を……!」
ようやく事態に気づいた上条は顔を真っ赤にした。いつの間にか上条の顔は美琴の胸に抱きしめられていたのだ。
「ち、ちょっと美琴、止め、止めろ、よ……!」
弱々しく抵抗しようとする上条だったが、美琴は上条の顔をさらに強く胸に押しつけることによって上条の抵抗に抗した。
徐々に上条の体から力が抜けていく。
結局上条は美琴のなすがまま、彼女の胸に顔を埋めることになったのだった。
「え?」
「口を開けなさい」
「な、なんで?」
「いいから」
「ああ……」
強い口調の美琴に逆らうことができずに、上条は渋々口を開いた。
美琴は一口サイズのりんごを二つほど手に取ると、上条の口に強引に放り込んだ。
「…………!」
驚きで目を丸くした上条だったが、昨日からの空腹のせいもあったのだろう、シャリシャリと何度か咀嚼すると、ごくりとりんごを飲み込んだ。
上条がりんごを食べたことを確認した美琴は、今度は自らの手で強引に上条の口を開いた。
そして間髪入れずに薬を上条の口に放り込むと、今度も強引に水のみに入れた水を飲ませた。
「…………!」
えづきながらも上条はなんとか薬と水を嚥下する。
「み、こと、てめー」
胸を押さえて呼吸を整えた上条は、文句を言おうと美琴をにらみつけた。
しかし、
「?」
急に上条の顔が暖かく、柔らかい物に包み込まれた。
「もう、アンタは本当に馬鹿なんだから」
そして困惑する上条のすぐ側から美琴の声が聞こえてくる。
「へ? へ? お、おま、え、何を……!」
ようやく事態に気づいた上条は顔を真っ赤にした。いつの間にか上条の顔は美琴の胸に抱きしめられていたのだ。
「ち、ちょっと美琴、止め、止めろ、よ……!」
弱々しく抵抗しようとする上条だったが、美琴は上条の顔をさらに強く胸に押しつけることによって上条の抵抗に抗した。
徐々に上条の体から力が抜けていく。
結局上条は美琴のなすがまま、彼女の胸に顔を埋めることになったのだった。
「ねえ、落ち着いた?」
上条が抵抗を止めて数分後、美琴はできる限り優しい口調で上条に語りかけた。
「…………」
しかし上条からはなんの返事もない。
疑問に思った美琴が上条の様子を確認すると、
「すー、すー……」
上条は美琴に抱きしめられたまま、静かに寝息を立てていた。その表情は非常に穏やかで、とてもさっきまで目に見えぬ恐怖に怯え、自己嫌悪に陥っていた人物のそれと同一のものとは思えなかった。
「馬鹿……」
美琴はわずかに頬を朱く染めながら呟いた。
上条が抵抗を止めて数分後、美琴はできる限り優しい口調で上条に語りかけた。
「…………」
しかし上条からはなんの返事もない。
疑問に思った美琴が上条の様子を確認すると、
「すー、すー……」
上条は美琴に抱きしめられたまま、静かに寝息を立てていた。その表情は非常に穏やかで、とてもさっきまで目に見えぬ恐怖に怯え、自己嫌悪に陥っていた人物のそれと同一のものとは思えなかった。
「馬鹿……」
美琴はわずかに頬を朱く染めながら呟いた。
美琴はもう一度上条の表情を確認した。
やはり上条は穏やかで、安心しきった様子で美琴に寄りかかっていた。
「よかった」
美琴から安堵の言葉が漏れる。
やはり上条は穏やかで、安心しきった様子で美琴に寄りかかっていた。
「よかった」
美琴から安堵の言葉が漏れる。
上条の体温を感じながら、美琴は上条を苦しめるものについて意識を向けた。
上条が怯えていた夢の正体。
美琴の仮説が正しければ、今回の話は決して楽観視できるものではないからだ。
美琴が仮定した上条の夢の正体。
それは、上条の潜在意識における過去の記憶だった。
上条が怯えていた夢の正体。
美琴の仮説が正しければ、今回の話は決して楽観視できるものではないからだ。
