とある魔術の禁書目録 自作ss保管庫

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新たな年の幕開けは 1



 クリスマスも過ぎ、年越しに向けて駆け足で向かっていく街の中を、御坂美琴はどこに向かうでもなくひとりぶらついていた。
 とはいえ無目的に彷徨っている訳ではなく、とある人物がどこかにいないかと目を配っているのだが、その人物がいる場所に思い当たるところも無いため、当て所も無く歩き回っているのである。
 冬休みということで時間を持て余した学生が同じように街中をうろついているため、ナンパ目的の男子学生にこの数日幾度と無く声を掛けられたが、美琴は視界にでも入っていないかのように受け流し、しつこい連中も前髪あたりを帯電させてみせると逃げるように散っていった。
 レベル5の美琴にとってみれば、その程度の能力の行使は慣れたもので、もはや演算というほどの労力も掛からない、ただ歩くことと変わりないものである。
 そのため煩わしさを感じることすらなく、目下その意識の大部分がツンツン頭の少年のことで占められていた。

 上条当麻はクリスマスにどんな人と、どんな風に過ごしたのだろうか――そんな疑問と不安ばかりが胸の中に渦巻いていた。

 思春期真っ只中の女子中学生である美琴も例に漏れず、クリスマスは好きな人と過ごしたい、出来るならばその人と恋人という関係にありたいという想いを抱いていた。
 ましてやここは学生が人口の8割を占める学園都市。
 親の目も無いため恋愛にのめり込む者も多い。
 クリスマスは最早家族など関係ない、恋愛の只中にいる者達のためのバレンタインに並ぶ一大イベントとして認められている。
 だからこそ美琴も、想い人である上条と何とかしてクリスマスを共に過ごせないかと、12月に入る前から悶々と頭を悩ませていた。
 自分の恋心をはっきりと自覚した今では、彼のことが好きであると素直に認められるまでに成長した。
 夏休みのときに比べれば格段の進歩である。
 しかし初心な年頃であるため、それを表に出して肯定することなどとてもではないが出来ない。
 ましてやその相手である彼に、その想いの一端でも示すことなど不可能と言ってもよい。
 そのため彼からクリスマスの予定を「さり気なく」聞きだすことにさえ、およそ一ヶ月掛かってしまった。
 自分にとって最悪の答えが返ってくるのではないかという不安を紛らわすために没頭して作っていた、彼へ贈るための手編みのマフラーと手袋が、先に出来上がってしまったほどである。
 作り終えたときには、達成感や彼がどんな反応をしてくれるかという期待ではなく、もし渡す機会が得られなかったらどんなに惨めなことだろうという思いが先に来てしまった。
 そしてようやく聞き出した答えは、「んっふっふ、御坂さんはこの上条さんが予定が無いと見越してからかうつもりだったのでしょうが、そうはいきません。24日も25日も、たくさんの女の子と一緒に過ごすのですよ。しかもイギリスからわざわざ会いに来てくれるんだから、クラスの野郎どもなんて目じゃない!」とガッツポーズをしながら本当に嬉しそうに放たれたものだった。
 その瞬間美琴の頭は真っ白となったが、「ど、どうせ海外からってことはあの銀髪シスターに会いにきてるだけで、あんたなんてそのおまけでしょ」と何とか言葉を搾り出していた。
 これは事前に散々シュミレーションを繰り返したおかげだったが、このときはそんなことを意識している余裕などなかった。
 その後もただただ言葉を条件反射で返すだけで、その日は別れた。

 それから数日はあっという間に過ぎた。
 丸一日落ち込んでいたり、あるいはイブの日に黒子や初春、佐天へのクリスマスプレゼントを大急ぎで買いに行き、その勢いのままに3人と思いっきりはしゃいだりと大忙しだった。
 それでもクリスマスプレゼントを買いに出たときに、彼がどこかにいないかと無意識に周りを見回していたり、3人といるときに不意に黙り込んでしまったりした。
 そんなとき必ず佐天はこちらがびっくりするぐらいのハイテンションで騒ぎ、初春もそれに続いた。
 心ここにあらずといった状態で、その上後輩に気遣われていたことを、ずっと申し訳なく思っていた。
 そうやってクリスマスも過ぎ、26日になると、美琴は朝から街に飛び出した。
 まだこんな時間に彼が外出しているわけがないと頭ではわかっていても、黒子が風紀委員の仕事に出るよりも早くに。
 居ても立ってもいられなかったのだ。
 大人数で過ごすのに何もあるはずがないと思いつつも、彼がどんな風にクリスマスを過ごしたのか、不安で仕方なく、想像すらしたくないと同時に、一刻も早く答えを聞きだしたくもあった。

 探し回ること数日、もしかしたらもう帰省して学園都市にいないのかもしれないと思い始めた日の夕方、たどり着いたのは壊れかけの自販機のあるいつもの公園だった。
(もうメールで聞いたほうがいいかしら)
 でもどんな風に聞き出せば自然な流れに持っていけるだろうかと考えながら自販機の前に立ったその時――
「いい加減自販機に蹴り入れるのやめたらどうだ、ビリビリ」
「にゃっ!?」
 突然捜し求めていた人物の声が聞こえたことに心臓が跳ね上がった。
 そして急いで振り返り、
「ビリビリ言うな! 私には御坂美琴って名前があんのよ! いい加減覚えろ!」
 怒るつもりなのについつい頬を緩んでしまう。
 でも仕方ないじゃない、と思う。
 冬休みにもかかわらず、いつもの場所で、いつもの時間に、そして何よりいつもと違い向こうから気付き声を掛けてくれたのだ。
 嬉しくないはずがない。
「蹴るつもりだったのは否定しないのかよ」
「アンタも私を名前で呼ぶつもりがないのかしらね」
 こらえようがない頬の緩みを、挑発するような笑みを無理矢理浮かべて誤魔化す。
 ついでにバチバチッと青白い電流を全身に纏わせた。
「待てっ! ビリビリ! 早まるな! 謝るから! この通り!」
 上条は腰を引きながら頭を下げるが、焦りのあまり思いつくままに言葉を並べたのだろう。
 それが仇となった。
「だからビリビリって言うなっつってんでしょうがああああああああ!!」
 今までの不安や鬱憤も乗せて電撃の槍を放つ。
 しかしやはりいつも通り右手であっさりとかき消されてしまった。

