天体観測 Northern_CROSS.
一〇月一〇日、午後五時一五分。
『〇九三〇事件』の爪跡が修繕し人々が平穏を取り戻しつつあった昨日―――つまり九日の学園都市独立記念日、街は爆発・襲撃・暗殺、あまつさえ超能力者同士の戦闘が勃発して再び阿鼻叫喚の中に叩き込まれた。
しかし、
爆発も襲撃も暗殺も、そして超能力者同士の戦闘も発生したはずなのだが『記録』にはそのような事が起こった事実はなく、人々の表情に恐怖や懸念の色はない。『〇九三〇事件』を目の当たりにし『戦争』という単語を多少なりとも気にかけているのが総括だが昨日街が悲劇のどん底に突き落とされたような新鮮さは伺えなかった。
どこかがおかしい。何かがおかしい。
そんな猜疑の街並みを二人の常盤台中学校生が歩いていた。
御坂美琴と白井黒子である。現在彼女達は寮へ帰宅している最中だった。
「ったく、物騒な世の中になったもんよね。昨日の騒動も敵対国の暗躍なんじゃないかしら」
「そうかもしれませんが、やはり断定するには証拠が足りませんのお姉様。風紀委員の中には確かに『異変』の報告を受けた者がいるようですが公式には何も記録されていませんでしたのよ。そこのマンション、確か『ファミリーサイド』でしたか、オペレーターが言うにはそこも火災があったようですが特に何もありませんわね。まるで街中の人々の記憶から『異変』だけが取り除かれたかのような気分ですの」
「……記憶を取り除く、ねえ」
残暑が終わりどこか冷やかな心地を乗せた追い風が美琴の茶色の髪を静かに揺らすと、美琴はオレンジ色の空を見上げてわずかに目を細めた。
それは、不自然に機能する街に対してのものではない。
彼女の脳髄にはツンツン頭の少年が思い浮かんでいた。
上条当麻である。
(……記憶喪失)
数日前、美琴は上条が記憶喪失である事を偶然耳にしてしまった。知ってしまった以上、行動派の美琴は上条に色々と問い質すつもりでいたのだが、
(何で黙ってんのよ……? 私だって、アンタの力になれるのに)
茶色の瞳は夕暮れの大空に何かを囁くように虚空を見つめ揺れ動く。
納得がいかなかった。
どうして相談してくれないのか。
どうして秘密にしているのか。
治る見込みはあるのか。
そして。
辛くはないのか、
悲しくはないのか、
寂しくはないのだろうか。
美琴の思考は上条の事でいっぱいいっぱいだった。
「お姉様? どうかなさいまして? 顔色が優れませんわよ?」
「……、ううん。何でもない」美琴は白井を心配させぬよう吹っ切れたように笑うと、「ところでさ、『これ』」手にダラリとぶら下がったパンフレットに視線を移した。
「天体観測、ですわね」
うんと美琴は答えた。
天体観測。
学園都市には博物館形式の天文台(ベルヴエデーレ)が大小数カ所設けられており、天体観測はそこで秋の星空を観測できるイベントだ。元は統括理事会の一人が『学園都市の住人にはもっと自然と交流してもらいたい』と企画したチャリティーなのだが発案された当初よりも大きなイベントに肥大化していた。
これは中学生以上は任意性であり必ず参加する必要はないが、多数の賛同意見が寄せられ、普段は立入禁止区域の第二三学区や天文系の第二一学区の一部を開放したほどである(といっても、第二三学区の場合は専門が航空・宇宙産業なので観覧できる物は星空というよりロケットや戦闘機などの工学系類がメインになるのだが)。
ちなみに交通などの都合上から『社会人・大学生組』『高校生・中学生組』『小学生・幼稚園児組』と三つのグループを作成して年齢が大きい順に開催される。『社会人・大学生組は昨日九日、『高校生・中学生組』が本日一〇日、『小学生・幼稚園児組』は一週間後の一七日に行われる。
しかし、
「結局やんのね、これ」
まるで出来の悪いテストを睨みつけるような表情で美琴はパンフレットを凝視する。
「そうですわねぇ。『〇九三〇事件』の事もありますから中止を求める声も多数ありましたの。ですが、元は統括理事会メンバー発案の企画。大方、『中止』にするのは学園都市の治安維持レベルを世間に吹聴するようなものですから引くに引けなかったのでしょうね」
