embrace
混雑した東海道本線の電車の中。
御坂美琴は持ってきた文庫本に集中できずに、窓の外を眺める。
電車は学園都市方面に向かって、ゆっくり走っている。
実際にはそうゆっくりでもないのだろうが、景色が流れるのが遅いからか、そう感じる。
固定された固い座席に、深く座りなおすと、むやみに姿勢が良くなってしまう。
だから身体を、窓の方にもせかけた。窓ガラスが、息で曇った。
アンニュイ、というのは、こういう気持ちのことだろうか。
ため息をついて、頬杖のつもりで指の甲を顔に添えると、左手薬指にはめた指輪の石を頬に感じた。
なんともいえない、そわそわした感じだと御坂美琴は思う。
むしろ本人より、親があたふたしている。
実家に荷物整理をしに来て、それが終わったから学園都市に戻る。
それだけの用足しだったのに、父と母が何やら一大事のように、駅まで見送りに来たりする。
父に至っては、孫を連れてきたと早とちりをし海外から帰ってきていたりするのだが。
「もう少しゆっくりしていけばいいのに」と母。
「うん……でもいろいろ準備もあるし、当麻一人じゃ心配だから」
「そうだな。当麻くんにもうまいもの作ってやれよ」と父。
「うん」
「なにかあったら電話するのよ、美琴ちゃん」
「もう子供じゃないんだから、ちゃん付けはやめてよ」
美琴は苦笑する。
「美琴ちゃんはいくつになっても私たちの子供なんだから」
「お腹の赤ちゃんが今の美琴ちゃんと同じ位の歳になったらわかるわよ」
「……そっか、そうね。ありがとう。お父さん、お母さん」
白い息がもれては、風に流れる。
周りは雪景色。
ドラマみたいでくすぐったいような、シチュエーションにほろりとしてしまう。
「来月には式で会うんだからそんなに心配しないで。あとさ、昨日話した……」
「9968人の娘たちの名前ならもういくつか候補があるぞ? 式までには間に合うよ」
言い淀んでしまった言葉を察した父が、頬に皺を浮かばせながら告げる。
産まれた経緯、実験内容、その後。その全てを両親に話せたのは、つい最近のことだ。
7年の歳月を掛けて学園都市内限定ではあるが、ようやく彼女たちにも人権を与える事が出来た。
その晩、ささやかなパーティーが行われた。
手伝ってくれたみんな、受け入れてくれた両親、各々個性の芽生えた彼女たち。
みんなに後押しされ、7年間、傍で支えてくれた彼に玉砕覚悟で告白をした。
その返事を、まさかプロポーズで返してくるとは思わなかったけど。
電車の振動が、御坂美琴を小さくゆさぶった。
左手の薬指。
左手の薬指に指輪があるという感触が、慣れなくてやっぱりへんな感じだ。
薬指は心臓につながっている指だ、なんて話があるけれど、確かにそんな感じがするのだ。
(結婚かあ)
未だに、強い実感がない。
彼のことは好きだし、プロポーズだって死んじゃいそうな程、嬉しかった。指輪はもう宝物だ。
けれど。未だに感情が現実に追いつかない。
海外で行われていた妹達の調整が一斉に凍結した、処分が濃厚だと妹から聞いた。
その日、『アイツが好き』という膨大な感情を私は胸の奥に、そっと閉じ込めた。
それから7年。一区切り着いた所で、胸の奥を締め付ける感情に気付いた。
これまで意識しないようにしていた感情が暴れだす。
リズムが早くなり出す鼓動に合わせ『当麻、当麻!』と心臓が名前を叫びだす。
パーティーの途中であっさりと手放した意識が帰ってきたとき、最初に目に映ったのは彼だった。
みんなに介抱頼まれたと、私の頭を撫でながら彼は言う。
「膝枕。あの日のお返しだ」
心臓の鼓動は激しさを増し、顔が急激に熱くなる。
パッと効果音が出そうな勢いで起き上がる。
赤面してるであろう顔を見せたくなくて、俯いた頭に手が乗せられる。
14歳の頃に閉じ込めていた想いが、ビリビリと体中を駆け巡る。
頭の上から感じる温もりでは、もう足りない。
衝動に駆られる。それでも、やっぱり恥ずかしい。俯きながら彼の胸板に擦り寄る。
背中に腕が回される。意識を手放しそうになる。包み込んでくるような温もり。
躊躇いがちに彼の背中に腕を回す。ギュッと抱きしめられる。
「 」
告白も何を言ったのか、そもそもちゃんと日本語を話せていたのかすら怪しい。
けれど。まだ半年前の出来事だと言うのに、何故か懐かしく思う。
(フフ、14歳の頃の私はどんだけアイツが好きだったってのよ)
あの日、胸の奥に閉じ込めた想いと一緒に彼女は居た。
この7年間、私の分まで彼女は彼を好きでいてくれたのだろう。
甘いような、くすぐったいような。
心の震えが、御坂美琴を包んだ。
いくつかの場面が、よみがえってきた。
あの日の気持ちを、少し思い出した。
雪が途切れて、車窓から光が射し込んで来た。
まぶしい。目を閉じた。
きっと、山の稜線が光を浴びて白く輝いているだろう。
さわやかな風みたいなものを感じる。
ああ。深いため息が出る。
胸がいっぱいって、こういう気持ち。
がらんとした部屋にいくつかの段ボール箱と、青年が一人。
今日ここに越してきた彼は、2人分の荷物を部屋に運び終え、達成感に浸っていた。。
このペースなら彼女が来るまでに終わりそうだ。
「よーし! やるぞーッ!」
掛け声とともに“積み重なった何か”を支えにし立ち上がる。……はずだった。
『ドンガラガッシャーン!!』
青年は今日も不幸なのだ。
(確か、ここだったわよね? どどどどうしよう。この玄関をくぐったら……!)
(か、かか上条み、みこみこっ!! えへへ、お帰りのち、ちゅーしてくれたり!?)
『ドンガラガッシャーン!!』
「……嫌な予感が的中したわね」
妄想空間はシャットアウトされ、現実に引き戻される。
鍵を開け、玄関をくぐる。荷物の下敷きになっている彼が目に映る。
「はぁ……やっぱり早く帰ってきて正解だったわね」
「お、御坂、随分早かったな。」
「いろいろ予想してたからね。でさ、……もう御坂じゃないんだけど?」
「そうだったな。お帰り、美琴」
「「……ただいま、当麻」」
私たちは彼に抱きついた。