美琴が仮定した上条の夢の正体。
それは、上条の潜在意識における過去の記憶だった。
美琴には常々疑問に思っていることがあった。
かつて上条は竜王の殺息を受けた日以前の記憶がないと美琴に告白した。
しかし美琴やインデックスといった近しい他人だけでなく、刀夜や詩菜といった肉親ですらだませるほど、上条当麻という人間そのものにはまったくといっていいほど変化はなかった。
それはおかしいのではないかと美琴は考えていたのだ。
なぜなら人間の性格の差異とは産まれ持ったもの以上に環境に因るところが大きい。
人間がそれまで生きてきて積み重ねてきた経験や歴史の結果、それこそがその人間の性格なのだ。
例えば妹達。彼女達のDNAは全て同じ、つまり産まれ持ったものは全て同じである。
にもかかわらず彼女達の性格は各々異なっている。彼女達の経験がそれぞれ異なるからだ。
経験が異なれば例え同じ人間であっても、その積み重ねの結果は異なって当然であろう。
そう、人の性格とはかくも複雑で、上条のように全ての記憶を失い、経験を失ってもなお、失う前と同じ性格を有している保証などどこにもないのだ。
ならばなぜ上条は全ての記憶を破壊されたにも関わらず、その性格に変化がなかったのか。
かつて上条は竜王の殺息を受けた日以前の記憶がないと美琴に告白した。
しかし美琴やインデックスといった近しい他人だけでなく、刀夜や詩菜といった肉親ですらだませるほど、上条当麻という人間そのものにはまったくといっていいほど変化はなかった。
それはおかしいのではないかと美琴は考えていたのだ。
なぜなら人間の性格の差異とは産まれ持ったもの以上に環境に因るところが大きい。
人間がそれまで生きてきて積み重ねてきた経験や歴史の結果、それこそがその人間の性格なのだ。
例えば妹達。彼女達のDNAは全て同じ、つまり産まれ持ったものは全て同じである。
にもかかわらず彼女達の性格は各々異なっている。彼女達の経験がそれぞれ異なるからだ。
経験が異なれば例え同じ人間であっても、その積み重ねの結果は異なって当然であろう。
そう、人の性格とはかくも複雑で、上条のように全ての記憶を失い、経験を失ってもなお、失う前と同じ性格を有している保証などどこにもないのだ。
ならばなぜ上条は全ての記憶を破壊されたにも関わらず、その性格に変化がなかったのか。
冥土帰しの説明によると、上条は竜王の殺息に大脳の記憶部位を破壊されたことによって全ての記憶を失ったということである。
けれどもし、上条の脳にわずかだが記憶の欠片が残っていたとしたら。
自らの良心に従って人を守るという、上条の性格の中でも根幹をなす部分を司る記憶が、欠片として残っていたとしたら。
それならば上条の性格が変わらなかった理由も説明が付くのではないか。
美琴はそう考えていたのだ。
元々、人間の脳や記憶に関する研究はまだまだ発展途上中。脳の特定部位にのみ本当に記憶が偏っているかどうかなど誰にもわからないのだ。
もしかすると性格を司るような重要な記憶は、全てではないにしろ脳の中である一定のバックアップが取られている可能性だってなきにしもあらずなのである。
けれどもし、上条の脳にわずかだが記憶の欠片が残っていたとしたら。
自らの良心に従って人を守るという、上条の性格の中でも根幹をなす部分を司る記憶が、欠片として残っていたとしたら。
それならば上条の性格が変わらなかった理由も説明が付くのではないか。
美琴はそう考えていたのだ。
元々、人間の脳や記憶に関する研究はまだまだ発展途上中。脳の特定部位にのみ本当に記憶が偏っているかどうかなど誰にもわからないのだ。