難儀なもんねー、と美琴は適当に受け答えした。案の定、この数日後に元迎電部隊(スパークシグナル)という組織に課外授業で天体観測を行う予定だった小学生ら三〇名が拉致される事となる。
そんな事を露程も予期せぬ美琴の視線はパンフレットに写る一組の男女へと移る。
(……アイツを誘って記憶の事を聞き出してみようかしら)
しかし星々が輝く夜空をバックに何か重大な事実を告白するシーンが思い浮かんでしまい、美琴の本能は拒絶の意を示した。土台、そういうロマンチックな話題でもないだろう。
でもいつかは聞いとくべきよねというかやっぱり気になるしうーんと頭を回転させる美琴の体に白井がまるで子猫が足元に擦りつくかのような仕草で近づく。
「うふふ、おねーさまーん。黒子、今夜はお姉様と一緒にお星様が見たい気分ですの♪」
「さり気なく体を摩りつけてくんなやコラ」
ぐいぐいと、美琴は白井の頬に丸めたパンフレットを押しつける。
「た、たまには良いではありませんかお姉様。先日はあの殿方と逢引をなさってたようですし、わたくし実は妬いてますのよ?」
「だ、だから。あれはストラップが欲しかっただけだっつの。しつこいわよアンタ」
「と・に・か・く! わたくしとデートなさってくださいませ! 黒子はお姉様と一緒に星空を見たいですのーっ!」
意外と乙女チックな所もあんのねっ! と美琴は白井への評価をやや改めつつ、触手のように伸縮する白井の二本の腕を回避していく。
(こりゃあ一度満足させないといつまでもしつこく聞いてきそうだわ……。最近なおざり気味だったのも影響してるっぽいわね)
美琴はわざとらしく溜息をした。
「ったく、分かったわよ。その代わり、九月三〇日の事は金輪際口にしない事。いいわね?」
「ま、マジですのお姉様!? で、では今夜の八時三〇分、第二一学区の天文台前でお待ちしておりますの!」
「ちょ、ちょい待ち。『お待ち』って、なに。アンタ待ち合わせする気な訳? っつーか二一学区の天文台っつっても結構な数があんでしょうが。あそこは天文系でもあるんだし」
美琴が引き止めると白井はうーむと唸った。
「それはそうですわね……。では、そのパンフレットに載っている、親船という方の私設に集合ですの。―――という訳で、わたくしは先に行ってオメカシをしてきますわね。くれぐれも遅刻する事がないようお願いしますわ、お姉様」
「あ、ちょっと!?」
美琴が待ち合わせについて言及するよりも先、白井黒子の口元が上品に型どった次の瞬間には彼女は美琴のはるか先をピュンピュンと飛んで行ってしまった。
午後九時四〇分。
夕食をレストランで済ませた御坂美琴は天文台(ベルヴエデーレ)前の広場にいた。
待ち合わせの場所である。
天文台はイベント期間中のためネオンサインや電球、レーザーアートで美しくライトアップされてオシャレな雰囲気を漂わせており、少し見方を変えればアラブ系のラブホテルのように見えなくもない。
多数の賛同意見を集めた割には足並みがそれほど多くない。というのはやはり、開放する施設を増やしたりグループ毎に開催時期をズラすなどの主催者側の配慮があった恩恵だ。
施設は一九時から開放されているため大方の客足は出揃っていたのだが、
「……、来ない」
美琴はポツリと呟いた。
実は当企画は恋人間に人気があり、美琴達と同様にホール前を待ち合わせ場所として利用している者は多い。個人で参加している者も皆無という訳ではないが、こういう雰囲気の場所に一人ポツンといるのは居心地が悪いと美琴は思う。
(どうしたんだろ? あの馬鹿じゃないんだし、黒子なら待ち合わせ三〇分前にはスタンバってると思うんだけど……。さっきからケータイにも繋がらないし)
一〇分に一度は携帯電話をチェックする美琴だが白井からのアクションは一向にない。
と、そんな御坂美琴のスカートが小さく振動した。
携帯電話が着信している。
美琴はポケットから携帯電話を取り出すと、
「……黒子から、か」
着信ボタンに指を伸ばす。
『も、もしもしお姉様? 黒子ですの』