「ったく、いつもいつも。謝るぐらいだったらたまには当たって誠意を見せてみなさいよ」
「当たったら上条さん死んじゃいますよ!?」
「死ねばその馬鹿な頭も直るかもよ? どうせまた補習だったんでしょ? 新年から「生まれ変わって」やり直してみる価値あるんじゃない?」
「うっ、たしかに冬休みも補習でみっちりだけど、上条さんだってやれば出来る子なんですよ!?」
「どうだか~。そもそも夏休みには中学生の私に宿題を教わってたのに――」
 そう言って美琴はようやく上条を落ち着いて見やったところで、美琴は言葉に詰まった。
「ってちょっとアンタ! どうしたのよその傷! また何か事件でもあったの!?」
 彼の顔や手の所々に、擦り傷や切り傷があることに思わず取り乱してしまった。また彼が無茶をしたんじゃないかとたまらなく心配になる。
「おお落ち着け御坂! 別にどれも大した傷じゃない。それにもう治りかけてるし」
「――そうみたいね。でも、一体何があったのよ」
「あ~、それはだな…………」
「なによ、そんなに話しにくいことなの?」
 美琴が真剣な目つきで問い詰めると、上条は「うっ」と呻きながら一歩後じさった後、観念したようにまぁいいかと前置きして答えた。
「26日の昼頃、白井と偶然出くわしてな。そしたら急にテレポートでドロップキック食らわせてきて、それから日が暮れるまで追っかけまわされてたんだよ」
「あの子ったら…………」
「もうそのときの形相といったらいつにも増して凄まじくてな。何言ってるかもよく聞き取れなかったし」
 アイツを怒らせるようなことをした覚えはないんだがな~と上条はぼやいていた。
(あの子は風紀委員の仕事放っぽって何やってんのよ。そもそもコイツが原因じゃなかったら単なるとばっちりになってたっていうのに)
 しかし、佐天や初春と同様心配してくれたからだと思うと怒るに怒れない。
「…………ごめん」
「え?」
「だから、ごめん。きっとそれ、私のせいだから」
 俯きながら小声で謝る。それはさながら、親に叱られた子供のようだった。
「あ~、何で謝ってんのかよくわかんねえけど、お前のせいなんかじゃねえよ。白井の奴もまったく俺に原因がないのに襲ってくるほど見境いがないわけじゃないだろう」
 そういってうな垂れた美琴の頭をポンポンと撫でる。
(――コイツは~~~!)
 顔が真っ赤になるのを自覚する。
 嬉しい反面、無自覚に他の女の子にもやっているのかと思うと無性に腹が立ってくる。
(もし私だけにしてくれたら――)
 そう思った瞬間、さらに頬が朱に染まっていく。
 とてもでないが今は顔を上げられない。
 何より心地良いために、やめたくともやめられない。
 おかげでまだ上条は美琴の頭を撫で続けている。
 美琴の珍しい態度を面白がっているだけかもしれず、今にも「よしよし」という声が聞こえてきそうだ。
「ええい! いつまで子ども扱いしてんのよ!」
(ああ、終わっちゃった)
 意を決して腕を振り払い、頭を上げて上条を睨み付ける。
 言葉とは裏腹に、内心は名残惜しさでいっぱいだった。
 未だ耳まで熱いが、きっと上条はいつも通りの鈍感さで子ども扱いされた怒りのためと見当違いな推測をしているだろう。
 ……あまり嬉しくもないが。
「いや~、紳士な上条さんとしては泣いてる子供を放っておくことは出来ないわけでして」
「泣いてなんかないわよ!」
「はいはいそうですね」
 わかってますよとばかりに上条は何度も頷く。本当に子ども扱いされている。
「ところでアンタ、蕎麦なんか買って、もしかして今年はこっちで年越しを迎えるの?」
 先ほど俯いていたときに見えた買い物袋の中から覗いていたものを思い出し、強引に話を切り替えた。
「ああ、本当は帰省するつもりだったんだけど、学園都市から外出許可が出なくてな~。
 しかも何故か親達の学園都市の入場許可証すら下りなかったから、今年はひとり正月なのですよ」
「ひとりって――あのシスターと過ごしたりはしないの?」
 胸が締め付けられる思いを隠し、平静を装って尋ねる。
「『お節が食べたいんだよ!』って言って、俺の担任の先生達と一緒に外へ、大晦日から3泊4日のツアー旅行に出かけるんだよ。地方のお節料理を巡るらしい」
「……あんたはついて行かないの?」
「その話が決まったときに、ちょうど外出許可が出なかったから両親がこっちに来るって話に落ち着いたばかりだったんだよ。
 そして両親の学園都市への入場が不許可と伝えられたのがツアーの締め切りが過ぎてからでな」
 不幸だ、と上条は漏らす。
 いつもは突っかかってばかりの美琴も、このときばかりは同情するしかなかった。
「それなら、さ」
「ん?」
「私が、一緒に過ごしてあげよっか?」
「…………え?」
「わ、私もほら、アンタと同じで、外出許可が出なかったから母がこっちに来る予定なのよ! でもウチの母も大学で忙しいから来れるのは元旦の昼からって言ってたし! だからそれまで時間が空いちゃったから、年越しは誰か寮に残ってる人と遊ぼうかなあって思ってたところだし! その、それなら別にアンタでもいいかなって思っただけで!」
「ホントか御坂!?」
「うう嘘なんか言ってどうすんのよ! 私はただアンタがかわいそうというか、ちょうどいい暇つぶしになるからというか――」
「どんな理由であれ誰かと正月を迎えられるのならこれ以上嬉しいことはない! いやあ、もう今から正月が楽しみだ!」
 欧米でのクリスマスのように、日本では正月は家族や親族が集まって過ごすものである。
 記憶がなくともそういった知識は持ち合わせている上条としては、「初めて」の正月をひとりで過ごすのは、クリスマス以上にむなしい、実感のない形だけの正月になるのだろうと落ち込んでいたのである。
 そんなところに舞い込んできた美琴の提案に、上条はいちもにもなく飛びついた。
(まさかこんなに喜んでもらえるなんて)
 上条の思わぬ反応に、美琴は内心小躍りしたくなるほどに舞い上がっていた。
「そ、それじゃあ大晦日はアンタん家に行くから! 私はちょっと用事があるからもう行くわね! 詳しいことは後でメールするから! 当日は首を洗って待ってなさいよ!」
 最早言っていることが支離滅裂だが、それにも気づかぬままに美琴は駆け出していた。
「あ、ちょっと待――」
 そもそも上条宅を知らないのにうちに来るってどうすんだとか、寮の門限はとか気になることが多々あったが、上条がそれを言う前に美琴は走り去ってしまっていた。

