Happy white day
ホワイトデー。
それは3月14日に制定されており、バレンタインデーに女性からプレゼントをもらった男性がお返しをする日だ。
女性からのプレゼントがたとえ義理だとしても、男性にはお返しをする必要がある。
そしてここにも一人、お返しに追われる男子学生がいた。
「ふぅ……ようやく配り終わったか…」
彼の名前は上条当麻。
世にも奇妙な『フラグ体質』の持ち主であり、故にバレンタインデーには常人では考えられないほどのチョコレートをもらっていた。
正確な数はわからないが、ざっと数えただけで100個は裕に越えていただろう。
「その分返すのが大変なんですよねぇ…まあ不幸な出来事なく渡せたのはよかったけど。」
なんて呟きながら、空になった紙袋を折り畳んでいく。
この紙袋、今では何も入っていないが今朝寮を出発する前には、バレンタインデーのお返しである大量のクッキー(一袋5個入り)が入っていた。
誠心誠意を込めた手作り……ではなく、市販の、それもバーゲンで買ったものだった。
貧乏な上、補習続きで時間がない上条に、材料を買ってきて一から全て作れ、と言うのは酷な話である。
「ちょっと悪いかと思ったけど……ま、みんな喜んでくれたからいいか。さて、じゃあ最後の1人にもお返しを渡しに行きますかねっと。」
最後の1人。
その人は上条にとって特別な人だった。
他の女の子とは違う、恋愛対象になる女の子なのだ。
だからこそ、その子に渡すクッキーだけは手作りで、奇麗にラッピングしてカバンの奥底にしまい込んであった。
喜んでくれるだろうか、そんな不安を胸に、上条は前日に約束しておいた待ち合わせ場所である、『お金を飲む込む自販機』が置かれている公園へと到着した。
「んー…少し早めに着いちまったな。後10分くらい時間あるけど来てるか?」
辺りをきょろきょろと見回すも“公園”と言う割には人の気配は無く、風が木々を揺らす音のみが聞こえてくる。
「まだ来てないのか………ん?あ!」
思わず大きめの声が出た。
周囲に誰もいないから良かったものの、誰かいれば確実に注目を浴びてしまうほどの大きさの声だった。
だが、それだけの声が出てしまうのも仕方が無い。
なぜならば、
「なんだ…御坂のやつもう来てくれてたのかよ。」
上条の目に映ったのは一人の少女、会う約束をしていた御坂美琴の後ろ姿だった。
彼女との距離はまだ数十メートルあり、後ろ姿が少し見えているだけなのだが、特に不幸な出来事も起こらず会えることに喜びを隠しきれなかった。
渡すべき物を渡すために早速声をかけるため、美琴に駆け寄っていく。
「おーい!みさ…!?」
上条は急ブレーキをかけた。
転けそうになりながらも体勢を立て直し、さらには、慌てて近くにあった高さ1㍍ほどの植え込みの茂みに飛び込むように隠れ込んだ。
なぜ、上条は突然このような行動をとったのか。
理由は簡単。
そこにいたのが美琴だけではなかったからだ。
(な、なんだあの男……御坂と何を…?)
美琴の側に立っているのは、上条よりも身長が高い男。
ぱっと見だが、青髪ピアスくらいの身長はあるだろう。
しかも、顔も悪くない。どちらかと言わなくてもイケメンの部類に入ること間違いない。
(誰だあれ!?見たことないやつだったけど……あ、学校の友達……はないか。常盤台って女子校だもんな。じゃあ一体…)
誰なのか。
ただの友人か、兄弟か、いろいろ想像しているうちに、1つの考えにまとまった。
(……まさか…彼氏…?)