もしかすると性格を司るような重要な記憶は、全てではないにしろ脳の中である一定のバックアップが取られている可能性だってなきにしもあらずなのである。
そこへ来て今回の夢の話である。
上条はその不幸体質故に幼い頃から迫害を受け、あまつさえ殺害されかけたことすらある。
その記憶や経験は、幼い上条にとっては拭っても拭いきれない恐怖として心に残ったであろう。
美琴は思う、その理不尽な迫害や暴力という経験が反面教師として上条に作用したのではないかと。
自分が受けた理不尽な思いを人に味合わせたくない、その気持ちがある種純粋すぎる上条の正義感を培ったのではないかと。
つまり、幼い頃の恐怖の記憶こそが今の上条の性格を司っているのではないかと美琴は考えているのだ。
ならば今の上条も深層心理として、その恐怖の記憶の欠片を持っていると考えても不思議はない。
上条はその不幸体質故に幼い頃から迫害を受け、あまつさえ殺害されかけたことすらある。
その記憶や経験は、幼い上条にとっては拭っても拭いきれない恐怖として心に残ったであろう。
美琴は思う、その理不尽な迫害や暴力という経験が反面教師として上条に作用したのではないかと。
自分が受けた理不尽な思いを人に味合わせたくない、その気持ちがある種純粋すぎる上条の正義感を培ったのではないかと。
つまり、幼い頃の恐怖の記憶こそが今の上条の性格を司っているのではないかと美琴は考えているのだ。
ならば今の上条も深層心理として、その恐怖の記憶の欠片を持っていると考えても不思議はない。
つまり今回上条が見た、世界から拒絶される恐怖の夢とは、上条が幼い頃に味わった恐怖の記憶が何かのきっかけで発露したものなのではないか、それが美琴が立てた仮説なのである。
ただ、あくまでも仮説。
これらは全て美琴が考えた仮説だ。それが正しいといえる証拠などどこにもない。
まったくの間違いである可能性だって十分にある。
しかし美琴には自分の考えが間違いだとはどうしても思えなかった。
ただ、あくまでも仮説。
これらは全て美琴が考えた仮説だ。それが正しいといえる証拠などどこにもない。
まったくの間違いである可能性だって十分にある。
しかし美琴には自分の考えが間違いだとはどうしても思えなかった。
だがもしそうならこれは決して解決できる問題ではない。
なにしろ上条が覚えているのは恐怖という感情だけなのだ。
そこに至る過程に関する知識も何も彼は覚えていない。
原因を知らない以上、それを取り除き問題に対処する根本的な解決方法が上条自身にないのである。
なにしろ上条が覚えているのは恐怖という感情だけなのだ。
そこに至る過程に関する知識も何も彼は覚えていない。
原因を知らない以上、それを取り除き問題に対処する根本的な解決方法が上条自身にないのである。
レベル5である美琴の頭脳は一瞬でここまで考えついた。
上条の不安を取り除く方法がない、ということまで。
そのあまりにも理不尽な結論に美琴の心は折れかけた。
だがそれでも美琴は上条に対して何かをしたかった。
己の全てを懸けても構わない、と言えるほど愛している上条に対して何かをしたかった。
そしてその気持ちから美琴が選んだ答えは単純なものだった。
上条の不安を取り除く方法がない、ということまで。
そのあまりにも理不尽な結論に美琴の心は折れかけた。
だがそれでも美琴は上条に対して何かをしたかった。
己の全てを懸けても構わない、と言えるほど愛している上条に対して何かをしたかった。
そしてその気持ちから美琴が選んだ答えは単純なものだった。
抱きしめる。
計算も、効果の程を検証するわけでもなく、ただ美琴自身の無意識が選んだ答えだった。
愛しい上条をその胸にただ抱きしめたい。
自らの胸の中で、上条を襲う不安や恐怖からただひたすらに彼を護りたい。