(言っちゃった言っちゃった言っちゃった!)
 美琴は興奮のあまり歩いてなどいられず、全力で駆けていた。
 もうこれ以上ないというほどに顔を真っ赤にして。
 やがて息が切れるのと共に、少しだけ興奮が醒めていった。
 本当に、ほんの少しだけ。
(どうしよう――)
 ただ上条からクリスマスをどんな風に過ごしたのか聞きだすつもりが、思わぬ展開になってしまった。
 しかも、咄嗟のこととはいえ嘘までついて約束をしてしまったのである。
 彼と同様、外出許可が下りなかったのは本当である。
 やはり、先日の第三次世界大戦の件が大きく効いているのだろう。
 二人は共にその真っ只中に飛び込んだのである。
 そのような人物に対して、未だ大戦の影響冷めやらぬ現在、外出許可が下りなくても不思議はない。
 特に上条はその中心人物のひとりである。
 両親がこちらに来れないというのも、無用の混乱を避けるためなのではないかと推測する。
 学園都市としても、幻想殺しが親に引き取られ学園都市から出て行くという自体はなんとしても避けたいはずだ。
 むしろ自分の母の入場が認められただけでも幸運である。
 そしてその母である美鈴がこの学園都市を訪れるのは、大晦日の昼の予定。
 自分で引き起こしたこととはいえ、どうしようかと頭を悩ませる。
 しかし興奮しっぱなしの頭でいい考えなど浮かばない。
 とりあえずはこの興奮が抜けるのを待とうと考えた。

 夕食後、美琴は美鈴に電話を掛けていた。
 未だこれは夢ではないかという思いがあったが、冷静に話せる程度には心臓の鼓動も収まっていた。
「あらー。美琴ちゃーん、急にどーしたのー? やっぱり気になるあの男の子と急接近のチャンスが巡ってきたからその相談?」
「いきなり何言ってんのよアンタは! そんな訳ないじゃない! だいたい「やっぱり」って何!?」
 美鈴のたった一言で美琴の心臓はまたも跳ね上がった。
 なまじ的外れとも言い難いから尚更である。
「美琴ちゃんに色仕掛けはまだ早いから、私としては直接想いを伝えるのが一番だと思うんだけど」
「だから違うっつってんでしょ!?」
「ああいう男の子はきっと相手の好意に鈍感だから、回りくどい手は駄目だからね。もう直球ど真ん中で何度も体当たりするぐらいでないと」
「話を聞けーーーーー!!!」
「ちなみに当麻君が鈍感っていうのは彼のお母様の詩菜さんのお墨付きよ? しかもお父様の刀夜さんも若い頃はそうだったって聞いてるし」
「ちょっと待って何その話!? 詳しく聞かせなさい! そしてもしかして知り合い!?」
「あれ~~? さっきはあれだけ否定してたのに、わざわざ今話すほどのことなのかしら~?
 常盤台の寮監さんてすごく厳しい方なんでしょ? あんまり夜遅くまで話してるとまずいんじゃない?」
「ぐっ!」
 ここでこちらが折れれば嬉々として話してくれるのだろうが、美鈴がニヤニヤと笑みを浮かべているのを思い浮かんできて、それを妨げる。
 何よりあの母に対して素直に認めてしまっては、しばらくそのネタでからかわれ続けること請け合いである。

「まっ、その話はお正月にたっぷりしてあげるから楽しみにしててね。
 でもとりあえずは、彼に対してはストレートに行かなきゃ駄目だっていうのは頭に入れておいてね。
 それで、美琴ちゃんの用件はな~に?」
「…………そのお正月のことなんだけど」
 今すぐにでも聞き出したいの衝動を必死にこらえ、話を続ける。
 「ストレートに行く」ということはしっかりと頭に刻みつつ。
「じ、実は、この前母さんの学園都市への入場は認められたけど、私の方が、大晦日の日の寮の外泊許可が下りなくて」
 元々美鈴とは大晦日から2泊3日で学園都市内のホテルで過ごす予定だったのであり、本当はその許可も既に取ってある。
「学生のほとんどが帰省するとは言っても残ってる人もそれなりにいるし、年明けの瞬間は外に人がごった返すから、深夜にそういうところに行くのは風紀の乱れの元だって言って。ほら、母さんも言ってたようにうちの寮監は規律にすごく厳しい人だし」
「そっか~。じゃあ私は元旦に朝イチに出て、昼頃着くようにしなきゃならないのか。美琴ちゃんと一日しか過ごせないなんて残念ね」
 本当に、心底残念そうな美鈴の声に美琴の心が痛む。
 嘘をついてまで押し通すべきなのかと再び葛藤が生まれる。
 しかし、母とはまた会う機会があるが、上条とのチャンスはもうこれしかないかもしれないのだ。
 そして美琴の中での上条への想いは、既に家族に対する愛情にも劣らないほどに大きく育っている。
 美琴は覚悟を決めた。
「うん、ごめんね」
「美琴ちゃんが謝ることじゃないでしょ。規則なら仕方ないもの」