彼氏。
上条は今まで、美琴に彼氏がいるなんて微塵も考えたことがなかった。
(い、いや、御坂に限ってそんなことは………あり得るんじゃないか?御坂だって年頃の女の子なんだし彼氏くらいいたっておかしくないような…)
そう、冷静に考えれば別におかしいことではないのだ。
今日日、中学生でも付き合ってる子はいくらでもいる。
それが名門女子校の生徒でも、学園都市に7人しかいないレベル5だったとしても、彼氏がいることは何もおかしなことでない。
だが、現実を信じたくない上条は、茂みから少しだけ顔を出して2人の様子をうかがってみる。
頼む、間違いであってくれ、と祈りながらだ。
するとそこに見えたのは、笑顔を見せて楽しそうに談笑する美琴と男子学生の姿だった。
そんな2人を見て、上条は確信した。
「……そっかー…彼氏いたのか…」
上条は再び茂みに隠れ、力なくその場に座り込む。
今までの人生で初めて経験する“失恋”。
記憶喪失のため、実際は数ヶ月程度の記憶しかないのだが、それでもつらいものはつらかった。
「今日は特に不幸なことがないと思ってたら…最後にこういう形で不幸が訪れるのかよ…」
しばらく動くことができないほどの強いショック。
5分くらい放心状態が続いたのち、俺ってほんとに不幸だ、そう心の中で呟いた。はずだった。
ショックのためか、上条は無意識のうちに言葉に出してしまっていたらしく、
「何が不幸なのよ。」
「ッ!!?」
突如、頭上から聞こえた女の子の声。
その声につられて上を向くと、そこには
「み、御坂か…びっくりさせんなよ…」
「アンタが勝手にびっくりしたんでしょーが。てかこんなとこで何してんの?」
「いや……その、あれだ、珍しい昆虫がいたもんでつい…」
「昆虫って…アンタはファーブル博士か!」
「ファ…?誰それ?」
「…まあいいわ。で?こんなとこに私を呼び出してなんの用なわけ?」
「あ、そうだった……」
隠れていた理由を上手くごまかした上条は、よっこらせ、とか言いながらゆっくりを立ちあがった。
その際辺りを見回してみたが、美琴と話をしていた男子学生の姿はなかった。
(帰った…のか?それとも俺がいるから一時的にどこかに行っただけなのか?)
どちらにせよ、いないのならば好都合。
美琴にクッキーを渡すチャンスだ。
の、はずだったのだが、
「ん?その紙袋なんだ?」
美琴が手に提げていたのは、30センチほどの紙袋だ。
「あ、これ?これは……まあいろいろあったのよ。」
美琴の言う“いろいろ”。
これは先ほどの男子学生から渡されたことを隠しているようだ。
「いろいろねぇ…で、中身は?」
「えーとね、セブンスミストの中にある有名店のクッキーなんだけど、結構高いのよね、これ。」
「え?…高いのか?」
「うん。このサイズなら確か…1万円以上はするはずよ。」
「1万……マジか…」
戦う前から負けた気分だった。
自分のはつたない手作りクッキー、対する相手は高級品のクッキー。
差は歴然だと思った。
(……いや、俺のは手作りなんだしその点では勝ってる……よな?うん、勝ってる。)
そうやって自分自身に言い聞かせた。
なんとか気持ちを立て直した上条は、ついに本題を切り出した。
「それでだな、今日ここに呼び出したのは渡す物があって…」
「渡すもの!?な、何?」
「えーと……」
上条は自分のカバンを開け、中の箱を掴んだ。
この小さな箱の中に、手作りクッキーが入っている。
作るときから包装するときまで、いろいろと大変だったが、後は渡すだけだ。
渡すだけだったが、
「……いや、やっぱなんでもない。」
「え?」
「わざわざ来てもらったのに悪いな。今日のことは忘れてくれ。」
上条は箱を離し、カバンを閉じた。
先ほど見た、美琴と彼氏と思われる男子生徒の楽しそうな姿を思い出すと、渡す気は消え去ってしまった。
(彼氏がいるのにこんなもんもらっても迷惑だよな…)
もし自分があの男の立場、つまり美琴の彼氏だったら。
自分以外の男から美琴が何かをもらうことに対して、間違いなく嫌な気分になるだろう。
上条は自分がされて嫌なことは、相手にしたくなかったのだ。
「じゃ、そういうことで。またn」
「ちょっと待ちなさい!!」
立ち去ろうとした瞬間、上条は美琴に腕を掴まれていた。
彼女の言いたいことはわかる。
呼び出しておいて、しかも渡す直前になって止めたのだから、その苦情だろう。
そう言われるとわかっていたのだが、上条は敢えて、わざとらしく尋ねた。
「なんでせうか…?」
「あのね!せっかく来てあげたんだから、渡す物くらい渡しなさいよ!!」
「いや、だから渡すわけには…」
「なんで?」
「なんでって言われても…」
「アンタはそれを渡すためにここに来たんでしょ?だったら渡して。」
「でも…」
「お願い、渡して?」
真っすぐに目を見てくる美琴。
その目は、少し潤んでいるようにも見え、悲しそうな表情へと変わっていった。
変わってしまった。
大好きな彼女の、そんな悲しそうな顔を見たくなど無い。
上条は、再びカバンを開けて、
「わかったよ…渡せばいいんだろ?ほら、これやるよ。」
「これ…ってもしかしてバレンタインのお返し?」
「ああ。バレンタインにはチョコもらったからな。…いらなかったら捨てていいぞ?」
軽い気持ちで言った一言だった。