「もしもし黒子? ……どーしたのよ? アンタ、もう九時半過ぎてるわよ?」
『えぇと、どこから申し上げるべきでしょうか……。まず先に謝っておきますの。も、申し訳ありません、今夜のデートはキャンセルさせてくださいませ』
美琴の鼓膜に白井が静かに鼻をすする水音が響いた。白井から連絡がかかってきた時点で概ね要件を察していた美琴はさほど驚かずに白井に問い質す。
「……何で来れない訳?」
美琴の声音の音程がどーんと低くなった。彼女からしたら、一時間バスに揺られた後さらに一時間ほど待たされていた訳で泣きたいのはこっちよという心境だ。何だかんだ言って楽しみだったのである。
そんな美琴へ白井は真面目になって告げる。
『はい、それなのですが……。昨夜、初春が入院したそうですの』
入院!? と叫んだ美琴は血相を変えた。
「な、何があったのよ!? 病気!? それとも怪我!?」
『詳しい事はわたくしにもまだ分かりませんの。ですが、先ほど風紀委員の方から連絡がありまして。どうやら肩を軽く骨折したようですの。それで、わたくしはその後処理を』
ちなみに件の少女・初春飾利はとある超能力者に暴力されて負傷したのだが、その事実が記録として残る事はない。
『幸いな事に腕の利く医者に治療してもらった甲斐があって今はピンピンしてるそうですわ。明日の放課後にでも見舞いに行ってやれば喜ぶでしょう』
「そ、そっか。ほっ、最近物騒だから『もしかしたら』って内心ドキドキしちゃったわよ。こういう言い方は不謹慎かもしれないけど、元気そうで何よりね。んー、それじゃあ明日は初春さんのお見舞いの後に『黒蜜堂』にでも食べに行ってみる?」
『……。それは、二人きりで、という意味ですの?』
「まぁ、そういう事になるの、かな。ちゃんとした理由があるんだから流石の私でも『今すぐ来なきゃデートはなしよ!』だなんて言えないわよ」
う、ううう……と嗚咽する白井。
『黒子は……黒子はお姉様のその気持ちだけで初春の野郎の尻拭いを頑張れますのぉぉ……』
「黒子……」
と、美琴の声音が労るようなものに変わっていく。
『……(こ、子猫! 今日の黒子はさながら子猫のようなピュアな心で押しますわ! そして本人は否定してるけど実は動物大好きなお姉様の胸の中で甘えまくる所存ですの。うっふっふ、えっへっへっあっはーっ!!)』
「おーい、なんか欲望が垂れ流しになってるぞー?」
やれやれと美琴は肩を竦める。
「そんじゃま、お仕事頑張ってちょうだいな」
『はい、お姉様の愛を励みに黒子は頑張りますの』
「最後のは余計だっつの」
ブツッと美琴は通信を切る。カエルの携帯電話を閉じてポケットに仕舞い込み、背後にある天文台を眉をひそめて見上げた。
「……だはあ」
何だか置いてけぼりにされた気分の美琴であった。一番大変なのは白井や初春の方だという事は分かっているのだが、わざわざこんな山中まで来たというのにこのまま帰宅するのはどうもやるせないのが彼女の本音だ。
(黒子には悪いけど、せっかく来たんだし少しくらい見てから帰ろう)
美琴はホールの入口へと足を運ぶ。チャリティーのため料金はかからず、受付嬢に軽く会釈して広い通路の奥へと進んでいった。
通路先のディスプレイ広場は夕日に茶色を混ぜたような薄暗な光で照明されており高級ホテルのロビーのような雰囲気だ。隕石や宇宙器具などがガラスケースに大量に収納されている。立体映像(ホログラム)で射影された巨大地球儀があり、美琴の好奇心はすぐに擽られた。
美琴は巨大地球儀の前に設置されたガイドアナウンスの黒い柱のボタンを一つ押す。すると一度、地球が音もなく爆発して再構成されていった。始め、地球は茶色だったり白だったり現在では考えられない色だったが次第に鮮やかな青へと着色されていく。
「ふうん。地球ができるまでを再現してるのね。粒子加速装置の逆算結果かしら?」
他にも金星・木星・火星・土星などの立体映像があるが美琴の足は目玉らしい三階へと向かった。エスカレーターで三階まで昇り、巨大映画館のようなホールへと入館する。
(うおっ、広っ!?)