「それでね、あの、振袖のことなんだけど……」
 美鈴への日程の変更とは他に、別の重要な話を切り出した。
「こっちに来るとき、振袖を持ってきてくれるって話だったけど、その、大晦日に到着するように先に送ってくれないかな?
 予定が変わって時間が余ったから、どうせなら着付けの練習をしてみたいな~なんて思って……」
 その瞬間、電話越しに何も聞こえなくとも、美鈴の雰囲気が明らかに変わったことを美琴は確信した。
 まるで鼠を見つけた猫のように。
 しかし意外なことに、美鈴はからかうでもなく普通に応えてきた。
「わかったわ。明日の朝、速達で送れば間に合うでしょ」
「うん、ありがとう。それとね、お節を作って持ってきてくれるって言ってたけど、それ、できるだけたくさん作ってきてくれないかな?
 あの、寮に残ってる子達でさ、折角だからお節を作ってみようって話になって、それなら参考になる実物があったほうがいいと思うから、大変かもしれないけど、できるだけたくさん」
 これも、嘘である。
 美鈴には言えない、けれど本当に家族のための、嘘である。
 罪悪感はあるものの、そこに躊躇いはなかった。
「わ~かったわ。それじゃあ常盤台のお嬢様をあっと言わせるよう、久しぶりに腕によりを掛けてがんばっちゃうから、楽しみにしててね」
「うん、本当に、ありがとうね」

新たな年の幕開けは 2



 そして大晦日当日。
(いよいよ決戦の時ね)
 覚悟も決めた。
 腹も括った。
 「ストレートに行け」というアドバイスも頭に刻み込んだ。
 何より、美鈴への嘘の負い目からも、もう迷わないと決めたのだ。
「よしっ!」
 事前に聞いておいた上条宅の住所に向けて、たくさんの食材を詰め込んだ袋を両手に抱え、美琴はどしどしと歩を進めた。

 いつの間にか美琴は上条宅の扉の前に着いていた。
 覚悟はしても、やはり緊張しているのだろう。
 ここまでの道のりはほとんど覚えていなかった。
 その勢いのままに呼び鈴を鳴らす。
 その音に合わせ、美琴の心臓も一際大きな音を立てた。
 もう後戻りはできない。そう思うと不安がもたげてくるが、心の中でそれを握りつぶした。
「おーっす御坂――って何だその大荷物」
「おっす。とりあえずこれ下ろさせて」
 驚く上条を押しのけて我が物顔で上条の部屋へと入る。
 そうでもしなければきっと玄関先で立ち往生したままであっただろう。
「何だこれ、全部食材? 年越し蕎麦ってこんなに手の掛かるもんなのか?」
「そんな訳ないでしょバカ。これはお節とお雑煮の材料よ」
「何!? まさか御坂が作ってくれるって言うのか!? うちで!?」
「他にこれをどうするってのよ」
 何を当たり前のことを、とでも言うように美琴は呆れ顔を作った。
「ああ、クリスマスに続いてなんて幸運なんだろう。もう上条さんは一生分の運を使い果たしてしまったようで怖いぐらいですよ」
 なら私が一生アンタに運を与え続けてあげるわよ、なんてセリフが思い浮かんだが、口に出せるわけがなかった。
 代わりにしめたとばかりに、かねてから聞きたかったことを口にした。
「それで、アンタはそのクリスマスにかわいい女の子達に囲まれて、どんなラッキースケベを連発してたのかしら~?」
「い、いやいやいや、紳士上条さんはそんなラッキースケベなんてこれっぽっちも経験してませんよ!?
 むしろあれは全部事故でそれよりも殴られたり蹴られたり投げられたり斬られたりかじられたり投げられたり燃やされたり――」
「…………もういい、だいたいわかったから」
 顔を引きつらせながら言い訳だかなんだかを繰り返す上条に、やっぱりこいつはいつも通りかと、美琴はただただため息しか出なかった。
 でもこれなら、恋人が出来たり、特定の誰かと仲が進展したということもないだろう。
 それにもし、そうであったとしても、もう突き進むしかないのだ。
 過去のことなんて関係ない。
 つい数日前の悩みが馬鹿馬鹿しく思えるくらいに、今の美琴は芯が固まっていた。
「さて、じゃあ早速お節作り始めるから、どいたどいた」
 邪魔者を追い払うようにしっしっと手を振りながら、美琴は荷物の中からエプロンなどを取り出しはじめた。
「う~ん、我が家で女の子がエプロンを着けて料理をする光景をまた見られるなんて、上条さんは感動で涙が出そうですよ」
(「また」って何、「また」って!)
 これだからこいつは、とこめかみに青筋が立つが、気にしないと決めたからにはそれを曲げるつもりはない。
 次に口に出すときは、恋人の座を勝ち取ってからだと、美琴は心の中で新たに誓いを立てた。
 そしてそのときになったら、首根っこを掴まえて必ず吐かせてやることも忘れずに。
 美琴が顔を上げるとそこには、頻りに頷きながらなにやら噛み締めている上条の姿があった。
 その手はまな板に掛かっている。
「で、アンタはなにやってんのよ。邪魔だからどいてなさいって言ったでしょ」
「いえいえ、まさか上条さんとしては御坂さんにすべて任せてただ待っていることなんてできませんよ」
 つまり、手伝うということであろうか。
(――ってことは、こいつと二人で料理!?)
 この時に備え幾つものパターンをシミュレーション(妄想)してきたが、さすがにこれは想定外であった。
 そもそも前提からして違ったのである。パニックに陥りそうになる思考を何とか抑え、言葉を搾り出す。
「それなら、とりあえず手を洗いなさい。まずはそれから」
 おう、と小気味良い返事。
 ただそれだけでも、美琴の心は弾んだ。
 しかし、どうしようかとも思う。
 美琴は、お節の作り方を人に教えられるほど慣れていない。
 というよりも、数日前からインターネットや本から知識を集め、寮で何度か練習しただけなのだ。
 食べ物を粗末にしてはいけないという思いから、その数とて限られている。
 女の子なのだから本当は母親から直に教わってみたかった。
 せめて、電話でアドバイスだけでも求めたいという思いはあった。
 けれども、こと今回に関しては、美鈴に聞くのはルール違反だろうと思ったのだ。
 自分で決め、美鈴に嘘をついてまで押し通したことなのだから、最後まで自分でやり遂げなければならない。
 その思いこそが今の美琴の行動を支えているのである。
 まさか上条が作り方を知っているとも思えない。
 なら自分が何とかするしかないのだ。
 それに、二人で試行錯誤するということに、甘い響きがあるとも思った。



