Safest_Place_to_Hide
(うう、気になる)
御坂美琴は秋の街を一人歩いていた。
美琴の心の中で思考は巡り、また元の場所に戻る。
何度も、何度も。
(き、聞きたい。でも……)
美琴の頭を悩ませていたのは、『あの馬鹿』こと上条当麻のこと。
心がどうにも落ち着かず散歩でもして気を紛らわせようと外に出たのは良いが、出れば出たで無意識のうちに上条の姿を探してしまう。
あの日偶然知ってしまった上条の記憶喪失。
何が原因なのか。
何をどこまで失って、何をどこまで覚えているのか。
つらくはないのか。
それは上条個人の問題で、赤の他人の美琴が口を挟めることではないと知っている。それでも美琴には見て見ぬふりなどできなかった。
――どんな些細なことでも良い。アイツの力になりたい。
その思いがどこから発せられているのかを知って、美琴は赤くなる頬を両手で押さえる。
(ううう、あの馬鹿。こんな事で毎日私を悩ませるなんて)
どれだけ頭を振っても、意識の外に追いやることができない。気がつけば美琴は四六時中上条のことで思い悩んでいた。
(やっぱり……本人に直接聞くしかないのよね)
上条からは『今まで通りに接してくれるとありがたい』と念を押されているが、知ってしまった事実を見過ごすことはできない。
ショーウィンドウに移る自分の姿を美琴は見つめる。
ガラスの向こう側には、揺れる瞳を抱えた少女が立っていた。
「ねぇ。……ちょっといい?」
美琴はいつもの自販機の前で上条を待ち伏せ、通りがかったところで声をかけた。
「あん? ビリビリ、何か用か?」
いつも通りの眠そうな顔で上条が答える。
けれど、この会話でさえ上条が己を装っていることを美琴は知っている。
ビリビリと呼ばれたことは無視して美琴は言葉を紡ぐ。
「アンタに……話があんのよ。時間もらえる?」
「えっ? 俺には用事はないぞ?」
上条はげんなりとした表情を美琴に向けた。
しかしこれも美琴にとっては『偽り』でしかない。
美琴には上条のポーズがわかる。わかるからこそ頭に来る。
――もうこんな事は止めさせる。こんな事、いつかどこかで破綻が来る。
「大事な話。どっか二人きりで話せるところに行きたいんだけど」
上条は、美琴の真剣な様子を感じ取ると
「……わーったよ。んじゃ俺の部屋で良いか? どっかへ出るよりは面倒がなくて良いだろ」
「え? アンタの……部屋?」
美琴はビクッ! と肩を震わせる。
そこはずっと美琴が行きたいと思っていた場所だったから、こんな形で行くことになるなんてと美琴は思いがけない機会に苦笑して
「嫌ならどっか別の場所……」
「い、良いわよ! アンタの部屋、行きましょ」
美琴は上条の背中を押して歩き出した。
「お、おいおい? 俺の部屋はこっちじゃねーぞ!」
……上条の部屋は逆方向だった。
「何にも用意してねぇから、茶くらいしか出せねーぞ」
上条が煎茶を美琴の前に出す。
「あ、うん。おかまいなく」
美琴はキョロキョロと部屋の中を見回す。思ったよりも清潔な部屋に驚くと共に
(ここがコイツの部屋かぁ……)
つい感慨深げに眺めてしまう。
「んで? 大事な話ってのは何だ?」
美琴の向かいに上条がどっかりと腰を下ろし、コタツに足を入れる。
「うん。アンタのね、その……記憶喪失のことなんだけど」
「あれはこないだ言ったとおりで特に気にすることないって」
いつか見たように、上条はどこか寂しげな表情で笑う。
――胸が痛い。
「……アンタがそんな顔して『気にするな』って言っても、そんなの無理」
美琴は両の掌で茶のぬくもりを感じながら
「教えて。アンタはどこまで覚えていて、何を忘れているの?」
「記憶がないのは俺で、お前がそんなにムキになる事じゃねぇよ」
「……教えて。知りたいの、アンタのこと」
口調がきつくなる。
「御坂……」
「何度も言わせないで。アンタの記憶の中には私のことも入ってる。知っている以上聞く権利は……あると思う」
言いつのりながら、美琴は詭弁だと考える。だが、詭弁を押し通してでも今はこの少年の心に触れたい。チャンスは一度きり。これを逃したら、上条自身も、二人の関係も何も変わらない。