“捨てていい”、このときは別に捨てられてもいいと思っていた。
だが、美琴に捨てる気はさらさらないようだ。
「い、いらないわけないじゃない!」
「え?そ、そうなのか?」
「あ……うん。ありがと。…アンタから何か物をもらえるなんてそうないから、すっごい嬉しい、かも。」
最後に“かも”がついたものの、見たところ本当に喜んでくれているようだ。
それどころか、美琴は頬をほんのりと赤く染める様子は、恋する乙女と言う感じ。
そして広がる桃色空間。
だが、その空間はそう長くは続かなかった、というか続けられなかった。
「そ、そうだ!開けてみてくれよ!」
「え?ここで?」
「ああ。直接感想とか聞きたいなー、と思ってさ。」
「まあいいけどさ。立ったままだと落としそうだし…あのベンチに座ろっか。」
「おう。」
2人は近くにあったベンチへと移動。2人用のベンチに、右に美琴、左に上条が座った。
その後、1分もしないうちに上条お手製の包装は解かれ、美琴は箱のふたに手をかけていた。
そして―――
「わぁ…これクッキー?」
「そうだけど…ひょっとしてクッキーに見えない?俺としては上手く作れたと思ったんだけど…」
“上手く作れた”、と自ら言うように、箱の中に乱雑に入れられている20個ほどのクッキーは、素人が作ったほうでは良い出来と言えるだろう。
だが、美琴はお嬢様学校に所属する中学生。
彼女の目からすれば、『論外』という評価をもらってもおかしくないのでは、と今になって上条は思った。
が、それは杞憂だったらしい。
「あ、そういう意味じゃないわよ。一応確認のために………って、これアンタの手作りなの!?」
「反応おそっ!!もっと早く反応しろよ!……まあヒマだったからな。ちょっとくらい頑張って作ろうかと思って。」
ウソだった。
頑張って作った、というのは本当のことだが、この1ヶ月ヒマな日は無に等しかった。
事件に巻き込まれ続けたため進級できるか怪しい上条は、連日補習補習、補習の連続。
クッキーは寝る間も惜しんで、丹誠込めて作った物なのだ。
「だから気にしないでくれよ?すぐに作れる物なんだからさ。」
「気にしないでって…ヒマって言っても他の女の子にも作ってたらかなり時間かかったんじゃない?」
「いや、手作りのは御坂の分だけだよ。他の子のは買ってきたクッキーで済ませたからな。」
「え?私の分だけ?」
「うん…………あ。」
しまった、と上条は思った。
このこと、つまり美琴のクッキーだけが手作りだということは内緒にしておくつもりだった。
まあ彼氏の存在を知らなければ、さりげなく手作りと言って自分のことを印象づけるつもりだったのだが、彼氏がいるなら言っても仕方が無い、無意味なのだ。
口が滑った、と言えばそれまでだが、今の一言でかなりマズいことになった。
取り返しがつかない、というレベルではないものの、自分の気持ちに気づかれたかもしれない。
「あの…」
「ッ!?な、なんでせう…?」
「なんで、私のだけ手作りなの?別にバレンタインデーのチョコが私のだけ特別だったわけでもないのに…」
「えーとだな…」
なんてごまかせばいいのだろうか。
ストレートに『お前のことを、愛してるからさ。』とは、口が裂けても言えない。
ていうか恥ずかしい。
迷った末、上条が起こした行動は
「ごめん!」
「え!?なんで謝ってんのよ!私は手作りについて聞いたんだけど?」
「いや、だって…迷惑かと思って…」
「迷惑…って何が?ちゃんとわかるように説明しなさいよ。」
「だから…その…」
言っていいのか迷ったが、ここまで問いつめられたら言わないわけにはいかない気がする。
こちらをジッと見てくる美琴から視線をはずし、上条は普段より少し低めの声で言う。
「―――御坂、彼氏いるんだろ?」
「…え?」
「隠さなくていいぞ?さっき楽しそうに話してたやつが彼氏なんだろ?だから、彼氏がいるのにこんなもん渡されても迷惑だと思って…」
自分で言っておきながら、胸が苦しかった。
恋を初めて知った上条にとって、それは今までにない感じで苦しみでもあった。
――この苦しみから逃れたい。
そう願ったのだが、その願望は次の美琴の台詞により、以外と早く叶うこととなる。
「はぁ…さっきの見てたのね……でも違うわよ?」
その言葉を聞いて、上条は即座に美琴に視線を戻す。
「は?何が?何が違うって?」
「だから彼氏のことよ。私に彼氏なんていないんだから。」
「………え」
上条は耳を疑った。
美琴は今、“彼氏なんていない”と確かに言っていた。ような気がする。
あくまで気がするだけ。確認を取る必要がある。
「え、と……いないのか?彼氏。」
「いないわよ。今まで付き合ったこともないしね。で、さっき話してた人は…まあ告白されたんだけどさ。」
「こ、告白されたぁ!?で、なんて!?なんて返事したんだ!?教えてくれ!!」
「ちょ、ちょっと声が大きい!!落ち着きなさい!!」
「……すみません…で?どうなんだ?」
「断ったわよ。私はその人のことなんてまったく知らないし、言い方が悪いかもしれないけどタイプじゃなかったしね。」
「そ、そうか…断ったのか…」
―――よかった。
言葉には出さなかったが、上条は心の中でそう強く思った。
(彼氏はいない、告白も断った…ってことは俺にもまだチャンスがあるってことじゃないか!!)