室内は半径三〇メートルで、サッカーボールの四分の一をスライスしたようなドーム型の空間だった。人を除けば障害物は一切なく、とにかく無駄に広く段差がない。光源は床に一定の間を取って設置されたビーズのような粒で光色は青を帯びている。プラネタリウムのような雰囲気だが何故か天体を観測するのに使う望遠鏡が一台もなく、そもそも窓がなかった。
(あんれー、フロア間違えたかしら?)
と、美琴が疑問に思った時だった。
『皆様、大変長らくお待たせしました。もうまもなく消灯しますので足元にご注意ください』
館内にアナウンスが反響した。
(……? 良く分かんないけど、観測は一〇時からだったって事?)
何となく天井を見上げる美琴。そんな彼女の耳に一組の男女の声が鳴り響いた。
「とうま、星が見えるから来たというのに一体何なんだよこの暗いだけの空間は!?」
「お、落ち着けってインデックス。アナウンスの人がもう少しっつってただろ。な?」
むっと、美琴の耳はどこかで聞き覚えのある声を察知した。
美琴は辺りを見渡し、遠くの方へと目を走らせる。すると、一〇メートルほど先にいるツンツン頭の少年と白いシスターが美琴の視界に入り込んだ。
「……あの馬鹿」
何やってんだと、美琴はすぐさまツンツン頭の少年の元へ走り出したが、
―――上条当麻は記憶喪失らしい。
(……、)
美琴の足は力なく停止する。
どう接するべきだろう?
どう一声かけるべきか?
気づかないふりをするべきか。
二人の距離は依然変わらないが、美琴はまるでツンツン頭の少年がどんどん遠くに行ってしまうような感覚に陥る。
そんな困惑の美琴の方へふと上条の目がチラリと向くと、彼の頬が嫌そうに引きつった。
「うげっ、御坂……」
その声を聞いて美琴はようやく一歩踏み出せた。
(あの小っこいのがいるみたいだし、とりあえずいつも通りに接しておこう……)
「……ちょっと。人の顔を見るなりいきなりその態度はないんじゃない? っつーかアンタはここで何やってる訳?」
はぁ、と上条はうんざりな態度をする。
「何って、そりゃあお星様を見に来たんだよ。本当は二三学区の方に行こうと思ってたけど、インデックスがこっちの方が良いって言うからさ」
ふうんと美琴の反応は微妙なものだった。上条当麻の機微に色々な憶測を飛ばす美琴だが、
「かくいう短髪は何でここにいるの? 一人ぼっちの天体観測? いつも一緒にいるツインテールに裏切られたの?」
「う、うっさいわね。ほっとけや」
ぶーぶーとインデックスが美琴にイチャモンをつけた。ここにいるだけで何故責められなくちゃならないんだと美琴は少々ムッとする。
啀み合う二人の仲裁に上条が入ろうとした時、床の照明が音もなくふと消えると。
グウィィィィィィィンと、
ドーム型の天井がまるで目覚めの瞬きのようにゆっくりと開口していく。
おおーっ! と、五〇人ほどいる人々は自ずと拍手や喝采をした。少しずつ開いていく屋根から覗く星々は、まるで夜空に無数のラメをばら撒いたかのように光の強弱がはっきりとしており、三人の表情も星明かりに照らされていくにつれて期待と驚愕の色に染まっていった。
美琴は上条の横顔に不覚にもドキッとした事を誤魔化すように言葉を紡ぐ。
「え、ええと、ごほん。さ、さっき外にいた時もこんなに映えてたかしら?」
「なんだ。お前知らねーの?」上条は天を指差す。「良く見てみろよ。確かに屋根が開いたけど、ガラスの膜みたいのが天井を覆ってて風が入ってきてないだろ」
「え? あ、ホントだ」
美琴は上条に指摘されて初めて気づく。屋根の一枚が退いているだけで密閉状態に変わりはなかった。
