とある花屋と少年少女
「……、もういいわよ知らない勝手にしなさいよっ!」
美琴が再び声を荒げたと同時、彼女の前髪から10億ボルトが炸裂した。
「どァあっ!?」
とっさにかざした右手でその一撃を弾き飛ばした上条は、
「何しやがりますか!? いくらなんでも今のは本気で死にそうでしたよ俺!」
と涙目で叫んだものの、すでに美琴はその場から走り去ってしまっていた。
「何なんだよ、アイツ……」
一人残された上条は、美琴が立ち去った方を見つめてぼんやりと呟いた。
時は少し遡り、午後2時過ぎ。上条当麻は美琴との待ち合わせ場所に向かって走っていた。今日は久しぶりに病院暮らしの御坂妹を訪ねる予定で、美琴とは2時に待ち合わせをしていた。
「……あ」
赤信号で立ち止まった時、上条は不意にあることを思い出した。昨日の内に買って置いた御坂妹へ土産を、うっかり玄関に忘れてきてしまった。今から取りに帰ってもいいが、そうすれば美琴をさらに待たせることとなる。美琴を待たせ過ぎると雷撃の槍の連発は免れない。経験済みだからわかるし、出来ればそれは避けたいと思う。どうすべきかと迷っていた上条は、信号を渡った向こうに小さな花屋を見つけた。いつもは地味で目立たない店だったが、今日は何かイベントでもあるのか、店頭に並ぶ花も華やかそうに見えた。
「よし。あそこで何か買っていきますか」
お財布事情的には遠慮したいが、置き忘れた自分が悪いので仕方がない。青信号に変わるとすぐ、上条はその花屋へと駆けて行った。
そうして上条は何とか15分遅刻で、御坂美琴と合流することが出来た。出来たのだが。
「すみませんでしたーっ!!」
「……!? あ、アンタ、ななな何持ってんの?」
雷撃は免れても文句は言われると覚悟していたのに、美琴からは予想外の反応が返ってきた。何だか顔も赤くなっているような気がする。
「え、花束だけど…?」
「な、何で花束なんて持ってんのよ?」
「土産」
「あーみや……、げ?」
「昨日買った御坂妹への土産、寮に忘れてきちまってさ。来る途中に花屋があったから、そこで買ったんだ。結構いい感じだろ?」
上条は花束を美琴に見せて、にかっと笑った。花束はピンクのガーベラを中心に作られた可愛らしいミニブーケで、赤いリボン付きだ。
「……ふーん。土産、ねぇ?」
「……えーっと御坂サン? 何故に周辺の空気が不穏な感じに帯電してるのでせうか?」
「さぁどうしてかしらねー? ……ア・ン・タ・は、やっぱり妹って響きが大好きな人だったのかあああああああああああああ!!」
「えええええ!? 何で!? 何でいきなりそうなるんでせう!?」
「うっさい! この鈍感っ! こんな日にまでアンタはまたっ! どうして……」
ふと、美琴の雷撃が止まった。必死に右拳を振り回していた上条は、おそるおそる美琴の顔を覗き込もうとしたが。
「……、もういいわよ知らない勝手にしなさいよっ!」
美琴が再び声を荒げたと同時、彼女の前髪から10億ボルトが炸裂した。
「どァあっ!?」
とっさにかざした右手でその一撃を弾き飛ばした上条は、
「何しやがりますか!? いくらなんでも今のは本気で死にそうでしたよ俺!」
と涙目で叫んだものの、すでに美琴はその場から走り去ってしまっていた。
「何なんだよ、アイツ……」
上条には美琴が怒っている理由が全くわからなかった。土産の花束に原因があるような気もするが、それの何が原因なのか全く見当がつかない。白い菊を選らんだわけでもないし、見舞にも問題の無い花束のはずだ。全く一体何が美琴の気に触れたのだか。
その後、美琴とは連絡が取れないまま、上条は結局一人で病院へと向かった。
御坂妹は相変わらずの無表情であったが、花束を渡した時には少し目を見開いて驚いているようだった。美琴を怒らせてしまったらしいことを話すと、「素直になれないお姉様も問題ですが、より問題なのはやはり……」と、何やら意味深な視線を無言と共に返された。