 結局のところ、お節と雑煮を2人で作り終えたころには23時を回っていた。
 美琴が当初思い描いた甘い幻想とは裏腹に、実際にはテンパりながら、時に罵声を飛ばしながらの疲れるものであった。
 けれども、満たされるものがあったことも否定できない。
 今はようやく落ち着き、美琴は蕎麦を茹でていた。
 これはひとりで十分ということで、上条は台所を離れテーブルに突っ伏している。
 精も根も尽き果てたといった体である。
 出来上がって美琴が振り返ったときには、上条は犬のように一心にこちらを見つめていた。
(色気よりも食い気か、アンタは)
 それでもそんなことには落胆しないほどに、美琴の心は満たされていた。
 それはもう、蕎麦などいらないぐらいに。
「お待たせ」
「待ってました。もう少しで空腹で死んでしまうところでしたよ」
「くすっ。大袈裟ね」
「いやいや、食べ盛りの男子学生があれだけ働けば当然だって」
「アンタは洗うか切るかだけだったじゃない」
「それを御坂のペースに合わせてやるのがどれだけ大変だと思っているんだ――っても、本人にはわからないだろうが。
 でもあれだな、俺も料理経験の時間は負けちゃいないと思うが、こうまで手際に差が現れるとお前が女の子なんだなとしみじみと感じるよ」
「それ、全然褒めてないわよね?」
 私に対する普段のコイツの扱いからすれば、コイツの口から「女の子」という評価が出たことは記念すべきことだが、素直には喜べない。
「十分すごいと思ってるよ。こんだけ料理が上手いってだけでも、将来いいお嫁さんになれるさ。旦那は絶対に尻に敷かれるだろうが」
「だからアンタは一言多いのよ!」
 その後も他愛もない会話が続いた。
 美琴は蕎麦を味わう余裕がなかったが、食事はこれまでにないほど楽しいものだった。
「いや~、美味かった。ご馳走様。これまで食べた中でも間違いなく一番美味い蕎麦だったよ」
「お粗末様。でもアンタの買ったこの蕎麦、アンタのことだから安物でしょ?
 大体手打ち蕎麦でもないのに、さっきから言うことがいちいち大袈裟なのよ」
「どんなに安物でも、女の子の手作りってだけで特別な価値があるのですよ」
(~~~~~!)
 コイツは自分で言っていることの中身を自分で理解しているのだろうか、と美琴は血の上った頭で考える。
 少なくとも、昨日までのコイツだったら私に対してこんな言葉を掛けることはなかっただろう。
 たとえ無意識であっても、コイツの認識を変えられたのなら、大きな成果である。
「ありがとな、御坂」
「な、何よ急に気持ち悪い!」
 動揺の余り、つい元の憎まれ口を叩いてしまう。
 そのことに美琴はしまったと思ったが、上条は気にすることなく続けた。
「だってよ、初めての年末年始を独りぼっちで過ごさなきゃならないと思って落胆していたところを、お前に救ってもらったんだ。
 それも、もうこれ以上の正月は迎えられないんじゃないかと心配してぐらい、こんなに充実した形でさ。
 お前には幾ら感謝してもし足りないぐらいだよ」
 その言葉に、美琴は思わず涙ぐんでしまった。
 それを隠すために、美琴はテーブルに顎を乗せて上目遣いで上条を見つめた。
 不安の中で努力してきたこと、その時間は短いけれど、その結果としては、望むべくもないものであった。
 それは、レベル5になったときの喜びとは全く違う、とても温かなものだった。
 だからこそ、何も気負うことなく、素直に言葉を返せたのだと思う。
「バーカ、アンタは私と、私の9699人もの妹の命を救ってんのよ。そんな人間が何言ってんのよ。感謝してもし足りないのは、私の方よ」
「それは――」
「アンタは自分のためにやったって言うのかもしれないけどね、それなら私だって同じよ。
 でもね、受け取る方はまた違う受け取り方をするもんなのよ」
「そういうもんか」
「そういうもんよ」
 どちらともなく笑いが漏れる。
 思えば、こうして彼と笑いあったことは、これが初めてなのではないかと思う。
 今日この日のことを、たとえこの先何があったとしても、忘れることはないだろうと美琴は思った。



 いつの間にか、年が明けていた。
 広い敷地の中で片手で数えるぐらいしか寺社の存在しない学園都市内では、除夜の鐘が聞こえる場所は限られている。
 テレビも点けていない現状では、時計を気にしていない限り年明けの瞬間を知ることは出来なかった。
「明けましておめでとう」
「おめでとうございます」
「気がついてたら年明けを5分過ぎてたってのはなんか抜けてるな」
「ふふっ、そうね。でもまぁそんなことより、早速初詣に行くわよ!」
「おいおいこんな寒いのに今から行くのかよ」
「当ったり前じゃない。私は明日から母が来るから、アンタと違って忙しいのよ。だから今から行くわよ」
「あれ? じゃああのお節とかはどうすんだ?」
「あれはアンタの分よ。私は母が作って持ってきてくれるもの。
 ああ、お餅も買っといてあるから安心してね。
 それとも何、私と一緒に食べたかった~?」
「その方が嬉しいが、美鈴さんが来るんならそんなこと言えねえだろ。本当に、何から何まですまないな」
 母が聞いたら喜んで正月をここで過ごと言うだろう。
 絶対に伝えないが。
「だ~から気にしない。じゃ、1時間ぐらいしたら携帯に連絡するから、それまで待っててね」
「ちょっと待て! 1時間って何だ! 今から直接行くんじゃないのかよ!」
「女の子にはいろいろあんのよ。じゃあ私はちょっとホテルで着替えてくるから」
 了解、とげんなりとした表情で上条は返事をしてきた。
 ならばそのその時間がどれほどの意味を持つのか、たっぷりと教えてやろうじゃないかと美琴は意気込み、上条の部屋を離れた。