「このドームはこれ自体が巨大な望遠鏡になってるらしい。多分あのガラスの膜がレンズか何かの役割になってんだろ」
「ふ、ふうん。だけど、わざわざそんな面倒な事をしなくても、遠距離カメラで撮影した夜空を壁と天井に映像化した方が綺麗に映し出せるんじゃないかしら」
ニュアンスとしては、以前水着のモデルを務めた時の仮想スタジオや第二二学区のスクリーンに中継すると感じだと美琴は考える。ライブ版プラネタリウムと言ったところだ。
そんな美琴の意見を上条は否定する。
「いやいや。せっかく技術の進んだ学園都市なんだからちゃんとした本物の夜空を観賞してえじゃねえか。一回ケーブルを通った電子情報を星空って呼ぶのはなんかロマンがないし……っていうのがこの施設の売り文句らしいぞ」
……、なるほどと美琴は頷く。
「何だか良く分からないけど、要するに私達は今望遠鏡の中にいるって事なの、とうま?」
インデックスの言葉が終わるのと同時、天井の開口が完了した。
「まぁそんなトコだな。度合いや角度も調節できるから視野の範囲が広くて、見栄えがそこそこ良いんだと」
へぇーと二人の少女は感嘆の声を上げた。
「やけに詳しいじゃない。アンタらしくもない」
「うっせ。っつかお前も学校からパンフレット貰っただろ。あれに全部載ってたじゃねーか」
元々、天体観測にあまり興味がなかった美琴は施設についてノータッチだったため『うっ』と言葉に詰まる。いつもは美琴が諭す側だが、今回は珍しく上条が教える側だったようだ。
しかし。
「見て見てとうま! あれはケフェウス型変光星とりゅう座のエルタニン! それにペガサス座がとっても綺麗なんだよ! あっ、あれはペテルギウス! この時期にあんなに輝いてるなんて学園都市も捨てたものじゃないねとうま!」
「おお」上条にはサッパリ分からない世界の話なので適当に、「きれいきれい」
「やっぱそういう知識は皆無なのねアンタ……」はははと美琴は笑う。「それにしても小っこいの、アンタってば随分星座に詳しいじゃない。その格好は見れくれだけじゃないってトコかしら」
「星座は最も単純な術式の一つだからね。それに無数にある点と点を正しく結んでいけば膨大な魔力を得る事が可能なんだよ」
「……じゅつしき? まりょく?」
はて、星占いの専門用語だろうか? と疑問を持つ美琴だが思索はせずに星々を観測する。
通常なら肉眼や位置的に捉える事のできない星も耿耿と輝いていた。星と星とを繋ぶと花や獣の形に見えてきて、古人が星占いに熱中したのも頷けるなと美琴は感慨に耽る。
「綺麗ねぇ、素直に美しいと思える……。あ、あれって北極星? うーん、こっちが北で、あれがアンドロメダだから……ええと合ってるかしら」
「うん、あれが北極星で合ってるんだよ。それと短髪、星座は一つを基点にするんじゃなくて、フィーリングでも良いから全体像を掴んだ方が正しく観測できるよ?」
「それができたら苦労しないっつの。あと短髪ってゆーな。……にしても北極星かぁ」美琴は夢でも語るような表情で、「直で見るのは初めてだわ。かの賢者もあの星を目印に『神の子』の元に向かったのかしらね」
むむ、とインデックスは美琴の言動に惹かれた。
「短髪の頭はでじたる式なのにそういう事も知ってるんだね。とうまよりは好感を持てるかも」
「短髪言うなデジタル言うな。何よ、学園都市の人間だからって全く知らない訳じゃないのよ? っつっても、聖書には目を通した事もないんだけどね。第三種経済をかじったついでに『星空』って単語で適当に調べただけ。北極星は一年を通して全く位置が変わらないから旅人の目印になる……そのくらいの認識よ」
ふむふむと二人が交流を深めている最中、話についていけてない上条が天井を見上げたままふと告げる。