病院を出た後はスーパーで夕飯の買い物をしてから帰路についた。だが、とある信号に差しかかった時、一人の女性に声を掛けられた。
「あら、キミ」
それは今日花束を買った時に対応してくれた店員だった。色とりどりの花束を前に迷っていた上条に、とても親切な対応をしてくれたお姉さんだ。どうやら花屋の前を通り過ぎていたらしい。
「こんにちは。今日はどうもありがとうございました」
「いえいえ、こちらこそありがとう。彼女さんには喜んでもらえたかな?」
「……はい?」
首を傾げた上条の目の前で、まるで鏡のようにお姉さんも首を傾げた。
「え? 彼女さんにあげたんでしょう?」
「え? いえ、あの花束は知り合いに……」
「あら、彼女さんへのプレゼントじゃなかったの?」
「え、あ、はい。あれは知り合いへの土産に買ったもので……」
「そうだったの。てっきり彼女さんへ渡すものだとばかり。今日が今日だしね」
にこにこ笑う店員のお姉さん、その言葉に、上条は一つの引っ掛かりを覚えた。
「今日? あのすみません。今日って何か特別な日だったりするんですか?」
「え? てことはキミ、今日のこと知らないで花を選んでたの? ほら、ここに書いてあるでしょう」
お姉さんが指差す先を見れば、そこには一つのポスターが貼ってあった。そしてそこには大きな文字で、
「『11月22日は夫婦の日』…てフウフ!?」
「そうそう。だから今日は『ありがとう』や『愛してる』、『これからもよろしく』とかいう意味を込めて、愛する人に花を贈る人がとても多いの。あ、結婚してるしてない問わず、ね。だからてっきり、キミもそうなのかとばかり」
「……、この夫婦の日って世間一般でも有名な記念日なんでせうか?」
「そうね…バレンタインほどではないけれど。それでも知っている人は多いんじゃないかな? 特に、恋する乙女なら気にしてる子は意外と多いかも」
マズイ、と上条はついに悟った。一体何が美琴の気に触れたのか、上条はようやく理解した。となれば、上条に残された道は一つだけだろう。だから、上条は目の前で微笑んでいる店員に向かって手を合わす。
「お姉さん、頼みがあるんですけど」
「はい、何かな?」
お姉さんは素敵な笑顔と共に、今度もまた親切に応じてくれた。
ここは常盤台中学、学び舎園の外にある学生寮の208号室。
御坂美琴は自分のベッドに突っ伏していた。昼間の上条に対する自らの行動を、猛烈に反省してのことである。ルームメイトの白井はまだ風紀委員の活動から帰ってきていない為、美琴は漏れる溜め息を抑えることもなく悩み続けていた。
「ばか当麻……」
あの時、またもや遅刻してきた上条に怒りをぶつけようと思って振り返ると、彼が左手に掴んでいた花束が目に入って面食らった。彼と付き合うようになってから急に意識し出した「夫婦の日」。それまではそんな日があるらしいという程度にしか思っていなかったのに、彼と付き合ってからはいつか自分も花束を贈ってもらえるのだろうかと夢見るようになった。
だから上条が持つ花束が目に入った瞬間、期待に胸が高鳴り、顔が一気に火照ってしまった。プロポーズとかされちゃったり!? なんて幸せな妄想も、全く過らなかったと言えば嘘になる。それだけに、あの上条の無神経な言葉には腹が立った。自分の期待を一気に粉々にして裏切った上条が、とても憎らしく思えてしまった。
本当はわかっている。上条に悪気や他意などは少しもなく、ただ妹への土産を用意してくれただけのだということぐらい、美琴はちゃんと理解していた。感謝こそすれ怒るなんてとんでもない、そのはずだった。
しかし、それでも美琴は我慢出来なかった。今日という日に上条が他の、例えそれが御坂妹であっても、自分以外の女に花束を贈ることなど許したくは無かった。身勝手な願いだと頭では理解しているのに、心が嫌だと叫んで体を動かしてしまった。その結果が、あの雷撃である。
「当麻のばか。ばかばかばか」