 明日美鈴と共に泊まるために今日から借りているホテルの部屋には、既に振袖など必要なものは運び込んであった。
 シャワーを浴び、振袖の着付けを終え、頃合を見て上条に連絡を入れたのだが、化粧を施している間にロビーに到着したという連絡が入り、それから既に十五分は経過している。
 姿見で全身を隈なくチェックしてみるが、一向に緊張と不安が消えてくれない。
 これは上条の部屋を訪れたときとはまた別種のものであるが、それがわかったからといってどうしようもない。
 これ以上彼を待たせるわけにも行かないだろう。気合を入れて部屋を出た。

 エレベーターで一階に着くと、上条は窓の外に視線を向けていた。
 その眼には退屈の二文字しか映っていないことは、後姿からでもありありと窺える。
 声を掛ける勇気もなく、静々と彼の傍まで近づくと、服の裾をくいくいと引っ張った。
「お前なあ、いくらなんでも人を待たせすぎじゃ――」
 ようやくといった感じで振り返った上条は、文句のひとつも言いたかったのだろうが、美琴と目が合うとその言葉を止めてしまった。
「……何よ、文句あんの?」
「――馬子にも衣装ってのは、こういうのを言うんだな」
「ア、ン、タ、はあぁーーー!!!」
 上条のことだから褒め言葉と思って言ったのかもしれないが、最早確かめる気にもなれなかった。
 怒りのためか、羞恥のためか、美琴の前髪から青白い電流がバチバチと弾けた。
「わーー! ちょっと待て落ち着け! 折角綺麗なカッコしてんだから今だけはやめとけ」
「うーー……」
 顔を赤くし上目遣いで上条を睨みつけながら、頭に彼の右手を乗せられているこの状態では、この前の子ども扱いとまるで変わらない。
 ここまでやってもこいつの対応は変わらないのかと、目にうっすらと涙すら溜まってきた。
 だから、彼の頬がほんのり赤くなっていることには気付けなかった。
「よくわからんがすまん。俺が悪かった。だからとりあえず落ち着いてくれ」
 そういって上条が美琴の頭から右手を離した途端、再び彼女の頭から青白い光が放たれた。
「御坂さんすみませんこの通り謝るから機嫌を直してください」
「そ、そう言われても、自然と出てきちゃって……」
 レベル5たる美琴にとってこの程度の電流は出すことは、大した労力も掛からずに出来てしまうため、無意識で流れてしまうことが多い。
 そしてそれが、最近多発するようになってしまったのだ。
 それも上条が関わるときばかり。
「でも、こうすれば問題ないでしょ!」
 そう言ってヤケになって美琴は左手で上条の右手を取った。
 彼を睨みつけていたのが一転、恥ずかしさの余りそっぽを向いてしまった。
 先ほどまで彼の部屋で和やかに過ごせていたのが嘘のように、どこか気まずい雰囲気に変わる。
「こ、こうすればいいって……」
「何よ、何か文句あんの!?」
「イイエ、アリマセン」
「ならさっさと行くわよ!」
 そういって彼の顔も見ずに、上条の右手を引っ張って美琴は先導した。
「――って、やっぱりこのまま行くのかよ!?」
 今度はきっぱりと無視して、ずかずかと先を進んでいく。
 不幸だなどと呟いたら即座に超電磁砲を叩き込んでやると考えながら。
 このとき傍からは、振袖を着込んだ中学生の女の子が男子高校生を勢い良く引っ張っていくという奇妙な光景が見られたことだろう。
 そのまま美琴は上条を引っ張り続けた。
 ホテルから目的の神社まで十分とかからなかったが、その間二人はずっと無言であった。
 その理由はひとつではないのだろうが、話し出すきっかけを見出せずそのまま時が過ぎていったのである。
 沈黙を破ったのは美琴だった。
「さあ、着いたわよ!」
 目の前の階段と、その先にそびえる鳥居を美琴は親の敵の如く睨みつけていた。
 この頃には上条にも、忙しい奴だなぁなどと思うほどには心に余裕が出来ていた。
「あの~御坂さん? やっぱりこのまま入るのでしょうか?」
「文句ある?」
「いいえありません」
 先程と同じ問答を繰り返したことで上条は諦めた。
「学生なんてほとんど残ってないんだから、知り合いに会うこともないでしょうし大丈夫よ」
(見知らぬ独り身の男子学生に睨まれること確実だよな)
 それ以前に理性が崩れそうで怖いのだが、気恥ずかしくて口には出せなかった。
 美琴に連れられて階段を上りきり、鳥居の前に立った際に目に飛び込んできた光景は、およそ上条の想像からかけ離れたものだった。
「……なんていうか、思ったよりも寂しいな」
「アンタは学園都市の神社に一体何を期待してたのよ」
「具体例があるわけじゃないけど、もっとこう、華やかだったり、賑やかなものを想像してたんだが。だって新年だぜ?」
「外のおっきな神社なら屋台があったり人でごった返してたりするんだろうけど、ここじゃこんなもんよ。
 だいたいこういうのは気分の問題よ」
(気分……か)
 そう心の中で呟きながら、繋がれた手を見る。
「よおし、なら張り切っていくぞ! 美琴!」
「ちょっ! アンタ! いきなり!」
 声を張り上げて、今度は上条が美琴を引っ張って歩き出した。なにやら後ろから美琴の焦った様な声が聞こえる。
「気分だ気分!」