その純粋な想いが選んだ答えだった。
愛しい上条をその胸にただ抱きしめたい。
自らの胸の中で、上条を襲う不安や恐怖からただひたすらに彼を護りたい。
その純粋な想いが選んだ答えだった。
「そういえば母親って、赤ちゃんに自分の心臓の音を聞かせて安心させるっていうわね」
穏やかな表情を浮かべながら、美琴は上条の髪を優しく撫でた。
「ねえ、アンタも安心してくれてるのかな、私がこうしてると。でも」
美琴は名残惜しそうに上条の体をそっと離した。
「眠ったんならもういいわよね、後は一人で眠ってね。おやすみ」
上条の体をそっとベッドに横たえると、美琴はゆっくり立ち上がろうとした。しかし、美琴の体から離れた途端、上条の表情が苦痛に歪みだした。
「え? どうして? 私が離れたから?」
美琴は試しにぎゅっと上条の手を握ってみた。すると、心なしか上条の表情が緩んだようだった。
「…………」
美琴はジト目で上条を見つめた。
「スケベ。アンタ、本当は起きてるんじゃないでしょうね」
そう言って上条の頬を軽くはたいたが、上条が起きる様子は見られなかった。
「……本当に寝てるのね。し、しし仕方ない、わね。き、今日だけなんだからね」
目を閉じて何度もうなずいた美琴はベッドから離れると、持ってきた鞄からパジャマを取り出し、いそいそと着替えだした。
「そうよ、これはあくまでもアイツのため、アイツのため、アイツのため」
言い訳がましく呟きながら着替えを終えた美琴は部屋の電気を消すと、上条のベッドに嬉々として潜り込んだ。
上条の枕を取り上げ自分の頭の下に敷いた美琴は、真っ赤な顔をしながら上条の頭を再び自分の胸に抱いた。
「私がアンタといっしょに寝たいわけじゃないんだからね。アンタをこうして抱き枕にしながら眠りたいわけでもないんだからね。そう、あくまでもこれは当麻、アンタのためなんだから」
何度も何度も自らへの言い訳を呟き続けた美琴は、慣れてきた夜目で上条の表情が穏やかになったのを確認すると自らも眠りについた。
穏やかな表情を浮かべながら、美琴は上条の髪を優しく撫でた。
「ねえ、アンタも安心してくれてるのかな、私がこうしてると。でも」
美琴は名残惜しそうに上条の体をそっと離した。
「眠ったんならもういいわよね、後は一人で眠ってね。おやすみ」
上条の体をそっとベッドに横たえると、美琴はゆっくり立ち上がろうとした。しかし、美琴の体から離れた途端、上条の表情が苦痛に歪みだした。
「え? どうして? 私が離れたから?」
美琴は試しにぎゅっと上条の手を握ってみた。すると、心なしか上条の表情が緩んだようだった。
「…………」
美琴はジト目で上条を見つめた。
「スケベ。アンタ、本当は起きてるんじゃないでしょうね」
そう言って上条の頬を軽くはたいたが、上条が起きる様子は見られなかった。
「……本当に寝てるのね。し、しし仕方ない、わね。き、今日だけなんだからね」
目を閉じて何度もうなずいた美琴はベッドから離れると、持ってきた鞄からパジャマを取り出し、いそいそと着替えだした。
「そうよ、これはあくまでもアイツのため、アイツのため、アイツのため」
言い訳がましく呟きながら着替えを終えた美琴は部屋の電気を消すと、上条のベッドに嬉々として潜り込んだ。
上条の枕を取り上げ自分の頭の下に敷いた美琴は、真っ赤な顔をしながら上条の頭を再び自分の胸に抱いた。
「私がアンタといっしょに寝たいわけじゃないんだからね。アンタをこうして抱き枕にしながら眠りたいわけでもないんだからね。そう、あくまでもこれは当麻、アンタのためなんだから」
何度も何度も自らへの言い訳を呟き続けた美琴は、慣れてきた夜目で上条の表情が穏やかになったのを確認すると自らも眠りについた。