目の間に光が広がった。
こんなにも世界は明るかったのか、夕焼け色の空を見て、上条は思った。
だが、次の瞬間には、その光は閉ざされることとなる。
「でも直接“タイプじゃありません”って、言うわけにもいかないから…そ、それで、“私には好きな人がいます”って、言って断ったのよ。」
「え―――」
美琴の口から飛び出したのは、上条にとって衝撃の台詞だった。
(好きな人がいる…だと?だ、誰だ?俺の知ってるやつか?)
共通の知り合いで男、と言えば一方通行か海原くらい。
この2人が美琴の好きな相手とは考えにいため、知らない人の可能性が高い。
一体どこのどいつなんだ、上条が頭から煙が出るほど考えていると、
「でね、その人は私がバレンタインデーにチョコをあげたわけでもないのに、ホワイトデーだからって言ってこのクッキーを渡そうとしてきのよ。」
美琴はベンチに立てかけてあった紙袋を指差す。
「でもね、私は“好きな人以外からはホワイトデー関連の物はもらえません”って言ったのよ。」
「あ、そ、そうなんだ………あれ?でもクッキー受け取ってるじゃん。」
「これは『受け取った』んじゃなくて『置いていった』の。私は何度も“受け取れません”って言ったんだけど、その人は“せっかく買ってきたんだから食べてください”って言って、紙袋置いてどっかに走って行っちゃった。」
ちょっと悪いことしたかなー、と呟く美琴。
しかし、動揺していた上条の耳にその言葉は届いていなかった。
“好きな人以外からホワイトデー関連の物を受け取らない”、ということは、自分のクッキーも受け取ってもらえないということ。
それは遠回しに自分のクッキーをいらないと言われているのだと、上条はとらえていた。
「そっ…か。そ、それじゃあ俺のクッキーなんて受け取れないよな…持って帰るよ…」
そう言って、上条は美琴の膝の上に置かれていた箱に手を伸ばした。
しかし、美琴はふたを閉めたかと思うと、上条の手の届かないように自分の右側へ箱を移動させた。
なんで?という反応をする上条に、少し間を置いた後美琴はちょっぴり不満げに言った。
「…ダメ。これは返さないんだから。」
「は?なんでだよ、好きな人以外からホワイトデー関連の物は受け取らないんじゃないのか?」
「そうよ。」
「だろ?じゃあ早く返せって。持って帰るから。」
「だから返さない、って言ってるの。この意味……わかる?」
「?え……っと…?」
“だから返さない”。
この『だから』は何を表しているのか、上条は視線を斜め下に落とし、考え始める。
『ホワイトデー』、『クッキー』、『好きな人』と、いろいろと思い巡らせた末、上条の頭には1つの答えが浮かび上がった。
の、だが、上条は自分で出した答えに“ありえない”、と思った。
彼の常識で考えると、その答えは間違っているに決まっている。
だが。
しかし。
ひょっとすると。
もしかして。
ありえなくもないのではないだろうか。
眉間にしわを寄せ、地面を見たまま、上条は考え続けた。
(…絶対ありえない、と思ったけど、これしか、ないよな…?)
そして、自らの答えがまとまった時、上条は美琴の方を向いた。
「……わかったの?私が言った言葉の意味。」
「…ああ。でもあくまで俺が出した答えなんだから違ってても怒らないでくれよ?その好きな相手って―――――」
ホワイトデー。
それは男性が女性にバレンタインデーのお返しをする日。
だが、一部の人の間ではそれだけで終わらず、新たに付き合い始める男女もいるらしい。
この日より数日後、学園都市には『第7学区のとある公園でお返しを渡すと、渡した
女の子と付き合える』、という新しい都市伝説が生まれたという―――――