(何で、コイツはいつもいつも……)
 上条は自分を評して「将来旦那を尻に敷く」と言っていたが、それは絶対に間違いだろう。
 何せ今日一日、自分は上条に振り回されてばかりなのだから。
 それでも、悪い気はしないのだからどうしようもない。
 そしてこのまま、この繋がれた手のように、彼が自分を引っ張り続けてくれたらどんなに幸せだろうと思う。
 彼にとっては不幸をもたらす右手なのだろうが、自分にとっては間違いなく幸せをもたらしてくれる右手なのだから。
「さて、賽銭箱の前に着いたけど、こういうときの作法ってどうすりゃいいんだ」
「賽銭箱の前って……他に言い方もあるでしょうに。まあ、二拝二拍手一拝って言われてるけど、神様を敬う気持ちがあればあんまりこだわらなくていいんじゃない?」
「んな適当な」
「鳥居をくぐるとき礼もせず、お手水で体も清めずに突っ切り、道の真ん中を堂々と進んできた奴が今更何言ってんのよ」
「…………そうか、毒を食らわば皿までと言うしな」
「アンタはとりあえず、日本語が上達するように願っときなさい」
 いよいよ参拝という段階になって、美琴は渋々上条の手を離した。
 そのとき上条がどこか安堵するような表情を浮かべたことに、不機嫌が抑えられない。
 鳥居をくぐる頃には能力が暴走することもないだろうとは自分でわかっていたが、上条の安堵はそのためだけではないことが窺えるためだ。
 それでも神前だからと粛々とした態度で賽銭を入れ、鐘を鳴らした。
 神様への願い事は今更言葉にする必要などなかった。
 今、二人でこの場所に立っている。
 そして今抱えているこの想いをもう一度確認する。
 それだけで十分だと思えた。
「なあ御坂」
「……文句ある?」
 社の階段から降りてすぐに、手を繋ぎなおしたら、またこれである。
 三度繰り返された問答に、上条はただ首を振るだけで答えた。
 そして美琴は、上条が呼び名を「御坂」と戻していることに、一層不機嫌になった。
(幻想殺しの右手で神前に立つってのは罰当たりだったのかもね)
 今更そんなことを思ってもどうしようもないが、まあいいかと割り切る。
 元々他力本願は性分ではないのだ。誓いさえ聞き届けてさえもらえればそれで構わないのだ。

「さて、じゃあ後はおみくじかしらね」
「上条さんは遠慮させてもらいますのことよ」
「私がアンタの右手を握って、アンタが左手でくじを引けば、少しは良くなるんじゃない?」
「なら御坂さんが幸運の女神であることを期待して引いてみますかね」
 人の気分を上げたり下げたり、こいつは人をおちょっくっているのではないかと勘繰ってしまう。
「じゃあ俺から引かせてもらうぞ」
「結果はまだ見ないでね。私が引いてから」
 そして美琴も引き終えると、畳まれた紙を二人同時に開いた。
「……凶か」
「私は吉ね」
(二人合わせてプラマイゼロ――)
 そんな埒もないことを夢想する。
「いつもだったら大凶だっただろうから、これはきっと御坂のお陰だろうな」
 大凶のないおみくじもあるわよね、なんてことも思うがそれはおくびにも出さない。
「そうよ、美琴サマに感謝なさい」
「だな。本当に、今日一日御坂には感謝しっぱなしだよ。これなら神頼みよりも、毎日御坂を拝んでいたほうがご利益があるかもな」
「何馬鹿なこと――」
 言いかけて、美琴は突如上条の右手を離し、彼に抱きついてその頭を彼の胸に埋めた。
「み、御坂!?」
「黙って抱きしめなさい! 特に頭!」
 いきなりのことに上条の狼狽した声が聞こえるが、それに構まず彼に小声で指示を飛ばす。頭に彼の右手が、背中に左手が恐る恐るといった感じで回されるが、今はその感触を堪能している暇はなかった。
 間髪入れず、今度は別のところから声が飛んできたのである。
「カ、カミやん!? その女の子は誰ぜよ!?」
「おー、上条当麻ー。明けましておめでとー。そっちは新年早々ラブラブだなー」
 その声に、上条がビクリと震えるのが直に伝わってきた。
 心音の変化すら聞き取れる状態なのだから、それはもう、美琴の全身を揺らすぐらいに。
「カミやん、ついにフラグを回収したのかにゃー。これは年明けから血の雨が降るぜよ」
 奇怪な猫ボイスと裏腹に、その口調は剣呑な色を帯びていた。
「これは休み明けのクラスでの裁判が楽しみぜよ。それまでせいぜい生き延びてることだにゃー」
「待て土御門! 誤解だ!」
「この期に及んでも彼女を抱きしめたままなのに、誤解も何もないにゃー。
 安心しろカミやん。こんなに喜ばしいことはすぐに年賀メールとして知り合い全員に報告してあげるぜよ。
 出来ることなら写真付きといきたいところだが、そこは彼女さんに遠慮してとどめておくから、感謝するにゃー」
「その方がいいぞ兄貴ー。学園都市には写真の取り扱いに気をつけなければならない人間が何人かいるから、その方が懸命だぞー」
 それを聞いて、今度は美琴の体が震えた。
 咄嗟に顔を隠したのに意味はなく、むしろ現状を悪化させただけだったのだ。
 けれども、今更顔を上げることなどできなかった。
「じゃあなカミやん。最後にせいぜい彼女特製のお節と雑煮を堪能しておくことだにゃー」
 土御門兄妹の遠ざかっていく足音が聞こえ始めると同時に、上条は「不幸だ」とポツリと呟いたが、その後も二人は抱き合ったままであることも気にすることなく、茫然自失としていた。