「北極星は辛くねーのかな」
徐々に話に花を咲かせていた二人の少女の口が止まり、上条の言葉に耳を傾けた。
「とうま、それどういう意味?」
「だ、だってよ、あの星はずっと自分の位置を変えないで何かの目印であり続けるんだろ? なんか、何かに貼り付けられてるみてえじゃねえか」
「……どしたのアンタ。詩人の雰囲気になってるわよ? 変なもんでも食べた?」
「食べてねーよ!! くそう、たまにかっこよさげな台詞を言ってみればこんな調子か!!」
「それと一応言っとくと、ずっと固定されてる訳じゃないのよ? 北極星は数千年周期に別の星に代わるの。現代でははくちょう座だけど、あと二〇〇〇年もすればりゅう座あたりが代替わりしてくれるんじゃない?」
あ、そうなんですか……と上条は落胆する。良く分かってない話に口を挟んでみたものの普通に間違えて普通に恥ずかしい普通の上条当麻であった。
一〇月一一日、深夜〇時。
観測後も施設内の数ある展示品を観覧し割と楽しみ切った三人は第二一学区から第七学区のバス停に戻り、その後各々最寄りの停車行きのバスを待っていた。本来であれば深夜にバスが運営する事はないがチャリティー時のみ学生の足として一部機能している。
夜風が音もなく静かに舞う。
とそこへ、常盤台行きのバスが上条達のバスよりも一足早く停車した。開口の電子音が鳴り、美琴はベンチから立ち上がる。
「んじゃあ私はこれで。もう真夜中なんだしアンタ達も気をつけて帰んなさいよ」
「そういえば短髪、ひょうかの時はサイエンスの事について教えてくれてありがとうなんだよ。とうまよりも五〇〇倍くらい頭が良いし、今度ゆっくり話をしてみたいかも」
「え、あ、うん。こ、こちらこそ」
「お前こそ気をつけて帰れよ。最近何かと物騒なんだし」
「し、心配しなくても大丈夫よ。常盤台絡みのバスは耐爆防弾仕様が施されてるし。学舎の園のバスなんて超電磁砲でも壊せるかどうか分からないのよ?」
「……、ウワサは尾ヒレをつけると言うが、これはそれ以上だったなオイ……」
? と上条の呆れたような態度を疑問に思う美琴だったがバスの運用を詰まらせる訳にもいかないのでいそいそと乗り込む。
「そんじゃ、また」
ビーッと音が鳴るとドアが閉じた。美琴は席に着くとベンチに座っている上条とインデックスを横目で見つめる。バスが発車し、二人が見えなくなると美琴の体から一気に力が抜けた。
「……ふう」
美琴が上を向くと、街灯に炙られてもうすっかり澱んでしまった星空が彼女の視界に入り込んだ。バスが通っている道は街灯が少ない地域のため、月明かりが唯一、美琴の瞳に輝きを与える。
「記憶喪失、か」
美琴は上条の過去に触れない会話を努めた。上条が自ら触れない以上、それが上条の望む事だと美琴は自分に言い聞かせた。
だが美琴はこう思うのだ。
(結局は、自分のため、なのよね。アイツが私との記憶をどこまで覚えてるか、それが怖くて……)
美琴の瞳は大きく揺らぐ。
どうして、こんな気持ちになるのだろうか?
上条当麻の記憶について解決策を求めるのと同じように、御坂美琴にはそれが解けない。
(だぁーっ!! くそ、そもそも何で私があの馬鹿の事でこんなに頭を悩ませないといけないのよ? 考えすぎるとむずむずしてくるし!!)
美琴は頬を朱色に染め上げ、後ろ髪を思い切り引っ掻き回した。頬が熱くなるのを感じ、ひんやりと冷たい窓ガラスに頬をつけて熱を冷ます。
バスのエンジン音だけが鳴り響く。
美琴はわずかに溜息をすると何かを回顧するように、そっと瞼を閉じた。
ちなみに彼女は、この数日後に己の中に眠っている莫大な感情に気づく事をまだ知らない。
fin.