枕の端をギュッと握りしめ、美琴は呟いた。だが本当に一番馬鹿なのは、他でもない自分自身である。
その時。不意に長い電子音が室内に響いた。どうやら誰かがこの208号室に用らしい。出る気分ではないし居留守を決め込もうとしたものの、もしも大切なに用事か何かだったらと思い直し、ベッドから下りて美琴はそれに応じた。
「……、はい」
『あー、208号室の御坂美琴さんでいらっしゃいますか?』
「はい、そうです」
『お届け物をお持ちしました』
「では受け取りに行きますので少々そちらでお待ち下さい」
白井へのパソコン部品はと思いきや、珍しく美琴宛ときた。もしかすると母が何か送ってきたのかしらと思いつつ玄関ホールへ向かえば、人の良さそうな女性がそこで待っていた。
その女性を見た瞬間、美琴は両目を見開かずにはいられなかった。
「御坂美琴さん、ですね?」
「は、はい。そうです!」
「こちらがお届け物です」
そう言って女性から手渡されたのは、昼間に見たミニブーケとは比べ物にならない大きな花束。赤とオレンジ2色の薔薇が中心となったもので、包装部分は大きな赤いリボンで結ばれている。
「わぁ……」
「綺麗ですよね。赤は情熱と愛情、オレンジは信頼と絆。いずれも今日送る花束にはピッタリの花言葉です。素敵な彼氏さんですね。あと、ほら」
女性に促され、薔薇の間にちょこんと乗っている小さなカードを、美琴は見た。
「……ばか」
呟く言葉は全く優しくないけれど、その声音はとてもとても優しいものだった。
「そういうことらしいです。では、こちらに受け取りのサインをお願いします」
にこっと笑う女性が示した記入欄にさらさらっとサインをして、美琴は今日一番の微笑みを見せた。
「素敵な届け物、ありがとうございます」
門限ギリギリの夕方。しかし、御坂美琴は学生寮の外、例のお金をのみ込む自販機前に立っていた。あれから一度部屋に戻り、花を花瓶に移し替えてから美琴はここへやってきた。
「何よ、『自販機前で待ってる』って。おかげで門限過ぎそうなんだけど」
「悪りぃな。でも、寮の前だと後でお前が困るだろ? それに昼間のこともあったから、俺が届けに行っても出てきてくれないかと思ってさ」
美琴を待っていたのはツンツン頭の少年。愛しい愛しい、美琴の愛する人だ。
「……、花束ありがとう」
「いや、その、俺こそ。さっきはごめん。俺、今日のこととか知らな―」
「わかってる」
美琴は上条の言葉を遮った。そして上条の胴に両腕を回して抱きついた。恥ずかしさのせいもあり、顔はしっかりと上条の胸に埋めて隠している。
「お、おい!?」
「ごめんね。アンタは悪くないのに…私の我が儘に気を遣わせちゃって……」
「……」
上条は返事の代わりに、ゆっくりと優しく美琴を抱きしめた。時には言葉よりも有効なコミュニケーション手段がある。
温かな腕の中で、美琴は心が安らいでゆくのがわかった。上条当麻の腕の中とは、なんと安心出来る場所なのだろう。嫌なことも全部消えて無くなってしまうようだ。
「美琴」
そのまましばらく経過し、上条は優しい声音で美琴の名を呼んだ。美琴が顔を上げると、上条は驚くほど優しげな笑みを浮かべて美琴を見つめていた。
「お前は俺がずっと守るから」
「うん。私も当麻をずっと守るから。不幸なんて言わせないんだからね」
美琴は天使のように無邪気で美しい笑みを浮かべる。上条にしか見せない、美琴の最上級の微笑だ。
「……ありがとう」
そして二人の距離はゼロになった。
明日からも少年は鈍感であるし、少女は素直になれないだろう。性格というものはなかなか変えられないものだ。きっとまた今日のようなすれ違いもたくさん起こることだろう。しかし、彼らは確かな愛情と信頼の絆で結ばれている。そう、少年が少女に送った薔薇の花言葉のように。
「あの二人、いつかきっと本当の『いい夫婦』になるだろうな」
とある花屋の女性は、こうして今年の『いい夫婦の日』を終えたのであった。