 どれだけ時間が経ったのか、口火を切ったのは上条の方だった。
「お前、人を盾に自分だけ隠れるなんて、ズリィよ」
「……私だって舞夏にしっかりとばれてたわよ。それも全く言い訳できない状況で」
 う~~、と呻きながら、美琴は額を上条の胸に押し付け、視線を下に下げた。
 その体勢のまま、美琴は上条に尋ねた。
「舞夏達とはどういう知り合いなのよ?」
「一緒にいた男の方が土御門舞夏の兄貴で、俺のクラスメイトであり、隣の部屋の住人だ」
 終わった、と美琴は心の中で呟いた。
 ということは二人を通して美琴と上条のことはすべて筒抜けになるということである。
 しかも今日の彼の部屋での出来事も、会話をちゃんと聞かれていなかったとしても、状況は把握されていたに違いない。
 舞夏を通して常盤台全体に、もしかしたらネットにまで飛び火することまで覚悟しなければならないと美琴は思った。
 これでは、今のこの体勢と合わせても、幸か不幸かわからない。
「あー、御坂? そろそろ離れていただけると上条さんはとてもありがたいのですが」
「私が落ち着くまでこうしてなさい。それとも女の子を抱きしめてる状況を不満だと言うの?」
「そんなことは決してありませんが、この状況をまた知り合いにでも見つかったら今度こそ上条さんの命が危ないわけでして」
「アンタなんていっつもこれよりすごいことやってんだから、今更誰に見られたって何も変わらないわよ」
「上条さんはそんな無節操ではありませんのことよ!?」
 上条の言い訳を無視し、美琴は全身の感覚に身を委ねた。本当は隙間のないぐらい上条に強く抱きつきたいところだが、きっかけのない今からそれをすることは出来ない。
 いくら覚悟を決めても、ストレートに気持ちを示すことさえままならないのだから、今のこの状況でもうあっぷあっぷだ。
 それでも、頭や背中に回された腕、そして正面の上条本人から伝わってくる彼の体温は、美琴の体が火照ってくるほどに温かなものだった。

「御坂ー」
「もー少しー」
「周りの視線が非常に痛いのですが」
「男なら我慢なさい」
 上条の温もりについ甘えたくなる。
 一方でこの男は、気まずさしか感じていないのだろうかと思うと、不公平だなと思う。
「御坂さーん」
「――もう、わかったわよ」
 駄々をこねる子供のような上条の口調に、美琴は満足はしていないものの、少しばかり拗ねてみせながら、上条の背に回した手を離した。
「さあ、行くわよ」
 離れる際に、再び上条の右手を取ったが、今度は何も言われなかった。
「送ってくれてありがとね」
 二人は神社を出て、美琴が宿泊予定のホテルのロビーに戻ってきていた。
 道すがら、行きと同様に会話はなかったが、美琴は十分に満足していた。
 神社の近くのホテルをを選んだことを悔やむぐらいに。
「あの、これ」
 そう言って美琴は鞄から紙袋を取り出して上条に差し出した。
 美琴としては可愛らしくラッピングもしたかったが、あれ以来そんな余裕はなかったのだ。
「ホントは、クリスマスに渡すつもりだったけど、機会がなかったし。でも、感謝の気持ちを示すのは、別にいつだっていいと思うから」
「あ、ああ。ありがとう」
 虚を突かれた上条はおずおずと受け取った。
「開けてもいいか?」
「うん」
 そして紙袋から出てきたのは、手編みのマフラーと手袋だった。
「これ、もしかして御坂が編んでくれたのか?」
「もしかしなくてもそうよ」
「その、本当に、ありがとうな。なんか今日は、いろいろともらってばかりで、俺は何も用意してないし、申し訳ないというか」
「いいのよ。これは私がしたいからしているだけ。人の好意は素直に受け取っておきなさい」
「でも――」
「じゃあさ」
 交換条件にするつもりはなく、あくまで「お願い」として上条に頼むつもりだったことを美琴は口にする。
「3日は、アンタ暇?」
「夕方までは予定は入ってないぞ」
「それなら、夕方まで私に時間をくれない?」
 ホテルに戻ってきてからは解いていた手で、上条の服の裾をつかむ。
「妹達と、一緒に、お正月を過ごしてあげたいの」
 お人好しの上条が断るはずがないと信じているが、それでも言葉に言い表せない恐れがある。
 それはもしかしたら、上条に対してでなく、妹達に対する負い目からなのかもしれない。
「あの子達は、そういうのを全く知らずに育ってきてるから。
 大晦日からずっと一緒にいてあげたいとも思ってたけど、2日まで母が来る予定だったし、外泊の許可も2日の夜までだったから、せめて3日だけでもと思って」
 そんな、言い訳みたいな言葉を連ねていると、不意に上条に頭を撫でられた。
「それなら喜んで行くさ。こういうのは人数が多いほうが楽しいし、俺だって一人で過ごすよりよっぽどいい。
 むしろそんなんじゃ全くお返しにならねえよ」
「ううん、お返しとか、そういうんじゃないの」
「そうだな」
 上条の右手で撫でられている頭から、じんわりと彼の熱が体に広がっていき、それと共に体の中に巣食っていた恐れや不安が和らいでいく。
「それなら、うちにあるお節持っていくか」
「それは大丈夫。母に、たくさん作って持ってきて頼んだから。きっと、私が作ったものよりも、その方がいいから」
「そっか」
 彼の右手から伝わる労りが、一層強くなるのを感じた。あるいはそれを、慈しみというのかもしれない。

 ホテルの部屋にひとり戻って、一息ついた。
 高まっていた気分が落ち着き、呼吸と共に精神的な疲れも抜けていくように感じたが、一緒に体にこもった彼の熱も逃げていくようで、もったいないと思った。
 今日は――正確には大晦日から、本当にいろいろあった。
 新年の幕開けとしては、驚くほど波乱に満ちている。
 今年は一体どんな年になるというのだろうか。
 一連の行動は、今までの自分からすれば別人ではないかと思えるほど、理想(自分だけの現実)に近付いたものだった。
 それはきっと、成長の証なのだろうと思う。
 でもそれは、自分ひとりの力では成し得なかったことであることはよくわかっている。
 有形無形の形で、いろんな人に後押しされていた。
 それを今、噛み締めている。
 すぐには無理だろうが、いずれ母や黒子、初春や佐天に、たとえどんな結末を迎えたとしても、しっかりと報告することが出来るだろうと思う。
 でもまずは、昼からは母と、明日は妹達と、精一杯楽しんで過ごそうと思う。
 そしていつか、その横に彼が一緒にいてくれることを美琴は強く願った。


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