偽りの日々は、もう終わりにすると決めたから。
「わーったよ」
上条は一度目を閉じ、軽く息を吐くと美琴に向き直る。
上条当麻の中から、美琴の知らない透明な少年が姿を現わした。
「……俺は七月二八日以前の記憶がない。正確には、脳細胞が吹っ飛んで思い出を司るエピソード記憶がごっそりなくなってる。だからお前のことも、それ以前のことについては何も知らないんだ。どうやって知り合いになったのかもわからない」
「しちがつ、にじゅうはちにち……」
美琴の口から乾いた声が漏れる。つまり上条が美琴と出会ってから丸一ヶ月の記憶がないということになる。美琴は上条の中にお節介で不良から美琴を助けようとしてくれたあの日の思い出がないことに半分安堵し、半分落胆した。
「……体は覚えていたみたいだけどな」
上条は右拳を握る。
「……そ、そう」
私のことは電撃しかイメージがないのかっ! と叫びたくなるのを美琴は心の中で押さえ込む。今は上条の話を聞く方が先だ。
「だからさ、今だから言うけど。俺お前とケンカばかりしてるけど、昔の俺もお前とケンカばかりしてたのか? 本当は違うんじゃないのか?」
そんなの寂しいよな、と上条は瞳を伏せる。
「うーん、……ケンカって言うかケンカじゃないって言うか」
「?」
「……そうね。私はそんなつもりないんだけど、アンタにとっては私とはケンカばっかりなのかもね」
私もつい最近までアンタの演技力で真実を見抜けなかったわけだし、と美琴は苦笑する。
「……騙してたことについては謝るよ」
「ううん。アンタがそんなつもりじゃなかったことはわかるから」
美琴はふるふると首を振る。
「アンタを責めてるわけじゃないの。ただ……アンタは怖くなかったのかなって」
「怖い?」
上条が首をかしげる。
「だって、アンタは周りの人との思い出が……アンタの中にあるつながりが一切合切なくなっちゃったんでしょ? アンタにとっては誰一人知らない人の中に放り出されてさ。……怖くなかったの?」
「そうだなぁ。怖いというか……訳がわからなかった、かな」
美琴は透明な少年をじっと見つめ、次の言葉を待つ。
「周りの人は俺を知ってるのに、俺はみんなを知らない。俺の体に勝手にベタベタと『上条当麻』って言うシールを貼られてるような気がした」
「……、そう。私も、アンタに対してそうやって私の中の『上条当麻』ってイメージを押しつけてたのよね。ゴメン、何も知らなくて」
「だから、そうやって思われるのが嫌だから隠してたんだって。謝るなよ」
「うん。……アンタは記憶を無くしてから私に会って、私のことをどう思った?」
上条は押し黙る。心の中で言葉を選んで
「……何だコイツ? って思った。いきなり回し蹴りかよおいって」
美琴はその言葉に無理矢理笑顔を作る。
「そ、それは……悪かったわね」
上条は軽く首を横に振った。
「こんな感じで良いか?」
透明な少年は美琴の知っている『上条当麻』に姿を変えた。
「戻さなくて良いのに」
「何が?」
「素のアンタと、今のアンタ。……アンタの記憶喪失を知ってるのは私だけ?」
「……あと病院の先生。俺の記憶喪失の状態を教えてくれた」
「そう。……ねぇちょっとアンタ、体が震えてない? どうしたの?」
「え?」
「気づいてないの? どこか具合でも悪いの?」
上条は小刻みに体を震わせていた。
美琴に指摘され、上条は自分の両手を見つめる。
「あ、あれ? 俺どうなってんだ?」
「ちょっと? ホントにどうしたのよ? 自覚ないの?」
「あ、れ? 何だ俺、どうしたんだ? ……ちくしょう、震えが止まらない」
美琴はコタツをぐるりと回り、上条の肩を支える。
「み、御坂……お、お、俺は……俺、いったい……何が」
見えない記憶の闇をのぞき込み、上条の顔が知らず恐怖でゆがんでいく。
体の震えは予感を裏付け、矢も楯もたまらず美琴は上条を抱きしめた。
「馬鹿! だから言ったじゃない! 怖いなら怖いって言いなさいよ!! アンタ、怖くて震えてるんじゃない!!」