――きっとアンタの中の恐怖とアンタは一生付き合わなきゃいけない。上条当麻という人間の不幸が産んだ恐怖と。そんなアンタに私がしてあげられることは、今はこれくらいしかない。でも、これで少しでもアンタが苦しみから解放されるんなら、辛い思いをしなくて済むのなら。それに詩菜さんに誓ったものね、私はアンタを、当麻を、当麻の不幸から必ず護るって。
美琴は心持ち、上条の頭を抱きしめる手に力を入れた。
けれど上条はなんの抵抗もせず美琴のされるがままだった。
むしろ自分から美琴の方へすり寄っているようだった。
無意識の上条にとって美琴の行動はなんら不快なものではないらしい。
美琴は上条の行動に頬を染めた。
けれど上条はなんの抵抗もせず美琴のされるがままだった。
むしろ自分から美琴の方へすり寄っているようだった。
無意識の上条にとって美琴の行動はなんら不快なものではないらしい。
美琴は上条の行動に頬を染めた。
――神様、お願いです。
美琴は心の中でそっと呟いた。
――私の大好きな当麻。その当麻を助けてあげて下さい、これ以上苦しめないで下さい。当麻の心に安らぎを、与えてあげて下さい。
それは美琴の心からの願い。
上条当麻は夢を見ていた。
いつもと同じ夢。
暗い世界から拒絶され、必死で逃げる夢。
そしていつものように上条は世界に呑み込まれようとしていた。
いつもと同じ夢。
暗い世界から拒絶され、必死で逃げる夢。
そしていつものように上条は世界に呑み込まれようとしていた。
けれど、
そのとき、
次々に落ちてきた白い稲妻が黒い世界を破壊した。
そのとき、
次々に落ちてきた白い稲妻が黒い世界を破壊した。
周りの世界を失った上条は急に浮遊感に包まれる。
それは、暖かい、穏やかな、心からの安らぎを得られるような浮遊感。
上条はゆっくりと目を開けて周りを見た。
上条の体を包んでいたのは大きな白い翼だった。
上条は顔を上げ、その翼の持ち主を見た。
それは良く見知った顔だった。
誰よりも大切で、誰よりも愛しい顔。
上条はその名前を呼ぼうとしたが、翼の持ち主に遮られた。
何も心配しなくていい、今はただゆっくりとお休みなさい。
あなたには私が付いている。
翼の持ち主はそう言って上条の瞳を閉じさせた。
やがて上条は翼の持ち主に促されるように眠りについた。
今までの恐怖から解放されたかのような、穏やかな顔を浮かべて。
心の中に、ただ一言の感謝の言葉を抱いて。
それは、暖かい、穏やかな、心からの安らぎを得られるような浮遊感。
上条はゆっくりと目を開けて周りを見た。
上条の体を包んでいたのは大きな白い翼だった。
上条は顔を上げ、その翼の持ち主を見た。
それは良く見知った顔だった。
誰よりも大切で、誰よりも愛しい顔。
上条はその名前を呼ぼうとしたが、翼の持ち主に遮られた。
何も心配しなくていい、今はただゆっくりとお休みなさい。
あなたには私が付いている。
翼の持ち主はそう言って上条の瞳を閉じさせた。
やがて上条は翼の持ち主に促されるように眠りについた。
今までの恐怖から解放されたかのような、穏やかな顔を浮かべて。
心の中に、ただ一言の感謝の言葉を抱いて。
――ありがとう。俺の、俺だけの、天使。
美琴の仮説が正しいか否か。
それを確かめる術はどこにもない。
真相は誰にもわからない。
けれど、たった一つだけ確かなことがある。
それは、この日を境に、上条が悪夢に苦しめられることは二度となかった、ということである。
それを確かめる術はどこにもない。
真相は誰にもわからない。
けれど、たった一つだけ確かなことがある。
それは、この日を境に、上条が悪夢に苦しめられることは二度となかった、ということである。
おしまい