記憶と夢の狭間で…
ふと気がつけば、上条当麻は見覚えのある公園に立っていた。
そこでふいに声をかけられた。
「とうま、おなかへったんだよ」
「私だって、アンタの力になれる!」
「カミやん、俺って実は、天邪鬼なんだぜぃ」
「上条当麻、君と日和ってやるつもりはない」
振り返ってみると、大勢の人がいた。
かつて、守るために戦った少女が。
かつて、大切なものを守るために必死になっていた少女が。
かつて、自分を犠牲にするように見せて、ピンピンしていたクラスメイト。
かつて、戦った、そして共に協力した、タバコをふかした神父が。
上条が記憶を失ってから、関わってきた人たちがそこにいた。
学園都市にいるはずのない、外にいるはずの人たちも、そこにいた。
上条は彼らと、なんてことないような会話をしていた。
そこで、異変に気づいた。
視界の片隅で、何かが崩れ始めた。
町並みが。
公園の木々が。
地面が。
そこにいたはずの人たちが。
何もない黒い空間に塗りつぶされていくように、上条の前から消えていった。
そして、上条もその黒いものに飲み込まれた。
目を開けたら、声をかけられた。
「とうま、どうしたの?」
白い修道服を着たシスターが言った。
「さっきから声かけてるのに、無視してんじゃないわよ」
茶色い髪の、常盤台中学の制服を着た少女が言った。
「どうしたカミやん、さっきから様子が変だぜぃ」
金髪にサングラス、アロハシャツを着た男が言った。
「どうしたんだ?能力者」
赤髪の、身長2メートルほどの神父が言った。
上条にはわからなかった。
声をかけてきた人がだれなのか、わからなかった。
ここはどこで、自分は誰なのか、わからなかった。
周りにいる人たちが、誰なのか。
自分を知っているのか、何も、わからなかった。
まるで自分の中から何かが抜け落ちたかのように。
心の中にぽっかりと穴が開いたかのように、もやもやとしたものだけがのこっていた。
「もしかして、とうま、覚えてないの?」
白い修道服の少女、インデックスがなきそうな表情で言った。
「アンタ…まさか…また、なの?本当に…何も覚えていないの?」
常盤台中学の制服を着た少女、御坂美琴が、
いつかの絶望したような表情で、泣くのを必死に堪えているような、そんな表情で言う。
とっさに上条は、言った。また言ってしまった。
「忘れるわけないだろ?変なこと心配してんじゃねぇよ」
しかし、そんな状況にもかかわらず。
再び真っ暗な闇の中にいる自分に気がついた。
声を出しても、誰も答えてくれない、何もない、そんな場所だった。
そこに、一点の光が見えた。暗闇から導き、引き出してくれるような、暖かい光だった。
おなじみの第7学区の病院のいつもの病室で、上条当麻は目を覚ました。
すごく、嫌な汗で、体中がびっしょりとぬれていた。
ツンツン頭の少年、上条当麻は記憶喪失だ。
記憶を失った原因は、覚えていないし、思い出すこともないだろうと思っていた。
やけに重たい体を起こすと、手が握られていることに気がつく。
病院のベットの横に、備え付けのパイプ椅子に座る少女。
御坂美琴はなぜか、上条の手を握ったまま眠っていた。
その目に一筋の涙の跡を残したまま。
状況がいまいち理解できなかった上条は、あたりを見渡してみた。
人が動くことに気がついたのか、美琴も目を覚ました。
「…アンタ、大丈夫なの?ずっとうなされていたような感じだったんだけど…」
不安そうに、心配そうに、声をかけてきた。
「よく覚えてないけど、変な夢を見たんだ。なんであんな夢を見たんだろう…」
上条は、かすかに震えていた。
その手を、美琴は強く握り締める。
「どんな夢を見たかは知らないけどさ。アンタはたまには人を頼りなさいよね。
アンタの力になりたい人が、身近にいるって事をいい加減覚えなさいよ」
手を強く握り締められた見た上条の震えは、ゆっくりと収まっていった。
そして、ぽつり、ぽつりと、上条は口を開く。
「俺の周りにはみんながいたんだ。そしたら突然、世界が崩れ始めた。
気がつくと真っ暗な空間になっていった。そんな中に俺は一人だけ立っていたんだ。
急に明るくなったと思ったら、さっきまで回りにいた人たちがいたんだ。
だけど、その人のことが、誰なのかわからなかった。
思い出そうとして、声にだそうとしたけど、できなかった。大切なものが手の中から滑り落ちたみたいな感じでさ」
徐々に思い出したのか、上条は夢での出来事を説明した。
そして再び、震え始めた。見えない恐怖に震えている子供のように。
美琴は、黙って話を聞いていた。
そこで一つ、仮説を立てる。
(コイツは一度記憶を失っている。何も無いところからいろんな人に出会っていった…。だけど…だけどもし…どこかで、再び記憶を失うことを恐れている部分があるとしたら?)
その仮説に、美琴自身が納得してしまいそうだった。
一度あった不幸な出来事が、その1度で終わるならいいが、実際繰り返されることがある。
どんなに努力しても、とめようとしても、止まらなかったあの実験のように。
美琴なりに上条の不安を読み取った彼女は、ゆっくりと上条に近づき、やさしく、包み込むように抱きしめた。
「大丈夫。大丈夫だから。もし、アンタがもし、また何かを忘れてしまうようなことがあったとしても、私はここにいるから。
アンタがどうなろうと、私はアンタのそばにいてあげるから。どんなことがあっても、アンタのことを守ってあげるから。だから、安心しなさい」
やさしく告げるように、美琴は言った。
美琴の胸の中で、上条は涙を流し、眠っていた。
安心しきったような表情で、眠っていた。
「まったく、いつも人に心配ばっかりかけて…たまには周りがどれだけ心配しているか、理解しなさいよ。ばか当麻」
眠る上条に、頬を赤く染めながら、尊はつぶやいた。
とある日の、とある二人の、病院での出来事。