「え? こわ、い? 俺が……? は、はは、ははは、おい嘘だろ……」
上条は細かく首を横に振る。嘘だ、嘘だという呟きがその口から漏れる。
「このド馬鹿! 自分自身まで騙してるからこんな事になんのよ!」
「御坂、俺、俺……俺、は」
上条は美琴に手を伸ばし、まるで幼子が母という光を求めるように助けを求めてしがみついた。
「そっか。俺、怖いんだ。怖いって……こんな感じなんだ。知らなかった」
「アンタは……そんなになるまで自分をごまかさないの。アンタのことは私が知ってる。だから私を頼んなさい。アンタは何でもかんでも全部一人で抱えてどんどん先に行っちゃうけど、だからって自分をないがしろにして良いって事はないんだから」
美琴は上条を抱きしめる手に力を込める。
この両手だけが、上条を支える命綱。だから絶対離さない。離せない。
「御坂、悪りぃ……少しこうしててくれないか。俺の震えが収まるまでで良いから」
「いつまでだって良いわよ。アンタのことを全て知ってるわけじゃないけど、御坂美琴はいつだってアンタの味方だから。たとえ世界中を敵に回しても、私だけはアンタの味方だから。覚えておきなさい」
「うん。ありがとう」
「馬鹿。ありがとうって言うのはこっちの方よ。アンタはあの時、私を絶望から連れ戻してくれた。だから今度は私の番。私は、その……今目の前にいるアンタの力になりたいの」
「うん。御坂……ありがとう」
上条は、この年下の少女に感謝した。
他には何もいらないと、心から思った。
本当の自分を知っている人がいるから、どこへだって行ける。何だってできる。
――『上条当麻』という名を持つ少年はこの日、心から安心できる場所を手に入れた。
「……なぁ、御坂。こう言うときにするのは不謹慎な話かもしれないけどさ」
上条は美琴の髪に顔を埋めるように囁く。
「何?」
「俺……その、何て言うかお前のことよく知らないんだ」
「そうね」
「だから、昔の俺はお前をどこまで知ってたのかわからないけれど。今の俺は、お前のことをもっと知りたい……と思う」
「!」
「あはは、俺変だよな。突然こんな事言っちゃってさ」
「変じゃないわよ。私だってアンタのこともっともっと知りたい。今のアンタが私を知りたいと思ってくれるなら、私はすごく嬉しい。だって御坂美琴は上条当麻のことが好きなんだから」
「……え?」
「言っとくけど、これは『今』の上条当麻に対してだからね? 『俺はそいつじゃない』とか変なところで引け目感じるんじゃないわよ?」
「御坂……」
「何でもかんでも一人で背負いたがるアンタのことだから、そうじゃないかと思った」
美琴はむー、としかめ面を作る。
「こっから先は二人三脚よ? もう一人で悩まないの。わかった?」
「……ああ」
「それにしても、素のアンタって結構素直なのね。いっつも私をスルーしてたのは何だったのかしら」
「たぶんそれは『昔』の上条当麻がそうだったからだろ。俺はずっとみんながイメージする『上条当麻』を演じてたから」
「……他の人については、記憶喪失を隠さなきゃならないからしかたないけど、私の前ではもうそう言うことはしないの。良い?」
「うん。俺もその方が気が楽だ」
上条はほっとした笑顔を浮かべる。
「私も自分の気持ち、言っちゃったしね。変な意地張るのはおしまい」
「えーっと、意地張るって何が?」
「……、私の口からそれを聞きたいの?」
「……御坂の今までのあれやこれやのうち、マジでどれがそうなのかわからないんですが」
上条はキョトンとする。
「……、アンタが今も昔もデリカシーがないって事はよくわかったわ、うん」
「御坂? ……もしかして怒ってるのか?」
「うん、ちょっとね」
「……電撃は勘弁してくれ」
「そう思うなら一日も早く私のことを知る事ね」
「……あ、ああ。努力する。……しますしますだから御坂電撃や超電磁砲は止めろマジでお願いああもう不幸だああああああっ!」
無くした物は戻らない。
けれど、新しく作り上げることはできる。
この日、『上条当麻』は。
新しい絆を手に入れた。